アクション = 大人が子供になんらかの働きかけをする 例えばなにかをやらせる、促すなど
リアクション = 子供がそれに対して行動を起こす(それが大人の指示通りかどうかに関わらず)
フィードバック = 大人がその子供の行動に対して再度関わりをする
そのフィードバックとはこれまでにも紹介してきたような「認める」「褒める」「共感する」などなど。
僕は子育ての中で指示や支配は多くすべきでないと考えているけれども、よしんば指示ばっかりの子育てをしていたとしても、このフィードバックの部分がきちんとできていれば、それなりにいい子育てができると思うのですよ。
例えば保育園で朝子供を「はやく、はやく」と急かせている人はたくさんみるけれども、あとで「急かしてわるかったね」という人も「急いでくれてありがとね」という人もまずいません。
せめて靴を脱ぐときに「はやく」と言ったのならば靴を脱いだ時に「よし、じゃあいこう!」とでも明るく言ってあげるだけでも、ずいぶん違うと思うのだけどね。
まあ、そういう局所的な例だけでなくて、子供になにかをさせたとき、なにかをしたとき、なにかをしてくれたとき、そういったときにちょっとしたこと「どうもね」「えらいね」「ありがとね」の一言でもいいのだけど、フィードバックが少ないんだよな~。
以前に僕は子供に挨拶を仕向けるのは好きじゃないとどこかで書いたけれども、むしろやらせて言わせたならばなおさらそれをした時に認めてあげなければならないと思うのだけど、それを認める言葉ってあんまり聞かないんだよね。
「はい、上手にいえたね」「よし、よくできた」、もしくはうなずいて見せるだけでもいいと思うのだけど。
やるのが当たり前のことだから、それができても認めたり褒めたりには値しないと考えてしまうのだろうか。
大人だって、「おい、この書類今日中にまとめておけ」と言われて仕事をしたとき。その出来たものをもっていって
1 「こんだけのことにどれだけ時間かかってるんだ。おまえやる気あるのか」
2 「・・・・。」 うんでもすんでもない
3 「ああ、ありがとな」 「なかなかよくまとまってるじゃないか」
1,2,3どのフィードバックがよいかといったら。
1ではモチベーションあがらないですよね。スポ根世代で罵られる方がやる気でるという人ならば別かもしれないけど。
2はまあ仕事でやらなきゃならないことなのだから、ねぎらってもらいたいと思っているわけでないとしても、無反応というのはモチベーションの点ではややマイナスに感じるものです。
多くの人が達成感を感じることができ、さらにやる気になるモチベーションがあがる対応というのは普通3だと思うのです。
子供も全く同じというかそれ以上です。
当たり前だけど子供は親に給料もらってるわけじゃないし、親から認めてもらうこと以外の見返りなんて求めていないのですから。
おそらく意識してやっている人はほとんどいなくて、単にその人の性格とかからなんだろうけれども。このフィードバックのできる人だと子供の姿は大きく変わってきます。
フィードバックのできる対応とできない対応のでは子供の姿はちょっと、ではなくはっきりとわかるほど違います。
もしかすると単に「性格」として片付けてしまっているところの、少なくない部分がこのA‐R-Fの積み重ねの結果かもしれません。
子供の行動はそのもっているモチベーションに左右されます。
子供の「生活」「遊び」多くの局面においてそのモチベーションの有無で違います。
同じ月齢でも着替えを積極的に明るくやろうとする子。誘われてもやろうとしない、手伝っても嫌がる子。
この差はどこから来るのでしょう。
もちろんさまざまな要素があるのでモチベーションひとつで割り切ることはできませんが、それが大きな理由の一つであることは間違いありません。
1~2歳児だとしても、モチベーションのごくごく高い子だと、「着替えをしよう」と誘われずとも普段の生活の流れとかを把握していて大人がそれらしい動きをしているのを察知して、自分からやってきたり、着替え中も大人との関わりを楽しんだりしながら、それがやらされている行為などと感じたりせずにやってしまいます。
だけでなく自分から着替えを持ってきたり、そこで「えらいね」と褒められたり、楽しくふざけて大人の笑顔を引き出したり、自らモチベーションがあげられるような行動をしていってしまいます。
これがそもそものモチベーションの低い子だと、大人に何度も指示をだされたり、それにも動かず怒られたり、叱られたりよけいモチベーションの下がる方向へと行動していかざるをえません。
悪循環になってしまいます。
モチベーションはつながっているから一つのことで上がれば、他のものにも上がっていけます。
さっきの例でいえば着替えのときにたくさんフィードバックをもらえた子供は、次にする行動、遊びや食事のときにも前向きになりやすいです。
しかし、最初に述べたようにこのFの部分がない関わりを積み重ねられている子供が多いので、悪循環に陥ってしまっていたり、行動面の成長が足踏みしている子供を多く見かけます。
では、悪循環に陥ってしまっている子にたいしてどういう対応をしていったら、そこから抜けてでモチベーションを高められるようにしていけるでしょうか?
子育てを「しつけ」だと考えている人や、子供を「○○できるようにしよう」と思ってアプローチしている人、大人が上で子供が下にいる・従うべき存在であるととらえている人だと、Aの部分ばかりがんばってしまいます。
まあ、そうでない人も、ほとんどの人がそうなんだけど。
A(アクション) やれ やりなさい どうしてしないの
これに応じてR(子供のリアクション)の部分はどんどん大人から見てよくない方へといってしまいます。なぜならやらせようとするばかりではモチベーションは逆に下がっていくからです。
そしてF(フィードバック)の部分がないとしたら、下がったまま上がることはありません。
子育てがんばっているけど、空回りしている人はこういうことになっている人も少なくないのではないでしょうか。
「勉強しろ」と言われれば言われるほどやる気がなくなる理屈と同じですよね。
子供との関わりが上手なひとはAの部分よりも圧倒的にFのウエイトが大きいのです。
「やれ」というA(アクション)の部分は最小限で、それが出来ようと出来まいときちんとR(リアクション)に応じてF(フィードバック)を入れていきます。
モチベーションが低くて自分からやろうとしない子にすら、よい形でフィードバックしていってあげます。
さっきの着替えの例だったら、なかなか着替えにこない子に「もっと早く来なさい」などと叱責するのでなく、「まってたよ」と笑顔で受けてあげて、自分で着替えが上手くなくても全部手伝ってやってあげたとしても、「はい、できたね」と認めてフィードバックしていきます。
ゴネゴネになっていたとしても、手伝ってでも出来たという既成事実を作ってしまい、そこを認めていくのです。
「しつけ」という名の否定の積み重ねや、「できること」ありきの子育てをしていたらいつまでたっても、認める部分は作っていくことができません。
モチベーションが下がってしまっているならば作ってでも認めていくのです。
でも嘘をつくことはないのですよ。
自分でやろうとしない、手伝ってもイヤイヤしている子に対して「えらいね」と褒めていったら、本当にその子が自分でできた時にかける言葉がなくなってしまいます。
出来てもいないのに褒められても、それはなんかおかしいと小さい子供でもちゃんとわかります。
だから嘘やごまかす必要はないのです。
手伝ってもらってできたのなら、「できたね」。大人側の気持ちとして「あーよかった」と笑顔でいってあげればまったく嘘もごまかしもなく認めていけます。
自分でやろうとしない子だとしても、認めることってたくさんできるんですよ。
「そろそろ着替えるから来てねー」 → 「ちゃんとわかってえらいね」
「じゃあ、着替えるからそこのオムツもってきて」 → 「はい、ありがと」
泣かずに着替えられたら → 「今日は泣かなかったね~」
袖に腕を通せたら → 「上手にいれられたね~」
一個一個みてけば、認めることも褒めるところもあるもんです。
たとえ、泣いてゴネゴネしてちっともうまくいかなかったとしても → 「今日は泣いちゃったね」
出来ないことも否定の対象ではなく、出来ないこととしてありのまま受容・肯定していけばいいんです。
それが積み重ねなんだから、そういうことがちょっとずつあって子供は育っていくものだからね。
こういう風に
A-R のみでなく
A-R-F と出来ていくと、子供を否定することって驚くほど少なくなります。
このことって実はいつもいっている「認める」っていことを、行動面に具体的に当てはめていっただけなんです。
実際の子供の生活行動でアプローチがうまくいかないと思う人が少なくないからね。
これをもっと拡大していくと、なにかをさせた時の子供のリアクションに対するフィードバックでなく、子供の普段の姿、自発的な行動にたいする大人側の「認める」という行為になっていくでしょう。
注)以前、早期教育なんかのからみで「モチベーションの上げすぎに注意」ということを書いたけれども、その時言ったこととここで述べていることはちょっと違うのです。
上げるべきでないのは、その月齢や情緒・発達段階などにあっていないもの、背伸びさせてやらせていること、負担になりながらやらせていることだからです。僕はこれを「作られたモチベーション」と呼んでいます。
一方今回述べられていることは、その発達段階で無理なく出来ることに対してのモチベーションです。
これは本質的にその子に負担なく出来ることに対してのモチベーションですので、僕は「自然なモチベーション」と考えます。