おおらかさ - 2012.09.16 Sun
しばしば、「あの人はこまやかに子供の世話をする」とか「甲斐甲斐しく世話をする」などという言い方を褒め言葉として使われる。
確かに僕も、子供の様子や気持ちのあり方に敏感で、それに適した対応を取れるということはとてもいいことだと思う。
しかし、何が一番子育てに有用な資質かと問われれば、僕は「おおらかさ」だと思う。
今の時代は特に、子育てに対する知識や経験がないまま親になることも多く、子育てのひとつひとつに神経質になってしまう人が大変多く見受けられる。
子供に無関心でいるよりも関心を持っている親の方が良いだろうが、あまり神経質になってしまうのもまた多くの問題を生んでしまう。
育児書に書いてあることを、書いてあるとおりに受け取ってそれを厳密に実行してしまったりというのもその一例だ。
0歳児の子育てをしていて、「○ヶ月はミルクは○○CCが適量」と書いてあると、それをそのまま鵜呑みにして、その子は体も大きく、子供の様子からも足りてないことがうかがえるのに、かたくなにその「適量」を守ろうとしていた人など少なくない。
ミルクの缶に対象年齢「~3歳まで」と書かれていたから、3歳まで飲ませなければならないと思っていた人もいる。
いま子育てにおける大きな問題である過干渉も、そういった神経質さから頻繁に引き起こされている。
子供が感じるままにしゃべったことなのに、いちいち訂正して持たせなくてもいいネガティブな気持ちを子供に持たせていくことを繰り返してしまう人も少なくない。
そういうものの背景には、少子化・一家族における子供の少数化ということも、「失敗のない子育てをしなければならない」というようなプレッシャーを親に持たせてしまっていることもあるのかもしれない。
それゆえ、最近の子育ての傾向はどんどん神経質になってきてしまっているようだ。
親の神経質さというのは、子供の日々の姿、性格形成にも大きな影響を与える。
神経質さゆえに過干渉に関わられている子供には、それに対する不満やストレスが蓄積されていることがある。
それらは子供の気難しい態度を引き出してしまう。
2歳くらいでも極端なこだわりを持って大人を困らせる子がしばしばいる。
そういった子供は、親が神経質に普段接していることも少なくない。
子供の今ある姿、大人が先入観で「子供とはこういうものだ」と思っている姿のいくつかは、子供本来の姿ではなく、実は日々関わっている大人が作り出してしまっている姿なのかもしれない。
ちょっとぶつけたり、転んだだけでも、そのこと以上に泣き喚いたり、それをきっかけに大人に当たり散らしたり、感情を爆発させたりする子がいる。
もともとの気質で、そういった「癇癪持ち」な子もいるが、そういう子の多くはなんらかの原因が普段の関わりにあることがある。
過度に我慢を要求されていたり、ごまかされたり、脅されたり、また満たしてもらえていなかったりということが、そういう「なんらかの理由」をきっかけに吹き出してしまう。
今の時代は、子育てでなくとも時間に追われていたり、やることばかり多くて忙しいことが多かったりと、なかなか余裕をもって過ごすことができなくなっている。
子供にもついつい、できること、早くすることなどを要求してしまう。
でも、子供のペースというのはそんな時代に関係なく一定である。
今も百年前も、子供のペースは一緒なのに、要求ばかりは多くなっている。
そのような中では、どうしても神経質・過干渉になってしまうのもやむを得ないだろう。
しかしだからこそ、僕は今の時代で「子育てに有用な資質」とは「おおらかさ」だと強く感じる。
「できない日もある」「幼くなってしまうときもある」「甘えたくなってしまう時もある」そんな風に、気持ちに幅を持って子供を受け止められる人の方が、子育てはすんなりいく。
「できるようにならなければならない」「しなければならない」「絶対これをしてはいけない」そんな風に考えて子供に接ししまうと、子供はとても窮屈だ。
それが何日・何年と重なっていくとものすごく大きな反動を生むことすらある。
薬の多くは使い方によっては毒にもなる。
適量・バランスが大事なのである。
子育てにもそれは言える。
正しいからといって、過度に押し付ければ子供は潰れてしまう。
僕は保育の仕事をしていて、親が子供への期待のあまり子供の成長を阻害してしまったり、成長への期待を潰してしまっている例もいくつも見ている。
これは保育園での例ではないが、
公園で遊んでいる時に、体中にいくつも虫除けバンドを付け、蚊が寄ってくると「(刺されないように)手足をバタバタしなさい」、ちょっとしたことでも「あぶない、あぶない」、「そっちは汚い」、薄着で平気な時でも「風邪を引くといけないから」と、親にものすごい厚着をさせられていつも汗びっしょりになっていた子供がいる。
そうやって育てられたその子は、4、5歳になったときには、ちょっとでも人のおかしいところがあればそこをあげつらって非難する、その一方で自分の遊びはちっとも遊び込めないので余計に、人を注意するばかり、子供たちもその子と喜んで遊ぼうとはしないし、大人から見ても(親自身さえも)そういう姿の連続にうんざりしてしまう、そういう子になってしまっていた。
その子はそうなるべくして、育てられてしまったと言える。
僕はこういうのを「育ちを奪う」と呼んでいる。
子供は放っておいても、それなりにまっすぐ育つ力を持っている。
子供の人生はまだまだ長い、ほんとうに焦ってしなければならないことなど実はそんなにはない。
そう考えていることの多くは大人が勝手にそう思っているだけだ。
トイレットトレーニングをしなかったからといって、二十歳でオムツをしている人はいない。
神経質に子育てすることは、むしろマイナスですらあると思う。
これから子育てをする人・している人には、「おおらか」「臨機応変」「バランス」「過ぎたるは及ばざるがごとし」そういうことも、頭の片隅に置いておいて欲しいと思う。
確かに僕も、子供の様子や気持ちのあり方に敏感で、それに適した対応を取れるということはとてもいいことだと思う。
しかし、何が一番子育てに有用な資質かと問われれば、僕は「おおらかさ」だと思う。
今の時代は特に、子育てに対する知識や経験がないまま親になることも多く、子育てのひとつひとつに神経質になってしまう人が大変多く見受けられる。
子供に無関心でいるよりも関心を持っている親の方が良いだろうが、あまり神経質になってしまうのもまた多くの問題を生んでしまう。
育児書に書いてあることを、書いてあるとおりに受け取ってそれを厳密に実行してしまったりというのもその一例だ。
0歳児の子育てをしていて、「○ヶ月はミルクは○○CCが適量」と書いてあると、それをそのまま鵜呑みにして、その子は体も大きく、子供の様子からも足りてないことがうかがえるのに、かたくなにその「適量」を守ろうとしていた人など少なくない。
ミルクの缶に対象年齢「~3歳まで」と書かれていたから、3歳まで飲ませなければならないと思っていた人もいる。
いま子育てにおける大きな問題である過干渉も、そういった神経質さから頻繁に引き起こされている。
子供が感じるままにしゃべったことなのに、いちいち訂正して持たせなくてもいいネガティブな気持ちを子供に持たせていくことを繰り返してしまう人も少なくない。
そういうものの背景には、少子化・一家族における子供の少数化ということも、「失敗のない子育てをしなければならない」というようなプレッシャーを親に持たせてしまっていることもあるのかもしれない。
それゆえ、最近の子育ての傾向はどんどん神経質になってきてしまっているようだ。
親の神経質さというのは、子供の日々の姿、性格形成にも大きな影響を与える。
神経質さゆえに過干渉に関わられている子供には、それに対する不満やストレスが蓄積されていることがある。
それらは子供の気難しい態度を引き出してしまう。
2歳くらいでも極端なこだわりを持って大人を困らせる子がしばしばいる。
そういった子供は、親が神経質に普段接していることも少なくない。
子供の今ある姿、大人が先入観で「子供とはこういうものだ」と思っている姿のいくつかは、子供本来の姿ではなく、実は日々関わっている大人が作り出してしまっている姿なのかもしれない。
ちょっとぶつけたり、転んだだけでも、そのこと以上に泣き喚いたり、それをきっかけに大人に当たり散らしたり、感情を爆発させたりする子がいる。
もともとの気質で、そういった「癇癪持ち」な子もいるが、そういう子の多くはなんらかの原因が普段の関わりにあることがある。
過度に我慢を要求されていたり、ごまかされたり、脅されたり、また満たしてもらえていなかったりということが、そういう「なんらかの理由」をきっかけに吹き出してしまう。
今の時代は、子育てでなくとも時間に追われていたり、やることばかり多くて忙しいことが多かったりと、なかなか余裕をもって過ごすことができなくなっている。
子供にもついつい、できること、早くすることなどを要求してしまう。
でも、子供のペースというのはそんな時代に関係なく一定である。
今も百年前も、子供のペースは一緒なのに、要求ばかりは多くなっている。
そのような中では、どうしても神経質・過干渉になってしまうのもやむを得ないだろう。
しかしだからこそ、僕は今の時代で「子育てに有用な資質」とは「おおらかさ」だと強く感じる。
「できない日もある」「幼くなってしまうときもある」「甘えたくなってしまう時もある」そんな風に、気持ちに幅を持って子供を受け止められる人の方が、子育てはすんなりいく。
「できるようにならなければならない」「しなければならない」「絶対これをしてはいけない」そんな風に考えて子供に接ししまうと、子供はとても窮屈だ。
それが何日・何年と重なっていくとものすごく大きな反動を生むことすらある。
薬の多くは使い方によっては毒にもなる。
適量・バランスが大事なのである。
子育てにもそれは言える。
正しいからといって、過度に押し付ければ子供は潰れてしまう。
僕は保育の仕事をしていて、親が子供への期待のあまり子供の成長を阻害してしまったり、成長への期待を潰してしまっている例もいくつも見ている。
これは保育園での例ではないが、
公園で遊んでいる時に、体中にいくつも虫除けバンドを付け、蚊が寄ってくると「(刺されないように)手足をバタバタしなさい」、ちょっとしたことでも「あぶない、あぶない」、「そっちは汚い」、薄着で平気な時でも「風邪を引くといけないから」と、親にものすごい厚着をさせられていつも汗びっしょりになっていた子供がいる。
そうやって育てられたその子は、4、5歳になったときには、ちょっとでも人のおかしいところがあればそこをあげつらって非難する、その一方で自分の遊びはちっとも遊び込めないので余計に、人を注意するばかり、子供たちもその子と喜んで遊ぼうとはしないし、大人から見ても(親自身さえも)そういう姿の連続にうんざりしてしまう、そういう子になってしまっていた。
その子はそうなるべくして、育てられてしまったと言える。
僕はこういうのを「育ちを奪う」と呼んでいる。
子供は放っておいても、それなりにまっすぐ育つ力を持っている。
子供の人生はまだまだ長い、ほんとうに焦ってしなければならないことなど実はそんなにはない。
そう考えていることの多くは大人が勝手にそう思っているだけだ。
トイレットトレーニングをしなかったからといって、二十歳でオムツをしている人はいない。
神経質に子育てすることは、むしろマイナスですらあると思う。
これから子育てをする人・している人には、「おおらか」「臨機応変」「バランス」「過ぎたるは及ばざるがごとし」そういうことも、頭の片隅に置いておいて欲しいと思う。
| 2012-09-16 | 心の育て方 | Comment : 19 | トラックバック : 0 |
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