にいにとむーちゃん 登園6日目 - 2014.04.17 Thu
子育て日記なのに、ちっとも子供のことを書いていないので、むーちゃんの新入園の様子と合わせて少し書いていこうと思います。
『保育園の子供と幼稚園の子供』 こちらの続きはまとめるのに時間がかかりそうなので、もうちょっと先です。
むーちゃんは、人見知りだったり場所見知りだったりなところがあるし、人を気にせずわっーっと盛り上がれるタイプでもないので、予想通りにかなり緊張して通っていました。
先週の木金と、この月曜日は、親と離れるとき・迎えに来るときは泣かないけれど、園で過ごしている間少し泣いていたようです。
でも、自分からは言わないで、目の下に涙の筋があるので「泣いちゃったの?」と聞くと、小さな声で「うん」と言ったり、生返事だけだったり。
あんまり触れられたくないという気持ちがあったようです。
日曜に祖父母に会ったときは、「幼稚園楽しいよ」というようなことを話していたようです。
(それまで、父母には「楽しい」とは言っていない。)
でも、たぶんそれは半分位はほんとではないのでしょう。
最初の二日はそうとう緊張していたし、まだ他児と関わるわけでもなく、粘土やぬりえで乗り切っているという感じでしたので。
でも、なんで泣いたことに触れて欲しくなかったり、「楽しいよ」と告げたりするかというと、大人の期待というものを意識しており、それに応えようと頑張っているがためだと思われます。
多くの子供が保育園でも似たような姿を見せます。
子供は健気です。
大人の期待に応えようと、自分の気持ちを抑えてその姿を頑張ってだそうとしてくれるのです。
しかし、その頑張りを続けていくのはしんどいし、頑張ってその状態を維持していたとしてもそれは安心してくつろいで過ごせる状況とは違います。
その大人の無言の期待に頑張って応えているという状態は、しだいに解消されるべきものでもあるといえます。
逆に、大人がその子供の性質を利用して頑張らせすぎてしまうのはあとあと無理の来ることもあります。
これについては『人はなにで動くか』あたりで書かれていた「作られたモチベーション」ということが近いでしょう。
むーちゃんの、「泣いてしまった」というのを素直に伝えられない気持ちに対しては、あんまりしつこく言ってもプレッシャーにしかならないので、さらっと自然に「そういうこともあるよねー、おとーちゃんだってさみしいもの」と伝えていました。
妻はもっとはっきり「泣いたっていいんだよー」と言っていたみたいです。
休み明けの月曜日、やっぱりこの日も園にいるあいだに泣いてしまったよう。
でも、このとき迎えに行ったら「むーちゃんね、えーんっていっぱい泣いちゃった」と素直に自分から伝えるように。
ちょっと、頑張らなくてもいいと力が抜けてきたのかなとその時感じていました。
そして次の日、登園して門のところで先生に声をかけられたら、「うわーん;;」と泣き出し、「そっかそっかーじゃあおとーちゃんが抱きしめてあげるよ」と10秒ギューッとしてから下ろすと、そこからは自分で切り替え泣くのを自制して入室していきました。
子供の現象だけ見ると、泣くのが大きくなっていっているので人によっては心配のつのってしまう人もいるかもしれませんが、このむーちゃんのケースはむしろ過度な緊張や頑張りから解放されていっている過程ですので、慣れに向かって着実に進んでいるということがわかります。
そもそも、むーちゃんが適応していくことに対して、「心配」というのは僕も妻も最初から一貫してしていません。
親が不安になっていると、子供は自分の不安だけでなく、親から伝染した不安までも重ねて引き受けなければならなくなってしまいます。
これまでむーちゃんには、ことさら他児に慣れるようなことなどしていませんが、むーちゃんのもつ様々なリソースや発達状況から、時間はかかるにしてもいずれ慣れることはわかっています。
また、通う園もそれが困難な環境でないこともわかって入れています。
なので、時間はかかったり、つまづきはあったとしても、それすらも経験であり成長です。
だから、あとは子供を信じてその成長を喜んだり、認めたりすることを親としても楽しませてもらっています。
そしてその朝泣いた日は園内では泣かないで過ごすことができ、その翌日からは登園時・日中とも泣かずにいます。
まだしばらくは休み明けなど戻ったりすることもあるでしょう。
そういうものですからね、しかしそれもみんな乗り越えられることです。
子供を相手にしていていいと思うことは、子供はつねに成長の過程にいるという点です。
つまり、「昨日より今日、今日より明日は必ずより良い日」と思えることなんです。
「3歩進んで2歩下がる」でも立派な成長ですよね。
にいに(お兄ちゃん)とむーちゃんのお話までいかなかったので、それについてはまたの機会に。
『保育園の子供と幼稚園の子供』 こちらの続きはまとめるのに時間がかかりそうなので、もうちょっと先です。
むーちゃんは、人見知りだったり場所見知りだったりなところがあるし、人を気にせずわっーっと盛り上がれるタイプでもないので、予想通りにかなり緊張して通っていました。
先週の木金と、この月曜日は、親と離れるとき・迎えに来るときは泣かないけれど、園で過ごしている間少し泣いていたようです。
でも、自分からは言わないで、目の下に涙の筋があるので「泣いちゃったの?」と聞くと、小さな声で「うん」と言ったり、生返事だけだったり。
あんまり触れられたくないという気持ちがあったようです。
日曜に祖父母に会ったときは、「幼稚園楽しいよ」というようなことを話していたようです。
(それまで、父母には「楽しい」とは言っていない。)
でも、たぶんそれは半分位はほんとではないのでしょう。
最初の二日はそうとう緊張していたし、まだ他児と関わるわけでもなく、粘土やぬりえで乗り切っているという感じでしたので。
でも、なんで泣いたことに触れて欲しくなかったり、「楽しいよ」と告げたりするかというと、大人の期待というものを意識しており、それに応えようと頑張っているがためだと思われます。
多くの子供が保育園でも似たような姿を見せます。
子供は健気です。
大人の期待に応えようと、自分の気持ちを抑えてその姿を頑張ってだそうとしてくれるのです。
しかし、その頑張りを続けていくのはしんどいし、頑張ってその状態を維持していたとしてもそれは安心してくつろいで過ごせる状況とは違います。
その大人の無言の期待に頑張って応えているという状態は、しだいに解消されるべきものでもあるといえます。
逆に、大人がその子供の性質を利用して頑張らせすぎてしまうのはあとあと無理の来ることもあります。
これについては『人はなにで動くか』あたりで書かれていた「作られたモチベーション」ということが近いでしょう。
むーちゃんの、「泣いてしまった」というのを素直に伝えられない気持ちに対しては、あんまりしつこく言ってもプレッシャーにしかならないので、さらっと自然に「そういうこともあるよねー、おとーちゃんだってさみしいもの」と伝えていました。
妻はもっとはっきり「泣いたっていいんだよー」と言っていたみたいです。
休み明けの月曜日、やっぱりこの日も園にいるあいだに泣いてしまったよう。
でも、このとき迎えに行ったら「むーちゃんね、えーんっていっぱい泣いちゃった」と素直に自分から伝えるように。
ちょっと、頑張らなくてもいいと力が抜けてきたのかなとその時感じていました。
そして次の日、登園して門のところで先生に声をかけられたら、「うわーん;;」と泣き出し、「そっかそっかーじゃあおとーちゃんが抱きしめてあげるよ」と10秒ギューッとしてから下ろすと、そこからは自分で切り替え泣くのを自制して入室していきました。
子供の現象だけ見ると、泣くのが大きくなっていっているので人によっては心配のつのってしまう人もいるかもしれませんが、このむーちゃんのケースはむしろ過度な緊張や頑張りから解放されていっている過程ですので、慣れに向かって着実に進んでいるということがわかります。
そもそも、むーちゃんが適応していくことに対して、「心配」というのは僕も妻も最初から一貫してしていません。
親が不安になっていると、子供は自分の不安だけでなく、親から伝染した不安までも重ねて引き受けなければならなくなってしまいます。
これまでむーちゃんには、ことさら他児に慣れるようなことなどしていませんが、むーちゃんのもつ様々なリソースや発達状況から、時間はかかるにしてもいずれ慣れることはわかっています。
また、通う園もそれが困難な環境でないこともわかって入れています。
なので、時間はかかったり、つまづきはあったとしても、それすらも経験であり成長です。
だから、あとは子供を信じてその成長を喜んだり、認めたりすることを親としても楽しませてもらっています。
そしてその朝泣いた日は園内では泣かないで過ごすことができ、その翌日からは登園時・日中とも泣かずにいます。
まだしばらくは休み明けなど戻ったりすることもあるでしょう。
そういうものですからね、しかしそれもみんな乗り越えられることです。
子供を相手にしていていいと思うことは、子供はつねに成長の過程にいるという点です。
つまり、「昨日より今日、今日より明日は必ずより良い日」と思えることなんです。
「3歩進んで2歩下がる」でも立派な成長ですよね。
にいに(お兄ちゃん)とむーちゃんのお話までいかなかったので、それについてはまたの機会に。
| 2014-04-17 | 保育園・幼稚園・学校について | Comment : 22 | トラックバック : 0 |
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