モラハラ子育ての逃避から依存へ - 2019.03.12 Tue
男性にも同様のケースはあるのですが、女性に多く顕著に現れるのでここでは女性の例をモデルケースとして見ていきます。
◆幼少期
・モラハラ傾向を持った父親からの支配と束縛。
・父親の言動、態度におびえる子供時代。
・母親も父親からのモラハラ被害にあっているが、父の問題の現状維持に加担したり、母親が受ける父からの抑圧のはけ口を子供に向けるなどで、母子が信頼し合える共同体になりきれない。
例:「あなたがお父さんを怒らせるからでしょ」
:母が父にモラハラされると、その次に母は自分をしつけや勉強にかこつけて責めてくる
・このとき母親が父親に対抗し、子供の側に立てる人の場合子供の受けるネガティブな影響は軽減する。しかし、それであってすら父親のモラハラの影響は大きい
・モラハラ体質は、子供を自分の思う通りにしようという気持ちが強いので、教育熱心になることがしばしばある。勉強を理由とした抑圧に発展する
◆思春期
・自己表現、自己決定を親に普段から奪われる
・価値観を押しつけられるので、自分の得た趣味や嗜好に否定をされる
例:音楽、ファッション、食べ物
・親の期待に応えるために熱心に勉強に取り組み、親の肯定をもらうべく努力する
・親からの支配の抑圧を、何かへの逃避をして現状の維持を図る
例:ゲーム、読書、趣味、オタク化
◆学生時代、社会人
・親の束縛から逃れるため、留学や、その地域から離れることを考え実行する
・実家から離れられないケースでは、門限や交友関係等での束縛。また服装や髪型などへの束縛もめずらしくない
・親による支配の結果、学力は向上しているので大学、就職などは安定することもある。その結果、人生の中で比較的平穏な時期になる場合も
・自己肯定や自尊感情の問題から、対人関係に悩む場合もある
・支配の反動による、承認欲求、肯定への飢えを、周囲の人間関係や恋人関係にだし、そこでの難しさに直面する場合も
◆結婚、子育て
・その前段階が比較的安定してる人も多いが、自身の子育てが発生することにより、幼少期の自身の問題に直面せざるを得なくなる
・子供との関わりのわからなさ、子供との距離感の難しさ
・自身の望む行動に子供が従わないときの強い感情の動き
・子供のいる生活における、自身の感情の抑制のきかなさ
・子供に向き合うことのしんどさと、それに対する自責の念
・「子供がかわいそう」という表向きの理由でなされる自己憐憫から抜けられない辛さ
◆パートナーにより大きく様相が変わる
a,父親と同様のモラハラ傾向
b,親からもらえなかった基礎的な肯定をも自分に対してしてくれる包容力のある人である場合
c,その両者の間、もしくはどちらでもない
・a,であれば結婚生活だけでも困難な状態となりかねない
・b,パートナーに受け止めてもらえることで、人生を立て直す契機となる可能性。だが、必ずしもそれだけで問題解決というわけではない
・c,結婚生活だけであれば現状維持が可能でも、子供が生まれた後に困難が大きくなる場合がある
当たり前ですが、必ずこうなるという話ではありませんよ。
あくまで、こういったケースがあるというお話です。
さて、この記事のテーマを『モラハラ子育ての逃避から依存へ』としたのは次の部分からです。
仕事をし、子育てをする中でもムリが少なく自己実現できれば、その人は安定しやすくなります。
また、夫婦関係の中でも互いに必要とし合い尊重し合う中で関係を継続できることも自身の安定に寄与します。
しかし、幼少期からのモラハラをされた経験があると、子育てはハードモードになり易くなります。
その中で、子供に関わることを避け仕事へと逃避する人もいるでしょう。自分の親がしたように、我が子への厳しい関わりや、教育への熱心さを踏襲することもあるでしょう。それが円満にうまくいけば問題ないかも知れませんが、思い通りにいかない場合それはその人のアイデンティティの危機となってしまいます。
実際には、子供も一人の人格なので親の思い通りにしようとする関わりは、それが強ければ強いほど齟齬の出るものです。
幼少期からモラハラをされることで被モラハラ体質とともに、自尊感情の低下や自己肯定感の低さ、またはそこから派生した結果の対人関係の苦手さ、こういったものが生きづらさとして大きくなった場合、その人は大きな自己承認を必要とするようになります。
それ自体が悪いわけではありません。
しかし、この状態にあって自己承認をするのはなかなか簡単ではありません。
◆依存でバランスをとる現代の親の現実
僕が今のような子育てする人の相談を受けるようになる前の、ただの保育士だったときから、何かへの依存に走る保護者をたくさん見てきました。
・週末になると子供を置いてアイドルの追っかけに行ってしまう人。
・実際は子供は喜んでおらず負担になっているのに、「子供が行きたがるんです」といいつつ、某遊園地に毎週のように通わずにはいられない人。
・たびたび、自分の趣味に子供を付き合わせ子供を放置してしまう人。
僕はこれを「今時の親はけしからん」という意味で言っているのではありません。
ここにあるのは、何かに依存しなければ自分自身を維持できない状況を持たされている人がたくさんいるという現実です。
この人達は、自分の趣味や好むものへの依存をすることでなんとか日々の自分を保って生きています。
この状態を、「親として愛情が足りない」とか「親として未熟だ」「ちゃんとした家庭でない」と否定する人は多いですが、それはなんの解決にもなりません。
こうした状況は、いわゆるアダルトチルドレンといわれる問題のひとつと考えられます。
素の自分の状態では自己承認、自己肯定をすることにネックを抱えており、なにかへの依存があって始めてそのバランスがとれています。
これをひもとくと、その人の幼少期のあり方に根っこがあることが少なくありません。
(今回の記事では、それの強いケースとして特にモラハラ支配の子育てをあげていますが、モラハラまでいかずとも強い過干渉の子育てによる自己表現、自己決定を奪われ続けることでもこうした問題を持たせることができます。ですので、今の子育てをしている親の世代の多くにこうした傾向があってもおかしくありません)
このような何かへの依存で自身のバランスを保たなければならない状況が、特に小さな子の子育てに向き合う段階で強く出てくる傾向があります。
この問題は、「親なのに○○しているのがけしからん」ではなく、その親自身も自己肯定や自己承認にネックを抱えており、子育てというしんどい仕事を任される中でそれがより大変になる状況に直面しているということです。
ですので、そこをサポートする存在が必要になります。
孤立や不安の大きい状況は、それに拍車をかけてしまうので、孤立を防ぐというのも重要なことです。
もし、ムリのない人間関係の中で、その人自身自己肯定や自己承認ができていれば、そういった依存の問題は小さくすることができるでしょう。生活や子育てに影響のある耽溺(たんでき)といったレベルから、普通の趣味といったレベルまで。
しかし、現状では子供の姿を親の責任をととらえる傾向が社会全体に強く、このような子育てする人の当事者性に立った援助がなかなかなされていないのが現実です。
さて、それこそ自身がモラハラ支配による子育てを受け続けてきたというレベルの人の場合、こうした自己承認、自己肯定の問題は子育てを機に大変強いものとして直面することになります。
そういった状況に、子育てを取り巻くカルト問題の指摘であげたような
「私たちが正しい。周りが間違っている」
「他の人が知らない真実を教えます」
「○○のためには絶対に△△が必要だ」
こうした、依存を呼び込む強い言葉で自己の承認欲求を満たすものが提示されると、その理屈のおかしな点などがあっても、自己承認への強力な肯定の魅力により流されやすくなります。
ある意味では、子育てを契機に自身の人生の蓄積された生きづらさがでてくる人は、他者を支配したい人にとって「ちょろい」位置にいるのです。
しかし、僕のような立場にいる人間にとっては、そういったものに依存をせずにはいられない人から、それを奪うということもあまり好んでできることでもありません。
その人にとっては、それが依存であることをうすうすは感じ取っていたとしてすら、そうしなければ生きづらさに飲み込まれてしまうのかもしれないからです。
ただ、そうした依存が自身の問題だけで完結すればいいのだけど、子供の大きな不利益や、経済的な搾取として現実に影響を及ぼすこともあるので、あまり看過もできないというジレンマがあります。
本当は、他者の援助により子育てにおける孤立を防ぎ、もし家庭内、夫婦間のモラハラの問題などがあるのであればそれを解決し、自身の生育歴上の問題を少しづつでも乗り越えつつ、子育てと自身の人生での自己実現ができるところへと向けていくことのできる社会を準備することが必要なのだと思います。
子育てにおいて自己実現できる状態。
もし、これに向かって少しでも歩んでいけるようになれば、それはその人にとっての大きな自己肯定となる可能性を秘めていると僕は考えています。
なぜなら、子供は常に親を肯定しようとしている存在だからです。
子育てにムリがなくなると、子供と自身の関係の中で互いの肯定が行えるようになります。
この状況は、自身の子育てにネックのある人にとって、ひとつの新たなる道筋となるのではないでしょうか。
その意味では、自身の親との関係性で悩んだ人ほど、我が子との関係性の安定化がそれの解決の鍵となるのかもしれません。
そんなこんながあって、僕は保育士の研修の中でも今後は「子育て支援」「親の支援」に力を入れたいと思っています。
保育の仕事は、単なる子育てのお手伝いだけでなく、今を生きる人の人生の助けになる可能性を秘めた仕事だと思います。
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● COMMENT ●
私の親は何かではなくこどもそのものにべったりと依存していました。心理学で言われる親子の役割逆転が常に起こっていました。
「自身の望む行動に子供が従わないときの強い感情の動き」がそこに由来していると理解した時、自分のこどもには同じものを絶対に背負わせないと決意しました。
親の子育ては反面教師にするにしても、では何が良いのかがわからない、そんな私にはおとーちゃんさんのブログは水先案内人であり、闇に差した一筋の希望の光です。
いつもありがとうございます。
子供の前でパートナーを諫めると、
『夫婦が一枚岩ではない』と子供に教えることになりませんか?
虐待とかなら勿論、「賛成!子供の側に立つ人が必要!」なのですが、
我が家に関しては、子供の側に立つ方法で悩んでいます
>・この時母親が父親に対抗し、子供の側に立てる人の場合子供の受けるネガティブな影響は軽減する。
我が家は、夫が娘を注意している時に「お父さん!」と私が話に割り込んで、
「今、僕が話している途中で割り込まないで!」と夫を怒らせています。
私が夫の説教を遮るのは、お説教が長い時、きつい言葉が並ぶ時に限ります。
他は、子供へのフォローが必要と感じた時は、娘と2人になった時に「(お父さんが言いたかったことは)**しないで、次からはこうしようね」と話しています。
悩むことは
・『人の話を遮る』現場を子供に見せていいのか
・子供の前でパートナーを諫めても大丈夫か
・夫の説教を要約して子供に伝えると、結果的に子供を2度叱ることにならないか
夫が、優等生タイプで、自分にも人にも『あるべき姿』を求めるタイプです。
(義母は教員を経て、校長・理事長に就任)
3年前のことですが、引越直後に当時3歳だった娘が、隣の子どもに挨拶できずに
モジモジしていたら、夫は「挨拶できないなんて、おまえは悪い子だ」と子供を責めました。
私には、娘が挨拶できなかった理由は、隣の子の幼稚園服を初めて見てビックリしたことと、照れたため、と思えました。
子供に挨拶を促すにしても、言葉がけは「挨拶できるとカッコイイよ」
「おまえが挨拶できなくて、お父さんは悲しい」で良いのでは…と感じます。
この時、夫婦2人になってから夫に話したことは、
「『悪い子』と注意すると娘のセルフイメージを低下させるから、同じことを注意するにしても事実を淡々と伝えたり、Iメッセージ(私は…と感じると、自分の意見として伝える)で話す方がいいのでは」です。
出産以来、折に触れて夫と価値観の擦り合わせを図ってきましたが、
夫に違和感を覚えること多数です。
子供が2~3歳の頃、夫が子供への脅しを多発したので、
子供が通う保育園の園長に「今の夫の子どもへの接し方だと、思春期に子供が拒食症になりそう」「夫婦で子育ての足並みを揃える方法」を相談しました。(園長には夫への愚痴と聞こえたかもしれません)
園長からのアドバイスを夫に伝えると、
「家庭のことを外で話すなんて、僕は恥をかかされた」でした。
※この時期(3年位前)、おとーちゃんの習志野での全6回程の子育て講座に子連れで参加させていただきました
3年たった今、小学校の進級を控えた娘に「そんな返事していると、小学校で誰もあなたと友達になってくれないよ!」と夫は相変わらず脅すスタンスで躾をしています。
夫の教え方は「周りと違う子だったら、仲間はずれにしていい」と教えているようで嫌なので、
時々、夫が注意している時に「お父さん!」と夫を嗜めて、夫に「今、僕が話している途中で割り込まないで!」と怒らせています。
夫婦関係としては、夫は私にモラハラを受けていると感じているようで、夫は私を怒らせないように常に気を使っているようです。
確かに私は夫に言いたい放題言っています。
でも私は、3年前に引越して以来ずっと夫が「壁に手をついたな!手の脂で壁を汚していない?」と子供を注意するのでイライラするし、夫に可愛い物言いを求められるのが窮屈です。
夫に『夫の周りや子供への接し方』を注意する時は、夫のプライドを傷つけないように言い方やタイミングを選んでいるのですが。
私の方針は、子育て時の夫のモラハラ的な言動は気になるけれど、夫の躾の細かなところは気にしない、です。
日常的に接する時間は、母親の方が圧倒的に長いので。
母親が父親の言動に目くじらを立てる弊害も大きいし。
夫のお説教が目に余る時だけ、割って入るようにしています。
う~ん・・・
私自身も、夫に意見する時は、困っている事実を淡々と伝えたり、Iメッセージ(私は…と感じると、自分の意見として伝える)で伝えるようにしてみます。
そして、夫の両親から幼少時に「あるべき姿」を求められて、夫なりに頑張ってきたことを心の中でねぎらうようにします。
長くなってすみません。おとーちゃん、いつもありがとうございます。
みのむしさん
親は、「みのむしは、ちっとも寄ってこなかった。一人遊びが好きだった」と言います。
けれども、私は母にもっとかまってほしかったという記憶はあります。
私の母は専業主婦でしたが、母と一緒に遊んだり、抱きしめてもらった想い出が、あまりないのです
これ自体はモラハラではないです。
ですが、その表面にみえるところには肯定不足があります。またその背景に別の問題のある可能性はあります。
>イライラしないための逃避方法の一つとして、テレビをつけっぱなしにしたり、子供たちの目を盗んではネットで情報や人の意見を読み漁りがちです
このことを自己否定につなげないようにしておきましょう。
それは必要なことと割り切って受け止めた上で、別のところでなにか子供とプラスの時間を持てばそれでいいのです。
ひらめさん
ひとつ考える視点としては、さまざまな理屈を置いて考えて、子供だけを見てみましょう。
お子さんは、そういったお父さんの関わりを受けても屈託なく過ごせていますか?
お父さんの前ではよい子であろうとしつつも、その反動を他の場所で出してはいませんか?
例えば、些細なことでお母さんに八つ当たりしたり。
どんなに正しい理屈であったとしても、その伝える過程で子供の心や自尊心を傷つけていたら、それはリスキーなことなのです。
子供はそのサインを直接的出ない形で出しますので、それを見るようにするといいでしょう。
お久しぶりです
続きです
そして恋愛においては、モラハラを男を選びやすかったりする。
そうでない男性を目の前にすると、どう接していいか分からなくなります。
弱々しい男性だと、逆にモラハラをを行う立場になったりします。
大人しい夫とヒステリー妻って、わりと多いよね。
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子供たちと一緒にいるとき、気を紛らわせる何かが欲しい、みたいなところが自分にもあります。
子供たちは大好きなのですが、イライラしないための逃避方法の一つとして、テレビをつけっぱなしにしたり、子供たちの目を盗んではネットで情報や人の意見を読み漁りがちです。
私には、親にかまってもらった記憶があまりません。
親は、「みのむしは、ちっとも寄ってこなかった。一人遊びが好きだった」と言います。
けれども、私は母にもっとかまってほしかったという記憶はあります。
私の母は専業主婦でしたが、母と一緒に遊んだり、抱きしめてもらった想い出が、あまりないのです。
こういうのもモラハラと言うのでしょうか??
すみません。
とりとめもなく書いてしまいました。