『准保育士制度』絶対に反対です Vol.4 人材の質 - 2014.05.02 Fri
○人材の質
保育というのはこれはもう人材がすべてと言ってもいいような仕事です。
人材の質の低下というのは、これはもうてきめんです。
それが軽視されると、子供を重大な事故や最悪は死に至らしめてしまうことさえあります。
保育という仕事は、優れた人材の確保というのが大変重要になります。
かつて第二次ベビーブームだったとき、大量の認可保育園ができ保育士が不足したという事態がありました。
このときは資格さえ持っていれば誰でもなれました。
いまでこそ公立保育園などは採用が10倍を超えるほどの倍率になったりすることもありますが、その当時は冗談ではなくて名前が書ければなれたということです。
学力が全てというわけでもありませんが、やはり適性のある人を選考して採用するというのは大切なことです。
はっきりいってこの時代に大量に採用された人の中には、到底子供に関わるべきではなかったという人も多く含まれてしまいました。
そのツケは現在でも払い続けているといっても過言ではありません。
保育士というのは子供を見たくない人ほど園長・主任に出世していくことがあるという悲しい構造があります。(もちろん全てではありませんが)
その中には、人を育てることよりも潰す方が得意という人もたくさんいました。
保育施設が足りないという現実があるのはよくわかります。
でも、だからと言ってそのために誰でもいいから雇ってしまえというのは、最悪の選択です。
人材の質の低下を一度許容したら、それをやめようと思ってすら元に戻すのは5年や10年ではすみません。
そうなったら保育の質の維持すら難しいのに、質を上げるなどということは到底できません。
現状ですら、保育士の人材の質は必ずしも高いとは言えません。
今後もそれに無頓着で、これ以上下げてしまったら、その影響は5年後、10年後、20年後にはっきりと目に見えるような問題としてでてきてしまうでしょう。
以前にも紹介しましたが、アメリカでは保育サービスの経営競争の結果、とことんまで下がって問題のたくさんでてきてしまった保育士・保育施設の質を最近になって保育労働者の待遇改善をするところから、ようやくいい方へと向け始めたところです。
日本はその失敗をなぞってはいけないと思います。
○おおやけには語られないこと
日本は他者への批判ともとれるようなことは敬遠されるような文化がありますし、それが全体の利益になったとしてすらそれを言い出した人は処罰されるという封建時代のようなことがいまでもありますから、そういうことはあんまり語られませんが、こんな泡沫ブログですしこの際なのではっきりと書いておこうと思います。
保育園というのは人材の獲得に際して大きな大きな問題を抱えています。
これは保育園に限らず子供関係の施設には近しいところがあるかもしれません。
それは、保育園・子供相手の仕事というのは、問題のある人、問題を抱えた人をも強く惹きつけるということです。
正規の保育士採用でもそういうことはありますが、やはりもっともそういった例との遭遇率が高いのはハードルが一番低い保育補助の募集の際です。
精神科や心療内科などに通っているような人で、表情の筋肉も硬直してしまっているような人が「この仕事ならば自分にもできると思うので」と募集に応じてくるようなこともあります。
少し現実を考えてみたらわかりそうなものですが、子供相手というのはとてもストレスフルな仕事です。
むしろ神経や精神に余裕のない人ほどできないはずなのですが、どうも子供相手の仕事は負担が少なかったり、癒しになったりと短絡的に考えてくるような人も少なくないようです。
ほかにも、
・職員が見てないと思うと子供に暴言をはいたり、ぞんざいな扱いをしたりする人。
・しばらく無断欠勤が続いたと思ったら自己啓発セミナーのようなものに行ってきて人格が変わって帰ってきた人。
・洗濯機が動いているあいだはずっとそれを見続けていないと気がすまない人。
・保護者に対してあることないこと言いふらしてしまう人。
・盗癖のある人。
・虚言癖のある人。
・子供に「あなたがいい子になるように」といきなり何かの宗教的なお祈りをし始めてしまう人。
・子供を叩く人。
・うるさいからと子供の口にガムテープを貼った人。
・アレルギーのあるものをわかっていて食べさせようとする人。
・えこひいきを平気でする人。
・仕事が思っていたのと違う大変だとごねてしまような人。
・自分の家庭で子供が見きれなくなっている人。(うちの子はもう可愛くないんでと発言したものや、我が子に慢性的に手を上げている人 etc.)
などなど、どう考えても子供を見てもらうのにふさわしくないような人が、なぜか保育園での職を求めて大挙してやってきます。
できるだけそのような人は採らないようにもちろん留意はしていますが、身なり・受けごたえからはわからなかったり、その人の主張や経歴・面接での判断とはうらはらに採用してみてから適性を著しく欠いた行動をとるなどということもあります。
それでもまだ、無資格者で保育補助としての責任のない配置ですので、そのダメージを最小限に抑えられています。
しかし、もしこの「准保育士制度」が実施されるようになれば、これらのレベルの人が、責任のある保育者として保育の現場に入ってくることとなります。
そのようなところに子供を安心して預けられるでしょうか?
おそらくこのことは僕の誇張ではなく「准保育士制度」が実施されたら、現実のことになってしまうだろうと思います。
それくらい保育所における人材の採用というのは切実です。
命を預かり、将来ある子供たちを適切に育てられるようにと保育士資格というものが国家認定の資格としてあるのです。
保育士資格を持っている人の中にも、そのような人というのはいます。
でも、やはり自分の人生の一時期なり、時間やお金を費やして資格取得をしようという心構えのあるなしで、それらの比率は大きく変わります。
子供の命を預かる以上、ある程度のハードルを乗り越えてくるというのは必要なことなのです。
「准保育士制度」のように数回の研修を受けただけで、保育士扱いしてもらえるというのは、とてもとても危険なことと言っても過言ではないと僕は思います。
保育というのはこれはもう人材がすべてと言ってもいいような仕事です。
人材の質の低下というのは、これはもうてきめんです。
それが軽視されると、子供を重大な事故や最悪は死に至らしめてしまうことさえあります。
保育という仕事は、優れた人材の確保というのが大変重要になります。
かつて第二次ベビーブームだったとき、大量の認可保育園ができ保育士が不足したという事態がありました。
このときは資格さえ持っていれば誰でもなれました。
いまでこそ公立保育園などは採用が10倍を超えるほどの倍率になったりすることもありますが、その当時は冗談ではなくて名前が書ければなれたということです。
学力が全てというわけでもありませんが、やはり適性のある人を選考して採用するというのは大切なことです。
はっきりいってこの時代に大量に採用された人の中には、到底子供に関わるべきではなかったという人も多く含まれてしまいました。
そのツケは現在でも払い続けているといっても過言ではありません。
保育士というのは子供を見たくない人ほど園長・主任に出世していくことがあるという悲しい構造があります。(もちろん全てではありませんが)
その中には、人を育てることよりも潰す方が得意という人もたくさんいました。
保育施設が足りないという現実があるのはよくわかります。
でも、だからと言ってそのために誰でもいいから雇ってしまえというのは、最悪の選択です。
人材の質の低下を一度許容したら、それをやめようと思ってすら元に戻すのは5年や10年ではすみません。
そうなったら保育の質の維持すら難しいのに、質を上げるなどということは到底できません。
現状ですら、保育士の人材の質は必ずしも高いとは言えません。
今後もそれに無頓着で、これ以上下げてしまったら、その影響は5年後、10年後、20年後にはっきりと目に見えるような問題としてでてきてしまうでしょう。
以前にも紹介しましたが、アメリカでは保育サービスの経営競争の結果、とことんまで下がって問題のたくさんでてきてしまった保育士・保育施設の質を最近になって保育労働者の待遇改善をするところから、ようやくいい方へと向け始めたところです。
日本はその失敗をなぞってはいけないと思います。
○おおやけには語られないこと
日本は他者への批判ともとれるようなことは敬遠されるような文化がありますし、それが全体の利益になったとしてすらそれを言い出した人は処罰されるという封建時代のようなことがいまでもありますから、そういうことはあんまり語られませんが、こんな泡沫ブログですしこの際なのではっきりと書いておこうと思います。
保育園というのは人材の獲得に際して大きな大きな問題を抱えています。
これは保育園に限らず子供関係の施設には近しいところがあるかもしれません。
それは、保育園・子供相手の仕事というのは、問題のある人、問題を抱えた人をも強く惹きつけるということです。
正規の保育士採用でもそういうことはありますが、やはりもっともそういった例との遭遇率が高いのはハードルが一番低い保育補助の募集の際です。
精神科や心療内科などに通っているような人で、表情の筋肉も硬直してしまっているような人が「この仕事ならば自分にもできると思うので」と募集に応じてくるようなこともあります。
少し現実を考えてみたらわかりそうなものですが、子供相手というのはとてもストレスフルな仕事です。
むしろ神経や精神に余裕のない人ほどできないはずなのですが、どうも子供相手の仕事は負担が少なかったり、癒しになったりと短絡的に考えてくるような人も少なくないようです。
ほかにも、
・職員が見てないと思うと子供に暴言をはいたり、ぞんざいな扱いをしたりする人。
・しばらく無断欠勤が続いたと思ったら自己啓発セミナーのようなものに行ってきて人格が変わって帰ってきた人。
・洗濯機が動いているあいだはずっとそれを見続けていないと気がすまない人。
・保護者に対してあることないこと言いふらしてしまう人。
・盗癖のある人。
・虚言癖のある人。
・子供に「あなたがいい子になるように」といきなり何かの宗教的なお祈りをし始めてしまう人。
・子供を叩く人。
・うるさいからと子供の口にガムテープを貼った人。
・アレルギーのあるものをわかっていて食べさせようとする人。
・えこひいきを平気でする人。
・仕事が思っていたのと違う大変だとごねてしまような人。
・自分の家庭で子供が見きれなくなっている人。(うちの子はもう可愛くないんでと発言したものや、我が子に慢性的に手を上げている人 etc.)
などなど、どう考えても子供を見てもらうのにふさわしくないような人が、なぜか保育園での職を求めて大挙してやってきます。
できるだけそのような人は採らないようにもちろん留意はしていますが、身なり・受けごたえからはわからなかったり、その人の主張や経歴・面接での判断とはうらはらに採用してみてから適性を著しく欠いた行動をとるなどということもあります。
それでもまだ、無資格者で保育補助としての責任のない配置ですので、そのダメージを最小限に抑えられています。
しかし、もしこの「准保育士制度」が実施されるようになれば、これらのレベルの人が、責任のある保育者として保育の現場に入ってくることとなります。
そのようなところに子供を安心して預けられるでしょうか?
おそらくこのことは僕の誇張ではなく「准保育士制度」が実施されたら、現実のことになってしまうだろうと思います。
それくらい保育所における人材の採用というのは切実です。
命を預かり、将来ある子供たちを適切に育てられるようにと保育士資格というものが国家認定の資格としてあるのです。
保育士資格を持っている人の中にも、そのような人というのはいます。
でも、やはり自分の人生の一時期なり、時間やお金を費やして資格取得をしようという心構えのあるなしで、それらの比率は大きく変わります。
子供の命を預かる以上、ある程度のハードルを乗り越えてくるというのは必要なことなのです。
「准保育士制度」のように数回の研修を受けただけで、保育士扱いしてもらえるというのは、とてもとても危険なことと言っても過言ではないと僕は思います。
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