子供の人権 Vol.1 - 2011.08.31 Wed
しかし保育の質について考えるためには、その前にどうしても整理しておかなければならないことがあります。
それは『子供への視点』です、『子供観』といってもいいと思います。
「子供をどのようなものとして考える・捉えるのか」ということが明確でなければ、そもそも「保育の質」など推し量ることもできないからです。
僕は現代においてこの「子供への視点」のよって立つべきところは『子供の人権』という概念にあると考えています。
我が家の「脱・都市生活者」 - 2011.08.26 Fri
出来ることからやってます。
たとえば、買い物なんかはできるだけ地元のお店をつかいます。
大型店とかスーパーなんかは便利なんだけど、そればっかりでもよくないんだよね。
別に損得勘定でやっているわけではないのだけど、なが~い目でみると結局損をしてしまうような気がするのです。
大企業は税金なんかも地元の自治体にはあまり落とさないようになっていたりするしね。
なかには日本のスーパーなのだけど、外国籍にしてあって日本自体にも税金をできるだけはらわないようにしているところなんかもありましたね。
個別化と一般化 - 2011.08.17 Wed
このことは保育に限らずいろいろな場面で適用されることです。多くの場合無意識にこの「個別化と一般化」を使い分けているはずです。
人は物事に対するときに、さまざまな経験や知識などの蓄積されたデータをもとにその物事にとりくみます。
例えば保育でいえば、100人の子供をすでに保育したことのある人はその100人分の経験や、学校で学んだこと、本で読んだこと、人から聞いたことなどから類型化された子供像を描くことができます。
その中にはさらに明るい子、おとなしい子、遊べない子や他動な子などなどのさらに細分化された一般像ももっています。
その人が新しい子供に対応するとなると、当然その一般化された姿とその子を引き比べて捉えていくことになります。
これが「一般化」です。
『都市生活者』 - 2011.08.14 Sun
子育てというのは人が生きていくうえで、必然的に多くの人が通る道であるのに、なにか特別なスキルのようになってしまってきています。
実際に子育ての齟齬、ひずみは引きこもりやいじめ、きれやすい子、学習困難、子供の薬物使用や未成年者の妊娠の増加などなどにいやおうなしに出てるといえます。
実はこういった子育ての難しくなった原因は子育ての内容だけにあるのではなくて、もっと大きな背景・流れのなかにあるのではないかと僕は考えます。
家庭の養育力 - 2011.08.12 Fri
子育ての研究家のなかには、「かつての親たちも必ずしも養育能力が高かったわけではない。祖父母などの周りのたくさんの手が借りられる状況にあったからそれなりにうまくいっていたのだ。だから今の親の養育力が下がったわけではないのだ。」と述べている人もいます。
たしかに多分にその影響はあるでしょう。
親が一人で見なければならないという状況は今よりもすくなかったのは確かだと思います。
しかし僕は一方で親個人の養育力が下がっているのもまた事実だと思うのです。
子供を育てる力・養育力 だけでなく場合によっては 子供を育てる意志・養育する意志 自体が下がっているということもあります。
もちろん全ての人がそうなっているというのではなく、そういう親が増えているということなのでしょう。
保育園に子供を預けに来る親をみていて、かなりはっきりと年々子供を見きれなくなっている人が増えているのを感じます。
受容にどれだけの意味があるか ~事例より~ Vol.2 - 2011.08.09 Tue
しかし、ここでこの子へのアプローチは終わりではありません。
ここで安心してしまっては、まただんだんと情緒の安定を欠いていき再び元のようになってしまいます。当然これからも保育のなかで注意深く見守り、認め、受け止めていくのですが、再度ここで親へのアプローチをしていかなければなりません。
なぜなら、保育士がどんなに温かく見守り、優しく受け止めていったとしても、この子が本当に望んでいるのはそれを母親からしてもらうことだからです。
たとえどんなに淡白な親であっても、虐待をしている親であったとしても子供が望むのは自分の親からの関わりなのです。
保育士が10の努力が必要なことが、親であれば1の労力で子供に満足を与えられるでしょう。
それゆえに保育士がどれだけがんばったとしても、そこで得られた安定というのは一過性のものに過ぎません。
受容にどれだけの意味があるか ~事例より~ Vol.1 - 2011.08.07 Sun
一人っ子ですが家庭では父親にも母親からも「いい子」でいることを求められており、「しつけ」には熱心、次々に「出来ること」を要求されてきました。甘えを受け止めてもらったりすることはせず、甘えを出すことも結果的に少なくなる。逆に理由をつけてゴネることをたくさんする。
虐待されているわけではありませんが、ベタベタした関わりを親からすることはなく、クールというか淡白な関わりに終始。それが慢性的に続く。
母親自身も子供がとても手がかかったり、外出先で子供に攻撃的になったりしているのは自覚しているが、叱ったりしつけたりと押さえつけるほう・否定するほうの関わりをしてしまう。
家ではゴネたりかんしゃくを起こすことはとても多いが、攻撃的になったりすることはあまりなく極力「いい子」になっている、しかし保育園ではそれとは程遠い姿を出す。
忘れがちだけど大切なのは基本的なこと - 2011.08.06 Sat
勉強している頃は、諏訪きぬ先生や大日向雅美先生、汐見稔幸先生などの保育論の大家の著作はもちろん読みました。これらの先生のものでも一般の親向けのものではなく、主に保育論としての著作です。
(知名度も人気もある汐見先生などは親向けの本もずいぶん出ていますが、やはり親向けのものと学術的・保育士向けのものでは視点・深さがかわってきます。さらにテレビでの発言だとずいぶんやわらかく当たりさわりのないものになってしまいますが、プロ向けの講演とかでは子供の立場、親の立場、保育士の立場とそれぞれ理解して話してくれるので、歯に衣着せずで本音で語ってくれるところも多くとても共感できるものになっていて、大変人気があります。そして聞き終えた後はまた明日から仕事がんばろうという気にさせてくれるんですよね。テレビでだといろいろしがらみとかあって言えないことも多いのでしょうね。)
遊びに関しては樋口 正春先生の本はもちろんですが、セミナーにも2年ほど通ってたいへん勉強になりました。また遊びだけでなく子供と関わる上でのたくさんの大切なことも学ばせていただきました。
また、保育士向けですが難しい子供への対応を具体的に書いたものとして『受容と指導の保育論』茂木俊彦 ひとなる書房 なども参考になりました。
他には心理学その他の専門書・雑誌などを読みますが、あまりというかほとんど参考にするためにブームになっている子育て方法を読もうとは思いません。いまの保護者がどういうものを目指してどんなものを取り入れようとしているのだろうという視点でみることはままありますが。
絵本の読み方のちょっとしたコツ - 2011.08.04 Thu
0~1歳時期の食事 てづかみ、好みのではじめ - 2011.08.03 Wed
いろいろなケースがありますから一概には言えませんが、1歳前後くらいから「食の好み」がはっきりしてくることがあり、それ以前では普通に食べていたものを食べなくなったりすることはよくあることです。
子供が食べなくなると心配になってしまいますが、「好みが出てきたのかな?」というケースであればまあそれほど心配することはないと思われます。
なにからなにまで食べなくなったというのでは困りますが、好みというのは誰しもあるものなので、ああそういう成長の段階にきたのだな~と様子を見守ってあげればいいかと。
そのまま好みとして固まってしまうこともあれば、またそのうち食べるようになったりすることもあるようです。
乳児の遊び・関わり Vol.15 適切な言葉 と 大人も同じように使うこと - 2011.08.01 Mon
子供が玩具を上手く使いこなせないでいたりするときに、つい無言で取り上げて直してあげようとしたり、使い方を教えようとしたりします。
無言でなくとも「かしてごらん」などと言い切りのまま子供の承諾も得ずに、とってしまったりをよくみかけます。
一方で、友達に玩具を借りるときには黙ってとらずに「貸して」といいなさい。「いいよ」といわれてから借りなさいなどと伝えています。