相談 「叱る子育て」を変えていくには Vol.2 - 2012.11.08 Thu
前回からの続きです。
およそ4歳未満くらいまでの子供のネガティブ行動の多くは、子供の満たされなさからくることがあります。
「満たされなさ」というのは、別に愛情不足とかそういう精神的・抽象的なことではありません。
それは言い換えれば、親からの「良い関わりが自分が欲するだけもらえるのだ」と親子関係において自信を持てているかということです。
親が忙しかったり、子供に関心が低かったり、たくさん関わっていたとしてもそれが制止や禁止ばかり、小言ばかり、というのでは子供はその関係に安心感を見いだせません。
以前書いたような、「子供を甘やかしてはならない」と受容することも避けていたりすれば、そういうことは覿面に出てきます。
または、一生懸命関わっているつもりでも、親の態度の中に「うんざり」とか「いやいや」というのが感じられているとしたら、それもその関係に自信をもてなくすることになります。
子供がそういった状況に置かれると、子供は大人の眼鏡にかなうような好ましい行動をとるのではなく(本当はそうしたいのだろうけれど、その余裕もないので)、大人から見てネガティブな形で出さざるを得なくなります。
このことが乳児期のネガティブ行動の大きな原因のひとつです。
このネガティブ行動を抑えようと、いくら注意や禁止、叱る・怒る、いいきかせるということをしてもあまり改善に向かいません。
それよりもむしろ、その満たされなさは余計にそれらの行動によりつのってしまうので、かえって増えてしまいます。
なので、そのようなネガティブ行動が起こってからの対応をいくら変えたところで、根本的にはかわりません。
それよりも、そのもとの原因である、親子関係にある不安を解消し、それに自信を持てるように子供に関わっていかなければならないのです。
ですから、前回のところで「叱らないこと」を目指すことはないと書きました。
そういったネガティブ行動が出たときに、叱ったりしていても、一方でもとの原因にアプローチすることができていれば、しかり続けるのと叱るのをやめるのとに大した差はないのです。
そのアプローチとは、いつも書いている「先回りした良い関わり」です。
これに関しては別の機会に、そのテーマで一つ記事を書きます。
「先回りした関わり」の代表的なものとしていつもあげるのは「くすぐり」です。
ネガティブ行動がでる前の機嫌のいい時に、親から子へくすぐり遊びををすることで、子供は親から自分へ良い関わりの視線がもらえていることを実感できます。
精神的にも身体的にも、笑い合いながらくすぐりをされることで、はっきりと伝わります。
これにより、子から親への信頼感というものを大きく修復・向上させていくことができます。
これを続けることで、ネガティブ行動の原因であった、親からの良い関わりをもらえる自信のなさが解消されるので、ネガティブ行動そのものが減っていきます。
結果的に親が子供を叱ることは、だんだんと減るはずです。
「くすぐる」ことは、時間も、スキルも、親の性格の適性も、子育ての大きな経験も、遊びの技術もほとんど問いません。
ちょっと意識するだけで誰でもどんな時でもすることができます。
絵本『だっこして』のタコが言うように 「とてもべんりです」
この、普段の関わりの中で「良い関わり」を入れていいくことが、「肯定」のひとつです。
もうひとつ、まさに「肯定」そのものである「全面肯定」というものがあります。
次回それについて述べていきます。
余談ですが、「くすぐり」というのはくすぐったいから笑うのではありません。
変な話、くすぐりそのものは実はそんなにくすぐったくも、面白いものでもないんです。
例えば、自分で自分をくすぐってみても笑うことはあんまりないし、面白くもないですよね。
または嫌いな人に体を触られたとしても、不快感しか感じないですよね。
くすぐりが楽しい・おもしろい・くすぐったいためには、相手(つまりくすぐってくれる人)からの関わりを受け入れること、
そのために自分の心を開くというプロセスが、必ず必要なのです。
これはまさに心がつながるということに他なりません。
それゆえに、たかがくすぐりですが、とても大きな力をもっています。
中にはくすぐっても笑わない子というのもいます。
性格的にそういう子もいますが、人間関係・親子関係そのものに信頼感を形成できていない、もしくは不信感をもってしまっているために、そうなっている子もあります。
このような子はネガティブ行動が、束になって出てきます。
いくつか事例を持っていますので、いつか紹介できるかもしれません。
ちょっと対応が専門的になるので、どちらかというと保育士向けの内容になってしまうかな。
およそ4歳未満くらいまでの子供のネガティブ行動の多くは、子供の満たされなさからくることがあります。
「満たされなさ」というのは、別に愛情不足とかそういう精神的・抽象的なことではありません。
それは言い換えれば、親からの「良い関わりが自分が欲するだけもらえるのだ」と親子関係において自信を持てているかということです。
親が忙しかったり、子供に関心が低かったり、たくさん関わっていたとしてもそれが制止や禁止ばかり、小言ばかり、というのでは子供はその関係に安心感を見いだせません。
以前書いたような、「子供を甘やかしてはならない」と受容することも避けていたりすれば、そういうことは覿面に出てきます。
または、一生懸命関わっているつもりでも、親の態度の中に「うんざり」とか「いやいや」というのが感じられているとしたら、それもその関係に自信をもてなくすることになります。
子供がそういった状況に置かれると、子供は大人の眼鏡にかなうような好ましい行動をとるのではなく(本当はそうしたいのだろうけれど、その余裕もないので)、大人から見てネガティブな形で出さざるを得なくなります。
このことが乳児期のネガティブ行動の大きな原因のひとつです。
このネガティブ行動を抑えようと、いくら注意や禁止、叱る・怒る、いいきかせるということをしてもあまり改善に向かいません。
それよりもむしろ、その満たされなさは余計にそれらの行動によりつのってしまうので、かえって増えてしまいます。
なので、そのようなネガティブ行動が起こってからの対応をいくら変えたところで、根本的にはかわりません。
それよりも、そのもとの原因である、親子関係にある不安を解消し、それに自信を持てるように子供に関わっていかなければならないのです。
ですから、前回のところで「叱らないこと」を目指すことはないと書きました。
そういったネガティブ行動が出たときに、叱ったりしていても、一方でもとの原因にアプローチすることができていれば、しかり続けるのと叱るのをやめるのとに大した差はないのです。
そのアプローチとは、いつも書いている「先回りした良い関わり」です。
これに関しては別の機会に、そのテーマで一つ記事を書きます。
「先回りした関わり」の代表的なものとしていつもあげるのは「くすぐり」です。
ネガティブ行動がでる前の機嫌のいい時に、親から子へくすぐり遊びををすることで、子供は親から自分へ良い関わりの視線がもらえていることを実感できます。
精神的にも身体的にも、笑い合いながらくすぐりをされることで、はっきりと伝わります。
これにより、子から親への信頼感というものを大きく修復・向上させていくことができます。
これを続けることで、ネガティブ行動の原因であった、親からの良い関わりをもらえる自信のなさが解消されるので、ネガティブ行動そのものが減っていきます。
結果的に親が子供を叱ることは、だんだんと減るはずです。
「くすぐる」ことは、時間も、スキルも、親の性格の適性も、子育ての大きな経験も、遊びの技術もほとんど問いません。
ちょっと意識するだけで誰でもどんな時でもすることができます。
絵本『だっこして』のタコが言うように 「とてもべんりです」
この、普段の関わりの中で「良い関わり」を入れていいくことが、「肯定」のひとつです。
もうひとつ、まさに「肯定」そのものである「全面肯定」というものがあります。
次回それについて述べていきます。
余談ですが、「くすぐり」というのはくすぐったいから笑うのではありません。
変な話、くすぐりそのものは実はそんなにくすぐったくも、面白いものでもないんです。
例えば、自分で自分をくすぐってみても笑うことはあんまりないし、面白くもないですよね。
または嫌いな人に体を触られたとしても、不快感しか感じないですよね。
くすぐりが楽しい・おもしろい・くすぐったいためには、相手(つまりくすぐってくれる人)からの関わりを受け入れること、
そのために自分の心を開くというプロセスが、必ず必要なのです。
これはまさに心がつながるということに他なりません。
それゆえに、たかがくすぐりですが、とても大きな力をもっています。
中にはくすぐっても笑わない子というのもいます。
性格的にそういう子もいますが、人間関係・親子関係そのものに信頼感を形成できていない、もしくは不信感をもってしまっているために、そうなっている子もあります。
このような子はネガティブ行動が、束になって出てきます。
いくつか事例を持っていますので、いつか紹介できるかもしれません。
ちょっと対応が専門的になるので、どちらかというと保育士向けの内容になってしまうかな。
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