保育園設置の根拠となる法律は「児童福祉法」というものです。
ここに保育園の目的、理念、具体的な設置基準などが定められています。
保育園を現在の保育園たらしめているのはこの法律のおかげです。
ここでは明確に保育を、『福祉』と位置づけています。
『福祉』でありますから、それを必要とする人がお金の有無に関わらず、どの人も全て一定水準のその福祉を受けられる権利があるわけです。
また、各自治体にはそれを必要なだけ設置したり、必要な人にその福祉が受けられるように配慮する義務があります。
児童福祉法は、我々一般人がその利益をこうむることの多い法律なのだけど、目にする機会もめったにないので、その理念となっている最初のところだけ上げておきます。
第一章 総則
第一条 すべて国民は、児童が心身ともに健やかに生まれ、且つ、育成されるよう努めなければならない。
○2 すべて児童は、ひとしくその生活を保障され、愛護されなければならない。
第二条 国及び地方公共団体は、児童の保護者とともに、児童を心身ともに健やかに育成する責任を負う。
第三条 前二条に規定するところは、児童の福祉を保障するための原理であり、この原理は、すべて児童に関する法令の施行にあたつて、常に尊重されなければならない。
児童福祉法
(昭和二十二年十二月十二日法律第百六十四号)
「子ども・子育て新システム」の最大の問題は、『保育』というものそのものをこの福祉の枠から取り出して、別個に扱えるようにするための制度にほかならないところなのです。
それが「新システム」なわけです。なんとも恐ろしい「システム」です。
この「子ども・子育て新システム」が施行されたあとの「認定こども園」では、もう福祉である理由はなくなってしまうのです。
民間企業の参入は自由、利益を得ることも自由、保育料金の設定も自由。保育内容も自由。誰を入れるかも自由。
自治体にこういった保育施設を設置する義務すらあやしくなっていまいます。
これまでの公的保育園では、所得に応じて保育料が変動してきました。現行では自治体により違いますが0円~~~~5ないし6万円台くらいではないでしょうか。
お金のない家庭でも福祉としての保育を受けることができたのです。
認定こども園では保育料は一律となるところもでてきます。
「こども手当て」を子供のいる家庭全てにあげているのだから、そのお金を補助金として使いなさい、という理屈なのです。
しかし、「こども手当て」を子供のために使わなければならないという義務はありません。
以前、虐待を理由としての入所も多くなっているというお話をしました。
そんな家庭やアルコール中毒になっている親の家庭なども、子供を「こども園」に入れるために使ってくれるでしょうか?
これまで「福祉」だからこそ、自治体などが配慮していたそういったケースから手を引くことが可能になってしまうのが、この「子ども・子育て新システム」であります。
普通の家庭であっても、問題は同様です。
入り口でお金を渡すけれども(こども手当て)出口でさらにそれ以上のものを保育料として取ることになります。
この方式、以前にも似たものがあるのに気づかされます。
それは『介護保険制度』です。
導入前は、介護保険制度によってそれぞれの人によって必要に応じた介護保険金が下りるので何の問題もないと説明されていましたが、民間参入を許可し実際に運用されるようになって見ると介護保険だけでは全然足りず利用者負担分がすくなからず必要になっているのを指摘されています。
これも、入り口でお金(介護保険)を渡して、実際利用すると出口でそれ以上のものを取る形となってしまっています。
施設運営に関しても、それまで福祉であるから公的な資金をつかって運営、質の維持向上に努めてきたものが、独自に収益を確保して経営していきなさいという形(システム)になります。
これは国立大学独立採算制に似たやりかたですね。
しかし、実際は国立大学の制度よりも悪い形になっていくでしょう。
なぜなら、民間参入を大きく許可することで、利益追求を第一とした施設がでることを止められないからです。
このことは質の低下を招く可能性が多分にあります。
こういった施設では、利益を増大させるには経費を削ることが最短の道であるからです。
また施設ごとの質の差も問題になってくるでしょう。
しかし、この「子ども・子育て新システム」は一般の利用者にとって好意的にとられている部分もあります。
・入所要件の緩和 (保育に欠ける児童でなくても入所が可能になること)
・相対的な入所者数が増大することで待機児童が緩和されること
・保育施設でありながら教育など多様なサービスが受けられること
これらをうたい文句にして「子ども・子育て新システム」を宣伝しているからです。
しかし実際はどうでしょう。待機児問題にしてももっとも待機者の多い0~2歳でみたところで、認定こども園になったところで0歳児~2歳児の定員数はあまり増加しないのです。
どういうことかというと、例えば幼稚園がこのこども園になったとします。
このときに、この幼稚園が0歳児から2歳児を預かろうとしたときには、それに対応する部屋を確保し、トイレや沐浴室など設備を整え、さらに新規に保育士資格をもった職員を増員しなければ、0~2歳は受け入れられないのです。
これまでの認可園と同じ基準で0歳施設に看護師を置くことも必要であるならば、さらに看護師も確保しなくてはならないということです。
よしんば、施設の拡充に補助金がでるような制度を自治体で設けたとしても、そもそもの敷地面積などがたりなければできません。
こうしたところで、0~2歳児をあずかれる人数というのは、基準の関係で幼児に較べてはるかに少なくなってしまいます。
であるならば、独立採算であったり利益追求であるこども園は3歳以上の幼児の人数を増やしたり、保育時間を長くしたりすることで収益をあげたほうがてっとりばやいことになります。
看護婦や乳児担当の保育士の人件費を増やすよりも、少ない人数で多くのこどもをみれる幼児を多くした方が儲かる道理です。
これは保育園がこども園となった場合でもけっきょく0~2歳児の保育人数というのは増えないでしょう。
なぜならすでにある施設でこどもを預かる以上定員増というのができるわけがないからです。
仕事に行くためなどで本当に保育の必要な人は増加しているので、結局のところ入所要件が緩和したところで、誰しもが入れるということには少しもなりません。
にもかかわらず現在のように保育の必要な人の認定の制度がなくなり誰でも先着順などで入るようになってしまうと、本当に必要とする人が入れないという今よりももっと悪い状況が生まれるかもしれません。
また、利益確保のために少ない人数で多くの子供を見なければならない状況は、受け入れる子供を選ぶことになっていくかもしれません。
障がいをもった子や、手のかかる子を(建前はともかく)入所させないところが出てくる可能性もあります。
このことは別に不思議でもなんでもありません。
幼稚園ならばもともと学校なので、入る子供は選べるのです。
施設によっては定員があいていれば、どんなお子さんでもこれますよ、という幼稚園もありますが、幼稚園に入園面接などがあり場合により落とされることもあるというのはみなさんご存知のことですよね。
本来的に学校ですからある一定程度の基準にたっしているかどうか判定する必要があるのは当然のことです。
保育園でも預かれる障がい児数が決まっていたり、施設・職員の関係上程度によってはお断りすることもあるけれども、本来受け入れるものとして存在しています。
基本的にLDやADHDなどであっても断ることはありません。
こういった二者がひとつになったとき果たしてどうでしょう。
おなじ種類の施設であるのに、片や受け入れるところがあり、片や断るところがあるという状況がうまれるでしょう。
しかしそれ以前に利益確保のために手のかかる子自体をそもそも預からなくなる可能性すらあるわけです。
「障がい児は別料金であずかります」なんてところが出てくるかもしれませんね。
この「子ども・子育て新システム」ではそういったことはなんら倫理的・法律的に問題のあることではなくなります。
利益の追求を許し、料金を独自に定めることができ、入所する子を選ぶ資格ができるわけですから。
『福祉』の枠からはずし、民間サービスになるというのはそういうことです。
今の親である世代の人たちに、「仕事にいっていなくても入れます」 「これまで以上に長時間あずかります」「英語や文字も教えます」「さらにうちではこんな習い事のオプションも選べます(別料金ですが)」などと宣伝すれば大いに賛同する人がでてくることでしょう。
利用者のニーズをついて、福祉の枠から切り離し、これまで公的責任でおこなわれていた子供の保育ということを、お金儲けの種として市場に解放します。
福祉から切り離してしまえば、これまで救われていた多くの子供のケアを放置することにつながるでしょう。
いま自分のニーズにあっているからと喜んでいた人たちも、それら福祉のケアから取り残された子供達が大きくなったときに出現しているすさんだ社会に愕然とする日がくることでしょう。
福祉をなしくずしにしようとする政府のリップサービス的な目先の利益にとらわれて、今児童の福祉のシステムを壊すことに賛同してしまうことは、結果的に社会全体を悪くしてしまい自分達の子供が育ったときにそのなかで生きていくことを選ぶことになりかねません。
この児童福祉を切り離して公的な支出を削減し、民間業者に利益をあげさせ、それを税収としてあてこんでいるのかもしれません。
しかし、そのお金がでてきたのはどこからでしょう?
それはすべて国民の財布からです。
これまで無駄な高速道路や使い道のない空港や、いらないダム・河口堰をつくり莫大な赤字を生んだ政府はそのツケを福祉から切り崩して、国民から吸い上げることを選択しています。
僕は政治のことにはうといほうですが、いまの政府は国民のためにそういった無駄遣いを批判して現政権をとったのだと記憶していました。
それらのツケを国民にまわすようになったとは、ずいぶん短い間に宗旨替えしたようですね。
不思議でなりません。
いまの公立保育園には欠陥もあります。
しかしそれが公共の福祉の役に立っているのは紛れもない事実です。
保育園を福祉と考えたときにいつも思い出す子がいます。
離婚した一人親家庭で住む家がなく、保護されて保育園に入所してきました。
保育料は無料です。
その後、祖母にひきとられましたがその家で祖母から虐待されつづけました。
家で家族が食事していてもその子が食べるものは、生のキャベツの葉っぱです。
保育園の給食が唯一のまともな食事でした。
そんな子ですからものすごい手がかかる子になっていましたが、心根の優しい子でそんな状況にも負けない楽天的な性格でした。
でも、安心感や満足感がないので午睡になっても寝ることがなかなかできないでいました。
そのときすでに5歳だったけど、赤ちゃんにするように子守唄をうたってあげて寝かせてあげたことをよく思い出します。
小学校にいきしばらくすると、虐待がさらに悪化し命の危険があるというので、強制措置されいまは児童養護施設にいます。
こんな子はこれからもたくさん出てくることでしょう。
福祉としての保育園がなくなり、すべてが独立採算の利益追求のサービスになってしまったらどうでしょう。
どこか受け入れてくれるところはあるでしょうか。キャベツの葉っぱで生きていけるでしょうか。一生だれからも子守唄も歌ってもらったことのない人間に育つのでしょうか。
今回の「子ども・子育て新システム」というものに僕は大きな不安と、恐ろしさを覚えずにはいられません。
大変長く重い文章を最後までお読み下さり本当にありがとうございました。
今日のむーちゃんメモ:ご飯を食べた後、廊下においてあるみかんの箱まで「チュ チュッ ポポッ」と汽車になってみんなでみかんを取りにいくのが毎日の楽しみらしい。
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