相談 「弱い大人」と「強い大人」 - 2012.11.16 Fri
今日書く事は、正確には相談に対する答えというものではないが、子育てでなにか引っかかっている人やそうでない人にもとても重要なことだと思う。
人に関することなので、ニュアンスの違いで少しわかりにくい部分もあり、あまりうまくこのことを説明する自信がないのだけど、なんとかまとめていきます。
わかりにくい部分はご容赦を。
まず、「弱い大人」と「強い大人」というのはなんだろう。
これは、弱いから悪い、強いからよいとか、そういうものではない。
子供への関わりにおいて、言い聞かせることができなかったり、いいなりになるばかりだったり、子供が困る行動をしてもそれをコントロールできない親などがいる。
他にもいろいろあるが、こういった子供に対して弱い態度をとることが多い人を「弱い大人」
逆に、子供に対して強圧的に出て言う事を聞かせたり、怖いために子供が顔色をうかがうようにしてしまったり、叱ること・怒ること・言い聞かせること・叩くことなどを使って子供を思い通りにしたりするような、子供に対して強い態度をとることが多い人を「強い大人」と一応定義している。
子育てにはバランスが大事で、どちらの面も必要なのだが、どちらかばかりではうまくいかないことも多い。
この弱い関わり強い関わりをバランスよく適切に使える人は、子育てがうまくいきやすい。
また、ことさら弱い関わり強い関わりを使わなくとも、もともとその大人の性格がおっとりしていたり、穏やかだったり心が広かったり、子供に対して自信や経験が豊富にあったりする人などで、ふだんからニュートラルな立場で子供に関われていて、うまくいってしまう人もいる。
しかし、弱い関わり、強い関わりの両方が使える人でも、弱い関わりをするべきところで強い関わりをし、強い関わりをするべきところで弱い関わりをしてしまい、あまりうまくいっていないという人もいる。
ただ子育てでつまずいている人の少なくない数が、だいたいは「弱い」か「強い」どちらかに偏った関わりをしている。
「弱い大人」には「弱い大人」から導き出される、特有の子供の姿の問題が出て、「強い大人」には「強い大人」から導き出される特有の子供の姿の問題が出る。
しかし、中にはその子供の問題の姿が、同じ姿になることがある。
例えば、相談のところでこれまで書いてきたようなネガティブ行動のひとつで、「他児に手を出す(叩く、邪魔をするなど)」という行動がある。
これなどは、どちらの関わりからも導き出されることがある。
「弱い大人」の方は、普段からいけないことに大人が毅然としていけないと言ってくれないために、行動に自律的なセーブができなくなってしまっているためであるとか、普段が過保護過干渉な関わりをされているので、スルーする力が強くなっていたり、その過干渉のストレスや抑圧から他児に手を出すということをはけ口にしてしまっていたりする。
また、単に過保護なので子供が精神的に育っていなくて幼いから、モノをとったりの行動になるなどもある。
「強い大人」の方は、日頃支配されることに対する抑圧からの解放された状態としての他児への手出しだったり、普段から支配的に関わられるがゆえに他者を支配することがその子の他人への関わりとして身についてしまっていたりするなどからの行動だったりがある。
子供の目に見える部分の行動面は同じだが、原因が違うので対処法も違う。
ときどきコメントで相談されて困るのは、これがどちらだかわからない場合である。
弱い大人への解決法を、強い大人に提示しそれを実行したら、もっと悪い方向へといってしまうだろうし、その逆もまたしかりである。
弱い大人に対して、「ときには毅然として叱ることも必要です」と言ったつもりが、実はその人は強い大人であって、それをまじめに徹底的にすることで、その問題の解決にならないかもしれないし、逆に強い大人に「もっと子供の姿をそのまま認めたり、受容しましょう」と伝えたつもりが、実は弱い大人に言ってしまい、かえっていいなりや、子供のわがままを助長してしまうだけになってしまうかもしれない。
そのような懸念があります。
なので、子育てで悩む人は「弱い大人」としての対応を重ねてきてしまって、子供の問題行動がでているのか、「強い大人」としての対応が多いから子供の問題行動がでているのか、それともそれとは関係のないところから来ていることなのか、そういう点を自分で見極めてみるとよいと思います。
しかし、ここでこの「弱い大人」と「強い大人」のことは、その大人の性格に起因していることがあるので、なかなか簡単には変えられないということも多いです。
さらに、「弱い大人」は「弱い解決法」を好み、「強い大人」は「強い解決法」を好んでしまうということもあります。
例えば、「叱らなくていい子育て」ということを説明したとき、「弱い大人」は「叱らなくていのだ」という部分だけを好んで受け止めて、叱らずに「いいなり」になることを自分に許す理由としてしまうし、
逆に、「強い大人」は「ときには叱ることや怒ること、言い聞かせることも大切だ」という部分を好んで受け止めて、子供に支配的に関わる理由としてしまう
というようなことが挙げられます。
ですのでそうなると、当然ながら足りない部分が足りないまま、多過ぎる部分が多くなっていくので、あまり子供の姿を良くするというところまでいかなくなってしまいます。
「弱い大人」と「強い大人」の問題は、なかなかに根深いのです。
実際のところ、少なくない人が他者から自分の子育てを指摘されたり意見されることを、心地よくは受け止められません。心地よいとは言えなくとも、自分と子供のためを思って言ってくれているのだ程度に好意的に受け止めることもなかなかしにくいということもあります。
それはときととして、自分の痛いところであるこれら「弱い大人」や「強い大人」の部分を指摘されているように受け止めるからかもしれません。
あくまで僕の経験的・感覚的なものですが、「弱い大人」の方が自分の「弱い」部分を自分で認識していることが少なくありません。
しかし、そうでありながら、それを自分で変えていくことは難しいことが多いようです。
逆に「強い大人」は自分の「強い」という部分の問題を把握していることが少ないですが、一旦その問題点に気づいて、前向きに対応しようと考えた場合、それに対処して変えていくことが比較的容易なようです。
そういった面からすると、「弱い大人」の問題の方がやや根深いのかもしれません。
そのうちに、この「弱い大人」の問題を掘り下げて見ていこうかと考えています。
人に関することなので、ニュアンスの違いで少しわかりにくい部分もあり、あまりうまくこのことを説明する自信がないのだけど、なんとかまとめていきます。
わかりにくい部分はご容赦を。
まず、「弱い大人」と「強い大人」というのはなんだろう。
これは、弱いから悪い、強いからよいとか、そういうものではない。
子供への関わりにおいて、言い聞かせることができなかったり、いいなりになるばかりだったり、子供が困る行動をしてもそれをコントロールできない親などがいる。
他にもいろいろあるが、こういった子供に対して弱い態度をとることが多い人を「弱い大人」
逆に、子供に対して強圧的に出て言う事を聞かせたり、怖いために子供が顔色をうかがうようにしてしまったり、叱ること・怒ること・言い聞かせること・叩くことなどを使って子供を思い通りにしたりするような、子供に対して強い態度をとることが多い人を「強い大人」と一応定義している。
子育てにはバランスが大事で、どちらの面も必要なのだが、どちらかばかりではうまくいかないことも多い。
この弱い関わり強い関わりをバランスよく適切に使える人は、子育てがうまくいきやすい。
また、ことさら弱い関わり強い関わりを使わなくとも、もともとその大人の性格がおっとりしていたり、穏やかだったり心が広かったり、子供に対して自信や経験が豊富にあったりする人などで、ふだんからニュートラルな立場で子供に関われていて、うまくいってしまう人もいる。
しかし、弱い関わり、強い関わりの両方が使える人でも、弱い関わりをするべきところで強い関わりをし、強い関わりをするべきところで弱い関わりをしてしまい、あまりうまくいっていないという人もいる。
ただ子育てでつまずいている人の少なくない数が、だいたいは「弱い」か「強い」どちらかに偏った関わりをしている。
「弱い大人」には「弱い大人」から導き出される、特有の子供の姿の問題が出て、「強い大人」には「強い大人」から導き出される特有の子供の姿の問題が出る。
しかし、中にはその子供の問題の姿が、同じ姿になることがある。
例えば、相談のところでこれまで書いてきたようなネガティブ行動のひとつで、「他児に手を出す(叩く、邪魔をするなど)」という行動がある。
これなどは、どちらの関わりからも導き出されることがある。
「弱い大人」の方は、普段からいけないことに大人が毅然としていけないと言ってくれないために、行動に自律的なセーブができなくなってしまっているためであるとか、普段が過保護過干渉な関わりをされているので、スルーする力が強くなっていたり、その過干渉のストレスや抑圧から他児に手を出すということをはけ口にしてしまっていたりする。
また、単に過保護なので子供が精神的に育っていなくて幼いから、モノをとったりの行動になるなどもある。
「強い大人」の方は、日頃支配されることに対する抑圧からの解放された状態としての他児への手出しだったり、普段から支配的に関わられるがゆえに他者を支配することがその子の他人への関わりとして身についてしまっていたりするなどからの行動だったりがある。
子供の目に見える部分の行動面は同じだが、原因が違うので対処法も違う。
ときどきコメントで相談されて困るのは、これがどちらだかわからない場合である。
弱い大人への解決法を、強い大人に提示しそれを実行したら、もっと悪い方向へといってしまうだろうし、その逆もまたしかりである。
弱い大人に対して、「ときには毅然として叱ることも必要です」と言ったつもりが、実はその人は強い大人であって、それをまじめに徹底的にすることで、その問題の解決にならないかもしれないし、逆に強い大人に「もっと子供の姿をそのまま認めたり、受容しましょう」と伝えたつもりが、実は弱い大人に言ってしまい、かえっていいなりや、子供のわがままを助長してしまうだけになってしまうかもしれない。
そのような懸念があります。
なので、子育てで悩む人は「弱い大人」としての対応を重ねてきてしまって、子供の問題行動がでているのか、「強い大人」としての対応が多いから子供の問題行動がでているのか、それともそれとは関係のないところから来ていることなのか、そういう点を自分で見極めてみるとよいと思います。
しかし、ここでこの「弱い大人」と「強い大人」のことは、その大人の性格に起因していることがあるので、なかなか簡単には変えられないということも多いです。
さらに、「弱い大人」は「弱い解決法」を好み、「強い大人」は「強い解決法」を好んでしまうということもあります。
例えば、「叱らなくていい子育て」ということを説明したとき、「弱い大人」は「叱らなくていのだ」という部分だけを好んで受け止めて、叱らずに「いいなり」になることを自分に許す理由としてしまうし、
逆に、「強い大人」は「ときには叱ることや怒ること、言い聞かせることも大切だ」という部分を好んで受け止めて、子供に支配的に関わる理由としてしまう
というようなことが挙げられます。
ですのでそうなると、当然ながら足りない部分が足りないまま、多過ぎる部分が多くなっていくので、あまり子供の姿を良くするというところまでいかなくなってしまいます。
「弱い大人」と「強い大人」の問題は、なかなかに根深いのです。
実際のところ、少なくない人が他者から自分の子育てを指摘されたり意見されることを、心地よくは受け止められません。心地よいとは言えなくとも、自分と子供のためを思って言ってくれているのだ程度に好意的に受け止めることもなかなかしにくいということもあります。
それはときととして、自分の痛いところであるこれら「弱い大人」や「強い大人」の部分を指摘されているように受け止めるからかもしれません。
あくまで僕の経験的・感覚的なものですが、「弱い大人」の方が自分の「弱い」部分を自分で認識していることが少なくありません。
しかし、そうでありながら、それを自分で変えていくことは難しいことが多いようです。
逆に「強い大人」は自分の「強い」という部分の問題を把握していることが少ないですが、一旦その問題点に気づいて、前向きに対応しようと考えた場合、それに対処して変えていくことが比較的容易なようです。
そういった面からすると、「弱い大人」の問題の方がやや根深いのかもしれません。
そのうちに、この「弱い大人」の問題を掘り下げて見ていこうかと考えています。
| 2012-11-16 | 相談 | Comment : 11 | トラックバック : 1 |
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