長ネギの味噌汁にみる子供の成長 - 2019.02.14 Thu
ふと気づいたのだけど、昨日長ネギの味噌汁を作ったときは、子供たちはそれをせず全部自分で食べてる。
僕はこれが子供の成長と言うものだと思う。
僕は食べ物の好き嫌いを「どうでもいい」と思ってる。
「どうでもいい」というと、投げやりなように聞こえてしまうけれども、そういう意味ではなく、
次のことを知識と経験から体得しているから、「好き嫌いがあってはいけない」とか「食べ物を残してはいけない」といったバイアスに束縛されない価値観の自由を持っているというのが正確かな。
・子供の現在の成長の姿は確定した未来ではない
・子供の「できること」は変動する
・「できる」到達点の達成には時間の経過が不可欠
・子供には敏感さがあり大人は認識しない辛みなどを感じる
・無理矢理食べさせることは、子供の主体的成長とは別のなにか
・無理矢理食べさせることは、大人の自己満足を満たす効果はある
保育研修などでは、こういった知見の上に「信じて待つ」ことが大事と伝えるのだけど。
実際に僕が体得しているのは、「信じて待つ」というように力の入ったものではなくて、その先にあるもっと力の抜けた
「子供はたいていのことはできるようになるし、将来になってできなかったとしてもそれがどうしても困ることでなければ個性の範囲。だから子供の一挙手一投足を気にしない」
という理解の境地。
あっけらかんとした、「どうでもいい」。
◆
態度としては
「否定も肯定もしない態度」
この場合の「否定」というのは、ネギを食べないという行為を否定して、そこを責めたり、または食べさせようと躍起になったりすること。
これには、強いアプローチだけではなく優しくおだてて食べるようにうながすのも「否定の行為」として含まれる。
「肯定」というのは、「あなたはネギ食べられないよね」と、大人が積極的にそれを肯定して、最初から取り除いたりその状態を過保護してしまう態度。
なぜそれをしないかというと、そこには「できない状態の決めつけ」が存在するから。
子供の力や成長の伸びしろを信じない行為になってしまう。
だから、飲食店などで「お子様のネギは抜きますか?」(近所のラーメン屋さんで子供サイズのラーメンを注文するとこれをされる)と聞かれても、大人が答えずに子供本人に「どうしますか?」と決めさせるようにしていた。
否定でも肯定でもないニュートラルさ。
これが「あっけらかん」という形容の意味。
◆
「○○しなければならない」
などの、価値観のバイアスにしばられていないと子育てはラク。
子供にはたくさんの自分で育つ力があるのだもの。
でも、今の子育てを取り巻く状況や、親になる人たちの育ってきた環境などがそれを難しくしているのは理解できるのだけどね。
● COMMENT ●
抜け出せません!
去年の暑い夏の日に、皆で出前を取ることになり、皆は冷たい蕎麦を頼みましたが、息子は蕎麦が好きではなかったので私だけ泣く泣くさばの味噌煮定食を頼みました。
が、暑い中、皆がゾゾゾッと爽快に食べている蕎麦が美味しそうに見えたみたいで、息子は蕎麦の方を食べたがりました。
その日から息子はうどんよりも蕎麦派になりました。
スイカが嫌いだったのに、夏祭りでスイカ割りをした時は喜んで食べてみたり、
先日雪が降りましたが、雪遊びで身体が冷えてしまい駆け込んだコンビニでおでんを買いイートコーナーで食べると、今まで嫌いだった大根やこんにゃくを「美味しい!」と沢山食べてくれました。
何だか今まで「食べなさい!!」としてきた事が無意味だった事に気がつきました。
質問です
命をいただくというありがたさを学ぶ意味もあると思うのですが
そのへんはどうお考えですか?
ごはんよりお菓子や果物ばかり食べたがる子供はどうすればいいのでしょうか?
私もなかなか…
それ以降、「ママ落ち込んでたね!」ってことあるごとに言われます。それだけ影響与えたってことですよね。
この記事をお守りにしよう。
自分もこうして欲しかった
子育てで機能不全家族の問題に気付いた時、「他人の胃袋をゴミ箱にしている」という表現に出会って溜飲が下がりました。
気をつけていても負の連鎖が出そうになるのでおとーちゃんさんのブログにいつも助けられています。ありがとうございます。
なるほどー
この記事も
トイレトレーニングの記事
お箸の記事も
本当に出会えてよかったです!!
全て大人が早くから頑張らせて
子どもに形にしていくものだと思っていました!!
それで、子どもがそーゆう姿にならないと
焦りや怒りになりました。
こんなふうにしなくていいんですね。
子どもを認めて寄り添って生活していけば、子どもが自分で習得していってくれる
そんなこと知りませんでした。
悪い姿があれば、なんとかどうにかして直してやろう!そればかりにおわれていました。
ちなみに元保育士です。
間違っていました。
保育士時代も子どものネガティブな部分を見つけるとどうしてこの子は!どうにかして直さなければ、そんなふうにして子どもに関わっていました。
私のまわりの保育士も私以上にそーいう思いで子どもたちに厳しい人が多くいました。
保育士同士で話すのも子どものネガティブな部分に目がいきがち!なんとか正さねば
早くトイレトレーニング
早くお箸をうまくもたなくては
できないのは、親の努力がないなど
そんなふうに考えていました。
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コメントは久しぶりですがいつも読んでます!
本当にこの価値観からはなかなか私自身抜け出せません。
私も旦那も長男もほとんど好き嫌いなく食べられるので、
下の子が食べが悪いと「なんで~~」とイライラ。
残さず食べなさいとか好き嫌いしてはいけませんとかは
言わないようにしてるんですが、
残される(というか時間かかりすぎるので切り上げる)と、
落胆やイライラを隠しきれないです。
極端な偏食でもないし「どうでもいい」んですけどね。
好き嫌いなく残さず食べましょう、と育った価値観は根深いですね。
全く悪い価値観てわけじゃないけれど、
それができない人を許せなくなってしまう価値観になってしまってるのですね。
うーん、ニュートラルでいたいです…