コミュニケーション - 2012.08.07 Tue
保育園にくる最近の親の傾向としては、あいさつをしない・できない人が増えたことがあげられます。
子供ではなく「親」がです。
人見知りだとか、対人関係がしごく苦手という人が世の中にいるのはわかります。
でも、いま目にしているのはそのレベルではないと思われます。
あいさつだけでなく、必要なコミュニケーションやささいな会話もなくなっているようです。
朝の登園時、家で書いてくる連絡ノートの記入を忘れたりしてペンが必要なとき、「ペンを貸してください」とでも言われれば気持ちよく貸すのだけど、勝手に園や保育士のものを取っていってしまったり、中にはデスクのキャビネットや引き出しをあけて持っていこうとする人すらいます。
「あいさつ」というのはコミュニケーションのもっとも端的な部分だと言えます。
保育園に来る人の多くは、仕事をするために子供を預けているのだから社会人です。
その社会人である人が、向こうからあいさつされても返さないというのはおかしなことと言えるでしょう。
「おはようございます」と言って、「あぁ」とかうなづきが返ってくるならまだいい方で、無言・無表情・目も合わないという人もいます。
なぜこのようなことを言うかといえば、別に世の道徳が衰えていると嘆いているわけではなく、そのようなコミュニケーションの低下というのは明らかに子供の育ちに影響してくるからです。
社会生活の中で必要なあいさつをしない・できない人というのは、子供との日々の関わりの中でも必要なコミュニケーションがなされていないと思われます。
僕の経験では、かなりの確率であいさつしない人の子供は、言葉や関わりの能力が年齢・発達の程度に比して幼かったり、友達との関わりにおいてもトラブルなどがとても多くなっていました。
子供は、様々なものごとを身近なモデルを真似ることで覚えます。
身近なモデルとは、まず第一に親です。
そして影響力がもっとも大きいのも親です。だから、よそで望ましくない行動を子供が学習してきたとしても、親の行動がしっかりしていれば子供がそれに飲み込まれることは少ないです。
親があいさつもしなかったり、必要な言葉も話さない、話すよりも先に手が出る、笑わない、子供に対していつも怒っているばかりだったり、言葉が威圧的、めんどうそう、嫌そうな態度で接するというようなネガティブな関わり方であれば、子供のコミュニケーションの形もそこから導かれるものとなってしまいます。
それは、親があいさつをしないから、子供もあいさつをしないというレベルにはとどまりません。
そのくらいならばまだいいのですが、親がコミュニケーションがとぼしいというのであれば、その子はきちんとしたコミュニケーションのモデルを獲得できていないので、人とどのように関わるかという方法がわかりません。
結果的に、大人や子供ともなかなか良い形で関われないことが多くなります。
コミュニケーションのモデルが獲得できていないのではなく、ネガティブな形で獲得してしまっている子、例えば親から叩かれている子、暴言をはかれている子は、友達や他の大人と関わる時もそういった関わり方が出てきます。
そういう子に、「人を叩いてはいけません」といくら伝えても、それが浸透することはとても難しいです。
なぜなら、もっとも影響力の大きい存在である親、その子の見本である親が、それをしているのですから、そのような「理屈」は実際の「経験」に勝るはずがありません。
たまに、その人の子供が他児を叩いたり乱暴していると、「コラ、お友達を叩くんじゃない」と子供を叩いている親がいますが、これには大きな矛盾がありますよね。
自分がきちんとあいさつしないのに、子供に「あいさつしないさい」と言わせている人がけっこういます。
子供は親の姿をみて常に学んでいますから、型にはめるように教え込まずとも、いずれ親のするようにその子もしていくものです。
コミュニケーション、人と関わる力というのは、あいさつだとかそういったはっきりと目に映る部分だけでなく、子供の成長にとても広汎な影響を与えています。
関わる力のある子は、当然ながら人と関わる遊びもうまいですし、楽しめるようになります。
親に叩かれるがゆえに、友達にも手が出てしまう子は、そもそもそのスタートラインにすらなかなか立てなくなってしまいます。
人と関わることにポジティブな楽しみを見いだせる子ならば、集団での行動などにも抵抗なく入って行きやすくもなるでしょう。
集団でなくとも、人との関わりに楽しみを見いだせます。
人との関わりをポジティブに楽しめる子ならば、人へのより良い信頼感が形成されやすいです。
そうであれば、例えば食事指導をしているとき、その子は信頼する大人が食べることを望んでいると思えば、苦手なものも食べてみようという気持ちが生まれます。
人と良い形での関わりの出来ない子は、はるかに多くの場合そのようにはいきません。
そのように、親が子供と関わる基本的な態度というものが、子供の育ち全般に影響してくるのです。
うちのむーちゃんは、正確には覚えていませんが1歳の後半か2歳の前半にはすでに、ありがとうとかどうぞとか適切な場面で使っていたと思います。
お「むーちゃん、そこに入っている昆布ちょーだい」
む「はい、どーぞ」キッチンの開きをあけてもってくる
お「ありがとね」
む「どういたしましてー」
「どういたしまして」なんて教えたことなんか全くないけれども、どういう意味でどういうときに使うかというのを子供は日常の経験の中で学べているのです。
小さい子には「何をどう教えるか」よりも、まずは「親である自分がどうしているか」ということの方がとても大切だと感じます。
子供ではなく「親」がです。
人見知りだとか、対人関係がしごく苦手という人が世の中にいるのはわかります。
でも、いま目にしているのはそのレベルではないと思われます。
あいさつだけでなく、必要なコミュニケーションやささいな会話もなくなっているようです。
朝の登園時、家で書いてくる連絡ノートの記入を忘れたりしてペンが必要なとき、「ペンを貸してください」とでも言われれば気持ちよく貸すのだけど、勝手に園や保育士のものを取っていってしまったり、中にはデスクのキャビネットや引き出しをあけて持っていこうとする人すらいます。
「あいさつ」というのはコミュニケーションのもっとも端的な部分だと言えます。
保育園に来る人の多くは、仕事をするために子供を預けているのだから社会人です。
その社会人である人が、向こうからあいさつされても返さないというのはおかしなことと言えるでしょう。
「おはようございます」と言って、「あぁ」とかうなづきが返ってくるならまだいい方で、無言・無表情・目も合わないという人もいます。
なぜこのようなことを言うかといえば、別に世の道徳が衰えていると嘆いているわけではなく、そのようなコミュニケーションの低下というのは明らかに子供の育ちに影響してくるからです。
社会生活の中で必要なあいさつをしない・できない人というのは、子供との日々の関わりの中でも必要なコミュニケーションがなされていないと思われます。
僕の経験では、かなりの確率であいさつしない人の子供は、言葉や関わりの能力が年齢・発達の程度に比して幼かったり、友達との関わりにおいてもトラブルなどがとても多くなっていました。
子供は、様々なものごとを身近なモデルを真似ることで覚えます。
身近なモデルとは、まず第一に親です。
そして影響力がもっとも大きいのも親です。だから、よそで望ましくない行動を子供が学習してきたとしても、親の行動がしっかりしていれば子供がそれに飲み込まれることは少ないです。
親があいさつもしなかったり、必要な言葉も話さない、話すよりも先に手が出る、笑わない、子供に対していつも怒っているばかりだったり、言葉が威圧的、めんどうそう、嫌そうな態度で接するというようなネガティブな関わり方であれば、子供のコミュニケーションの形もそこから導かれるものとなってしまいます。
それは、親があいさつをしないから、子供もあいさつをしないというレベルにはとどまりません。
そのくらいならばまだいいのですが、親がコミュニケーションがとぼしいというのであれば、その子はきちんとしたコミュニケーションのモデルを獲得できていないので、人とどのように関わるかという方法がわかりません。
結果的に、大人や子供ともなかなか良い形で関われないことが多くなります。
コミュニケーションのモデルが獲得できていないのではなく、ネガティブな形で獲得してしまっている子、例えば親から叩かれている子、暴言をはかれている子は、友達や他の大人と関わる時もそういった関わり方が出てきます。
そういう子に、「人を叩いてはいけません」といくら伝えても、それが浸透することはとても難しいです。
なぜなら、もっとも影響力の大きい存在である親、その子の見本である親が、それをしているのですから、そのような「理屈」は実際の「経験」に勝るはずがありません。
たまに、その人の子供が他児を叩いたり乱暴していると、「コラ、お友達を叩くんじゃない」と子供を叩いている親がいますが、これには大きな矛盾がありますよね。
自分がきちんとあいさつしないのに、子供に「あいさつしないさい」と言わせている人がけっこういます。
子供は親の姿をみて常に学んでいますから、型にはめるように教え込まずとも、いずれ親のするようにその子もしていくものです。
コミュニケーション、人と関わる力というのは、あいさつだとかそういったはっきりと目に映る部分だけでなく、子供の成長にとても広汎な影響を与えています。
関わる力のある子は、当然ながら人と関わる遊びもうまいですし、楽しめるようになります。
親に叩かれるがゆえに、友達にも手が出てしまう子は、そもそもそのスタートラインにすらなかなか立てなくなってしまいます。
人と関わることにポジティブな楽しみを見いだせる子ならば、集団での行動などにも抵抗なく入って行きやすくもなるでしょう。
集団でなくとも、人との関わりに楽しみを見いだせます。
人との関わりをポジティブに楽しめる子ならば、人へのより良い信頼感が形成されやすいです。
そうであれば、例えば食事指導をしているとき、その子は信頼する大人が食べることを望んでいると思えば、苦手なものも食べてみようという気持ちが生まれます。
人と良い形での関わりの出来ない子は、はるかに多くの場合そのようにはいきません。
そのように、親が子供と関わる基本的な態度というものが、子供の育ち全般に影響してくるのです。
うちのむーちゃんは、正確には覚えていませんが1歳の後半か2歳の前半にはすでに、ありがとうとかどうぞとか適切な場面で使っていたと思います。
お「むーちゃん、そこに入っている昆布ちょーだい」
む「はい、どーぞ」キッチンの開きをあけてもってくる
お「ありがとね」
む「どういたしましてー」
「どういたしまして」なんて教えたことなんか全くないけれども、どういう意味でどういうときに使うかというのを子供は日常の経験の中で学べているのです。
小さい子には「何をどう教えるか」よりも、まずは「親である自分がどうしているか」ということの方がとても大切だと感じます。
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