「成長期の対応に手を焼いている」 - 2011.02.04 Fri
本来なら『幼保一元化とこども園制度』の続きを書くべきところなのですが、ちょっとまとめている時間がとれないので、一旦そちらは日延べすることにして、今回と次回はご質問のあったコメントを記事にさせてもらってそちらを答えていきたいと思います。
今回はイヤイヤ期(成長期)についてのご質問です。
これまでにも『魔の2歳児』のところでこの成長期についてまとめておりましたが、それだけでは不十分なところも多々ありますので、今回の質問を期に具体的にそのフォローができたらと思います。
やはり「成長期」の対応って理屈ではわかってもなかなかダダをこねる子供を前に思い通りにはいかないことも多いですよね。
まあ、思い通りにいかなくて当たり前のことです。
子育てすべてにおいて上手な対応ができなければいけないなんてことはないので、子供が思い通りにならなくても心配することはないのですが、どうにも親がいっぱいいっぱいになってしまうといろいろつらいですよね。
おそらく多くの方が同じようなことで悩んでいらっしゃることと思います。
多少なりとも参考になれればよいのですが。
では、ゆきさんからのご質問のコメントを転載させていただきます。↓
イヤイヤ期?に困り果て、答えを見つけたくてyahoo知恵袋でのアドバイスで、おとうちゃんさんのブログを紹介されている方がいらっしゃってそこから流れつきました。
今まで、ブログを参考にさせていただいて難題も突破して、うまく乗り越えられたようだったのですがとうとう相談させてください。
もうどう対処したらいいのか分からなくて。
3歳になったばかりの娘がいます。
とても言葉も早く、口から先に生まれてきた とはうちの娘のこと?というおしゃまな可愛い娘です。
でも、最近(2歳後半くらいから)執着が激しくて、手におえなくなっていて、これをどう対応していけばいいのかを教えてもらいたいのです。
例えば、お箸でつまみにくいものが出てくると果敢に何度もチャレンジするのですが、ヒートアップしてき、泣き出し、途中からは泣く事がしたいようにも感じるほどで思いがけずつかめてしまっても、もう1回つかめない状態にして泣き叫びます。
なぜ泣き叫ぶのか理解してあげられるんですが理解してあげて、「そうか~○○なんやな~」って共感してあげても、彼女の熱は下がるどころかどんどんヒートアップして、手もつけられない状態になります。
そうなると、私もヒートアップして怒鳴り散らしてしまいます。
それこそ、理詰めです(情けない)
理解出来ても、どうすることもできない状況もあります。
例えば、クッキーが割れてしまったら 元に戻して と号泣。
運転中、パンを持ってくることを忘れてしまったらパンがないことに号泣、なんでないのか とぐずりピーク。
うっかり食べてしまった食べ物を口から出せと要求。
最近では その「スイッチ」が入ると私がイライラしてしまい、共感さえしてあげられなくなってきています。
スイッチが入った時、どうしてあげればいいでしょうか?
また、例えば、そのアドバイスをしてもおさまらないときは どうすればいいでしょうか。
最後に、どうすることもしてあげられないことでスイッチが入ってしまったときもどうしたらいいでしょうか。
あ、またか って放置(っていうと言葉が悪いですが)するのもいいよっと教わってしたことがあるのですが、いっこうにおさまることはありませんでした。
自分の願いが解消したらケロリなんですが、可能な願いなら聞いてあげたほうがいいのでしょうか。
甘やかしになりませんか?
長文ですみません。
ほんとうに大事で可愛い娘です。
望んで授かった子なのに、時にはいらない!と口にしてしまうこともあって、深く傷つけてしまうこともあります。
いつも反省して、機嫌のなおったときに謝って、おかあちゃんは○○が辛かってん と伝えるようにはしています。
いつも許してくれることに甘えているのかもしれませんね。
大事な大事な娘の毎日を
楽しいものに、私と笑顔いっぱいの日々にしてあげたいと思います。
どうか、アドバイスお願いします。
もうパンパンです(^^;)
ゆきさんはじめまして、コメント読ませていただきました。
娘さん成長期まっただ中、毎日さぞかしたいへんだろうとお察しします。
コメントに書かれていることと僕の経験から考えられることで、アドバイスらしきものを書いていくつもりですが、なにぶんにも実際の様子を見てのことではないので、見当違いのことを言っているかもしれません、あくまで参考のひとつと思って聞いてください。
成長期の出方には個人個人のばらつきがずいぶんとあるものです。
「うちの子はイヤイヤ期ってなかったわ~」なんていう人がいるのを聞いたことがあるかと思います。
そういう子はそういう気質の子だったのでしょうね。別になかったからといって特に問題もなく成長していけるものです。(中には親が厳しすぎるために「だしたくても出せなかった」というタイプもありますので例外ももちろんありますが)
逆に考えると、イヤイヤ期が無いような子もいる一方で、とてもとてもそれが強くでるという子もいます。
それはそういうもってうまれた気質なのでしょう。
相手をする親は大変だけれども、別に悪いことでもなんでもないわけです。
多くの場合成長期はだれしも、その時期はものすごく大変なものなんだけど、対応がうまい下手に関わらずその時期を乗り越えるだけ乗り越えてしまいさえすれば、親も子も「そんなときもあったね~」と思えるくらいになってしまうようです。
ゆきさんはこれまで「共感」したり、感情的になってしまったあとでも「フォロー」したりと、とてもよくがんばったな~と思いますよ。
それでそのときのイヤイヤが収まらなかったかもしれないけれど、でもけっしてそのことは無駄になっていないはずです。
その「受け止めてもらったこと」なんかがきちんと子供の「心の成長」の肥やしになってだんだんと自立していく(成長期を乗り越えられる)方へと子供を導いていっているはずです。
イヤイヤ期が終わるところまでもうあと少しのところまで来ているかもしれないよ。
よくがんばったね。
とは言っても現に毎日大変なわけですよね。
少しでもイヤイヤの程度をおさえるためになるかなと思われることを書いときます。
以前の成長期の記事にも書いてあるので繰り返しになってしまうかもしれないけれど、イヤイヤになってしまったとき以外にも、普段から「共感」することを増やしていきましょう。
「ごはんおいしいね~」
「お花咲いてるね~きれいだね~」
「鼻水でちゃったね」
「病院いやだったんだね。でもよくがんばれたね」
などなど、ダダをこねなくても親は自分の気持ちを汲んでくれる人なんだ、とちょっとづつでも理解していけると、強行にダダをこねなくてもいいとわかっていける道理です。
また、ダダをこねてからの対応ではどうにもならないことが多いので、そうなってしまう前、機嫌のいいときから「肯定的な関わり」を増やしていくのも良いでしょう。
「今日はご飯たくさん食べられたね、えらいね~」
「絵本じょうずにきいてたね」
「ママがご飯作ってる間、自分で遊んでまっててくれてありがとう」
些細なことでいいので、(というより些細なことが大事)いろんなことを「認めて」いってあげましょう。
(後で述べますが、立派なことをさせてそれを認めるだと心理的な負担になってしまう可能性もあるので。)
「そういうのって言われているときはなるほどって思うのだけど、実際なかなかうまく出来ないわ」
という人でも大丈夫。
↑のこともできる限りやったほうがいいと思うけど、とにかく簡単にできるのは「くすぐること」です。
駄々っ子になってしまう前に、機嫌のいいときに遊びとして子供をくすぐりましょう。
そしてそれを親も子も笑いながら楽しめたら、それはとっても大きな「共感」です。
一日に何度でもやってあげましょう。
それを毎日繰り返し楽しめていたら、おそらく多少なりともイヤイヤは軽減されていくと思いますよ。
あと「まねっこゲーム」もいいかも。
子供のしぐさを大人が真似してあげるの。
大人がそれを楽しい気分でやってると、真似されるのを子供も楽しくなって、いろいろやってくるからそれにも応えていってあげるといいよ。
くすぐりにしてもまねっこにしても、義務でやっても意味ないですからね。
子供と二人で楽しみましょう。
そんな親子の関わりを再確認できる遊びが、イヤイヤ期を軽いものに、また短いものにしていってくれるかと思います。
それから、その時期でお箸を使っているっていうところでなんとなく感じたのだけど、(間違ってたらごめんなさいね)言葉もとても早くおしゃまな娘さんということで、もしかすると「出来る姿」を2歳の後半くらいからたくさん求めるようになってしまっていないかな?
別に「無理やり何事かをやらせているのではないか?」と非難しているわけではないんですよ。
子供は親がそれを喜んでくれる、求めていると感じるだけで、それに一生懸命応えようとするものです。
ですが、それに応えようとするあまり、その時期では多すぎるくらいにがんばってしまって、(見た目は嫌がったりしているわけではなくても)ときとして「心のキャパシティ」を超えてしまって、処理しきれない感情をもてあましてしまうことがあります。
そういった感情は別のところで噴き出してきます。
それで心はバランスを取ろうとするわけだね。
この時期だとそんなことが容易に、過剰なイヤイヤ期を作ってしまうことがあります。
ブログのなかでもしばしば紹介していますが、利発でなんでも出来てしまう子、出来るあまり親にたくさん期待されてしまう子、年齢以上にお姉さんお兄さん扱いされてしまう子には、こういったことがよくあります。
特にいろんな理由で女の子に多いです。
ゆきさんのところみたく3歳を迎えた子供というのは、それまでとは大きく成長していろいろできるようになってきたことと思います。
でも、ほんのちょっと前まで赤ちゃんだった人なのです、大人からすると成長してできる事が多くなってくるといろいろ期待してしまうものだけど、子供にとっては成長つまり自立とは怖いことでもあります。
それまで母親と一心同体だった赤ちゃんから、「一個の自立した自我」へのまさに目覚めの時期がこの『成長期』なわけですから。
だから、安心させてあげるためにも、出来るようになったことを認める一方で、ちょっと前の状態にいたい(言ってみれば赤ちゃんでいたい)という気持ちも受け止めてあげることが大事だったりもします。
3歳くらいになると子供も赤ちゃんぽくするのは恥ずかしいという感情がすこしずつ育ってきてしまっています。
大人からしても「あんまり甘えさせても」と思ってしまうこともあります。
でも、ちょっと意図的に大人のほうから甘えさせてあげましょう。
言いなりになって「あまやかせ」という意味ではないですよ。
駄々っ子になっていないときに、抱っこしてあげたり、「かわいいかわいい、チュー」とかしてあげると、子供は安心できるんです。
「まだ甘えてよかったんだ」「お母さんちゃんと守ってくれるんだ」と。
そうして安心できると、「自立の方向」=「成長期を乗り越える方へ」と子供の深いところにある心も安心して、進ませてくれます。
イヤイヤ中の対応につきましては、人それぞれしかもそのときそのときでずいぶん対応のしかたも変ってしまうものなので、こうすればいいとはっきり言えるものってあまりないのです。
時には感情的になってしまうこともあると思います、それでもフォローができるのなら、子供からしてもそれはそういう経験となりますので、それはそれで意味のないことではないでしょう。
まあ、いつでもヒステリーみたいな対応はけっして良くないけどね。
なにごともバランスだね。
時には真正面から受けずに感情を受け流すこともいいと思います。
ひとつ気をつけるとしたら↓
「大人がさせるべきではないと思っていることまで、子供のいいなりになってやらせてしまうこと」だけは避けましょう。
いま感じて思ったところはそんなところです。
またなにかありましたら、なんでもコメントしてください。
大変だとは思いますが、あとはもう乗り切るだけですよ。この時期が終われば子供はだいぶ(それ以前に較べれば・・)手がかからなくなるものですからね。もうちょっとだけがんばってくださいね。
他の方への参考にもなるかと思いまして、勝手ではありますがコメントを記事にさせていただきました。
ありがとうございました。
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今回はイヤイヤ期(成長期)についてのご質問です。
これまでにも『魔の2歳児』のところでこの成長期についてまとめておりましたが、それだけでは不十分なところも多々ありますので、今回の質問を期に具体的にそのフォローができたらと思います。
やはり「成長期」の対応って理屈ではわかってもなかなかダダをこねる子供を前に思い通りにはいかないことも多いですよね。
まあ、思い通りにいかなくて当たり前のことです。
子育てすべてにおいて上手な対応ができなければいけないなんてことはないので、子供が思い通りにならなくても心配することはないのですが、どうにも親がいっぱいいっぱいになってしまうといろいろつらいですよね。
おそらく多くの方が同じようなことで悩んでいらっしゃることと思います。
多少なりとも参考になれればよいのですが。
では、ゆきさんからのご質問のコメントを転載させていただきます。↓
イヤイヤ期?に困り果て、答えを見つけたくてyahoo知恵袋でのアドバイスで、おとうちゃんさんのブログを紹介されている方がいらっしゃってそこから流れつきました。
今まで、ブログを参考にさせていただいて難題も突破して、うまく乗り越えられたようだったのですがとうとう相談させてください。
もうどう対処したらいいのか分からなくて。
3歳になったばかりの娘がいます。
とても言葉も早く、口から先に生まれてきた とはうちの娘のこと?というおしゃまな可愛い娘です。
でも、最近(2歳後半くらいから)執着が激しくて、手におえなくなっていて、これをどう対応していけばいいのかを教えてもらいたいのです。
例えば、お箸でつまみにくいものが出てくると果敢に何度もチャレンジするのですが、ヒートアップしてき、泣き出し、途中からは泣く事がしたいようにも感じるほどで思いがけずつかめてしまっても、もう1回つかめない状態にして泣き叫びます。
なぜ泣き叫ぶのか理解してあげられるんですが理解してあげて、「そうか~○○なんやな~」って共感してあげても、彼女の熱は下がるどころかどんどんヒートアップして、手もつけられない状態になります。
そうなると、私もヒートアップして怒鳴り散らしてしまいます。
それこそ、理詰めです(情けない)
理解出来ても、どうすることもできない状況もあります。
例えば、クッキーが割れてしまったら 元に戻して と号泣。
運転中、パンを持ってくることを忘れてしまったらパンがないことに号泣、なんでないのか とぐずりピーク。
うっかり食べてしまった食べ物を口から出せと要求。
最近では その「スイッチ」が入ると私がイライラしてしまい、共感さえしてあげられなくなってきています。
スイッチが入った時、どうしてあげればいいでしょうか?
また、例えば、そのアドバイスをしてもおさまらないときは どうすればいいでしょうか。
最後に、どうすることもしてあげられないことでスイッチが入ってしまったときもどうしたらいいでしょうか。
あ、またか って放置(っていうと言葉が悪いですが)するのもいいよっと教わってしたことがあるのですが、いっこうにおさまることはありませんでした。
自分の願いが解消したらケロリなんですが、可能な願いなら聞いてあげたほうがいいのでしょうか。
甘やかしになりませんか?
長文ですみません。
ほんとうに大事で可愛い娘です。
望んで授かった子なのに、時にはいらない!と口にしてしまうこともあって、深く傷つけてしまうこともあります。
いつも反省して、機嫌のなおったときに謝って、おかあちゃんは○○が辛かってん と伝えるようにはしています。
いつも許してくれることに甘えているのかもしれませんね。
大事な大事な娘の毎日を
楽しいものに、私と笑顔いっぱいの日々にしてあげたいと思います。
どうか、アドバイスお願いします。
もうパンパンです(^^;)
ゆきさんはじめまして、コメント読ませていただきました。
娘さん成長期まっただ中、毎日さぞかしたいへんだろうとお察しします。
コメントに書かれていることと僕の経験から考えられることで、アドバイスらしきものを書いていくつもりですが、なにぶんにも実際の様子を見てのことではないので、見当違いのことを言っているかもしれません、あくまで参考のひとつと思って聞いてください。
成長期の出方には個人個人のばらつきがずいぶんとあるものです。
「うちの子はイヤイヤ期ってなかったわ~」なんていう人がいるのを聞いたことがあるかと思います。
そういう子はそういう気質の子だったのでしょうね。別になかったからといって特に問題もなく成長していけるものです。(中には親が厳しすぎるために「だしたくても出せなかった」というタイプもありますので例外ももちろんありますが)
逆に考えると、イヤイヤ期が無いような子もいる一方で、とてもとてもそれが強くでるという子もいます。
それはそういうもってうまれた気質なのでしょう。
相手をする親は大変だけれども、別に悪いことでもなんでもないわけです。
多くの場合成長期はだれしも、その時期はものすごく大変なものなんだけど、対応がうまい下手に関わらずその時期を乗り越えるだけ乗り越えてしまいさえすれば、親も子も「そんなときもあったね~」と思えるくらいになってしまうようです。
ゆきさんはこれまで「共感」したり、感情的になってしまったあとでも「フォロー」したりと、とてもよくがんばったな~と思いますよ。
それでそのときのイヤイヤが収まらなかったかもしれないけれど、でもけっしてそのことは無駄になっていないはずです。
その「受け止めてもらったこと」なんかがきちんと子供の「心の成長」の肥やしになってだんだんと自立していく(成長期を乗り越えられる)方へと子供を導いていっているはずです。
イヤイヤ期が終わるところまでもうあと少しのところまで来ているかもしれないよ。
よくがんばったね。
とは言っても現に毎日大変なわけですよね。
少しでもイヤイヤの程度をおさえるためになるかなと思われることを書いときます。
以前の成長期の記事にも書いてあるので繰り返しになってしまうかもしれないけれど、イヤイヤになってしまったとき以外にも、普段から「共感」することを増やしていきましょう。
「ごはんおいしいね~」
「お花咲いてるね~きれいだね~」
「鼻水でちゃったね」
「病院いやだったんだね。でもよくがんばれたね」
などなど、ダダをこねなくても親は自分の気持ちを汲んでくれる人なんだ、とちょっとづつでも理解していけると、強行にダダをこねなくてもいいとわかっていける道理です。
また、ダダをこねてからの対応ではどうにもならないことが多いので、そうなってしまう前、機嫌のいいときから「肯定的な関わり」を増やしていくのも良いでしょう。
「今日はご飯たくさん食べられたね、えらいね~」
「絵本じょうずにきいてたね」
「ママがご飯作ってる間、自分で遊んでまっててくれてありがとう」
些細なことでいいので、(というより些細なことが大事)いろんなことを「認めて」いってあげましょう。
(後で述べますが、立派なことをさせてそれを認めるだと心理的な負担になってしまう可能性もあるので。)
「そういうのって言われているときはなるほどって思うのだけど、実際なかなかうまく出来ないわ」
という人でも大丈夫。
↑のこともできる限りやったほうがいいと思うけど、とにかく簡単にできるのは「くすぐること」です。
駄々っ子になってしまう前に、機嫌のいいときに遊びとして子供をくすぐりましょう。
そしてそれを親も子も笑いながら楽しめたら、それはとっても大きな「共感」です。
一日に何度でもやってあげましょう。
それを毎日繰り返し楽しめていたら、おそらく多少なりともイヤイヤは軽減されていくと思いますよ。
あと「まねっこゲーム」もいいかも。
子供のしぐさを大人が真似してあげるの。
大人がそれを楽しい気分でやってると、真似されるのを子供も楽しくなって、いろいろやってくるからそれにも応えていってあげるといいよ。
くすぐりにしてもまねっこにしても、義務でやっても意味ないですからね。
子供と二人で楽しみましょう。
そんな親子の関わりを再確認できる遊びが、イヤイヤ期を軽いものに、また短いものにしていってくれるかと思います。
それから、その時期でお箸を使っているっていうところでなんとなく感じたのだけど、(間違ってたらごめんなさいね)言葉もとても早くおしゃまな娘さんということで、もしかすると「出来る姿」を2歳の後半くらいからたくさん求めるようになってしまっていないかな?
別に「無理やり何事かをやらせているのではないか?」と非難しているわけではないんですよ。
子供は親がそれを喜んでくれる、求めていると感じるだけで、それに一生懸命応えようとするものです。
ですが、それに応えようとするあまり、その時期では多すぎるくらいにがんばってしまって、(見た目は嫌がったりしているわけではなくても)ときとして「心のキャパシティ」を超えてしまって、処理しきれない感情をもてあましてしまうことがあります。
そういった感情は別のところで噴き出してきます。
それで心はバランスを取ろうとするわけだね。
この時期だとそんなことが容易に、過剰なイヤイヤ期を作ってしまうことがあります。
ブログのなかでもしばしば紹介していますが、利発でなんでも出来てしまう子、出来るあまり親にたくさん期待されてしまう子、年齢以上にお姉さんお兄さん扱いされてしまう子には、こういったことがよくあります。
特にいろんな理由で女の子に多いです。
ゆきさんのところみたく3歳を迎えた子供というのは、それまでとは大きく成長していろいろできるようになってきたことと思います。
でも、ほんのちょっと前まで赤ちゃんだった人なのです、大人からすると成長してできる事が多くなってくるといろいろ期待してしまうものだけど、子供にとっては成長つまり自立とは怖いことでもあります。
それまで母親と一心同体だった赤ちゃんから、「一個の自立した自我」へのまさに目覚めの時期がこの『成長期』なわけですから。
だから、安心させてあげるためにも、出来るようになったことを認める一方で、ちょっと前の状態にいたい(言ってみれば赤ちゃんでいたい)という気持ちも受け止めてあげることが大事だったりもします。
3歳くらいになると子供も赤ちゃんぽくするのは恥ずかしいという感情がすこしずつ育ってきてしまっています。
大人からしても「あんまり甘えさせても」と思ってしまうこともあります。
でも、ちょっと意図的に大人のほうから甘えさせてあげましょう。
言いなりになって「あまやかせ」という意味ではないですよ。
駄々っ子になっていないときに、抱っこしてあげたり、「かわいいかわいい、チュー」とかしてあげると、子供は安心できるんです。
「まだ甘えてよかったんだ」「お母さんちゃんと守ってくれるんだ」と。
そうして安心できると、「自立の方向」=「成長期を乗り越える方へ」と子供の深いところにある心も安心して、進ませてくれます。
イヤイヤ中の対応につきましては、人それぞれしかもそのときそのときでずいぶん対応のしかたも変ってしまうものなので、こうすればいいとはっきり言えるものってあまりないのです。
時には感情的になってしまうこともあると思います、それでもフォローができるのなら、子供からしてもそれはそういう経験となりますので、それはそれで意味のないことではないでしょう。
まあ、いつでもヒステリーみたいな対応はけっして良くないけどね。
なにごともバランスだね。
時には真正面から受けずに感情を受け流すこともいいと思います。
ひとつ気をつけるとしたら↓
「大人がさせるべきではないと思っていることまで、子供のいいなりになってやらせてしまうこと」だけは避けましょう。
いま感じて思ったところはそんなところです。
またなにかありましたら、なんでもコメントしてください。
大変だとは思いますが、あとはもう乗り切るだけですよ。この時期が終われば子供はだいぶ(それ以前に較べれば・・)手がかからなくなるものですからね。もうちょっとだけがんばってくださいね。
他の方への参考にもなるかと思いまして、勝手ではありますがコメントを記事にさせていただきました。
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| 2011-02-04 | 『魔の2歳児』 | Comment : 60 | トラックバック : 0 |
楽しい子育てのために その3 「魔の2歳児」 つづきのつづきのつづき - 2010.01.15 Fri
どうしょうもなく無計画に書いているのでわけわからないタイトルになっちゃってますが、「成長期」についての第四回目です。
今回は話し合ったとしても、ちっとも通じなくなってしまうくらいゴネゴネになってしまったときの対応の仕方についてです。
本気でゴネだすと、2歳そこそこのこどもなのにほんとに「テコでも動かない」という状況になります。大人がこのくらいのエネルギーを何かに向けられたらきっとすごいことできるんだろうな~~たぶん無理だけど(笑)。
さ~~~そうなってしまうと、大人も感情的になったり、家の中ならまだしも外出先だったりすると困ってあたふたしたりしてしまいます。
そうなると、怒って無理やり終わらせてしまったり、いいなりになったりしてしまい易いのですが、そうする前にできることがあります。
まず最初に、周囲の迷惑にならないところならば、周りの目を気にするのはやめましょう。みんな通ってきた道です周囲の大人たちも虐待してるとは思わないから大丈夫、あわてず対応しましょう。
周囲の目を気にしないでいいと思えば、少し冷静になれます。なんでこんなことを言うかっていうとね、こどもって大人がいまゴネられちゃ困るっていうところでしっかりゴネるのよ(笑)。
「成長期」のピークではこどもが感情的になって、たとえば泣きながらとかゴネます。
これまで「成長期は自己主張の練習期間」と言ってきましたが、実はもうひとつあります。それは「感情のコントロールを学ぶ時期」でもあるということです。たぶん、その両方が獲得できて初めて「自我」と呼べるものになるんだろうね。
この時期までのこどもは感情のコントロールがあまりできません。いま自分がどういう感情でいるか、そもそも感情にどんな種類があるかも認識していないでしょう。
「いま、あなたがどういう感情でいるか」このことを伝えてあげることで、こどもも感情のコントロールをしやすくなります。
具体的にはどうするかというと、前回のように公園から帰りたがらない例であてはめると。
「ヤダーーモットアソブーー」(と大泣きしながら叫ぶようにゴネている
大人もちょっと冷静になって話す、冷静になれなくても声のトーンだけでも抑えて「いま、○○ちゃんすっごくイライラしているよ、ちょっと落ち着いて話してごらん」とか、「そんなに泣いてるとなに言ってるかわからないよ、泣き止んで話してみて」とかね。
大人も冷静になれなかったり、イライラしてしまうのなら正直に伝えましょう。「そんなに○○ちゃんが怒っていると、おとーちゃんも怒りたくなっちゃうから、怒らないで話してっ!」
↑この「あなたが○○だとわたしも○○になっちゃう」と正直に自分の感情を話すのはけっこうこどもに伝わります。自分がどういう状態で大人がどういう感情でいると認識できることは、感情のコントロールの大きな助けになると思います。
これでこどもが少しでも落ち着けば前回のところで見たように、話し合ったり、言い聞かせる余地ができるかと思います。
ここで大事なのは、話し合って「じゃあ、あと1回滑り台したら帰ろうね」などけじめのある状態で納得できればいいのだけれども、無制限にこどものいうがままにしてしまったり、通常しないこと、またすべきでないことまでさせてしまう「ゴネ得」の状態にしてしまうのは良くないということです。
ときどき、こどもがゴネたからといって通常あそばせないような、高いところに登らせたり、すべきでないことまでさせてしまう親やおばあちゃんなど見受けます。
これは「大人がこどもに負けた状態」です。大人を自分のいいなりにしたという経験は1度でもすればこどもは忘れることはありません。そしてそういう経験を重ねてこの時期を過ぎた子は、とても扱いにくい子になってしまいます。まあ、平たくいっちゃえば「わがまま」ってことだね。
自分の感情を認識させたりしても、収まらない、または認識できないという状態でさらに、理屈に合わないゴネゴネを続けるようならば、そのときは
(叱り飛ばすのではなく)「出来ないことは出来ない」ときっぱり言い切ってしまいましょう。ここで大事なのは言い切ったらもう泣こうがわめこうが一切譲歩しない気構えで伝えるということ。
大人が毅然とした態度をとることが重要です。
自己主張するのも感情を表すのも限度があると知ることも大事ですからね。
ただ、ときどき頭のいい子は、「もう一切譲歩しない、一歩も譲らない」と大人が態度を示すと、その前の話し合ったときにこちらが提示した「あと1回だけ滑り台すべったら帰る」とかいった条件を覚えていて、「ジャア、1カイダケオスベリシタラカエルー。ウェーン;;」とか言える子もいます(笑)。そのときの対応は各自におまかせ。まあ、その段階まで来るとこっちも煮えくり返っているから聞き入れられないかもだけどね~。
きっぱり「出来ない」と伝えるこの段階に至っても「テコでも動かない」というときは、あえてこちらの感情を見せるのも手です。普段からプンプン怒ってる人やヒステリーな人にはお勧めできませんが、ここまで感情的になるのを抑えてこられた人なら、あくまで制御された感情を(怒りにまかせるのではなく)いれて話す。(平たくいえば怒っちゃうってことかな?)
大人に感情があると知るのも1つの経験です。
まあ、こどもは「叱る必要がそもそもあまりない」というのが僕の持論だけどここにいたるまで(ある程度)落ち着いて対応できたのならば、いいなりになっちゃうより、怒るなり、無理やり連れて帰るというほうが良いと思うからです。また、上でも言っているように感情を出していいのにも限度があるということを知ってもらいたいからでもあります。
成長期のこどもの様子にはいろいろなものがあります。ここで書いたやりかたでは対応しきれないものもあると思います。ですが、気をつけなければいけない点、基本的な関わり方の姿勢はこれでいいかと思います。まあ、こどもも親も百人百様ですから、他にもいろいろあると思いますがその点は臨機応変に対応してください。
ここで書ききれなかったこともたくさんあるので、内容の質問とか「うちの子はこうなるんだけどどうしたらいいだろう?」とか聞きたいことがありましたら、いつでもコメントとかに書いてください。わかる範囲でお答えできたらと思います。
こどもに自分の感情を知らせることや「あなたが○○だとわたしも○○になっちゃう」と大人の感情を伝えるテクニックは今回初めて書いたことですが、以前からこのブログを読んで下さっている方はわかるかと思いますが、基本的な姿勢はこれまで度々書いたように「こどもを尊重する」ことと「心のパイプをつなげる」ことの延長線にあるにすぎません。
つまり、「成長期」の対応もやはり普段からのこどもを尊重した関わりが大切になってくるわけです。
「成長期」真っ最中の人も、まだそれまで間がある人も普段からこどもを尊重して関わるといろんなところで子育て楽になるし、楽しくなりますよ。そして尊重されているこどもはとっても伸びます、なによりとっても可愛く育ちますよ~。
どんだけ可愛く育つかうちの子のエピソードを紹介したいけど、親バカぶりがばれるのでナイショ~~[壁]`∀´)Ψ
<おまけ>
上で紹介している、相手にその人自身の感情を認識させる、またはそれによって自分がどう思うかというテクニック、実は大人相手でもとても効果あるのです。
例えば、クレームがあって怒鳴り込んできた人なんかに、「そんなに大きな声だされたりすると、こどもが怖がりますから落ち着いてください」とか話すとちょっと冷静になれたりします。まあ、むしゃくしゃして誰彼かまわず怒鳴りたいみたいな確信犯的な人には効果ないんだけどね~。
ちなみに「こころの言葉」を使うのも大人相手でもとても効果あります。
「あなたのプロジェクトが成功して僕もとてもうれしかったですよ。いや~素晴らしかった」
とか、あとダメだしするのも
「こんな間違えだらけで書類通ると思ってるのか、やりなおせ」っていわれるより
「これだと書類もどされちゃうので僕困るんですよ、もう一度お願いします」って上司にいわれたほうが、ちゃんとやらなくっちゃて思えるでしょ~。
まあ、そういう僕は万年ひらだからいわれるばっかで関係ないんだけどね~~~(笑)
それではおやすみなさい~
↓励みになります。よろしかったらお願いします。


今回は話し合ったとしても、ちっとも通じなくなってしまうくらいゴネゴネになってしまったときの対応の仕方についてです。
本気でゴネだすと、2歳そこそこのこどもなのにほんとに「テコでも動かない」という状況になります。大人がこのくらいのエネルギーを何かに向けられたらきっとすごいことできるんだろうな~~たぶん無理だけど(笑)。
さ~~~そうなってしまうと、大人も感情的になったり、家の中ならまだしも外出先だったりすると困ってあたふたしたりしてしまいます。
そうなると、怒って無理やり終わらせてしまったり、いいなりになったりしてしまい易いのですが、そうする前にできることがあります。
まず最初に、周囲の迷惑にならないところならば、周りの目を気にするのはやめましょう。みんな通ってきた道です周囲の大人たちも虐待してるとは思わないから大丈夫、あわてず対応しましょう。
周囲の目を気にしないでいいと思えば、少し冷静になれます。なんでこんなことを言うかっていうとね、こどもって大人がいまゴネられちゃ困るっていうところでしっかりゴネるのよ(笑)。
「成長期」のピークではこどもが感情的になって、たとえば泣きながらとかゴネます。
これまで「成長期は自己主張の練習期間」と言ってきましたが、実はもうひとつあります。それは「感情のコントロールを学ぶ時期」でもあるということです。たぶん、その両方が獲得できて初めて「自我」と呼べるものになるんだろうね。
この時期までのこどもは感情のコントロールがあまりできません。いま自分がどういう感情でいるか、そもそも感情にどんな種類があるかも認識していないでしょう。
「いま、あなたがどういう感情でいるか」このことを伝えてあげることで、こどもも感情のコントロールをしやすくなります。
具体的にはどうするかというと、前回のように公園から帰りたがらない例であてはめると。
「ヤダーーモットアソブーー」(と大泣きしながら叫ぶようにゴネている
大人もちょっと冷静になって話す、冷静になれなくても声のトーンだけでも抑えて「いま、○○ちゃんすっごくイライラしているよ、ちょっと落ち着いて話してごらん」とか、「そんなに泣いてるとなに言ってるかわからないよ、泣き止んで話してみて」とかね。
大人も冷静になれなかったり、イライラしてしまうのなら正直に伝えましょう。「そんなに○○ちゃんが怒っていると、おとーちゃんも怒りたくなっちゃうから、怒らないで話してっ!」
↑この「あなたが○○だとわたしも○○になっちゃう」と正直に自分の感情を話すのはけっこうこどもに伝わります。自分がどういう状態で大人がどういう感情でいると認識できることは、感情のコントロールの大きな助けになると思います。
これでこどもが少しでも落ち着けば前回のところで見たように、話し合ったり、言い聞かせる余地ができるかと思います。
ここで大事なのは、話し合って「じゃあ、あと1回滑り台したら帰ろうね」などけじめのある状態で納得できればいいのだけれども、無制限にこどものいうがままにしてしまったり、通常しないこと、またすべきでないことまでさせてしまう「ゴネ得」の状態にしてしまうのは良くないということです。
ときどき、こどもがゴネたからといって通常あそばせないような、高いところに登らせたり、すべきでないことまでさせてしまう親やおばあちゃんなど見受けます。
これは「大人がこどもに負けた状態」です。大人を自分のいいなりにしたという経験は1度でもすればこどもは忘れることはありません。そしてそういう経験を重ねてこの時期を過ぎた子は、とても扱いにくい子になってしまいます。まあ、平たくいっちゃえば「わがまま」ってことだね。
自分の感情を認識させたりしても、収まらない、または認識できないという状態でさらに、理屈に合わないゴネゴネを続けるようならば、そのときは
(叱り飛ばすのではなく)「出来ないことは出来ない」ときっぱり言い切ってしまいましょう。ここで大事なのは言い切ったらもう泣こうがわめこうが一切譲歩しない気構えで伝えるということ。
大人が毅然とした態度をとることが重要です。
自己主張するのも感情を表すのも限度があると知ることも大事ですからね。
ただ、ときどき頭のいい子は、「もう一切譲歩しない、一歩も譲らない」と大人が態度を示すと、その前の話し合ったときにこちらが提示した「あと1回だけ滑り台すべったら帰る」とかいった条件を覚えていて、「ジャア、1カイダケオスベリシタラカエルー。ウェーン;;」とか言える子もいます(笑)。そのときの対応は各自におまかせ。まあ、その段階まで来るとこっちも煮えくり返っているから聞き入れられないかもだけどね~。
きっぱり「出来ない」と伝えるこの段階に至っても「テコでも動かない」というときは、あえてこちらの感情を見せるのも手です。普段からプンプン怒ってる人やヒステリーな人にはお勧めできませんが、ここまで感情的になるのを抑えてこられた人なら、あくまで制御された感情を(怒りにまかせるのではなく)いれて話す。(平たくいえば怒っちゃうってことかな?)
大人に感情があると知るのも1つの経験です。
まあ、こどもは「叱る必要がそもそもあまりない」というのが僕の持論だけどここにいたるまで(ある程度)落ち着いて対応できたのならば、いいなりになっちゃうより、怒るなり、無理やり連れて帰るというほうが良いと思うからです。また、上でも言っているように感情を出していいのにも限度があるということを知ってもらいたいからでもあります。
成長期のこどもの様子にはいろいろなものがあります。ここで書いたやりかたでは対応しきれないものもあると思います。ですが、気をつけなければいけない点、基本的な関わり方の姿勢はこれでいいかと思います。まあ、こどもも親も百人百様ですから、他にもいろいろあると思いますがその点は臨機応変に対応してください。
ここで書ききれなかったこともたくさんあるので、内容の質問とか「うちの子はこうなるんだけどどうしたらいいだろう?」とか聞きたいことがありましたら、いつでもコメントとかに書いてください。わかる範囲でお答えできたらと思います。
こどもに自分の感情を知らせることや「あなたが○○だとわたしも○○になっちゃう」と大人の感情を伝えるテクニックは今回初めて書いたことですが、以前からこのブログを読んで下さっている方はわかるかと思いますが、基本的な姿勢はこれまで度々書いたように「こどもを尊重する」ことと「心のパイプをつなげる」ことの延長線にあるにすぎません。
つまり、「成長期」の対応もやはり普段からのこどもを尊重した関わりが大切になってくるわけです。
「成長期」真っ最中の人も、まだそれまで間がある人も普段からこどもを尊重して関わるといろんなところで子育て楽になるし、楽しくなりますよ。そして尊重されているこどもはとっても伸びます、なによりとっても可愛く育ちますよ~。
どんだけ可愛く育つかうちの子のエピソードを紹介したいけど、親バカぶりがばれるのでナイショ~~[壁]`∀´)Ψ
<おまけ>
上で紹介している、相手にその人自身の感情を認識させる、またはそれによって自分がどう思うかというテクニック、実は大人相手でもとても効果あるのです。
例えば、クレームがあって怒鳴り込んできた人なんかに、「そんなに大きな声だされたりすると、こどもが怖がりますから落ち着いてください」とか話すとちょっと冷静になれたりします。まあ、むしゃくしゃして誰彼かまわず怒鳴りたいみたいな確信犯的な人には効果ないんだけどね~。
ちなみに「こころの言葉」を使うのも大人相手でもとても効果あります。
「あなたのプロジェクトが成功して僕もとてもうれしかったですよ。いや~素晴らしかった」
とか、あとダメだしするのも
「こんな間違えだらけで書類通ると思ってるのか、やりなおせ」っていわれるより
「これだと書類もどされちゃうので僕困るんですよ、もう一度お願いします」って上司にいわれたほうが、ちゃんとやらなくっちゃて思えるでしょ~。
まあ、そういう僕は万年ひらだからいわれるばっかで関係ないんだけどね~~~(笑)
それではおやすみなさい~
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| 2010-01-15 | 『魔の2歳児』 | Comment : 25 | トラックバック : 0 |
楽しい子育てのために その3 「魔の2歳児」 つづきのつづき - 2010.01.13 Wed
今回は「成長期」(いわゆる反抗期)真っ最中の対応についてです。
できるだけ具体的に書いていこうと思うのだけど、こどもも個人差があるし、対応する親もそれぞれだし、
その子の育ってきた環境や経緯も千差万別なので当然ながら、今回書くくらいの内容で対応のすべてを網羅することはできないんです。なのでここは押さえときたいという基本的なことになるので、それを踏まえて参考にしてください。
まず、確認しときたいのが、いろんなことで逆らったり反抗したりしますがそれはこの前述べたように自我を獲得するための練習だってこと。
じゃあ、こどもがその練習の中でなにを学ぶかというと、「どこまで自我をだしていいか」このことを実地で学ぼうとしているのです。別な言い方をすれば「どこまで出したらひっこめるか」ということでもあります。
↑これがなにを意味するかというと・・・
「親のがまんの限界に挑戦!」
ということなんですよ~~。
それゆえにこの時期はこどもあいてに本気でイライラすることになるのです。
保育士をしていれば、少しくらいのことでは感情的になったりイライラしたりしなくなりますが、さすがにこの時期だけは僕もけっこうイライラさせられました。
そのへんはあとでご紹介するとして、まずはわりと軽めの反抗の対応から見ていきましょう。
早い子だと2歳になるだいぶ前から「イヤ!」「ヤダ!」という自己主張をだせるようになります。
これって実はすごいことなんですよ。
極端に言えば、それまでは自分の生存を絶対的に保障して守ってくれる親というものに逆らって、自分の道を進もうとするってことですから、もう「はじめてのおつかい」にいく以上に実はすごいこと。
それをあっさり否定してしまったり、頭ごなしに押しつぶしてしまったりするのは、とっても残念なこと。
それが出来ないことだったとしても、「そうなんだ~」「そうしたかったんだ~」受け止めてあげましょう。
例えばよく見かけるのが、公園などから帰ろうとするとき、楽しかったりすれば当然もっと遊びたいので、
「さ~、もう帰るよ」と親がいえば
「ヤダ、カエラナイ」とこどもはいいますね。
実際に公園で観察していると世のお母さんの対応は、およそ3パターンに分けられます。
①強く言ったり、叱っていうことを聞かせたり、むりやりだっこしたり、ベビーカーに押し込んだりしてしまうタイプ。
②こどものいうがままに、そのまま公園にいつづけてしまうタイプ。
③こどもはどうせついてくるだろうと思って、こどもが遊んでいてもそのまま行ってしまおうとしたり、自分だけ自転車などに乗ってしまったりするタイプ。
このどれもがベストとは言いがたい。
①は出来ないことを出来ないとしているので、親らしいといえば親らしいのですがこどもの自己主張を受け付けない、または否定してしまっているので、自己主張を練習している当のこどもにすればこれではいつまでも自我を獲得できないともだえ苦しむことになってしまいます。だから前回書いたように反抗の期間が長引いたり、程度がひどくなったりすることにもなりえます。
②は①とは逆に自己主張ができそれを認められたようにも見えますが、自我をどこまでだしたらいいか、ということを学べないままいってしまうことになります。ひらたく言ってしまえばわがまま放題になってしまうってことですよね。
自我っていうのは出すことも大事だけど、どこで引っ込めればいいか?っていうことを知るのはもっと大事。
これがわからないといわゆる「空気よめない」という状態になっちゃいますよね。
③は自我がどうこうという以前に、人間全般に対する不信感をこどもに植え付けてしまいます。
こどもにとって親は生存を保障し守ってくれる存在、世界でもっとも信頼できる人間に他なりません。
その人が自分を置いて行ってしまうというのは大きな不安と不信を生みます。
かのマザーテレサは言いました。「愛の反対は無関心である」と。
僕も歳をとってだんだんわかってきました。愛の反対は憎しみじゃないんだよな~「無視」することなんだって。
え~と、公園から帰るくらいでずいぶん大げさになりましたが(笑)
「叱らなくいい子育て」で書いたように、心のパイプを普段からつなげておけばこどもの主張を受け止めてあげることで、出来ないこともすんなりと納得できるようになります。
「さ~もう帰るよ」
「ヤダ、カエラナイ」
「そっか~まだ帰りたくなかったんだ~」
「ふ~~~ん」 ←くらいの間をおくとすんなり行きやすい
「でもね~もうゴハンの時間だよ」とか「もう帰る時間になっちゃったんだ」とか帰る理由を話してあげる。
ここまで言ったらあれこれ言わず、信じて待つ。
↑こどもは考えたり、感情をなっとくさせるために大人の3倍くらいの時間がかかります。それが終わる前にとやかく言うとだんだん聞く耳を持たなくなって行きます。小さい子をもつ親は普段から待つくせを自分につけましょう。
これで納得できる子もいます。それはそれでよし。
でも、「成長期」に近くなってくるとこれでは済まないことも当然あります。
自己主張の練習なんです、もうちょっとつきあおうじゃないですか。
「ヤダ、ヤダモットアソブ」
「じゃあ、あと5分遊んでこう。時計の長い針がここまでね」
とか
「遊びたかったんだね、でも今日はもう帰ってご飯作らないといけないからまた明日こよう」
とか
「そっか、もっと遊びたかったのね、じゃあ今度はドングリさがしながら帰ろうよ」
などなど、気持ちを(主張を)受け止めてあげれば必ずしもこどもの希望どおりでなくてもいいの。
出来ないことは出来ないでいいってこと。
これで納得いけばよし。で~~も「成長期」本番になるとちょっとやそっと自己主張の駆け引きをしても、そんなものでは済みません(笑)
さらにこの上に、「親のがまんの限界に挑戦!」
のゴネゴネがあります。
え~~と、今日もだいぶ長いのでそれは次回にもちこし。
ちなみに、基本的に「成長期」のこどもには根気よくつきあうのが大事なんだけど、例外があります。
それは、「お腹の減っているとき」と「眠いとき」です。
お腹がへったり、眠くてもイライラしてゴネることがあるのだけど、これは生存欲求がみたされないイライラからくる主張なので、それにつきあったとしても納得することはけっしてありません。
そういうときはその問題を解決してあげるのがいいですよ。
(ようするに、無理やりでもいいからつれてってご飯食べさせちゃうとか、寝かしつけちゃえってこと)
ちなみに上でみた① ② ③なんだけど、実は「叱らない子育て その2」で書いた
①支配型
②服従型
③放任型
にぴったり対応しているのです・・・。
ほんとに、この「成長期」の対応から子育てうまくいかなくなっちゃう人多いんだよね。
というわけで、今日はここまでおやすみなさ~い。
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できるだけ具体的に書いていこうと思うのだけど、こどもも個人差があるし、対応する親もそれぞれだし、
その子の育ってきた環境や経緯も千差万別なので当然ながら、今回書くくらいの内容で対応のすべてを網羅することはできないんです。なのでここは押さえときたいという基本的なことになるので、それを踏まえて参考にしてください。
まず、確認しときたいのが、いろんなことで逆らったり反抗したりしますがそれはこの前述べたように自我を獲得するための練習だってこと。
じゃあ、こどもがその練習の中でなにを学ぶかというと、「どこまで自我をだしていいか」このことを実地で学ぼうとしているのです。別な言い方をすれば「どこまで出したらひっこめるか」ということでもあります。
↑これがなにを意味するかというと・・・
「親のがまんの限界に挑戦!」
ということなんですよ~~。
それゆえにこの時期はこどもあいてに本気でイライラすることになるのです。
保育士をしていれば、少しくらいのことでは感情的になったりイライラしたりしなくなりますが、さすがにこの時期だけは僕もけっこうイライラさせられました。
そのへんはあとでご紹介するとして、まずはわりと軽めの反抗の対応から見ていきましょう。
早い子だと2歳になるだいぶ前から「イヤ!」「ヤダ!」という自己主張をだせるようになります。
これって実はすごいことなんですよ。
極端に言えば、それまでは自分の生存を絶対的に保障して守ってくれる親というものに逆らって、自分の道を進もうとするってことですから、もう「はじめてのおつかい」にいく以上に実はすごいこと。
それをあっさり否定してしまったり、頭ごなしに押しつぶしてしまったりするのは、とっても残念なこと。
それが出来ないことだったとしても、「そうなんだ~」「そうしたかったんだ~」受け止めてあげましょう。
例えばよく見かけるのが、公園などから帰ろうとするとき、楽しかったりすれば当然もっと遊びたいので、
「さ~、もう帰るよ」と親がいえば
「ヤダ、カエラナイ」とこどもはいいますね。
実際に公園で観察していると世のお母さんの対応は、およそ3パターンに分けられます。
①強く言ったり、叱っていうことを聞かせたり、むりやりだっこしたり、ベビーカーに押し込んだりしてしまうタイプ。
②こどものいうがままに、そのまま公園にいつづけてしまうタイプ。
③こどもはどうせついてくるだろうと思って、こどもが遊んでいてもそのまま行ってしまおうとしたり、自分だけ自転車などに乗ってしまったりするタイプ。
このどれもがベストとは言いがたい。
①は出来ないことを出来ないとしているので、親らしいといえば親らしいのですがこどもの自己主張を受け付けない、または否定してしまっているので、自己主張を練習している当のこどもにすればこれではいつまでも自我を獲得できないともだえ苦しむことになってしまいます。だから前回書いたように反抗の期間が長引いたり、程度がひどくなったりすることにもなりえます。
②は①とは逆に自己主張ができそれを認められたようにも見えますが、自我をどこまでだしたらいいか、ということを学べないままいってしまうことになります。ひらたく言ってしまえばわがまま放題になってしまうってことですよね。
自我っていうのは出すことも大事だけど、どこで引っ込めればいいか?っていうことを知るのはもっと大事。
これがわからないといわゆる「空気よめない」という状態になっちゃいますよね。
③は自我がどうこうという以前に、人間全般に対する不信感をこどもに植え付けてしまいます。
こどもにとって親は生存を保障し守ってくれる存在、世界でもっとも信頼できる人間に他なりません。
その人が自分を置いて行ってしまうというのは大きな不安と不信を生みます。
かのマザーテレサは言いました。「愛の反対は無関心である」と。
僕も歳をとってだんだんわかってきました。愛の反対は憎しみじゃないんだよな~「無視」することなんだって。
え~と、公園から帰るくらいでずいぶん大げさになりましたが(笑)
「叱らなくいい子育て」で書いたように、心のパイプを普段からつなげておけばこどもの主張を受け止めてあげることで、出来ないこともすんなりと納得できるようになります。
「さ~もう帰るよ」
「ヤダ、カエラナイ」
「そっか~まだ帰りたくなかったんだ~」
「ふ~~~ん」 ←くらいの間をおくとすんなり行きやすい
「でもね~もうゴハンの時間だよ」とか「もう帰る時間になっちゃったんだ」とか帰る理由を話してあげる。
ここまで言ったらあれこれ言わず、信じて待つ。
↑こどもは考えたり、感情をなっとくさせるために大人の3倍くらいの時間がかかります。それが終わる前にとやかく言うとだんだん聞く耳を持たなくなって行きます。小さい子をもつ親は普段から待つくせを自分につけましょう。
これで納得できる子もいます。それはそれでよし。
でも、「成長期」に近くなってくるとこれでは済まないことも当然あります。
自己主張の練習なんです、もうちょっとつきあおうじゃないですか。
「ヤダ、ヤダモットアソブ」
「じゃあ、あと5分遊んでこう。時計の長い針がここまでね」
とか
「遊びたかったんだね、でも今日はもう帰ってご飯作らないといけないからまた明日こよう」
とか
「そっか、もっと遊びたかったのね、じゃあ今度はドングリさがしながら帰ろうよ」
などなど、気持ちを(主張を)受け止めてあげれば必ずしもこどもの希望どおりでなくてもいいの。
出来ないことは出来ないでいいってこと。
これで納得いけばよし。で~~も「成長期」本番になるとちょっとやそっと自己主張の駆け引きをしても、そんなものでは済みません(笑)
さらにこの上に、「親のがまんの限界に挑戦!」
のゴネゴネがあります。
え~~と、今日もだいぶ長いのでそれは次回にもちこし。
ちなみに、基本的に「成長期」のこどもには根気よくつきあうのが大事なんだけど、例外があります。
それは、「お腹の減っているとき」と「眠いとき」です。
お腹がへったり、眠くてもイライラしてゴネることがあるのだけど、これは生存欲求がみたされないイライラからくる主張なので、それにつきあったとしても納得することはけっしてありません。
そういうときはその問題を解決してあげるのがいいですよ。
(ようするに、無理やりでもいいからつれてってご飯食べさせちゃうとか、寝かしつけちゃえってこと)
ちなみに上でみた① ② ③なんだけど、実は「叱らない子育て その2」で書いた
①支配型
②服従型
③放任型
にぴったり対応しているのです・・・。
ほんとに、この「成長期」の対応から子育てうまくいかなくなっちゃう人多いんだよね。
というわけで、今日はここまでおやすみなさ~い。
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| 2010-01-13 | 『魔の2歳児』 | Comment : 14 | トラックバック : 1 |
楽しい子育てのために その3 「魔の2歳児」 つづき - 2010.01.09 Sat
では、さっそく昨日のつづきです。
昨日は 「成長期」は自立するプロセスであって悪いことではない。
それまでの関わりのなかで支配的だったりすると返って大変になる。
ということを書きました。
今日はもうすこし具体的に見ていきたいと思います。
子育てしている親の中には、しばしばまじめすぎる人がいます。
子育てについてまじめで仕入れた知識なんかをなんでも徹底してやらなければ気がすまない、という意味でまじめな人もいるし。性格的に几帳面できっちしりてないと気が済まず、それをこどもにも要求してしまうという意味でもいます。
また、職業的に几帳面さを要求されるがゆえにこどもとの関わりにも杓子定規になってしまうという人もいます。あんまりいうと語弊があるけど銀行員のひととか、お巡りさんとか学校の先生とかあまりにもきっちりしすぎていて子育て大変になってしまうことも・・
なんで「成長期」を語る上でこんなことを言ったかというと、昨日のところで言ったような支配的であったり、命令的であったりして「成長期」が大変になるほかに、こういう几帳面さが大変にしてしまうと思われることが多々あるのです。
(人間がまじめというのは悪いことじゃないし、むしろいいことだとは思いますが、子育てのなかでそれが返って仇になってしまうことがあるので・・)
いつも言うように、日本人はどうも〔子育て〕=〔しつけ&教育〕と考えている傾向があって、「正しいことを教えなければならない」とがんばってしまう親御さんがしばしばいます。
ある事例です。1歳児クラスの男の子。両親とも理系の研究者でとっても几帳面。保育参観にきたときは、「何時何分 ○○をした。」とメモをとってしまうような几帳面さ。
1歳児クラスの子なのでその時点ではすでに2歳になっていたと思いますが、その子は消防車の描かれたTシャツがとってもお気に入り「はしごしゃ~」と自慢げに着るたびにみせてくれます。でも、自慢するたびにお父さんお母さんから「それははしご車じゃない、ポンプ車だ」と訂正されてしまうのです。1度や2度じゃなくて毎回なのね・・。
まあ、もちろんそのエピソードだけではなくて生活全般できっちりさせたいという関わりだったのです。
関わりかたとしては支配的というより、むしろ反対の「いいなり型」(親がこどものいいなりになってしまうタイプ)だったのですが。でも、とっても几帳面なので「うん、そうだね」といってあげられない・・。
さ~もう何が言いたいかわかってきましたね。そうなのです、この子の「成長期」はもっのすごく大変でした。
「成長期」以前から「しつけ」や「ダメだしみたいな几帳面さ」にどっぷり浸かっていたので、この子が自我を獲得するために破るカラはとっても厚くなってしまったのですね。
この両親にとって「成長期」はまさに『魔の2歳児』であり『反抗期』に違いないでしょう。
「反抗期ってほんと大変です。もうこどもは一人でいいです。」とおっしゃってました。
でも、この子が「反抗」しまくっている原因はこどもの側にあるのではなく、それまでの親の関わりにあったわけです。
この例に限らず、多くの人が「成長期」の大変さというものをこどもに由来するものと捉えていて、親の側にも原因があるとは考えません。そして「成長期」が大変な子の親ほど自分に原因があるなんてさらさら考えもつきません。
上の例は極端なものですが、普段からダメだしが多かったり、こどもの話をちゃんと受け止めていなかったりすることでもやはり、大変さを助長してしまいます。他にも下にこどもが産まれてしまって、自分に目を向けてもらっていないと感じたりすることなんかもあるかな。
それらを回避するには普段からその子を一人の人間として尊重すること。
具体的には以前『叱らなくていい子育て その1 その2』のあたりで述べたとおりです。
ハイ、それでは今日のまとめ!
「成長期をのりきるには普段(成長期以前も、成長期真っ最中でも)からの関わりが大切」
ということでした~。
では、次回は成長期真っ最中、反抗しまくるこどもにどうやって対応すればいいのか具体的に見ていきたいと思います。
きょうはここまで、おやすみなさい~
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昨日は 「成長期」は自立するプロセスであって悪いことではない。
それまでの関わりのなかで支配的だったりすると返って大変になる。
ということを書きました。
今日はもうすこし具体的に見ていきたいと思います。
子育てしている親の中には、しばしばまじめすぎる人がいます。
子育てについてまじめで仕入れた知識なんかをなんでも徹底してやらなければ気がすまない、という意味でまじめな人もいるし。性格的に几帳面できっちしりてないと気が済まず、それをこどもにも要求してしまうという意味でもいます。
また、職業的に几帳面さを要求されるがゆえにこどもとの関わりにも杓子定規になってしまうという人もいます。あんまりいうと語弊があるけど銀行員のひととか、お巡りさんとか学校の先生とかあまりにもきっちりしすぎていて子育て大変になってしまうことも・・
なんで「成長期」を語る上でこんなことを言ったかというと、昨日のところで言ったような支配的であったり、命令的であったりして「成長期」が大変になるほかに、こういう几帳面さが大変にしてしまうと思われることが多々あるのです。
(人間がまじめというのは悪いことじゃないし、むしろいいことだとは思いますが、子育てのなかでそれが返って仇になってしまうことがあるので・・)
いつも言うように、日本人はどうも〔子育て〕=〔しつけ&教育〕と考えている傾向があって、「正しいことを教えなければならない」とがんばってしまう親御さんがしばしばいます。
ある事例です。1歳児クラスの男の子。両親とも理系の研究者でとっても几帳面。保育参観にきたときは、「何時何分 ○○をした。」とメモをとってしまうような几帳面さ。
1歳児クラスの子なのでその時点ではすでに2歳になっていたと思いますが、その子は消防車の描かれたTシャツがとってもお気に入り「はしごしゃ~」と自慢げに着るたびにみせてくれます。でも、自慢するたびにお父さんお母さんから「それははしご車じゃない、ポンプ車だ」と訂正されてしまうのです。1度や2度じゃなくて毎回なのね・・。
まあ、もちろんそのエピソードだけではなくて生活全般できっちりさせたいという関わりだったのです。
関わりかたとしては支配的というより、むしろ反対の「いいなり型」(親がこどものいいなりになってしまうタイプ)だったのですが。でも、とっても几帳面なので「うん、そうだね」といってあげられない・・。
さ~もう何が言いたいかわかってきましたね。そうなのです、この子の「成長期」はもっのすごく大変でした。
「成長期」以前から「しつけ」や「ダメだしみたいな几帳面さ」にどっぷり浸かっていたので、この子が自我を獲得するために破るカラはとっても厚くなってしまったのですね。
この両親にとって「成長期」はまさに『魔の2歳児』であり『反抗期』に違いないでしょう。
「反抗期ってほんと大変です。もうこどもは一人でいいです。」とおっしゃってました。
でも、この子が「反抗」しまくっている原因はこどもの側にあるのではなく、それまでの親の関わりにあったわけです。
この例に限らず、多くの人が「成長期」の大変さというものをこどもに由来するものと捉えていて、親の側にも原因があるとは考えません。そして「成長期」が大変な子の親ほど自分に原因があるなんてさらさら考えもつきません。
上の例は極端なものですが、普段からダメだしが多かったり、こどもの話をちゃんと受け止めていなかったりすることでもやはり、大変さを助長してしまいます。他にも下にこどもが産まれてしまって、自分に目を向けてもらっていないと感じたりすることなんかもあるかな。
それらを回避するには普段からその子を一人の人間として尊重すること。
具体的には以前『叱らなくていい子育て その1 その2』のあたりで述べたとおりです。
ハイ、それでは今日のまとめ!
「成長期をのりきるには普段(成長期以前も、成長期真っ最中でも)からの関わりが大切」
ということでした~。
では、次回は成長期真っ最中、反抗しまくるこどもにどうやって対応すればいいのか具体的に見ていきたいと思います。
きょうはここまで、おやすみなさい~
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| 2010-01-09 | 『魔の2歳児』 | Comment : 5 | トラックバック : 0 |
楽しい子育てのために その3 「魔の2歳児」 - 2010.01.08 Fri
「魔の2歳児」についてちゃんとまとめてからきっちり書こう!なんて思ってたけど、
そんなこといってるといつまで経っても書けなそうなので、とりあえず思いつくままに書くことにします。
グダグダな内容になちゃったらごめんなさい~。
え~と、「魔の2歳児」っていわゆる「第一次反抗期」のことですね。
これまでにも反抗期について触れるたびに最近では、「成長期」と言うようになってますとご紹介していますが、
「反抗期」っていうとなんかとってもネガティブなものとして捉えられがちになるんですよね。
「反抗」の反対は、「支配」とか「抑圧」とかだしね・・・
「反抗期」っていう言い方は子育ての中で適していないと僕も思いますので、ここでは今後「成長期」と述べていきます。
では、そもそもこどもにはなんでこの「成長期」というものがあるのでしょうか。
簡単に言ってしまえば、「母親という殻から出て自立するプロセス」だと思います。
それまでのこどもは自我というものが母親と未分離の状態にいます。(ここでは「母親」と決め付けてしまっていますが、母親がいなければ他の人になるでしょう。ですが、通常は多くの場合において「母親」です)
なので、それまでは常に母親と離れることなく逆らうこともあまりありません。
ですが、人間として生きていくためには必然的に自立しなければなりません。
そのために殻を破って出てくる必要があるのです。
だから、親を拒否することもあるし、逆らうこともでてくるのです。
そういうわけだから、「成長期」っていいことなんですよ。 親のためにこどもががんばっているのです。
「もうすこしで一人の人間として生きていきますから、ちょっとだけあなたたちで練習させてね。ほんとはボクだってこんなことはしたくないんだよ~、カラの中に閉じこもってたほうがらくだしさ~。でも、それじゃみんな困るでしょ。そういうわけだからこらえてつかあさぃ。」
と、「成長期」のこども達は言っているわけですね~。
ですから、タイトルでも「魔の2歳児」なんて書いちゃってますが、この時期を悪くとらえないで下さいね。
ちっとも恐れることはないですから。
たしかにこの時期のこどもの対応は大変です。
でも、その大変さもそれ以前や普段の関わり方しだいで大きくも小さくもできるのです。
実はそれに関して以前にもココ→[日本の子育て文化 排泄の自立 その3]でちょっぴり触れていますが、日ごろから支配されたり、命令されがちだったり、また甘やかしすぎていたり(甘えさせると甘やかすは違います、念のため)放任していたりすると、この時期に破るべきカラがとっても厚くなってしまっているので、逆らう程度や期間もどうしても多くなってしまいます。
逆に言えば、それまで普段から自己を尊重されてきた子は、破るべきカラが薄く、自我の獲得がすんなり行くことが多いので比較的楽にいきます。
個人差もあることですから人によっては大きく出たり少なく出たりということはあるでしょうが、尊重されて来たかそうでないかということの違いは変わらないと思います。
また、なかには反抗する時期がほとんどなかったという子もいます。それはそれで良いのですが、場合によっては反抗することすらできないくらい普段から抑圧されていた、ということもありそれだと返って人格形成の上で非常に危険です。
まあ、あっけらかんとしていて成長期のなかった子と、抑圧されすぎで目だった反抗がなかった子の違いはだれからみても一目瞭然だと思いますので、普通はあまり気にしないでも大丈夫だと思います。
長くなってしまったので、具体的な対応の仕方とかは次回にもちこし~。
では、きょうはこれでおやすみなさい。
↓励みになります。よろしかったらお願いします。


そんなこといってるといつまで経っても書けなそうなので、とりあえず思いつくままに書くことにします。
グダグダな内容になちゃったらごめんなさい~。
え~と、「魔の2歳児」っていわゆる「第一次反抗期」のことですね。
これまでにも反抗期について触れるたびに最近では、「成長期」と言うようになってますとご紹介していますが、
「反抗期」っていうとなんかとってもネガティブなものとして捉えられがちになるんですよね。
「反抗」の反対は、「支配」とか「抑圧」とかだしね・・・
「反抗期」っていう言い方は子育ての中で適していないと僕も思いますので、ここでは今後「成長期」と述べていきます。
では、そもそもこどもにはなんでこの「成長期」というものがあるのでしょうか。
簡単に言ってしまえば、「母親という殻から出て自立するプロセス」だと思います。
それまでのこどもは自我というものが母親と未分離の状態にいます。(ここでは「母親」と決め付けてしまっていますが、母親がいなければ他の人になるでしょう。ですが、通常は多くの場合において「母親」です)
なので、それまでは常に母親と離れることなく逆らうこともあまりありません。
ですが、人間として生きていくためには必然的に自立しなければなりません。
そのために殻を破って出てくる必要があるのです。
だから、親を拒否することもあるし、逆らうこともでてくるのです。
そういうわけだから、「成長期」っていいことなんですよ。 親のためにこどもががんばっているのです。
「もうすこしで一人の人間として生きていきますから、ちょっとだけあなたたちで練習させてね。ほんとはボクだってこんなことはしたくないんだよ~、カラの中に閉じこもってたほうがらくだしさ~。でも、それじゃみんな困るでしょ。そういうわけだからこらえてつかあさぃ。」
と、「成長期」のこども達は言っているわけですね~。
ですから、タイトルでも「魔の2歳児」なんて書いちゃってますが、この時期を悪くとらえないで下さいね。
ちっとも恐れることはないですから。
たしかにこの時期のこどもの対応は大変です。
でも、その大変さもそれ以前や普段の関わり方しだいで大きくも小さくもできるのです。
実はそれに関して以前にもココ→[日本の子育て文化 排泄の自立 その3]でちょっぴり触れていますが、日ごろから支配されたり、命令されがちだったり、また甘やかしすぎていたり(甘えさせると甘やかすは違います、念のため)放任していたりすると、この時期に破るべきカラがとっても厚くなってしまっているので、逆らう程度や期間もどうしても多くなってしまいます。
逆に言えば、それまで普段から自己を尊重されてきた子は、破るべきカラが薄く、自我の獲得がすんなり行くことが多いので比較的楽にいきます。
個人差もあることですから人によっては大きく出たり少なく出たりということはあるでしょうが、尊重されて来たかそうでないかということの違いは変わらないと思います。
また、なかには反抗する時期がほとんどなかったという子もいます。それはそれで良いのですが、場合によっては反抗することすらできないくらい普段から抑圧されていた、ということもありそれだと返って人格形成の上で非常に危険です。
まあ、あっけらかんとしていて成長期のなかった子と、抑圧されすぎで目だった反抗がなかった子の違いはだれからみても一目瞭然だと思いますので、普通はあまり気にしないでも大丈夫だと思います。
長くなってしまったので、具体的な対応の仕方とかは次回にもちこし~。
では、きょうはこれでおやすみなさい。
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| 2010-01-08 | 『魔の2歳児』 | Comment : 6 | トラックバック : 0 |
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