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2024-04

公的保育とはなにか Vol.2 - 2013.10.05 Sat

僕は保育の質を維持していくことと、そこでの利潤を追求していくことの両立は大変難しいことだと感じています。

もちろんなかには、営利企業でありながら、良質な保育を展開しそれを維持しようとしている施設もあることでしょう。
しかし、そういった施設はけして多数派になることはないはずです。







利益追求するためには、質を下げることが直接的でもっとも簡単だからです。
このあたりは過去記事にも述べたたところがありますから、ここでは詳しくは書きません。


保育というのは、そもそも国民の福祉のために必要なことなのですから、いくら立派に運営している企業があったところで、「ほかは知らないけれども、うちはしっかりやっている」というのでは不十分なのです。

前号で書いたように、どの地域でもどの人に対しても、一定以上の質の保証されたものを提供されなければならないからです。


これがレストランやホテルのようなサービス業だったら、納得いかないところには「もう、いかない」で済む話です。

しかし、保育園というのは、就労・生活に密着して必要なものですから、「いいところがあるから遠方でもそこにいく」と軽々言えるものではありません。

通える範囲に、質の低いところしかなかったら、預けることを諦めるか、泣く泣く我慢してそこに大事な子供を預けるか、多大な負担を受けつつも遠方に通うなどということになってしまいます。。

保育はこれではいけないわけです。


幼稚園というのは教育機関ですから、そこここの理念に応じて、さまざまな教育を行っているところがあり、それはもともと認められていることです。
そして、利用者はそれに応じて選択する自由があります。


保育園はその性質上なかなかそのようにはいかないのです。

ですから、どのようなところでも一定の質が保証されているということが重要な要素となります。
そのためにも、公的な福祉として経済効率だけで換算できないものを、これまで国や行政の責任として維持されてきていたのです。

営利化することで否応なしに出現する、質のバラつきといった問題は直接に、利用者・そこで育ちをおくる子供に影響することとなってしまいます。



いまだって営利でやっているところはあるが、さほど質の問題は出てきていないのでないかという意見もあるでしょう。

たしかにニュースになるようなことなどとしては、さほどのものはでてきていません。
(いくつか認証保育所が突然予告もなく閉園したというようなケースはありましたが。)


ですが、現実には一般の人から知られていないだけ、見えないだけ、わからないだけで、営利で保育をしているところの劣悪さというのはたくさんあります。


ある本業は別にある私企業が行っている認証保育所では、一室でその本業のパンフレットなどおいて保育とは関係ないものの営業をしています。
役所からの監査のあるときだけ、そこは片付けられて保育室という体裁をとっていました。

またある営利企業が経営している認証保育所では、人件費を低く抑えるために安く雇える保育学校の新卒者を中心に運営していました。
そこそこ経験のある保育士もいたのですが、前の職場でも似たようなところだったのか、その職員たちは保育カリキュラムを立てることや、その立て方を知りませんでした。

以前、夕方に車で公園に散歩に行って置き去りにし、結果死亡事故を起こしてしまった認証園もそのような、経験の浅い職員ばかりで運営させているところでした。


いま現在もたくさんある無認可園というのは、一部の共同保育として営まれているところなどを除くと、それは営利を目的として設置されているのですが、この無認可園にも利益を上げるために質をとことんまで切り下げ、とても子供を安心して預けられなくなっているようなところもたくさんあります。

一般の人は保育というものを比較・判断できるような知識がなくて普通ですから、それが当たり前と思って過ごしてしまっている人が多いかもしれませんが、保育内容が不透明だったり、預けることに不安を感じていたという人もいるのではないでしょうか。

どうしても保育で利益をあげようと思えば、質の低下を招くことは容易には避けられない事態なのです。



また、現状はさほど問題になっていないかもしれませんが、今後公的保育がなくなって、すべてが営利を目的として設置されたところだけになったと仮定します。

いまは、さまざまな基準によって質が維持されているところと利益追求の企業が混在していますので、営利で運営している保育施設もあからさまに質を下げることはできないでいます。

しかし、営利化とそれに伴なう規制緩和が本格化してくれば、非営利のところがなくなった結果、利益を上げるために質をさげてもかまわないと考えているところは、質の維持にさして気を配る必要がなくなっていきます。
それが常態化してくれば、保育業界全体の質の低下が起こるでしょう。

つまり今現在も営利企業による保育施設は存在していますが、まだ公的基準に守られた認可保育園の存在が重しとなって、一般の人の目に映るような形では質の低下は起こっていないというようにも考えられるのです。

もちろん、なかには料金が高くても質が高いほうがよいという人も、そういうターゲットを狙ったところも出てきますから、すべての質が下がるというわけでもないかもしれませんが、それは利用料金の格差をうむことになるでしょう。

お金のある人間は質の高いものを享受して、裕福でない人間は質の低いものに甘んじなさいということになってしまいます。

これは福祉として行っていれば、そのもっとも避けるべきところです。

そういった子供が受けられる質の格差は、やがて年月を経て社会の格差へとつながっていくことでしょう。
アメリカはすでにこの道を歩みました。



日本での福祉の市場開放としてすでに行われた実例が、介護保険の導入とそれにともなう老人介護の営利化です。

あの介護保険が議論されていたときや、導入された頃、今起きているような事態をどれだけの人が正確に予測していたでしょうか。

低賃金で、肉体的にも厳しく、さらには労働条件なども悪く、介護士・ヘルパーとしてのなり手がいなくなっています。

少し前にインドネシアなどの東南アジアの国から、ヘルパーを募集し日本において研修し働き手となってもらっているとったニュースがしばしば流れていました。

それらの報道の文脈としては、かの国の人たちは優しく暖かくとてもよくやってくれているといったニュアンスでの報道がされていました、実際その通りよくやってくれているのかもしれませんが、本音のところを言えば、きつい汚い厳しい、いわゆる3K職種、しかもおまけに低賃金で日本人のなり手がいないための苦肉の策であるというのは否定のできない事実です。


保育でも営利化のあげく、そういった事態が起こらないとも限らないのです。

今現在でもすでに保育士はなり手がいなくなりつつあります。
保育士資格を持つ人の人口が減っているわけではないにもかかかわらず、賃金の低さ、労働条件の悪さ、労働環境の劣悪さなどから実際に保育士の職に就く人が減ったり、勤めても早々に退職し別の職種へと転職したりということがあるからです。

以前にも紹介した、ウィル・スミス主演の「幸せのちから」という映画の中で出てくるアメリカの保育施設では、英語ができない中国系の移民が運営している保育施設が描かれています。


現在の日本では営利企業の保育施設に対しても自治体は補助金・助成金を出していますから、そのような極端なことにはなっていませんが、公的保育の枠が完全に取り払われ完全自由化されたあとにまでそういった補助が維持されるといった保証はどこにもありません。

すでに介護保険からもうかがわれるように、福祉の市場開放における質の低下はどこまで行くか予測もつかないほどなのです。



営利として行う際にもっとも意識されるのは、人件費の圧縮です。

そこで働く職員を大切に経験をつませそだてるよりも、低賃金でこき使って給与が上がっていく前にそうそうにやめてもらって、給与のやすい新卒者をそのつど入れ替える方がよいことになります。

これは、すでに利益重視の施設の常套手段となっています。

そのため、そういう施設ではパワハラが横行しているところすらあります。

心の優しい保育士が施設長になるよりも、他者をこきつかったり、潰していくことに良心の呵責を覚えないような人間を施設長にしておいたほうが、営利目的のところとしては都合がよいのです。

なので、無認可園などでそういった理事者や施設長からのパワハラを受けているなどという話は日常茶飯事に耳にします。

すべてのところがそうなっているわけではありませんが、このようなことが今後、利益追求の施設ばかりとなったときに保育業界のスタンダードになってしまわないか心配です。



保育を利益追求にしたとしても、そうそう悪いことにはならないだろうと楽観するのは自由ですが、さまざまな現場の事情を知っているので僕としてはとても安心はできません。

すでに、利益のために子供の安全や健康への配慮など二の次になっているようなところも現にあるのです。


また、保護者に対してはものすごいへりくだっているのに、職員に対しては威圧を重ねているというそのギャップなど、僕からは子供を育てるところにふさわしいと思えないような様子もあります。

職員は過剰な労働に疲れきって、子供に対して笑顔を見せることもなく、怒ってばかりにならざるをえないところなどもすでにあります。



現在の子供たちの「育ち」のおかれた状況、家庭での子育てのあり方などを鑑みますと、これまでよりもさらに一層の保育の質的な向上というのが必要不可欠だと僕は思っています。

はっきり言って、子供たちの育ちの様子、子育てのあり方のなかには解決しなければならない問題が山積しています。
そのためには、高い専門性に裏打ちされた適切な援助というものがどうしても必要です。

子供に、そして子育てをしている親や家庭に手を差し伸べられるところとして、質の高い保育園の必要性・重要性はさらに高まっているのです。

にもかかわらずいま経済効率と引き換えに、専門性をもった保育園の必要性を認めず、その代わりにただ預かるだけの保育施設や、保護者の目からは見えるところは立派だが子供への適切な援助などできないというような施設を増やしていくことになったら、その世代の子供たちはのちにまで禍根を残すような育ちを送らざるを得なくなってしまうかもしれません。

その場合、保育の質を切り下げたことが問題であったとわかる頃には、もはや質の高い保育というものの実践は失われてしまっていることでしょう。
ここで一度切り下げをしてしまえば、その質を取り戻すことは容易ではないのです。

また、福祉を一旦市場開放してしまったら、もはやそれを福祉として取り戻すことはできなくなってしまうでしょう
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● COMMENT ●

No title

おとうちゃんさん、重要な記事をありがとうございました。

ざっくりですが、日本はどうして人を大事にしないのか。間違ったことでも一度やってしまうと、やめることができないのか。
いつもそう感じてしまいます。

さて、保育園見学、5か所行きましたが、先生と子供の雰囲気ってこんなに違うのかと驚きます。
特に0歳児のクラスの子供の様子を見るとよくわかるなあ、、、。と思いました。

あと一か所見学に行ったら、園庭解放で再度様子を見てみて決めようと思います。

そのあとは、神頼みですね(笑)

いつもありがとうございます。


渾身の解説

何度も読み返しています。

施設によって差が大きいのも困りものですが、さらに困るのは、待機児童の多い地区などでは、自分でいいと思ったところを選べない。というところですね。
私自身、第一希望の園は優先度で落とされ(育休明けフルタイム核家族でも!)第二希望の園に通わせていますが、この園がとてもいい園だったので結果オーライなのですが、保育の質に満足できないところだったら…と思うとぞっとします。そんな地域なので転園などますます無理ですし。
運が悪かった。じゃ済まされないですよね。

No title

既得権とか楽観という言葉を使ったのは私ですね。

補足的に書きますと、ひたすら楽観して保育を自由化しても大丈夫だなどという暴論のつもりはありません。
遅々として進まない行政にしびれを切らして 子育て問題の解決に立ち上がった民間人がのちにNPOになったり、そういう団体が企業と協働したり、世論は虐待に厳しかったりするのですから、日本人の総体は、子どもの育ちを損ねたくない、適正に育みたいという気持ちがあるのだと思うのです。 
だから問題は制度設計であって、それが適正ならば、担い手は民間企業でもいいし、設計は是非できて欲しいなーと期待しています。

すべての大人はどんなときも子どもを愛護するものだ という前提に立って設計してしまったら とても危険ですよね。


東京という土地故のニーズと 児童福祉の視点と 財政の調整が行政の現実的な課題ですから、スピードに応えられる事業者の参入は福祉の実現でもあるのだと思うのです。
程度問題だから当然不満な人はいるだろうし、もちろんそれが理想的ではないですけど、これは常に待機児童の放逐との天秤 という話なのではないでしょうか。 

救急車がたらいまわしになるとか、産婦人科や小児科がなくなるとか、医療崩壊が言われたもの随分前ですが、保育も崩壊という言葉を使ったほうがわかりやすい気がします。 
ずっと幼保一体化でくい止めようとしていたけど、実現できない。 行政の一本化で 早く未就学児の育成支援体勢が再構築されればいいなぁと思っています。

ようたんママさん

確かに0歳児の扱いで、保育の傾向というのはわかりますね。

昨日の記事にも書きましたが、最後は家庭でフォローできることとある程度は割り切ってしまうしかないでしょうね。

サラさん

それが現状、運任せになってしまっているんですよね。
保育に携わる者として大変残念なことです。

現実的には保育界内部からの自浄作用というのはあまり期待できない部分もありますから、一般の人々が保育の質というところにもっと着目していくことが必要なのかと思います。


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