保育園の子供と幼稚園の子供 - 2014.04.11 Fri
ちょっと昨日の記事は中途半端なところから書いてしまったので、もう少しちゃんと書いていこうと思います。
しかし、いろいろな側面というものがあるのでいくつか順をおって見ていきます。
今回は子供の置かれた違いから、施設の目的、子供へのアプローチも違うというお話。
この前、子持ちの男性保育士2人と会いました。僕を含めて3人。
たまたま、3人とも子供を幼稚園に通わせていて(その頃はうちはまだ入園前で園庭開放に参加していただけですが)、幼稚園での様子を話す機会がありました。
そこで3人とも全く同じ感想だったのが、「保育園の子供と幼稚園の子供の様子が全く違って驚いた」ということ。
『最近の親の意識・あり方の変化』
過去記事の↑こちらなどでも述べたように、保育の長時間化や家庭での養育力の低下、子供を見たくないがゆえに預けられている子や、関わり方、満たされないなどの要因から、保育園では個々の子供そのものがもつ根深い問題というのが年々増大しています。
地域や園などにももちろん違いはあるでしょうけれども、そういった姿が幼稚園で見られる子供達と歴然とした違いを見せていること、それなりの予想はしていましたがそれ以上にはっきりとした違いがあったということに3人とも驚いたということです。
もちろん、保育園に通わせることが良くないことだと言うのではありませんので、そこは誤解のないようにお願いします。
ただ、そのような情緒の安定など養育上の個々の問題を抱えている子供の人数的な割合や、その程度というのには歴然とした違いがありました。
特に、うちの子が通いだしたような園は、今時珍しい年中からの2年保育のみの園ですので、その感はなおさらです。
一部、それ以前に別の幼稚園に行っていたりする子もいますが、それは4歳まで家庭で過ごしていたという子が多くを占めるということです。
幼稚園に通わせようという人でも、いまは3歳からという人が主流になっていると思います。
その中で、4歳からと考えているということですから、「子供を見たくない」という家庭のようなケースというのは、非常にまれということです。
受容や満たされるという点などからくる情緒の安定の問題などが深刻に見られる子というのは、その状況ではまずいませんでした。
幼かったり、過保護や過干渉だったり、刺激にさらされて落ち着かないなどの影響が見られる子というのはなかにはいますが、それでも子供の最も基礎的な部分がクリアされている子達なので、それらは今後いかようにも成長していけることでしかありません。
以上のことが、昨日の記事の後半で「問題」として指し示していたことです。
『保育 第三の道』の中で
>園でその「健全な成長を援助する」が十分にできていなくとも、家庭でそれがそれなりに可能だったからです。
ですから言ってみれば、保育園は子供の人格形成やいわゆるところの「しつけ」について家庭に寄りかかっていた部分があったのです。
家庭で、きちんとできるという前提があって、保育が普通におくれる状態だったわけです。
と以前に述べましたが。
子供に対して負荷をかけても、それに子供が耐えられるだけのリソース(受容や満たされるなどからくる安定など)というものが家庭で培われて、子供の中には蓄積されています。
いま、保育園に預けられる子供の中には、それが十分でないというケースが増えています。
その分のリソースというものを、かつては家庭に依存してなんなくできていたことがたくさんありましたが、今では逆に保育園でそれを蓄積して家庭に返すというようなことが必要になってきてしまっています。
小学校低学年などでも、「学級崩壊」などの言葉が一般的に使われるようになってから10年は軽く経っています。
学習のスタートラインに立つに必要なだけのリソースというものが足りない状態で小学校に上がってくる子がいるということです。
そのスタートラインに立てるということが前提で、これまで学校の先生の領分というのはそこからでした。
いまはそうとも言っていられない現実があります。
幼稚園で見られた子は、そう言った意味で保育園に通っている子よりも、そのリソースというものに溢れています。
ただ、幼稚園でもこの問題とは無縁ではなくて、だんだんとこれまでのカリキュラムを同じようにするだけでは適応できない子供というのが増えつつあるという声は聞かれます。
そのために、子供への新しいアプローチを模索しようとしている動きがすでにでています。
このブログを読みに来てくれている幼稚園の先生方もそういう人たちではないでしょうか。
ただ、まだ本格的にどうにもならないというところまでは来ていないでしょう。
特にうちの子が今回通いだしたようなのんびりとした幼稚園はなおさらです。
しかし、現状の小学校での諸様相を考えると、その前段階の幼稚園としても無関心ではいられないことと思われます。
そういった点を踏まえますと余裕があるにしても、無頓着・ずさんな対応ではもったいないかなと歯がゆさを感じてしまいます。
余裕がある中で、さらに良い対応を心がければその質がより一層上げられるからです。
余裕があるうちにしないと、それが失われてから質を上げるのはとても難しいです。
そんななかで僕が幼稚園のさまざまを見るにつけ、頭に浮かぶのは「なんとかなってしまうのだな」というキーワードです。
長くなったので、これについてはまたの機会に。
しかし、いろいろな側面というものがあるのでいくつか順をおって見ていきます。
今回は子供の置かれた違いから、施設の目的、子供へのアプローチも違うというお話。
この前、子持ちの男性保育士2人と会いました。僕を含めて3人。
たまたま、3人とも子供を幼稚園に通わせていて(その頃はうちはまだ入園前で園庭開放に参加していただけですが)、幼稚園での様子を話す機会がありました。
そこで3人とも全く同じ感想だったのが、「保育園の子供と幼稚園の子供の様子が全く違って驚いた」ということ。
『最近の親の意識・あり方の変化』
過去記事の↑こちらなどでも述べたように、保育の長時間化や家庭での養育力の低下、子供を見たくないがゆえに預けられている子や、関わり方、満たされないなどの要因から、保育園では個々の子供そのものがもつ根深い問題というのが年々増大しています。
地域や園などにももちろん違いはあるでしょうけれども、そういった姿が幼稚園で見られる子供達と歴然とした違いを見せていること、それなりの予想はしていましたがそれ以上にはっきりとした違いがあったということに3人とも驚いたということです。
もちろん、保育園に通わせることが良くないことだと言うのではありませんので、そこは誤解のないようにお願いします。
ただ、そのような情緒の安定など養育上の個々の問題を抱えている子供の人数的な割合や、その程度というのには歴然とした違いがありました。
特に、うちの子が通いだしたような園は、今時珍しい年中からの2年保育のみの園ですので、その感はなおさらです。
一部、それ以前に別の幼稚園に行っていたりする子もいますが、それは4歳まで家庭で過ごしていたという子が多くを占めるということです。
幼稚園に通わせようという人でも、いまは3歳からという人が主流になっていると思います。
その中で、4歳からと考えているということですから、「子供を見たくない」という家庭のようなケースというのは、非常にまれということです。
受容や満たされるという点などからくる情緒の安定の問題などが深刻に見られる子というのは、その状況ではまずいませんでした。
幼かったり、過保護や過干渉だったり、刺激にさらされて落ち着かないなどの影響が見られる子というのはなかにはいますが、それでも子供の最も基礎的な部分がクリアされている子達なので、それらは今後いかようにも成長していけることでしかありません。
以上のことが、昨日の記事の後半で「問題」として指し示していたことです。
『保育 第三の道』の中で
>園でその「健全な成長を援助する」が十分にできていなくとも、家庭でそれがそれなりに可能だったからです。
ですから言ってみれば、保育園は子供の人格形成やいわゆるところの「しつけ」について家庭に寄りかかっていた部分があったのです。
家庭で、きちんとできるという前提があって、保育が普通におくれる状態だったわけです。
と以前に述べましたが。
子供に対して負荷をかけても、それに子供が耐えられるだけのリソース(受容や満たされるなどからくる安定など)というものが家庭で培われて、子供の中には蓄積されています。
いま、保育園に預けられる子供の中には、それが十分でないというケースが増えています。
その分のリソースというものを、かつては家庭に依存してなんなくできていたことがたくさんありましたが、今では逆に保育園でそれを蓄積して家庭に返すというようなことが必要になってきてしまっています。
小学校低学年などでも、「学級崩壊」などの言葉が一般的に使われるようになってから10年は軽く経っています。
学習のスタートラインに立つに必要なだけのリソースというものが足りない状態で小学校に上がってくる子がいるということです。
そのスタートラインに立てるということが前提で、これまで学校の先生の領分というのはそこからでした。
いまはそうとも言っていられない現実があります。
幼稚園で見られた子は、そう言った意味で保育園に通っている子よりも、そのリソースというものに溢れています。
ただ、幼稚園でもこの問題とは無縁ではなくて、だんだんとこれまでのカリキュラムを同じようにするだけでは適応できない子供というのが増えつつあるという声は聞かれます。
そのために、子供への新しいアプローチを模索しようとしている動きがすでにでています。
このブログを読みに来てくれている幼稚園の先生方もそういう人たちではないでしょうか。
ただ、まだ本格的にどうにもならないというところまでは来ていないでしょう。
特にうちの子が今回通いだしたようなのんびりとした幼稚園はなおさらです。
しかし、現状の小学校での諸様相を考えると、その前段階の幼稚園としても無関心ではいられないことと思われます。
そういった点を踏まえますと余裕があるにしても、無頓着・ずさんな対応ではもったいないかなと歯がゆさを感じてしまいます。
余裕がある中で、さらに良い対応を心がければその質がより一層上げられるからです。
余裕があるうちにしないと、それが失われてから質を上げるのはとても難しいです。
そんななかで僕が幼稚園のさまざまを見るにつけ、頭に浮かぶのは「なんとかなってしまうのだな」というキーワードです。
長くなったので、これについてはまたの機会に。
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