楽しい子育てのために その3 「魔の2歳児」 つづきのつづき - 2010.01.13 Wed
今回は「成長期」(いわゆる反抗期)真っ最中の対応についてです。
できるだけ具体的に書いていこうと思うのだけど、こどもも個人差があるし、対応する親もそれぞれだし、
その子の育ってきた環境や経緯も千差万別なので当然ながら、今回書くくらいの内容で対応のすべてを網羅することはできないんです。なのでここは押さえときたいという基本的なことになるので、それを踏まえて参考にしてください。
まず、確認しときたいのが、いろんなことで逆らったり反抗したりしますがそれはこの前述べたように自我を獲得するための練習だってこと。
じゃあ、こどもがその練習の中でなにを学ぶかというと、「どこまで自我をだしていいか」このことを実地で学ぼうとしているのです。別な言い方をすれば「どこまで出したらひっこめるか」ということでもあります。
↑これがなにを意味するかというと・・・
「親のがまんの限界に挑戦!」
ということなんですよ~~。
それゆえにこの時期はこどもあいてに本気でイライラすることになるのです。
保育士をしていれば、少しくらいのことでは感情的になったりイライラしたりしなくなりますが、さすがにこの時期だけは僕もけっこうイライラさせられました。
そのへんはあとでご紹介するとして、まずはわりと軽めの反抗の対応から見ていきましょう。
早い子だと2歳になるだいぶ前から「イヤ!」「ヤダ!」という自己主張をだせるようになります。
これって実はすごいことなんですよ。
極端に言えば、それまでは自分の生存を絶対的に保障して守ってくれる親というものに逆らって、自分の道を進もうとするってことですから、もう「はじめてのおつかい」にいく以上に実はすごいこと。
それをあっさり否定してしまったり、頭ごなしに押しつぶしてしまったりするのは、とっても残念なこと。
それが出来ないことだったとしても、「そうなんだ~」「そうしたかったんだ~」受け止めてあげましょう。
例えばよく見かけるのが、公園などから帰ろうとするとき、楽しかったりすれば当然もっと遊びたいので、
「さ~、もう帰るよ」と親がいえば
「ヤダ、カエラナイ」とこどもはいいますね。
実際に公園で観察していると世のお母さんの対応は、およそ3パターンに分けられます。
①強く言ったり、叱っていうことを聞かせたり、むりやりだっこしたり、ベビーカーに押し込んだりしてしまうタイプ。
②こどものいうがままに、そのまま公園にいつづけてしまうタイプ。
③こどもはどうせついてくるだろうと思って、こどもが遊んでいてもそのまま行ってしまおうとしたり、自分だけ自転車などに乗ってしまったりするタイプ。
このどれもがベストとは言いがたい。
①は出来ないことを出来ないとしているので、親らしいといえば親らしいのですがこどもの自己主張を受け付けない、または否定してしまっているので、自己主張を練習している当のこどもにすればこれではいつまでも自我を獲得できないともだえ苦しむことになってしまいます。だから前回書いたように反抗の期間が長引いたり、程度がひどくなったりすることにもなりえます。
②は①とは逆に自己主張ができそれを認められたようにも見えますが、自我をどこまでだしたらいいか、ということを学べないままいってしまうことになります。ひらたく言ってしまえばわがまま放題になってしまうってことですよね。
自我っていうのは出すことも大事だけど、どこで引っ込めればいいか?っていうことを知るのはもっと大事。
これがわからないといわゆる「空気よめない」という状態になっちゃいますよね。
③は自我がどうこうという以前に、人間全般に対する不信感をこどもに植え付けてしまいます。
こどもにとって親は生存を保障し守ってくれる存在、世界でもっとも信頼できる人間に他なりません。
その人が自分を置いて行ってしまうというのは大きな不安と不信を生みます。
かのマザーテレサは言いました。「愛の反対は無関心である」と。
僕も歳をとってだんだんわかってきました。愛の反対は憎しみじゃないんだよな~「無視」することなんだって。
え~と、公園から帰るくらいでずいぶん大げさになりましたが(笑)
「叱らなくいい子育て」で書いたように、心のパイプを普段からつなげておけばこどもの主張を受け止めてあげることで、出来ないこともすんなりと納得できるようになります。
「さ~もう帰るよ」
「ヤダ、カエラナイ」
「そっか~まだ帰りたくなかったんだ~」
「ふ~~~ん」 ←くらいの間をおくとすんなり行きやすい
「でもね~もうゴハンの時間だよ」とか「もう帰る時間になっちゃったんだ」とか帰る理由を話してあげる。
ここまで言ったらあれこれ言わず、信じて待つ。
↑こどもは考えたり、感情をなっとくさせるために大人の3倍くらいの時間がかかります。それが終わる前にとやかく言うとだんだん聞く耳を持たなくなって行きます。小さい子をもつ親は普段から待つくせを自分につけましょう。
これで納得できる子もいます。それはそれでよし。
でも、「成長期」に近くなってくるとこれでは済まないことも当然あります。
自己主張の練習なんです、もうちょっとつきあおうじゃないですか。
「ヤダ、ヤダモットアソブ」
「じゃあ、あと5分遊んでこう。時計の長い針がここまでね」
とか
「遊びたかったんだね、でも今日はもう帰ってご飯作らないといけないからまた明日こよう」
とか
「そっか、もっと遊びたかったのね、じゃあ今度はドングリさがしながら帰ろうよ」
などなど、気持ちを(主張を)受け止めてあげれば必ずしもこどもの希望どおりでなくてもいいの。
出来ないことは出来ないでいいってこと。
これで納得いけばよし。で~~も「成長期」本番になるとちょっとやそっと自己主張の駆け引きをしても、そんなものでは済みません(笑)
さらにこの上に、「親のがまんの限界に挑戦!」
のゴネゴネがあります。
え~~と、今日もだいぶ長いのでそれは次回にもちこし。
ちなみに、基本的に「成長期」のこどもには根気よくつきあうのが大事なんだけど、例外があります。
それは、「お腹の減っているとき」と「眠いとき」です。
お腹がへったり、眠くてもイライラしてゴネることがあるのだけど、これは生存欲求がみたされないイライラからくる主張なので、それにつきあったとしても納得することはけっしてありません。
そういうときはその問題を解決してあげるのがいいですよ。
(ようするに、無理やりでもいいからつれてってご飯食べさせちゃうとか、寝かしつけちゃえってこと)
ちなみに上でみた① ② ③なんだけど、実は「叱らない子育て その2」で書いた
①支配型
②服従型
③放任型
にぴったり対応しているのです・・・。
ほんとに、この「成長期」の対応から子育てうまくいかなくなっちゃう人多いんだよね。
というわけで、今日はここまでおやすみなさ~い。
↓励みになります。よろしかったらお願いします。
できるだけ具体的に書いていこうと思うのだけど、こどもも個人差があるし、対応する親もそれぞれだし、
その子の育ってきた環境や経緯も千差万別なので当然ながら、今回書くくらいの内容で対応のすべてを網羅することはできないんです。なのでここは押さえときたいという基本的なことになるので、それを踏まえて参考にしてください。
まず、確認しときたいのが、いろんなことで逆らったり反抗したりしますがそれはこの前述べたように自我を獲得するための練習だってこと。
じゃあ、こどもがその練習の中でなにを学ぶかというと、「どこまで自我をだしていいか」このことを実地で学ぼうとしているのです。別な言い方をすれば「どこまで出したらひっこめるか」ということでもあります。
↑これがなにを意味するかというと・・・
「親のがまんの限界に挑戦!」
ということなんですよ~~。
それゆえにこの時期はこどもあいてに本気でイライラすることになるのです。
保育士をしていれば、少しくらいのことでは感情的になったりイライラしたりしなくなりますが、さすがにこの時期だけは僕もけっこうイライラさせられました。
そのへんはあとでご紹介するとして、まずはわりと軽めの反抗の対応から見ていきましょう。
早い子だと2歳になるだいぶ前から「イヤ!」「ヤダ!」という自己主張をだせるようになります。
これって実はすごいことなんですよ。
極端に言えば、それまでは自分の生存を絶対的に保障して守ってくれる親というものに逆らって、自分の道を進もうとするってことですから、もう「はじめてのおつかい」にいく以上に実はすごいこと。
それをあっさり否定してしまったり、頭ごなしに押しつぶしてしまったりするのは、とっても残念なこと。
それが出来ないことだったとしても、「そうなんだ~」「そうしたかったんだ~」受け止めてあげましょう。
例えばよく見かけるのが、公園などから帰ろうとするとき、楽しかったりすれば当然もっと遊びたいので、
「さ~、もう帰るよ」と親がいえば
「ヤダ、カエラナイ」とこどもはいいますね。
実際に公園で観察していると世のお母さんの対応は、およそ3パターンに分けられます。
①強く言ったり、叱っていうことを聞かせたり、むりやりだっこしたり、ベビーカーに押し込んだりしてしまうタイプ。
②こどものいうがままに、そのまま公園にいつづけてしまうタイプ。
③こどもはどうせついてくるだろうと思って、こどもが遊んでいてもそのまま行ってしまおうとしたり、自分だけ自転車などに乗ってしまったりするタイプ。
このどれもがベストとは言いがたい。
①は出来ないことを出来ないとしているので、親らしいといえば親らしいのですがこどもの自己主張を受け付けない、または否定してしまっているので、自己主張を練習している当のこどもにすればこれではいつまでも自我を獲得できないともだえ苦しむことになってしまいます。だから前回書いたように反抗の期間が長引いたり、程度がひどくなったりすることにもなりえます。
②は①とは逆に自己主張ができそれを認められたようにも見えますが、自我をどこまでだしたらいいか、ということを学べないままいってしまうことになります。ひらたく言ってしまえばわがまま放題になってしまうってことですよね。
自我っていうのは出すことも大事だけど、どこで引っ込めればいいか?っていうことを知るのはもっと大事。
これがわからないといわゆる「空気よめない」という状態になっちゃいますよね。
③は自我がどうこうという以前に、人間全般に対する不信感をこどもに植え付けてしまいます。
こどもにとって親は生存を保障し守ってくれる存在、世界でもっとも信頼できる人間に他なりません。
その人が自分を置いて行ってしまうというのは大きな不安と不信を生みます。
かのマザーテレサは言いました。「愛の反対は無関心である」と。
僕も歳をとってだんだんわかってきました。愛の反対は憎しみじゃないんだよな~「無視」することなんだって。
え~と、公園から帰るくらいでずいぶん大げさになりましたが(笑)
「叱らなくいい子育て」で書いたように、心のパイプを普段からつなげておけばこどもの主張を受け止めてあげることで、出来ないこともすんなりと納得できるようになります。
「さ~もう帰るよ」
「ヤダ、カエラナイ」
「そっか~まだ帰りたくなかったんだ~」
「ふ~~~ん」 ←くらいの間をおくとすんなり行きやすい
「でもね~もうゴハンの時間だよ」とか「もう帰る時間になっちゃったんだ」とか帰る理由を話してあげる。
ここまで言ったらあれこれ言わず、信じて待つ。
↑こどもは考えたり、感情をなっとくさせるために大人の3倍くらいの時間がかかります。それが終わる前にとやかく言うとだんだん聞く耳を持たなくなって行きます。小さい子をもつ親は普段から待つくせを自分につけましょう。
これで納得できる子もいます。それはそれでよし。
でも、「成長期」に近くなってくるとこれでは済まないことも当然あります。
自己主張の練習なんです、もうちょっとつきあおうじゃないですか。
「ヤダ、ヤダモットアソブ」
「じゃあ、あと5分遊んでこう。時計の長い針がここまでね」
とか
「遊びたかったんだね、でも今日はもう帰ってご飯作らないといけないからまた明日こよう」
とか
「そっか、もっと遊びたかったのね、じゃあ今度はドングリさがしながら帰ろうよ」
などなど、気持ちを(主張を)受け止めてあげれば必ずしもこどもの希望どおりでなくてもいいの。
出来ないことは出来ないでいいってこと。
これで納得いけばよし。で~~も「成長期」本番になるとちょっとやそっと自己主張の駆け引きをしても、そんなものでは済みません(笑)
さらにこの上に、「親のがまんの限界に挑戦!」
のゴネゴネがあります。
え~~と、今日もだいぶ長いのでそれは次回にもちこし。
ちなみに、基本的に「成長期」のこどもには根気よくつきあうのが大事なんだけど、例外があります。
それは、「お腹の減っているとき」と「眠いとき」です。
お腹がへったり、眠くてもイライラしてゴネることがあるのだけど、これは生存欲求がみたされないイライラからくる主張なので、それにつきあったとしても納得することはけっしてありません。
そういうときはその問題を解決してあげるのがいいですよ。
(ようするに、無理やりでもいいからつれてってご飯食べさせちゃうとか、寝かしつけちゃえってこと)
ちなみに上でみた① ② ③なんだけど、実は「叱らない子育て その2」で書いた
①支配型
②服従型
③放任型
にぴったり対応しているのです・・・。
ほんとに、この「成長期」の対応から子育てうまくいかなくなっちゃう人多いんだよね。
というわけで、今日はここまでおやすみなさ~い。
↓励みになります。よろしかったらお願いします。
| 2010-01-13 | 『魔の2歳児』 | Comment : 14 | トラックバック : 1 |
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