夕方の6時か7時くらいの時間だったと思います。
帰りのラッシュが始まったくらいの電車の中で、5~6歳の男の子とお母さんが乗っていた。
どうやら話している内容から、塾の行きか帰りの様子。
その男の子が「疲れた座りたい!」とかなり大きな声でごねている。
3歳くらいの子がするような、いかにもダダっ子というようなごねかた。
母親は、「混んでいるからどこも空いていないわね」と当惑したような、下手に出たような対応を続けている。
それでもその子は喚くようなごね方を続けているので、うんざりしたのか前に座っていた会社員風の男性が何も言わず席を立っていってしまう。
そこにその子が座るがその後も、なんやかやと理由をつけてはごねている。
母親はそれにいちいち応えているのだが、子供のごねはおさまらない。
ここで起こっている「ゴネ」は、前回の事例にあったように「上辺の理由」なのですよね。
だから、いくらそこを解決したとしても、結局子供は満足することができません。
むしろ、本当に気づいて欲しいことに気づいてくれないもどかしさが、余計に子供の気持ちをささくれだたせてしまうことすらあるでしょう。
また場合によっては、このゴネの過程で人として取るべきでない行動や、態度すら身につけていってしまいます。
そういうことは子供のためにもなりません。
どこかで、
「そんなわがままは聞けません、いいかげんにしなさい」と一喝してしまった方が、はるかによかったのではないかとすら思えます。
受け止めるべきところ・子供を本質的に「満たす」ことは、それ以前やその後にでもすればよいのです。
どうも話を聞いていると、その塾へ行かされることだか、勉強をさせられることに対しての不満が蓄積していたような感じでした。
僕は早期教育の必要性を感じないけれども、もしやらせるのだったら最低限心や情緒が満ち足りている状況でなければ意味はないと思います。
もしかするとこの子は、そういった不満をそのような形で出せているだけましなのかもしれないね。
それが出来ない子だと、以前紹介した卒園式のケースみたく心がつまづいてしまうことすらあるから。
それはさておき、この電車の子の見た目がちょっと変だった。
なにかというと、ものすごい厚着だったのです。
今年は涼しくなるのが遅かったから、10月にはいってもわりと暖かい日がありましたよね。
その日は大人でも僕なんかは、Tシャツに薄手の上着で平気なくらいの日でした。
それなのにその男の子は、マフラーを巻いて冬物の上着を着て完全に真冬の格好なのです。
よく、過保護の一例として「厚着」があげられます。
まさにその典型なのですが、厚着をさせてしまう大人に「過保護」以外のものもみつかります。
それはなんでしょう?
それは大人の「
自信のなさ」なのです。
「この陽気なら、これを着ていれば大丈夫だ」
と思いきれる自信がその人にないと、どんどん厚着にさせてしまいます。
「これでは寒いのではないか」
「これでは風邪をひいてしまうのではないか」
そんな風に、その自信のなさに流されるまま、過剰なまでの厚着をさせてしまう大人がいます。
このような「自信のなさ」というのも「弱い大人」の特徴かと思います。
もしかすると、明確なビジョンがあるわけでもなく、子供を早期教育に駆り立ててしまうのにも、先行きへの不安とかからくる「大人の自信のなさ」というものもあるのかもしれませんね。
「うちの子は健康なら大丈夫!」って明快に思える人が、少なくなっているような気がします。