それまで施設の設置の目的は親に変わって子供を預かるところだから親のためではあるのだけど、保育園のなかで行うことはそれぞれの保育園が「子供の最善の利益」というものを追求してきました。
しかし、それがそれよりも親の満足度というものを重視する方向になってきています。
もちろん全てがそうではありませんが、認証保育園の存在や認可園でも営利企業が経営母体となっているものなど少なくないので、もはやそういうところも一般化しています。
保育で利益を上げるためには、お金を払う親の受けを狙ってしまったほうが手っ取り早いのです。
そういったところでは、「子供にどう適切な援助をするか」「良い育ちを提供していくか」などというのは二の次、三の次、そもそもそんなことは保育の目的の中に入っていないかもしれません。
これはけっして誇張ではありません。
認証保育所や認可園でも経営母体が営利目的の保育園ではすでにこういうことが起こっています。
そういったところでは、建物の外観や内装、職員の制服などの見えるところ分かりやすいところにお金を掛けて、また親が望むような「お勉強」的な内容や英会話やリトミックなどでのアピールに熱心なところもあります。
どんな研修をどれほどしていますなどといった宣伝文句も見かけます。
しかし一方で保育内容はというと、正しい知識や経験が非常に乏しい職員ばかりだったり、少ない人員で雑な保育だったり、子供への育ちの援助などそもそも視野に入っておらず預かっている間だけとにかく怪我をさせないだけの「子守り」でしかなかったりするところもあります。
ある保育の会社はどこどこの国のなんとか協会の保育を学んで実施していますと宣伝していたところがありましたが、その実際は「怪我だけはさせない」だけの子守保育でしかありませんでした。
内容は旧態依然とした十把一絡げの昔の日本の保育のまま・・。
でも、怪我だけはさせるまいと上司が目を釣り上げて保育士を管理しているので、働いている保育士はどんよ~りだったりピリピリしていました。
保育士の定着率もずいぶん低かったようです。
もちろん認証保育所や会社経営の保育園のすべてのところが、そういったずさんな保育をしているかというとそんなことはないとは思います。
僕が実際にみたり経験したこと、そういったところで働いている保育士たちからの話、あずけている親からの話、そういうところから自分の保育園に転入してきた子供たちの育ちの様子などからして少なからず宣伝文句・見た目の立派なところとその内実のギャップを明らかに感じます。
このことは、以前にも書いたように残念なことに公立保育園や認可園が、どこも全て質が高い保育を出来ているかと言えばそう言い切れないところもありますので、どっちが良くてどちらが悪いという話ではありません。
今回はそういった保育園へのニーズの変化というお話です、そう思って読んでくださいね。
営利を上げるには当然ニーズを読むことが大切でしょう。
親のニーズが早期教育などで満たせるうちは、本当に質の高い保育を営利企業に求めることは難しいように感じます。
質の高い保育士を養成して、長期にわたって雇用し経験を積ませていくよりも、例えば週に一度英語だとかのパートタイム講師を雇うことで、親のニーズを満たせるならはるかに安上がりだからです。
また、親の意識もずいぶん変わってきているのも事実です。
保育士に子供のためにどうこうというアドバイスを期待するよりも、なんでも都合のいいようにハイハイと聞いてくれるほうがいいという人は増えています。
実際に、ある認証保育所の運営会社では「親にアドバイス・忠告めいたことは一切するな」「親の要求を第一に考えるよう」と保育士に指導しているところもあります。
子供のためにと保育士が親へ働きかけることをさせないようにしているわけです。
このことはわからないわけでもありません。
たしかに、親へのアドバイスをめぐって返って親に反発されて信頼関係をそこなってしまったり、八つ当たり的なクレームとして返ってくるということがだんだん多くなってきているからです。
例えばこんなことがあります。
毎晩のように居酒屋や友人宅を連れ回されて心身ともに疲れ気味、親の関心・注目も低いので情緒的にも荒れている1歳児。
「保育園も結構疲れるからのんびりと過ごしてあげたり、向き合って遊んであげたりもするといいですよ」とやんわりと伝えても、自分のしていることを否定されているととるのか反発されてしまうことも。
他にも
「昨晩熱がありましたけど、もう下がりました。お願いします」と2歳児をあずけていきました。
下がったといっても実は解熱剤を使って下がっているだけで、しばらくしてすぐ高熱が出る。
ぐったりしていて保育できる状況ではないので会社に電話したところ、会社からは今日は休んでいますとの返事。
家に連絡して迎えにきてもらう。
「おやすみだったのなら、具合の悪いときは家で見てあげたほうがいいですよ」とそれとなく伝える。
その際はなにもなかったが、あとで園長に電話が掛かってきて、「保育料を払っているのにあずけて何が悪いんだ」とクレーム。
・・・このようなことが非常に増えています。
子供への援助はひいては親のためでもあるとよかれと思って保育士はしていても、なかなか最近の人たちの感覚ではそうは取ってもらえないようになりつつあるのを感じます。
たしかに、親の言うことをなんでもハイハイと聞いて親の要望だけを満たせばいいのならそれは簡単です。
でもそれは
「子供のよりよい育ちの追求」ということを無視してもいい・・・という前提があればです。
保育士の職務とはまず子供ありきでしょう。
子供のために良かれとすることが結果的に親のためでもあり、親への援助となっていたはずです。
ときには子供のためにどうしても必要だと思われれば、親の意に沿わないことも言わなければならないことも出てくるでしょう。
でも、誰だって本当はそんなことは言いたくて言っているのではないのだよね、それが子供のためだと思えばこそあえて保育士は憎まれ役になるのだね。
それが保育士としての責任であり、保育士なりの子供への愛情でしょう。
そこを親の気に入らないことは一切言わなくていい、ケガだけさせない保育ならたしかに楽です。
でもそれだと子供と保育士の関係は「あなたと私は保育時間だけのお金の関係よ」と言っているに等しいのではないでしょうか。
それは日本の保育界が長年かかって目指してきたものではないはずです。
長いのでまた次回につづきます。