体罰の場合。そうでない場合。 vol.2 - 2019.01.12 Sat
体罰の場合。そうでない場合。 - 2019.01.11 Fri
また、一般にも「体罰」と主張するもの。
これらは、暴力を子供に振るうことを積極的に肯定しているものです。
「これは罰だから子育て(教育)上必要なのだ。自分のしていることは正しいのだ!」というものが「体罰」というわけですね。
もし、このブログの記事を読んで不安になってしまう人がいるとすれば、そのケースではないものが多いでしょう。
しつけは「正義」 - 2019.01.09 Wed
「脱しつけ」具体的方法 後編 - 2019.01.08 Tue
「脱しつけ」具体的方法 前編 - 2019.01.07 Mon
本日は座談会の告知を前記事で出しておりますので、一日に2記事UPになっています。座談会にご興味ある方は、前記事の告知を見落とさないようにして下さい。
また、長くなったので、記事を二分割して後編は明日UPします。
「しつけ」が子供を殺す - 2019.01.06 Sun
12月に子供をベランダに出すことについて書いたけれども、まさにその子育ての関わりが子供の死亡事故を誘発してしまった。
まだ、たったの2歳。
片付けをしなかったから、しつけのために出したとのこと。
そのお母さんは子育てに一生懸命だったのかもしれないし、もしかすると片付け云々は表面的な理由で、実際は子供の姿に疲弊しており子供から離れたい心理がそれをさせたのかもしれない。はたまた別の理由がそのお母さんの疲弊を生み出していたのかもしれない。
虐待をしていて死なせてしまったわけではない。
「外に締め出すことで子供に言うことをきかせる」という、「しつけ」として一般的なことをした結果、不慮の事故を招いてしまったケース。
どんなあなたでもいい - 2018.09.22 Sat
「子供が持っているなんらかの個性ゆえに大変になっている」というケースであれば、これはその子に合わせた関わりを模索していけばいいことです。
しかし、問題に思うのは、知らず知らず子供の姿の大変さを生み出してしまうケースです。
その人なりには子育てを一生懸命にやってきた結果、子供が荒れた姿を慢性的に出すようになったり、親自身も我が子と関わることが負担で仕方なくなってしまったり。
これらはもしかすると、いくつかの気づきを持っていればあらかじめ回避できたことかもしれない。
または、いまその渦中に入っている人は、この気づきを持っておけばだんだんとやわらぐ方にいけるかもしれない。
今日はこれについて書こうと思います。
占いとカウンセリングの違い - 2018.09.06 Thu
しかし、それでもカウンセリングは現代に必要なことだと思います。
人が心になにか問題を抱えているとき、それを自分だけで解決するのが困難なこともあります。
そのとき適切なカウンセリングを受けられることは、ひとつの有用な選択肢になります。
一方で、心の隙間があるとき、それを悪意を持って利用しようという人も後を絶ちません。
また、ここには悪意なくその人を利用しようとする人もいるので余計にやっかいです。
こんな記事がありました。
暴利をむさぼる「スピリチュアル起業主婦」らの手口。ほとんど素人なのにやけに高い料金設定の謎
人によっては簡単にスピリチュアル系の食いものにされてしまうので、占いとカウンセリングの違いを書いておきます。(以下TwitterにUPした記事の転載)https://twitter.com/hoikushioto
できないことに関して - 2018.06.23 Sat
僕はこのブログの記事を一般論として書いています。個々の人に対しての、こうしなさい、ということでは必ずしもありません。
特に、保育としての内容のものはなおさらです。保育に関してはちょっと厳しめです。
なので保育に関する記事を家庭の方が読む場合は少し割り引いて読んでください。
我が子の子育ての場合は、必ずしも出来なくたっていいんです。
うまくできないことがあっても、子育てがそれで破綻するということはありません。
そう思ったらそのことはそのままでもいいので、どこか別のところで子供を可愛がる関わりをしてみて下さい。
それで子育てはなんとでもなります。
なぜなら、子供は一番の親の味方で、親を常に肯定しようと思っているからです。
承認欲求に振り回されてしまう理由 - 2018.05.16 Wed
子育てと怒り vol.6 ~怒りのコントロール つづき~ - 2018.03.16 Fri
子育てがラクになる、ヒントや気づきが得られるかと思います。
お子さん連れでも参加可能ですので、どうぞいらして下さい。
最近は、ご夫婦でいらっしゃる方や、小さいお孫さんを持つ祖父母の方の参加も多くなっています。
詳細、お申し込み↓
保育士おとーちゃん 春の講演会
何か僕に聴いてもらいたい話のある方は、遠慮しなくていいので、会の始まる前や終わった後に僕をつかまえて、どしどし質問なりをぶつけて下さい。
極力時間のある限りおつき合いします。
ちなみに明日3月17日(土)は豊川市の座談会です。
お申し込まれた方、明日ですのでお間違いのないように。
さて、前回のつづき。
僕自身の怒りについて - 2018.03.14 Wed
子育てと怒り vol.5 ~目に見えない怒りをコントロールする方法~ - 2018.03.09 Fri
コメントもたくさんいただいているのですが、ご返信する余裕がありません。申し訳ありません。
しばらく間が空いてしまいましたが、このシリーズの続きをちょこちょこと書けるところで書いていきます。
目に見えない怒り、自分では怒りと認識していない種類の怒りがあります。
それがあったら良くないということではありませんが、程度やバランスの問題でそのままではいろいろ難しくしてしまうこともあります。
「愛情」のもう一つの弊害 ~緊密すぎる関係~ - 2018.02.23 Fri
それは、親子間の緊密すぎる関係です。
「愛情」という言葉は、「絆」や「献身」などの緊密さを想起させます。
どうとらえるかはもちろんその人しだいではあるのですが、「愛情」という言葉は抽象的な存在で、「これこれこういうかたちのものです」と誰もが共通に理解できるような性質のものではありませんので、極端な人の場合どこかでバランスがとれなくなることを防ぐ手段がありません。
「愛情」という言葉を使う人の無責任さ、特に男性 - 2018.02.22 Thu
しかし、そのわりには子育てにおいて、「愛情」という言葉がひんぱんに使われているのをみかけるのはなぜでしょう。
ここにも実は、「愛情」という言葉の問題点が隠れています。
「愛情」と「自己犠牲」は切っても切れない仲にある - 2018.02.21 Wed
おそらくこのあたりはキリスト教の観念から派生している言葉なのでしょう。
ですが、別にキリスト教徒でなくとも、多くの人が「愛情」という言葉や行為に持つイメージには、このような自己犠牲的なあり方を知らず知らず求める感覚を持っています。
先日、のぶみさんという絵本作家の人の作った歌詞が問題になりました。
なぜ、その歌詞が問題になったかというと、そこには「愛情」という文脈で、母親の自己犠牲を強要する視点があるからです。
「愛情」という言葉のリスク - 2018.02.18 Sun
僕は、保育・教育・子育て関係者が、しばしばとても気軽に「愛情」という言葉を発するのを聞くたびに、いろんな思いが頭の中を駆け巡ってしまってモヤモヤしてしまいます。
「愛情」という言葉は、一般に「それは揺るぎない子育ての真実」のようなとらえ方をされていることでしょう。
しかし、僕はそこに複数の誤解やミスリード、負の側面があることを実感的に知っているので、「愛情」が適切に指し示すもの自体は否定しませんが、その言葉を無造作にもちいることに大きな危機感を覚えます。
わかりやすいところから説明していきましょう。
子育てと怒り vol.4 ~誰かに受け止めてもらう~ - 2018.02.06 Tue
これまでの日本の子育ての最大のネックは、「否定的関わり」の積み重ねによって子供の正しい姿を作り出そうとしてきたことです。
「否定的関わり」とは、
ダメだし、注意、叱る、怒る、脅す、自尊心を傷つける、支配する、コントロールする、疎外、他者と比べる、体罰など
子育てと怒り vol.3 ~怒りのプールとのつきあい方~ - 2018.02.01 Thu
その最たるものと言っていいのが、「体罰」です。
暴力を振るわれることほど、自分の無力さや心細さを感じさせ自尊心を損なう行為はありません。
(*心細さ:とくに親からの体罰は、本来自分を守ってくれる存在と信じている人からの攻撃であり、自分が家庭や人生の中で孤立した存在であるという「心細さ」を感じさせることになる。その結果、生きていく上での自己肯定感や自尊感情、意欲を大きく損なう)
子育てと怒り vol.2 ~怒りの再生産~ - 2018.01.31 Wed
子供を育てる、関わる中で出てくる怒りのプールは、昨日今日のことだけではありません。
実は、自分の幼少期、親からされた子育て中でそれが蓄積されています。
子育てと怒り vol.1 - 2018.01.29 Mon
怒りというのは、人の感情の中でもっとも強いものです。
感情を動かすことが苦手な人であっても、多くの場合、うれしい、楽しい、好意を持つといった感情は覚えなくなっても、怒りや悲しみといった感情はそうそうなくなりません。
数ある感情の中でも、「怒り」は特殊な構造を持っています。
モラハラ男性を避ける方法 - 2017.08.22 Tue
モラハラ体質は男性だけに限らないのですが、家庭内にそれを向けるという点では男性が特に多いようです。
モラハラ体質を持つ人は、外からではわからないこともあります。
モラハラ体質は自己愛とマッチしやすく、その自己愛ゆえに「外面がよい」というケースがあるからです。
ですから、結婚する前はとてもいい人だと思っていたのが、家庭内に入るとまったく違う人格を見せるということがあります。
この特徴ゆえにモラハラ被害を訴えても、周りの人からは「え、あんないい人がそんなことするわけない」と理解してもらえない場合もあり、その状況はモラハラされる人をさらに苦しめます。
さて、このブログはあまり独身の女性の読者はそう多くないかもしれませんが、このモラハラ体質を持った人に結婚相手としてつかまらない方法がありますので、なにかの役に立てばとひとつそれを書いておきましょう。
『新編 日本一醜い親への手紙』 を応援しています - 2017.08.18 Fri
1997年発刊の『日本一醜い親への手紙』という本です。
それまで虐待という言葉は知られていても、その実態はまだ認知されていなかった時代です。
それを虐待をされた当事者の言葉からの生々しいメッセージとして伝えたことで、広く虐待の問題の実相が知られ、そこから虐待を社会問題として考える契機となりました。
それから20年経ち、この虐待の問題はなにか解決の兆しが見えるようになってきたでしょうか?
行政やNPOなどの支援が増えたとは言え、まだまだ本質的なところでその解決のいとぐちが見つかったわけではありません。
あなたは親不孝ではない - 2017.08.09 Wed
「お前はなんて親不孝な子なのだ」
「お前は私を悲しませたいのか」
「私を失望させてばかりでお前は意地の悪い子だ」
などの、親としての立場を強調し、子供のコントロールをしようとする人がおります。
「寄り添うこと」の大切さ vol.3 - 2017.04.28 Fri
「寄り添うこと」の大切さ vol.2 - 2017.04.25 Tue
「寄り添うこと」の大切さ vol.1 - 2017.04.24 Mon
その親(親の親)のあり方が引き起こす実際上の問題は、強い「管理と支配」「束縛」でした。
また、親の期待に応えようとする子供の気持ちを逆手に取るような、親の自己中心的な関わり方の問題もそこには出てきます。