いじめについて考える Vol.4 - 2012.08.31 Fri
「もしいじめられたとしても、それをはねのけるだけの力のある子にしよう」
前回出てきたこの考え方だけれども、家庭での子育ての方針としてそのように考えるのは必ずしも間違っていないとは思います。
ただ、行政や政治家、教育者など上に立つ人が教育論としての見解として述べるのは、前回書いた理由から適切でないと思います。
そしてまた、いじめる側に対するアプローチをなんら考慮せず、いじめられた側が黙ってさえいればいじめ問題は大きくなることもないというような、責任逃れな論理がそこには見え隠れしているような気がしてなりません。
前回書き忘れていたので補足でした。
指示でも禁止でもない声がけ - 2012.08.29 Wed
これまでに書いていないような気もするので、この際載せておこうかと思います。
いじめについて考える Vol.3 - 2012.08.27 Mon
それは、「いじめはいじめられる方にも原因になることがあるのだから、いじめの対象にならないような子供に育てなければならない」という考え方です。
この意見のいくつかはさらに、「もしいじめられたとしても、それをはねのけるだけの力のある子にしよう」という文脈で続くものや、「集団にうまく適応し、いじめの対象にならないような協調性をもたせるのだ」という意味合いで語られるものなどがあるようです。
いじめについて考える Vol.2 - 2012.08.26 Sun
いじめについての議論がなされているところで、しばしば「いじめにはいじめられる方にも問題があるのだ」という意見がでてきます。
この意見は昔から根強くあり、いまでも多く耳にします。その意見がでるとそれに賛同する人も多いようです。
しかし、本当にそうだろうか?と僕は思います。
片付けのしかた Vol.4 - 2012.08.25 Sat
片付けについてつらつらと書きましたが、片付けなどということは子育ての中では結局のところ枝葉の部分に過ぎないことだと僕は思います。
子育ての大きな幹の方をしっかりと育てていれば、それをひとつの課題として取り上げて訓練しなくても自然と子供の発達・成長を追ってだんだんと身についてくることのひとつです。
片付けのしかた Vol.3 - 2012.08.25 Sat
大人が「片付けをさせようとすること」も場合によっては、同様のことになってしまうでしょう。
排泄の自立でもトイレットトレーニングを迫ることが、むしろ自立を遠のかせてしまうことがあると書きましたが、このように子育てにおいては何をするかよりも、何をしないかのほうが大事なことがあるようです。
片付けのしかた Vol.2 - 2012.08.20 Mon
愛着の不思議 - 2012.08.17 Fri
こう暑いと、じっくりものを考えてなにかを書く頭が働きません。こまったものです。
片付けについてが途中ですが、そこででた「愛着」のことは片付けにもそうですし、ほかの部分でもとても大きなことなので、ちょっと掘り下げておこうかと思います。
愛着の不思議と書きましたが、むしろ人間が不思議というべきなのかもしれません。
片付けのしかた Vol.1 - 2012.08.09 Thu
ただ、以前にも書いたことがありますが、片付けさせることにどうか躍起にならないで欲しいと思います。
片付けることばかりに子供を駆り立ててしまうと、それよりも大事なことが失われてしまうことがあるからです。
(過去記事を読んでいない方はぜひとも↓こちらから)
『遊びとかたづけ』
コミュニケーション - 2012.08.07 Tue
子供ではなく「親」がです。
人見知りだとか、対人関係がしごく苦手という人が世の中にいるのはわかります。
でも、いま目にしているのはそのレベルではないと思われます。
発達障がいについて考える Vol.8 ― 後記 ― - 2012.08.02 Thu
発達障がいについてという点からは内容的にとても十分に言い尽くしたものではないけれども、自分としては書こうと思っていたものは一応かけたので、一旦ここまでにしようと思います。
書こうと思っていたものとは、
①発達上、気になるところのある子は、特に個別的な視点で見なければならないこと
②対応次第で問題行動を、減らす方法もあること
③周囲の認識・意識で、それら問題行動とされるものも大きくも小さくもなるということ
④発達障がいと呼ばれる場合と、そうでない場合とで本質的な差異はないこと
実を言うと本当に言いたかったことは、これまで書かれたこと以外にもう一つあります。