『都市生活者』 - 2011.08.14 Sun
子育てというのは人が生きていくうえで、必然的に多くの人が通る道であるのに、なにか特別なスキルのようになってしまってきています。
実際に子育ての齟齬、ひずみは引きこもりやいじめ、きれやすい子、学習困難、子供の薬物使用や未成年者の妊娠の増加などなどにいやおうなしに出てるといえます。
実はこういった子育ての難しくなった原因は子育ての内容だけにあるのではなくて、もっと大きな背景・流れのなかにあるのではないかと僕は考えます。
前回、家庭の養育力ということで子供に対処しきれない親という問題をクローズアップしましたが、別に僕はそういった親をむげに否定しているわけではありません。
現代の大人は実は子供以前に「人」と関わることに問題を抱えているのではないかと思います。
僕はその原因の大きなものが『都市生活者』ということにあるのではないかと常々考えています。
ここで言う『都市生活者』とは「都会で生活している人」だけを指しているわけではありません。
「高度に都市化された社会で生きている人」またはその文化スタイルのことです。
それゆえ田舎に住んでいても『都市生活者』としての文化スタイルになっている人は大勢いるでしょう。
では『都市生活者』とはなにか。
それは極端にいってしまえば、誰とも関わることもなく生きていけてしまうライフスタイルです。
例えば、会社で仕事が終われば無言でスーパーやコンビニで買い物をして、家へ帰るがアパートやマンションの隣人がどんな人かも知らず接点もない、すれ違っても挨拶することもない。
という生活をしている人がごまんといるのではないでしょうか。
スーパーやコンビニでは、「ダイコンください」という必要すらありません。
お金を払うときも「今日はおまけしてあげるよ」と言われることもありません。
本当に人と関わらずとも生きていくことができる社会・時代になっています。
職場でもパソコンだけを相手にしていてあまり人と話さないですんでしまうという人もたくさんいることでしょう。
ひとつの部屋にいるのに意思疎通をメールでする夫婦がいる、なんて驚かされる話を聞いたこともあります。
近所づきあい・親戚づきあいということも昔に較べるとずいぶん減ってきているのではないでしょうか。
前回のなかで子供が赤信号で待っているのにその横を信号無視していってしまう大人が多くなっているという話がでました。
なぜ昔の人はしなかったのに、今の人はそれをしてしまうのか?
それはひとつには「地域の子供」と「大人である自分」のあいだに「つながり」がなくなっていると言えるでしょう。
かつては自分のすむ地域・国・社会といった観点・意識などから、となりで信号をまっている「子供」と「自分」はつながっていたのです。だからこそ、その子のために赤信号は渡らないという手本を示す必要があったのですね。
いまはまったくつながりを持たない「他者」になってしまったので、そこまで配慮する人はいなくなってきてしまいました。
まさに我々は人と関わらずとも生きていける『都市生活者』になってしまったのです。
僕はマンションに住まいしていますが、すれ違ったときに「おはようございます」「こんにちわ」と挨拶しても会釈も返さないというひとがずいぶんいます。
とくにマンションなどの集合住宅では、その地元にもともと生活基盤をもっていたのではなく、他の地域から引っ越してきたというひとも多いので、よけい人との関わりは希薄になる傾向があるでしょう。
保育園でも登園時やお迎えに来たときなどにこちらから挨拶をしても、返せない、目も合わせられないというひとも少なくないです。
実際、挨拶できない・しない、目も合わないという親の子育ては難しくなっている・大変になっていると経験的に感じます。
今は多かれ少なかれ、こういう時代です。
我が子とうまく関われるかどうか、以前に人とうまく関われるかという問題があります。
その中で子育てするのですから、なかなか大変です。
我が子の子育てはいやおうなしに濃密な関わりをしいられます。
それは『都市生活者』としてずっと来てしまった人には、とてもたいへんなものになるでしょう。
しかし、自分も含めていまの日本に生きている人は程度の差はあれ大部分『都市生活者』でしょう。
どうしても『都市生活者』の子育ては難しいのですよ。
子育てに関してそれを細かく見ていけば、よく知られるところでは『核家族』『母子の密室化』などの問題があげられるでしょう。
大げさかもしれませんが、人と関わらずとも生きていけてしまう社会というあり方は人類始まって以来の文化形態です。
子育てに限らず、さまざまな人をとりまく問題がでてきてしまうのは避けられないことでしょう。
しかし、人はその『都市生活者』としての自分に多くの人が満足しているかといえば、必ずしもそうではなくそのアンバランスさをなんとか改善しようという気持ちもあります。
ちょっと前にあった昭和30年代懐古ブームや
このたびの震災後の『絆』ブームとでもいうようなこともそのひとつ、人との関わりを大切にしたいということの現われではないでしょうか。
建築はしばしば人の思想を表しますが、最近の家やマンションなどでは、リビングを中心として部屋を配した「廊下のない家」が増えてきているそうです。
家族の共有スペースであるリビングを必ず介すことで、より家族の関わりを大切にするということだそうです。
僕の予想ですが、今後人と人とのつながりの希薄な社会のひずみが大きな問題になっていけば、その反動として逆の動きがあるはずです。
おそらく20~30年後にはパブリックスペースやコミュニティスペースを中心とした街づくり、団地、マンション造りが当たり前になっていくことでしょう。
平成の大統合では自治体は大きくなりましたが、むしろ逆に細分化して村や町が復活するかもしれませんね。
こういうものの萌芽は僕がいわずともすでにヨーロッパなどの建築・行政にみることができます。
いずれ日本も本気でそれにとりくまなければならなくなるでしょう。
- 関連記事
-
- いじめについて考える Vol.5 (2012/09/01)
- いじめについて考える Vol.4 (2012/08/31)
- いじめについて考える Vol.3 (2012/08/27)
- いじめについて考える Vol.2 (2012/08/26)
- いじめについて考える (2012/07/14)
- 『都市生活者』 (2011/08/14)
- 乳児の遊び・関わり Vol.10 (2011/06/04)
- モチベーションの上げすぎと子供の心のオーバーワーク (2011/03/28)
- ざしきわらし考 (2011/03/06)
- 『子どもvs子供 論争』 (2010/09/11)
- 『子育てと虐待』 Vol.3 (2010/05/24)
● COMMENT ●
わかります
脱「都市生活者」
私も子どもが出来る前は、地域とか人のつながりの大切さがよく分かっていなかったと思います。もちろん、挨拶くらいはしてましたが、近所の人と立ち話なんてあまりしなかったし、自分が住んでいる地域にそれほど愛着がなかった気がします。
でも、子どもが出来たら、というか妊娠したら変わりました。周りが声をかけてくれるようになったんです。そしたら、近所のおじいちゃん、おばあちゃんともよく話しをするようになって、いろいろよくしてもらえて、自分の住んでいる地域に愛着がもてるようになりました。
そうなると、同じ場所なのに自分はなんて恵まれた環境にいれるんだろうと、周りに感謝せずにはいられなくなったので不思議なものです。子どもを持てたおかげですね。
私もおとーちゃんの予想どおり、これからは反動で地域に密接した、人とのつながりを求める社会になっていくような気がします。震災の影響もあるでしょうね。
子どもを持つ前で自分が若い時は、そういう関わりとかを煩わしいと思っていました。自分と似た価値観の友だちと好きなことだけをして満足していました。確かに、それも楽しいですけど、どこか薄っぺらいですよね。でも、その薄っぺらさって、一度そこから離れてみないと気付けないかもしれません。そういう意味で、子育てをするということは、それができる絶好のチャンスだと思うのですが、仕事をしていたりして、時間に追われていると、地域と関わることも難しくなってしまうんでしょうか?
No title
独身のころのことです。
地元の小さな横断歩道、大人は車がほとんど通らないことを知っていました。
隣で幼稚園にもならない小さな子供の手を引いて、お母さんがきちんと赤信号で待っていました。それほど急いでいたわけでもないのに、つい、いつものクセで、渡ってしまいました。当然、子供は自分も渡れると思ってしまいますよね。。。
子供を持つ姉にその話をしたところ、「そういう人はどこにでもいるし、こちらの都合でやめさせることはできない。だから、家では『あーいう人は車に轢かれても、文句が言えないんだよ』と教えている、ということでした。
つい赤信号を渡ってしまう大人としては、そのように子供に教えてくれてありがたかったです。
私はまだ子供がいないのですが、子供礼賛、大人礼賛のようにどちらかに偏るのではなく、大人も子供も良いバランスで共存できる世の中でいられればいいな、と思います。
P.S.
現在子供はいませんが、これから欲しいと思っているので、毎日訪問させていただいています。これからも楽しみにしています。
みおさん
みおさんはお子さんが出来る前からこのようなところを見に来るなんてほんとうにお子さんを待望しているんですね。
そういう気持ちがあったら、お子さんができたとききっと素敵な子にそだつでしょうね。
あたりまえですが子育ては僕が書いていることがすべてではないので、一番いいのは自分なりのスタイルでいられることだと思います。
お子さんできるのたのしみですね。
No title
読み進めているところです。とてもためになります。
この記事についてですが、本文でも補足されていますが、
人と関わらなくても生きていける、のは大都市に関わらず、
どこでもそうだと思います。
しかし、大都市は、関わろうとすれば、いくらでも人がいます。
田舎は人がいません。田舎のほうが、孤独だなあと思います。
というのも、最近、転勤のため、都会から田舎へ引越ししました。
都会では、たくさんの公園があり、たくさんの人がいました。
文字通り、老若男女、様々な人がいて、子連れでいくと、
話しかけられたり、一緒に遊んだり、たくさんの関わりがありました。
しかし田舎の公園は、誰もいないんです、、、
子育て支援センターも車で20、30分と遠く、身近ではありません。
保育園などの園庭解放なども、月2回程度、行っても誰もいなくて、
散歩をしていても、車社会なので、歩いている人はいません。
私はひとまずいいとしても、2歳の子どもにとって、遊び相手が
私だけ、同じような歳の子がいない、というのは、大丈夫なのでしょうか。
習い事などを見つけて、無理にでも関わりを持たせたほうがいいのでしょうか。
それまでとっても人なつこくて、たくさんの人にかわいがられてきたので、
とても不憫に感じてしまうのです。。
ricaさん
>2歳の子どもにとって、遊び相手が 私だけ、同じような歳の子がいない、というのは、大丈夫なのでしょうか。
習い事などを見つけて、無理にでも関わりを持たせたほうがいいのでしょうか。
これは子供の性格にもよりますが、現在の状況で大人も子供も疲れたりイライラがつのったりというようなことがなければ無理にしなくても、親子だけの状況でも大丈夫だとは思います。
幼児期くらいからはある程度関わりのある場があるといいかもしれませんが、安心・安定した家庭が子供にとってはまずは第一に大切なので、それが確保されていれば、たいていの状況でも子供はきちんと育っていけると思いますよ。
No title
はじめは孤独で落ち込み、私自身がかなり動揺していて、子どもにも悪影響だったかなと思いますが、だんだん慣れてきました。
公園はいつも誰もいなくて、私と子どもの二人きりですが、たまに誰かがくると、「キャー」と言いながら、喜んで走っていき、隣にくっついて、ニコニコ嬉しそうにしています。そういう姿を見ると、やっぱり誰かいたほうが楽しいよなあ、、どうすれば、、と思っていました。
しかし、おとーちゃんにコメントを頂けて、少し安心しました。
気楽に、母子仲良く暮らしていくことにします。
余談ですが、都会は意外と商店街が残っており、「らっしゃーい!」なんて活気がありましたが、田舎は、すべてが大型ショッピングセンターに集約されており、セルフレジ(!)なるものが活躍していて、どこに行っても、何だか味気なく思ってしまいます。人が恋しいです。。あ
ricaさん
僕も地方にいったとき初めて見ました。
とっても大きなスーパーに、無人のレジ。ちょっとびっくりしましたよ。
田舎の生活は自然がたくさんでうらやましいなんて思っていましたけど、そういうこともあるんですね。
いろいろ考えさせられます。
トラックバック
http://hoikushipapa.jp/tb.php/210-e2fe783d
この記事にトラックバックする(FC2ブログユーザー)
今まで下の子の世話で手が話せない時に、娘が色々と要求してくることに対して、全てを構って欲しいからだとひとくくりに捕らえてしまって、ただ困ったな、嫌だなと思うばかりで要求の内容までよく考えられていませんでした。
おとーちゃんさんのアドバイスを読んで待たせてしまうことを悪いことではないと思えるようになって、娘の要求の内容をゆっくりと考える心のゆとりを持つことが出来ました。
待たせた後は、正しい要求に対してはきちんと答えてあげるようにしたら娘の顔に満たされた笑顔が戻りました。
さすがに2歳児、気が変わっていることも多いですが(笑)
今回のお話も自分の状況と照らし合わせみるとよくわかります。
私が子育てで最初に悩んだのは子供とどう接したら良いかわからないことでした。多くのお母さん達がされているように言葉を話さない赤ん坊に話し掛けるということが私には非常に難しくて、密室でただ娘を観察するという息が詰まって当たり前な生活をしていました。
不思議と2人目の息子にはスムーズに声掛けが出来ていて、そうすると息子がきちんと答えてくれているのを実感します。まだ2ヶ月の赤ん坊でも待っててねって言ったら待っててくれるんですね。
娘の時も初めから赤ん坊としてではなく、1人の人間として向き合えていたら子育てはどんなに楽しいものだっただろうと思います。
日本全体が変わっていくと良いですね。私達は戸惑うこともあるかもしれませんが、子供達が子育てをする時代が暖かい時代であるといいなと思います。