しつけと子育て vol.3 - 2019.07.03 Wed
vol.2からの続きです。
f,モラハラ子育て
規範を子供に持たせることで子育てを組み立ててしまうと、場合によってそれが行き過ぎた状態になってしまうことがあります。
端的なのは、なにかをさせるために叩く、正しい行動を教え込むために叩くといった体罰の関わり。
また、それは体罰に限りません。
しばしば耳にすることに、子供が言うことを聴かないからベランダや玄関の外など、外に出すことで子供に言い聞かせようとする行為。
他にも、
~~をあげない
~~をさせない
~~に連れて行かない
などの罰を与える関わり。
こうしたことが、子供に規範を持たせようとすることが子育ての目的になることで、その問題点に無自覚なままに行われることがあります。
また、それは罰を与えることにも限りません。
他者と比べて子供をこきおろしたり、「どうせお前にはできっこない」など我が子を卑下するような関わり。
こうしたものもそれに類するものとなります。
なぜならそれは子供の自尊心を否定する行為だからです。
正しい(とされる)目的のために、その相手に否定の行為をすること。
これはつまり、モラルハラスメントなのです。
だから、こうした子供への関わりが慢性化してしまえば、それはモラハラ子育てと言えます。
親自身も周囲から「子供に正しい行為をさせること」を強いプレッシャーとして常に受け続けているので、日本の子育てではこの状態にとてもはまりやすいです。
先日、飲食店でこんなことがありました。
そのお店に来たばかりの姉妹が、席に座るなり座る場所を巡って「そこがいい」といったケンカまではいかないけれど、ちょっとして言い合いになりました。
それを見たその父親が、いきなり「あ、じゃあもう帰ろう」と言うのです。
実際にそれで帰ったわけではないですが、そういう子供が嫌がるであろうことを、子供を思い通りにする手段としてもちいています。
「お店でケンカしたら困ります」
「そんなことで言い争いをしていたら、私は嫌な気分になります」
などの事実を伝えて子供に考えさせるか、放っておいて子供たちがどうするかを干渉せずに見守っておければいいのですが、子供の一挙手一投足に干渉したくなってしまうのが日本の子育ての特徴です。
子供は、こうした子育ての中で受けるモラルハラスメントゆえに、別の問題を大きくしていってしまいます。
その端的なものが、他者に「いじめ」をしたくなる心理が形成されてしまうことです。
モラルハラスメントを受けると、別の誰かにモラルハラスメントをせずにはいられなくなってしまったり、他者との関わりが怖くなったり、対人関係のなかで不適切な関わりを覚えてしまうことがあります。
子育てする大人が、規範に過剰に流されてしまうとかえって子育ての問題が大きくなってしまいます。だからそれを避けるようにしておいたほうがいいでしょう。
規範というのは、大人が子供に刷り込むように教え込まずとも、子供は周囲の大人の行動を見て自然自然と身につけていくものです。
しかし、それこそ否定をたくさん積み重ねられたり、自尊心を傷つけられたり、過剰な支配を受けて育ってくると、かえって規範は理解していたとしてもそれを出すだけの心の余裕がなくなってしまい、よけいにネガティブな行動の多い子供となりかねません。
子育てするのに、子供へのモラルハラスメントをする必要はないのです。
まじめだったり、きっちりしていたり、自身が規範を守ることを厳しく要求されて育ったなどの人は、すこしいろんな子供への要求のハードルを下げておくといいでしょう。
g,支配の子育て
これは子育てそのものが、子供を支配することが目的になってしまっているものです。
上記のモラハラ子育てともかぶります。
ケースにもよりますが、あまりその境目は明確ではありません。
特にその当事者自身にとっては、「これは子供のために正しいことなのだ」と自己正当化が常になされますので、当事者本人が自覚することはまれです。
モラハラ子育てが、まだ一応は正しい(とされる)目的のために行われるのに対して、こちらはいつのまにか支配自体が目的化してしまっているので、理不尽であったり、矛盾する要求が多くなったりします。
こうした状況におかれると、子供は大きな精神的ストレスを日々溜め込むことになり、明らかな問題行動などを引き起こしやすくなります。
ただし、その支配の子育てをしている当事者から見ると、「この子は問題行動を起こすのだから、自分がより強く支配をしなければ」という理屈が成り立つので、そこを自覚し安定化に進むことが難しくなりがちです。
しつけの子育て ⇔ モラハラ子育て ⇔ 支配の子育て
これらは、なにかはっきりした境目があるわけでなく、まじめに一生懸命子育てに取り組んでいただけなのに、いつのまにか子供にモラハラをすることが日常化してしまったり、いつの間にか子供が自分の重い通りに動かないことに対して大変強い怒りを覚え支配の子育てになってしまったりということが起こり得ます。
子育て = しつけ(規範)
ではないのです。
では、子育ての基礎はなんなのか?というのは、すでにこのブログや拙著のなかで述べているように受容と肯定です。
しかし、この受容と肯定の子育てというものを、実際に見ていたり、経験として知っている人が必ずしも多くないために、単なるいいなりになってしまったり、過剰な依存状態を引き起こしてしまうという現実面の問題もあります。
そうしたところについても、すでにこのブログの中では繰り返し述べられています。
- 関連記事
-
- 【子育て・保育】ムリのない関わりへ (2021/01/20)
- 「しつけ」がいじめを生む (2019/09/09)
- 「こうであれ」に疲弊する子供たち Vol.2 (2019/09/03)
- 「こうであれ」に疲弊する子供たち (2019/09/02)
- 女性が産休育休でキャリアを失わないたったひとつの冴えたやり方 (2019/08/12)
- しつけと子育て vol.3 (2019/07/03)
- しつけと子育て vol.2 (2019/06/18)
- しつけと子育て vol.1 (2019/06/17)
- 自己犠牲より自己実現 (2019/04/08)
- 子育ての前にあるもの vol.2 ~自分の人生を生きること~ (2019/03/21)
- 子育ての前にあるもの vol.1 ~自己受容と自己肯定~ (2019/03/14)
● COMMENT ●
自分のケア!
おとーちゃんの言うところの、「自分を甘やかす」ですよね?
あたしも、おとーちゃんの記事を読んでから、せいぜいお金で解決できるところは甘やかしてやろうと思ってここまで来ました。
それまで極限状態でやってきた子育てですが、
今はいくらか、余裕があります。
力に訴えることは少なくなりました。
自分のケアがまずは大事です。
「自分を大切に出来ない人は他人も大事にできない」
しみじみ感じます。。。
保育園での体罰
数だけ増やしても、質が伴わないと懸念していた問題が表面化してきたのでしょうか。
幸いにも自分の子どもが通っている保育園ではそうのような話は聞かれませんが、他人ごとではないように感じます。保育というのはプロの仕事で、人を育てる根幹である重要な仕事、それに従事する保育士の質と待遇の向上が早急に必要と思います。
私はただの一保護者ですが、何かできることはないでしょうか。
トラックバック
http://hoikushipapa.jp/tb.php/1327-ec10576a
この記事にトラックバックする(FC2ブログユーザー)
よくある「残さず食べなさい」ってのもモラハラなんでしょうね。
子どもだから「ハラスメントだ!」なんて言葉に出して反論できないけれど。
食べろハラスメント?食べハラ?
自分の育児が支配的になってるなぁと感じる今日この頃です。
下の双子が3歳になり(3歳が2人ってハードです…)パワフルになり、言うこと聞かない、急いでるのに!!キーッ!!となる毎朝夕です。
○○してー(親)→いやーしなーい(子)→じゃあもういいわ…(親)→するの!!(怒泣、子)→なんで最初から聞かないの!!(怒、親)→うわーん(子)
この繰り返しで疲れ果てています。
○○しないと○○できないよ、という言い方をして言うこと聞かせてしまうこともしばしばです。
してしまった行為を責めるのではなく、いい関わりを増やす、というおとーちゃんさんの教えも覚えてはいるのですが…
怒ってる時間が長すぎて、いい関わりをする気力もなくなってしまっています( ;∀;)
この3歳代が幼児期最後の山だということもわかっているので、なんとか乗りきっていきたいところです…
親の心のクッキーの缶が空っぽなのかな!?
子どもにクッキーを入れてあげるなら、自分自身もケアしないとですね(^^;