【まとめ】 「受容」を具体的に見ると - 2016.11.02 Wed
では、具体的な「受容」とはどういったことでしょうか?
①「あたたかな肯定的な関わり」を子供にすることは、その多くが受容として機能します。
「かわいいわね」「大好きよ」と子供に伝えることももちろん受容になりますが、日常生活のさまざまなことをあたたかく肯定的に行うことでも、それそのものが受容となっていきます。
例えば、一緒に食事をしながら「おいしいね」と子供とほほえみ合う。
これだって受容になりえます。
しかし、その食事の場面を、「残してはいけません!」「早く食べなさい!」などと子供に管理的だったり、支配的にしていたらそれはあまり受容としては機能しないことでしょう。
おむつ替えだって、無言でするのと、笑顔であたたかな言葉をかけながらするのでは、そこで子供に与えるものがまったく違ってきます。
そこからわかるように、子供を精神的に満たしていくためには大人の心持ちや姿勢が大きな意味を持ちます。
②ところで、外国ではそれこそ挨拶代わりに子供に「I love you」といった言葉をかける文化のところもありますが、日本ではあまりそういった家庭は多くはないことでしょう。
一方で現在は共働き家庭も多くなり、親の時間的余裕や精神的余裕も少なくなっています。
そういうわけですから、意識せずとも自然にまかなわれる受容的関わりは多くないのです。
その一方で、子供へのさまざまな要求は多くなりがちです。「しつけ」であるとか、「勉強」であるとか。また保育園に預ける人も多くなり、その保育時間も長時間化する傾向があります。
そこで、意識的な「受容」が必要になっています。
③では具体的な「受容」の仕方について見ておきましょう。
僕は受容で大切なことを3点あげています。
ひとつはよく言われるように「スキンシップ」です。
例えば子供を抱きしめることは、なにも言わずともそのままその子への肯定つまり受容となっています。
抱きしめることでなくとも、頭をなでたり、髪をとかしてあげたり、手をつないだり、身体をさすってあげたり、そういった皮膚感覚の接触は子供の心に安定をもたらします。
二番目は、言葉を使うことです。
「かわいいなー」
「大好きだよ」
「あなたといると楽しいよ」
一生懸命子供に関わっていても、言葉は使っているようで意外と使っていません。
使うのは、「ああしなさい」「こうしなさい」「早く」といった指示の言葉だったり、注意や小言とか、子供を誘導して大人の思い通りにしようとする作為的な言葉などが多かったりします。
現代では、子育てを頑張る人ほどそうなってしまう傾向があります。
ただ、子供をかわいがる言葉を使ってみましょう。
恥ずかしいなんてことはないですからね。
自分の子供をかわいがるのに何の遠慮もいらないのです。
三番目は「私から快く」です。
クタクタになるまで子供の相手をしているはずなのに、子供はちっとも満たされていない、安定していないといったことがあります。
その人は、子供がなにか要求すれば一生懸命かなえて、子供がぐずればなんとかしてそれをなだめようと頑張り、子供が欲しがる食べ物やおもちゃを与え、子育てに一生懸命です。
疲れたり、イライラしてもそれをなんとか心の中に押しとどめて、子供のためと頑張ります。
しかし、なぜか少しも子供は満たされていきません。
どうしてでしょう?
子供が本当に望んでいるのは、大好きなお父さんお母さんに積極的に快く関わってもらうことなのです。
でも、子供はどうしたらそれが得られるのかわからないので、どうしても大人を振り回すかたちで要求をだしそれをかなえてもらおうとします。
しかし、それだと大人は無理を押してすることになるので、いつまでたっても親の望みと子供の望みが平行線です。
大人が自己犠牲で子供のために尽くすのは、結局のところあまり子供のためにもならないのです。
子供が要求してきたことでも、親自身が「嫌だな」「しんどいな」と思うようなことは、きっぱりと「NO」と言ってしまった方が実は子供のためなのです。
そして、大人自身が快く関われるときに、気持ちよく「私から」積極的に子供にあたたかい関わりを向けてあげるのです。
子供の要求に振り回されてしまうのではなく、大人がイニシアチブを持って関わるサイクルにすると子供の安定は得やすくなります。
④僕がよくお勧めしているのは、「くすぐり」です。
くすぐって子供と遊ぶのは、この三つのことが簡単に短時間でもできます。
子供は追いかけっこをされるのも大好きですね。
「まてまてー」と子供を大人が追いかけると、子供はそこに自分への強い注目があることを楽しい遊びのなかで実感できます。
これも受容であり、子供を満たすことにつながります。
⑤多くの人が子供を「○○できるようにしよう」「ちゃんとさせよう」といった、子供を対象として「どうにかしよう」という方向性で子育てをとらえてしまいがちです。
でも、その前にすべきことが、子供にたくさんの「肯定」を贈ることなのです。
「あなたがいてくれて私は幸せだよ」
「生まれてきてくれて本当にうれしかったよ」
「あなたは私の宝物だよ」
これから子育てをスタートするのであれば、この肯定をたくさん贈ることから子育てをはじめてみて下さい。
もし、子育てでなにかつまずいていたら、それが何歳であれ受容するところに戻ってみて下さい。
年齢が大きくなってしまった子には、なかなか「かわいいわね」「大好きだよ」といったことはしにくいかもしれません。
そういう場合は、「ありがとう」という言葉を忘れずに使ってみて下さい。
「ありがとう」という言葉は、その子の行為、ひいては存在への肯定になっています。
もちろん、小さい子にだって「ありがとう」を使ってみて下さい。
⑥また、感情を言葉で表すこともちょっと気にとめておくといいでしょう。
大人は感情を表現することをしなくなりがちです。
「うれしい」
「たのしい」
「おいしい」
「気持ちいい」
こういったよい感情を出していくことも、子供を安心させ受容することにつながります。
大人が心地よく過ごしているということは、直接的な子供の肯定ではないけれど、間接的にいまのこの状況自分のしていることが肯定的に受け入れられているのだという実感を子供に感じさせます。
⑦それによって、あたたかい雰囲気がその場に形成されるのです。
そういう経験をしている子は、家庭でくつろぐことができ、そこに自分の居場所がしっかりあるという自信を持つことができます。
それゆえに安定し屈託のない姿を出して過ごすことがしやすくなっていきます。
⑧こういったことが、大人が望む「○○できるようにしなければ」などの前に必要なことなのです。
そして、それらをクリアしてしまえば、子供の姿を「どうしなければ」と大人が躍起になってこねくり回す必要そのものが少なくなっていきます。
結果的に無理のない子育てがそこにはあることでしょう。
①「あたたかな肯定的な関わり」を子供にすることは、その多くが受容として機能します。
「かわいいわね」「大好きよ」と子供に伝えることももちろん受容になりますが、日常生活のさまざまなことをあたたかく肯定的に行うことでも、それそのものが受容となっていきます。
例えば、一緒に食事をしながら「おいしいね」と子供とほほえみ合う。
これだって受容になりえます。
しかし、その食事の場面を、「残してはいけません!」「早く食べなさい!」などと子供に管理的だったり、支配的にしていたらそれはあまり受容としては機能しないことでしょう。
おむつ替えだって、無言でするのと、笑顔であたたかな言葉をかけながらするのでは、そこで子供に与えるものがまったく違ってきます。
そこからわかるように、子供を精神的に満たしていくためには大人の心持ちや姿勢が大きな意味を持ちます。
②ところで、外国ではそれこそ挨拶代わりに子供に「I love you」といった言葉をかける文化のところもありますが、日本ではあまりそういった家庭は多くはないことでしょう。
一方で現在は共働き家庭も多くなり、親の時間的余裕や精神的余裕も少なくなっています。
そういうわけですから、意識せずとも自然にまかなわれる受容的関わりは多くないのです。
その一方で、子供へのさまざまな要求は多くなりがちです。「しつけ」であるとか、「勉強」であるとか。また保育園に預ける人も多くなり、その保育時間も長時間化する傾向があります。
そこで、意識的な「受容」が必要になっています。
③では具体的な「受容」の仕方について見ておきましょう。
僕は受容で大切なことを3点あげています。
ひとつはよく言われるように「スキンシップ」です。
例えば子供を抱きしめることは、なにも言わずともそのままその子への肯定つまり受容となっています。
抱きしめることでなくとも、頭をなでたり、髪をとかしてあげたり、手をつないだり、身体をさすってあげたり、そういった皮膚感覚の接触は子供の心に安定をもたらします。
二番目は、言葉を使うことです。
「かわいいなー」
「大好きだよ」
「あなたといると楽しいよ」
一生懸命子供に関わっていても、言葉は使っているようで意外と使っていません。
使うのは、「ああしなさい」「こうしなさい」「早く」といった指示の言葉だったり、注意や小言とか、子供を誘導して大人の思い通りにしようとする作為的な言葉などが多かったりします。
現代では、子育てを頑張る人ほどそうなってしまう傾向があります。
ただ、子供をかわいがる言葉を使ってみましょう。
恥ずかしいなんてことはないですからね。
自分の子供をかわいがるのに何の遠慮もいらないのです。
三番目は「私から快く」です。
クタクタになるまで子供の相手をしているはずなのに、子供はちっとも満たされていない、安定していないといったことがあります。
その人は、子供がなにか要求すれば一生懸命かなえて、子供がぐずればなんとかしてそれをなだめようと頑張り、子供が欲しがる食べ物やおもちゃを与え、子育てに一生懸命です。
疲れたり、イライラしてもそれをなんとか心の中に押しとどめて、子供のためと頑張ります。
しかし、なぜか少しも子供は満たされていきません。
どうしてでしょう?
子供が本当に望んでいるのは、大好きなお父さんお母さんに積極的に快く関わってもらうことなのです。
でも、子供はどうしたらそれが得られるのかわからないので、どうしても大人を振り回すかたちで要求をだしそれをかなえてもらおうとします。
しかし、それだと大人は無理を押してすることになるので、いつまでたっても親の望みと子供の望みが平行線です。
大人が自己犠牲で子供のために尽くすのは、結局のところあまり子供のためにもならないのです。
子供が要求してきたことでも、親自身が「嫌だな」「しんどいな」と思うようなことは、きっぱりと「NO」と言ってしまった方が実は子供のためなのです。
そして、大人自身が快く関われるときに、気持ちよく「私から」積極的に子供にあたたかい関わりを向けてあげるのです。
子供の要求に振り回されてしまうのではなく、大人がイニシアチブを持って関わるサイクルにすると子供の安定は得やすくなります。
④僕がよくお勧めしているのは、「くすぐり」です。
くすぐって子供と遊ぶのは、この三つのことが簡単に短時間でもできます。
子供は追いかけっこをされるのも大好きですね。
「まてまてー」と子供を大人が追いかけると、子供はそこに自分への強い注目があることを楽しい遊びのなかで実感できます。
これも受容であり、子供を満たすことにつながります。
⑤多くの人が子供を「○○できるようにしよう」「ちゃんとさせよう」といった、子供を対象として「どうにかしよう」という方向性で子育てをとらえてしまいがちです。
でも、その前にすべきことが、子供にたくさんの「肯定」を贈ることなのです。
「あなたがいてくれて私は幸せだよ」
「生まれてきてくれて本当にうれしかったよ」
「あなたは私の宝物だよ」
これから子育てをスタートするのであれば、この肯定をたくさん贈ることから子育てをはじめてみて下さい。
もし、子育てでなにかつまずいていたら、それが何歳であれ受容するところに戻ってみて下さい。
年齢が大きくなってしまった子には、なかなか「かわいいわね」「大好きだよ」といったことはしにくいかもしれません。
そういう場合は、「ありがとう」という言葉を忘れずに使ってみて下さい。
「ありがとう」という言葉は、その子の行為、ひいては存在への肯定になっています。
もちろん、小さい子にだって「ありがとう」を使ってみて下さい。
⑥また、感情を言葉で表すこともちょっと気にとめておくといいでしょう。
大人は感情を表現することをしなくなりがちです。
「うれしい」
「たのしい」
「おいしい」
「気持ちいい」
こういったよい感情を出していくことも、子供を安心させ受容することにつながります。
大人が心地よく過ごしているということは、直接的な子供の肯定ではないけれど、間接的にいまのこの状況自分のしていることが肯定的に受け入れられているのだという実感を子供に感じさせます。
⑦それによって、あたたかい雰囲気がその場に形成されるのです。
そういう経験をしている子は、家庭でくつろぐことができ、そこに自分の居場所がしっかりあるという自信を持つことができます。
それゆえに安定し屈託のない姿を出して過ごすことがしやすくなっていきます。
⑧こういったことが、大人が望む「○○できるようにしなければ」などの前に必要なことなのです。
そして、それらをクリアしてしまえば、子供の姿を「どうしなければ」と大人が躍起になってこねくり回す必要そのものが少なくなっていきます。
結果的に無理のない子育てがそこにはあることでしょう。
| 2016-11-02 | 【まとめ】記事 | Comment : 3 | トラックバック : 0 |
【まとめ】 『叱らなくていい子育て』 - 2016.10.31 Mon
もう、10月も終わりになってしまいましたが、実は今月3日でこのブログも8年目を迎えました。
この記事で970記事目になります。
これまでいろいろと子育てについてのことや、その他のあれこれを書き綴ってきたわけですが、あまりに膨大な量になっていますし、計画的に書いているわけでもないのでまとまりもありません。
そこで、7周年の記念事業ということでもありませんが、僕の伝えたい子育ての骨子を少しずつまとめていこうかなと思い立ちました。
多忙になってきているのでどこまでできるかわかりませんが、とりあえずまずは僕のお伝えしたい”『叱らなくていい子育て』とはなんなのか?”を今回まとめていきたいと思います。
はじめてこのブログを読んだ方や、概要を手っ取り早く知りたい、再確認したいといった方にお読みいただければと思います。
では以下をどうぞ。
(イレギュラーな書き方ですが、まとめ記事なので理解しやすいようにセンテンスごとに丸数字を頭に振っています)
【まとめ】 『叱らなくていい子育て』
①僕の伝える「叱らなくていい子育て」は「叱らなくなる子育て」とも言えます。
「叱らなくていい子育て」として僕がお伝えしたいと思っているのは、「子供のことを叱ってはいけないよ」という意味ではありません。
世間には他にも「叱らない子育て」のたぐいの話はいくつもありますが、単に「叱ってはいけない」と言うだけでは、
叱らないよう努力してみる →実際の子供の姿は注意や叱る必要のある行動ばかり →叱るのを我慢するストレスの増大 →蓄積されたストレスや怒りからより強い叱り方や怒り方になり自己嫌悪・自分を責める気持ち →親として子供に関わる自信の喪失
を子育てする人に与えるだけになりかねません。
僕は、子供に関わるときの具体的なテクニックとして、「叱るのか?」「叱らないのか?」というレベルでのことではなく、もっと大きな子育ての枠組み自体に着目し子育ての仕組みそのものに働きかけることで、子育てを安定した状態に持っていくことをねらいとしています。
②なぜなら、多くの人が考えるところの「子育て」のやり方は、現代ではもはやそぐわなくなってきているからです。
その背景には、家族構成の変化、社会や教育が子供に要求するものの変化、女性のあり方や価値観の変化、親自身の生育歴などの、子供や子育てを取り巻く様々なものの変化があります。
そういった背景に気づくことも無理のない子育てを送るために有用であり、ケースによっては大きな意味をもつ場合もありますが、ここではそれを述べていると長くなるので割愛します。
(過去記事や著作の中では述べています)
③では、多くの人が「子育て」として理解しているこれまでの子育てのあり方とはどんなものでしょうか?
これもきちんと見ると長くなってしまいますがごくごくざっくりと言えば、「しつけ」の子育てに代表されるような、画一的に「こうあるべき」「こうしなければならない」といった関わり方。
そういった「子供をちゃんとさせなければ」といった姿勢で子育てをスタートしてしまうと、それは過干渉や過度な抑圧を生み、頑張っても頑張っても子育てが大変になってしまうという悪循環から抜け出せなくなるといったケースが大変多く見られます。
つまりは、「しつけ」や「○○できる」といった目に見えるような正解を子供に持たせていくという多くの人が自然と「子育て」と考えているものをそのまますると、現代では大人のその関わりがみずから「叱らなくてはならない状態」を子供に持たせてしまう傾向があるということです。
④そこで子供の成長を「○○できるようにしなければ」とか、「ちゃんとさせなければ」と関わってしまう前の段階を明確に意識することで、無理のない子育てのかたちに持っていくことが必要です。
その「前の段階」として僕は、「受容」のプロセスをしっかりと意識して子供に関わっていくことが、現代では不可欠になっていると考えています。
⑤これまでの日本の子育てでは、「子供を甘やかしてはならない」ということを大変重視していました。その当時はその子育ての考え方は必要なものだったのです。
たしかに「甘やかすこと」は、基本的には好ましいことではありません。
しかし、「甘やかすこと」を避けることが、いつのまにか「甘え」までも否定的にとらえるようになってしまっています。
その結果、現代ではごく子供が低年齢のときに本来もらうべき成長に必要なものが得られなくなっているケースが大変多いのです。
それゆえに、年齢を重ねるごとに子育てが思うようにいかないシーンに否応なく直面する可能性が高まります。
かつての日本の子育て状況では、「受容」は意識せずとも自然となされるものとなっていました。
現在では、その状況がなくなってきているので、そこを意識的にしなければ子育ての最初の段階でつまづきやすいのです。
⑥では、「受容」とはどういうことなのでしょう?
また、「受容」によってなにが得られるのでしょうか?
「受容」はその字面からもわかるように、「うけいれる」ということですね。
「甘え」を受けることもそのひとつではありますが、そればかりではなく子供の存在そのものを受け入れていくといったより大きなことともつながっています。
人間の子供は非常に未熟な存在としてこの世に生を受けます。
それは、子供が生きていくためには、大人による保護が不可欠であるということです。
それゆえ子供は、大人による自分へのあたたかい関心や保護を得て安心できなければ、大きな不安を持つことになり安定して成長していくことができません。
例えば、赤ちゃんは自分が一人であることに気づくと、クーンクーンと鼻を鳴らしたり、激しく泣いたりすることで大人を呼ぼうとしますね。大人に守られていることを確認して安心したいというとても強い欲求があるわけです。
子供はそれを、自分に対しての身の回りの世話をしてもらうこと、安心して睡眠をとること、授乳や食事をもらうこと、遊びの相手をしてもらったり、可愛がってもらう関わりをすることなどで健やかな成長のスタートをきることができます。
「甘え」としてでてくる子供の行動も、根っこにはこの「自分が守られていることを確認して安心したい」という欲求があります。
ですから、「甘え」は悪いものではないのです。それどころかそれを受け止めてもらうことは子供の成長には欠かせないことですらあると言えます。
しかし、現に子育てをしている人にとって「甘え」と「甘やかし」の違いがよくわからなくなっており、それゆえに子育てを難しくしてしまっているといった実際上の問題点も出てきています。(ここでは話がそれるのでこの問題にはこれ以上は触れません)
それら子供の基礎的な安定に必要なことをひっくるめて見ると広義の「受容」と言えるでしょうし、直接的な子供の甘えや欲求を満たすといったことが狭義の「受容」になるでしょう。
⑦では、次に「受容によってなにが得られるか?」を見ていきます。
子供は赤ちゃんのとき、特定の人間を頼ってそれに応えてもらうことで、その人との絆を深めていきます。
これを愛着形成といいます。
そこでの、人に世話してもらうことの心地よさ、相手をしてもらうことの楽しさ・安心感などが基礎になって、人間全般への信頼感を持てるようになります。
そうしてだんだんと信頼できる人の範囲や、その度合いが深まっていきます。
これが根底にあるので、子供は自発的に「大人に従う」といった行動がとれるようになっていくのです。
子供を「受容」すること、安心させ満足させる「満たす」という関わりを積み重ねることが子育ての基礎になるわけですね。
⑧この部分が足りない子供は、ネガティブな行動を出して大人の関心や目を惹こうとしたりする行動を取らざるを得なくなります。
それは大人からすると、「言うことを聴かない子」「手のかかる子」として見えてしまいます。
この状態に対して、「しつけ」などの既成の子育て概念で見てしまうと、その「すべきでない行動をさせない」という、子供を管理したり抑圧する行動をとってしまいがちです。
それが、怒ったり叱ったり、または「おだて」や「モノで釣る」「脅す」「ごまかす」などでその大人の望む行動を作り出そうとするといった多くの人が取りがちな子供への関わりになっています。
しかし、それでは足りていないものが満たされなかったり、より足りなくなるので、子供の姿はいつまでたっても大人の目から見て安定したものとなりません。
建物を作るときも、目に見える上物だけでなく、地中などの基礎にある部分が大切ですよね。
子育てもそれと同じで、なんらかの「結果」としては目に見えない基礎固めからスタートしていく必要があるのです。
これまでの日本の子育てでは、その基礎固めの部分が自然発生的にまかなわれていたので、ことさら意識する必要がありませんでした。
しかし、現代は子供と子育てを取り巻く様相が変わってしまったので、この基礎の部分を子育てする人が明確に意識する必要があるわけです。
⑨この「受容」という子育ての基礎の部分を、大人が意識的にしていくことで子供は大人に対する信頼感を高く維持するので、大人の要求をスルーしたり、反発したりする姿をそもそも出す必要がなくなり、子供の方から大人の気持ちに「寄り添う姿」が多くなってきます。
それは結果的には、叱ることや怒ることが少ない安定した子育てのあり方をもたらしてくれることでしょう。
これが本来の子育ての前提だったのです。
しかし、この部分が見失われてしまいがちなために、大変な子供の姿を導き出してしまい、それを押さえつけたり、なにか上手いテクニックによってコントロールする必要ばかりが多くなっているのが現在多く見られる子育てのかたちです。
⑩というわけで、僕がお伝えしたいと考えている「叱らなくていい子育て」は、「受容」という子育ての基礎の部分を明確に子育てのプロセスに組み込むことで、結果的に叱ったり怒ったりすることの少ない無理のない子育てを送ることに子育ての枠組みそのものを変えてしまうという考え方なのです。
以上が、「叱らなくいい子育て」のおおまかな説明になります。
その具体的な関わり方や、こういうときにどうしたらいいのだろうといった事例は過去記事および、拙著『保育士おとーちゃんの「叱らなくていい子育て」』 『保育士おとーちゃんの「心がラクになる子育て」』をお読みいただけたらと思います。
『保育士おとーちゃんの「叱らなくていい子育て」』では、「受容」に焦点を当て、なぜそれが必要になっているのか、具体的にはどうしていけばいいのか、子供の姿をどのようにとらえればいいのか、などを主にまとめてあります。
『保育士おとーちゃんの「心がラクになる子育て」』では、具体的な子育てのシーンでのQ&Aや「排泄の自立」の無理のないとらえ方など、そして子育てする人自身の心のあり方に触れて、その人に寄り添ったかたちで無理のない子育てを目指せるような本としてあります。
どちらも既存の育児本にはない視点が盛り込まれていると思います。
人によっては「この本によって人生が変わった」とも言っていただけました。
多くの人に無理のない子育てをしてもらって、子供と過ごす日々をよいものとして過ごしていただけたら幸いです。
この記事で970記事目になります。
これまでいろいろと子育てについてのことや、その他のあれこれを書き綴ってきたわけですが、あまりに膨大な量になっていますし、計画的に書いているわけでもないのでまとまりもありません。
そこで、7周年の記念事業ということでもありませんが、僕の伝えたい子育ての骨子を少しずつまとめていこうかなと思い立ちました。
多忙になってきているのでどこまでできるかわかりませんが、とりあえずまずは僕のお伝えしたい”『叱らなくていい子育て』とはなんなのか?”を今回まとめていきたいと思います。
はじめてこのブログを読んだ方や、概要を手っ取り早く知りたい、再確認したいといった方にお読みいただければと思います。
では以下をどうぞ。
(イレギュラーな書き方ですが、まとめ記事なので理解しやすいようにセンテンスごとに丸数字を頭に振っています)
【まとめ】 『叱らなくていい子育て』
①僕の伝える「叱らなくていい子育て」は「叱らなくなる子育て」とも言えます。
「叱らなくていい子育て」として僕がお伝えしたいと思っているのは、「子供のことを叱ってはいけないよ」という意味ではありません。
世間には他にも「叱らない子育て」のたぐいの話はいくつもありますが、単に「叱ってはいけない」と言うだけでは、
叱らないよう努力してみる →実際の子供の姿は注意や叱る必要のある行動ばかり →叱るのを我慢するストレスの増大 →蓄積されたストレスや怒りからより強い叱り方や怒り方になり自己嫌悪・自分を責める気持ち →親として子供に関わる自信の喪失
を子育てする人に与えるだけになりかねません。
僕は、子供に関わるときの具体的なテクニックとして、「叱るのか?」「叱らないのか?」というレベルでのことではなく、もっと大きな子育ての枠組み自体に着目し子育ての仕組みそのものに働きかけることで、子育てを安定した状態に持っていくことをねらいとしています。
②なぜなら、多くの人が考えるところの「子育て」のやり方は、現代ではもはやそぐわなくなってきているからです。
その背景には、家族構成の変化、社会や教育が子供に要求するものの変化、女性のあり方や価値観の変化、親自身の生育歴などの、子供や子育てを取り巻く様々なものの変化があります。
そういった背景に気づくことも無理のない子育てを送るために有用であり、ケースによっては大きな意味をもつ場合もありますが、ここではそれを述べていると長くなるので割愛します。
(過去記事や著作の中では述べています)
③では、多くの人が「子育て」として理解しているこれまでの子育てのあり方とはどんなものでしょうか?
これもきちんと見ると長くなってしまいますがごくごくざっくりと言えば、「しつけ」の子育てに代表されるような、画一的に「こうあるべき」「こうしなければならない」といった関わり方。
そういった「子供をちゃんとさせなければ」といった姿勢で子育てをスタートしてしまうと、それは過干渉や過度な抑圧を生み、頑張っても頑張っても子育てが大変になってしまうという悪循環から抜け出せなくなるといったケースが大変多く見られます。
つまりは、「しつけ」や「○○できる」といった目に見えるような正解を子供に持たせていくという多くの人が自然と「子育て」と考えているものをそのまますると、現代では大人のその関わりがみずから「叱らなくてはならない状態」を子供に持たせてしまう傾向があるということです。
④そこで子供の成長を「○○できるようにしなければ」とか、「ちゃんとさせなければ」と関わってしまう前の段階を明確に意識することで、無理のない子育てのかたちに持っていくことが必要です。
その「前の段階」として僕は、「受容」のプロセスをしっかりと意識して子供に関わっていくことが、現代では不可欠になっていると考えています。
⑤これまでの日本の子育てでは、「子供を甘やかしてはならない」ということを大変重視していました。その当時はその子育ての考え方は必要なものだったのです。
たしかに「甘やかすこと」は、基本的には好ましいことではありません。
しかし、「甘やかすこと」を避けることが、いつのまにか「甘え」までも否定的にとらえるようになってしまっています。
その結果、現代ではごく子供が低年齢のときに本来もらうべき成長に必要なものが得られなくなっているケースが大変多いのです。
それゆえに、年齢を重ねるごとに子育てが思うようにいかないシーンに否応なく直面する可能性が高まります。
かつての日本の子育て状況では、「受容」は意識せずとも自然となされるものとなっていました。
現在では、その状況がなくなってきているので、そこを意識的にしなければ子育ての最初の段階でつまづきやすいのです。
⑥では、「受容」とはどういうことなのでしょう?
また、「受容」によってなにが得られるのでしょうか?
「受容」はその字面からもわかるように、「うけいれる」ということですね。
「甘え」を受けることもそのひとつではありますが、そればかりではなく子供の存在そのものを受け入れていくといったより大きなことともつながっています。
人間の子供は非常に未熟な存在としてこの世に生を受けます。
それは、子供が生きていくためには、大人による保護が不可欠であるということです。
それゆえ子供は、大人による自分へのあたたかい関心や保護を得て安心できなければ、大きな不安を持つことになり安定して成長していくことができません。
例えば、赤ちゃんは自分が一人であることに気づくと、クーンクーンと鼻を鳴らしたり、激しく泣いたりすることで大人を呼ぼうとしますね。大人に守られていることを確認して安心したいというとても強い欲求があるわけです。
子供はそれを、自分に対しての身の回りの世話をしてもらうこと、安心して睡眠をとること、授乳や食事をもらうこと、遊びの相手をしてもらったり、可愛がってもらう関わりをすることなどで健やかな成長のスタートをきることができます。
「甘え」としてでてくる子供の行動も、根っこにはこの「自分が守られていることを確認して安心したい」という欲求があります。
ですから、「甘え」は悪いものではないのです。それどころかそれを受け止めてもらうことは子供の成長には欠かせないことですらあると言えます。
しかし、現に子育てをしている人にとって「甘え」と「甘やかし」の違いがよくわからなくなっており、それゆえに子育てを難しくしてしまっているといった実際上の問題点も出てきています。(ここでは話がそれるのでこの問題にはこれ以上は触れません)
それら子供の基礎的な安定に必要なことをひっくるめて見ると広義の「受容」と言えるでしょうし、直接的な子供の甘えや欲求を満たすといったことが狭義の「受容」になるでしょう。
⑦では、次に「受容によってなにが得られるか?」を見ていきます。
子供は赤ちゃんのとき、特定の人間を頼ってそれに応えてもらうことで、その人との絆を深めていきます。
これを愛着形成といいます。
そこでの、人に世話してもらうことの心地よさ、相手をしてもらうことの楽しさ・安心感などが基礎になって、人間全般への信頼感を持てるようになります。
そうしてだんだんと信頼できる人の範囲や、その度合いが深まっていきます。
これが根底にあるので、子供は自発的に「大人に従う」といった行動がとれるようになっていくのです。
子供を「受容」すること、安心させ満足させる「満たす」という関わりを積み重ねることが子育ての基礎になるわけですね。
⑧この部分が足りない子供は、ネガティブな行動を出して大人の関心や目を惹こうとしたりする行動を取らざるを得なくなります。
それは大人からすると、「言うことを聴かない子」「手のかかる子」として見えてしまいます。
この状態に対して、「しつけ」などの既成の子育て概念で見てしまうと、その「すべきでない行動をさせない」という、子供を管理したり抑圧する行動をとってしまいがちです。
それが、怒ったり叱ったり、または「おだて」や「モノで釣る」「脅す」「ごまかす」などでその大人の望む行動を作り出そうとするといった多くの人が取りがちな子供への関わりになっています。
しかし、それでは足りていないものが満たされなかったり、より足りなくなるので、子供の姿はいつまでたっても大人の目から見て安定したものとなりません。
建物を作るときも、目に見える上物だけでなく、地中などの基礎にある部分が大切ですよね。
子育てもそれと同じで、なんらかの「結果」としては目に見えない基礎固めからスタートしていく必要があるのです。
これまでの日本の子育てでは、その基礎固めの部分が自然発生的にまかなわれていたので、ことさら意識する必要がありませんでした。
しかし、現代は子供と子育てを取り巻く様相が変わってしまったので、この基礎の部分を子育てする人が明確に意識する必要があるわけです。
⑨この「受容」という子育ての基礎の部分を、大人が意識的にしていくことで子供は大人に対する信頼感を高く維持するので、大人の要求をスルーしたり、反発したりする姿をそもそも出す必要がなくなり、子供の方から大人の気持ちに「寄り添う姿」が多くなってきます。
それは結果的には、叱ることや怒ることが少ない安定した子育てのあり方をもたらしてくれることでしょう。
これが本来の子育ての前提だったのです。
しかし、この部分が見失われてしまいがちなために、大変な子供の姿を導き出してしまい、それを押さえつけたり、なにか上手いテクニックによってコントロールする必要ばかりが多くなっているのが現在多く見られる子育てのかたちです。
⑩というわけで、僕がお伝えしたいと考えている「叱らなくていい子育て」は、「受容」という子育ての基礎の部分を明確に子育てのプロセスに組み込むことで、結果的に叱ったり怒ったりすることの少ない無理のない子育てを送ることに子育ての枠組みそのものを変えてしまうという考え方なのです。
以上が、「叱らなくいい子育て」のおおまかな説明になります。
その具体的な関わり方や、こういうときにどうしたらいいのだろうといった事例は過去記事および、拙著『保育士おとーちゃんの「叱らなくていい子育て」』 『保育士おとーちゃんの「心がラクになる子育て」』をお読みいただけたらと思います。
『保育士おとーちゃんの「叱らなくていい子育て」』では、「受容」に焦点を当て、なぜそれが必要になっているのか、具体的にはどうしていけばいいのか、子供の姿をどのようにとらえればいいのか、などを主にまとめてあります。
『保育士おとーちゃんの「心がラクになる子育て」』では、具体的な子育てのシーンでのQ&Aや「排泄の自立」の無理のないとらえ方など、そして子育てする人自身の心のあり方に触れて、その人に寄り添ったかたちで無理のない子育てを目指せるような本としてあります。
どちらも既存の育児本にはない視点が盛り込まれていると思います。
人によっては「この本によって人生が変わった」とも言っていただけました。
多くの人に無理のない子育てをしてもらって、子供と過ごす日々をよいものとして過ごしていただけたら幸いです。
| 2016-10-31 | 【まとめ】記事 | Comment : 1 | トラックバック : 0 |
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