信頼関係 Vol.2 - 2013.01.08 Tue
今回も保育論のような内容になってしまいました。
一般の方にはあまりおもしろい内容ではないかもしれません。
ご存知のように保育園では、年度替わりにクラス担任が変わることがあります。
以前にもどこかで少し触れましたが、なかには「大変なクラス」「手のかかるクラス」とされて、それまでの担任が持ち上がりを希望しなかったり、受け手がなかなかいないということがあるのですが、こういったとき力量ややる気のある職員、人のいい職員、事情のわからない異動者や新人などにお鉢が回ってきてしまいます。
ある意味合わない職員をそのまま持ち上がりにするよりも、職員を変える余裕があるというのは子供のためにはいいことなのでしょう。
人員がギリギリの施設では、その職員では子供を伸ばしていけないとわかっていても、持たさざるをえないということになってしまうでしょうから。
まあ、それはさておいて、そういったクラスを引き継いでみると、子供たち個々の育ち具合や家庭での養育に由来している部分もあることは確かにしても、十中八九保育士と子供たちとのあいだの信頼関係が形成されていないということがはっきりとわかります。
当然それまでの一年かそれ以上のあいだ保育園に来ているのですから、それなりのことを行っているはずだし身につけているはずなのですが、そういった積み重ねが子供たちの中に根付いていないのです。
結局のところ、信頼関係の上に子供を内的にその子自身の力をつけていってあげるのでなく、ただ外側から「やらせる」ことで様々な行為をさせてきたところで、身にはつかないのです。
年度が替わり、外圧をかけることで子供に「させて」きた職員がいなくなるととたんに、その子供たちはそれら出来ていたはずのことすらできなくなってしまいます。
じゃあ、ずっと外圧をかけ続ければいいじゃないかとも考えられるのですが、これまでの記事に述べたようにそれでうまくいってしまう場合もありますが、現代ではそれは難しくなっています。
これには保育園と幼稚園の違いを考えればわかりやすいかとおもいます。
幼稚園というのは『学校』に分類されます。
そこでは、集団生活を経験しそのなかで様々なことを身につけたり、初歩的な学習などに触れる場としてあります。
そのためには前提として、家庭での十分な養育というものが要求されているのです。
ですから、基本的には年齢も幼児からですし、保育時間も短いものとなっています。
受容や情緒の安定、親や人に対する信頼感というものが家庭で十分になされているという前提があって、様々な物事を「やらされる」ことだったり「学習」することが可能になるわけです。
(ただ、幼稚園の先生の話を聞くと、最近ではどうもそのようにはいかなくなっているそうです)
保育園ではそもそも『保育に欠ける児童』が入ってきているわけですから、その前提の部分から形成していかなければなりません。
前記事で書いたように、かつては保育園と言えどもあまりその前提の部分に力を入れずとも成り立っていたケースも多かったという経緯があります。
しかし、家庭での養育力が下がってきたり、保育時間も長時間化したりなどで、その前提部分、つまり受容や肯定をしてその養育者(保育士)に対する信頼感、大人全般に対する信頼感というものを形成するところから始めなければ、子供の成長を的確に援助することができなくなっています。
話を「手のかかるクラス」を引き継いだというところに戻します。
その子たちを年齢並みの発達に達していないと否定的に見てもなにもいいことはありません。
「できる・できない」など後から勝手についてくる問題なので、まずは信頼関係をしっかりと形成していきます。
その保育者との信頼関係がきちんと良好に形成されていれば、普通に生活する中でのことや遊び・関わりひとつひとつが経験なのですから、ことさら「できる」を追求しなくとも、子供たちはそれら経験の中で様々な積み重ねを吸収し、力をつけていきます。
そしてひとたび大人に対する信頼感を持てるようになれば、年齢ベースの成長というのはすでにあるわけですから、それまで「できなかったこと」もできるようになります。
それらは本当は「できないように見えていた」だけであって、本当はその力はついているのだけど、大人に対する信頼感が薄いばっかりに、それらをしようとする「モチベーション」が足りなかっただけということが少なくないのです。
なので、信頼関係さえ形成できれば「させる」をせずとも、子供の力は目に見えてでてきます。
それでもまだ、個々の発達状況や、情緒の問題、親子・母子関係からくる問題などは残るでしょう。
しかし、そういったものは保育士と子供の信頼関係が形成できてから個別の問題として考えていけば良いのです。
「このクラスは大変だ・手がかかる」と言っていた保育士の多くは、保育士と子供間の信頼関係が出来ていないことから来る子供の「大変さ」までも、個々の子供の問題としてしまったり、家庭での養育が悪いということに問題を押し付けがちです。
そうなってしまってはなおさら子供の力を伸ばすことができなくなってしまうのは、言うまでもないことですね。
・まとめ
たしかに、子供に「できる」「させる」をすることは保育士に要求されていることです。
そして実際、その年齢なりの「できる」が身に付かなければ、子供の成長にもなりませんし、クラス運営にも支障をきたします。
でも、外側からの「させる」に心や発達が達していない子に「させる」をするのは無意味なばかりか弊害すらあります。
そして保育園、特に乳児の保育においてはその段階から出発するものです。
それゆえに、保育士は信頼関係を形成することを怠ってはならないし、むしろその信頼関係さえあれば、日々の生活がそのまま子供の力となっていくのであるから、信頼関係を形成することが保育士の第一義的な職務であると言えるだろう。
保育士にそれらが出来ない、理解されていないために子供がこころよく通園できなかったり、安心して過ごせていないということが厳然としてある。
そういった状況を保育士はもっと真剣に考えていく必要があるだろう。
一般の方にはあまりおもしろい内容ではないかもしれません。
ご存知のように保育園では、年度替わりにクラス担任が変わることがあります。
以前にもどこかで少し触れましたが、なかには「大変なクラス」「手のかかるクラス」とされて、それまでの担任が持ち上がりを希望しなかったり、受け手がなかなかいないということがあるのですが、こういったとき力量ややる気のある職員、人のいい職員、事情のわからない異動者や新人などにお鉢が回ってきてしまいます。
ある意味合わない職員をそのまま持ち上がりにするよりも、職員を変える余裕があるというのは子供のためにはいいことなのでしょう。
人員がギリギリの施設では、その職員では子供を伸ばしていけないとわかっていても、持たさざるをえないということになってしまうでしょうから。
まあ、それはさておいて、そういったクラスを引き継いでみると、子供たち個々の育ち具合や家庭での養育に由来している部分もあることは確かにしても、十中八九保育士と子供たちとのあいだの信頼関係が形成されていないということがはっきりとわかります。
当然それまでの一年かそれ以上のあいだ保育園に来ているのですから、それなりのことを行っているはずだし身につけているはずなのですが、そういった積み重ねが子供たちの中に根付いていないのです。
結局のところ、信頼関係の上に子供を内的にその子自身の力をつけていってあげるのでなく、ただ外側から「やらせる」ことで様々な行為をさせてきたところで、身にはつかないのです。
年度が替わり、外圧をかけることで子供に「させて」きた職員がいなくなるととたんに、その子供たちはそれら出来ていたはずのことすらできなくなってしまいます。
じゃあ、ずっと外圧をかけ続ければいいじゃないかとも考えられるのですが、これまでの記事に述べたようにそれでうまくいってしまう場合もありますが、現代ではそれは難しくなっています。
これには保育園と幼稚園の違いを考えればわかりやすいかとおもいます。
幼稚園というのは『学校』に分類されます。
そこでは、集団生活を経験しそのなかで様々なことを身につけたり、初歩的な学習などに触れる場としてあります。
そのためには前提として、家庭での十分な養育というものが要求されているのです。
ですから、基本的には年齢も幼児からですし、保育時間も短いものとなっています。
受容や情緒の安定、親や人に対する信頼感というものが家庭で十分になされているという前提があって、様々な物事を「やらされる」ことだったり「学習」することが可能になるわけです。
(ただ、幼稚園の先生の話を聞くと、最近ではどうもそのようにはいかなくなっているそうです)
保育園ではそもそも『保育に欠ける児童』が入ってきているわけですから、その前提の部分から形成していかなければなりません。
前記事で書いたように、かつては保育園と言えどもあまりその前提の部分に力を入れずとも成り立っていたケースも多かったという経緯があります。
しかし、家庭での養育力が下がってきたり、保育時間も長時間化したりなどで、その前提部分、つまり受容や肯定をしてその養育者(保育士)に対する信頼感、大人全般に対する信頼感というものを形成するところから始めなければ、子供の成長を的確に援助することができなくなっています。
話を「手のかかるクラス」を引き継いだというところに戻します。
その子たちを年齢並みの発達に達していないと否定的に見てもなにもいいことはありません。
「できる・できない」など後から勝手についてくる問題なので、まずは信頼関係をしっかりと形成していきます。
その保育者との信頼関係がきちんと良好に形成されていれば、普通に生活する中でのことや遊び・関わりひとつひとつが経験なのですから、ことさら「できる」を追求しなくとも、子供たちはそれら経験の中で様々な積み重ねを吸収し、力をつけていきます。
そしてひとたび大人に対する信頼感を持てるようになれば、年齢ベースの成長というのはすでにあるわけですから、それまで「できなかったこと」もできるようになります。
それらは本当は「できないように見えていた」だけであって、本当はその力はついているのだけど、大人に対する信頼感が薄いばっかりに、それらをしようとする「モチベーション」が足りなかっただけということが少なくないのです。
なので、信頼関係さえ形成できれば「させる」をせずとも、子供の力は目に見えてでてきます。
それでもまだ、個々の発達状況や、情緒の問題、親子・母子関係からくる問題などは残るでしょう。
しかし、そういったものは保育士と子供の信頼関係が形成できてから個別の問題として考えていけば良いのです。
「このクラスは大変だ・手がかかる」と言っていた保育士の多くは、保育士と子供間の信頼関係が出来ていないことから来る子供の「大変さ」までも、個々の子供の問題としてしまったり、家庭での養育が悪いということに問題を押し付けがちです。
そうなってしまってはなおさら子供の力を伸ばすことができなくなってしまうのは、言うまでもないことですね。
・まとめ
たしかに、子供に「できる」「させる」をすることは保育士に要求されていることです。
そして実際、その年齢なりの「できる」が身に付かなければ、子供の成長にもなりませんし、クラス運営にも支障をきたします。
でも、外側からの「させる」に心や発達が達していない子に「させる」をするのは無意味なばかりか弊害すらあります。
そして保育園、特に乳児の保育においてはその段階から出発するものです。
それゆえに、保育士は信頼関係を形成することを怠ってはならないし、むしろその信頼関係さえあれば、日々の生活がそのまま子供の力となっていくのであるから、信頼関係を形成することが保育士の第一義的な職務であると言えるだろう。
保育士にそれらが出来ない、理解されていないために子供がこころよく通園できなかったり、安心して過ごせていないということが厳然としてある。
そういった状況を保育士はもっと真剣に考えていく必要があるだろう。
| 2013-01-08 | 保育園・幼稚園・学校について | Comment : 19 | トラックバック : 0 |
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