かつて、「
こども」の表記を「
子ども」にするか「
子供」にするかで言い争っていた時期があります。
(フェミニズム運動とかそういう主張の多かった時期なのでそれらの一つの派生問題としてでていたような印象
が僕にはあるのですが。↓に書く経緯は僕のおおざっぱに記憶している印象なので、問題の細かい点は正確でな
いかもしれません)
本来、語としては「子供」と書くのが正しいのですが、この表記が蔑視的だと主張する人たちが現れました。
現代の日本語の中に「~~ども」という見下した言い方があったり、「おんなこども」という蔑視的な言い回し
があったためにどうやら「子供」という表記に矛先がむけられたようです。
かつて「みども」という一人称があったように、「子供」の「ども」は元々蔑視的なニュアンスを含んだものではないようです。
しかし、現代では人によっては蔑視的ととる価値観がうまれてしまい、そういった主張が力をもってしまったようです。
いまの差別・被差別やハラスメントが問題となったとき、こうむる側を守るため、受け手主義で判断するようになっています。
するほうに、その意識がなくともされるほうがそうと受け止めれば、それは差別でありハラスメントになるわけです。
(だから「きれいですね」「お子さんまだ(できないの)ですか?」と何気なくいったことだけでも、言われたほうが不快に感じればハラスメントとされてしまうわけです)
そういうわけで、「子ども」という表記が文法的に正しくなかろうが、「子供」という語に差別的な意味がないと言語学的に説明しようとも、差別的・蔑視的と主張する人がいる以上「子供」は不適切で「子ども」と書くのが一般的に可となってきてしまいました。
文法的には一語でありながら、漢字とかなをごちゃまぜに使うのはおかしなことなので、「子ども」という表記は小学生低学年が自分の名前の難しい漢字だけひらがなで書くような、選挙の立候補者が名前の一部をひらがなにするような不自然さがあります。
それ故に法律などおおやけの文書では使えませんが、当時の厚生省だったか文部省だったかはそれらの主張を受けて、一般向けの文書などでは「子ども」をしばしば使うようになりました。
そういう経緯から、「子供」「子ども」どちらも避け「こども」という表記が使われることも多くなってきました。
僕のブログでも「こども」という表記でこれまできていましたが、実際に自分で読み返してみると文章中に「こども」と書くと「こ」の字が前の言葉とくっついて見えてしまったり、「も」が助詞の「も」とまぎらわしかったりしてとても読みにくく感じます。
そういうわけで今後「こども」の表記は「子供」にしていこうと思います。
確かに日本の社会では子供が不当に低く扱われてきたということがあります。
ですから、「子供」が蔑視的だと主張してきた人たちが、現実に起こっている子供が不当に扱われてきたことまで改善してきた(もしくはその後していった)のならばわかるのですが、残念なことにそういった活動は知りません。
だから僕自身の印象としては、子供を低く見る状況への批判というより、フェミニズム運動の補強材料であること、自分達の主張のための主張という感じがぬぐいきれませんでした。
本質とは関係のない上っ面だけの議論だったと思います。
いまはいろんな点からこういうことにかかずらう時代じゃなくなってきているので、ことわる必要もなかったのかもしれませんが、「こども」表記を変えるにあたっての確認作業でした。
当然ながら僕は「子供」と書いたからといって子供を蔑視的に扱っているわけではないですよ。
むしろこれまで僕の書いてきたことの半分くらいは子供を尊重していこう、ということであると思っています。
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