だれに過保護かというと、孫の親であるところの、つまり祖父母から見たところの息子・娘に対して非常に過保護になってきているのをはっきりと感じます。
(紛らわしくなりそうなので、その三世代についてここでは、「祖父母・祖父・祖母」 「親」 「孫・子供」の表記で通します)
子育てに祖父母などの家族の手助けがあるというのは、とてもいいことだと思います。
しかし、その度合いが行き過ぎてしまって、親が親としての役割を果たせていなかったり、親が常に人頼みになることで、親としての力をつけていく経験までも回避してしまっているような事態が頻繁に目につくようになりました。
例えばよくみられるところではこんなことがあります。
母親が子供ひとりを持て余してしまって、外出したときに手に負いきれないので、ちょっとした外出にもつねに
母親と祖母の大人二人でなければいかれないというものです。
介助の必要なハンディを持っていたり、多動や突発的な行動のある発達上の問題があるなどならばそれもわかるのですが、そうでないものにもこういう対応をしていると二つの点で問題がより大きくなっていきます。
それはひとつには、親が子供をしっかりとコントロールできるようになるだけの経験やスキルを身につけられなくなってしまうこと。
なかには年齢があがることで落ち着いて、それまで手がかかっていた子供がかからなくなるということもあるかもしれませんが、こういったケースでは子供の育ちにも問題がでてくるので、少なからず年齢が上がれば上がるほど別の難しい問題がでてきます。
そうしたときに、親の方にそれに対するだけの力がついていなければならないのに、これらのケースでは親の力が低いまま対処すべき子供の姿だけが難しくなってしまうということになりかねません。
もう一点は、子供の力が伸びないということです。
子供も日々の経験の中で、するべきこと、していいいこと、してはいけないこと、我慢すべきことなどを少しずつ身につけていくわけですが、こういった「子供の大変さに対して大人の手を増やすだけの対応」というのをしていると、それは子供の力をつけたり、伸ばしたりする関わりよりも圧倒的に、過保護・過干渉・囲い込みによる対応になってしまいます。
子供が経験をつけて成長していくどころか、逆に子供の経験を奪っていくことになります。
また、行動面だけでなく、情緒的な発達や、精神的な成長といった内的な部分の育ちも幼いまま、とどめ置かれるようなことにもなってしまいます。
こういったようなことが子供とのからみのなかでおきているわけですが、なぜ祖父母が親に対して過保護なのかというところをさらに見ていきます。
例えば、
・母親がパートに出るために、その間の保育園の送り迎えのために祖母が母親のパートの給料とかわらないくらいの交通費をかけて来ている。
・親夫婦の生活のサポート(家事・子供の世話など)のために祖母が単身で田舎からでてきて、アパートを借りて親宅のそばに住んでいる。
・母親が出張中、父親に子供の世話や食事の用意をするだけの時間がないわけではないにもかかわらず、父親と孫の食事や洗濯の世話をするために祖母が飛行機にのってわざわざ手伝いに来ている。
・息抜き程度ではなく慢性的に親が遊びに行ったり、酒を飲みに出たりするために、日ごろから祖父母が食事の用意などの家事や子供の迎えや風呂寝かしつけまでしている。
こういったことも孫可愛さに祖父母がしているというのならば、まだ親に対する過保護とまでは考えなくともいいのかもしれないけれども、もう孫が手におえなくなっていていやいやながらにみていたり、体力的にきつかったり、体調が思わしくないのを押してまで、家事や孫の世話をしていたりするのを多く見かけます。
仕事が多忙などで親にそれらのことをする余裕がなかったり、生計を親と祖父母で一にしていて親が祖父母を養っている状態などであるなら、そういった形も無理のないものかとも思いますが、そうではないという状況です。
むしろ逆に経済的には祖父母に寄りかかってということも少なくないです。
なぜこれらの祖父母はそこまでやってあげてしまうのか?
「一家を立てているのだから夫婦で協力してしっかりやりなさい」と言わないのか?
孫が手に負いきれなくなっていたり、しんどくなっていて、少しも余裕や楽しい様子もなく、孫に対して小言やかんしゃくばかりになってしまっている祖父母などもたくさん見ます。
孫可愛さのためにやっているというよりも、もはや「親に対しての過保護」としか言えなくなっている状況だと思います。
これらの子供が安定して育っているならば、僕もさほど気にかけないかもしれませんが、まずほとんどは安定して育ちを送っていません。
これらのどの子供も慢性的な欲求不満を抱えていて、それゆえにたくさんのネガティブ行動をださざるをえない状況におかれてしまっています。
また、自己肯定感をなかなかしっかりと持てなかったり、親の自分への関心にいつも不安を抱いているといった子供も多いです。
育ちの中でもとくに情緒面の育ちに幼さが目立ちます。
それゆえに、見た目や行動面がしっかりしていたり、お勉強的な知識は詰め込まれていても、その情緒面とのアンバランスさという危うさを感じさせるという子もいます。
親というのは子供ができたから誰しも親としてすべきことがその瞬間からできるようになるわけではありません。
日々の生活のなかで少しずつ親としての子供に対する力がついてくるといってもいいでしょう。
やむをえない事情があるならばまた話は別ですが、子育てを祖父母に丸投げしていいわけでもないでしょう。
やはり子供にとって祖父母は祖父母であって、親と同じにはなりません。
親が本当にいないのならば、他の人が親代わりになることはできます。
でも、親が親としている以上はやはり子供は親に求めたいものがあるものです。
「祖父母の親に対する過保護」は、親に対してはどうかというのはなんともいえない部分がありますが、少なくとも孫のためにはなっていないということをたくさん感じます。