とくにあからさまなのが、台湾に旅行して「ああ、みんなで来てよかったなぁ」というおじいちゃんの笑顔で締めくくられる旅行会社のCMと、おじいちゃんから孫に送るということを強調したランドセルのCMは、ほんとにそのものですよね。
CMなんていうのは物を売るためのものだから、ものを買わせようというのは当然のことなのだけど、なーんかどうしてもつまらないことを考えてしまうんだよね。
ひとつは、「持てる世代と持てない世代」のギャップのこと。
どこでも言われていることだけど、いま使えるお金を持っている世代が限られてきてしまって、みな財布の紐がきつい。
使えるお金をもっているのが、年配のこのおじいちゃん世代と逆に若い高校生くらいと聞きます。
だから当然、おじいちゃん世代を狙い撃ちにしてくるのはわかるのだけど・・。
今後、高齢化社会になる一方で年金などの負担が若い世代に押し付けられているのに、その若い世代はろくに就職先もなかったり、就職しても少なからずひどい待遇でしか雇用していないという現状の中で、「持てない世代」がその「持てる世代」を支えていかなければならないという、なんとも暗澹たるものを感じてしまいます。
別に旅行会社やランドセル会社が悪いわけじゃないんだけど、どうにもひっかかるんだよね、この社会状況が。
もうひとつ感じることがあります。
最近の一連の記事ともつながるのだけど、
「稼ぐこと」を自分の大きなアイデンティティとしてこれまできたおじいちゃんたちが、退職などでその稼ぐことが終了したいま、なににアイデンティティを見出すかといえば、その稼いだお金をつかうことに行ってしまうのは理の当然なのだよね。
旅行会社のCMのおじいちゃんの「ああ、みんなで来てよかったなぁ」という笑顔は、「こういうお金の使い方をするとあなた(おじいちゃん)の満足が得られますよ」ということを示唆しているようで、なんとももの悲しい。
人間が何十年も生きてきて、その結果「お金を使ってあげること」に最も大きな意義を見出すようではさみしいじゃないですか。
実の孫・子だからもちろん「金の切れ目が縁の切れ目」ってこともないだろうけど、お金で人間関係をつなごうとするのは残念だよね。
そんなこんなで、ああいうタイプのCMを見ると、どうにもやるせなくなります。
関係ないけど、思い出したので書いておこう。
僕のおじいちゃんは僕が小学校に上がる前になくなっちゃったけど、一番の思い出は釣りを教えてくれたこと。
そのへんの土をほじくり返して、ミミズを捕まえてから出かけるようなそんな素朴な釣り。
教えてくれたといっても、手とり足取り教えてもらったというようなことじゃなくて、たぶんくっついていって見ていただけのようなものだったと思う。
そんなに話すような人でもなかったから、ほんとにただ釣りをして座っている横で、僕も川を眺めていたり、釣れた魚をいじったりして遊んでいたようなものだったのでしょう。
それでも、いまでも釣りと言えばおじいちゃんを思い出すし、なにをしてもらったわけでなくともそういった存在感があったように感じます。