会員制オンラインサロン(オンライン座談会)のご案内 - 2030.05.31 Fri
オンラインサロン開設しました!
これまで実験的にオンライン座談会を行ってきましたが、今後は会員制にして定期的に開催していきます。
オンラインサロンのモットーは、
「だれもあなたを否定しませんよ」。
これを旨に、子育てしている同士でささえ合えるつながりを目指します。
◆オンラインサロン内容
・オンライン座談会を月4回開催(曜日、時間帯は複数設けます)
・Facebookグループでの自由な意見交換
・必要に応じてオンラインサロン内で出たテーマへの保育士おとーちゃんによる掘り下げ、気づき。(Facebookグループ内にて文章で補足)
・その他保育士おとーちゃんからの子育て情報、つぶやきなど
・募集会員80名
※オンラインサロンは個別相談ではなく複数人で子育てその他を話す場です。クローズドな環境で1対1の個別相談をご希望の方はHPより個別相談をご利用下さい。
◆お申し込み詳細
a,必要なもの
・ネット環境(スマートフォン、タブレットでも可)
・Facebookアカウント
・Zoomクラウドミーティングアプリ(課金は必要ありません)
b,月会費
・月額3,500円(税込3,850円)の継続払い(課金停止はいつでも可能)
c,お申込みの流れ
1,Facebookアカウントの開設、確認(https://www.facebook.com/)
すでにお持ちの方はそれで結構です。お持ちでない方は新規に開設をお願いします。
旧姓で変更しているなど、Facebook上のお名前が申込書に記載されていないと、入会申請の許可が行えません、記載間違い、記入漏れお気をつけ下さい。
2,申込書記入
記載内容、メールアドレスに間違いのないようご確認下さい。
送信ボタンを忘れずに押して下さい。
3,お支払い
申込書に記載いただいたメールアドレスに請求書が届きます。確認の上お支払い下さい。請求書の送付には場合により日数がかかることがあります。3営業日を過ぎても請求書の届かない場合はこちら(hoikushioto@gmail.com)までご連絡下さい。
4,Facebookグループへの入会申請
Facebookグループ:保育士おとーちゃんオンラインサロン
運営者による申請承認後よりグループ内のスレッドが閲覧可能になります。承認まで少々お待ち下さい。
スレッド内に今月の開催日が記載されています。サロン開催日をご確認下さい。
これで申込み終了です。お疲れ様でした。オンラインサロン当日お待ちしております。
申込書はこちら
保育士おとーちゃんオンラインサロン申込書
お待ちしております。
Facebookグループ:保育士おとーちゃんオンラインサロン
個別相談は引き続きホームページより受付しております。
個別相談、講演・研修・保育監修、執筆依頼、などは↓
保育士おとーちゃんホームページ
| 2030-05-31 | 相談 | Comment : 0 | トラックバック : 0 |
オンラインサロンではどんなこと話していいの? - 2020.06.06 Sat
子育てのことでも、それ以外でも。
というのも、子育てする上で実はとっても重要なことが僕にはわかってきました。
それは「自分の人生を生きること」です。
自分の気持ちや、やりたいこと、言いたいこと、着たい服、したい髪型、食べたいもの・・・。こういうのを、意識、無意識に我慢したり抑えつけたりして人生を歩んでいると、子育てのしんどさが大きくなってしまうようです。
僕がこのサロンの目的としているのは、狭い意味では子育ての悩みに答えたり、子育ての方法を伝えることだけど、広い意味では自分の人生を生きるためのきっかけや支えとなること。
だから、話すことは「自分語り」でいいと思うんです。
自分のことを話すのって、なんだかよろしくないようにも思われがちだけど、自分語り大事。とっても大事。
好きなこと、いつも感じているけどなかなかできない話。グチでも、イライラでも、不満でも。
生きる中で、どこかひとつでも気兼ねなく自分語りできる場所があってもいいよね。
※サロン会員の方に連絡
本日夜9時30分から接続テスト会です。
ZOOMの使い方や、つながるかどうか心配などなど。ためしにつないでみて雑談でもしましょう。
| 2020-06-06 | 相談 | Comment : 0 | トラックバック : 0 |
電話相談開設とメール相談価格改定のおしらせ - 2017.09.04 Mon
◆電話相談について
遠方の方などから多くのご要望があり、このたび電話相談も新たに開設することになりました。方法としてはご希望により電話もしくはSkypeを利用いたします。
時間や距離にとらわれず、相談の選択の幅がひろがるかと存じます。
対面相談は2時間を基本としてゆっくりとお話をうかがうことを旨としておりますが、電話での相談は1時間を基本として気軽にお使いいただけるよう、また継続的にも使えるように考えております。
一般にカウンセリングにもいろいろありますが、大きく分けて直接問題解決につながるものと、継続的に不安を解消していくもののふたつがあります。
僕は子育ての専門性を活かして、問題解決のためのカウンセリングをしておりますが、継続的にサポートして欲しいというご要望も多くあり、もともとあまり想定していなかったのですが利用のしやすさを踏まえて、このたび電話相談を開設するにいたしました。
◆メール相談について
メール相談も長らく行ってきましたが、こちらも子育ての問題解決のために最大限の回答をさしあげるべく、誠実に丁寧な返信を心がけて参りました。
しかし、それを一通一通文章化してお答えするのは、非常に大きな労力が必要で採算がとれない状況となっておりました。
今回、電話相談を開設するに当たって、これまでのメール相談を廃止してしまうことも考えたのですが、
「文章として残しておけることがうれしい」
「ことあるごとに読み返している」
「返信メールをお守り代わりにスマホに入れておくことで安心できる」
「生まれて初めてこんなに自分を肯定してもらえるお手紙をもらいました」
といったお声もあり、これはこれで選択肢として残しておくべきだと判断いたしました。
しかし、現状のまま続けていくのも無理がきているので、心苦しくはありますが価格改定させていただくことにいたしました。
どうぞご理解ご了承のほどお願いいたします。
◆保育士向け相談事業
また、要望が多かったために、保育士向け相談事業として保育士カウンセリングもしばらく前から行っております。
こちらは、保育士の方向けに個人的な保育上の悩みから、職場の人間関係、就労状況、家族との問題などの悩みの相談を受けております。(就労の斡旋、就職先としての良い保育をしている施設の紹介等はできかねます)
また、個人的相談以外にも、3名までを対面相談と同一料金として、保育についてのプチ研修・講習として利用していただくことも可能となっています。(3名以上の人数の場合は要相談)
個人的なものとしてはメール相談・電話相談でも、保育士の方からの相談を受け付けております。
どうぞ今後ともよろしくお願いします。
お申し込み、詳細はこちらから。↓
保育士おとーちゃんホームページ
| 2017-09-04 | 相談 | Comment : 0 | トラックバック : 0 |
「受容」をしても子育てがうまくいかない人は読んでみて vol.2 - 2016.09.12 Mon
「子供のことを大事にしたい」、「大事にしなければ」と考えています。
しかし、現代の子育てではその気持ちゆえに、子育ての難しさが生まれてしまっています。
例えば、子供への関わりの出発点が「負い目」である人が少なくありません。
「本来このようにしていかなければいけないのだけど、私はそれができていない・・・・・・」こういう気持ちがあって、そこから子育てをスタートするのでネガティブな気持ちが知らず知らず入ってしまいます。
いろんな理由はあるでしょうけれども、世代間のギャップがその原因のひとつとなっているのではないでしょうか。
自分自身の育ってきたとき、まだ自分の母親は専業主婦であったとか、仕事はしていても比較的時間に余裕がある状況だった人は少なくないと思います。
そこと現代の母親自身が忙しい状況と比べたら、自分がされたような子育てを我が子にできなくともそれは当然と言えば当然なのです。
(たとえ親の持つ余裕は同じであっても、”与えなければならないと考えられるもの”、”しなければならないこと”が増えていることも言えます)
しかし、人はそこを比べてしまいますから、自分がされたことを我が子にできていないと思うと、ついつい「負い目」が先に立ってしまいます。
そのような気持ちなどがあって、子供を大事にしていることを「努力」や「自己犠牲」で証明しようとしてしまいます。
それをすると、子育ての迷走が始まりやすいです。
僕は、著書のサインを求められたときの添える言葉のひとつに、「子供はいつでも親の一番の味方」という言葉を書くことがあります。
子供は、表面的には「○○ちゃんちは~~でいいな」といった言葉を口にすることはあったとしても、本質的には常に親の味方です。
じゃあ、「○○ちゃんの家の子になりますか?」という選択があったときに、それに「はい、そうします」と決める子はいません。
よしんばどんなに欠点があったとしてすら、その親のことを常に肯定したい、味方でありたいと子供は強く思っているのです。
だから、親が子供に対して「負い目」を持つ必要などないのです。
たとえ自分の家が貧しかろうとも、親が時間的に余裕がなかろうとも、それもひっくるめてその子の家庭であることをその子供は理解します。(親子間に情緒的なつながりが形成されていない場合は、その限りでないこともある)
でも、親が負い目を持ってしまえば、子供はその状況が受け入れづらくなります。
結果的に、依存を生んだりしてしまいます。するとその子育ては大変になります。
「負い目」を持つということは、言い換えれば「親が自分自身を肯定できていない」ということです。
人には欠点あるものだし、家庭には問題を抱えることだってあります。
それは当然のことなのですね。
それでも子供は、それらもひっくるめて親のこと、自分の家庭のことを常に「肯定しよう」という気持ちを強く持っています。
親がみずからその状況を否定してしまうのは、子供のその思いに冷や水をかけることになってしまいます。
子供は「お客様」ではなく、家族という共同体の一員なのですね。
どんな親であったとしても、子供は常にその親を肯定しようと思っていますから、そこをもっと信じてあげていいと思います。
「おっかなびっくりやる”正解の子育て”」よりも「堂々とやった”下手な子育て”」の方が得るものが大きいのではないかなと思うのです。
それがどうしても必要な場面はでてくるにしても、「自己犠牲」をすることで”子供を大事にしていることを証明”しようとしなくていいと思います。
日本の子育てでいちじるしく足りないのは、「言葉を使うこと」です。
「自己犠牲」で子供への思いを証明しようと頑張る前に、もっと言葉を使うべきです。
「私はあなたのことを大切に思っているよ」
「いつでも心配しているのだよ」
「大好きだよ」
ちょっとしたことだけど、この積み重ねがあってそれが子供の中で”揺らぎない自信”として核になるまで大きくなれば、それは将来にわたっての「生きる力」になることは確実です。
それは、親が自己犠牲をすることで関わったり、将来への布石として「できること」の獲得や早期教育などに躍起になったりすることよりもずっと大きなことだと僕は思うのです。
| 2016-09-12 | 相談 | Comment : 8 | トラックバック : 0 |
「受容」をしても子育てがうまくいかない人は読んでみて - 2016.09.10 Sat
この話は、この前の名古屋講演でお話しした内容のひとつになります。
僕が述べている「受容」「子供を満たす」ということを実践してみても、なかなか子育てが安定化していかないという人も少なくありません。
こういったケースの対応は個々に違うので、解決の方向性を伝えていくのが難しいことでもありました。
それはむしろ、子供の問題というよりも、親自身のおかれた状況や、性格、生育歴などなどのウエイトが大きいケースがあるからです。
ですので、直接お会いできてその人の人となりに触れて、「ああ、この人のネックになっているところはここだな」とわかれば、そのアドバイスができるのですが、こうやって文章にして広く一般化するような場合にはどう伝えていけばいいか難しいところでした。
このほどようやくそれを「このように伝えれば一般化して伝えられるのだな」というのを掴みましたので、ここでお伝えしたいと思います。
◆受容をしても空回りする人
子育てには「受容が必要」このことは、自信を持って言えることです。
しかし、人によっては「受容が大切なのだと理解し、それをしているつもり」でも、空回りする形になってしまう人がいます。
例えば、「受容」のつもりが、
・いいなり
・依存
・甘やかし
・モノで満たす
・「受容」と思う関わりをしても子供の姿の大変さがつのり、かえってストレスがたまる
そういった状況になってしまう人にとっては、「受容しましょう」ということが裏目にでてしまいます。
以下、その原因の解明と解決策です。
◆無意識に与えられてしまう「否定」
「受容」とは子供の側からすると、それは「肯定」です。
例えば、
「かわいいね。大好きだよ」と子供を抱きしめれば、その子はその人から「肯定」「受け入れられている」という実感をもらえて、その人への「信頼関係」をあつくしていきます。
しかし、「受容をしているつもり」「受容を頑張っている」人であっても、実際のところその子に「肯定」のメッセージになっていないことになる人がいます。
それは「無理をする人」「我慢をする人」「自己犠牲をする人」です。
まとめてしまうと、「頑張って子供に関わる人」です。
頑張ることの何が悪いの?と思われるかもしれませんが、あまりに子供への対応を頑張るタイプの人だとそこに「嘘」がうまれてしまうからなのです。
どういうことかといいますと。
例えば、腰が痛いとか、疲れていてつらいといったときにも、子供が「だっこしてー」と来たとします。
そこで、「受容が大事なのだ」と”頑張って”しまって無理を押して、抱っこしたとします。
それで子供は受容されたことになるでしょうか?
それは人にもよりますし、そのときにもよるでしょう。
このとき、大人がなんの無理もなく自然体で自分も楽しい気持ちになって笑顔で屈託なく「かわいいわ~」と抱きしめてあげられれば、その「受容」つまり「肯定」の程度はかなり高いものとなるでしょう。
しかし、そのとき大人が「腰が痛いのに無理をして」とか「疲れているのにうんざりしながら」、ようよう抱っこをしたところで、子供は「肯定」されるどころか逆に「否定」に感じ取ってしまいかねません。
子供は大人の気持ちのあり方に敏感なので、大人が無理をしていてもそれを感じ取るのですね。
こういった関わりが積み重ねられていってしまうと、大人の方は子供に一生懸命関わっているつもりなのだけど、子供の姿が安定していくところに到達しません。
子供は、自分が受け入れられていない(否定)と感じると、なんとか肯定してもらおうと、さらに大人に要求をぶつけていくことになるからです。そしてそのときの出し方は多くの場合大人からすると心地いいものではなくなってしまいます。
「否定された」という気持ちを受けた子は、必死になるので大人が「かわいらしいなぁ」などと余裕を持って関われる形では出さないからです。
すると、その人は受容するにしても、また「頑張って」うけなければなりません。
頑張ってうけたところで、ストレスは蓄積されていきます。
頑張って受ける余裕のないときは、つっぱねたり、イライラを出したり、無視になってしまいます。これもストレスを溜めます。
また、子供が「困ったこと」をすることで大人の気をひく形で受容を求めていたりすると、大人はその姿を押さえるために、叱ったり、怒ったりもしなければなりません。
これもストレスを溜めます。
ストレスが溜まれば、余計に子供に余裕を持ってあたたかく関わることができにくくなります。
かくしてその子育ては悪循環におちいります。
◆子育ての基礎の基礎
ここまでのことは、これまでにもすでに何度も僕は述べています。
ここからが今日のポイントです。
そのようになってしまう人の場合、「その関わり方を気をつけましょうね」といった指摘やアドバイスをしたところで、あまり解決につながりません。僕はこれを多くの事例で経験しました。
例えば、「いいなり」になってしまう人は、行動を気をつければ改善するというわけではなく、その人自身に子供にそのように関わってしまう理由を持っていることが多いのです。なので、その人自身が気をつけたとしてもなかなか根本的には変わりません。
僕は「受容が子育ての基礎」だと思っています。
しかし、それ以前の段階があることに気がつきました。
それが「子育ての基礎の基礎」です。
子育ての基礎である「受容」は、子供が大人の関わりから受け取る「肯定」です。
しかし、子供はそのもっと基礎にあるところからも「肯定」をもらっているのでした。
それは、一緒に過ごす大人が「くつろいだ状態で過ごしていること」です。
前述の、「子育て頑張っているのだけどうまくいかない」という人たちは、
「次はこの子はどんな要求をふっかけてくるだろうか。私はその要望にちゃんと応えてあげられるだろうか・・・・・・」と不安感を持っていたり。
「この子はなんで私を困らせることばかりするのかしら」とイライラをかもしだしていたり。
子供に振り回されるあまり、育児に疲れ切ってしまって笑顔もでない状態になっていたり。
もともと笑うことが苦手だったり、自身の生育歴の中で家庭の中で”くつろぐこと”が許されない育ちを送ってきた人だったり。
などの傾向を持っていることがあります。
しかし、現在の子育てする人たちの多くが(特に女性は)、「私の責任でこの子の正しい姿を作り出さねばならない」という意識をもっています。
つまり、「子供に○○をすること」という形で子育てを理解していますので、子供への対応ばかりに目がいってしまいます。
しかし、これらケースの問題解決の第一歩、いとぐちになるのは、「子供にうまい受容をする」とか、「子供にうまい言い聞かせ方をする」、「子供にうまいしかり方をする」ではないのです。
どんなにそこを頑張ったところで、なかなかはかばかしい成果を得られません。
第一にするべきなのは、「大人である自分自身がくつろぐこと」なのです。
これによって子供は何が得られるのでしょうか?
それは「基礎的な肯定」です。
一緒に過ごす大人特に信頼する大人が、イライラしていれば、それがよしんば自分に向けられたものではなかったとしてすら、子供は不安になります。
これは大人でも同じですよね。
一緒にいる人が不機嫌だったり、怒っていたり、イライラしていればその場で過ごす自分もいたたまれない気持ちになりますよね。
逆に、その人がにこにこしていたり、機嫌の良さがかもしだされていたりすると、こちらも安心してくつろぐことができます。
現在は、子育てがとても関わる人の少ない閉鎖された状況で行われやすくなっています。
その中で養育者が、慢性的に不機嫌でいたりすれば、その影響は子供にダイレクトに現れます。
じゃあその解決方法はといえば、その逆を行けばいいのです。
その人の取り組むべき第一歩は、その人自身が「くつろいでいること」なのです。
このことのウエイトがとても大きいのです。
子育てを頑張ってしまう人、子供に関わるのが不得意な人、そもそも人と関わることが不得意な人、感情を表すのが不得意な人、子育てに一生懸命過ぎてしまう人、などなど。
「子供を○○にするために、私が頑張らなければ」といった思いを強く持つ人ほど、その気持ちゆえに、結果的には過保護・過干渉などをして子供の「依存」を作り出してしまったりします。
その人がまず目指すべきところは、「子供になにかをすること」ではないのです。
自分自身が「くつろぐこと」なのです。
これが「子育ての基礎の基礎」となるのです。
核家族化→共働き化
と社会の流れが進む中で、それまでは自然となされていた、子育てする人が「くつろぐこと」がいつの間にか誰も気がつかないまま、失われてしまいました。
その代わりに、「あなたが○○することで、子供の姿を正しいものにしなさい」という意識が、そこに入り込んでしまっています。
できる範囲からでいいです。
・テレビでも見て笑っているとか
・趣味のことをしてリラックスする
・夫婦で笑いながらなにか話をしている
そんな時間を意識的に作ってみてください。
簡単にできるのは、歌を歌うことです。
鼻歌だっていいです。
食事の準備をしながら、洗濯物をたたみながら歌ってみてください。
歌を歌うということは、リラックスしているということが子供には伝わります。
この基礎の基礎の部分が安定してくることで、ある程度までは子供の難しいと思っていた姿になんらかの変化が出てくるはずです。
子育ては下の積み木から整えていくとラクになるのです。
(この記事は、相談のカテゴリーに入れておきます)
| 2016-09-10 | 相談 | Comment : 15 | トラックバック : 0 |
子育ての「うまくいかない」は、必ずしも「愛情不足」ではない - 2015.02.12 Thu
子育てが安定してうまくいっている状態であることと、愛情があるかないかということは、実は確実なことなど何も言えないのです。
逆もまたそうです。
子育てがうまくいっていないから、愛情がないなどということも断定できるものではありません。
子供への愛情はたくさんあるのだけど、子育ての状況が行き詰まり手を上げて虐待状態になってしまっている人もたくさんいます。
別に、子育ての中で「愛情」という言葉を使うことが悪いわけではないでしょう。それを述べる人を責めるつもりもありません。
でも、僕は子育てにおいて使われる「愛情」という言葉によって、傷つく人、自分を苦しめてしまう人がたくさんいることを知っているので、それを使うことにはとても慎重になってしまいます。
僕は、いまの人の子育ての「うまくいかない」は、実際的な関わり方や子供への見方がわからなかったり、先入観によって適切で無いものになってしまっているがゆえに、引き起こされていることが非常に多いのだと感じています。
『支配しなくても子供はまっすぐ育つ vol.4』
つまり、↑こちらの記事で述べたような「ボタンの掛け違え」が起こってしまっているわけです。
子供の育ちは「積み重ね」で出来ています。
子育てがにっちもさっちもいかなくなってしまっている人が、どのようにしようとしているかというと、その状態からなんとか「正しい状態」「理想的な状態」「人に否定的に見られない状態」に持って行こうと考えてしまいます。
でも、本当ににっちもさっちもいかない状態から、いきなり正しい理想的な状態にすることはできないのです。
もし、みなさんがシャツや、コートのボタンを掛け違えたらどうしますか?
当然、掛け間違えたところまで、ひとつひとつ外して戻って、またあらためてボタンを掛け直していきますよね。
子育てがどうにもならないという場所から、「正しい子供の姿」に持って行こうとすることは、子育てを前進させようとすることです。
その子育て前進させて子供に正しい姿を持たせるために、大人はさまざまなアプローチをして子供のいまある姿を改変しようと働きかけます。
具体的には、叱ったり、怒ったり、叩いたり、疎外を用いたり、ということが実際のところ多いでしょう。
でも、本来積み重ねで形作られている「子育て」というものを変えて行くには、遠回りなようだけれども、前進ではなく後戻りをすることが必要なのです。
シャツやコートのボタンの掛け違えを直すとき、それ以外に方法はありませんよね。
「しつけが足りない」「甘やかすからだ」「叩いて教える」
そのように子育てにカンフル剤を打てと主張する人は大変多いです。
なかにはそれで改善し安定化していける子育てもあるのでしょう。
でも、いまの時代の子育ての難しさは、なかなかその方法では解決しなくなっているのだと感じます。
では、どこまでその子育てを戻せばいいのか?
僕は子育ての出発点は、いつでも「受容」だろうと考えています。
受容が足りているならば、それはそれでいいでしょう。
でも、だからといって受容に、受容の追加をしたから悪いということなど少しもありはしません。
ダメ元でもいいから、受容に戻ってみればいいと思います。
受容はたっぷりされているのに、ちっとも子育てがうまくいっていないというようなこともあります。
例えば、過保護や過干渉などで、子供と大人の間の「信頼関係」が低いものになっているときなどはそうです。
こういう人は、そこでの関わり方を見つめ直してみればいいでしょう。
その人にとっては、そこにボタンの掛け違えがあったわけですね。
ですから、そこに戻ってもう一度かけ直していくことで子育ての安定化が図れるはずです。
子供も違うし大人も違う、「子育て」には本当のところモデルケースなどないのです。
子育てがうまくいっていないと、周りと比べて我が子の子育てを劣っていると比較して考えてしまいたくなります。
でも、それは多くの場合苦しめるばかりで、あまりプラスにはなりません。
「自分の子育てはいまこの状態」
そのことを否定することなく、出発点としてみましょう。
その上で、
「今日は昨日よりは子供を怒鳴りつけなかった」
ということがあれば、そこをプラスに考えていきましょう。
世間で言うところの「正しい子育て」「うまい子育て」と自分の状況を比べてしまったら、その状態はいつでもマイナスです。
「あーあ、怒鳴ってはよくないのに、また怒鳴ってしまった。私はなんてひどい親なのだろう」
このように考えていたら、子育てを送ることは大変つらいものになってしまいます。しかもそれは出口の見えないものになります。
人と比べても意味はありません。
それよりも、自分の昨日や過去と比べて、どんな些細な一歩でもそこをプラスに見ることで、本当の意味で子育てを前進させていきましょう。
上の記事のコメントでは、
ご自分のことを、「犯罪者」、「だめな大人」、「悪い大人」と言っている方が何人かおられました。
僕はその記事中で(過去記事も含めても言えますが)、そのように子育てがうまくいっていない人を指して「だめな大人」であるとか「悪い大人」であるとかに類する言葉を使ったことは一度もないはずです。
それは、文脈としても同様です。
でも、自分の子育てに対して自分で「マイナス点」をつけてしまっている人は、もともと自分で自分を責めている気持ちがあるので、僕がうまくいっていない例をあげたときに、それを自分が責められているととってしまうのでしょう。
子供を相手にすることでもっともいいことのひとつが、子供には未来が大きく開けているということです。
なので、間違ったとしても戻ればいいし、人より遅いからといってそれが必ずしもその子供の結果を決めてしまうわけではないのです。
世間の基準ではなく、自分の基準で、戻ってでも少しずつでも進めばいいし、ときには今日一日いいところがなかった、後戻りするばかりだったという日だってあることでしょう。
それでも、子供には未来がありますから、明日でも明後日でもいくらでもそれは取り返しがつくことなのです。
だから、子育てがうまくいっていないとしても、自分を責めることなく、もちろん子供も責めることなく、「出来ない状態のいま」を出発点として、そこから1ミリでも前進したのならば、そこを見て子育てしている自分を褒めてあげて下さい。
「偏差値70の人の偏差値をさらに上げることは大変だけれども、偏差値30の人の偏差値をあげることはたやすい」
などと言われますよね。
なぜなら、偏差値30の人はどこか前の段階でつまづいてしまっているところがあるからです。
そのつまづきに戻って、そこからコツコツとやっていけば、必ず偏差値が伸びるというわけです。
マレフィセントさん
相談は休止中ではありますが、偶然にもちょうど記事にしようとしていた内容とお悩みが近いようだったので。
子育ては一人で全部抱えようとする必要はないのです。
大変なときは人の協力を求めていいのです。
自分一人を悪者にしては自分ばかりが辛くなってしまいます。
自分がどういう状況になってしまっているか、(叩いたり、暴言を吐いたりが悪いとわかっていても止められない、自分自身それがとても辛い、自身の生育歴の中で排除されてきていたのでうまく関われる自信がないなど)
伝えながら、助けを求めてみるのも手です。
もしかすると、子育ての問題としてよりも、ご自身のカウンセリングなどにいってみることがプラスに働くかもしれません。自分の感情が自分でコントロールしきれない状態というのは、大人であってもとても辛いものです。
家族がだめなら、友達、保育園、行政の子育て支援や、児童相談所などなど、本当に役に立つところに出会えるとは限らないかもしれませんが、ダメ元でも当たってみるだけ当たってみるのも無駄ではないかもしれません。
「捨てる神あれば拾う神あり」ということもあります。
また、自分を責めないで、無理をせず、過剰な我慢をせず、ということも大切です。
本文にも書きましたが、自分の「出来ない」ところの否定を重ねるのではなく、いまあるところからスタートして、そこを見ていきましょう。
できるときにくすぐりからはじめてみましょう。自分がその気になれないときは、お父さんにしてもらってもいいでしょう。
>頑張ってよい関わり
目指すのは「頑張って」よい関わりをすることではありません。
自分自身として「無理のない」関わりを続けられることです。
| 2015-02-12 | 相談 | Comment : 8 | トラックバック : 0 |
相談 長女の姿が気になる(5歳) - 2014.10.28 Tue
長女5歳(年中)と次女2歳の姉妹の母です。いつも相談することは長女のことばかりで、次女には自分らしく自信を持って子育てできているなと感じるのですが、長女のことはどうにも「どうして?」「こんなにやっているのになんで?」と思ってしまうことばかりで、母親としても心苦しさがあります。
相談したいことは2点で、一つは上でコメントされているゆきえさんとたまたま似たような状態のことです。それともう一つ。長女がとても心配性なことです。
具体的にですが、一つ目の点ですが、なんでも自分が先にやってほしい、人よりも多くもらえないといやだ、お友達の持っているものややっていることをうらやましがる(お友達に気づくまでは本人が自分で決めたり満足してやっていたりしていたのに、お友達が目に入ると急に自分のやっていることや持っているものに不満そうにする)などなど・・・
気になるのは、すごく他人の目を気にしているように感じる点です。私は「自分が満足して楽しければそれでいいでしょ?」とよく長女に言うのですが、どうにも本人はそれまでそれなりに楽しくやっていたり満足して遊んだりもっていたりしても、すぐに人と(特に次女やお友達)比べて自分はやってもらってない、○○ちゃんより少ないと不満そうにし始めます。こちらとしては「それ自分でえらんだでしょ?」「さっきまであんなに満足してたのにどうしてすぐに不満がるの?」と思います。長女が文句を言っても、新しく買ったりはしませんし、次女にやってあげたことをやってほしいなど言うときはこちらが気持ちよくできるときは同じようにしてあげたりしますが、あまりに人と比べるときは「○○(長女)が本当にやりたいわけではないとママは思うからやりません。」とつっぱねます。
ただ、気持ちの切り替えが上手くなく、楽しいことはすぐに忘れてもいやなことや怒られたこと、やりたかったのにやらせてもらえなかったなどの気持ちを本当に長々と後まで引きずり、溜め込むタイプなのも私から見るとすごくイライラしてしまい、こちらも怒ってしまいます。次女が長女とは逆に天真爛漫といいますか、ポジティブで素直ですが、次女が生まれるまでの3年間今までずっと100%長女のために愛情を注いできたのにどうして満足してくれないのだろうと落ち込んだりもします。
二つ目ですが、そんなネガティブ長女のためか些細なことでおろおろしたり泣いたりします。本人曰く、心配なんだそうですが、例えば、うちではテレビは子どもたちが見たいものがあるときに録画してあるものをどれか自分たちで選んで見せていますが(テレビはつけっぱなしではありません)、その際見終わった後撃ちのテレビは録画リストみたいなものに自動で画面が切り替わるのですが、手が離せなくてしばらくそのままにしておくと泣きながら「早く消さないと!終わったよ~早く消してよ!」といいます。また、次女がリモコンに触るだけでおろおろして泣いたり、以前までは次女が触るといけないからと少しでもリモコン類がテーブルの上にあると泣きながらテーブルの引き出しに閉まったり、ひどいときには私や夫が使っているのを横でそわそわしながら見ていて、テーブルに置いたとたんそそくさとしまったりしていました。
他にも、次女はいまだに夜鳴きがあり、アトピーもあるので体がかゆくて起きてしまうのもあるのですが、そのため3日に1回は私も夜中の2時くらいから一睡も寝られないことがあります。そのときなど、次女があまりに大声で泣いて「背中掻いて~」と叫んでいるので長女も起きてしまうのですが、私も普段の寝不足でイライラしているのと次女もかきむしって余計にかゆくなってしまうのでそれをとめようと「そんなに掻いたら血でちゃうよ」と強く言ってしまったり、次女が泣きながら夜中に抱っこしてやあっち(リビング)行くなどわめいているので安心させようといろいろと優しく声をかけたりとんとんしたりするのですがこちらも疲れて少しほうっておこうとすると、長女がしくしく泣きはじめて「○○ちゃんひとりで寝られないからとんとんしてあげて~」といって逆に長女の泣き声で次女が眠れないこともあります。
親としては、いろんなことに心配している姿を見て気の毒に感じるのと同時に、長女が心配し始めたときは「大丈夫だよ」と落着かせようとするのですが、一つ目の所でも書きましたが、後に引きずるタイプなのであまりにしつこすぎてこちらが「いい加減にしてよ」となってしまいます。どこまで付き合ったらいいのか、あまりにしつこいときもじっと耐えて安心するまでフォローしたほうがいいのかがわからないのです。
長女は赤ちゃんのときからよく泣き、神経質で、私が見えなくなると来るまでなき続け、急いで抱っこしても今度は「何で早く来なかったんだ」といわんばかりにさらに泣き続けるというような子でした。それでもいつかは安心してくれるだろうと思い、付き合えることは何でも付き合ったし、家事以外のときはほとんど長女と遊んであげたりしましたが、一人で遊ぶことが苦手なようで(今でもすぐに遊んで~といいますし、おもちゃでひとりでじっくり遊べません)どれだけ一緒にやっても満足してくれたと感じたことはあまりありません。
今も時間のあるときは一緒に遊んだり、抱きしめたり、こちらがあまり一緒に遊びたくないときはそばで見ていてあげたり、一緒に料理をしたり、手伝ってもらったりと、正直次女よりも長女に対しての方がより気にかけているような状況です。次女には文句なしに心からかわいいと思えるので、あまり気にしなくても次女との関わりは持てていると思います。
私自身が保育士だったのですが、どうにも自分の子どもとなると力が入ってしまうのか、小さいときから食事やその他生活面では厳しく言ったりさせたりすることが多く、できない姿を受け止めることができませんでした。そのための満たされなさもあるのだろうと思います。性格も実は私の短所がそのまま似ているところも見ていてどうしても割り切れないこともあり、私自身が母からできないこと、ダメなことを受け止めてもらえなったことで私自身自己肯定感が低く、そんな姿を長女に見てしまうと自分のダメなところと同じだから直さなければと身構えてしまって後でいけないいけないと訂正したりします。
次女に対しては、それなりに大変さはあるけれども悩みというものを感じないのはきっと次女のもって生まれた明るさと私とは性格がよい意味で似ていないことにあると思います。
長女にも本当は細かいことに心配したり、周りを気にしたりすることなくのびのびと彼女らしく楽しく毎日を過ごしてほしいと心から思っています。私自身も心配性で、いろいろなことに心をすり減らしてとても苦しくつらくなってしまうのがよくわかります。毎日が不満と心配事だらけで長女の一日一日が終わっていってしまっているのではないかととても不安です。
親の目から見ても、長女はすごく本当は感激屋さんで心優しい子だと思います。次女が怒られているとなぜか自分も一緒に泣いてしまったり、歯磨きや手洗いなど次女の分までやってくれたり、テレビでたまたまやっていたちょっとかわいそうなシーンをみて「この子かわいそう」といって一緒に泣いたり・・・自分から「ありがとう」「ごめんなさい」が言えるのもすばらしいとおもいます。
素敵な姿がたくさんあるのに、すぐに不満そうにしたり文句をいったりする姿を見ると自分のいやなところを鏡で見ているようで受け入れられなくなります。
まとまらない文章で申し訳ありませんが、以上二点について、乳児期とはまた違って5歳なので関わり方などでアドバイスしていただけると嬉しいです。
>性格も実は私の短所がそのまま似ているところも見ていてどうしても割り切れないこともあり、私自身が母からできないこと、ダメなことを受け止めてもらえなったことで私自身自己肯定感が低く、そんな姿を長女に見てしまうと自分のダメなところと同じだから直さなければと身構えてしまって後でいけないいけないと訂正したりします。
ここからではないかなと思います。
ここからというのは、ほわほわさんありのままの自身が自分を認めるところからスタートしてみるといいのではないかなということです。
よほど自分に自信のある人やナルシストな人でない限り、たいていの人は自己嫌悪するところを持っていて、それでもなんとか折り合いをつけながら生活していっています。
それをもう一歩進めて、
「自分にはたくさんの欠点もあるし、嫌いなところもある、それでもこれが自分のありのままなのだから、まあいいじゃないか」と受け入れてしまうわけです。
「自分のダメなところ」があっても、それでもこうして今があるのだからいいじゃないかという気持ちにたって、自分自身を許してしまうところから考えてみて、その次に娘さんのことを考えてみます。
確かに欠点だと思えるところもあることでしょう。
みなどんな人も欠点や良くないところを持っているわけです。
でも、ダメなところがあるからといって、それでそのまま人生すべてがダメになるわけではありません。
ましてやまだまだこれから成長の余地がたくさんある子供のことなのです。
いま欠点に見えることなどなにほどのものでもありはしません。
そこに立って、娘さんのありのままを「ああ、この子の育ちというのはこういうものなのだな」と受け入れたところから、関わりを模索してみます。
母親がそう思えると、子供はとても楽になります。
見た目で何も変わらなくても子供はそういうことを敏感に察知するものです。
そこからゆっくりプラスになるものを積み重ねていけばそれでいいでしょう。
「言葉」をもっと使うといいと思います。
思ったことを思っただけで終わりにするのではなく、言葉に出してみます。
「今日はこのまえよりもお野菜をたくさん食べてくれたわね」
「いい笑顔でわらっているね」
「そういう優しいところとてもいいと思うわ」
もっと褒めるようにしなさいという意味だけではないのです。
関心と心が向けられていることが伝わることで、安心感を持たせてあげることができるからです。
ときには、「そういうのは好きじゃないな」というようなことを口にしてもいいかもしれません。
そういった大人の方の心のあり方を子供が知ることで、子供が感じている「どう自分を出していいかわからないという混乱」を少なくすることができるでしょう。
保育士や教師は「できること」「させること」というスキルを持ってしまっています。それがときに自分の子育ての場面では、返って重石になってしまうことがあります。
最終的にそういう方向性の関わりは、子供の心に「私は何点足りないと思われている」と感じさせてしまうからです。
過去記事の『減点法の子育て』で書いたようなことですね。
敏感な子はそれを大きく感じ取って自然なありのままを出すことを躊躇してしまいます。
また、娘さんはもしかすると発達障がいとまではいかなくても、過敏な傾向というのを持っている子なのかもしれません。
>手が離せなくてしばらくそのままにしておくと泣きながら「早く消さないと!終わったよ~早く消してよ!」といいます。また、次女がリモコンに触るだけでおろおろして泣いたり、以前までは次女が触るといけないからと少しでもリモコン類がテーブルの上にあると泣きながらテーブルの引き出しに閉まったり、ひどいときには私や夫が使っているのを横でそわそわしながら見ていて、テーブルに置いたとたんそそくさとしまったりしていました。
こういう部分ですね。
そういった性質を持った子にはそれに合わせた見方をしてあげないと、子供自身がいろいろ苦労してしまいます。
このことはちょっとした関わり方のコツをつかんでいると、スムーズに対応でき、なんでもないものとなることもあります。
発達障がいやアスペルガー症候群の子でなくとも以下の本は関わりの参考になることがたくさんあります。
もしかすると娘さんの対応の難しい姿に対してのヒントになるものが見つかるかもしれません。
| 2014-10-28 | 相談 | Comment : 11 | トラックバック : 0 |
相談 心から楽しく関われない ー「弱さ」を乗り越える- - 2014.10.19 Sun
なにはともあれよかったです。
福田 順 さんわざわざご連絡ありがとうございました。
10月5日 トトロさんの相談コメントへの返信
保育士お父ちゃんさんこんばんは!
最近、初コメントに相談させて頂いたトトロです。
いつも遅い時間にすみません💦
幸せって、保育士お父ちゃんさんみたいに家族と揃ってご飯を食べれる事に幸せを感じられる事が幸せな事なのかなって思ったりします。
最近、息子と過ごす時間に幸せを感じられなくなってきてしまい、まとわりつかれる事にストレスを感じてイライラしてしまいます。
ここにコメントされる方も本当に素敵な子育てしてるなぁと思い、それぞれ悩みはあるものの、自分自身の子育てを見ると必死でいいお母さんしようとしてるだけで内心イライラしていたり、心から笑っていなかったり息子には全部見抜かれているような気がします。
保育士お父ちゃんさんの記事の中にもありましたよね。
いやいや遊んでも満たされるどころか、マイナスな事も頭ではわかっています。
息子のクッキーの入れ物にたくさんクッキーを入ようと接してもこんな感じでは全然貯まるわけない事も…。
いつも息子からこっち見てよ。僕の事もっともっと愛してよ。って気持ちが痛いくらい伝わるのですが、心から楽しく関われなくて辛いです。
原因は、自分の余裕のなさと、育児家事の両立が上手く出来なかったり、疲れやすい体質だったり。あと弱い大人であることも自覚しています。
でもこんなことは息子からしたら、関係のない事ですよね。
私が変わらなければと思っています。
保育士お父ちゃんさん、お忙しいとは思いますがいつでも構わないので、何かアドバイス頂けないでしょうか。
宜しくお願いします。
>でもこんなことは息子からしたら、関係のない事ですよね。
トトロさんがもし、お金をもらって仕事として他人の子を預かっているのでしたら、確かにそれを理由にしてはいけないでしょう。
しかし、そうではありませんね。
ちっとも関係のないことであるわけがありません。
>原因は、自分の余裕のなさと、育児家事の両立が上手く出来なかったり、疲れやすい体質だったり。あと弱い大人であることも自覚しています。
自分のあるがままのことを否定して、そのうえでその自分の否定すべきことを押し殺して子供に関わろうとしても、それは「大人が子供のためにつらさを我慢している」ということであって、とうてい自然な関わりになることはありません。
そのような「無理」を重ねたところにある子育てというのは、必ずどこかで破綻が来ます。
親になったからとっいって子供のためにスーパーマンになることは、もともとスーパーな人にしかできません。
多くの人は、弱さも欠点もありながらなんとか生活しているわけです。
親が自分を否定しながらいい子育てになるというのは大変難しいことです。
どこかの時点で、「自分はこうなんだから」と開き直ったところから、無理のない・嘘のない子育てをしていったほうがいいでしょう。
子供に対して大人が無理を押しながら、子供を王様のようにして子供に仕えるような子育てをしても、健全な育ちにはなりません。
子供が遊んで欲しいとゴネたときに、大人が身体が厳しいのにそれを我慢して相手をしたとします。
どれほど大人が頑張ったつもりでも、そのように大人が自分に嘘をついて無理を重ねて本心を押し殺して子供の相手をしたところで、子供がそれで心から満足するということは決してありません。
だったら、「いまは私は身体がつらいから無理なのよ」ということを子供に理解させて、できるときに適切に相手をしてあげたほうがよほどいいのです。
「弱い大人・強い大人」の意味あいは、自分を押し殺して頑張れない人が「弱い大人」なのではありません。
自分の強さも弱さも子供に対してどうどうと示せない、子供の前で大人としてのあり方を毅然としめせないことが「弱さ」なのです。
>自分の余裕のなさと、育児家事の両立が上手く出来なかったり、疲れやすい体質だったり
これらを堂々と子供に対して開示して、そのうえでトトロさんとしてのできる関わりを子供との間に構築することが「弱さ」を克服するための第一歩となると思いますよ。
| 2014-10-19 | 相談 | Comment : 11 | トラックバック : 1 |
相談 子供の対人関係(4歳11ヶ月) - 2014.10.19 Sun
はじめまして。
4歳11ヶ月と1歳9ヶ月の男の子がいます。
長男のことで相談させてください。
おっとりしていて優しい性格なのですが、言葉が発達していて(ときどきこちらがどきっとすることを言ったり、保育園の先生からも同年齢の子供よりも言葉の理解力があると言われます)、年中さんになった今年くらいからお友達とトラブルになることが出てきました。
トラブルになる理由として保育園の先生から言われたことは、
①お友達と遊んだり、先生のお手伝いをするときに交渉術を使う(○○してあげたからありがとうと言って、今度はぼくに△△してよetc)
↓
②年中さんでは交渉術に対応できない子供の方が多いので、長男と遊ぶと面倒くさいから遊ばない子が出てくる
↓
③長男は悪気があって交渉術を使っていないので状況が理解できておらず、並行遊びはできているので友達はいると思っていて困ってない
↓
④改善されないのでお友達とうまく遊べない
ということのようです。
また、長男が「一緒に遊ぼう」と言っても入れてもらえない場面の多くあるようです。そういうときは「○○が遊ぼうと言っても入れてくれない。いじわるされた」と言います。(親も今まで上記のような状況を把握していなかったので、息子が原因だと思っていませんでした)
「ありがとうと言って」ということについては、あいさつやお礼をちゃんと言える子に育てたいと思い、「ありがとう」と言った方がよいと親が思う場面で、「何て言うの?」と子供に求めていたことが影響しているのかなぁと今は思います。
また、それ以外の交渉術についても、親がご褒美のようなつもりで言っていた「○○できてから△△しようね」というやりとりをまねているのではと思います。
おとーちゃんのいつかのブログにあった過干渉な親と祖父母によって身の回りのことはできないけれど他の子のことは指摘するという公園であった女の子のように育ってしまっているような気がして心配です。
また、嫌なことを自分で解決しようという気持ちがあまりなく、すぐに親や先生に「○○くんが靴を投げた」「△△くんが嫌なことしてきた」と報告に来ます。
年少さんのときにすぐに手が出るお友達に叩かれたりかまれたりしたことがあり、「困ったことがあったら言うんだよ」と言ったとおりにしているのですが、お友達からすぐに告げ口すると言われています。
今後どのように親として子供に接することが、よいのでしょうか?
親が危ないと思う場面で先回りして危険を回避したり、子供を否定しないようにと心がけていたことが過干渉や過保護で、日々の積み重ねにより子供に悪い影響を与えてしまっていたと思っています。
ご意見・アドバイス、よろしくお願いいたします。
いまの姿が過保護・過干渉によるものだとしたら、「どのように子供を改変していくか」というアプローチでは、さらに過保護・過干渉を重ねることになりかねません。
もともと、対人関係というのは基本的に実際の経験の中で身につけていくしかないことです。
ある、うまくない子供の行動に対して、大人が「それはあなたのここがよくないからそうなってしまうのだ、このようにしていきなさい」ということを教え込んだとしたところで、それが身につくものでもありません。
むしろ、大人のその心配が子供の逃げ道となってしまって、自分で乗り越えようとする気持ちを失わせてしまうかもしれないことです。
また、人間関係というのは「なにが正しいなにが正しくない」ということだけで割り切れるものでもありません。
正解を伝え、それを実行させるだけでも円滑にいくわけではありませんね。
対人関係・人間関係というのは、基本は大人は信じて見守るしかないのです。
大人が大きく介入するのは、子供の力ではどうにもならない事態になったとき、なってしまいそうなときだけです。
年中という時期は、人間関係を学びはじめた1年生です。
まだ、完全にうまくできなければならない時期ではありません。
いま、失敗も成功も自分でさせて長い目で身につけさせていけばいいのです。
ましてや家庭内のことではなく、保育園でのことですから、親が直接的にどうこうするという余地はあまりないことです。
よしんば、積極的にどうこうしようとしたところであまり効果はあがらないでしょう。
親ができるのは、基本的な情緒や生活を安定させてあげることと、子供を信じ見守り、自分で乗り越えさせられるように後ろから支えてあげることです。
子供は自分で、自分の関わり方ではうまく関われないこと、友達の反応がよくないことなどを受け止め、自分の心の中で何度も葛藤をすることでよりよい方法を自分で見つけなければなりません。
大人が正解を教えようとすると、自分で葛藤して出した正解ではないので、それが同じものであったとしてもいつまでも身につきはしません。
子供集団というのは、その場にいる保育士のような大人からしても完全にコントロールしきれるものではありません。せいぜい方向の修正をできるくらいのものです。
しかし、集団の力は子供にさまざまな学びを与えます。
息子さんはそれを実地に学びにいっているのですから、親としては正解をあたえるのではなく、失敗も大きな経験なのだと思って見守ってあげる姿勢が大切だと思います。
また、親のできることとしてはこの対人関係の問題以外のところでの、過保護・過干渉になっているようなことがあれば、それはできるだけ減らしていく方がよいでしょう。
それらの過保護・過干渉が子供の心に作り出す、子供の余裕のなさ、心の幼さというものが、回り回って子供同士で関わる際の齟齬を生んでしまっているからです。
普段の生活の場面で大人がおおらかさをもって接することができ、子供に余裕を持たせることができれば、だんだんと子供同士の関わりでも落ち着いた姿が見られるようになってくるのではないかと思います。
| 2014-10-19 | 相談 | Comment : 1 | トラックバック : 0 |
相談 子供が拗ねる(4歳) - 2014.10.18 Sat
10月4日 ももさんの相談コメントへの返信
4歳になったばかりの娘がいます。
最近育てにくさを感じ、記事を拝見させて頂き、私が弱い大人であるがゆえに色んな問題が生じているのだとわかりました。
自分自身が過保護や過干渉により育てられたと感じ、自分に自信がなくぶれることがあり迷いつつ子育てしていることがよくないのだとも感じています。
弱い大人であることに気付いてから自分自身を変えて行くように努力しているのですが、気になることがあるので相談させて下さい。
最近気になることの一つが「拗ねること」です。
皆で遊んでいる時に私が他の子の相手をすると拗ねて離れた場所に行きどうしたのと声を掛けるとしくしく泣きます。
理由を聞くと、ママが自分よりお友達を好きになったのかと思ったと言います。
「ママはあなたが一番大好きだから何も心配しなくていいよ。」と伝え、先回りした関わりや全面肯定などするように努力していますが、何回かこのようなことが続きどのように対応すればいいのか悩んでいます。
もう一つは、お友達に注意することが増えていることです。
皆が仲良く遊んでいる時に、それはしてはダメなど人を注意することが先に立ち一緒に遊べずにいたりする時があります。
幼稚園でダメと規制されることが多いようなのですが、同じ幼稚園に通う子が皆そうではないので私の育て方に原因があると思うのですが、私がダメダメと言っているわけでもありません。
あともう一つ。
お友達や私と話していて、気に入らないと「ふん!」と言ってその場から立ち去ります。(この言葉自体はは見ているテレビの影響だと思います。)
キレやすいというか。。。
言われてとても嫌な気持ちがする言葉であること、自分の意見が通らないからと言ってそんな風にしてはいけないことも伝えると「ごめんなさい」と泣いて謝るのですがこれも最近続いています。
私自身が変わることが一番の解決策ではあると思うのですが、おとーちゃんさんならこのようなことが起きたときどう対応されるか教えて頂きたくご相談させて頂きました。
お忙しいなか申し訳ありませんが宜しくお願いします。
例によって確かなことは言えませんが、たぶん大人の側の弱さゆえに「依存」があることと、自分に自信がもてないことからくる行動ではないかという気がします。
あとはたぶん生活のさまざまな場面での過干渉があるのではないかと推察されます。
>皆で遊んでいる時に私が他の子の相手をすると拗ねて離れた場所に行きどうしたのと声を掛けるとしくしく泣きます。
理由を聞くと、ママが自分よりお友達を好きになったのかと思ったと言います。
このあたりの行動は、「弱い大人」ゆえの大人側の自信のなさが子供のそのような行動を生んでいると考えられます。
「何言ってんのそんなわけあるはずないじゃない」と笑い飛ばしたり、「そんなこというんじゃない、そんなこといったらお母さん怒るよ!」とでもきっぱり言えるような自信のなさ、強さがないばかりに、おとなのその部分に子供は依存をしてしまっています。
(これは大人の気持ちの部分の問題ですので言葉だけ上記のように真似したからといって解決するわけではありません)
そこは子供のその行動に大人が振り回されて、受容だなんだんと慌てふためいてどうにかしようとして改善するものでもありません。なので、そこから
>先回りした関わりや全面肯定などするように努力
というように気持ちを揺らがせてしまうのは、返って子供のそのような依存からの行動を助長するようなものです。
(別に先回りした関わりや全面肯定が悪いわけではありませんが)
>もう一つは、お友達に注意することが増えていることです。
皆が仲良く遊んでいる時に、それはしてはダメなど人を注意することが先に立ち一緒に遊べずにいたりする時があります。
>お友達や私と話していて、気に入らないと「ふん!」と言ってその場から立ち去ります。
このあたりは、子供の自己肯定感からくる自信の有無が影響しているのではないかと感じます。
>自分の意見が通らないからと言ってそんな風にしてはいけないことも伝えると「ごめんなさい」と泣いて謝るのですがこれも最近続いています。
ということは、伝えても繰り返しているということですよね。
つまり、理屈で正論を伝えたことでどうこうなるという問題ではないということです。
ということは、理屈を教えることではなく、子供自身の心を伸ばしていくことが必要ということでしょう。
このときの対応で、最終的に「ごめんなさい」を言わせることはなんの解決にもつながってないと思います。
むしろ追い打ちをかけているでしょう。
否定も非難のニュアンスも込めずに、「どうしたの?」というように子供の心を吐露させるような関わりが必要でした。
ただ、まあこれまでのことはいいですし、このときの対応が「どうしたの?」だったら解決するというものでもありません。
対応のうまい下手はさして問題ではありません。
これからきちんと意識してするべきなのは以下のことです。
大切なのは、そういったネガティブな姿が起こったときの対応をどうするかではなくて、普段の関わりの中で「認める」「肯定する」経験をたくさんつくることです。
このとき、「子供のネガティブな行動をなくさせるために」とか、「子供の心を安定させるために」というような、親が「こうしてやろう」というような気持ちから出発する恣意的な「認める」「肯定する」ではだめなんです。
どういうものかというと、赤ちゃんを見ていて自然と顔がほころんで、暖かい気持ちになって「ああ、かわいいなぁ」と感じるような、大人の無条件な気持ちから発するところの、「認める」「肯定する」なのです。
だから、子供の行動がよく感じられないときなどのことは気にせず置いといて、大人も子供も一緒に楽しめるような時間を持ち、そのなかでなにかを共感したり、一緒になにかを作ったりという経験の中で「認める」「肯定する」をしていくようにしましょう。
もし、卵とか問題なくて調理器具などもありそうだったら、プリン作りおすすめ!
砂糖と卵と牛乳でできます。
簡単なんだけど、手間がそれなりにかかるので大変でもあり、また普段はしないことでもあり、そして食べてもとってもおいしい。
うちでは卵を三回漉して砂糖と牛乳をまぜプリン液つくり、オーブンの天板にお湯を張って蒸し焼きにする方法でつくっています。(僕はお菓子は作ったことないのでクックパッドで覚えました)
その過程や一緒に食べたりする経験のなかでとてもたくさんの自然な「認める」「肯定する」「共感する」ができますよ。
まあ、プリンでなくても全然いいのだけどね。
トランプやボードゲームでも、家庭菜園でも、ビーズアクセサリー作りでもなんでも。
ももさんはたぶん、いま「見えるところ」の娘さんの(とくにネガティブな)姿にとらわれてしまっているので、それらとはまったく関係のないところで娘さんを見てあげて欲しかったのです。
いま必要なのは「子供をどうにかしよう」ではないということです。
ほんとできる範囲でなんでもいいです。赤ちゃんごっこでも出産ごっこでも。
| 2014-10-18 | 相談 | Comment : 9 | トラックバック : 0 |
相談 叱られるとうつ向いてしまう(1歳6ヶ月) - 2014.10.18 Sat
私は専業主婦でもうすぐ1歳6ヶ月になる息子を育てています。毎日絵本を読んだり、おもちゃで遊んだり、買い物や散歩をして楽しく穏やかに過ごしています。
息子は生まれたときから本当に手のかからない子で、よく食べ、よく眠り、よく笑い、いつも機嫌がよく、優しく穏やかな性格です。もちろん、ぐずったり泣くこともありますが、すぐに気持ちを切り替えられるようです。一方、幾分慎重なところがあり、初めの一歩がなかなか踏み出せないところがありますが、踏み出してしまえば、大丈夫というようなタイプです。人見知りもほとんどなかったように思います。また、空気が読めるとでもいうのでしょうか、聞き分けもよく、そもそも親の困ることや危ないこともめったにしません。してほしくないことも言葉で伝えれば理解してくれます。
最近では自己主張も出てきたり、なんでも自分でやってみようとしたり、進んでお手伝いらしきこともしてくれます。まだミルクを飲みたがったり、オムツが取れそうな気配はないですし、言葉も喃語程度しか話さず、幼いところもありますが、息子のペースで成長してくれているようです。
私はというと、普段は大雑把でさっぱりとした性格ですが、感情的でワガママ(笑)、気持ちの切り替えも下手なところがあります。ただ、息子のおかげで、そんな私でも普段穏やかに息子を可愛がり、受容を中心とした関わりができているのだと思います。もともと親を困らせることがないため、過保護・過干渉になることもありませんでした。
しかし、私自身がとても疲れているときやイライラしているときは、本来の感情的な性格もあり、息子を叱るときに普段なら言葉で丁寧に伝えれば済むことを、大きな声で怒ってしまうことがあります。
時々とはいえ、このことが影響しているのでしょうか?3ヶ月程前から、大きな声で怒ってしまうときはもちろん、普通に言葉で注意するときもそうですが、困ったように頭をポリポリし、うつ向きになり、目をこすり泣き真似のようなそぶりをするようになってしまいました。ここ1ヶ月はさらに完全に顔を床につけ、拗ねたようなポーズをします。もちろんしばらくすると自分で顔を上げ、目を見て話を聞いてくれ、その後は笑顔が戻りますが。
これまでしてほしくないことは、一貫して毅然と言葉で伝えてきたのですが、やり過ぎだったのでしょうか?非常に聞き分けがいいことや息子が私に対して優しさを持って接してくれていると感じることが多々ありますので、実は親の顔色を伺っているのではないか、気を遣っているのではないか、また怒られても少し泣く程度なので気持ちを抑えこんでいるのではないかと心配です。
これまで特に心配事や困ったことがなかったため、このことが気になって仕方ないです。いろいろなお子さんを見てこられたおとーちゃんさんのご意見をぜひお伺いしたいです。ちなみにブログは1歳頃知り、そこからは受容など意識するようになりましたが、それ以前はたまたまそのような育児をしていたという感じです。
実際の関わりを見たわけではありませんので、確かなことは言えませんが、1歳半という年齢で、まだ言葉も出ない段階であり、穏やかで感じやすいタイプの子供に対して、感情的に声を荒げてしまうというのは子供にかなりの負荷をかけてしまっているという可能性もあります。
1歳6ヶ月でなくとも、感情的になっている人の前ではうつむきたくなってしまうものです。
これは大人ですらそうでしょう。
ましてやまだ反論する言葉も思考も力も持っていない段階の年齢ですから、うつむくか、泣きわめいてその状態におかれることに抵抗を示すか、心の成長を敢えて進めないことで幼い状態に自分をおき、そこでのダメージを小さくするように無意識にそういった育ちになるなどの様子が見られるものです。
どのような状態でそういった感情的な関わりになってしまうのかわからないけれども、1歳6ヶ月でこれまで受容を心がけてきたということであれば、そうそう強い感情をしめして子供をコントロールせずとも、伝えられる方法(もしくはやり過ごす方法)というのはあるかと思います。
もし、感情的になってしまうことにその原因があると感じているようならば、そのあたりを一呼吸おいてあまり強い出し方にならないように気をつけてみるといいかもしれませんね。
余談ですが僕自身は、とても感情的でヒステリックに怒る母親に育てられてきましたので、自分を表現することや他者との関わりなど心の根っこの部分で萎縮したところがあり、大人になってすら長年にわたって生きづらさを感じてきました。
むかしなんかの本で読んだのですが、感情的に育てられた人間は理屈っぽくなる傾向があるそうです。僕の理屈っぽい性格はそんなところにも関わりがあるのかもしれません。
早いうちに気がついたのですから、よしんば対応が思うようにならなかったしても、頭の片隅に意識をおいておくだけでもずいぶん子供へ与える影響というのは変わってくると思います。
| 2014-10-18 | 相談 | Comment : 1 | トラックバック : 0 |
相談 音楽について - 2014.10.18 Sat
いつも更新を心待ちにしています
今月で1歳になる息子の子育ては後追いまっさかりで大変ですが、ブログの関わり方を参考に、笑いのある時間をたくさん過ごすことができています
最近になって、息子は音楽に合わせて身体を動かしたり歌ったりするようになりました
うちはテレビがなく基本無音の環境で子育てをしていることもあり、仕掛け時計の音や、洗濯機の終了のお知らせ音にも楽しそうに反応します。なので、最近は私がたまに子ども向けの音楽をyoutubeから拾って聴かせています
私が童謡や歌謡曲を歌ってあげても楽しそうにしてます
楽しそうにしているので、特に問題はないのですが、音楽についてオススメなどありましたら、教えていただけたらなと思います
お恥ずかしながら僕自身は保育は三流のピアノもろくに弾けないなんちゃって保育士なので、音楽のことでおすすめできるようなものはないのですが、小さい子供に特に家庭では、やはりたくさんの肉声で歌ってあげることは大切だと思っています。
やはりたくさん歌をお母さんに歌ってもらった子というのは、音楽をよく好むようです。
味覚などと同様、耳も乳児はとても敏感にできています。
その乳児の耳に過度な負荷にならずに伝えられるのは、やはり肉声の歌であり、そしてその自分に向けて歌ってもらったという経験がとても大きな価値をもちます。
お父さん、お母さんが歌ってくれているときの穏やかな、暖かい気持ちというものも音楽体験の基礎として子供は受け止めているからでしょう。
にぎやかな曲というのは後からでもいくらでも吸収できますからね。
なので、大人自身が暖かい気持ちになれるような自分のよく知っている好きな童謡などを歌ってあげるというのも乳児期の経験としてとても大切ではないかと思います。
僕自身は『赤とんぼ』や『ふるさと』などのあのもの悲しくも郷愁をさそう歌や、『しゃぼんだま』『どんぐりころころ』などのポピュラーな童謡が大好きです。
乳児クラスを担当したときなど、とりたててなにもなくともよく口ずさんでいたりします。
なにかと忙しかったり、イライラしそうなとき大人の側の気持ちも穏やかにさせてくれるような効果もあります。
ちょっとご質問の趣旨とずれちゃったかな?ごめんなさいね。
童謡は意外と(というかかなり)、歌詞や音程を間違えて覚えていたりするので、歌詞集を持っていると便利です。
| 2014-10-18 | 相談 | Comment : 2 | トラックバック : 0 |
相談 排泄の移行期 パンツで失敗ばかりになってしまう(2歳8ヶ月) - 2014.10.16 Thu
10月2日 2人目ママさんの相談コメントへの返信 こちらの記事
以前相談した者です。
またよろしければお時間あるとき返信頂けたら嬉しいです。
2歳8カ月の娘と3ヶ月になったばかりの娘がいます。
上の子は意思の疎通もしっかり出来ていてお話も沢山します、下の子に対して意地悪することもなくチューしたりと可愛がっていました。思えばイヤイヤ期がまだありません。
4月から幼稚園とゆうこともあり、そろそろまたトイレに再挑戦と思い、始めてみました。(一回挑戦してまだ早かったんだなーと思いオムツに戻しました)
もう無理だろ〜って頃にトイレへ誘ってもたいてい出ない〜と断わられます…その時はそっかーしたい時言ってねと見守ります。行くー!と珍しく言ってトイレに座っても出ません。そして必ずどちらにしても漏らしてしまいます。。あまりしつこく聞くのも良くないですよね。かといってパンツにしてからずーっと漏らしてしまっていて失敗ばかりで本人も傷ついてるのかなと思っています。
モジモジしているときに聞いても絶対絶対出ないといいます…。
漏らして掃除が嫌だとかではありません、おしっこの間隔は短い時は2時間で昨日は7時間もしなかったので失敗を警戒しているのかな…オムツに戻した方が良いのかな…と悩んでいます。
パンツにしてから妹の手を凄く意地悪そうな顔で触っているのを見てビックリしました。私がストレスを与えてしまったんでしょうか。うんちをしても教えてくれない事も多々あります。気持ちわるくない?綺麗にしよう、と優しく言ってるつもりですが、それでも「してないよ〜」と言い張るときもあります。おしっこは教えてくれたりしますが、思えば私が先に気付いてしまっています。
いつもイライラを抑えるようにして失敗しても気にしないでねーといいますが、とてつもなくイライラしてしまう時もあり⤵︎ その都度娘にごめんねと伝えますが、そのせいで今娘も不安定になってしまっているのかなと…かなりいきづまってきました。どのように対応したらいいんでしょうか
漏らしてしまったことを、トイレでしなきゃダメだよと冷たく言ってしまったこともあります。人格形成に影響が出るくらいデリケートな問題のトイレトレーニングをいまやってるんだからもっと優しく最良の方法で接してあげなきゃと思っていますが、わたしも上手くできなくて辛いです。周りに相談しても、
1時間でトイレ行け行け言ってたら出来るようになったとか怒っても大丈夫と言う人ばかりです。
他でカバーしてればそれでもいいのかなと思う反面、やっぱり私には出来ない…と思います。
なんだかわかりにくい質問でごめんなさい。
失敗ばかりになっていてもパンツで続けて大丈夫か…ってことなのですが。またオムツに戻すのも混乱しそうな気もしてるんです。
だけど長時間出かけるとき、
寝るときはオムツなんです。。
私のやってることは本当に意味のないことなんじゃと思ってきました。長々ごめんなさい。
排泄は個別の要素の強いことなので、必ずしも正しいということは言えません。参考までにどうぞ。
排泄は身体的な自立であると同時に、精神的な自立・自律とも密接な関わりがあるということは、この記事のシリーズで書いたとおりです。
>モジモジしているときに聞いても絶対絶対出ないといいます…。
排泄のこの移行期の年齢というのは、
青虫がさなぎになって、チョウになる過程のうちの、「さなぎ」の時期なのです。
大人の希望は、「もらさずにトイレで排泄してほしい」ということしかほとんど見ていませんが、子供はそうではありません。
人に指摘されてトイレでするということでは心の成長が遂げられない ということを無意識に理解しているのです。
「あなたに言われてトイレでできれば、あなたは満足かもしれないけれども、それでは自分の羽で大きく羽ばたけるチョウになることができないのよ」
ということを、青虫が誰に教わらずともさなぎになるように、人間の子供も自分で自立しなければ、本当の自立にはならないということを自然と理解しているのです。
だから、「おしっこ行け!」という大人からのアプローチ(またはそういう圧力)を子供は大変に嫌います。
それは自分の意思ではない、それでは自分が自分の力で羽ばたけないということを子供は知っているからです。
ですから、この記事にあるように見極めが不十分なままにパンツに移行してしまうと、大人が子供の排泄を気にかけすぎて過干渉な状態になり、子供の精神の自立まで阻害してしまうことがあり、僕はできるだけその事態を招かないようにこの一連の記事の中で注意をうながしてきました。
コメントの印象からするに、たぶん娘さんのパンツへの移行は早すぎたのだろうと思います。
おむつのままの状態で、
オシッコデタと伝えられる時期 → トイレへ座って出るという成功体験
こういった経験をストレスが少ない状態でもっとたくさん積み重ねた方がよかったでしょう。
>失敗ばかりになっていてもパンツで続けて大丈夫か…ってことなのですが。またオムツに戻すのも混乱しそうな気もしてるんです。
たしかにパンツにしたりおむつに戻したりというのを大人が恣意的にするのは好ましいことではありません。
ですので、移行が早すぎたとは思いますが、だからといって戻すべきとも軽々しく言えません。
僕が記事の中でパンツへの移行を焦らずに見極めを十分にしましょう、パンツをちらつかせて期待を煽るのはしないほうがいいと言っているのは、そういう事態を極力避けたいからです。
大人が一旦パンツへの期待をのぞかせたり、移行をさせてしまうと、そこからは子供の自尊心がスタートするといっても過言ではありません。
戻させると言うことは場合によっては、子供の一度火がついたものを大人が踏み消すということになりかねない場合もあります。
ですが、もしまだ子供があまり意識せずにすんなりと戻せるようであれば戻してしまうことも視野にいれてもいいかもしれません。
>だけど長時間出かけるとき、寝るときはオムツなんです。
ということですから、まだ戻すことのデメリットというのは少ないかもしれませんね。
そして可能ならばストレスフリーの状態で、成功体験をつませることです。
>4月から幼稚園とゆうこともあり
>いつもイライラを抑えるようにして失敗しても気にしないでねーといいますが
やっぱり大人としてはないつもりでも、焦りや現状への不満ということを2人目ママさん自身も感じているのだと思います。
娘さんは敏感にそれを感じてしまうので、余計に失敗を認められないし、自分でできなければならないとかたくなに思ってしまうのではないでしょうか。
もう一点、大人の側のブレと弱さが現在の状況をより困難なもののしている可能性があります。
>うんちをしても教えてくれない事も多々あります。気持ちわるくない?綺麗にしよう、と優しく言ってるつもりですが
こういったすでに出てしまっている事実があるときまで、大人が子供の顔をうかがわなくていいのです。
でてしまっているのならば、あっけらかんと「出たね。じゃあきれいにしてあげるよ」と気持ちをぶらさずに、するべきことをしてあげてしまい「はい、きれいになったから気持ちいいでしょ。じゃあまたあそんでおいでー」と明るくいってあげます。
このときにここで子供の顔色をうかがっておっかなびっくり扱ってしまうと、
>それでも「してないよ〜」と言い張るときもあります
のように、子供は自身の自尊心を賭けて対抗しなければならなくなってしまいます。
あきらかに失敗しているので、そこで自尊心を賭けなければならなくなると、子供は確実に負けが込んでしまいます。
すると、それは気持ち的なマイナスになります。
そのマイナスを埋めるために、ネガティブな行動に駆り立てられなければならなくなるので、大人のブレ・弱さからくる「子供の尊重のようなもの」は返って重荷となることがあるのです。
だからここで子供と真っ向から戦ってはならないのです。軽くいなして着替えやきれいにすることを大人としてしてしまえばいいのです。
なので、出てしまったときはうむを言わさず、でも焦りも責める気持ちも落胆もなしにあっけらかんときれいにしてあげて、きれいになった気持ちに共感をしめしていくといいのです。
そういうわけで、もし今後2人目ママさんが焦りや、イライラを出さずにお子さんの様子を見守っていけるというのであれば、このままパンツのまま推移を見守ってもいいでしょう。
でも、それが難しく感じられるのであれば戻すのを視野にいれて対応をしてみるとことも必要かもしれません。
戻すことに強い抵抗を示すようならば、無理に戻さなくてもいいです。
そのときは、上の述べたようなことに留意して様子を見つつ試行錯誤していくといいのではないでしょうか。
その戻そうとしたときは強い抵抗をしめしたけど、思い切ってもどしてしまったらあとは安心してすごせるようになったといったこともありますので、そのあたりは個性に合わせて対応します。
| 2014-10-16 | 相談 | Comment : 5 | トラックバック : 0 |
相談 弟の出産後の上の子への対応(2歳1ヶ月) - 2014.10.12 Sun
はじめまして。
いつも保育士お父ちゃんさんの考え方は素敵だなぁと本当に感心させられる内容で、愛読させて頂いてます。
色々と参考にさせてもらい、思考錯誤しながら日々育児に奮闘しているのですが、ここ数日息詰まってしまい、はじめてではありますがコメントさせて頂きました。現在上の子が2歳1か月と2ヶ月になる息子がいます。上の子の事なんですが、妊娠当初から甘えがすごく、後追いや、ぐずりがあったのですが、下の子が産まれてからさらに、イヤイヤ期も重なり朝起きてから寝るまで、機嫌があまり良くなく私にべったりで私がトイレに行くことさえ拒まれます。おっぱいはもちろん、下の子を抱っこしても泣いてぐずったりします。その都度ママが○○くんにおっぱいあげるの嫌なんだね。さみしいんだね。など気持ちを代弁したり、先回りの関わりをしてこちょこちょしたり、下の子が寝てる間は家事もそこそこに一緒に遊んだりしているのですが、私自身要領もあまり良くない為100%近いくらいの力を上の子に注いでは、結局家事をする気力が無くなってしまったり疲れが溜まって、上の子のかまってに笑顔で答えられなくなってしまう。という悪循環に陥っています。どうしたら家事と育児のバランスが取れて、上の子にも安心感と満足を与えてあげることが出来るのでしょうか。上の子はどちらかというと、私の性格も関係してるのか繊細でちょっとした事で泣いたりします。でも大人の言う事は良く理解していて、素直な所もいっぱいあって可愛いいです。
まず、留意すべき点は、「無理をしない」ということだと思います。
この「無理をしない」というのを言い換えると、「ウソをつかない」ということです。おもに自分にです。
例えば、いま現在は上の子の相手をしたり受容してあげることが少ないだろうという意識でいることと思います。
それがつまりは「負い目」となって大人の側にあります。
その負い目から、無理をして相手をしようとしたりして返って、身体的に疲れたり、精神的にイライラを重ねてしまいます。これはすなわち大人が自分自身を偽っているということ。=自分へのウソ となっています。
その「負い目」から出発する関わりでは、関係の正常化というのはできようがありません。
出産後の体力の低下や、授乳、新生児の育児、睡眠不足などあって、いまは上の子に対しても万全の育児をしようと求めてもそれはもともと無理なことなのです。
それでもトトロさん自身精一杯やっていまがあるのですから、むしろ「負い目」など捨てて開き直ってしまうのがいいと思うのです。
そして、自分に正直になることです。
「いまは疲れているからあんまり相手ができないんだよ。ごめんね」
「気持ちはわかるけど、そんな風にごねられたら私もイライラしてしまうよ」
など、「無理をして相手をする」前に正直に自分(大人)のいまの状況を伝えてみましょう。
それですぐに子供の姿が解決しないかもしれないけれども、子供はそのようにいわれたことと、自分のしてほしいことというのを、心の中で葛藤しすりあわせるというプロセスを持ちます。
それがちょっとずつでも蓄積されていけば、子供の心の成長(=自立)となっていきます。
しかし、「負い目」から子供に関わっていると、子供は無意識にですがその「負い目」を「大人の弱み」と的確に認識しますので、その弱みに乗っかることで、依存心を高めてしまいます。
現状ではその依存心の高まりから、大人を困らせる行動が多くなっています。
なので負い目から無理をして関わることは、結局プラスにはなりません。
無理はせずともそのうえで、できる範囲で関わっていけばいいのです。
>上の子にも安心感と満足を与えてあげることが出来るのでしょうか。
↑これはある意味では「負い目から子供をどうこうしよう」という大人の姿勢です。
そういう方向で関わろうとするのではなく、まずは大人自身の気持ちの持ちようとして、現状自分は精一杯やっているのだというところから出発して、現状をなにかが足りないと考えるのではなく、子供に現状を伝えそれを受け入れさせる方向で関わっていくのが、これを乗り越える方法でありまた子供の心を成長させることでもあると思います。
余裕のあるときにでも、上の子が赤ちゃんだったときのことなども話してあげるとその理解の助けとなったりもしますよ。
| 2014-10-12 | 相談 | Comment : 3 | トラックバック : 0 |
相談 「自分がされたように子供にイライラをぶつけてしまう」 - 2014.09.21 Sun
コメントを拝見して感じたことや、あの事例とは違いますがこのテーマの続きというのもあるのですが、このところ少々多忙につき記事の更新、コメントの返信など滞ってしまっています。
また、余裕ができましたらぼちぼち更新していきますね。
9月12日 わた9さんの相談コメントへの返信
昨日こちらのブログを知り、過去のログを読み返している最中です。
おっしゃっていること、本当にその通りと思います。
ですが、なぜか思うようにできない、苦しい、できない、そんな気持ちです。
5歳の息子がいます。私はいつも怒ってばかりいます。
アドラー心理学を基とした育親セミナーを受け、親と子の境界が曖昧になっている点に気付き、
子供と好ましい関係を築く為には、怒る事はマイナスである事も理解しているのに、なぜ・・・?
怒っている最中も、「こんなことしてちゃダメだ」
と思っているにも関わらず、子供を追い詰めてしまうのです。
現在お姑さんと同居しており、お姑さんがとても優しいので、
息子は救われているとは思います。
息子もお姑さんが大好きで、いつも一緒に居たがります。
毎日長い時間、お姑さんと遊んでいます。
私の居場所がないような気持ちにもなり、その事で、息子に八つ当たりをしてしまった事もあります。
そして、こちらの記事を読み、私自身がとても手のかからない子で、
所謂「いい子」であった事を思い出しました。
そして、母の「怒り」をただのストレス発散と幼いながらもちゃんと認識していた事も。
私は息子に甘えているのに他なりません。
この接し方を続けると、息子は私のようになってしまうのでしょうか。
良くないことは分かっていても、上手く接することができません。
本当に苦しいです。
自分の生育歴を乗り越えて子供に関わっていくことはとても大変なことです。
でも、そこから自分を責めてたり、ネガティブに考えても子育てのプラスにはなりません。
その自分のあるところを否定するのではなく、それを含めて認めたところからこれからの子育てを組み立てていけばそれでいいと思います。
「イライラを減らす」「怒ることを減らす」と考えてそれをしようとするのは、実際難しいです。
そこから始めるてうまくいかないと、さらに自分を責めることになります。
イライラや怒ることはそのままでもいいので、プラスの部分を関わりのなかで作ることから始めていった方が、子育ての安定化はしやすいです。
プラスの部分というその内容は、「受容」や「先回りした関わり」などの過去記事を読むと感じがつかめるかと思います。
>現在お姑さんと同居しており、お姑さんがとても優しいので、息子は救われているとは思います。
この場合のおばあちゃんの存在は、まさに保険として機能しているでしょう。
その部分でも補いがあるのですから、そこはメリットです。それをみて自分を責めるように取ってしまうは、これからわた9さんが乗り越えていくべき課題でしょう。
子供にとって母親の存在とは本当に特別なものです。子供はそのことをよくわかっています。
ちょっとやそっとのことでその存在がかすむことはありませんから、もっと自分に自信をもっていいと思いますよ。
| 2014-09-21 | 相談 | Comment : 9 | トラックバック : 0 |
相談 寝転がるばかりで一人で遊べない(2歳) ー遊びの原動力ー - 2014.09.14 Sun
いつも更新楽しみにしています。
二歳女児の母です。
遊びの相談なのですが, 今更なのですが, 何をして遊んであげたらいいのかわからないのです。
二歳になり、近所の児童館的なところでは狭くなり、同じくらいの子もいないのであまり行かなくなりました。最近では友達の家くらいしか行きませんが、そう毎日お邪魔するわけにもいかず。そろそろ外遊びも丁度いい季節なのですが, 外でちょっと歩くとすぐ抱っこを求めてくるので何しに来たかわかりません。
というわけで家で二人でゴロゴロしている状態です。なんせ私は子供の遊びというのが苦手で、積み木を積むだけとか、ひたすらままごとでフライパン煽ってるとか、食べる真似してるとか…
自分でもレパートリーが少な過ぎてあきれます。 同じことを好む子供でさえ飽きてるようにみえます(´・_・`) 絵本はちょこちょこ読みます。テレビは私がどうしても手が離せない時しか時みせていません。手遊び、お絵かきも短いです。
それで、私が家事をしている時、こどもが自分で遊ぶということをしないのです。別に常に全力で遊べ!と思っているわけではないのですが、指チュッチュしてゴロゴロ寝ています。ママかまってくれないかなーオーラ全開です。 おもちゃ出して遊んでいいよ、というのですが、自力で遊ぶ力がないようにみえます。
児童館の先生は、遊び方を知らないから、一緒にやって教えてあげたらいいと言っていましたが、先に述べたように遊びベタの母のため教えられず、先に進まないというか手詰まりな感じです。
子供にとって指チュッチュしてゴロゴロしている時間がながいように感じます。 ぐうたらしているようにみえるのがちょっといやです。 こんなんだったら幼児教室に通う方がお互い成長するのかなとおもいます。 テレビ(いないいないばあ)を見せると, 踊ったり歌ったりたのしそうです。
おとーちゃんはむーちゃんが二歳ごろ一緒に家にいて、毎日何していましたか?
ワンワンに負けている母にアドバイスいただけませんでしょうか。
毎日親子で退屈です´д` ;
子供を遊べるようにするというのは、簡単でもあるし難しくもあることです。
アプローチの方法だってたくさんあります。
僕はこのコメントを読んで、とっさに浮かんだのはまったく正反対の対応のふたつでした。
ひとつは、
子供との遊びについての情報というのはたくさんあります。ネットでも本でもその気になって探せばいくらでも見つかりますので、ちょっと手を伸ばしてそれらの知識を仕入れてがんばって遊びの提供をしてみてはどうかという考え方。
もうひとつは、指をちゅっちゅしてごろごろしていても子供は育つものなんだという考え方。
たしかにこの先ちょっと幼かったり経験不足だったりというある種の後遺症はでるでしょう。でも、大元のところで家庭に居場所がありそこで安心してすごせる、また基礎的な大人への信頼感などが持てているのであれば、そういった幼さというものもあとから(基本的にはですが)どうにでもなる部分ではあるということ。
もちろん、それらの基礎的な部分にプラスして遊びがそれなりにできるということは大切ではありますが、でも家庭における安心感というものがあるのはそれなりのひとつの合格ラインではあるという考え方です。
言ってみれば、いろいろもがいてやってみればいいじゃないということと、まあそのままでもいけなくはないからおおらかに認めちゃってもいいじゃないというまったく反対のふたつの考え方が浮かんできました。
どちらがいいというものでも、こうしなさいというものでもありません。そういう考え方・とらえ方ができるというお話です。
ほかにも、その状態では依存が強まってしまうだろう、とか依存傾向がそういう姿を作り出してしまっているから、「依存」を生まないように過保護過干渉などには気をつけて、自信がつくような関わりをしてみるといいかもしれないというような具体的な話も思い浮かびはします。
ただ、そのあたりは過去記事や過去の相談で述べられていることなのでここで繰り返さなくてもいいでしょう。
どういう状況におかれているのか、どういう対応をとるのか、どうすれば子供によいのかを最終的に判断して決めるのは相談者さんご自身です。
なので僕からは「こうしなさい」ということには触れないで、ちょっと別の観点から子供の遊びについて述べたいと思います。
>指チュッチュしてゴロゴロ寝ています
保育園でもこういった子供がときどきいます。
遊びを知らない、遊び方を知らないということもあるのは確かにそうだと思いますが。これらの子供にはその前にもっと足りないものがあるように感じるのです。
それは本当に心から「楽しかった」と思える経験の蓄積だと思います。
子供は、大人とはちょっと違って同じことを何度も繰り返して遊びます。
なんども同じ本を読んでと持ってきたり、毎日毎日好きな同じ遊びばかりをしたり。こういうことは多くの人も実際に子供の姿のなかで見ていると思います。
なぜでしょう?
おそらくこういう子は、現在の目の前にある遊びそのものだけから楽しさを引き出しているのではなくて、自分のなかにすでにがっちりとできあがっている「楽しかった」という経験を同じことをすることによって再現していることにより大きな楽しみ・おもしろみを感じているのだと思います。
例えば、
「お母さんがすごく穏やかで優しいときにこの本をなんの邪魔もされずに一緒に最後まで読んでくれた経験がすごく楽しかった」
ということが過去にあって、子供はその経験をはっきりと鮮明に記憶しています。あったことだけでなくそのとき自分が感じた気持ちの部分、楽しかった、おもしろかった、安心していられた、向き合ってもらえてうれしかった、そんなことまでがインプットされた記憶を子供はもっています。
後日またその本を読んでもらうという経験を通して、子供はその過去の事実と気持ちの部分も含めて再生上映することができます。
ちょうど小さい頃の子供の姿を取ったホームビデオを大人が見るとそのとき感じていた気持ちまで思い起こすようなことに似ているでしょう。
だから子供は、遊びの再現性・繰り返すということをとても好みます。
何の変哲もないちょっとした遊びに、その子が過去に経験した楽しさおもしろさといった感情までが付随しているからです。
子供はこういったことを大人が忘れたあとでも鮮明に記憶しています。
それはある意味当然なのです。大人は「今の目の前の遊び」しか見ていなくても子供は常にその今の遊びを通して過去の経験を繰り返しているので、反復記憶になっているからです。
子供をよく観察していると、このような今の遊びを通して過去の経験を思い返す言動をしたりということは多くの子にひんぱんに見られます。
僕がこれまでにみたような、遊びの時間でも遊べずに指をチュッチュしているような子は、過去の経験・遊びが本当に楽しかったという原体験をあまり持っていなかったように感じます。
最近の子は想像力などを使って遊ぶよりも、刺激によって遊ばせられるというのに慣れてしまっているので、遊びがうまくない、刺激にばかり振り回されてしまうという子はそういったチュッチュの子でなくとも多くなっています。
こういったチュッチュの子も、やはり即時的な大きな刺激でならば遊ばせられます。
逆に言うと、そういった刺激でもないと、遊びに取り組むモチベーションがわかないということなのでしょう。
子供の「遊びの原動力」というのは、「本当に楽しかった」という幼少期の原体験によって支えられています。
遊びというのは自由さ・自発さというのが大切だとは思いますが、それらの根底にはやはり大人が向き合ってくれて安心した環境で心から楽しかったと感じられることがあってのちに生まれるのだと思います。
ただ、兄弟が多かったりすると大人がいちいちそれをしなくても、子供コミュニティでそれがなされてしまうケースもありますが、一人っ子が普通という現代ではそれはあまりあてにできないことでしょう。
遊びというのは、ひとつ好きなものがあればそこから派生してあとは子供自身がその遊びの世界を広げていくことは可能です。
そらさんが本当に苦手なものまで無理してやることはないと思います。
かく言う僕もさして遊びの相手がオールマイティーにうまいわけではありません。
「遊びのできるは求めない」という過去記事があったと思いますが、いちいち「積み木で遊べるようにしなければ」とか「ごっこ遊びができるようにしなければ」とか、「絵が描けなければ」、「友達とルールのある遊びがうまくできるように」などと「できること」は求めなくてもいいのです。
なにか一個でもそういった「あれは楽しかったまたしたい」と思えるような原体験を与えられればそれでいいです。
だからなんでもいいわけです。
子供と一緒に料理をして出汁の昆布を鍋に入れさせたり、味見をさせたり、一緒に床のぞうきんがけをしたり、掃除機を押す係にしたりなどと日常のなかでのことを一緒にすることで関わったり、
ベランダにゴザをひいてそこでお茶とぬか漬けを食べながら「やっぱり夏はいいねー」と子供とごろごろしたり、自分が楽しいと思うことを一緒にしてきました。
大人が子供とともに楽しめるのであれば、子供も大人と楽しんでいるでしょう。(大人だけが楽しんでいることにつきあわせるのは、たんに子供を振り回すだけだけどね)
「〇〇をしなければ」ということにこだわらず、一緒にたのしめることに巻き込んでしまえばそれでも子供は成長の足場を作っていけると思いますよ。
ただ、どうしてもそういうことも苦手な人もいますから、そういう場合はなんかの習い事に入れたりして外部でそういう世界を持たせるというのもひとつの手ではあるでしょう。
| 2014-09-14 | 相談 | Comment : 6 | トラックバック : 0 |
相談 「子供の泣きに負けてしまう」 ー依存とどう向き合うかー - 2014.09.07 Sun
不思議に思っていたのだけど、記事更新すると読者の方がリアルタイムにわかるようなやり方とかあるのですかね?
いくつか「はじめにお読みください」を更新日を未来にすることでブログ先頭記事にあげてはどうかというご提案をいただいているのですが、それをすると最新記事をUPしたときにPINGが発信されなくなってしまうそうです。それだと記事更新をお待ちくださっている熱心な読者の方にご不便をかけてしまうかと思って、「はじめにお読みください」を未来記事にしていない理由なんです。
今後もしこれ以上読者数が増えてしまったときなど必要があると感じれば、「はじめにお読みください」をいつでもトップにくるように未来記事にするかもわかりません。
今回の相談は「弱い大人」タイプの人が、子供の依存を強くしてしまうことから抜けられないというケースへの初歩的な対応策を書きました。これは相談者さんだけでなく、いまの子育てしている人のけっこうたくさんの人に参考になるのではないかと思います。
9月3日 たまちゃんさんの相談コメントへの返信
現在2歳1ヶ月と3ヶ月の息子の母親です。
上の子はまだ卒乳していません。人見知り、場所見知り激しく私か主人、時には主人でもだめで、私の姿が少しでも見えないと大泣きします。病院などで私からどうしても離れないといけない時などは、離れた時泣くものの、その後はすぐ泣き止み聞き分けよくおばあちゃんと過ごせているようです。
里帰りをした頃から、私とおっぱいへの執着というか依存は激しくなり、ご飯をちゃんと食べなくなりました。
ご飯の後にしようねと言っても泣いて泣いておっぱいをせがみまいけないことはいけないと一貫して言わなければと思い毅然とした態度で言ってますが、あまりに泣くため精神上よくないかもと思い根負けしてしまっています・・
このブログに会うまで、いけないことは優しく言うぐらいで叱るなんてことはほとんどしてきませんでした。ですが、下の子が産まれてからは、下の子の授乳を妨げたり、危ないことをした時などどうしても毅然と怒らなければいけない場面が出てきたこと、このブログからしてほしくないことは子供が泣いてでもさせない親の一貫した態度が必要だと言うことを学び、実践してますが、自分の怒り方でいいのか、迷います。本当に私は弱い大人です。。
息子が産まれてから外出出来るようになってからは毎日のように散歩をしたり起きてる時は一緒に遊んでいます。毎日大好き大好きといい、たくさん抱きしめ、かといって過保護にならないよう自分で出来ること、したいことは止めずにさせてきたつもりだったのですが、いいなりになってきたことが多いのも事実で、過保護過干渉になっていたのでは、それが私やおっぱいへの依存を強めた要因じゃないかと悩んでいます。
今特に悩んでいることが、食事よりおっぱいが主となっていることと、食事中座って食べれないということです。昼夜問わずおっぱい、おっぱいでぐずることが多く、息子は満たされてないのかなと悲しくなります。
受容、共感等続けていきながら、おっぱいではなくご飯を食べてほしいこと、座って食べることなど私がしてほしいことは泣かせてでも一貫して毅然と言い続けるべきなのでしょうか?ご飯が嫌にならないか心配で、強く言う日もあればそうじゃない日があってしまい一貫した態度を保てません。。
まとまりのない文章ですみません。どうすべきかアドバイスくだされば嬉しいです。よろしくお願いします。
「なぜ依存が強くなってしまっているか」という点を理解してそこを留意できるかどうかということが、いまの状況を安定させていくことにつながると感じます。
まずは「泣きに負けない強さ」でしょうか。
これは、目を怒らせて子供の主張を押し返すといった強さというよりも、子供が泣きによって自己主張をしてもそれによりおどおどしたり、どうしたらいいだろうと構えてしまうのではなく、おおらかにそれをいなせるというような大人の強さです。
「包容力」とでもいうものが近いでしょうか。
それによって子供の泣きそのものを受け止めてしまわないと、子供はそのように「大人を困らせる種類の自己主張」をどんどん募らせて行ってしまいます。
この「泣きに負けない強さ」=「おおらかさ」を姿勢として持って行くことがまず第一段階だと思います。
それを持っていたとしても、子供の出し方が即変わるということはないでしょう。これはあくまで姿勢であるからです。
その上で子供が自己主張なりをしてきたときに、それが気持ちよく受けられるならば受ける。気持ちよく受けられないことならばそれを無理して受けないという一貫した大人側の姿勢でもって対応していく。
この段階で受けられないという必要があって大人が強い態度を示すのならばそれはそれでいいのです。
でも、先ほどの第一段階の姿勢のないところでこれをいくらしても子供は拒絶反応を示すばかりです。
年齢的なものもあるし、下に生まれたことを考えればこういった甘えの強くなる姿というのは当然のものです。
でも、その甘えをよい出し方にするか、ネガティブな出し方にするかというのは大人の姿勢や対応によって変わってきてしまうでしょう。
「いいなり」や「泣きに負ける」ということを大人が繰り返していたら、子供の方もいつまでたってもよい出し方を身につけることはできずに、大人を困らせることを甘えを受け止めてもらうことの代償行為にしていってしまいます。
これを切り替えていくのは、「ネガティブな出し方を受けない」ということをまずしてしまうのではなく、「よい出し方に変えていく」ということを先にしていくべきです。
最初から子供のネガティブな出し方を否定しても、子供はそれにかわるなにものかをまだ獲得していなければ、「受容してもらえない」というマイナスの気持ちばかりを大きくしていってしまうからです。
受け止めない甘え Vol.2
このあたりの過去記事や、「素直な甘え」「かわいい甘え方」などで検索すると該当記事がでてくるでしょう。
もちろん「先回りした関わり」などで受け止めるということをしていくこともいいのですが、足りないのは「受容」そのものではなくて子供の姿をありのままに受け止めるという大人の方の姿勢にもあると思います。
>息子は満たされてないのかな
例えば、こういう大人の気持ちは子供に対する「負い目」となってしまいます。
その「負い目」は子供の依存を助長します。
こういうことは「弱い大人」タイプの人にありがちなのですが、このような気持ちをもっていると「受容」を心がけてそれを実践していても、それが子供のなかに「満たされた気持ち」としてなかなか貯まっていけません。
子供のことをプラスにとらえられないでいる気持ちを引きずってしまうと、子供の容れ物に穴が開いたような状態となってしまうのです。
なので、いくら大人の方が「受容」や「共感」を重ねても目に見える結果につながっていきにくくなってしまいます。
「これをしてもうまくいかないのではないか」「私が弱いから子供が安定していかないのだ」といった気持ちは、たとえそれが事実であってもそこに大人がとらわれてしまうと、子育てにおいてプラスの蓄積が難しいです。
大人がおどおどしていては、子供の姿を安定させていくのは難しいです。
失敗してもいいからと自信をもって臨むか、「どうしよう」「こうしなければ」「子供を〇〇にしなければ」といったことを気にして関わるのではなくて、ただありのままにそれを受けていくような「おおらかさ」というものがあるとすんなりといきやすくなります。
というわけで、
>座って食べることなど私がしてほしいことは泣かせてでも一貫して毅然と言い続けるべきなのでしょうか?
これをして子供にそれがよい形で通じて子供の姿が安定していくか、逆にネガティブな姿を増大させてしまうかというのは、それ以前の大人の姿勢に大きな要素があるのです。
ですから、まずは子供の自己主張を大きな包容力でもって、それがいい悪いどうしたらうまくいくかいかないかという視点抜きで、まるごと受け止める。
それにより自分の気持ちを揺らがせてしまうのではなくて、いまこの子はそういう時期であり心情であるから出ている成長の一過程の姿なのだと達観して認めてしまう。
それをどうするかはそのあとで慌てず考えればいいこと。
自分が大人として困る出し方をされたら、それをそのまま「子供のために」と無理して受けるのではなくかわいい出し方にして、大人も子供も気持ちよく受けられるようにかえてあげられる道筋を大人の方から示していく。
子供の姿を「満たされていないから」「受容がたりないから」などとネガティブにとらえない。そのようにとらえることは同時に、親自身の自己否定にもなっているので子育てにはプラスには働かない。
>昼夜問わずおっぱい、おっぱいでぐずることが多く、息子は満たされてないのかなと悲しくなります。
こう思えば思うほど依存は募ってしまうでしょう。
この3点をまずは気にとめて関わりを安定化させていけるとよいかと思います。
そのあとに出てくる実際の関わりのうまい下手というのは、それらに比べればさほど大きなことではありません。失敗しながら、試行錯誤しながらいろいろとやっていくなかでよい方法を見つけていけばいいことです。
子育てを「心配」で埋め尽くしてしまうのではなくて、ときには開き直ってしまうことも子育てのプラスに働くこともあります。
「おっぱいばかり飲ませてたらこの子のためにならないわ。食事をきちんととらせなければ」と思いながら、ご飯で半分おっぱいで半分づつおなかいっぱいにするのも、
「はいはい、おっぱいがいいんですね。じゃあ半分食べたしおっぱいでもいいか~」とおおらかに笑顔で受けて、ご飯半分おっぱい半分にするのと栄養的にはかわりませんね。
でも、子供が受ける気持ち的な部分はまったくといっていいほど違ってきます。
この前者のように自分がしていることを気持ちよく認められないというのも「弱い大人」の特徴です。
どうせやるのならば、おおらかにひらきなおって気持ちよくやってしまえばいいのです。
前者では子供はずっと満足を得られないままネガティブな行動を続けていくしかありません。
後者ならばたしかにいまは幼い姿をだしているかもしれませんが、先々に気持ちよく自立をさせていく展望を子供にもたせられます。
こういった大人の気持ちの部分も留意するといいかもしれませんね。
「どうせ同じことをするならば気持ちよく」です。
追記
食事中座って食べられないというのは、「あとからついてくる問題」だと感じます。
上記のことへの対応をしていけば、その後にはなにかすごい対応をしなくても普通に安定してくるのではないかと思いますよ。
| 2014-09-07 | 相談 | Comment : 2 | トラックバック : 0 |
相談 保育園では問題ないが家では困った姿が目立つ(2歳4ヶ月) - 2014.09.02 Tue
すみません順番がちょっと前後してしまいました。
いつもお世話になっております。
お父ちゃんさんのブログに出会い、くすぐりをする等少しずつ関わりを変化しているところです。
2歳4か月の女の子の母で、経済的な事情で娘が6か月の頃からずっとフルタイムで働いています。
今月末に出産を控えており、お盆休みと同時に産休に入っているため、最近は娘と家で過ごす時間が多いですが、家族構成は娘・夫(中学校教諭)・私(広告代理店の営業時事務)・(ともうすぐ下の子)で核家族、実家・義実家・親戚等、すべて遠く、普段は保育園(7時~19時)にお世話になって何とかやっている状況です。
夫は家事・育児共に協力的で、私が残業の日はごはん・お風呂・寝かしつけまでやってくれます。娘は夫を試したり、所有したがったりと、まるで我儘な恋人のように振る舞うことも多く、夫が休日出勤等でいなくなると、仕事だと何度も説明してから出かけるにもかかわらずベランダから泣きながら夫を呼び続けるなど(30分程度)、お父さん大好きっ子です。(私にも同様のことをすることもありますが、夫に対するものとはちょっと違うように感じています)
うちでの娘は、好き嫌いをして葉野菜を食べなかったり、思い通りにいかないと物を投げたり親を叩いたり、「やめてほしいな」とお願いすると「やめてほしいなじゃないの!」と怒鳴ったり…といった我の強い子なのですが、保育園では全く違うようで、自分からお友達を叩く等しないどころか、お友達に噛まれてもやり返さない、先生の言うことをよく理解して言うことを聞く、と言った感じで、主任先生からも「4月生まれということを除いても本当に発達の早い賢い子ですね」と言われています。
オムツは本人の「オムツでしたい」という強い希望で外せずにいますが、私自身はあまり気にしていません。(園では一日に数回連れて行くようですが、うちでは誘っても「行かない」と強くお断りされるので断念してしまっています)
うちと外で随分と様子が違うようなのですが、単なる甘えなのでしょうか?それとも、親の対応が下手で保育園のように上手に子育てできていないのでしょうか?夫とふたり、どうしたものかと悩んでいます。
多分に推測が入りますのでそのおつもりで参考までにどうぞ。
>うちと外で随分と様子が違うようなのですが、単なる甘えなのでしょうか?それとも、親の対応が下手で保育園のように上手に子育てできていないのでしょうか?
これは普通のことです。
むしろある意味では健全とすらいえます。
大人だって会社でビシッとしていたら、家ではだらっとしたりするのは誰しもありますよね。
子供もそれと同じです。
逆に、「家でいい子、外で問題児」の方がずっと根深いものがあることが多いです。
ここからは多分に推測になりますが、
>うちでの娘は、好き嫌いをして葉野菜を食べなかったり、思い通りにいかないと物を投げたり親を叩いたり、「やめてほしいな」とお願いすると「やめてほしいなじゃないの!」と怒鳴ったり…といった我の強い子なのですが
こういう姿はお母さんに対する一種の甘えの出し方なのだと感じます。
女の子と母親ですと、素直に自分の感情を出せずにこのようなひとつ角を曲がったような出し方をしてしまうことが往々にして見られます。いわゆるツンデレに近いですね。
その背景にあるのは、12時間にわたる保育時間ですからこの頑張りを認めて欲しいというものがまずあるでしょう。
「私はこんなにも頑張っているのだからそれをしっかりと認めてよ、お母さん!」という主張をネガティブな出し方を通してしているわけですね。
もうひとつは、お母さんにもっとおおらかに穏やかに過ごして、ありのままの自分を受け止めて認めて欲しいということなのだと感じます。
このあたりは過去記事の「全面肯定」というところが関連記事になります。検索するといくつか出てくると思います。
>うちと外で随分と様子が違うようなのですが、単なる甘えなのでしょうか?それとも、親の対応が下手で保育園のように上手に子育てできていないのでしょうか?夫とふたり、どうしたものかと悩んでいます。
この部分が、「家庭でも外と同じようにきちんとできるはずだ、きちんとできるように育てなければ」という気持ちが少しでもあっての問いなのならば、お子さんのメッセージはより先鋭化します。
つまり、「できない私であってもありのままの自分を受け入れてよ」という心理があるわけです。
「できること」に目を向けた育児になってしまうと、しばしば子供はこの心理状態に追い込まれていきます。
だから、わざわざ大人が気に入らないであろうという姿をだすことで、深いところでの「受容」と「肯定」を求めるという行動にでてしまうのです。
真面目な人、一生懸命に子育てしようとする人ほど、こういうことに直面してしまいがちです。
そこに留意して、大人の側の大きな包容力でもって、子供のネガティブな姿ごと受け止めてしまうような姿勢を出していくことで子供の姿を安定化していきやすくなります。
これらは大人の方の自信のなさや迷いなども拍車をかけてしまいます。
大人の方もいまの状態が「子育てがうまくいっていないのだ」とか、「長時間預けているから負担をかけてしまっているのだ」というようにネガティブにとらえるのではなく、誰しも当然出てくる成長の一過程だと思って長い目で、またおおらかに見ていくことが大切です。
「受容」「肯定」「認める」「温かい目で見守る」といったことの積み重ねでお子さんの姿は安定化していけるでしょう。
まずは、くすぐりなどでお互いが楽しいという経験を共有していってみるといいと思いますよ。
| 2014-09-02 | 相談 | Comment : 10 | トラックバック : 0 |
相談 自傷行為にどう対応したらいいのか?(1歳10ヶ月) - 2014.09.02 Tue
コメント欄にて返信したのですが、つぎに記事にしようと考えていたことと関連性があったのでこちらにもあげておきます。
以下に転載してある相談コメントは、僕の返信に対する再コメントになります。
最初のコメントに対しては、直前にあった
『相談 母親に噛みついてくる(1歳半) イニシアチブと気分バロメーターの話』こちらの記事と近い内容だったので、そちらへの誘導をしたため
「子供の様子にもよるのですが、自傷行為は他者を傷つける行為と変わりませんのでそれは明確に止めるべきことであると僕は考えています。 」
ということ以外はあまり述べていません。
ミカイデさんのコメントのあった記事は両方ともこちら
「成長期の対応に手を焼いている」
こちらの記事いまのところ55個コメントがついていますが、その一番下4つが相談と返信になっています。
返信ありがとうございました。お忙しい中でのお返事、大変ありがたく読ませていただきました。
ぺちぺちゴンゴンの自傷行為はやめさせるべきだ と断言頂いて、まずは安心しました。
その行為についてどう対応するのがいいのか調べたり聞いたりしてきたものの、受け流す や あたたく見守る や 放置する のが良い のようなことばかりで、ならば と試してみるものの、一向に改善することもなく、むしろひどくなる(放置は最悪でした)ばかりで、解決するどころかその道筋さえも分からなく、おでこをぶつけ続ける息子を前にしておろおろしたり、抱きしめながら こっちまで泣きたい気分になり実際泣いてしまったり、なんてこともありました。
かまってほしいからやるんだから、ほおっておけばいい、自然と学習してやめるから
というアドバイスも受けたことがあって でもそれをすると もっとひどくなるし、ますます止まらないし、なので泣き叫ぶ息子のおでこに手を添えてせめて床にぶつけないよう防いだり、抱きしめたり しているんですが(そうすると、多少どころかすごく時間がかかる時もありますが、落ち着いてくるから と思っても、どこかでそのアドバイスが引っかかって、ああこれで ますますかまってほしい気持ちを助長させてるんだな
と自責する感じでした。
そんな態度が、弱い大人だったり、曖昧な対応につながって、むしろそれで息子もネガティブな態度でしか示せなくなっていたのでしょう。ぺちぺちの手を止めて、しっかりと伝えてあげたいと思います。
イニシアチブ気分バロメーターの記事も読みました。
ぺちぺちゴンゴンがあまりにも続き、(時間的にも日数的にも回数的にも)実際うんざりしていたし、彼を受け止めきれないまま、やめようって伝えても伝わりませんものね
まだまだ母親一年生で、こちらのブログで勉強しながらの毎日で、わかっているようでも、実際は弱くなっていたり、言いなりの状態を作っていたりしたんだな、と振り返って、今日からは新たな気持ちで息子と向き合っていこうと思います
普段はとってもチャーミングな彼で、親子三人で笑いあったり、彼の宇宙語も大活躍なおしゃべりをしたり、お手伝いも頼まなくてもやってくれたりと、楽しいことのほうが断然多いです。
それも、おとーちゃんのおかげです。これからも、愛読して彼と一緒に成長していけるといいなと思っています。
追伸 コメントを頂く間に、くすぐり や 夜消灯後に寝付くまでに30っ分ほど満足いくまで二人でベッドで遊びじゃれをしたり、 じーーーーっを日中心がけてやってみたりしているうちに、ぺちぺちゴンゴンも少なくなってきたように感じてます!
>かまってほしいからやるんだから、ほおっておけばいい、自然と学習してやめるから
それで問題なく解決する程度のことであればいいのですが、場合によってはそういった対応が問題をこじらせてしまうこともあります。
世の中には、子供の姿を「大人から見て」問題のない状態にするというたぐいの子育てテクニックとでも言うものがあふれています。それなりの知名度のある育児関連の本などにもそういうものは多く見られます。
上記のものであれば、これは「疎外感」を利用して子供を大人の望む姿に改変しようという関わりのテクニックです。
それは子供の「成長を援助する」といった子育ての本質とは違う次元にあるものです。
全面的にそれらがよくないということもありませんが、現代の子育てでは「子育て=大人の望む姿にする」になってしまっていますので、あまり混同してしまうのは危険なこともあります。
ただこの言葉の前半は確かにその通りでもあります。
>かまってほしいからやるんだから
子供は適切に「かまってほしい」というサインをだしているわけですね。
なぜそのサインを出しているかと言えば、「大人が適切にかまっていないから」というのが現実なわけです。
それにたいして「ほうっておけばいい」というのはあまりに情のない回答です。
その言い方を借りれば、
「そこまでのことをしてかまって欲しいと言っているのだから、適切にかまわなければ」
ということが正解になるわけですね。
自傷行為は、僕は怒ってでも否定すべきだと考えているというのは以前にも述べました。
大人が自信を持ってそれができないでいると、そのネガティブな出し方のなかで子供は受容の代償行為を見いだしていってしまいます。
>なので泣き叫ぶ息子のおでこに手を添えてせめて床にぶつけないよう防いだり、抱きしめたり
コメントであるところの、こういうことを子供は自傷行為をすることによって大人から引き出しているわけです。
でも、誰しもがわかるようにこれは健全な関わり方ではありません。
ですから、不健全な関わり方を否定して、健全な関わりにかえる必要があるわけです。
前の返信コメントでも、先ほども「怒ってでも」と述べましたが、これは「あなたが大切だからそれはして欲しくないのだ」ということをしっかりと込めてきっちり伝えるべきことです。
別に怒らなくてもいいのですが、人が本気で全身全霊を込めて伝えようとしたら、ときに怒ったり泣いたりしてでも伝えようとするでしょう。そういった意味合いでの「怒ってでも」ということです。
「自分が大事に思えない」というのは、これは生きていく上での大大問題です。
しかし、いまはこの「自分が大事に思えない」を抱えたまま大人になっていく人というのがとても増えています。
「自分を大事に思える」ということを子供に伝えられるのは、まずもって親なわけです。
僕はこれまでに「自己肯定感」という言葉をたくさん使っていますが、この「自分を大事に思える」というのはその「自己肯定感」のさらに奥にある「自尊感情」というより基礎的な部分です。
いまお子さんはそれをこの時期にしっかりと持ちたいと願っているわけです。
そしてそれを与えられるのは親です。
なので、放置するとか無視するという選択肢はありえないことなのですね。
今の段階ならばいくらでもその穴埋めをすることは可能です。
無理をする必要はありませんが、お子さんが身をもって教えてくれたせっかくの機会ですからありのままを認めていくことで子育てを安定化していければいいと思います。
| 2014-09-02 | 相談 | Comment : 5 | トラックバック : 0 |
相談 目が合わない状態での声掛けについて(1歳3ヶ月) - 2014.08.29 Fri
いつも拝読させてもらい、とても参考にしています。
1歳3か月の1人息子がいます。
平日は保育所に9~18時ごろまで預けています。
体の発達とともに困ったこともするようになってきたけれど、
マイペースで元気、甘えんぼな可愛い男の子です。
むにむにさんの質問に便乗で質問させてください。
目が合わない状態で声をかけるのは効果はあまりないんでしょうか?
ほめる、叱る問わずなのですが。
こっちを見ていない時に「上手にできたね」「ごはんおいしいね」と言っても
聞こえてないかな~?というような無反応なときもあるので・・・。
特に叱るというのがあまり伝わってないように思います。
心を込めてダメなものはダメと伝えているつもり・・・なのですが、
声と表情だけだと息子は「にやっ」とするだけです。
(にやっとするときは目が合っています。関わりをもらうのが嬉しいのかな?
でもこっちは怒っているのでちょっとイラッとしてしまうことも;)
おもちゃや絵本を乱暴に扱ったり、ドアの開閉で遊んだりしているのを繰り返しているときは最終的に強く怒ります。
その際体を少し押さえつけるようにするのですが、
体を押さえつけられるのが嫌で激しく泣き出します。
私の怒りが伝わって悲しくて泣いているわけではなさそうです。
(体を離したら泣き止みます。また、おむつ替えの時腕を少し抑えたりするときと同様の泣き方です)
目を見て叱りたいのですが、いや~っと体をそらし目をつぶって泣き出すので、
あまり目が合いません・・・。
「ちゃんと目を見て!ママがお話してるでしょう!」と言ってこっちを向かせようとするのですが、
やっぱり体が崩れ落ちたりして向いてくれません。
遊んでいるときなどこっちを見てにこっと笑ってくれたり、
おもちゃを「どうぞ」としてくれたりするので、普段から目が合わないことはありません。
保育所通いで受容が十分でないと言われればそうかもしれませんが、
(夕食作りの間はずーっと台所のゲートの前で泣いています^^;)
出来る範囲で遊んだりくすぐったりぎゅーしたり笑いあったり、息子との時間を大事にしています。
「おいで~」と言ったら笑顔ではいはいして来てくれます。
すぐにどうこうなる問題ではないと思うので、お時間あるときにお返事いただけたら嬉しいです。
お返事を待っている間は、先回りの関わりで少しでも息子とのパイプがつながるよう
頑張りたいと思います(^^)
大きく分けて「目が合わない」にも二通りあります。
ひとつは弱い大人タイプの人がしてしまう「力のない言葉がけ」で、子供がその大人の言葉をスルーしてしまう場合。
遊んでいる最中にうしろから「ダメよそんなことしちゃ」「あぶないあぶない」などのように、大して本気ではない言葉を過干渉に重ねてきてしまったケースなどで、こういう姿は簡単にでてきます。
これはその言葉に、本気や、感情が抜けているために力のない言葉になっているので、子供には届かずスルーしてしまうので目も合いません。
もうひとつは、大人の関わり方が威圧的で子供がそれを受け止めたくない場合です。これは「強い大人」としての関わりに出てくるケースです。
ただこのケースにもいろいろあって、一概にいいとも悪いともいえるものではありません。
ひとつ目の「弱い大人」としてのケースなら、それは大人の方に改善すべき点があると言えるのですが、こちらはそう簡単ではありません。
例えば、普段大人がとても威圧的に関わる人で、子供が「もう威圧的に関わられるのはご免だ」と感じてそうなることもあれば、
大人がとても普段から過保護な関わりを重ねていて心が幼く育っており、ちょっとした大人の強い姿勢を示すことでもそれを受け入れられない。少しも大人は威圧的でないにもかかわらず、普段から過保護に守られているからそれを受け入れられないためにという子供の方の理由で、「威圧的」ととるようになってしまうものもあります。
↑は前者と後者がまったく違う性質なものだけど、姿が同じになっているということがわかりますね。
ほかにも、大人に対して信頼感を持てないために、強い関わりが受けいられなくなっているケース。
単に発達年齢に対するもの以上に大人が強い関わりをしてしまっているために、子供がその状況を避けているケース。これなどは大人の関わり方の問題ですね。
そのように、この大人の関わりから「目をそらす」というものには様々なケースがあります。↑ですらほんの一例です。
なので、そのときのゆかりさんの関わりが直すべきものなのか、そのままでいいのか、または受容などのそれ以前のところに改善すべきことがあるのかどうかというのは僕からはなんともわかりません。
個別の状況はあまりわからないので、一般論としての僕の子育ての方法のところから述べると、「寄り添った関係」というのを目指すのがいいだろうとは思います。
>おもちゃや絵本を乱暴に扱ったり、ドアの開閉で遊んだりしているのを繰り返しているときは最終的に強く怒ります。
してはならないことに対して、大人として毅然とした態度を取れるという点はいいと思います。
ただ、1歳3ヶ月の子に対して、
>その際体を少し押さえつけるようにするのですが、体を押さえつけられるのが嫌で激しく泣き出します。
これをして通じさせようとするよりも、プラスの関わりを意識することで大人の気持ちに反発するのではなく寄り添えるところを目指した方がいいだろうとは思うのです。
1歳3ヶ月ならばまだ十分それができるはずです。
このあたりは程度問題なので、しかとは言えないのですが。
僕の経験からすると、今の段階からそのようにやっきになって何が何でも伝えなければという姿勢を強く打ち出しすぎても、それは信頼関係を低下させる方にいって、結局は伝えたいことすら伝わらず信頼関係だけが下がっていくと言う事態にもなりかねないような気がします。
たいへん過保護でわがままに育ってしまった子などで、3歳以降になってそのように押さえつけてでも大人の強い意志をしっかりと示し、理解させることが必要という段階もあります。
でも、ゆかりさんの現状ではそれをいくらやっても子供はそこで伝えられたことを身につけず、ただ「お母さんから否定をされた」という事実だけが強くのこるのではないかと思うのです。
そのことは「親が寝かせよう寝かせようと目を吊り上げて子供に関わっても返って子供は寝ない」という現象にちょっと似ている気がします。
>目を見て叱りたいのですが、いや~っと体をそらし目をつぶって泣き出すので、
あまり目が合いません・・・。
「ちゃんと目を見て!ママがお話してるでしょう!」と言ってこっちを向かせようとするのですが、
やっぱり体が崩れ落ちたりして向いてくれません。
このあたりの様子というのは、完全に「お母さんに否定をされることがつらい」という姿であると感じます。
僕は解決の方向性としては、寄り添える関係をこれからも強化することで(受容、共感、認める)子供が大人からの「〇〇してはいけない」「〇〇しなさい」といった関わりを受け入れられる下地を作ることを第一として、その上で子供がそのことを受け入れられる頃合いの関わり方を模索してみることではないかと思います。
先ほども述べたようにこの種の姿は多岐にわたっていますので、本当にこれは一部の参考意見以上にはなりません、そのつもりで理解してください。
| 2014-08-29 | 相談 | Comment : 3 | トラックバック : 0 |
相談 母親に噛みついてくる(1歳半) イニシアチブと気分バロメーターの話 - 2014.08.26 Tue
8月9日 ぱんだるしあさんの相談コメントへの返信
はじめまして。子どもが生後5ヶ月の頃、こちらのブログに出会い、以降愛読させていただいています。
おかげさまで、心のパイプがつながっているとはこういうことなんだなぁと、実感することも多くなりました。ありがとうございます。
けれど、困っていることがひとつあって、ご相談させてください。お忙しいこと承知しておりますので、過去記事や皆さんのご相談を参考に何とかならないかと試行錯誤していたのですが、なかなか解決せず、相談コメントを書かせていただきました。すみません。
1歳半の女の子、1歳頃からでしょうか、私への噛み付きが頻繁なのです。父親にはたまにありますが、母親以外にはあまり噛み付きません。
0歳の頃から、授乳中に噛むことがありました。それとは別に、私とじゃれあっていて興奮して噛み付く、私が他のことをしているとかまって欲しくて噛み付く、何気なく甘えたくて噛み付く、そんなかんじです。様子としては、いかにも嬉しそうだったり、イライラして怒っていたりします。
目を見て真剣に「それは困る」と言うと、娘も真面目に理解してくれたように感じたこともあったので、噛むのはいけないとわかっているような気もします。それでもおさまりません。
噛んだら、部屋に一人残すという対処をしたこともありました。娘はギャン泣き、私が戻ると、嬉しくなってまた噛み付く、また一人にする・・・を繰り返し、私も娘も感情が高ぶってひどいことになったので、このやり方は失敗だったと懲りて、二度としていません。
「楽しくなっちゃったんだね、もっと遊びたいんだね、甘えたかったんだね」と受容してから、「やめて欲しい」と言うのもやさしくを心がけたこともあります。ただ、無防備なところいきなり噛まれると、私も痛いのが先になって、「イタイ!」と叫んだり、ゆとりがなくなって怒ってしまうこともあります。
現在は、噛み付きそうになったら、あごを押さえ抱きしめ、泣き出したら、その気持ちを受け止めてあげる(「抱っこ法」というやり方をネットで見つけました)ということもしてみています。
娘が私にぴったりくっついてきたときに、「そういう甘え方のほうがずっといいよ~」と素直な甘え方を教えたりして、これは少し効果があったような、うっすらとした手ごたえがあるような気がします。ありがとうございます。
最近では噛む以外に、強く引っかく、叩くこともたまに出てきました。
引っかくのは、飼い猫と遊ぶことがあり、娘も加減なく猫をたたいたり引っ張ったりつねったりするので、反撃にあうこともあり、その影響かなと思ったりします。
娘にとっては引っかくことも、遊びや、親愛の情の表現になっているように感じます。イライラの発散法としての面もあるようですけれど。
つまり、嬉しい・楽しい・愛しているの表現も、イヤだ・イライラする・怒っているの表現も、どちらも噛んだり引っかいたりになってしまっているのかもしれません。
保育園などには行かず、専業主婦の私と、一日中のんびり過ごしています。ただ、24時間いっしょにいると、私が煮詰まってしまうことも否めません。一人遊びも、まだまだわずかな時間しか続かず、後追いもあって常に私にまつわりついています。
授乳も頻繁で、父親のいる休日などは長時間飲まずにいられるのですが、私といるとどうしても飲みたくなるようです。夜間断乳を考えたこともありましたが、実行にはいたっていません。
テレビはなるべく見せないようにはしていますが、私もリラックスしたくてテレビをつけたり、短時間ですがたまにいっしょに見たりしてしまいます。また、0歳の頃から、同居の祖母の部屋で、相撲を見せてしまっていました。考えてみれば、相撲は格闘技なのに、暴力という認識がなかったです…。
子どもの性格としては、じっくり観察して自分が納得してから動くというタイプ、歩き出すのも遅かったかなりの慎重派です。現在、人見知り、場所見知りが強いです。一ヶ月ほど前から成長期も始まってきたのか、イヤイヤと自己主張することも増えました。人の気持ちにも敏感で、私に寄り添ってくれる場面もあります。
私としては、過保護過干渉には気をつけてきたつもりです。ただどちらかといえば、いいなり気味なところがあるかもしれません。
言葉が出てくれは、収まるのではないかと、成長を待っていた面もあります。最近では、ずいぶんいろんな言葉を覚え、「のむ、よむ、のる、とる、だっこ」など、自分の要望も表せるようになってきました。それでも噛み付きがあるので、言葉待ちだった私としては、ちょっと行き詰ってしまいました。また、歯が生えてきていることも、噛み付きの原因かとも思います。
それ以前の受容として、くすぐったり、いっしょに遊んだり、表情を豊かにしたり、地道にやっています。噛んだとき以外の場面では、共感したり、笑いあったり、認めたり、褒めたり(「そうしてくれると助かるよー」とか)全面肯定を心がけているつもりなのですが。
このような対応をしつつ、さらなる成長を待つということでいいのでしょうか。それとも他になんらかの関わり方があるでしょうか。ご教示いただけたら幸いです。
すでにお読みかとは思いますが、こちらに関連記事があります。ただ、今回のご相談にはドンピシャリというわけではありませんね。
そういわけで、ここでは『イニシアチブと気分バロメーターの話』をしたいと思います。
このことは噛みつきだけでなく、通常の子育てにおいても大きく関わってくることですので、多くの方の参考になるかと。
・気分バロメーター
立派な図を作る技術も能力も時間もないので、おおざっぱな図で申し訳ありません。
① ~~~~~~~~~~~~~~~~
② ――――――――――――――――
③ ================
これは大人の方の気分です。相関関係は上下にあるイメージで。
①良い機嫌、楽しさをまとった雰囲気 ②良くも悪くもないフラットな感情の位置 ③子供に対してうんざりしていたり、怒っていたりというネガティブな雰囲気
僕はこれまでにも「メリハリ」「毅然とした態度」ということを言っていますが、子供へ気持ちを伝えるときには「気分の差」というものがあって伝わります。
普段の気分が①の位置にいる人は、して欲しくないことや怒ったときなど①の位置から②の位置までもしくはより強く伝えるときは③の位置までの気分の落差がありますので、その気持ちのギャップが起こったことで子供はそれを聞くべきことだと受け止めやすいです。
怒ったり叱ったりしているのに、親の位置が①にいるのか②にいるのか③にいるのか子供がはっきりとわからないようでは、それは伝わりません。
子供は大人が機嫌良く過ごしているとそれが直接子供とは関係ないことであっても、自分は「ここにいてよい」「受け入れられている」「認められている」という感覚をもてます。
しかし、いつも③の位置に大人の感情があると、子供はその大人にこころよく受け止めてもらっていないのではないかと感じてしまいます。これは理由が子供になくてすらそうです。
その意識は、子供に現状に安心感をもてなくなってさせてしまいます。
②の位置は子供に対してネガティブな感情をむけていないのだから、そうそう悪くもないのではないかと感じられますが、子供は大人からの保護を欲するという気持ちがありますので、実は積極的にポジティブな感情を向けていないこの②の位置も、子供は安心感を持てず、不安・不満を覚えるのです。
ぱんだるしあさんは
>ただどちらかといえば、いいなり気味なところがあるかもしれません。
とおっしゃっています。
この「いいなり」気味の状態というのは、親が明確に親の位置と親のとる一貫した行動、子供の取るべき行動、というのを曖昧にしてしまいます。
それゆえに「いいなり」は子供に安心感を持てない、不安・不満という心理を呼び起こしてしまいます。
>「楽しくなっちゃったんだね、もっと遊びたいんだね、甘えたかったんだね」と受容してから、「やめて欲しい」と言うのもやさしくを心がけたこともあります。ただ、無防備なところいきなり噛まれると、私も痛いのが先になって、「イタイ!」と叫んだり、ゆとりがなくなって怒ってしまうこともあります。
この対応ですが、この前半部分には「曖昧さ」があります。
「噛む」というのは本当に困った事態なはずです。だからこそこのように相談もしてきているのでしょう。
>「楽しくなっちゃったんだね、もっと遊びたいんだね、甘えたかったんだね」
このように受けていたら、子供はそれが本当に否定されていることなのか、そこそこ許容されていることなのか判断つきにくく混乱してしまいます。
こういうときはすべきでないことなのですから、とことん否定してした方が子供のためなのです。
曖昧に対応されていると、子供は取るべき行動の判断がつかず、なんどもすべきでないことを繰り返して、受け入れられない行動をとり続けることになっています。
ウィキペディアの編集画面を開くと「曖昧さ回避にご協力ください」ということが書かれています。
適切な事実を伝えるために、中途半端な表現をして読み手に誤解をさせないようにということだと思います。
子育てのこういった場面でも「曖昧さ回避」は大事なことです。
「弱い大人」タイプの人、「いいなり」になってしまうような人、関わりに自信の持てない人はついつい曖昧になってしまいます。
噛まれるのが大人でも、嫌なことなら嫌というのが誠実さというものです。
自信を持って、しっかり気持ちを込めて「やめて」「しないで」と言い放っていいのです。
そういった「曖昧さ」を抱えている人は、先ほどの図の気持ちのありかが子供からして「曖昧」になってしまいます。
①にいてくれればわかりやすいですが、③にいるのか②にいるのか、①に近い②なのか③に近い②なのか・・・子供は安心感を持てずに不安・不満を感じて生活することになります。
最近の相談への返信ではたびたび「イニシアチブ」に触れていますが、大人が子供に対して「イニシアチブ」を示せないのも、混乱を招き安心感を欠き不安不満を持たせることにつながります。
大人の側の「イニシアチブ」が明確でない関係では、この大人を叩く・噛みつくといった行動がとても出やすいです。
そういう状況にある子は、その不安・不満を情緒の不安定というかたちで出してしまいます。
また、そういう曖昧な親にたいして「①の位置に返ってきて」というメッセージを送らなければなりません。
すると、この年齢の子供は親に対して叩いたり、噛んだりという行動につながります。
残念なことにこのメッセージの送り方では、大人は①の位置に来てはくれないのですが、子供にはそのような伝え方しかできないので、それを続けることになります。
僕は「子供を否定しないで育てましょう」と確かに言っています。
でも、「子供が否定すべきことをしたときにも否定をしてはよくありません」と言う意味では言っていませんね。
そのように言えばどなたでもおわかりになるとおもいますが、子育てに自信のない人はついついそこまで混同してしまいます。
子供が熱いヤカンに触ろうとしたら、親なら誰しも止めますね。
もう少し大きくならなければそういう場面はないかもしれませんが、子供がはさみやカッターを持って他の子を叩こうとしたらとめますね。
それらは「否定すべきこと」だから、当然誰しもが否定するわけです。
ここでの噛みつきもそれらと変わりません。
大人が自信を持って毅然と否定していいことなのです。
そこをしきれない大人の曖昧さ、弱さが、こういった子供の困った行動の遠因ともなり、同時にそれらの行動を助長もしてしまいます。
よしんば、子供がなんらかの満たされない状態にあって、噛みつきがでるのもやむを得ない状態だったとしましょう。
しかし、それでも止めなければならないことはかわりません。
否定すべきことは否定した上で、別の受け入れられるかたちに変えてそこを受けなければならないからです。
そういうわけで、
・「曖昧さ回避」
・大人が①の位置に、つまりおおらか、ゆったりとした気分を伝わりやすいかたちで日々持って過ごす
・子供に対してイニシアチブと自信を持って関わっていく
このあたりのことに気をつけてみるといいのではないでしょうか。
追記
②の位置というのは、普段①にいる人の②は①に近い②になりますから、それでも子供は不安を感じるほどではありません。しかし、普段③にいる人の②は子供には③に近い②ですので、安心感をもてなかったり不安を感じる②になってしまいます。
同じ②の笑いもしない、かといって怒ってもいないという状態なのだけど、その人の性質によって子供にはずいぶんと変わってとらえられてしまうようです。
| 2014-08-26 | 相談 | Comment : 7 | トラックバック : 0 |
相談 園で午睡時ふざけてしまう。満たされていない?(4歳) - 2014.08.23 Sat
8ヶ月から保育園へ通っている息子は先日4歳になり、なんだかここ数か月、気分の上がり下がりが激しくて参ってしまっています。
気に入らないことがあると、すぐワー!っと泣いてこちらの話が聞けなくなっています。
普段話すトーンで語りかけても、全く耳に入っていないようで、最後には
大きな声で怒ってしまいます。
くすぐりや、ぎゅーっとしたり、かわいいかわいいしたり、誉めたり、可能な限りやっていますが、息子には足りていないということなのでしょうか。。
保育園では、基本的なことはきちんとしているようなのですが、
お昼寝の時なかなか寝ないようで(これは保育園入りたての頃からですが)おふざけをしてしまうようです。色々な先生に叱られているようです。
息子にお昼寝のことをきくと、「分からない。。怒られて眠れない。。」
といいます。
叱られると余計ふざけてしまい、悪循環になっていると思われます。
ただ、眠れなくてもお布団でおとなしくしておかなければいけないので
叱られても仕方ないのですが、何か家での関わりや言葉かけなどで
お昼寝の時間をもう少し穏やかなものにできないものでしょうか?
家でもそうなのですが、私が怒るような言葉を使うととたんに
「ヤダ!しないもーん!」とか、泣いたり、こちらの要求を耳にいれてくれません。
あと、最近の気になる行動なのですが、遠くから私に向かって猛ダッシュで走ってドーンとぶつかってくる、というようなことをするようになりました。
保育園の帰りに多いですが、気に入らないことがあると、これまた猛ダッシュで「キー!」とすごい顔で、私に突進してきます。
本当に痛いので息子には痛いということを伝えてはいます。
こういう行動は何か満たされなさからくるものなのでしょうか。
元々、とても落ち着きのない子で、周りの全てのものが気になるようで
いつも動いているイメージです。
いつも動いていて、次から次へコロコロ行動が変わるので、私もつい行動を制止したり指示するような言葉が多くなっているなと自覚してはいます。その反動なのでしょうか。
息子は、恥ずかしがり屋ですが、よく喋り、泣いていない時はお話をよく聞いてくれます。
「ママ大好き!」とか「ママ、ありがとう!」とか可愛いことも言ってくれています。
ですが、この泣いたりしたときの行動が激しすぎて、何か発達の問題があるのかと思いながら、今まできました。
最近の保育園でのお昼寝しない時のおふざけも、何か本人の中にある
甘えたいとか相手にしてほしいとかというサインなのか、
それともただの悪ふざけなのか。。分からなくて悶々としています。
保育園では、先生からマイナスイメージの報告ばかり受けるので、私も先生とお話しするのが少し億劫になりつつあります。
軽く流せばいいのでしょうけれど難しいです。
この相談は、
・園での午睡時静かに入眠するためにどうしたらよいか?
・全般的な姿から子供の姿が満たされていないのではないか?
という2点がポイントになっているようです。
こういった姿というのは、様々な理由からでることがあり一概には言えません。
満たされていないということがあるのかもしれませんし、はるママさんも懸念しているようになんらかの発達上の問題があるのかもしれませんし、過保護・過干渉などの問題があるのかもしれませんし、単に成長の過程の一時的な姿なのかもしれません。それ以外のこともあるかもしれませんし、それらがちょっとずつ複合的に原因となっているのかもしれません。
僕からはそれを正確に判断することはできません。ですから推測で補って感じたところを述べていきます。少しは関係のあることを言えるかもしれませんし、全然見当違いのことを言うかもしれません、適当と思われるところだけご自身で判断して取捨選択して参考程度にお読みください。
まず、以前に寄せられた相談コメントから感じるのははるママさん自身かなり心配が強いタイプの人だということが言えると思います。
親なので子供を心配するのは当然ですがそれもあまり多くまた長期にわたると、子供をつねに心配の目線で見ていると言うことになります。そのことは、子供からすると「自分にはなにか足りない」思われていると感じ続けることになってしまいます。それは日々の安心して過ごすという子供の情緒にマイナスに働きかけますので、落ち着かない行動というのが増えることにつながります。
(このあたりについては、「子供は欠如体ではない」の過去記事や、「全面肯定」での検索して関連の記事が参考になるでしょう。)
4歳というのは、精神的な自立が一段と進みそれの確立期に入り始めるころです。
このときに、自分に対する「自己肯定感」、「自信」というものが足りなくなっていると、そのギャップ・葛藤にイライラを生みます。そのため、この頃には
>気に入らないことがあると、すぐワー!っと泣いてこちらの話が聞けなくなっています。
>普段話すトーンで語りかけても、全く耳に入っていないようで
>叱られると余計ふざけてしまい
>保育園の帰りに多いですが、気に入らないことがあると、これまた猛ダッシュで「キー!」とすごい顔で、私に突進してきます。
このようなことが起こり得ます。
「満たされていない」ということがあるかどうかはわかりませんが、僕はむしろ「満たされていない」というよりも、この「自己肯定感」「自信」の問題、そして「心配」というマイナス目線での気持ちから来る「過干渉」というものが、いまの姿の大きな原因となっているような印象を受けます。
また、午睡についての悩みの部分でもそうですが、はるママさんのお子さんへのアプローチが、「子供に正しい姿をださせるためにどうにかしよう」という方向性のものになってしまっています。
こういった方向性も、「過干渉」と「子供を信用することから遠のく」という影響を与えます。
(『言葉を使う』、『続『目が合わない、受容してこなかった』(1歳9ヶ月)むにむにさんスレ』このあたりが参考になるかと)
子供に対する視点の問題や、自己肯定感を与えるといった前段階をすっとばして、子供に「あるべき姿」だけを要求してしまうようなことはしばしば子育ての迷走を生み出します。
いまはお子さんにあるべき姿をあてはめようとするアプローチは置いておいて、自信をつけたり、共感したり、あるがままを認めたりということをしてみるといいと感じます。
また、「子供が満たされていないのではないか」という心配の気持ちは子供に関わる際の、はるママさんの自信を低下させる可能性があります。
満たされていないと感じるのであるならば、その心配を満たす行動に切り替えることでふっきる。これまでそれなりにでも満たし来たと感じるのであれば、そこに自信を持ってその心配をふっきることが良い結果につながるのではないかと思います。
その上で、子供の関わりにおいてのイニシアチブを大人の側がもつことで、子供の情緒の安定に寄与できます。
具体的には、
>保育園の帰りに多いですが、気に入らないことがあると、これまた猛ダッシュで「キー!」とすごい顔で、私に突進してきます
こういった親に向ける攻撃的な行動などが減る方向にいけるでしょう。
まず、取り組むべきことは「正しい姿を子供に持たせよう」という関わりではなく、あるがままを認めるという「全面肯定」のアプローチだと思います。
それがないままに、いつまでも「我が子は〇〇足りない」という意識の積み重ねばかりされていたら。
>家でもそうなのですが、私が怒るような言葉を使うととたんに 「ヤダ!しないもーん!」とか、泣いたり、こちらの要求を耳にいれてくれません。
当然、こういった姿が募ります。
4歳ですから大人のいっている理屈や正論はかなり理解しているはずです。
でもできないのは、「親が自分をプラスの方向で受け止めていない」ということに対して「自分を受け止めてくれよーー」という心からの強い欲求であると思います。
「正しい姿」を押しつけずとも、子供は自分が認められていると感じれば自分から望まれる姿をだしていけるものです。
午睡に関しても、そういった積み重ねからくる枝葉の問題にすぎません。
自分に対する自信が持てることで、前の記事で言うところの「安心感」や「達成感」というものが充足して結果的に入眠しやすくなるのではなかと思います。
>先生からマイナスイメージの報告ばかり受けるので
ということは園ではあまり子供の自信をつけてくれるようなアプローチを期待できないかもしれませんので、家庭で全面肯定、自信をつける、共感を増やすということを特に意識して取り組んでみるといいのではないでしょうか。
子供は世の中のほかの誰が認めてくれなくても、母親が認めてくれさえすればそれでなんとかやっていけるものです。
でも、世の中の人が認めてくれても親が認めてくれないというのは本当の自信にはなかなかなれません。
それだけ母親の存在というのは子供にとって心待ちにしているものですから、母親からであれば少しのアプローチでも子供には大きく響いていけると思います。
全面肯定の仕方については過去記事や関連するところが複数ありますので検索してみてください。
| 2014-08-23 | 相談 | Comment : 14 | トラックバック : 0 |
相談 夜寝ようとしないので昼寝をやめるべきか? 追記あり2014/08/22 - 2014.08.22 Fri
なんか勘違いをしている人がいるようなので補足 (8月22日)
最近、息子が夜寝るのが遅くなってきました。21時前後には寝ていたのですが、ここ最近は1時間〜2時間は『お茶を飲んでくる』を繰り返したり、歌を歌ったり踊ろうとしたりして、なかなか寝てくれません。歯磨きをして、お布団へ行き、少し遊んだり、絵本を読むというのをしていたのですが、最近は絵本を自分で読むのだと、私に読ませてくれなくなりました。『寝ようか』と言う言葉で「寝ないー!」と泣き出してしまうこともあります。息子はほぼ毎日、昼寝をするのですが、大体13時〜15時頃までです。昼寝も基本嫌がりますが、昼寝は10分ほどで寝ています。起きる時間は7時〜7時半です。友人に2歳にもなって、昼寝の時間が長い、もしくは、もう、させないべきでは?とアドバイスされたのですが、息子は昼寝をしない日に限って夜泣きをする気がします。昼寝は何歳まで必要でしょうか?また、年齢に応じて、短くするべきでしょうか?
朝起きる時間が遅いでしょうか?出来るだけ生活を整えてあげたいのですが、なかなか寝てくれず、困っています。急ぎではありませんので、お時間がある時に教えて頂けると嬉しいです。
睡眠に関してはずいぶん昔の記事ですが、基本的なことを書いた記事があります。
楽しい子育てのために その4 「睡眠について」
↑こことその次の記事ですが、睡眠関連はほかにもけっこうありますので気になる方は「睡眠」などで検索すると記事が引っかかると思います。
睡眠というのはひじょうに個人差の大きいモノです。なので一概には言えません。
僕の書いているようなことが当てはまる子もいればちっとも当てはまらないという子もいることでしょう。
ですが、基本的なラインは上の記事にあることでだいたいはいいのではないかと感じます。
この相談では、昼寝との相関関係が出ていますので、この記事ではそこを中心に僕の考えを述べていきたいと思います。
保育園で保護者向けにアンケートをとると、必ずと言っていいほどあがってくるのが、
「もっと勉強をさせてほしい」というのと、「夜寝ないので昼寝をしないように(短く)して欲しい」
というものです。
僕はこの「昼寝をするから夜寝ようとしないのだ」という考え方は、かなり素人的な考え方であると思っています。
特に僕が勤めていたような過密した保育条件のところではそうです。
僕は子供には「眠る力」とでもいうものがあると考えています。
この「眠る力」は大人がサポートして高めていってあげるようなたぐいのものです。
「睡眠の習慣」というものにも近いですがそれだけではなく、それプラスやっぱり子供自身が獲得する能力という部分があると思っています。
この保育園の保護者からの要望で「昼寝をさせるな」といっているケースのその多くは、過去記事で紹介しているような
「安心感」「満足感」「達成感」というものがきちんと得られていない子で起こっています。
その多くが「昼寝をするから夜に寝ない」わけではないのです。
この3つの要素を大人が満たせるような、生活のあり方や関わり方ができていないために、子供は一日を終わらすことに納得ができないわけです。
もし、保育園のこれらの子供が、この3つの要素を満たした上でも寝ないというのであれば、そのときは活動量と体力の相関関係であるとか、なんらかの別の原因、その子の睡眠の個性の部分を考慮して、それから最後に昼寝の時間というものを調節してみるというのが妥当だと僕は考えています。
僕が勤めていたような密度の濃い保育園では、まず日中の活動量が足りないということがそもそもなかったのです。
ほとんどの子が最低8時間からの保育時間で、長い子になると11時間を超えています。
またクラスの人数も多いです。その分どうしたって疲れます。
そういう状態では、相当に動くことを好まない子であったとしても、活動量が足りなくなることはありません。
家庭にいる子ではこのあたりが変わってきますので、一概に言えない部分が大きくなります。
あるとき新人の保育士に聞かれたことがあります。
そのクラスは午睡のときに落ち着かず、すんなりと入眠できない子の多いクラスでした。
「なんでこの子たちはお昼寝できないんでしょうね?」そのように聞かれました。
「その寝ない子たちをよく見てみたら、満たされない子順になってるから見てごらん」そのように伝えると、あまりにもその通りなので驚いていました。
子供は満たされないとてきめんに眠りを嫌がるようになってしまいます。
それでもその子どもたちから昼寝を奪えば、家庭に帰って夜寝るようにはなるでしょう。
でもそれは、眠れる条件が整って眠りに入るようになったわけではなくて、体力が持たないために眠り込んでしまうというだけです。
親からすれば、それで楽ちんシメシメと感じてしまうかもしれませんが、それは子供の心身の成長にとって本当は望ましいことではありません。
ついでにいうと、もしそういった子供から保育園での午睡を奪ったとしたら、疲れや情緒の安定をかくことから他児とのトラブルや、事故というものが確実に増えていくことでしょう。
前置きが長くなってしまいましたが、相談者さんのケースもまずは「安心感」「満足感」「達成感」この3点に留意して見るべきだと思います。
それにできる範囲でいいから配慮をしていくことで、安心して入眠できるようになっていけるのではないかと思います。
おそらくは妊娠で不安になっていることなどもあって、よりそういう気持ちが増してしまうのでしょう。
子供は、お母さんがその他の家事をしていない入眠前の時間をお母さんを独り占めできる時間だと、往々にして感じています。なので、午睡前に少しでもお母さんに向き合って欲しいという気持ちから、寝るのを引き延ばそうとします。
そのときに、母親の方が、「早く寝てもらわないと困るわ」、「早く寝かせなければ」という気持ちでいると、そのお母さんに向き合ってもらっている際の満足感というのはなかなかたまりません。
ですから母親の方も、できるだけゆったりした気持ちで向き合ってあげられるといいでしょう。
また、「先回りした関わり」の方法で、入眠の前の段階で大人の側から関わってあげることで満足感を高めておくということもいい影響につながるかもしれません。
そーままさんの場合は、ひとつ前の記事に書いたような「しっかり関わったという自信を持つことで、イニシアチブを持てる態度で子供に臨む」ということも有効かもしれません。
以下補足部分
何人かの方がそうは言っても保育園の午睡時間が長すぎるところがあるだろうといった意見を寄せられています。
たしかにそういうところもあると思います。
が、ここはそーままさんの個別の相談への返信をのせているところです。
相談のコメントに
>大体13時〜15時頃までです。
と明記されているので、2歳で2時間前後ならば、生活状況にもよりますが長すぎるということもないでしょう。特にいまは夏場ですし。
>、息子は昼寝をしない日に限って夜泣きをする気がします。
ということも書かれていますので、午睡がそれなりに必要な状態であることはあきらかです。
ですので、ここでは当然ながら午睡時間が長すぎることによる弊害ということを考慮することはないという判断で話を進めています。
また、子供への気持ち的な部分でのアドバイスが中心になったのは、そーままさんのこれまでの相談コメントの経緯もあったためです。
保育園のなかには子供の生活リズムへの配慮もないまま、ただ午睡時間を長く取ってしまっているところもたしかにあります。そういったところに預けてしまっている人は当然そのような疑問をお持ちになることでしょう。
記事中でも一応
>もし、保育園のこれらの子供が、この3つの要素を満たした上でも寝ないというのであれば、そのときは活動量と体力の相関関係であるとか、なんらかの別の原因、その子の睡眠の個性の部分を考慮して、それから最後に昼寝の時間というものを調節してみるというのが妥当だと僕は考えています
と記載していますが、僕がこの意見を述べているところの出発点は、当然のこと「子供の生活リズムを考慮しないほど無自覚に長い午睡時間をとっている保育」というところではすでにないのです。
ご自身が通われている園がそのように長い午睡時間を取られて困っているというのであれば、そちらのほうに話を聞くなり、意見なりとして出していくのがよろしいのではないでしょうか。
誤解された上に感情的な意見を向けられるのは僕としてももやもやしますので、補足して追記します。
追記
睡眠の過去記事を読み返してみたら、最近の僕が睡眠について述べている言い方と若干違っていました。
過去記事では ①生活リズム②安心感③満足感 の3つをあげていますが、
最近ではよりわかりやすくするために
「生活リズム」は前提として別枠で考えて、 入眠できるためのの3要素として 「安心感」 「満足感」 「達成感」 と伝えるようにしています。
過去記事では、「満足感」というのは「なにかしたという達成感のことですよ」といってしまっていますが、
現在ではこの「満足感」というのは「満たす」で使っている方の「満足」のことを指すようにしています。
過去記事ではそういった「満たす」を「安心感」の方に含めていってしまっておりますが、この方がより適切であると思いますのでここで訂正したいと思います。。
おまけ
大人が「寝かせよう」と思って子供の相手をしてても子供は、満足感・安心感がたまらないので、結局ずるずると寝られません。
「寝かせなければ」という意識でいると、そこには大人の焦りやイライラがでてしまうからです。
毎日のイライラがたまっていればそれこそ、「目をつり上げて寝かせようと子供の相手をしている」なんてことも少なくありません。
これでは、いくら子供に向き合っていると大人が思っていても、子供の安心にも満足にもなりませんよね。
なので、「寝かせようとするために」満たそうとするのではなくて、ゆったりと今日一日あったことをお互い話したり、少しの間でも向き合って遊んだり、「明日こんなことしようね」と話して今日の満足から明日への期待につなげてあげたり、そのようにただ純粋に子供との時間を楽しむくらいの気持ちで関わってあげるといいのではないかと思います。
| 2014-08-22 | 相談 | Comment : 29 | トラックバック : 0 |
4歳女児 素直に大人に従えなくなっている - 2014.08.19 Tue
4歳1歳の二児の母親です。
幼稚園の年少の4歳の娘は幼稚園では給食やお弁当は常に完食、自分のことはきちんと自分でやるし何事にも全力で頑張ってるので家でいっぱい褒めてあげてくださいと先生に言われます。
でも家では正反対で、着替えも食事も全部親任せ。下の子もいるし、幼稚園で頑張ってる分甘えたい気持ちも分かるのでこれくらいならまだ分かります。
でも、食事中何度言っても椅子に足を上げたり肘をついたり、茶碗を持たずぼろぼろこぼして食べたりします。他にもいろいろ。
私なりに「~しようね」と言うのですが何度言ってもやるので最後には怒ってしまいます。
それから娘は、怒り口調で話すことがとても多いです。
これに対してもおとうちゃんさんのブログを参考に素直に甘えるように促し、その時は多少なりとも理解してくれるのですが、これも食事の時と一緒でまた同じことの繰り返しでなかなかうまくいきません。特に小さい頃から何でもはいはいと言うことを聞いてくれた祖母に対しては一番きつくあたります。
家は主人の両親と同居していて初孫のため、祖父母が甘やかす分私が厳しく接しなければならないところもありましたが、ハグやくすぐりなど愛情表現はたくさんしてきたつもりです。
下の子に比べて赤ちゃんの頃から愛想のある子供ではなかったのでもともとの性格もあると思いますが、根は感動やでとても優しい子です。
それから、これは幼稚園に行く以前からあったことなので幼稚園でのストレスを家で発散してるとは考えにくいです。幼稚園も嫌がることなく楽しく行っています。
イヤイヤ期の時に私が感情的になってしまったり、食事の時に厳しく接したことが娘の性格に影響しているんでしょうか?
親がいないところではちゃんとしてるのに、親がいるところではできない。(常にではないですが)これはただの甘えなのかそれとも何か満たされていないということなのでしょうか?
「受容」が足りないかどうかというのは僕からはちょっとわかりにくいことなのですが、まあ甘えの一種ではないかという感じがします。
それプラス「下に小さい弟がいること」、あと「揺り戻し」の確認作業の姿がもう出ているのかもしれませんね。
「揺り戻し」に関しては検索して過去記事をごらんになってください。
対応としては、僕はこちらの記事に述べたような
→ 『言葉を使う』
大人の関わりによって子供の正しい姿を出させようとしてしまうのではなくて、言葉を使って大人が思っていることを伝えて、自分でその姿を出せるようにしていってあげるといいのではないかと思うのです。
例えばですが、「~しよう」ではなくて、
「私は、ご飯をこぼさないで食べることはとても大事なことだと考えているから、あなたも気をつけて欲しいと思っているんですよ」
など、自分自身が思っていること、「どうしてほしいのか、それはなぜなのか」ということをそのまま伝えてみるのです。
そしてそれを待つのです。
待つというのは、子供ができなくてもただ我慢していなさいということではありません。
またできなくなっていたら、「~~しなさい」ではなくて、「こぼしていますよ」とありのままを伝えるかたちで言います。
わざわざ言葉にしなくても、大人の視線だけで気づくかもしれません。それならばわざわざ言葉にすることもないでしょう。
僕はあいての子供の状態に応じて、言葉で言うか、「ほらここ」とさりげなく指さして教えるか、指さしだけ、視線だけというように使い分けています。
このことが何を意味しているかというと、「あなたを信用していますよ」というメッセージでもあるのです。
「できないあなた」ばかりを指摘していると、子供の自己肯定感は下がってしまいます。
信用して、自分でやらせてみて、少しでもやるようになったらそこを「認める」という関わりをすることでプラスの循環をつくっていけます。
ほかにちょっと気になることといえば、 4歳、女の子、幼稚園で頑張っている、下に弟妹がいる ということですから、お母さんからの「良い関わりが欲しい」というサインとして出している可能性もありますね。
「先回りした関わり」をもう一歩進めて、お手伝いしてもらったり、なにか役割を持たせるようにして、「褒める」「認める」で自信をつけていくようにするのもいかもしれません。
| 2014-08-19 | 相談 | Comment : 7 | トラックバック : 0 |
続『目が合わない、受容してこなかった』(1歳9ヶ月)むにむにさんスレ - 2014.08.17 Sun
こちらに上げた相談記事に対しての、むにむにさんの再コメント(↑の記事のコメント最上段)と、その他にそれ以前もうひとつの相談コメが投稿されていました。
最新のコメントでは返信はいいとのことですが、おそらく同様の状況になっている人は多数いると思いますので、その相談に答えつつこういったケースについて掘り下げてみたいと思います。
ただ例によって、推測を一般論で補って書いていきますので必ずしも相談内容にうまく適していないかもしれません。そのあたりはご了承ください。
以下は、先に寄せられていた31日のコメントの転載(↑の記事は7月20日のコメントへの返信、間をあけて相談がふたつあったため)
最近、息子の成長期がはじまり
自分の思うようりならないと手が付けられないくらい泣き叫びます。
その際、私の顔をみると余計に泣いてしまうため
いつも息子の好きなぬいぐるみ(困ったときにしか登場しません)を通して
息子と話をするという形をとっています。
その際、私はソファーや壁に姿を隠し
ぬいぐるみが『○○くんの気持ち、わかるよー。でも、ここは危険なところだから
登るのはやめよう』と話しかけをしています。
息子が泣き止んだところで『わかってくれてありがとう』とぬいぐるみから感謝の気持ちを伝えたところで
私も登場してぬいぐるみも交えて遊ぶという流れが
手に負えなくなった泣きの際にとる手段なのですが
最近では、そのぬいぐるみが出てきた時点で
泣き止み、遊ぶという感じで大切なことを伝えられずにご機嫌をとるような流れができてしまっております。
これは『ごまかし』になってしまっているのでしょうか。
また、こちらのブログにある『おしおき』にあるような
ちょっとしたミステイク、間違え、失敗といった
おとーちゃんのボーダーラインのようなものがあればご教示頂きたいです。
こういう対応が「ごまかし」になってしまっているか?
ちょっとした失敗を気にせずに過ごしていい基準はどこか?
という質問なのですが、このふたつの質問に対する答えを僕が答えたとしても、それが子育てを安定化させる助けにはならないだろうと思います。
なぜなら、そういった「子育ての正解」というものを知って、それに子どもを当てはめようとしても必ずしもそれがプラスにはならないからです。
例えば、↑これは確かに「ごまかし」なってきてしまっています。
でも、これが「ごまかしだからすべきではない」という『正解』に子どもを合わせようとして、こういったごまかし的な関わりをやめたからといって、それで子育てが安定化、子どもの姿が関わりやすいものになるわけではありません。
相談者さんの現在の段階では、この「正解」を実行したとしてもそれを下支えするいくつもの前提条件になることがまだ未達成であるからです。
現状 → 〇〇 → 〇〇 → 〇〇 → ごまかさないで済む状態
(〇〇の部分は例えです。特になにか想定しているわけでも、その数が3つとも限りません)
現在の状況から、いくつかの〇〇をすっとばして、「正解」であるところの「ごまかしをしない」ということだけを実行してみても、それは現状ではとうていできっこないことだし、むしろ大変さを募らせてしまう結果にしかならないだろうからです。
『相談 目が合わない、受容してこなかった(1歳9ヶ月)』(以降、前記事 と表記) この記事でとにかく現段階は「受容」の貯金だけをまず目指していいこうということを伝えましたので、いまはむにむにさんもそのことはおわかりだと思います。
これまでむにむにさんの子育てが難しくなっていた原因のひとつはここにあります。
子どもに「正解の姿」を求める余り、その「正解の姿」、「あるべき子どもの姿」、「世間で望まれるような子供の姿」とはかけ離れていく実際の子供の姿とのギャップにより、子育てのストレスばかりが増大してしまっていたのです。
このことは、現代の子育てをする人の多くに共通する問題です。
正しい子供の姿を作らなければならないと感じている親のあせりや、なまの子供の姿についての知識や経験がないのに、理想像ばかりにとらわれてしまい子育てが迷走してしまうこと、まじめに一生懸命に子育てしようとするあまりに余裕がなくなってしまう子育てなどから、結果ばかりを望み、子育ての本当の基礎の部分が見えなくなってしまうのです。
こういった子育ての落とし穴にはまってしまう人はとても多いです。
僕が子育ての第一の目標は「かわいい子供にしよう」ですよと何度かいっているのは、ここに手当をするためです。
↓関連記事
http://hoikushipapa.blog112.fc2.com/blog-entry-536.html
http://hoikushipapa.blog112.fc2.com/blog-entry-612.html
正解を出さなければと考えるあまりに基礎をすっとばして、子供をとても難しい姿にしてしまうひとはおおいです。
子育ては正解を大人が作り出すことではありません。
基礎の部分を固めていけば、そういったことは後からついてくる性質のものなのです。
むにむにさんのケースではその基礎というのが「受容」でした。
前記事ではとにかく「受容」を積み重ねることで、とりあえず基礎の第一歩を固めることを伝えています。
「ごまかし」も「釣り」も「無視」も無理にやめないでいいとも伝えています。
いま現在ごまかしやつりや無視があってぎりぎりのラインで子供との生活が成り立っています。
「ごまかし」も「釣り」も「無視」もすべきではないことではあるでしょう。しかし、それらがすべきでないことだからといって、それをしてはならないと縛ってしまったら、現在のぎりぎりの安定も崩れてとても「受容」を積み重ねるどころではなくなってしまいます。
「受容」の貯金ができてくれば、そのあとに「ごまかし」も「釣り」も「無視」もしないで済むような瞬間というのが少しずつかもしれないけれども持ててくるはずです。
前記事では、「受容」以外のアドバイスにはあまり触れていませんが、本当はもうひとつ「イニシアチブ」の問題があります。
>泣き止み、遊ぶという感じで大切なことを伝えられずにご機嫌をとるような流れができてしまっております。
相談者さん自身も気づいているように、↑の部分です。
現状では、子供が「受容」をしてもらうかわりに、親を振り回したり「いいなり」にさせることでその代用としてしまっています。
それは本当はいいことではありません。
ですが、それがいいことではないからといって「受容」の貯金が貯まる以前にそれをするまいと大人が考えてしまうと、子供は「受容」の代わりとしているものまでが奪われるので、さらに行動が荒れたり壁に頭をぶつけたりする自傷行為が激しくなりかねません。
それでは子育ての安定化が遠のいてしまいます。
なので、ここでも「正解の姿」は求めてはいけないのです。
「受容」をすることでふたつの効果が生まれます。
なにかというと、もちろんひとつは子供自身の「受容」=「満たされる」ということです。
もうひとつは、大人の方に「子供をしっかり受け止めてきた」という事実から来る「自信」です。
子供を満たす貯金をするとともに、大人の方にはこの自信をたくさん貯めて欲しかったのです。
なぜかというと、この自信がたくさんたまることによって、大人の方が「イニシアチブ」を持てるようになるのです。
たとえば、子供が困るような要求をしてきたときに、「NO」と言えます。
子供がすべきでない行動ととったときに、「怒る」ことができます。
「叱らなくていい子育て」のところで僕が「叱ること、怒ることなどは子供の否定なのですべきでない」と言っているじゃないかと気がつく人もいるかもしれません。
しかしこの場合は当てはまりません。
なぜなら、ここでの「NO」も「怒る」ことも、許容すべきでない子供の行為に対して毅然と「否定」をしなければならないことだからです。
大人が「それはすべきではない」と思っていることに対して、子供を腫れ物に触るように触れることを避けて、「NO」といえなくなってしまったら、それは「いいなり」です。
それではけして子育ては安定化していけません。
子供が上で大人が下にいる状態だからです。
大人は子供を導いていかなければならないものです。なのに「いいなり」であったらそれはいつまでたってもできません。
ですから、「怒るべきときに怒る」「NOというべきときにNO」といえるということは非常に重要なことなのです。
世間で言う「叱らない子育て」で失敗している人はここを勘違いしてしまっている人が多いです。
相談者さんが、これまで「いいなり」と「無視」を使って子供に対してきてしまっていましたが、実はこの関わり方では「強い関わり」と「弱い関わり」をするべきときが逆だったのです。
「いいなり」という弱い関わりになってしまっているところで、毅然とNOと言うような「強い関わり」をするべきで、
「無視」という強い関わりをしていたところでは、「受容」などの「弱い関わり」をした方がよかったのです。
でも、これもあくまで「正解」であって、最初の段階でこれをしなさいと言っても逆効果になったり、その努力は途中で破綻してしまったはずです。
大人と子供のふたつの貯金がまだ貯まっていないからです。
前記事では結局のところ「受容」しましょうということしか言っていません。
それだけではおそらくすべての問題は解決はしないでしょう。
でも、それがなければ結局のところなにもはじまらないのです。
まじめな人、正解を求めている人に他のことも要求してしまうと、それも一生懸命にしなければならないと思ってしまいます。
それでは貯金がなかなか貯まらないので、返って前に進めません。
「いいなり」になったりする「弱い大人」の傾向のある人に、「受容」ばかりを強調すると、甘やかしになったり過保護になったり、依存を助長したりというデメリットもあります。
でも、「受容」や「満たす」そこから生まれる「信頼関係」のない状態に比べたら、過保護や甘やかしなどはあとからどうとでもできる問題に過ぎません。
ましてや自傷行為まで出ているのですから、なんとか現段階からは早めに脱する必要がありました。
なので「受容」を第一にすることで良いだろうと判断しました。
「無視」も本当は避けたいところです。「無視」は子供の問題行動を大きく助長してしまうからです。
でも「無視するな」といっても問題は解決しません。
それよりも「受容」をコツコツと積み重ねさえすれば、子供に「満たす」が形成されて結果的には無視をする必要はだんだんと減ってくるでしょう。
だから、当事者に「無視はイカン」ということはさして意味が無いのです。むしろ自分を責めることにしかなりません。返って受容的態度をもつための心の余裕を奪います。
「受容」ができて子供に「満たす」の貯金が貯まってくれば、精神的なことだけでなく、着替えやお風呂などの生活の切り替えのときがすんなりといくようになったり、昼寝に入れるようになったり、またその昼寝のできる時間、夜の入眠がしやすくなったりという副次的な効果があとからついてきます。
それが養育者の負担を軽くしていってくれるので、大人の方にも余裕ができ、その余裕がさらに受容をしやすくするという好循環を生み出します。
「受容」や「満たす」がたまることにより、「信頼関係」が厚くなります。
その信頼関係が子供へのさまざまなアプローチを、子供が受け入れやすくなります。
このことも養育者の負担を軽くします。
現在「じーー」や「いいきかせ」がうまく通用しないということの原因はここです。なので「じー」や「いいきかせ」は今の段階ではしても逆効果です。
「信頼関係」の構築が進んで、子育てが安定化したあとにだんだんとできるようにはなるでしょう。
でも、本当にいいのは「じーー」や「いいきかせ」が通じる状況が終点ではなく、そうしなければならないことをそもそも子供が自分からしないという「大人の気持ちに寄り添った状態」を目指すことです。
ですがこれも目指して作り出す「正解」ではなく、「受容」、満たす、信頼関係のあとに勝手についてくることがらです。
中には「受容」ということを、「いいなり」や「甘やかし」と混同してそれらのメリハリをうまくつけられない人もいます。
それではさして満たされないので、気をつけて欲しいところです。
「イニシアチブ」のところで言い忘れていました。
大人がイニシアチブを持てない状態が子供の心理状態に何を引き起こすかというと、これが「混乱」なのです。
大人が適切にあるべき姿を指し示して、導いてあげないことで子供はその状況に「混乱」を覚え、イライラしてしまいます。
このイライラが、キーキーした関わりにくい姿の原因のひとつとなったり、大人を叩いたりする攻撃的な姿勢を示す原因となったりします。
「放任」も同様に子供にこの「混乱」をもたらすことがあります。
どういう態度をとったら大人が好意的に受け止めてくれて、どういう態度を取ったら大人は嫌がるのかということが明確に身につけられなくなってしまうのです。
すると、そのもどかしさから子供は大きなイライラを感じます。子供自身良い関わり方を身につけられないので、それはネガティブ行動として出てきます。
「1~2歳の子供が親を叩いてくる」ということをしばしば相談で受けます。
それらの原因にこの、イニシアチブを持てない大人の姿がある場合があります。
なので、「いいなり」や、「子供の意思を尊重していつまでも待ちます」のような大人の姿勢は、ときに子供の姿、子育てを難しいものとしかねません。
「いいなり」になったりするくらいならば、「怒ったり」「叱ったり」といった「NO」を明確に伝えられる親の方が子育てが安定化できることがあるのはこのためです。
31日のコメントに対する返信、および前記事の補足でした。
以下、再コメントに対する返信。
>息子はよく絵本を読んでもらいたいようで 私のところに持ってきますがたいてい、途中まで読んだ段階で他の絵本をまた探しにいき『今度はこっち』とばかりに持ってきます。
これはよくある姿です。
子供がこれにより何を求めているかというと、本の内容ではないのです。
「本を読むことを受け入れてもらうことで、自分を受け入れてもらっているという再確認」なのです。
なので、読んでもらいさえすればいいので内容には実のところさして興味はありません。でも、途中でやめるということは「受け入れてもらえていない」と取れることなので、抵抗するわけです。
本当はこれはまだ「素直な甘え」までは到達していません。
「理由をつけなければ甘えられない」状態です。
大人の「受容的態度」に信頼感が持てるようになれば、だんだんと素直な甘えになっていけるでしょう。
目指すのはその素直な甘えですが、現在の理由をつけての甘えを否定する必要もありません。
現状で、お子さんがすりあわせを行って得た落としどころがそこなのでしょう。いまは子供の方もいろいろやってどこまで受け入れてくれるのかを試しているのでしょうね。
ただ、様子を見て「絵本じゃなくても抱っこしてあげるからおいでー」などと素直な甘えに大人が手助けして変えてあげてもいいかもしれません。無理強いする必要はありません、試行錯誤してみればいいところです。
遊びに関しては後からついてくることです。「できる」を求めなくていいでしょう。
絵本の読み方も型にとらわれることはないです。
いろいろ試してみて、子供が満足できるものを見つけてあげてもいいことです。
一生懸命に子供に「合わせよう合わせよう」とすることも、子供の機嫌を取るように考えてしまうことも、「腫れ物扱い」になってしまうことも、子供に素直な甘え方をだせなくしてしまったり、依存心を高めてしまうということもあります。
無理はせずにだんだんとむにむにさんの自然体で関わっていけるようにするのがいいと思いますよ。
「受容」をためて、自分にも自信をためることができたら、すべきでない、してほしくないことをしたときに、「ごまかし」ではなく、毅然と怒るでも叱るでもしてみてください。
それで怒られたことが悲しくて「エーン、エーン」と泣けるようになったら、そのときが信頼関係が戻ってきたということです。
もし、そのとき子供が反発して叩いてきたりしたとして、そのときに大人がどうしたらいいか途方に暮れてしまったりしたら、イニシアチブがまた子供に戻ってしまいます。
子供の感情に負けないで「叩くんじゃない」と毅然と「NO」を再度つきつけて、そこで「エーン、エーン」と泣けるようになったらばそれでもいいです。
「受容」が足りておらず、自分が受け入れられているということに自信の無い子は「エーン」とは泣けずにずっと抵抗を示さなければなりません。
「受容」をすることが怒られることを受け入れられる子供にできるのです。
子供が泣くことを恐れる必要はありません。泣くことは子供の言葉であり、感情の表現手段です。
「エーン」と素直に子供らしく泣けたのならば、「そういう素直なあなたが好きだよ、ちゃんとお母さんの気持ちがわかったんだね」と抱きしめてあげればいいでしょう。
子供が泣いたからといって親が謝る必要はありません。
それでは何が正しかったのか子供は混乱してしまいかねません。
大人と子供の間に信頼関係がきちんと築かれさえすれば、叱られたり怒られたからといってその関係が揺らぐものではありません。なんといっても自分のおなかを痛めて生まれた子どもなのですから、そこには自信を持ちましょう。
そういうわけで、「受容」のあとに子供の育ちのなにかが見えてきますよ。
| 2014-08-17 | 相談 | Comment : 10 | トラックバック : 0 |
相談 子供への関わりをどこから始めるか - 2014.08.04 Mon
7月17日 ちび母。さんの相談コメントへの返信。
おとーちゃんさんの育児にはとても共感していますし、何度も何度も読み返し参考にしています。しかし、受容を心がける子育てをしようと思えば思うほど、わがままで奔放な子供に対して過剰なストレスを感じて苦しんでいました。
小さな子供がわがままで奔放であってもそれはある意味当たり前の姿であることを、私たち母親は日々の育児の中で忘れてしまうのかもしれません。きちんということをきき、人に迷惑をかけず、良い子してくれないと困る、というのが子供を連れて外に出たときにどうしても感じることです。バスや病院で騒がないか、道路でふざけて飛び出していかないか、他の子供に誤って危害を加えてしまわないか、そんなことを考えながら子供を連れていると、子供のわがままさや奔放さを受け止めることが出来なくなってしまうのかなと感じています。
(小さな子供に無理やり友達づきあいをさせようと思って集団内に連れて行ったり、無理に外出させているわけではありません。近所の公園で遊ばせたり、日々のスーパーへの買い物や病院程度の外出です。)
こうした日々を送っているうちに、他人に迷惑をかけることが恐怖症レベルで怖くなり、子供を抱えていることが申し訳なく感じてしまったりしてしまいました。世の中では「子連れさま」といって、迷惑を顧みずに他人に配慮せず子供を連れ歩く母親を揶揄する言葉もあるそうですが、私はそれとは反対に、萎縮してしまっています。
ちなみに、息子は特別手がかかるとかかんしゃくが強いわけではありません。他の2歳児と比べても、平均的なイヤイヤ具合(?)だと思います。愛想がよく、他児や大人にもにこにこと話しかけるなどとても積極的な性格です。好奇心旺盛で、いろんなものに首を突っ込んだり、なんでもいじったりするタイプです。これも、平均的なものではないかと思っています。つまり、特に難しいタイプというわけではないんです。でも私にとっては大変に感じるのです。母親側のキャパシティもひとそれぞれで、私は許容量が少ないのではないでしょうか・・・。
おとーちゃんさんの言われるように、子供を満たされた状態に出来ていれば親が困るようなことも減ってくるのではないかと信じていますが、上記のようなことで常にストレスを抱えて余裕を失っている母親には子供を満たすこともうまくいかず、悪いサイクルに入ることが多々あります。
たぶん私のように育児に不安やストレスを感じている人は多くいると思うので、そんな状態に陥ったときにでも、おとーちゃんさん流の子育てにシフトできるようなアドバイスがあったら、ぜひ聞いてみたいと思いました。私のような未熟で器の小さい母親でも、子供を満たして幸せにしたいと切に感じています。
この記事の少し前に<『子供』と『子育て』の価値を高めたい>のシリーズを書いていますが、僕は多くの子育てする人たちを見てきて感じることとして、「親の持つ自己肯定感」というものがあります。
この部分が、子供の姿としても、子育ての大変さ、悩みなどにも密接に関わっていて、問題の深刻化、複雑化につながっているとしばしば感じます。
顕著なのは、もともと自己肯定感の少ない人が子育てによって、さらにそれを低下させるという問題です。
そのことは実は子供以前の問題としてあるのですが、結果的に子供のネガティブな問題として出現します。
なので、親自身もそれの原因の一部に自分のあり方が関わっているということに気がつかずに、子供の問題として認識し悩みます。ときには、子供を否定的に見ることにもなります。
とうぜん、それでは問題は解決しないし、子育ての大変さばかりが募ります。
僕がずーーーっと子育てについてばっかり四六時中寝ても覚めても考えてきて行き着いたのが、「子育てによって自己肯定はできないのか?」というところです。
たとえばの話、子育てについて大変さばかりを感じていた人が子供とくすぐりあそびを続けるようになって、「今日は笑顔で一日を終えられた」、「気がついてみたら昨日は一回も怒らずに過ごしていた」そういった実際に手触りのある感触を子育ての中で経験できること、それが子育てを通しての自己肯定を大人のほうができるのではないかということです。
そのために必要なのは、簡単な課題から挑戦して、実際の手応え達成感を感じていくことです。
公文式の算数学習と同じですね(笑)
だから、子育てを感情論、精神論にしてしまうのではなくて、それらをひとつひとつ具体的な関わりに還元して手触りのあるもの、手応えのあるものとして子育てする人に提示していくことだと思うのです。
人によりスタートラインというのはまちまちなはずです。
ちび母。さんはちび母。さんなりに、小さくてもいいから手の届くところからその手応えを積み重ねていくことができたらいいのではないでしょうか。
それは世間で立派と考えられていることでなくていいと思うのです。
子供が花に喜んで水をあげている姿を見てかわいいなーと思える、そんなことからでいいのではないかと思います。
| 2014-08-04 | 相談 | Comment : 16 | トラックバック : 0 |
相談 目が合わない、受容してこなかった(1歳9ヶ月) - 2014.08.04 Mon
7月20日 むにむにさんの相談コメントへの返信
相談内容はかなりの長文なのでこちらのリンク先のコメント欄からどうぞ。
機械に子育てはできない Vol.1 ーリスクがあることー
コメント欄一番上
むにむにさんはじめまして。
できるだけ力になりたいと思いますが、僕からは限られた部分しかわからないし、お子さんの様子やむにむにさんの関わり方などもコメントの文章から推測するしかありません。なので必ずしも適切なことが言えるとは限りません。むにむにさんのケースには合っていないことを書いてしまうかもしれませんので、そのあたりを理解して参考として読んでくださいね。
例えば、お子さんの様子についてなどはなんらかの発達上の問題などがあった場合などは本当に対応がかわることもあります。なのでそういったものではなくいまの姿というのは、これまでの子育ての関わりの上でもたらされているという仮定で話を進めなければなりません。そう思って聞いてくださいね。
おそらく息子さんに必要なのは、むにむにさんからの「積極的なよい関わり」です。
「積極的」というところがポイントなのです。
現状、親子間の関わりの多くが、
子供がなにか要求する(または大人の困ることをする)
↓
それに大人が応える(ダメだしや力ずくでの対応をする)
というかたちになってしまっていると思います。
お子さんがして欲しいのは、むにむにさんの方から笑顔で楽しい関わりをたくさんしてもらうことなのです。
子供と楽しい時間を持ちたいとおもっていても、大人が子供のかわいい姿を待っているだけでは決してでてきません。
現状では、息子さんは「大人が困ることをしてそれになんらかのリアクションをとってもらう」という関わり方しか知らないのです。
なので、それを必死に一生懸命しているのです。
それに対して、むにむにさんは多大なストレスを感じますから「無視」するというところが着地点になってしまっているのですが、「無視」をすればするだけ子供はさらにたくさん求めなければなりませんから、さらにお母さんからのいい関わりを求めて「大人が困ることをする」という自分の知っている唯一の方法で関わりを求めることになります。
つまりは、悪循環です。この悪循環を変えなければならないのですが、そのきっかけを子供に求めてもそれは不可能です。大人の方にしかこの鍵は持てないのです。
で、大人はどうすればいいかというと、最初に述べた「積極的なよい関わり」ということなのです。
(『無関心をつくらない Vol.2』 この過去記事が参考になるかもしれません)
>また、歯磨きを本当に嫌がります。虫歯は待ってくれませんし息子は受け口のため、虫歯にもなりやすいようで
『歯磨きしてスッキリしよー』と誘うと必ず笑いながら逃げます。
このときに「笑いながら逃げる」のは、お母さんが自分を見てお母さんの方から関わってくれてうれしいためです。
親は歯磨きを「しなければ」という思いで追うのですが、子供からするとそれを自分に注目してくれる関わりととっているのです。
たぶん、食事のときも同じような子供が逃げ回るのを後ろから食べ物をもって追いかけている(もしくはイスに戻そうと追いかけてくる)というような状況があったのではないでしょうか。
子供が成長のためにどうしても必要な、親からの「受容」というものが不足していたためにこれが起こっているのです。
それが大人から見て「困る姿=ネガティブ行動」をたくさん生んでしまっています。
この歯磨きのときと食事のときの「逃げる」行動は、受容不足の親子間で典型的に出てくる姿です。
とりあえず、一日何回もくすぐり遊びをしてみましょう。
そのうちの何回かは、生活の流れの中できまったタイミングでするようにしてルーティン化すると効果的です。
例えば、朝:起きた後、昼:昼食後、夜:お風呂の前 など、ご家庭の事情に合わせてのタイミングでいいです。
また、戸外や広いところなどで追いかけっこもいいです。
「まてまてー」と大人が子供の後ろを追いかけてあげます。
「こっちだよーー」と大人が両手を広げてあげて、子供が来たら抱きしめてあげるという遊びでもいいです。
でも、たぶんこちらは「まてまてー」の追いかけっこをたくさんしてからでないとできないかもしれません。
追いかけっこの方が「注目」という実感が強いので。
これでなんの意味があるかというと、「大好きなお母さんが暖かく自分を見ていてくれている」という経験を「楽しい」という実感とともに積み重ねていけることです。
現状のお子さんはこの経験がマイナス状態です。それをこれからの関わりで埋めていかなければなりません。
(記事で言うとちょっと古いのであまりうまくかけていませんが「満たされた子供」のカテゴリです。『先回りした関わり』の記事もいいでしょう)
もしかすると、くすぐりをしても最初は思ったよりもあまりいい反応が返ってこないかもしれません。でも続けてみましょう。
また、それをするときは大人の側がイヤイヤだったり、うんざりしてでは意味がないので、義務でやるのではなく自分も楽しい気持ちになれるときにすることが大切です。
いくらルーティンにしてもそのとき楽しい気持ちになれないのでしたら、無理にする必要はありません。
当面はこまごまとしたこと、なにか困ることをしたときの怒り方などは気にしなくていいです。
とにかくこういったくすぐりなどで子供を「満たす」ということだけやってみます。
もし、バナナで釣ってむにむにさんがストレスなく過ごせるならばそれをしてもかまいません。
当面はこの「満たす」の貯金です。
現状では「じーー」も「いいきかせも」効果はありませんので、問題行動があってもリフトなどで無理矢理危険を取り除くということでかまいません。
その分の時間を「くすぐり」や「絵本の読み聞かせ」でもしてあげてください。
「無視」はいいことではありませんが、一対一で子育てしているむにむにさんの育児ストレスの多い状況を考えたら、当面はそうなってしまってもやむを得ないかもしれません。
「言うことを聞かない状態」(大人の思い通りにならない状態)の対応で、神経をすり減らしてしまうくらいならば、いったん子供を視界から離して落ち着いてみるということ、その分力を温存しておいて「満たす」の方に回すということでもいいでしょう。
くすぐりなどを続けていれば、必ずお子さんの姿に変化が出てくると思います。
頭をぶつけるという行為もおそらくは減るはずです。
吐くのもおそらくよい関わりを求めて、「お母さんに注目して欲しい」という気持ちの表れだと思います。
『喜怒哀楽と表情』の記事に書いた点も気をつけてみてください。
いくらくすぐりをしても「目が笑っていない」ような状態では少しも効果がないということもあります。
とにかくいまは「満たす」をして子育ての安定化・親子関係の安定化を目指す段階です。
さまざまな「できる」はその後からついてきます。
今の段階で、「ごまかし」や「釣り」はよくないとそういう点を気にしていても仕方がありません。
それらを使ってもいいから「満たす」が貯まるまでしのいでいきましょう。
「甘やかし」は関わりのイニシアチブが子供の側にあるので、それだといくらしても子供は親にして貰っているという実感が持てません。なので「満たす」が貯まらないのです。
なので、大人から積極的に関わる心地よい経験が必要です。
とにかくいまは「満たす」をすることです。
できるならば余裕のあるときだけでも、むにむにさんの気持ちを「おおらか」「のんびり」という時間を設けてみるといいと思います。
だら~~んと力を抜いて仰向けに寝そべって、そのおなかに子供をのっけてぐて~~っとしてみます。
どうなるというものでもないけれども、そういうことをしてみるとなにかが変わってくるかもしれませんよ。
はっきりいって現状は受容という必要なモノがマイナス状態になってしまっていますが、まだ1歳9ヶ月というかなり早い段階で対処が可能になっています。大人次第でなんとでも変えることができますので、自信を持ってこれから関わっていってあげてください。
| 2014-08-04 | 相談 | Comment : 5 | トラックバック : 0 |
相談 上の子が下の子にちょっかいを出す(2歳7ヶ月) 8/03追記 - 2014.08.01 Fri
私も二児の母になり(2歳7ヶ月息子と6ヶ月娘)、上の子を甘やかしでない素直な甘えの受けとめを心掛けていますが、上のお兄ちゃんは身体に少しハンディがあっため大事にしてしまったのではと反省。イヤイヤ期も二人目出産と重なり大変でした。やっと最近になってイヤの言葉がなくなったところです。(最近は「何で」が口癖です)
上のお兄ちゃんは、退屈しのぎに妹のところへ行っては、ちょっかいを出すのですが、この時期特有ですか。それとも、満たされない気持ちがそうにさせるのでしょうか。ちょっかいとは、顔を撫でているのがそのうち強く握ってたり、横で寝転んでいたのがそのまま上に乗ってたり、、です。見ると危険なので危ないからバツだと言っているのですが何度もやります。
>退屈しのぎに妹のところへ行っては、ちょっかいを出すのですが、この時期特有ですか。それとも、満たされない気持ちがそうにさせるのでしょうか。ちょっかいとは、顔を撫でているのがそのうち強く握ってたり、横で寝転んでいたのがそのまま上に乗ってたり、、です。見ると危険なので危ないからバツだと言っているのですが何度もやります。
以前の『兄弟関係について その3』『その4』にも書いてありましたが、この時期にはたしかにそういったちょっかいをだすことがよくあります。
ただ、お子さんがその時期としての行動なのか、それとも満たされなさなのか、その両方なのか、はたまた全然別の理由なのかということを、様子の見れない僕からはわかりません。
また実際に見ていても正確に判断できるとも限りません。
僕自身もそういうところがあるのですが、ままこさんの悩みの傾向も「心配を先に立たせてしまう」というようなところがあるようですよ。
子育てというのはちょっとどうかしたからと言って、取り返しのつかない失敗をするというものでもありません。
よしんばなにかちょっとうまくいかなくても、あとからでも修正の利くものです。
「やめるように言っても、何度でもされて自分としては困るのだけど受容が足りなくてしているのだったら怒ってしまったら逆効果になってしまうから、どう対応したらいいのだろう・・・」という不安がこの悩みの背景にあるのではないでしょうか。
つまり、子供に対してどういう態度をとればいいかという自信が持てていないところに、子供の姿ということ以上の問題の本質があるのだと感じます。
もし、本当に困ることであるならばしっかり感情を込めて、「怒る」でも「強くやめてと言う」なりなんなりしてみてしまえばいいと思いますよ。
よしんば、受容が足りていないからだとしても、受容は受容で別のところすればいいのです。
その強い態度を示すということが親としてできないということは、「自分のしている受容に自信が持てていない」ということです。
実際に受容が十分になされていたとしてすら、親が子供にした受容に自信が持てないということは、子育てをネガティブな方へと向かわせます。
逆に実際受容が足りていない人でも、そこになんの疑いも感じない人のほうがすんなりと子育てがうまくいってしまうことだってあります。
問題は受容が足りているか足りていないかではないと思います。
この場合は親としての自分に自信が持てているかいないかということの方が問題を大きくしてしまいます。
もし、子供の行為を止めてそれで子供の姿になんらかの問題がでるなら、そのときそれに対処すればいいのです。
それを最初から恐れて子供への関わりにおっかなびっくりになって、腫れ物扱いするようになったら、たいてい年齢が進めば進むほど子育てが大変になってしまいます。
下手でも失敗してもいいから自信をもって関わって、その結果から子供との関わりを実地に学んでいくというのもとても大切な意味のあることです。
以下、追記部分
こういった相談はたくさんあるので、さらに重要なことを追記しておきます。
「下に弟妹が生まれて上の子が満たされていないのではないか」
そのように感じて、それが悩みになってしまう人がとても多いです。
でも、どうかその状態を恐れないでください。
弟妹ができたら上の子は満たされない姿がでるかもしれません。
むしろ多くの場合でるでしょう。
しかし、それで普通の状態なのです。
誰しもが通る道だと思ってしまいましょう。
満たされなくなったから、親の子育てが悪かったわけでも、その状態がその子の子育てにとってマイナスなわけでもないのです。
それは弟妹ができたときに誰もが通る道です。
それがスタートラインなのです。けして後退したわけではありません。
それは親の子育ての仕方の問題だけでもないのです、上の子にとっても弟妹ができたということはその子が乗り越えなければならないテーマなのです。
なので、弟妹ができて上の子が満たされていない姿を示すようになったからといって、それを上の子に対してかわいそうだとか負い目に感じてはいけません。
親がそういう気持ちをもってしまえば、上の子はその親の気持ちに依存してしまいたくなって、返って前に進めなくなってしまいます。
こんな事例があります。
どちらも男の子。上の子が2歳後半のときに、弟が誕生。
母親がなにかの育児書で、「弟妹が生まれたらその赤ちゃんの世話以上に上の子に手をかけなければならない」というのを読んだとのこと。
その本の内容が、そこまでの対応を求めていたのかどうかはわからないが、母親はこのように解釈し、弟の世話は父と祖母にまかせ、母親は兄をかまうことに専念するという育児方法をとる。
極端に言えば、兄弟などいないかのように両者に対応したのである。
その結果、
父と祖母が弟の対応に手を抜いたわけではないが、弟は慢性的に満たされておらず0歳の時からイライラ、噛みつきなどが多く、表情が沈んでおり、自己肯定感の低さがところどころに表れていた。
やはり、母親を求めてもほとんどそれに応えてもらえないということが、そういった姿を助長してしまったのではないだろうか。
兄の方は、とてもわがままな性格に育ってしまった。自分の要求が通らないとそこで癇癪をおこしたり、心が納得できないのでモノに八つ当たりをしたり、弟の行動にもいちいちヤキモチをやいたり。
母親への依存心が強く、月齢は高かったのだが心の成長はそれよりもずいぶん幼いところでとどまってしまっていた。
ある程度の年齢になってからも兄弟仲はすこぶる悪かった。
この事例は、単に兄弟を分けて対応するということが原因だけでなく、そこでの大人たちの関わり方にも自己肯定感を持たせられなかったり、依存を強めてしまったりの問題があったのかもしれないので、一概に言えることではないだろう。
しかし、上の子に対して下の子が生まれたことの影響を過剰に気にしすぎることがよくないという一面の事実は表していると思われる。
これは極端な事例ですが、弟妹ができてそれが上の子に与える影響というのを気にしすぎてもいけないということは、多くの人に当てはまることではないでしょうか。
上の子が満たされない姿がでて普通です。
下の子にちょっかいを出したり、手を出したりという行動も多く見られます。
そういう姿がでたときに、「下の子ができて満たされていないのだわ。満たされていないのは自分の責任だわ」と思ってしまって、それを親が負い目にしてしまったら子育ての迷走する確率はぐっとあがってしまいます。
でも、よく考えてください。
上の子は、下の子が生まれるまでの年数だけ親からのよい関わりというのを独り占めできていたのです。
その分の蓄積というのは必ずあるはずですね。
親もそこに自信を持って、「これまであれだけしっかり関わってきたのだから、この子はきっと乗り越えられるはずだ」と子ども信じて大人としてとるべき対応を毅然とすればいいのです。
そこで大人がひよって上の子を腫れ物扱いしだしたら、上の子の気になる行動というのはむしろ増えてしまうという可能性が高くなるだろうと思います。
弟妹の存在を上の子が受け止めそれを乗り越えるというのも、成長のためにはとても大切なことです。
自立のために必要なことなのです。
大人がそこを囲い込んで過剰に守ってしまっては、その子は自立をさせてもらえなくなってしまいます。
僕はこれまで逆のケースについて例えば「お兄ちゃんだから我慢しなさい」はよくないということを述べていますが、↑のように考えて子どもを囲い込みすぎてしまうような人には、あまりそれを過剰に考えてはいけないということを知っておいた方がいいだろうと思います。
この種の兄弟関係にまつわることは、過去記事にも、コメントでの相談にも多数あります。
もし、気になる方は過去記事検索や、<はじめにおよみください>の中に書かれているコメント欄も該当する検索方法で
「兄弟」 「弟妹」 「下の子」
など調べてみると関連のところが見つかるかと思います。参考までに。
上の事例を自分で改めて読んでみての感想。
そのお母さんにそのような養育方法をとらせてしまったことのもともとの発端というのはなにかなと考えてみると。
たぶん、「恐れ」があったのではないかと感じます。
「下に生まれると上の子が荒れたりする」という情報が頭にあって、そうなっては困るという「不安と心配」から極端な対応をとらせ、それをしてはみるが根本的なところで子どもに対する「自信」が持てていないのでいい関わりにまではならなかった。
子供の成長に対して、予防線を張りその予防線のための予防線を張り、という囲い込みの関わり方をして、しかしいっぽうで子供に対する自信の持てなさから子供に対しての関わりのイニシアチブを大人が持つことができずに、子供を腫れ物を扱うような関わりになってしまい、結局当初の目的は果たせないどころかさらにこじらせてしまっているという状況が生まれたのではないでしょうか。
子供の姿を恐れながらではどんな子育てもうまくはいかないものです。
子供に問題がでたならば、そのときに対応を考えればそれでいいものです。
子供に転ばせてはならないと、先回り先回りして過保護過干渉をしていく人がいます。
ちょっと走っただけで、「あぶないあぶない」。大して危険でもないのに過剰に心配してそこに行かせなかったり、させなかったり、仮定の失敗ばかりに目がいってそれの心配のあまり予防線ばかりを張り巡らしてしまいます。
必ずとはいいませんが、そのような関わり方ではなかなか子育てはうまくいきません。
それよりも、「子供は転ぶものよね」とどっしりかまえていて、それで転んだら「じゃあ見てあげるから、いらっしゃい」と子供に自分で立たせて、「はい、これくらいなんともないよ」と自信を持って子供に示せる人の方がずっと子育てはすんなりといけることが多いです。
| 2014-08-01 | 相談 | Comment : 6 | トラックバック : 0 |
相談 食事時 食べ歩きテレビをみるクセをつけてしまった(1歳8月) - 2014.08.01 Fri
1歳8ヵ月の息子の食事について、相談させてください。
もっと早くこちらのブログに出会っていればよかったとすごく後悔しています。食事のカテゴリーの記事を読ませていただいたのですが、やってはいけないことを私はたくさんしてしまっていました…。
息子は母乳で育てており、最近は夜の寝かしつけと夜中の授乳(2~3回)があり、たまにお昼寝前にも飲んでいます。
離乳食を始めた頃からほとんど食べない子でした。また、手づかみを嫌がり(手が汚れるのを嫌います)、いまだに私が食べさせています。ただ、最近フォークには興味を示し、まだ自分では完璧にさせませんが、私がさして置いておくと、自分から持って食べるようになりました。
主人は「お前が神経質で、手が汚れたらすぐ拭いていたから、手づかみしなくなったんだ。」と言います。その通りだと思います…。
息子は1歳半頃から、食事中にダイニングのハイチェアからおりたいと、椅子をゆするようになりました。かなり激しくゆすって危ないのでおろすと、部屋中を歩き回って食べるようになりました。
いけないとは思いましたが、好きなDVDを見せながらだと、座って食べます。
ただ、今度はDVDをつけないと食べなくなってしまいました。ハイチェアに座ると「ビ、ビ!(テレビ)」と要求し、つけないと怒って泣き出し、ごはんどころではなくなります。
もともと食べない子なので、DVDを見ながらでも食べるなら…と思っていたのですが、やはりよくないと思い、何とかやめさせたいと思っています。
食べないなら片付ける、というのも何度かしたのですが、おっぱいが飲めると思っているからか、片付けても怒らず、食べなくても特におなかがすいたというアピールはありません。
また、私が来月から仕事復帰するために、今週から慣らし保育を始めたのですが、保育園でも座らず歩き回り、給食をまったく食べません。
保育士さんからは「環境が変わると急には食べないと思うので、しばらくは給食の時間にお母さんが来ていっしょに食べさせてみてください。」と言われ、そうしていますが、それでも食べる気配はありません。
ここのところは食べるものも限られてきて、チャーハン、うどん、オムライス、ドリア、パン、バナナは好きですが、ごはんとお味噌汁とおかず、のような献立だと食べません。
食べないからと言って、私が息子の好きなものばかりを作ってしまっていたからだと思います。
テレビのことも立ち歩きのことも好き嫌いのことも、私に責任があるのはわかっていて、反省しています。
でも、やはりせっかくの食事ですから息子に楽しんでほしいし、私も楽しみたいと思っています。
この相談は、食事の相談となっていますがおそらくは本当の問題点というのは食事のことなのではなくて、子供との関係性にあると考えられます。
なので、「うまい食べさせ方」というようなことを模索したところで、本質的な問題は解決しないのではないかと思います。
現状、子供とゆきさんの関わりが、
子供の行動 → それを押さえる(もしくは、困ったと感じる)大人のリアクション
ということの繰り返しになってしまっています。
親子の関わりにおいて、イニシアチブが子供にある状態です。
現在1歳8ヶ月という年齢ですから、行動の幅はそう大きくありませんので食事に関して顕著になっているのですが、これがこのままいけばほかの場面でも、「手に負えなさ」ということが増えてきてしまうでしょう。
多くの場合、このような親子の関わりになってしまっている人の背景には、大人の方にどのように子供と接したらいいかわからない、自信がもてないということがあります。
それゆえに、親子関係の主導権が子供にいってしまって、親はその子供の姿に苦慮するというパターンになってしまいます。
では要点は、大人の方が主導権を持つためにはどうするかということです。
べつにビシバシ厳しくしなさいということではありません。
そのために必要なことは、大人から子供に「受容」を示し積極的に関わると言うことです。
具体的には、「先回りした関わり」を意識することで、だんだんとその関係が取り戻せていけると思います。
「受容」、「先回りした関わり」、「信頼関係」というワードで検索していただけば、関連の過去記事がたくさんでてきます。
また、「心の育て方」や「相談」のカテゴリにもヒントになることがあるでしょう。
それプラス「弱い大人」で検索してもらって、その関連記事もおそらく助けになることと思います。
簡単に要点だけかいつまんでまとめると、こういうことです。
大人の方から子供をかわいがったり、笑顔で子供と関わる時間を多く持てるようになることで、子供はある程度の満足感を得られるようになります。
そういった、子供が大人との関係に安心感や満足感を持てていると、大人を困らせる要求というものが減ります。
また、もし子供が困る行動をしたとしても、大人がそれ以前の普段の関わりで、大人も子供も満足できる時間を共有できていると、そういった局面でも子供に対して自信をもって関わることができるようになります。
この関係性を作ることがまず大切です。
それができてしまえば、食事時の問題というのも自ずと方向性が見えてくるでしょう。
大人と子供の関係性が今のままでは、食事にかんしてあれこれしたとしてもたぶん迷走に終わってしまいます。
とりあえず、食事のことを強くどうこうしようと思わずに、それ以外のところで関係作りをしましょう。
「先回りした関わり」のところで出てくるとは思いますが、そういうことを積み重ねることで「共感性(心のパイプ)」というものが太くなっていきます。なので、そのためにも「たのしいねー」「うれしいねー」「きれいだねー」「おいしいねー」とたくさん共感する経験を意識的に増やしていくことも効果的です。
大人がしっかりとイニシアチブをもって関わっていて、子供との間に共感性を育んでいたら、子供がテレビを要求したとしても「ん、それはやだよ」と思い、伝えるだけで子供はその状態を受け入れていくことができるようになります。
しかし、その関係性がない状態ではより大きな大変さとしてでてくるだけのことが多いです。
これ関連の過去記事はとても多いので読むのは大変でしょう。今日すぐにでもできることは「くすぐりあそび」です。
一日のうちにたくさんくすぐって大人も子供と笑いあって楽しい時間を持つようにしてみましょう。
おそらく、それだけでも何かが変わってくると思いますよ。
| 2014-08-01 | 相談 | Comment : 3 | トラックバック : 0 |
相談 プレ保育での子供の様子にイライラしてしまう(2歳4ヶ月) - 2014.07.31 Thu
2歳4ヶ月の娘。ぬいぐるみを生きてるように可愛がる。順番を守れる。優しい。最近とても可愛らしい言動が増えました。でも今日はひどかったです。プレ保育に行っているが、今日は手遊び歌以外やらないの一点張り。相当イライラしました。お昼前には帰って来たのですが、夕方の今でもイライラがおさまらず娘を無視してしまっています。いけないのはわかっているのですが。娘の様子は私の育て方が原因ですか?どの様に声かけすれば良かったのでしょうか。楽しそうにやっている他の子達を見ると羨ましくてしょうがなかったです。今日は娘を叩いてしまいそうで怖いです。毎日毎日ビクビクしながらの育児、ホントに嫌です。投げ出したいです。
ここに書かれている内容からだと限定的なことしかわからないのだけど、そのプレ保育というのはどうしてもいかなければならないところなのかな?
このコメントにあることから察するに、これは子供にどういう声がけをすればいいかという問題ではなくて、よしえさん自身の育児ストレス等の問題になるかと思います。
推測ですがこの「イライラする」という原因は、
「娘さんが手遊びをしない」ということが問題なのではなく、「集団での遊びに参加しない子供の母親である自分が周囲の人からネガティブに見られているのではないか」というところからくるイライラなのではないでしょうか。
もし、その傾向があるのならば、そのような場に参加することは子育てにおいてマイナスになってしまうことの方が大きいでしょう。
コメントにあることだけから判断すると、僕は「そこに行かない」というのが最良の解決策だと思います。
子供の小さいうちは、親子で楽しく過ごせる環境で過ごすのが一番です。
「子供のために今のうちから集団に参加しなければ」などということは、別にそういうのが向いた子で楽しめるのならそれもいいでしょう程度のものです。
こちらの記事が該当する内容になっています。
前後の記事も参考になるでしょう。
乳児期における「友達関係」について Vol.2 必要なのは訓練ではなく良好な母子関係
7月2日、17日、25日の相談コメントのよしえさんと同じ方だと思いますが、これらの相談の背景にあるところでも、「他者から私がどう思われるか」という要素が入っていると感じます。
これを気にして子育てをしていると、往々にして迷走してしまうことが多いです。
「これをしていたらどう思われるか」、「子供がこういう姿だったらどう思われるか」、「この人と関わるときにどのように思われてしまうだろうか」
そこからくる、「周りにの人にこう思われてしまうかもしれないから、子供の姿をこうしなければ」という気持ちで子供に関わっていたら、子供は振り回されてしまいます。
あるカウンセラーの先生が言っていました。
「人にはしたくないと思うことをしない権利があるのです。どうしてもいやならばそれを避けていいのです」
その男の子と遊ぶことが負担に感じるのならば、避けていいのですよ。
公園で会うだけの相手に、無理してつきあわなければならない理由などありません。
相手のお母さんにどう思われるかなどを気にして、自分がしたくないことを無理してしないでいいのです。
自分が無理に無理を重ねていたら、我が子の姿のちょっとしたことにも無用なイライラを感じてしまうこともあるでしょう。
他者からの評価というのは子育てそのものとは何の関係もないことです。
そこを気にして子育てをするのではなく、母子関係の中でそこに子育ての喜びを見いだしていく方に気持ちを切り替えていくといいのではないでしょうか。
別に周囲がどう思っていようとも、子供の姿が笑顔で満足していればそれでいいのです。
そこに親としても満足を見いだしていけるようになれば、子育てを自己否定の場ではなく、自己肯定の場にしていくことが可能になるのではないかと思います。
| 2014-07-31 | 相談 | Comment : 5 | トラックバック : 0 |
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