子供になめられる Vol.2 保育において - 2014.06.19 Thu
スマホのテンプレートの調子が悪いようなので、別のに変えてみました。
今度は公式のテンプレなので不具合が出にくいかと思います。
カテゴリーや新着コメント、月別アーカイブをプラグイン設定してあるのですが、ちゃんとでていますでしょうか?
もし、なにかおかしかったらコメントでお知らせください。
昨日の続きです。
でも、書いているうちに保育のあり方の話になってしまったので全然続きでもないかもしれません。
コメントでも頂いたのですが、保育士でもこの「子供になめられるな」ということを後輩に指導したりする人がいまだにたくさんいます。
その人たちには悪いけど、正直言って僕は「かわいそうだなー」と思います。
まあそこの子供たちもそうなのだけど、大人がね。
その人たちは、そういう保育しかしていないところで、職務経験を積んできてしまったのでしょう。
人員に余裕がなかったり、子供が詰め込まれていたりする施設では、いかに子供を効率よく大人の思い通りに動かすかというところに重きをおかなければならないところもあるでしょう。
本来はそのようにならないために、最低基準というものが法律によって定まっているのですが、現実にはそれらの基準でも充分であったためしはないし、実際の運用上としてはそれがつねに保証されているわけでもありません。
そのようなカツカツの状態で子供の世話をしていたとしたら、ごねられたり、トラブルばかり起こされていてはやっていけなくなってしまうわけです。
「右向け右」で言うことを聞いてくれる子供たちにしなければ、ならなくなってしまいます。
その施設ではそのうちそういう子供への関わり方ができて一人前の保育士ということになってしまうでしょう。
保育の中には厳密には「指導」という言葉はないのです。
なぜなら、保育所は学校とは違うから。
保育園は、学校を目指しているのではなく、本当は家庭を目指さなければならないわけです。
でも、これまでの保育園というのは少なからず学校のようになってしまっていました。
もちろん、きちんと家庭の代替としての役割を果たそうとしているところもたくさんありますが、園の案内には「家庭的な雰囲気で~~」と書いていても、それはどういうことなのか実際にはきちんと考えたこともなくてビシバシ言うことをきかせることがいい保育なのだと考えているところも少なくありませんでした。
はっきりいいます。
もう無理です。
そのような保育はもう現代では無理なのです。
現代では核家族の上に夫婦共働きが当たり前になっていて、お母さんもフルタイムでこれまでの男性と同じように働いています。保育時間もそれにともなって長時間化しています。子供とどうやって関わったらいいかわからないという人だって増えています。おじいちゃんやおばあちゃん地域の手助けも借りられない人も増えています。
そのような中で、保育園はかつてないほどに「家庭」としての機能を求められているのです。
お母さんが「お母さん」をしてあげられない分、保育士はその役割を果たさなければならないのです。
そうはいっても保育士は「お母さん」になりきれるものではありません。
だからこそ高い専門性が必要になります。
プロフェッショナルとして、個々の子供の育ちを正しく認識しそれに必要なことをしてあげられるだけの技量を持たなければなりません。
保育園にいる間だけ言うことを聞く子にして済んでいた時代は終わりました。
「なめる」とか「なめられない」とかを主軸に子育てをしている家庭で、子供がまっすぐ育つことはありません。
その保育士たちにしても大部分の人はそのことに同意するでしょう。
しかし、その保育園ではその価値観で子供に接するべきと考えています。
それには矛盾があるのです。
もういい加減気がつかなければなりません。
子供は大人との間に信頼関係を形成することで、きちんと大人の言うことを理解し自分からそれを考え行動するように育ちます。
「支配」することで子供の適切な行動を作り出す必要があると考えている人は、保育指針を読み直すといいと思います。
はるかむかしの保育指針であってもそれは変わりません。
保育の学校でも支配することで子供の行動を導くと教えていたところはどこもないはずです。
たしかに「叱る子育て」にしても、この「なめる」「なめられる」という子供を支配しようとする子育て観にしても、日本がこれまで長いことやってきてしまったことです。
世間に流布する子育て観をただそのまま保育士がしていたのでは、そこには専門性というものはかけらもありません。
素人ならばそういう人がいるのも仕方ないでしょう。
でも、保育士はプロなのだから世間に流布する子育ての方法をなんの検証もなくただするのでは不十分なはずです。
どうか高い専門性を身につけるようにしましょう。
でなければ、そう遠くないうちに保育士の知識は一般の人に劣ることになります。
いまですら、世のお父さんお母さんたちは子育てについて真剣に知識を吸収しようとしています。
これまではビジネス書しか置かれなかった都心の書店でも、子育てに関する本がたくさん売れるような時代になっています。
保護者から「ダメだな、この人は」そう思われている保育士がたくさんいます。
保育士が「私には経験がある」とあぐらをかいていたら、保育士の社会的地位はずっと低いままでしょう。
これほど大変な仕事をしているのに、何十年も前から低賃金なままです。
このことはどう言おうとも、社会的には「大した仕事」とは思われていないということです。
「大した仕事」とは思われていないから、子育て経験のある主婦やおばあちゃんでも「准保育士」などが務まると言われてしまうのです。
「大した仕事」でなかったから、営利企業が本業の片手間にどうぞやってくださいと、利益追求のための市場に解放されてしまいました。
専門性。専門性です。
キーキーして親の手に余っている子を半分でもいいからかわいい子供にして親元に返してあげます。
「こうすれば落ちついていきますよ」と適切なアドバイスをしてあげます。
それらが少しでも役に立てば、保育士というものが有用な仕事なのだと社会的にも認められていくでしょう。
これが実際のところ逆のことをしている保育園・保育士もたくさんいました。
保育園で厳しく関わられるので家庭でその反動として癇癪をおこしたりネガティブ行動を多発させたり、園の宣伝になる鼓笛隊をビシバシ教え込むあまり家庭で無気力になっていたり・・。
これまでの保育界は、その本質的なところでの専門性を脇においてきてしまっていました。
子供を思い通りに動かしたり、教え込んだりすることが専門性だと考えてきてしまっていました。
「なめる」「なめられる」「叱り方が足りない」などで保育を語っている人は完全に時代錯誤です。
いまからでも現代に必要な専門性を高める必要があると思います。
*『保育士が子供を威圧する保育はなぜ起こるか』の続きも忘れたわけではないのですが、時間がなくてまとめきれてません。さらっとでいいなら書こうと思えば書けるのだけど、きちんと書きたいのでまとまった時間がとれず伸び伸びになっています。
もしお待ちの方がいらっしゃいましたら申し訳ありません。いましばらくかかります。
今度は公式のテンプレなので不具合が出にくいかと思います。
カテゴリーや新着コメント、月別アーカイブをプラグイン設定してあるのですが、ちゃんとでていますでしょうか?
もし、なにかおかしかったらコメントでお知らせください。
昨日の続きです。
でも、書いているうちに保育のあり方の話になってしまったので全然続きでもないかもしれません。
コメントでも頂いたのですが、保育士でもこの「子供になめられるな」ということを後輩に指導したりする人がいまだにたくさんいます。
その人たちには悪いけど、正直言って僕は「かわいそうだなー」と思います。
まあそこの子供たちもそうなのだけど、大人がね。
その人たちは、そういう保育しかしていないところで、職務経験を積んできてしまったのでしょう。
人員に余裕がなかったり、子供が詰め込まれていたりする施設では、いかに子供を効率よく大人の思い通りに動かすかというところに重きをおかなければならないところもあるでしょう。
本来はそのようにならないために、最低基準というものが法律によって定まっているのですが、現実にはそれらの基準でも充分であったためしはないし、実際の運用上としてはそれがつねに保証されているわけでもありません。
そのようなカツカツの状態で子供の世話をしていたとしたら、ごねられたり、トラブルばかり起こされていてはやっていけなくなってしまうわけです。
「右向け右」で言うことを聞いてくれる子供たちにしなければ、ならなくなってしまいます。
その施設ではそのうちそういう子供への関わり方ができて一人前の保育士ということになってしまうでしょう。
保育の中には厳密には「指導」という言葉はないのです。
なぜなら、保育所は学校とは違うから。
保育園は、学校を目指しているのではなく、本当は家庭を目指さなければならないわけです。
でも、これまでの保育園というのは少なからず学校のようになってしまっていました。
もちろん、きちんと家庭の代替としての役割を果たそうとしているところもたくさんありますが、園の案内には「家庭的な雰囲気で~~」と書いていても、それはどういうことなのか実際にはきちんと考えたこともなくてビシバシ言うことをきかせることがいい保育なのだと考えているところも少なくありませんでした。
はっきりいいます。
もう無理です。
そのような保育はもう現代では無理なのです。
現代では核家族の上に夫婦共働きが当たり前になっていて、お母さんもフルタイムでこれまでの男性と同じように働いています。保育時間もそれにともなって長時間化しています。子供とどうやって関わったらいいかわからないという人だって増えています。おじいちゃんやおばあちゃん地域の手助けも借りられない人も増えています。
そのような中で、保育園はかつてないほどに「家庭」としての機能を求められているのです。
お母さんが「お母さん」をしてあげられない分、保育士はその役割を果たさなければならないのです。
そうはいっても保育士は「お母さん」になりきれるものではありません。
だからこそ高い専門性が必要になります。
プロフェッショナルとして、個々の子供の育ちを正しく認識しそれに必要なことをしてあげられるだけの技量を持たなければなりません。
保育園にいる間だけ言うことを聞く子にして済んでいた時代は終わりました。
「なめる」とか「なめられない」とかを主軸に子育てをしている家庭で、子供がまっすぐ育つことはありません。
その保育士たちにしても大部分の人はそのことに同意するでしょう。
しかし、その保育園ではその価値観で子供に接するべきと考えています。
それには矛盾があるのです。
もういい加減気がつかなければなりません。
子供は大人との間に信頼関係を形成することで、きちんと大人の言うことを理解し自分からそれを考え行動するように育ちます。
「支配」することで子供の適切な行動を作り出す必要があると考えている人は、保育指針を読み直すといいと思います。
はるかむかしの保育指針であってもそれは変わりません。
保育の学校でも支配することで子供の行動を導くと教えていたところはどこもないはずです。
たしかに「叱る子育て」にしても、この「なめる」「なめられる」という子供を支配しようとする子育て観にしても、日本がこれまで長いことやってきてしまったことです。
世間に流布する子育て観をただそのまま保育士がしていたのでは、そこには専門性というものはかけらもありません。
素人ならばそういう人がいるのも仕方ないでしょう。
でも、保育士はプロなのだから世間に流布する子育ての方法をなんの検証もなくただするのでは不十分なはずです。
どうか高い専門性を身につけるようにしましょう。
でなければ、そう遠くないうちに保育士の知識は一般の人に劣ることになります。
いまですら、世のお父さんお母さんたちは子育てについて真剣に知識を吸収しようとしています。
これまではビジネス書しか置かれなかった都心の書店でも、子育てに関する本がたくさん売れるような時代になっています。
保護者から「ダメだな、この人は」そう思われている保育士がたくさんいます。
保育士が「私には経験がある」とあぐらをかいていたら、保育士の社会的地位はずっと低いままでしょう。
これほど大変な仕事をしているのに、何十年も前から低賃金なままです。
このことはどう言おうとも、社会的には「大した仕事」とは思われていないということです。
「大した仕事」とは思われていないから、子育て経験のある主婦やおばあちゃんでも「准保育士」などが務まると言われてしまうのです。
「大した仕事」でなかったから、営利企業が本業の片手間にどうぞやってくださいと、利益追求のための市場に解放されてしまいました。
専門性。専門性です。
キーキーして親の手に余っている子を半分でもいいからかわいい子供にして親元に返してあげます。
「こうすれば落ちついていきますよ」と適切なアドバイスをしてあげます。
それらが少しでも役に立てば、保育士というものが有用な仕事なのだと社会的にも認められていくでしょう。
これが実際のところ逆のことをしている保育園・保育士もたくさんいました。
保育園で厳しく関わられるので家庭でその反動として癇癪をおこしたりネガティブ行動を多発させたり、園の宣伝になる鼓笛隊をビシバシ教え込むあまり家庭で無気力になっていたり・・。
これまでの保育界は、その本質的なところでの専門性を脇においてきてしまっていました。
子供を思い通りに動かしたり、教え込んだりすることが専門性だと考えてきてしまっていました。
「なめる」「なめられる」「叱り方が足りない」などで保育を語っている人は完全に時代錯誤です。
いまからでも現代に必要な専門性を高める必要があると思います。
*『保育士が子供を威圧する保育はなぜ起こるか』の続きも忘れたわけではないのですが、時間がなくてまとめきれてません。さらっとでいいなら書こうと思えば書けるのだけど、きちんと書きたいのでまとまった時間がとれず伸び伸びになっています。
もしお待ちの方がいらっしゃいましたら申し訳ありません。いましばらくかかります。
| 2014-06-19 | 日本の子育て文化 | Comment : 5 | トラックバック : 0 |
NEW ENTRY « | BLOG TOP | » OLD ENTRY