「俺は子供のことなんかわからねぇょ」
祖父母の時代、男性はそのように言っておりました。
現代の男性はそのようにはっきりと、「自分は男だから子育てがわからなくて、できなくて当然なのだ」といったことは言わないかもしれませんが、
「
自分は子供のことよくわからないので、妻に任せています」
と言ったり、そういう意識の人は少なくありません。
しかし、実はここに盲点があります。
いまの大人が、いざ子供の親になったとき。
男性がそのように感じている
「自分は子供のことや子育てのことなどさっぱりわからない。どうやってご飯を食べさせればいいかも、遊ばせればいいかも、ちっとも知らない」
という気持ちは、女性もまったく同じなのです。
「母親が父親よりも、子育てに関してなんらかのアドバンテージを持っている」と、世の中の人は
無意識に思ってしまっています。
かつてはそうだったかもしれません。
しかし、現代はまったく、完全に少しもそんなことはありません。
ただ子育ては”待った”がききません。
「私は子供にご飯の食べさせ方も、なにを食べさせたらいいかもわからないのでやりません」
とは言えないものですから、世の母親は、そこからどうにかこうにかやり方を学んで、手探りでやってみて、なんとかこなしているだけなのです。
”子育てのスタート地点”は、母親も父親もまったく同じところから出発しているのが現代の子育て事情です。
”母親の方が子育てがわかっているから”、子育てをしているわけではないのです。
”必要に迫られているから”、なんとかやって身につけているだけなのです。
ですから、
「俺は男だから、子育てなんかわからない」
という言葉は、現代ではもう使えない言葉になっているわけです。
女性もまったくおなじで「子育てなんかわからない」なのです。
でも、誰かがやらざるを得ないからやっているだけなのです。
子供とふたりっきりで、何日かすごしていればそれは簡単にわかります。
多くのことが「やらざるを得ないもの」として、大人に絶えず突きつけられてきます。子育てにともなってくる家事全般も、同じように「やらなければならないもの」としてたくさん出てきます。
子供のご飯はどうしたって用意しなければならないし、服も洗濯しなければすぐに着せるものがなくなってしまいます。
「掃除はさぼれるかな・・・」と思っても、子供が敏感な肌アレルギーなど持っていたらそういうわけにもいきません。
それらは、下手でも、不得意でも、疲れていても、夜泣きや授乳で寝れていなくても、具合が悪くてもなんでも、ただただこなしていくしかありません。
男性だってやればできるようになります。
現代の子育ては、まったくスタート地点は男女とも同じなのです。