保育園は、自ら問題意識をもって積極的に学ぶ姿勢がなければまったくといっていいほど変わらないところなので、残念なことにいまだにその大量設置時代の数をこなすのが最優先だった頃の保育が現在でもまかり通っているところもあります。
そういった進歩のない保育はまだまだたくさんみられ、たとえばいまだに個々の子供の発達を見極めてでなく、早期に月齢でオムツを外させようとしたりする保育士・保育園は後を絶ちません。
子供を大人の思い通りの型にはめるような保育や、問題を親に押し付けるだけで適切な援助をしてあげられない、子供を尊重しない保育などなど・・・も同様になくなっていません。
業界自体が保育を見直したり、省みたりということと疎遠なのかもしれません。
いまでも保育の専門学校や短大で子供の指導法と習ってくるのは「一斉保育」のやり方に終始しています。
これだけ子供の問題が多角化、複雑化し、個性や個人の尊重が叫ばれる時代になっても、個々への援助の方法や関わりというものが希薄なままなのです。
現在の保育業界のあり方をみていて、特に若い人たちが可哀想だなという思いが常にします。
驚かれるかもしれませんが保育の学校では、実際上のの子供との関わり方といったものをほぼ全くと言っていいほど学ぶことはありません。
例えば、2歳の成長期真っただ中の子供に対して、理論としてはあっても、どう具体的に関わればいいかといったことについて、本の上だけの知識すら学ぶカリキュラムはないのです。
「実習」というのが単位としてありますから、ここで集約してしまっているのかもしれません。
しかし、実習だけで学ぶにはあまりに子供へのアプローチの重要性・広汎性というのは大きすぎるでしょう。
つまり結局のところ、子供との関わりについてはほとんどしらない漠然とした状態のまま資格を与えられて、就職します。
そうしますと、就職したところの保育のやり方が、その人にとっての子供との関わり方にそのままなって行きます。
保育の質 Vol.2で挙げた僕の友人のように、大声を出して子供に言うことを聞かせる保育をしているところに入ってしまった人は、下手をすればそれが一生その人の保育のやり方になってしまうのです。
「どういったものが子供にとって良いのか」そういった考える視点すら与えられずに、保育士の資格をとって、良い保育なのかそうでないものなのか判断することもできないまま、就職するのが当たり前になってしまっているのが本当に若い保育士・保育士をめざずひとにとって不幸なことだと思います。
他者の保育を見聞きすることの少ない性質や、自分たちの保育がイデオロギー化してしまって、客観的に省みない体質などがさらに、保育が変わらない一因にもなっています。
また研修などがあったとしても、もともとも問題意識などが低ければ、それに触発されることはありませんし、「研修を頑張っています」というところでも結局は自分たちの方向性にあったものだけをチョイスしていたりすれば、新たな視点、それまでの保育を見直すきっかけとは成り得ません。
時代にそぐわない、すでにそれは間違っていたと修正されたところすらも知らないまま、保育を運営しているところがあるのが、いまの保育業界の現状です。
公立保育園・私立の認可・無認可関わりなくこの問題はあります。
もちろん、一生懸命勉強しつつ保育に生かそうとしている人たちもたくさんいます。
でも、それが業界の潮流・体質まではいっていません。
本来ならば公立保育園が牽引していかなければならなかったでしょう。
それまでの他のところに比べて、勤務時間や勤続年数などの待遇面、研修などのアフターフォローももっともよくできていたはずだからです。
そして事実がんばっているところもあります、ですが公務員体質的な前動続行・ことなかれ主義で古いことを古い体質のままやっているところも多くあります。
しかも、そんなところに限ってやけに高飛車だったり、えばっていたりね・・・。
保育業界自体が明確な子供への視点など持ち合わせていないので、結局のところ保育の質は今現在、各保育士の人間性にまかされきっているようです。
利用する側からいえば、あたった保育士次第、運任せのあたりはずれです。
本当はこうではいけないですよね。
多少の上手い下手はあるかもしれないけれど、きちんとしたプロフェッショナリズムが確立していて、どこへいっても信頼でき安心して任せられなければ。
大変残念なことに保育業界にはそれがないのが現状です。
ですので、社会に対して「乳幼児期の人格形成や保育は社会にとって重要なものなのだ!」「保育を売り物にするな」と強く言えません、また言ったとしても説得力を持ちません。
本当に質の高い保育というものを世間一般の人たちから認知されていないので、見た目のキレイさや保育時間の便利さ、英語教育などの付加価値のほうが一般人からは魅力的に見えてしまいます。それもいまの保育業界全体のあり方からいったらやむをえないえでしょう。
そのためずるずると、国や行政・民間業者が目先にちらつかせている安直な方へと落ちていってしまっているのを止めることができません。
このことは保育業界自体の責任であり体質が引き起こしたことと言えるでしょう。
ちょっと今回は、もともとこのシリーズで予定していた具体的な日常の保育の質ということからそれてしまいました。
次回はもとにもどってみてみたいとおもいます。