前回のところで「慣れ」ということに触れたばかりですが、入園式はそれとは対極のところから始まりました。
正直ちょっと驚きました。
そこが公立というせいもあるのかもしれませんが、「式」はあくまで学校の式なのですね。
小学校や中学校でしているような式のひな形をそのまま幼稚園サイズにもってきただけのようなものでした。
全員が座って静かにさせて、式次第はじめの挨拶が司会の副園長からされると、プログラムの1は来賓の入場から開始です。
なるほどなー幼稚園というのは学校なんだなぁーと思いました。
プログラムを見るとその次は「敬礼」と書いてあります。
「国旗に礼」のことでした。
近年学校では愛国教育的なものが強化されているそうですから、こういうこともするようになっているのでしょうか。
そして「国歌斉唱」。
一緒に参加している年長児は幼稚園で教わっているようで元気に歌っていましたが、新入園児は誰ひとり歌っていません。うちの子ももちろん知りません。
みんなそれこそ口を開けたまま「ぽかーん」という感じです。
その後、園長(学校長)・来賓挨拶や年長さんからお祝いの歌などいくつかのプログラムが進んでいくわけですが、園長挨拶が終わったあたりでもうぼちぼち新入園児の中には、泣き出す子、立ち歩く子、親元へ来ようとする子などでバタバタしています。
それでもプログラムは進行し、最後にまた「敬礼」があって「来賓退場」。
もうその頃には子供たちはけっこう大変になっていますが、それでもなんとか座らせて来賓の退場を見送らせます。
幼稚園は学校なんだなー、学校だから式は式なんだなーと感じさせられました。
わかります、わかるんです。
幼稚園というのは規範などを子供に伝えるところですから、「するべきこと」というのが設定されていてそれに適応することを求めるというのはその本質であるというのは重々理解できます。
こういったことも、個々の発達のあり方によっては求めがたい点があったとしても、それでもなにがしかの経験ではあり、必ずしも無駄なこと、すべきでないこととは思いません。
でも、それでも入園の主役である当の新入園児が一番おいてけぼりだなーという感がどうしてもぬぐえませんでした。
日本人は儀式を重んじる国民性ですから、こういうのもまあそういうものだと思って流してしまうのがよいのかもしれませんが、
いかにそれまでの慣習・習慣から脱却して保育の中心に子供を取り戻し、子供への視点から子供に最大の利益をもたらせるようにと保育を考え直してきた自分のような立場の者からすると、当の子供たちの心境は「なんじゃこりゃー、これはたいへんなところにきてしまったぞー」になってしまっているのではないかとハラハラしていました。
外国の人が日本の市民マラソンに参加するとびっくりするという話があるんですが。
どこの市民マラソンにいっても、必ず開始前に地元の政治家だとか役所の人間だとかが長々と挨拶だのなんだのをして、ランナーのコンディションなど全く考えもせず、寒い中立ったまま待たされたりするというのがあります。
日本は誰が主役なにが本質かということよりも、「式」そのものが優先される文化を持っているようです。
誤解のないように言っておきますと、この幼稚園の式がだからなにか大きな悪影響があのでよくないとかそういうわけではありません。
おそらく、それでもこれまで家庭で十分に養育されてきて、保育時間もほんの数時間と短く、今月中はほぼ午前帰りというようなことができる環境ですので、その子供たちにとりよしんばその式でマイナスの影響があったとしても、それを乗り越えることはさして難しいことではないでしょう。
ただ発達に問題のある子なども受け入れる前提があるので(この園ではクラスに2名までとなっている)、それを含めた場合はそうも言えない可能性もなきにしもあらずとは感じます。
そのようなことがあってもこれまでさして問題にもならずしてきているので、慣習的になんの疑問も持たず続けているということなのでしょう。
ここで、「式」はしなければならないという前提があるとして考えた場合、じゃあその上で子供に負担のできるだけ少ないような対応を考えましょうという「配慮」というものが、子供に携わるプロとしてはでてくるはずなのだけど、そのあたりもまだまだだなぁという印象でした。
なんども繰り返しになってしまうけれど、この園の状況としてはそのような細かい配慮というのがなかったとしても、さほどの問題とはならずバランスはとれてしまうのだろうというのはわかります。
保育園でもかつては、大人中心だったり子供おいてけぼりなことをたくさんしていても、それでもなんとかなってしまっていたという過去の経緯があります。(式についてに限った話ではありません)
20~30年前くらいから、それがなんとかならなくなってしまって、質的な転換を求められました。
いま、おそらく小学校がその段階に来ていると思います。
なので、小学校の先生たちはいまそのあたりを必死になって勉強しています。
こういうのは地域にもよったりしますので、まだそういう問題意識の全然ないところや逆にかなり以前からというところもあるでしょう。
この点に関してまださほど幼稚園では問題が大きくなっていないようです。
先見の明がある人は、先手先手で問題の大きくなる前に対応を考えていくのでなかにはそういった配慮を十分にしているところもあります。
でもたいていは問題が大きくなって、それまでのやり方があきらかに通用しなくなるまで既成やり方を変えるということはなかなかできませんので、これからなのでしょう。
今述べたことに関しては、その「問題」とはなにかということもここではきちんと述べていませんし、それについて書き始めるととても長くなるので、いずれまたの機会に掘り下げてまとめたいとおもいます。
今回とりとめのない記事で申し訳ないのですが、とりとめないついでにもうひとつ。
入園式で、「紅白饅頭」もらいました・・。
僕これ悲しくなるんです。
まあ、これは幼稚園がどうこうではなくて、行政の体質の問題なのですが。
今住んでいる区とは別、となりの区(僕の生まれ育ったところ)は保育の体質が古いことで保育士のあいだでは有名です。
保育だけではなく行政の体質自体が古いこともあります。
そこの保育園では入園式、運動会、卒園式などのたびにみんなに紅白饅頭が配られます。
小学校などでも同様だったと思います。
でも、保育に必要な教材・遊具などはひじょうにお粗末です。
種類も少ない、数も少ない、古いものが壊れたり汚れ切ったままでもそれしかないので、それであそばされています。
いまのご時世、アレルギーなどの子も多く、饅頭をもらっても食べられない子なども少なからずいることでしょう。
そうでなくとも0、1歳児など食べさせる必要のない子も当然いますがその子達にも配られます。
「お金のかけるところが違うでしょう」と僕は思います。
かつて、いまから40年以上前くらいでしょうか、ならば子供たちに豊富にお金をかけられる家庭なども少なく、お饅頭など特別なものとして子供達への行政からのほんとうに温情として配られていたのだと思います。
でも、いまや福祉の予算などもどんどん減らされているのに、なんの見直しもできない行政のあり方が大変残念でなりません。
息子の保育園もむーちゃんと同じ公立でしたが、こちらでは紅白饅頭ばらまきはなかったので、僕の生まれた区よりはちょっとはましなのかと思いましたが、今回幼稚園では配ってましたのでなんだかなーという感じです。
ちなみに、僕が保育士として就職しようとしたとき、最初に自分の生まれ育った区に奉職しようと考えていましたが、募集要綱に「保育士 男女 若干名」とあっても、体質が古いから男性は絶対取らないからほかを当たったほうがいいよ、と親切な役所の人がこっそり教えてくれて地元では就職しませんでした。
地域の私立園も、区の政策や区立園の影響なのか保育の体質の古いところが大変多かったです。
もし、その区が採用してくれて僕がそのままそこで就職していたら、古い考えの保育をそのまま身につけてそれを当たり前と思って続けていたかもしれません。
そうだとしたら、まず確実にいまここでこういったものを書いている僕というものは存在しなかったでしょう。