人はなにで動くか Vol.5 ―まとめ― - 2013.11.08 Fri
ときには対価を示したり、強制したりすることも長い子育てのなかでは出てくることでしょう。でもそれらは最初から取るべき手段として考える必要はないと思います。
これまでにも書いているように日本の子育ては、大人が上にいて子供が下にいるという構造が濃厚なので、「否定」のメソッドを用いて子供に対していくことがとても多くなってしまいがちです。
その類の関わりの積み重ねは、「やれと言われたからそれなりにはやる、でもそれは自分で意義を見出した自発的なものではない」という子供の姿をつくりかねません。
この姿は「ゆとり世代」と言われる人たちにも同様の姿が顕著に見られています。
もっと小さい年齢であっても、否定の方向性の関わりの上で作られてしまう「育てにくい子供の姿」というものが出てきます。
多くの場合そういった「育てにくさ」というものが出てきたとしても、それがそれまでの大人の積み重ねにあったとは気づきません。
そうなってしまうと、どこを改善すべきなのかもわからないということになります。
それらはそのまま「子育ての難しさ」という問題になり、余裕のない子育てになったり、子育ての迷走という事態につながります。
激しくこんがらがった毛糸玉をほどいて、もとのまっすぐな一本の糸にするのはとても大変です。
もっともよいのは、糸がこんがらがってからうまくほどく方法を考えるのではなく、糸をこんがらせない知識を持つことだと僕は思います。
この考え方は、ここであげているモチベーションのことだけでなく、子育て全般に向けてのこのブログの通奏低音のようなものだと思っています。
ですから、ここでは子供を大人の意に沿う方向へ動かすのに、「あなたはそれができない。だからもっとしっかりやりなさい」という方向の関わりではなく、まずは大人と子供の関わりの積み重ね・信頼関係によって否定の方向でない関わりがあるということを提示したいと考えました。
そういった積み重ねによって、無理な関わりをせずとも子供と関わっていくことはできるし、よしんば対価なり強制なりを使うにしても、それらを試したあとでも遅くはないと言えるのではないでしょうか。
● COMMENT ●
参考にしています。
途中でした。
No title
お忙しいのに時間をさいてレスして頂きありがとうございました。
私も同じように舅姑に悩んでいて我慢するしかないと思っていたので、
おとーちゃんさんに全てがそんなことはないと言って頂けて本当に嬉しかったです。
うちの子が大きくなって子どもを産んだときはこの悪しき習慣をたつべく正しい情報を伝えていきたいなと思います。
本当にありがとうございました。
(これ以上お時間とっていただくのは恐縮なので返信はまったく不要です!)
しかしながら、周りは違う考えのお母さんばかりです。子育てで手を抜くことを優先する人はそこへ考えが及びません。子育てで悩んでいる人はおとーちゃんさんのブログに辿りつきますが、子供を押さえつけることで子供が言うことを聞くような人は悩まないので考える機会がないのでしょう。いつかひずみが出るような気がします。たくさんの人にこのブログを読んでもらいたいです。
私も周りに伝えていますが‥このブログを読むひとが増えれば子供の格差も広がらないように思えます。
No title
もともとあったミッキーの八の字セット、サークルだけで遊ばせてましたが、陸橋を出してあげて、踏み切り(最近はまってます)を買い足してあげたら、時間は短いですが一生懸命やってます。
あとベックのミニカーがあったのですが、トミカの方に興味を持っていて全く触っていなかったのに、最近遊び出したので道路を買ったら、楽しそうに走らせていました。
トミカは一歳の子が手に持って走らせるのはほんの少し難しいんだと気づき、子供はちゃんとわかるんだな。と嬉しかったです。
ワクブロックの真ん中の球も出してあげたら、それはもっぱら口の中です(笑)。
マンネリしてしまう子育てに、考え直す機会を与えてくれる、お父ちゃんのブログに改めて感謝しました。
こういったおもちゃの知識からしてゼロだった私には大助かりですし、このブログを私が知らなければ息子の育ちは確実に違うものになっていたなあと思うとさらに感謝です。
イヤイヤがだいぶ強くなり、先日初めて床に寝転んでイヤイヤしてましたが、本人は必死ですが、『本当に寝っ転がった。』と笑ってしまいました。(玄関の鍵を自分で開けたくて、ダダをこねてました。)
大変ですが、過去記事を参考に頑張ります。
本当にためになります!!!
とてもとても勉強になりました。
感動して、コメントしてしまいました。
ぜひ本にして頂きたいです。
プリントアウト頑張っています!
No title
行動の切り替えの際にいやいやがあり、話をすると切り替えができるときもありますが、昼寝から起きた時や積み木が倒れたりすると「もーさっきおやつたべたー」と言います。普段は家でおやつをたべますが、外出先でおやつを食べた時、再度家ではあげなかったのでそれが心にのこってしまっているのかうまくいかないときはこの言葉を言います。そしてバタバタします。気持ちが落ち着くまで待って自分から遊び始めることもありますが、泣きながらバナナやミカンを持ってくることもあり、「食べたいんだね、でもね今食べるとごはんがたべれなくなっちゃうよ」と言うとな投げます。「少し」あげて気持ちをすっきりさせてあげるたほうがいいのかとも思い、あげたときに他も催促があり、「泣けばもらえる」と思ってしまうかなと考えたり、「満たされなさ」からくる食べ物での要求なのか、対応に迷いが生じています。できましたらアドバイスをお願いします。
感想
以下は私の個人的な感想と体験談ですが、長くて申し訳ありません。
地獄絵本などで脅すことで子供に言うことを聞かせるという類いのことは、つまりは大人が子供に対して結果を得て「安心」したいがために出る行動で、そのためにエスカレートしやすいのではと思います。
以前記事にされていた「早期教育」の内容と似ているなと思いました。
私は今30代ですが、思い返すと幼少期の勉強と遊びは「結果が出る」ことが当たり前でした。
勉強では単純な計算問題や漢字の書き取り、記憶問題で採点されます。想像力や創造力を使う勉強は、まれにある自由レポートや美術工作くらいだったと思います。
音楽ですら正確さが求められ、採点されます。
遊びでは、テレビゲームが出始めました(結果が決まっており数値化されている)。他の玩具も用途が限定的で自分で工夫する余地がない物が多く出始めた気がします。(または決められた枠の中で遊ぶ)
カラオケに行けば採点されます。
環境の変化で幼少期から自身の意思で野山を自由に走り回ることはなくなり、限定的な場所で限定的なことをすることが増えています。
「決められた枠の中での結果」ありきの中で過ごしてきたために、すぐに結果や効果が出ないとイライラして安心できない。
その末、すぐ諦めて放棄したり無関心になってしまう…。
学生までは採点で結果を評価されても、社会生活では誰も評価してくれず結果は思い通りにならないのですぐ退いたり無気力になるなど。
そんな現象が、子育てにも現れているように感じます。
自分の理想の結果を子供に(すぐに)求めてしまう。
そして表面的な結果しかみえていないので、子供の内面に気づかない。
愛情のあるなしに関係なく、無意識・習慣化されてしまった行動です。
これを変えるには本人が自分の内面と向き合い、意識的に自分の行動を変えていくしかありません。
「子供」の前に「自分」を理解する必要があると思うのです。
私の場合、自分の幼少期まで遡り、傷口をえぐるような思いで向き合いました。
特にトラウマなどなく平凡な幼少期だったのですが「もっと親に話を聞いてほしかった。向き合ってほしかった」そんな思いで溢れました。今まで気づいてはいても目をそらしていたのですね。
私は自分のそれらの気持ちを受け止め、自分の今までのがんばりを認めて、その上で完璧を求めず自分自身を受け入れようと思いました。
自分自身を受け入れることで、自分の行動を冷静な目で見ることが増えました。
例えば怒ってしまった後に「今日は寝不足でイライラして怒っちゃったな…」などと冷静になって反省し、子供にその旨を伝えて謝るようになりました。その上で子供の意図を聞き、自分の話をしました。
しばらくすると怒っている最中に別の視点の冷静な自分がいて「そんなことを言いたいんじゃない」と考え、怒るのを途中で止めるようになりました。
もうしばらくすると、怒る前に考え直すようになりました。
そして、子供の行動を観察し、辛抱強く待ち、自分の希望と違っても認めて受け入れるようになりました。
長い目を持って考え、子供の意図を汲み、成長の過程に注意深く関心を寄せるようになりました。
もちろんいつもそのようにはできません。ですがそんな不完全な自分も受け入れることで、子供もまた自分の理想ではないのだと納得できています。
子供は一人の人間なのだと心の底から理解して人格を尊重するようになりました。
今では、子供が一人立ちするまでに親ができること(手を貸せること)は微々たるものなのかなと思っています。
えりこさん
そういうときは、最も子供に影響力が大きいのは母親ですから、周囲の人のちょっとやそっとのことで子供が根本的に影響を受けてしまうということはそうそうありません、ですから自分の関わりがしっかりしていることに自信を持って割り切ってしまってもいいと思います。
ようたんママさん
そうなんです。
トミカは1歳の子が遊ぶのには難しいのですね。
なので、うまい遊び、長続きする遊び、発展する遊びになかなかつながりません。
(トミカが悪いというのではなくて、適齢の遊具でないという意味合いで)
また、本物そっくりで造形も立派ではありますが、低年齢や初めて乗り物の遊具に親しむ子にとっては、木でできた一見シンプルな遊具の方がじつは向いているのです。
そのあたりのことは日本の子育ての文化の中であまり知られていないので、どうしても見た目が派手で立派だったり、宣伝が巧みだったり、音や光で惹きつけるようなものを大人が買い与えてしまいがちです。
それだけに限らないですが、口に持っていくばかりで遊びにならないというのであれば、それはまだ適齢に達していないということですから、一度しまって寝かせておいたっていいのですよ。
ただ、乳児は口でしっかりと確かめてから遊びのなかに取り入れていくということもしますから、危険がなければしばらく見守ってみるという選択肢もあります。
イヤイヤするのもそうやって客観的に見て笑えるくらいだと大人が乗り切っていくのも楽ですよね。
mokoさん
もしまちがっていたらごめんなさい。
まず、様子からすると3歳でも前半のような感じがするのですが、3歳と何ヶ月でしょうか。
3歳というのは乳児と幼児の中間点なので、それによっても随分と子供のようすや対応も違ってきます。
また、幼稚園や保育園に現在通っているのかな?
もし通っているのであれば、実際に子供を見ている人に相談してみるのもいいと思います。
>「もーさっきおやつたべたー」をうまくいかなかったときや、失敗した時に繰り返すとのこと。
たまたまその日だけでなく、それがほかの日にも何度も繰り返されているのかな?
もしくは、言葉は違っても同じような状況で同じような行動になってしまうということがあるかどうか。
その点が少し気になります。
というのも、そのような一種の「パニック」の行動は発達上のなんらかの問題が出ている子供や、自閉的傾向のある子にも時々見られる行動だからです。
しかし、そういった発達上の問題がなくとも同様の行動が出ることはあります。
僕からはなんとも言えませんので、可能性としてのお話をしています。
あと考えられることは、成長期としての行動がそのような形ででているということ。
もうひとつ考えられるのは、大人の関わり方から(例えば過保護や弱い大人としての対応など)そのような行動を学習してしまっているということ。
そしてもうひとつは、僕はこの線が強いのではないかという気がしますが、まだ心の発達が十分に出来上がっていない年齢ですので、子供の中には失敗したことやうまくいかないことに対するダメージを大きく感じてしまうという子がいます。
そういう子は、まだ心が未発達なゆえに自分でそのダメージを消化することができません。
なので、その受けたダメージを大人に優しくしてもうことや受け入れてもらうことで、解消しようとする行動をとります。
コメントにある事例で言うならば、
お昼寝から起きたあとの不安感や、積み木が思ったようにできなかったことの葛藤を、
バナナやみかんを食べていいよと大人から言われて、そこで剥いてもらって食べさせてもらったりすることでそのダメージを受け流そうとしているのではないかと考えることができます。
実はこの姿も子供の成長期のなかにも見られることです。
このケースであれば、それ以外の場面でいいですから、子供のことを褒めたり認めたりをして「子供に自信をつける」ということを少し意識していってあげることでだんだんと心の成長を進めていくことができると思いますよ。
また、そうなってしまったときは、「大丈夫だよ、ちゃんとあなたのことわかっていますよ」と優しく抱きしめてあげてみるのもいいです。
気分転換をさせる意味でも、もしどうしてもダメなときでなければ、「じゃあお母さんと半分こしてたべちゃおっか」などと、楽しい経験に転化させてしまうような対応をしてもいいかもしれません。
ただ、子供によってはうまくいかないことがあるたびに、なにか食べなければ気分を変えられないという子になってしまうというタイプもいますので、思い当たる場合は避けたほうがいいかもしれません。
このようにお子さんのことを心配なさる方ですから、取り立ててなんらかの思い当たる原因がないのであれば「満たされなさからきている」ということは考えなくてもいいかと思われます。
ただ、そうであっても受容を意識して関わることは悪いことではありませんので、できるときに受容はしてあげてください。
とりあえずはそれで温かく見守ってあげていいのではないかと思います。
mokoさん
順番にコメント返信をしているので、先に投稿された方で返信してしまいました。
二重投稿になっているので、二つ目の方は削除させてもらいますね。
もしひささんのお名前の方がよろしければ次回のコメントから、その旨書いて投稿してください。
たたみさん
日本の子育ては非常に「結果主義」です。
それもごくごく小さいうちから大人は子供にそれを望み続けて子育てをしています。
あまりにそれが当たり前なので、多くの人が気づくことはありませんが、それゆえにでてくる子育てのひずみというようなものがあることを僕もしばしば感じます。
「結果主義」「できる主義」になってしまうと、どうしてもそこには「落ちこぼれ」が出てきてしまいます。
大人の方は焦りや不安をそこに感じてしまうし、子供の方は自己否定感をつのらせたりもしてしまいます。
子育てはもっとおおらかに長い目で見てあげたほうがずっと楽にうまくいくような気が僕にはします。
No title
ちょうど今日また、トミカを買ってきたところでお父ちゃんさんのコメントを読んだのですが、今息子がトミカでするのは「なーらんだ」なので、私が遊びにかかわれるときはできるだけシンプルなおもちゃで一緒に遊ぶように持っていこうと思いました。
お父ちゃんのブログを読んで、光と音のでるものは極力さけているのですが、そういうおもちゃの造形までは思いがおよばず、コメントを読んでまた勉強になりました。
ワクブロックの玉はしばらくは興味があって口にいれてましたが、最近興味がなくなってきたので、またしまうようにして、一緒に積み木をくずすようにしようと思います。
イヤイヤは、しっかり説明して「じゃあ一回だけやって帰ろう。」や、「今日は買えないよ。」というとだいぶわかるようになってきたようです。
今までは、「へーそうなのか。」と思っていたブログの部分が、「これのことだったのかあ。」と息子と体験して、やっと理解できるようになりました。
引越してからの疲れがなかなかとれず、ついつい息子を後回しにしてしまって、イヤイヤの時に噛まれたり、ひっかかれたりしていたのですが、最近意識してくすぐってあげたり、「かわいい。」と言ったりとしていたら、息子の様子が目に見えて変わってきました。
日々に追われて、自分では気が付いていませんでしたが、息子は甘えたかったのだなあ。とわかりました。
色々他にも、息子に「これは困るなあ。」と思うことはあるのですが(でもそれはやっぱり自分のかかわりからそうなったのだから)、ついつい忘れてしまういい部分(健康で、元気でニコニコおもしろい。)もしっかりみて、自分のペースで取り組んでいこうと思います。
いつも本当にありがとうございます。
返信は不要です。
劇的に変わってます
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お兄ちゃんのイヤイヤが始まり、あまり余裕がないときもありますが、信頼関係を築いてやっていきたいと思います。
質問なんですが、今回、1ヶ月ほど実家に帰るんですが、子どもたちからするとひいおばあちゃん(86)がいて、昔ながらの脅しやごまかしをお兄ちゃんに対してします。
ひいおばあちゃんには前に注意したんですが、年も年ですし話にならず。。
おとーちゃんさんの記事は親が気をつけるべきこととして読めばいいんでしょうか?