ひとつには、安全・危険についてということからも、自分にできること・できないことを知るというのは大切なことです。
さらには、「自分にできないこと」を知ることは、実は成長への大きな原動力ともなっています。
「これがやりたいのだけど、自分ではできない」という場面に子供が立ったとき、「大きくなればきっとできるんだ」と理解していれば、それはひとつの目標となります。
中には、大きな子や周りの子がしていることで自分にも当然できることだと思っていて、「今の自分にはできない」、「大きくなればできる」ということに気がつかない子もいます。
そのままだと、「できない」という不満ばかりが募ってしまい、大人に手伝うことを要求したりもするのですが、「まだできなくてもいい」とか「大きくなればきっとできるよ」と大人が伝えてあげることで、納得したりするようにもなります。
「できないこと」を知るというのは、種まきみたいなものです。
できなかったことも、だんだんとできる方へ近づいて、やがては自分でそれができるようになる。
その過程は子供の中に「成長への期待」というものと、達成したあとの「成長の喜び」を持たせます。
この種まきをたくさんしている子は、成長することに前向きです。
積極的・自立的にものごとに取り組もうとする意欲が強くなっていきます。
当然ながら、小さいうちほど「できない」ことはたくさんあります。
それは「大人」を基準に考えたら「不完全な」「欠如した」状態かもしれませんが、「子供」としては自然な姿です。
だから、大人が強く介入してまで「できた」(できたように見える)状態にせずともいいわけです。
なので僕は大人の力による「できた」をプレゼントすることはあまりしません、それよりも種まきをしておいて、子供自身による「達成の喜び」をあとで得られるようにしたいと思っています。
このまえのうんていの例で言えば、僕は「のぼれないーー」と言っている子に、
「見ててあげるから自分でやってごらん」
「自分でできるところまででいいんだよ」
「無理して登っても降りられなくなっちゃうから、僕は手伝わないよ」
「怖かったらそこまででいいんじゃない」
「自分の力でできることが大事だよ」
などなど、状況やその子に応じて伝えてしまいます。
冷たく突き放して言ったら意地悪かもしれませんが、子供との信頼関係の上でこういうことを伝えるので、子供はたいてい納得します。
大人がなんでも手伝うことを当たり前にしてしまっている子だと、なかなか納得しずらくもなってしまうけどね。
子供が本当に自分の心から「したい」と思っていたことならば、こういったやりとりは子供自身しっかりと覚えていて、それが数日後・数週間後・数ヵ月後であっても、できるようになったとき、そのことを共感して欲しくて必ずその大人にできるようになったことを報告してくれたり、見せてくれます。
さっきの、「今はまだできなくていい」という大人の働きかけは、この共感や認めるということと対になっています。
そしてこういった経験がさらなる成長の原動力となっていくでしょう。
このようなやりとりを可能にするのには、大人と子供のあいだにきちんと築いてきた「信頼関係」がなければできないと思われます。
こういう積み重ねをいくつもしてくれば、特に大人の働きかけがなくとも、生活も含めて様々な場面で自分から成長の種まきをしていけるようになるでしょう。
例えばこのことは、「排泄の自立」で訓練することよりも現状を認めていくことと言ってきたことなどにも、つながっているのではないでしょうか。