「弱い大人」の大きな問題
1 子供の自己肯定感を低下させる もしくは形成できない
2 子供の成長を阻害してしまう
3 育てにくい子供をつくってしまう
4 大人自身も親として成長できなくなる以下、これらをひとつひとつ見ていく。
今回は1の自己肯定感について
「弱い大人」は、子供に対する弱さゆえに子供の行動を好ましいものの範囲の中でコントロールできなくなることがある。
かと言って当然ながら、その状態を大人が是認しているわけでも、よいと思っているわけでもない。
これが日常において慢性的になってくると、子供に対して心から笑いかけたり、楽しんだり、褒めたり、認めたりする気持ちの余裕がなくなってくる。
その結果、その親は子供に対して、小言が多くなったり、「イヤイヤ」や「うんざり」といった態度で接することが多くなってしまう。
親にこういった態度が多くなると、子供は親から肯定されていないという不満・不安を感じる。
そのことがさらに、親を困らせたり、わがままを言ったり、親を支配しようとしたりすることでなんとか自分に「好意的・肯定的な視線」をもらおうとするのだが、それらの出し方はネガティブなものになりがちなので、子供が望むような「好意的・肯定的な視線」にはなかなかならない。
親もさらに「うんざり」「イヤイヤ」の態度になっていき、悪循環がうまれる。
これらのことは、子供の自己肯定感を下げたり、自己肯定感を形成することのさまたげとなってしまう。
自己肯定感がないまま成長していくと、今度は親に向けてだけでなく、他者に向けてのネガティブ行動として発展しやすい。
子供を肯定して育てていくためにも、子供が好ましい行動から逸脱しないようにコントロールできることは大切である。
(本当ならば叱らなくていい子育てのエッセンスのようにコントロールされてその姿になるのでなく、自分からそうあるように育ててしまうのがいいのはもちろんである)
そのためには「弱い大人」のままでは達成できないこともある。ときには強さを持って臨むことも必要になることもあるだろう。
ただ、そのことは単に必ずしも「怒る」「叱る」ということを意味するのではない。
これから書くほかのものについても同様だが、「弱さ」の反対や、「強さ」が、=「怒る・叱る」ではないのだ。
怒ったり叱ったりを多用しているが、肝心のところで子供のいいなりになってしまう「弱い大人」というものもある。
ときにそういうことが必要になることはあるかもしれないが、「弱い大人」への対策として、必ずしも「叱る」「怒る」を提案するという、そのような単純なことを述べているのではない。この点には注意して欲しい。
そのあたりのことについては、カテゴリの「叱らなくていい子育て」や「過保護・過干渉」「心の育て方」などが参考になるだろう。
今回のこの自己肯定感下げてしまう「弱い大人」の具体例はあげないが、このような子育ての状態におちいってしまっている人は大変多い、これに該当する人はここに書かれていることで判断できるだろう。
対応としては、この相談カテゴリにある『「叱る子育て」を変えていくには』の一連の記事に書かれていることとほぼ同様である。
そしてそこにある「先回りした関わり」や「全面肯定」それからもちろん子育ての基礎の部分である「受容」などにプラスして、子供の泣きやわがままに負けない毅然とした大人の態度や自信をもってのぞむことなど、自分の子育てにおける「弱さ」を克服する気持ちをもっていくことが大切になってくるだろう。
次回、2、3、4について見ていく。