相談 プレ保育での子供の様子にイライラしてしまう(2歳4ヶ月) - 2014.07.31 Thu
2歳4ヶ月の娘。ぬいぐるみを生きてるように可愛がる。順番を守れる。優しい。最近とても可愛らしい言動が増えました。でも今日はひどかったです。プレ保育に行っているが、今日は手遊び歌以外やらないの一点張り。相当イライラしました。お昼前には帰って来たのですが、夕方の今でもイライラがおさまらず娘を無視してしまっています。いけないのはわかっているのですが。娘の様子は私の育て方が原因ですか?どの様に声かけすれば良かったのでしょうか。楽しそうにやっている他の子達を見ると羨ましくてしょうがなかったです。今日は娘を叩いてしまいそうで怖いです。毎日毎日ビクビクしながらの育児、ホントに嫌です。投げ出したいです。
ここに書かれている内容からだと限定的なことしかわからないのだけど、そのプレ保育というのはどうしてもいかなければならないところなのかな?
このコメントにあることから察するに、これは子供にどういう声がけをすればいいかという問題ではなくて、よしえさん自身の育児ストレス等の問題になるかと思います。
推測ですがこの「イライラする」という原因は、
「娘さんが手遊びをしない」ということが問題なのではなく、「集団での遊びに参加しない子供の母親である自分が周囲の人からネガティブに見られているのではないか」というところからくるイライラなのではないでしょうか。
もし、その傾向があるのならば、そのような場に参加することは子育てにおいてマイナスになってしまうことの方が大きいでしょう。
コメントにあることだけから判断すると、僕は「そこに行かない」というのが最良の解決策だと思います。
子供の小さいうちは、親子で楽しく過ごせる環境で過ごすのが一番です。
「子供のために今のうちから集団に参加しなければ」などということは、別にそういうのが向いた子で楽しめるのならそれもいいでしょう程度のものです。
こちらの記事が該当する内容になっています。
前後の記事も参考になるでしょう。
乳児期における「友達関係」について Vol.2 必要なのは訓練ではなく良好な母子関係
7月2日、17日、25日の相談コメントのよしえさんと同じ方だと思いますが、これらの相談の背景にあるところでも、「他者から私がどう思われるか」という要素が入っていると感じます。
これを気にして子育てをしていると、往々にして迷走してしまうことが多いです。
「これをしていたらどう思われるか」、「子供がこういう姿だったらどう思われるか」、「この人と関わるときにどのように思われてしまうだろうか」
そこからくる、「周りにの人にこう思われてしまうかもしれないから、子供の姿をこうしなければ」という気持ちで子供に関わっていたら、子供は振り回されてしまいます。
あるカウンセラーの先生が言っていました。
「人にはしたくないと思うことをしない権利があるのです。どうしてもいやならばそれを避けていいのです」
その男の子と遊ぶことが負担に感じるのならば、避けていいのですよ。
公園で会うだけの相手に、無理してつきあわなければならない理由などありません。
相手のお母さんにどう思われるかなどを気にして、自分がしたくないことを無理してしないでいいのです。
自分が無理に無理を重ねていたら、我が子の姿のちょっとしたことにも無用なイライラを感じてしまうこともあるでしょう。
他者からの評価というのは子育てそのものとは何の関係もないことです。
そこを気にして子育てをするのではなく、母子関係の中でそこに子育ての喜びを見いだしていく方に気持ちを切り替えていくといいのではないでしょうか。
別に周囲がどう思っていようとも、子供の姿が笑顔で満足していればそれでいいのです。
そこに親としても満足を見いだしていけるようになれば、子育てを自己否定の場ではなく、自己肯定の場にしていくことが可能になるのではないかと思います。
| 2014-07-31 | 相談 | Comment : 5 | トラックバック : 0 |
相談 動物の残酷なシーン(2歳) - 2014.07.31 Thu
2歳の息子が動物が大好きです。家でもずっと図鑑をみたり、動物ごっこをしたり、動物クイズをしたりして一日過ごしています。
そこで質問ですが、自然界における弱肉強食の世界や食物連鎖など自然の摂理をどのように伝えるべきか迷っています。
図鑑を見るとライオンやチーターが狩りをする様子が載っていたり、しまうまをよってたかって食べる・・・、というようなある種残酷な写真が載っています。
それを真似して動物ごっこをし、「獲物を捕まえる」と言ったりする2歳児がちょっと心配です。
テレビなどで目にする戦隊ものやアニメなどの暴力的なシーンとはまた違うとは思うのですが、何か悪い影響がないかと思ったりします。
人間も食事で肉・魚など食べることもにも関係するとは思いますが・・・。
伝えるのに適切な年齢、伝え方など、アドバイスやご意見があったらぜひお聞きしたいと思います。
この種のことは正解のない問題です。
何の問題のない子もいるでしょうし、それが大きく影響を受けてしまう子もいるでしょう。
どこかで書きましたが、残酷なものというのも映像として入ってきた場合それはそのままストレートに子供の中に浸透してしまうものですが、昔話などお話として出てくる分にはそれはおのおのその子供のなかで受け入れられる形でイメージされるのでそのような影響というのは小さいものです。
僕が児童文学について教わったある先生は、
「昔話などには残酷なシーンなどもでてくるが、それらは何十年、何百年と語り継がれているもので、現代人の感覚からすると子供向けではないと感じることもあるかもしれないが、そこにはそれなりの意味があるのだ。だから原典の採話に忠実なものを読み聞かせることがよい」とおっしゃっていました。
それが絶対に正しいかどうかはわかりませんが、そのような考え方もあります。
子供の遊びにも「猛獣狩りへいこうよ」などもあります。
それをビジュアルで再現したら大変ですが、それらは頭の中でディフォルメ化されているわけです。
なので純粋にゲームとして楽しめています。
ぷくぷくさんの相談を見ると、それで本当に人に噛みついたり、生き物を殺したりしているわけではないのですから、そんなに気にすることもないような気もします。
でも身近にいる人が子供の姿に違和感を感じるというのであれば、直感的になんらかの問題を察知しているのかもしれませんね。
もし、気になるようでしたらそういう図鑑はしまって、ほかのものへの興味を向けるなどの対応をしてもいいかもしれませんよ。
こうすべきという正解の出る問題ではないですから、お子さんの様子をみて親として判断なさることが大事だと思います。
| 2014-07-31 | 相談 | Comment : 2 | トラックバック : 0 |
相談 自分から作ることが苦手(2歳10ヶ月) ー自己表現ー - 2014.07.31 Thu
2歳10か月の娘がひとりおります。娘の遊びについての相談です。
娘はお絵かき、粘土、積み木などの無から何かを作る遊びが苦手なようです。
「お母さんがして」と私に何かを作らせ、それをまねすることはします。
家でもそのような様子とは気づいていましたが、
保育園からもそのような時間は友達が何をするかを見ていて、
自分の作業に集中できないようだと指摘されました。
娘は体を動かして遊ぶことが好きで、公園の遊具遊び、ボール遊び、
リズム運動などを好みます。
机上遊びではパズルやかるた、ひもとおしなど答えが決まっているものは
好んで遊びます。
おままごとも好きです。その時はつみきをケーキに見立てるなど、
あるものを他のものに見立てることはしています。
娘は人の気持ちに敏感な子で、おそらく作ったものが
どう評価されるかが気になるのではないかと思います。
他に遊べることがたくさんあるので、無理にできるようにしたいとは思いませんが、
そのような活動を楽しめるきっかけをあげられたらそれに越したことはないとも思います。
娘には「自分の好きなものを作っていいんだよ」と言いますが、
必ず「お母さんがして」と返されてしまいます。
他にいい声掛けや関わりがありましたら教えていただきたいです。
子供にはいろいろな個性があります。
なので僕が述べることが必ずしもその子供にあうかどうかというのはわかりませんので、参考程度にきいてください。
まず、2歳10ヶ月という年齢です。
例えば、10歳の子が「僕にはかけないよー、ママ描いてー」と言うのならばちょっと心配です。
でも、2歳の子がそれを言う分には、まだまだ普通のことだと思います。
なので、「ああ、そうなんだー」で気持ちよく受けてあげてもいいのではないかと思います。
絵や粘土、積み木を自分で作るのに抵抗感を感じる子というのはたくさんいます。
もともとの性格であったり、それまでの生育歴で「うまくできること」を大人から期待されることの多かった子ということもありますし、単にそういった遊びを好まないからと言う子もいます。
多くの人は子供に苦手なものがあると、「それを克服させなければならない」と考えてしまいがちです。
でも、子供の成長には、「苦手なものがあるのだね」とそれを肯定的に認めてもらうことが前に進むための鍵となっていることもあります。
大人が、「それを克服させなければならない」と考えるとき、その前に「その子のそういう姿はイカン!」という否定的な見方が存在していることを同時に意味しています。
別に当の大人はそれを明確に意識してしているわけではないのだけれども、敏感な子供であると、大人のそういう見方というのを感じ取って抵抗感を覚えてしまうこともあります。
僕はこういう子供と絵や粘土をするとき、となりで自分がそれを楽しむようにしています。
子供のために作ってあげるというわけではなくて、自分が楽しむのです。
好きな絵を描いたり、粘土で動物園を作ってみたり。
>どう評価されるかが気になるのではないかと思います。
そういう子供に、結果ではなくて楽しむ過程を伝えてあげたいからです。
それでとなりにいる子が、その姿を見ていて「それちょうだい」と粘土で作ったものを欲しがるなら、別になにも気にすることなくあげてしまいます。
そのときは自分で作らなくても、作った世界で楽しく遊べるということがわかればいずれ自分から手を伸ばしていくかもしれません。
幼少期の子供には「させること」「できること」を目の前でださせなくても、種まきをしておけばいいと考えています。
こういった「創ること」というのは、大きく考えたら「自己表現」というものです。
かつては、実質的に量産型の人間をつくることが現実だった時代もありますが、そこでは「自己表現」というものはさして重視されていませんでした。
いまは学校でダンスが必修化なんてニュースもありましたが、「自己表現」というものが重視されるような時代になってきました。
自己表現の手段というのはいろいろとあるわけですが、別に一人の人間がそれらをたくさん持ってなくてもいいわけです。
ある程度の年齢になったときに、なんとなくでもいいから一個でもその手段があればその人が素敵な人生をおくる助けになるでしょう。
絵が得意でなかったり、好きでなく、身体を動かすのがすきならばそれこそ体操だって運動だって、ダンスだっていいわけです。
しかも、それは別にさしてうまくなくたっていいのです。
自己表現というものがすべて上々の評価求めなければならないわけではないですから。
なので、自分でそれが好きならいいのですね。
そういう意識に大人が立ってあげると、プレッシャーを感じやすい子供というのはだいぶ楽になります。
まだ、2歳10ヶ月は苦手なこと、できないことというのがたくさんあっていい年齢です。
なので、「やらせよう」という意識を大人の方がどこかにおいてしまうことで、その子のあるがままの姿、成長というものがでてくるのではないかと思いますよ。
http://hoikushipapa.blog112.fc2.com/blog-entry-396.html
『クレヨン』 以前にこんな記事を書いたのを思い出しました。直接関係ないですが参考までに。
| 2014-07-31 | 相談 | Comment : 3 | トラックバック : 0 |
相談 親が嫌でなければどこまでも要求を聞いていてもいいのか? - 2014.07.30 Wed
3歳になり第一次反抗期を迎えているように思える我が子ですが、おとーちゃんさんのお陰で、癇癪をかわいい言い方で言い換えるように諭したり、好ましくない行動を「そういうのは意地悪って言うんだよ」と伝え教えることで(そしてそれらは全て息子に安定をもたらしてくれています)、私からのアプローチに自信が持てています。自己肯定感が低いと思われる私にとって、おとーちゃんさんの言葉は多岐に渡って救いです。本当にありがとうございます。
我が子が満たされた子どもであることが自分の喜びなのですが、最近希望を満たし続けていても良いのだろうかと少し悩んでいます。例えば欲しいもの(ミニカー、ガチャガチャ、ラムネ、果物、野菜等)や行きたいところなど、親的に不快がなければ全て希望を叶えても構わないでしょうか?自分的には言いなりではなく、嫌だと思わない要求だけを聞いているつもりですが、OKしているものが多いです。
>親的に不快がなければ全て希望を叶えても構わないでしょうか?
このことは、これまでしばしば述べてきた
「いいなり」にならないために
や、
「親と子は対等であるから、大人が無理をして子供に合わせなくていい」
と言ったことに対して、その逆側から考えたときの感想なのだと思います。
僕はこの反対側からの見方を考えたことがなかったので、たしかにこれについて述べたところいうのは過去記事にもないと思います。
では、あらためてここでそれについて考えてみましょう。
「いいなりにならないためのメリハリ」や、「親と子は対等であるから、大人が無理をして子供に合わせなくていい」という視点では、以前にも述べた
「親自身も快くできることならば快くやらせてあげて、親がさせたいと思わないことならば子供に迎合する必要はない」
というのでいいと思います。
これはさまざまな関わりをする上でのひとつの基本姿勢になるでしょう。
でも、そこから個別の具体的な問題に当てはめていくと、そこには単に「親子間の関わり」上のものというだけではない、現実問題ということが当然でてくるでしょう。
例えば、親が「私は子供がお菓子をいくら食べていても気にしない」と考えていても、そこには虫歯になってしまったり、お菓子でおなかいっぱいになり食事が満足に食べられないとか、慢性的な小児肥満になってしまうなどなどの健康上の問題などがでてきてしまいます。
おもちゃを買い与えることにしても、子供が自分から満足するラインをわきまえているならばかまわないかもしれませんが、なかには「要求しただけ買ってもらって当然」というような習慣を身につけてしまう子もいるでしょう。
そうなるとあとあとの関わりにくさ、子供の難しい姿を招かないとも限りません。
これらは、先にある
「親自身も快くできることならば快くやらせてあげて、親がさせたいと思わないことならば子供に迎合する必要はない」
という基本姿勢の次に個別に出てくる大人が考慮すべき点といえるでしょう。
そういった子供が身につけてしまうかもしれない点などを配慮した上で、大人が快くしてあげられると思っているのならばそれでいいかと思います。
しかし、「親自身も快くできることならば快くやらせてあげていい」ということが、そのままどんな問題にも「私は嫌だと思わない」から無制限にしていいということにはならないはずです。
そのあたりの感覚というのは人それぞれなので、僕がいちいち判断できることではありませんが、もしかするとゆむさんが
>最近希望を満たし続けていても良いのだろうかと少し悩んでいます。
このように感じ始めているということは、そこにそのまましていてはうまくいかないという兆候があらわれているのかもしれませんね。
僕個人の考えですが、幼少期に子供に身につけて欲しいこととして、
「モノを大切にすること」
「食べ物を大切にすること」
「生き物を大切にすること」
などがあります。
学齢期の子供にはここに「お金を大切にすること」というのも加わります。
このようなことは、大きくなったあとあとまでその人間の品性に関わるものですから幼少期からきちんと、親から子へと伝えていきたいもののひとつと考えています。
それらが豊富にあったらば大切にすることが身につかないというわけでもありませんが、こういったモノにまつわることは無制限に得られるような状況では、なかなかそれの大切さというのを実感しにくいものです。
なので、例えばお菓子などは、おやつの時間や食後のデザートの時間などと決めて食べるようにしています。
そういう普段とは違う、イベントや友達が来たときなどの状況でイレギュラーなときがあったりするのも、普段のきまった生活があるからこそそこでの楽しみも増えるでしょう。
おもちゃなども、新奇なものが次から次へと手に入れられる状況では、それで遊び込んだり工夫して遊んだり、大切にしたりということにはつながらないケースが多いです。(必ずしもとは言いませんが)
なので、祖父母などが孫の笑顔を見たいがために次から次へと買い与えるのもできるだけ抑制してもらっています。
ただ、祖父母の気持ちもわからないわけではないので、あまりうるさいようには言わないようにしていますが。
そういうわけで、我が家では親から与えるものに関しては、ただ「欲しがっているから」与えてしまうというのではなく、それなりの意味合いのあるときにしています。
ご参考までに。
| 2014-07-30 | 相談 | Comment : 3 | トラックバック : 0 |
相談 タオルが離せない(1歳) ークセに対する基本姿勢ー - 2014.07.28 Mon
こんにちは。ちょうど相談しようか迷っていたときに、この記事を読むことができてすよかったです。なぜなら一歳になる娘がタオル大好き娘だからです。9ヶ月頃から特定のものをスリスリするようになりました。私は本人がそれで安心できるなら…と思っていましたが、ここにきて遊びに行くときも持って行きたがり、だだをこねる等の姿が強く、このまま大きくなってタオルから離れる事ができるのだろうか?日中は本人から無理にでも離して寝る前とかに限局した方がいいのか?と思っていました。〔ちなみに、遊びに持って行っても他の物に夢中になればタオルそっちのけですが、ふいにタオルを探し始めるので、なるべく持たせないようにしてます〕。
今回の記事から、なるべく夢中になれる遊びでタオルから遠ざけようかと思ってます。あとは、たまに自分の感情で娘に接してしまうので自分の関わり方も見直さないとですね(・・;)
最後に一つ聞きたい事なのですが、今は家の中なら好きにタオルを持たせています。外へはなるべく持たせないようにしてます。娘のタオルは依存が強くなる前に寝る前だけとか決めたりして、自立できるように持って行った方が娘の成長の為になるのでしょうか?
この悩みも多くの人にでてきます。
たいていの人はこれを早々にやめさせなければという方向性で悩んでいるわけですが、僕はそのようには考えません。
なので、「やめさせる方法を教えて」という相談であればあまりお役に立てません。
このタオル等の感触で気持ちの安定をはかることは、わりあいにその多くが自然なものだからです。
もし、大人がその子をとても過保護や赤ちゃん扱いした結果、心の発達が幼い状態にとどめ置かれてしまっており、それゆえにタオルなどに依存するようになっているというのであれば、それは大人が原因を作り出していることなので不自然なものと考えられます。
それだったならば、なんらかの対応を考えなける必要もでてくるかもしれませんが、その場合でも第一に対象とするのは大人の関わり方であって、子供の姿をことさら矯正すべきものととらえるものでもありません。
この記事(注:コメントの投稿された記事のこと)にある、耳を触ることがクセになるケースは、なんらかのストレス要因が外部にあることが多く、また耳たぶをさわられる対象になる人がたいていの場合、快く感じられないことであるからなんらかの対処が必要と考えられるわけです。
またケースによっては誰彼かまわず触るようになり、年齢があがるとそれが問題行動視されてしまうということがあるからです。
そのような「依存」とこのタオルで多いような「安心を感じる」というケースは、似てはいますが違いがあるとも言えます。
この安心を感じるための特定のタオルなどを好むというのは、3歳くらいまで多くの子供によくあることです、5歳でもざらにいます。
6歳の年長児にもいますし、小学校3年生までそうしていた子もいます。
5年生で林間学校にいくまでそれが必要だった子も知っていますし、中学生でもそれがあると安心して眠れるというクセを持っていた子もいます。
特定のものに強く出ていないから目立たないだけで、枕元にぬいぐるみをおいている子供などもたくさんいるでしょう。
では、それがなんらかの実害があるかというと、たいていの場合本当に困るようなことはありません。
大人が先入観で「恥ずかしい」、「直すべき」と考えてしまっている部分からこの悩みが生まれているという面が強いといえます。
先ほど述べたように、なにか問題があってのものであれば対応も考えていかなければならないかもしれませんが、そうでない自然なものは放っておいても勝手に収まるものです。よしんばそれが多少長引いたとしても、多くの場合実害があるわけではありません。
むしろ、自然なもので放っておけば成長とともに勝手に収まったであろうことに、「いつまでもそうしていて恥ずかしい」とか、「もうお兄さんになったのに」と大人が子供の自尊心を損なうような働きかけをして、自己肯定感を下げていってしまうことのほうが問題になってしまうようなケースもあります。
なので、基本的にはあまり躍起になってそれを直さなければと考えるよりも、様子を見ながら適宜考えていけばいいでしょう。
と、ここまでが基本姿勢です。
別に「やめさせる方向で考えてはいけない」と言っているわけではありません。
そこを問題視するあまり、近視眼的になってもっと大きな部分での成長を見落とすようになってしまうことがあるので、そこに気をつけなければならないということです。
ふっちょさんのお子さんはまだ1歳ということですから、外部の世界に不安を感じたりすることは当然あることです。
ここで大人が「タオルをやめさせなければ」と考え、それを子供に働きかけていくと、それがそのままうまくいってタオルがなくても過ごせるようになるかもしれません、しかしそのやめさせる行為がさらなる不安要素やストレス要因となって、むしろ根本のところでの不安感が強まってしまうという可能性だってあるのです。
「タオルは使わなくなったけど、もっと激しい爪かみや指しゃぶりがでてしまった」「笑わなくなってしまった」「自慰行為をするようになってしまった」というような、大人の思いとは裏腹に予期せぬ事態を招いてしまうこともあるわけです。
なので僕はこういうケースにおいては、基本姿勢である「放っておいても問題はない」という地点にたった上で、無理のない方法で成長をうながしていくことをします。
それは、タオルに頼ることをことさら問題視しそこにアプローチを重ねるのではなく、全般的な成長や楽しい経験、「受容」などの親子間の関わりなどを通して心を成長させていくことで、間接的にそれの解決を目指し、その問題の影響を長いスパンで小さくしていければそれでいいという考え方です。
| 2014-07-28 | 相談 | Comment : 8 | トラックバック : 0 |
相談 歯磨きをいやがる(2歳7ヶ月) ー「しなくてはならないこと」への基本姿勢ー - 2014.07.26 Sat
おとーちゃんさんのブログを読み始めてから、私の子供に対する対応を改めることができました。本当にありがとうございます。子供と接することが楽しくなりとても可愛いです。
現在2歳7ヶ月の息子は、少し前にイヤイヤがおさまってきて楽になったな~と思っていました。
ところが、最近歯磨きとお風呂で頭を洗うことに対して、号泣しながら抵抗するようになりました。
頭は、主人と一緒に入ったときに、お湯が熱かったようでそこから駄目になったようです。歯磨きは原因が分かりません。
今の私の対応は、ある程度は本人が納得するのを待ちますが、ずっと泣かれると苛々してしまい、寝る時間も迫ってくるので、強引にやってしまっています。
この場面以外では、おとーちゃんさんがいつも書かれているように、先回りした関わりをして、心のパイプをつなげるように意識しています。
保育園に行っているので、帰宅後は一緒に楽しく過ごしたいのですが、最近夜の時間が憂鬱になってしまいました。
お忙しいとは思いますが、意見を聞かせていただけると嬉しいです。
これと同じ質問をブログの上だけでも二桁は受けていると思います。
それだけ子供のこの姿は多いのでしょう。
このことに対して、「どうすべき」という正解というのはないと思います。
その頭を洗うときのように熱かったり、痛かったりした経験からいやがるようになってしまったのかもしれませんし、
眠い・疲れたというときなので、そういう形でぐずりをだしているのかもしれません。
また、受容をしてほしくてその出し方のひとつなのかもしれません。
ほかにもあるでしょうし、それらが複数あるのかもしれません。
なので、こうすればこうなります的に答えがあるわけではない問題です。
僕はどういうやりかたをしても間違いはないことだと思います。
なぜなら「やらなくてはならないこと」だから。
歯磨きに限らず、お風呂や着替え、薬を飲むこと、薬を塗ることなどなど、こういうことは生活や健康のためにしなくてはならないことです。
それだけにとどまりません。
安全・危険に関わること、こういうことも「伝えていかなければならないこと」です。
もっと言えば、保育園に預けることなどもそうです。
これも、仕事などのなんらかの事情があって、「預けなければならないこと」です。
どれも本当のところでは選択肢はさしてないことです。
歯磨きやお風呂など健康、生活のためにしなくてはなりません。
「しないでいい」という選択肢はもともとないわけです。
安全・危険もそうです。
子供が泣いてもなんでも伝えなければならないことであれば、子供にしっかりと伝える必要があります。
命や身の安全を守るためにこれも選択肢はさしてないわけです。
保育園に預けるのも、大人は事情があって預けなければならないわけです。
子供がいやがるからといって、おいそれと「じゃあ今日はお休みしましょう」ということはそうそうできないはずです。
どれも「しなければならないこと」なわけです。
しかし、子供はしばしばこれらを嫌がり、泣いたり、抵抗したりします。
だからといって大人が気弱になって、ひよってしまってもあまりいいことはありません。
どれほど子供の気持ちを尊重したところで、最終的には「やらなければならないこと」であるのは変わらないからです。
「やらなくてはならないこと」であるならば、大人は最初から終始一貫して自信を持って子供に臨んでいくというのが大人として、また子供にとっても最善の態度です。
だから、よしんば最終的に泣く子に強引にするというのだって僕はかまわないと思うのです。
大人がそれをすべきであると自信をもって子供に対しているのであれば、それで親子間の信頼関係が揺らぐものでもありません。
別のところで受容できていればなにも問題ありません。
対して一度大人が子供の態度に負けてひよってしまってから、最終的にごまかしなりなんなりを使ってするというようなことをしてしまうと、それは親子間の好ましい関係にはならないでしょう。
これがこの種の問題の基本姿勢であると僕は思います。
別に必ずしも、無理矢理に強引にやりなさいと言っているわけではありません。
でも、「しなければならないこと」に対しては大人はそのような基本姿勢を持っているべきだというわけです。
で、基本姿勢をはっきりさせといた上で、僕ができるアドバイス的なものとしては・・・
こういった「しなければならない」ということになると、大人はついつい余裕がなくなってしまいます。
よくあるところでは、食事なんかもそうです。
「しっかり食べさせなければ」
「残さず食べさせなければ」
「マナーを守らせなければ」
などなど、「しなければならない」ということが念頭にあると、大人は短絡的に結果を求めたり、関わり方や表情が険しくなったりすることがよくあります。
こうなってしまうと、余計に子供の抵抗感というのも大きくなってしまいますので、嫌がる姿もさらに大きなものとなりかねません。
食事について述べるとき、僕は必ず「〇〇できること」よりも「食事がいいものである」ということを大事にしましょうと言っています。
歯磨きなども、親子の関わりの時間とでもとらえて、できるだけ「いいもの」としての位置づけにしておけるといいと思うのです。
そうすけママさんの場合は、すでに息子さんもその時間を泣いて過ごすものとなってしまっていますから、そうそう簡単に喜んでやると言うようにはいかないと思いますが、ちょっと表情とか柔らかくして臨むといいかもしれませんね。
たとえば、楽しく絵本を読んだ延長でその雰囲気のまま歯磨きをしてあげるというようなことが考えられます。
また、歯ブラシの異物感というのに抵抗のある子も多いです。
先ほどの基本姿勢にしたがって、「それでも泣いてもわめいてもやる」でもかまわないのですが、一応こんな方法もあります。
歯ブラシの異物感、歯磨き粉の食感などが苦手な子供も多いので、歯磨き粉なしでならばわりと平気なようであれば、ブラッシングだけにしておくとか、歯ブラシが苦手な子にはベビー用品などでよくある指サック型の指歯ブラシや、シートタイプの「歯磨きシート」「ペーパー歯磨き」「歯磨きティッシュ」(会社により名前がまちまち)などを使って、とりあえず抵抗の少ないところで、まず「いいもの」としての歯磨きの習慣を作ってしまいます。
大人も気持ちよくやってあげて、多少不十分と感じても少しでもできたことを認めて、褒めたり、それを親子のコミュニケーションスキルとして楽しんだりの経験として積み重ねていきます。
そうやって徐々になれていってもいいのではないでしょうか。
本当はこれは0歳の時から途切れずに習慣化していけると、無理なくできていくのですが、保育園に預けられるようになったことをきっかけにそれまで平気だった子供が、強く抵抗感を示したりということはあるでしょうね。
まあ、そういう場合は別のところでおぎないをつけることにして、基本姿勢で通してしまうのもやむをえないでしょう。
| 2014-07-26 | 相談 | Comment : 6 | トラックバック : 0 |
相談 保育園での食事指導に疑問(3歳) - 2014.07.24 Thu
もうすぐ3歳になる娘が、ご飯をスプーンですくってお味噌汁につけて食べたり、ご飯全部をお味噌汁の中に入れて食べたりすることがあります。聞くと、保育園の先生からそう言われたようです。娘はなんでもよく食べ、好き嫌いはありません。ただ、家でも私が見ていないとおかずだけ食べてしまい、ご飯が残ってしまうため、きっと保育園でもそうなんだろうなと思います。が、ねこまんまを保育士から誘導されるというのはどうでしょうか?マナーや咀嚼、それぞれのせっかくやの味を考えると、あまりそのような食べ方をして欲しくないところです。
絶対にダメとは言いませんが、一般的にそのような食べ方の指導はいかがなのでしょうか?
僕はこれ逆のケースはわりとよく経験しています。
逆というのは、普段家庭でおつゆかけご飯にしてしまっている子が、園で保育士にそれをしないできちんと食べなさいと指導されるケースです。
保育士は家庭外の外の社会を代表してマナーや文化的なものも伝えたいと思っていますし、ご指摘のとおり咀嚼などの発達の面からそうなっている部分があると思います。
その保育士はあまり細かいことは気にしない人なのか、「食べられること」を重視しているのかもしれませんね。
まあ、問題はどちらがよくてどちらが悪いということではないでしょう。
もし、園側に伝えられるのならば、「家庭ではたくさん食べられることよりも習慣や正しく食べる経験を重視していますから、そうさせないでください」と申し入れてもいいですし。
それとは別に、家庭で正しいと思うことをしっかりと伝えていけば子供には家庭の方が影響力のあるものですから、外で家庭のやり方以外のことをしていても、最終的に身につくのは家庭で伝えた経験の方だと思います。
なので、「保育園ではたくさん食べて欲しいからそういうふうに先生は言うかもしれなけれど、お母さんはこういうふうに食べられるようになることを身につけて欲しいと思っています」ときちんと子供に伝えていくといいと思います。
ちなみに「指導の仕方」として質問されているようなので、それについてお答えしておくと、
この場合の、現代的な保育の考え方での正解になるであろうと考えられることは、(あくまで保育園側から考えた場合ですが)
どちらが正しい正しくないという問題として考えるのではなく、
・まず家庭のやり方を尊重すること
・次に家庭と連携をとって、それについて保育園はどう考えるか伝え、家庭としての考えを聴き、その上でどう対応していくかを両者で方向性を話し合い同意のもとにそれを進めていく
ということだと思います。
これができずに「私の考えは正しい」と勝手に進めてしまうことは、よしんばそれが本当に正しかったとしてすら、数々の齟齬を生み本当に子供のためになるとは言えません。
このことができない保育士が多く、これによる家庭間とのトラブルというのをよく聞きます。
特に母乳や排泄の自立に関してがとても多いです。
家庭では授乳をコミュニケーションの重要なものと考えているのに、園で保育士が子供に対して「まだおっぱいを飲んでいるのは恥ずかしい」と言ってそれを勝手にやめさせようとしたり・・。
これなどは保育士が自分の主観のみで他者の家庭に踏み込んでいるわけですから当然許容されることではないのですが、そういった点に無自覚になってしまっている保育士がたくさんいます。
これは保育士が職業倫理のひとつとしてわきまえておかなければならない点です。
このむーみんさんのケースでは、おそらくそもそも園側に家庭と考え方の違いがあることに気がついていないのでしょうから、そういう点は家庭から伝えていく必要があると思います。
| 2014-07-24 | 相談 | Comment : 10 | トラックバック : 0 |
機械に子育てはできない Vol.1 ーリスクがあることー - 2014.07.20 Sun
それはどれほど技術が進歩したところで、「機械に子育てはできない」ということです。
「ははは、そんなことはわかっているさ」と多くの方は思うかもしれません。
ではもう一歩進めて言うとすると、「機械に子守りをさせることはリスクがある」ということを頭の片隅に置いておくべきだと思います。
心の発育を阻む「1歳児のスマホ」
精神科医の方が書かれているこちらをご覧になっていただきたいと思います。
それによると、
すでに0歳児で24%の子供がスマホやタブレットを使用しており、1歳児では74%、2歳児で85%、それ以降はずっと90%ともなるそうです。
これはもうすでに大多数の子供が「機械に子守り」は当たり前の状態で過ごしているということではないでしょうか。
はっきりと言います。
これは非常にリスクのあることです。
リンク先でも述べられていますが、それらは魅力的で刺激に富んでおり、まさに手に取るようになんでもできてしまうからこそ、自分の想像力を使う必要がなくなってしまうのです。
それはただ単に「想像力が伸びない」ということだけを意味するのではありません。
その状態に慣れきってしまうと、現実の実際の感触のある世界のほうには魅力を感じなくなってしまうのです。
例えば積み木などで遊ぶことよりも、スマホやタブレットのアプリから手っ取り早くボタンを押したり、ただ見ることで刺激や快感を得ることを選んでしまうようになります。
脳生理学の実験でこのようなものがありました。
動物の脳の満腹中枢に電極を差し込んで、その動物自身がボタンを押すとそこに電気が流れ満腹感を得られるようにしておく、するとその動物は常にそのボタンを押し続けるので、実際の食べ物を置いても何も食べずにやせ細っていくのだが頭では満足を得ているので平気な顔をしながらただただ衰えていくというものです。
手軽に子供に満足を得させて、実際の経験に向かわせずに済ませてしまうということは、僕はこの動物実験で見られることにとても似通っているのではないかと感じます。
大人が何気なく見ている子供の行動のなかには、目に見える部分だけではないたくさんのことが含まれています。
積み木や、砂遊び、水遊びなどすることは、ただ遊んでいるというそれだけではありません。
そこから想像力や空間認識力、思考力、判断力などを少しずつ得ているのです、しかしそれだけでもありません。
さらに、それらから情緒の安定・発達、感覚統合といった心の成長をも得ています。
わかりやすいところで言うと、こういう発達は「キレる子」などにならないために必要なものなのです。
スマホやタブレット、パソコンなどで、子供が楽しく時間を過ごしてしまうということは、大人からはとても便利なことかもしれません。
便利さだけでなく、「子供の知能を伸ばす」「○○を身につけさせる」(例えば英語や計算力など)という企業の謳い文句から積極的にさせているという人もいるかもしれません。
でも頭の片隅に必ず置いておいてください、それらは上で述べたように実際の経験からしか得られないさまざまな成長に必要なもの、そこからくるさまざまな心の成長と引き換えにして得ているのです。
実ははるか以前からこの問題はあったことです。
それはテレビです。
ビデオ・DVDの普及でそれはさらに進みました。
でも、まだテレビはスマホ等に比べると、手軽に持ち運べるわけでもないですし、スマホ等が持つ能動性(押したりして子供からアプローチできること)が少ないですから、一部のテレビ漬け、DVD漬けになってしまっている子供以外はさほど(それでも少なからず多くの子供に影響はあたえているのですが)問題はでていませんでした。
でも、スマホやタブレット、PCなどは、いくらでも子供向けのアプリが作れてさらにそれのもつ全能感というものは大きくなっています。
子供はより現実の経験をしないでずっと多くの時間をそれらを使って過ごすことになっています。
先日もテレビにまつわる相談を上げましたが、これらは一度そういうもののある生活に慣れてしまうと、いざ子供の姿に問題が出てきたと感じても、そこからその影響や習慣をなかったことにするのは大変難しいものです。
目先の便利に誘われてちょっとだけ大変さを回避したつもりが、あとでとんでもない大きなツケとして突きつけられてしまうということがありえます。
アプリの中には「お子様の想像力を育みます」などのように言っているものもあるかもしれません。たしかに大人がそれを見ていると、その機能などを使ってどんどん新しいことを見つけて想像的に遊んでいるようにみえるかもしれません。
じゃあそればかりしてきた子に、良質な積み木を与えたらものすごく想像力を駆使して遊ぶかというと、それはイコールではないのです。
アプリの上で想像的と見えたものは動きや操作をすることによる刺激などに誘導されているものであって、本当に子供が想像力を使ってそれに邁進していたのとは似て見えるだけで同じでないということもたくさんあります。
例えば、アプリの上で積み木や型はめのような遊びがあったとしましょう。
そこで指を使って画面上の積み木を積み重ねていきます。すると、動かしている積み木が別の積み木の上に乗っかると、画面になにか視覚に訴える動きがあって、「ピコン」というような心地よい音がします。
子供はどんどん想像的にそれを積んでいるように見えるかもしれませんが、それはその画面の反応と音の反応という心地よいご褒美があるからそれに誘導されているのです。
それは現実の積み木とは違うものです。
その子に現実の積み木を与えても、さして遊ばないかもしれません。
少しでも手にとって試してみるならばまだいい方で、そこで泣きわめいてスマホを出せと要求するかもしれません。
もしくは、最大の刺激になる「壊すこと」だけでしか快を得られずに、自分では積まず周りの子が作っているものをただ壊して回るという遊びをするかもしれません。
もちろん中には現実の積み木も遊べる子もいるでしょう。
しかし、スマホ等の影響に慣れてしまうということは、それでは遊べなくなる(=現実の経験が二の次になる)というリスクを大人が率先してあげているということなのです。
先程も言いましたように、想像力と遊びということだけではありません。
情緒などの心の発達にも関わるのです。
スマホの上ではいろんなことがなんでも簡単にできてしまいます。こういう感覚を「全能感」といいます。
でも、実際の経験はそのようになんでもが思い通りにいくわけではありません。
すると、子供は現実の世界に「イライラ」をたくさん感じます。
モノゴトに積極的に取り組む意欲が低下したり、ちょっとうまくいかないことで感情を激したり、八つ当たりをしたり。
これらが積み重ねられると、ただ気分の問題でそのときだけではなくなってしまいます。
その子の性格的なものへとつながってしまうからです。
習慣的になっているものの影響をおさえることは簡単にはいきませんから、これは困ったという姿がでてからやめようと思ってもそうそううまくいかないのです。
人によっては、その子供の難しい姿を出させないために、さらにスマホなどを与えてその場をしのいでいくという選択をするかもしれません。
これでは問題解決のために、その原因を与えているのですから出口はありませんね。
機械に子育てはできません、本当は機械に子守りもできないのです。
現代社会では親がこのことをきちんと踏まえていなければ、そこから出てくる問題はけっして避けられません。
絶対に使うなとも言いませんが、幼少期はできるならば使わないで過ごせる方がいいですし、やむを得ず使うとしてもそれの影響の少ないよう最小限にして、その分、身体を使って戸外や自然物でしっかり遊んだり、感覚を使う遊び(砂や水、泥、積み木など)をきちんと提供することでそれとのバランスをとることを忘れてはならないと思います。
そのうち時間のあるときに、この問題の実例についても触れたいと思います。
| 2014-07-20 | 心の育て方 | Comment : 21 | トラックバック : 0 |
相談 テレビをつけないとごねるようになってしまった (1歳3ヶ月) - 2014.07.19 Sat
相談というか、アドバイスがあれば教えてください。
4月から保育園に預けてまして、私が洗い物をする時間=朝・夕のご飯が終わったら、TVをつける習慣がついてしまいました。
最初はおとなしくしてくれるから ラッキー!程度で見させ始めたのですが、最近はご飯終わるころTVを見せろ!という感じでグズります。
酷いとき(夕飯が多いです)はご飯があと少し というところでもギャンギャン泣き出すことも。
もちろん、ご飯は食べ終わってから、夕飯の場合は歯磨きまで終わらないと、どんなに泣いててもTVは見せていません。
保育園へ預ける前は「なるべくTVは見せない」と頑張ってたのですが、今はTVに頼るようになっているのも事実です。
私はどちらかというと「弱い人」かもしれないのですが、ギャン泣きが始まり、言い聞かせをしてもグズグズ・ギャンギャンされると 悪いと思いながらも「うるさい!」と怒鳴ってしまうこともあります。
一概にTVが原因とは言えないと思いますが、悪循環ループを絶つには、TVを止めることなのか。。。 満足感を与えられるように もっと接することなのか。。。模索してます。
何かアドバイスをいただけると幸いです。
この相談に限らず
「家事などのためにテレビを見せておとなしくさせていたら、しだいにそれが習慣になってしまって困った姿がでるようになっている」
というこの種の悩みはとても多いです。
ただ、表面的には同じテレビにまつわるゴネだとしても、その内容というのは実のところいろいろです。
単なる、おもしろいもの・刺激の強いものとしてテレビを見たがるということもあれば、ねっこに何らかの不満がありテレビのことを理由に自我を出して親にそれをぶつけているというものもあるでしょう。
コメントから推察するに今回のご相談の件は、後者の要素が強いような気がします。
保育園には毎日何時間くらい預けられているのかな。
昨今の父母ともにフルタイムで働いていて祖父母などのサポートもなく核家族で、仕事を終え迎えに行ってから母親が家事をするという保育園にきている平均的な家庭だとして考えてみます。
これを子供の立場から見てみると、
だいたい9~10時間くらい保育園に預けられて、ようやくお母さんがお迎えに来てくれる。
大人もフルタイムで毎日仕事をしていれば、それが終わったあとの頃には疲れているものですが、やはり子供も同様に精神的にも、身体的にも疲れています。1歳3ヶ月というつい最近まで本当の赤ちゃんだった子からしたらそれはなおさらですね。
そしてそこに、甘えたい・受け止めて欲しいという気持ちを我慢していた分という保育園に預けられている子供特有の気持ちがあります。
お父さんお母さんは、子供のためにと一生懸命夕食の準備をしてくれているわけですが、子供にはそこまでの事情を斟酌して考えるということは難しいですから、
「わたしは今日一日がんばっていたんだよ、もっとわたしを見て、受け止めてっ!」という気持ちがでてぐずったり、ごねたり、家事をする大人の足にまとわりついたり、泣いたりをします。
(↑別に家事をしないで子供に向き合えと言いたいのではありません。子供の方の側面から物事を見ているだけです)
こういうときテレビを見せて待たせておいてその間に家事をしてしまうということはよくありますね。
テレビは刺激によって子供をひきつけてくれますので、そういう状況の子供も一時的に気を紛らわせてくれたりまします。
いい悪いはべつにして、現代の家庭のあり方を考えたらこのようなことも仕方のないことかなとは思います。
ここでもう一度子供の側から見てみましょう。
テレビでもって一時しのぎにはなるのだけど、根本のところでの
「わたしは今日一日がんばっていたんだよ、もっとわたしを見て、受け止めてっ!」
は解消されたわけではありませんね。
その気持ちは変わらず持ち越されているわけです。
そして、大人を責めるわけではありませんが、食事の用意をしているときの大人の焦っている気持ちや、子供のグズグズした姿にイライラしてしまう気持ちなどは、その持ち越されているところにさらに乗っかって大きくなっています。
いわば、「受け止めてもらいたい・甘えたい」という気持ちがさらに募っているわけです。
この気持ちが欲求不満としてくすぶっています。
それが娘さんの場合は、「テレビを見せろ」という要求として爆発させることで出すようになってしまっているのではないでしょうか。
おそらく1歳3ヶ月の娘さんで保育園に預けられている状況ということでは、純粋にテレビが見たいという要求である可能性は低いのではないかと思うのです。
朝にしても夕方にしても、「受け止めてもらいたい」という要求が根っこにはあってそれがテレビということを理由として出しているのではないでしょうか。
(ただ夕方の場合はそのほかに、心身の疲れからゴネが出やすくなっているという状況もあるかもしれません)
つまりこの場合ならばテレビのことは問題の本質ではなく理由づけに過ぎません。
そこを踏まえると解決する方向というのは見えてきます。
個々の子供、状況により実際の対応方法は様々ですので一例としてあげておきます。
まず、大人の方の姿勢です。
原因がそこにあるのだと思えれば、ちょっと大きな視点からおおらかに見やすくなるのではないでしょうか。
子供のゴネを真正面から受けてしまうと大人の方もイライラが募ってしまうのですが、「ああ、本当は受け止めて欲しいんだな」とわかれば、ちょっと子供のその姿にも余裕を持って応じることができやすいかと思います。
そう思えれば、子供がごねても「もう少しで美味しいご飯できるからまっててねー」と明るく返してあげられるかと。まあ大人も疲れているでしょうからそううまくばかりもいかないかもしれませんが。
もし、そうできれば少なくとも子供の「受け止めて欲しい」という欲求不満に、大人がイライラしているということからくる不満の超過料金を上乗せしなければならなくなることはやや抑えられるでしょう。
もし、家に帰ってきてからご飯を作ったりするまでに余裕があるならば、少しの時間でも子供と向き合って、「かわいいかわいい」をする時間を設けたり、歌を歌ってあげたり、「じゃあご飯を作る前に一冊だけ絵本を読んであげるね」などのように、「あなたを見ていますよー・ちゃんと受け止めてあげますよー」というメッセージが送れるだけの時間を持つことで、多少(完全には無理だとは思いますが)子供の方にも落ち着きが持てるようになるかもしれません。
ただ、その短い時間だけでは完全に満たすことはまず無理ですので、返ってあとを引いてその時間からゴネが伸びるかもしれません。
でも、そういう時間を毎日持つことを継続していくことで、「ああ、お母さんはわたしのことちゃんと見ていてくれるのだな」という実感が持てればその後にはだんだん収まっていくかもしれません。
その時間は前に持たずとも食事などが落ち着いてから持つことでも効果があります。
ご飯を食べ終えたら、子供と向き合う時間を作ったりお風呂にゆったりと入ることで子供に安心感をもたせたり、など。
どちらも重要なのはルーティンにしてしまうことです。
気が向いた時だけでもしないよりかはいいかとは思いますが、それだと子供は「安心感」まではなかなかいきません。
毎日そのような時間が変わらずくることを子供自身が認識できることで、落ち着いて過ごせるための「安心感」が得られます。
なので、短くてもいいから毎日繰り返し向き合う時間というのを決めてそれを続けていくのがいいかと思います。
例えば、「帰ってきたら一冊絵本を読んでから食事の準備を始める」というのをすることにしたとします。(↑これは子供に合うものを選んでやってください。絵本でなくてもいいです。簡単にくすぐりだっていいでしょう)
すると、それを始めた最初のうちは、そのお母さんが向き合ってくれる時間がいつ来るかわからないので、それをしてももっともっとと返ってごねる姿がつのるでしょう。
でも、一冊読んだら「じゃあ、お母さん○○ちゃんのご飯つくってくるね。食べたらまた遊ぼうね」とおおらかな気持ちで笑顔で食事の用意をします。
子供はごねるかもしれないけれど、大人を困らせたくてそれをしているのではなく受け止めてもらいたい欲求から自然と出てしまう姿なのでおおらかに、そこにイライラしないように「はいはい、わかってますよーもう少し待ってねー」と笑顔で受け流してしまいます。
たぶん当初はお母さんが受け止める姿を出してくれるようになると、いままでは我慢して小出しにしていたものも、「それっ受け止めてもらえー」とばかりたくさんだしてきますので、一時的には大人からゴネに見える姿というのは増えるかもしれません。
でも、笑顔で受け流して当面乗り切ってしまいます。
そして食事が終わったあとで落ち着いた時間に、また向き合う時間をルーティン化して作っていきます。
その時間の長さはあまり問題ではないと思います。
大事なのはその密度です。
この場合の密度というのは、まず「おおらかなゆったりした大人の気持ち」
←これがなんといっても大切です。
これを持っていられれば内容などなんだっていいといっても過言ではありません。
これをもって向き合ってもらうというのが子供にとってとても重要です。
「今日ねー、お母さん仕事でこんなことがあって大変だったんだよー」などと、自分のことを話したとしても「ゆったりしたおおらかさ」というものを持って向き合ってもらうことで子供の気持ちというのは満たされます。
この向き合ってもらう時間がルーティン化して、毎日ちゃんと向き合ってもらえるのだと子供が認識できるようになると、安心感をもって家事をしている間など比較的落ち着いてすごしやすくなります。
とは言っても、朝ならば「お母さんともっと一緒にいたい・保育園に行きたくない」という気持ちや、夕方ならば心身の疲れなどからゴネたくなることは実際たくさんあるでしょう。
でも、対応は基本的に同じ。
「ちゃんとあなたのことを見ていますよ、(今は無理でも)受け止める用意がありますよ」という姿勢を出していくこと、そしてそれに安心感を持てるようにすることです。
実際のところはわからないけれども、多分テレビに関することはこの問題の本質ではなく、↑このことが根っこにあることではないかと思います。
これで安定化したらテレビのことはさほど出さなくなるかと思います。
たぶん・・・テレビのことは
>夕飯の場合は歯磨きまで終わらないと、どんなに泣いててもTVは見せていません。
このりなさんの姿勢が(別にテレビを見せないという方針がよくないということではありませんよ)娘さんからは
「自分を受け入れてもらっていないように・自分を拒否されているように感じられている」ので、「お母さんが拒否するテレビを見せてもらう」=「自分を受け止めてもらうこと」になっていて、テレビにこだわるのではないかと推察されます。
| 2014-07-19 | 相談 | Comment : 9 | トラックバック : 0 |
相談 モノの貸し借りができない(2歳) - 2014.07.17 Thu
最近もうすぐ2歳になる息子が、自分のおもちゃを弟や友達が使おうとすると、阻止しておもちゃを取り上げてしまうことが続いており、対応に困っている時にこちらのブログに辿り着きました。人が遊んでいるおもちゃを取ることはほとんど無いのですが、友達が家に遊びに来た時は、いちいち友達が使おうとするおもちゃを先回りして取ってしまいます。。
こういう場合、どのように対応したらよいのでしょうか。。砂場でおもちゃを取ってしまう時の対応と同じでよいのでしょうか。。「何でおもちゃを貸せないの!」と、ついつい理屈で怒ってしまい、本当にこれでいいのか?と悩んでいるここ最近です。幼稚園に行って集団生活が始まれば、このままではダメだと自分で気付くんじゃない?と周りに言われたりもしましたが、そうではなく、何か親としてできる対応はないのかなと思い、是非アドバイスを頂きたく存じます。どうぞ宜しくお願い致します。
このことはコメント欄での返信や相談カテゴリの記事としてすでにいくつかあるのですが、とても多い相談なのでここでも載せておきます。
結論から言うと、貸せなくて当然のことであり、そういう発達段階なのです。
友達を家に呼ぶ前に、貸していいものと、どうしても貸せないものを子供と話し合って貸せないものはしまってしまう。
相手にはいまうまくモノが貸せない時期なので、自分のおもちゃを持参してきてもらうことなどをお願いするといいでしょう。
詳しくは↓こちらの過去記事に書かれています。
相談コメントより 「自分のものへのこだわりが強くて、貸してあげられない」
乳児期における「友達関係」について
| 2014-07-17 | 相談 | Comment : 3 | トラックバック : 0 |
相談 乱暴な友達との関係(2歳4ヶ月) - 2014.07.17 Thu
相談なのですが…2歳4ヶ月の娘がいます。娘が2歳になる少し前に公園で会って仲良くするようになった3歳1ヶ月の男の子がいます。
あまりに乱暴なため最近付き合い方に悩んでいます。乱暴とは、娘の帽子を投げる、髪を引っ張る、娘に砂を投げる、娘に水をかける、ブランコに乗っていると無理矢理引きずり下ろされる、娘が拾った木の棒などすぐ取り上げる、次を拾ってもまた取る、娘の遊具は片っ端から取り上げる、まだまだ他にも沢山…。娘に抱きついたと思ったらそのまま倒れ混み娘の首のところに腕を回しているのですが離さず娘を押さえつけたり…。私は先日乾いた猫の糞を投げつけられました。最近どんどん酷くなっているような気がします。以前はトラブルがあるから避けるというのは良くないと思い、それに社会勉強かな、なんて思っていたのですが、最近では娘がその男の子を怖がる様になりました。どうするのが最善策なのでしょうか…。 やはり公園を変えるべきでしょうか? 乱文すみません…。 一応仲良くキャツキャ言いながら遊ぶ時もあります。
<乳児期の人間関係は試練にしなくてもいい>
友達関係だけに限りませんが、「子供の成長のためには試練を乗り越えさせなければならない」というように子育てを考えている人は少なくありません。
たしかにそういった面もあるでしょう。
でも、乳児期からそれを子供にあえてわざわざ突きつけていく必要はあるでしょうか?
物ごとにもよりますが僕は子供がごく小さいうちからそれをわざわざ課していく必要はないのではないかと思うのです。
年齢を積み重ねていけば、否応なしに子供が自分自身で乗り越えていかなければならないという機会は訪れます。そのときに安易に大人が手を貸したりしてしまうことは場合によっては子供の経験を奪うことになってしまうかもしれません。
でも、乳児期はまだ子供は自分の力で解決できないことも当然たくさんあります。
その頃から試練を乗り越えなさい式の考え方をしなくてもいいでしょう。
ましてや2歳4ヶ月というのは、そもそもの友達関係ということのモデルすらつかんでいない時期です。
そこで行動が激しかったり乱暴だったりする子供とうまくつきあっていきなさいと望むのは、かけ算もマスターしていない子に因数分解をしなさいというようなものに近いところがあります。
僕はこの段階であえてわざわざそこでの経験を積ませようとしなくてもいいのではないかと思います。
僕はしばしば友達関係について述べるところで、「人間関係というのは本人が自分で経験して乗り越えていくしかないこと」ということを書いています。
これは必ずしも、「子供が困難な状況に突き当たってもそれを乗り越えねばならない」という意味だけで書いているわけではありません。
自分でその状況の対応が困難だと感じたら、その状況を「避ける」ということを経験し身につけるというようなこともとても大事な要素だと考えています。
現実に大人は、なんでもかんでもまっすぐに突き進んでそこでぶち当たった壁を乗り越えていくというよりも、事前にそういうことがあるのを察知してそれをあらかじめ回避したり、もしそういう問題に直面してしまったらそこでいかに身を守れるかということを重視しているはずです。
ときには「避ける」というのも必要なことなのです。
それにしてもなぜその男の子はそこまで乱暴なのでしょう?
原因はさまざま考えられるけれども、その子というかむしろその親の方に今の段階で身につけなければならないいくつかのことがあるようですね。
| 2014-07-17 | 相談 | Comment : 2 | トラックバック : 0 |
子供の姿を構成する三つの要素 - 2014.07.16 Wed
しかし、子供の姿というのはそれだけで導き出されているわけではありません。
今ある子供の姿というのは、大まかに考えて
「関わり」
「環境」(人的、物的含む)
「生まれ持っての気質」
この三つによってでていると考えられます。
「関わり」というのは言わずもがなですが、
「環境」というのは、普通は物的環境のことを頭に思い浮かべるでしょう。
例えば、普段の生活空間がとても賑やかなところで騒がしかったりすれば、子供の姿も落ち着かないものとなったりとそれが影響してくるということが考えられます。子供によっては逆に、その同じ環境がどんなに周りが騒がしくてもそれの影響を受けない落ち着いた子供にするという可能性もあります。
人的環境というのは、直接的な関わりではなく周りにいる人から受ける影響というものです。
身近にいる大人が普段から怒鳴って話すような人だったら子供も同じように大声で話す子供になるかもしれません。
逆にそれと同じ状況でも、そういう大人の姿に萎縮してしまって自分から声を出せない子供になるという可能性だってあるでしょう。
「生まれ持っての気質」というのは、その子のもともとの性質の部分です。
活発であったり、おとなしかったりなどの、その子その子の特性というののある部分は「関わりや環境」から後々獲得したわけではなく、生まれ持ってきたものもあるわけです。
この部分は「いい悪い」で考えられるところではありません。
もともとそういうものなのですから、そこを踏まえてその子の成長を考えなければならないでしょう。
例えば落ち着きのない多動的な男の子がいたとします。
この落ち着かなさという部分が、もしかするとそれまでの生育歴の中で母親からのものすごい過干渉から作り出されてきてしまったことかもしれません。
それとも「関わり」ゆえにではなく、生まれ持っての性質としてそのような部分があったためかもしれません。
また、その両方ということも考えられます。
はたまた、上に兄がいてその子が活発な行動ばかりするタイプで、そこから環境的な影響を受けたのかもしれません。
もしくは、そこで見ている刺激の強いテレビや遊具などの物的環境からの影響があったのかもしれません。
そしてそれらのいくつか、または全部が少しずつあって今のその子の姿がでているのかもしれません。
もし、もともとのその子の気質が主な理由であったとしたら親のそれまでの関わりゆえの問題というのは少ないわけです。
この三つの要素、どれをとっても他の子供や平均と比べることは意味のないことです。
どれもその子その子に属する問題です。
つまりは子供というのは個別的に考えて行かなければならないということでしょう。
日本人のもつ「子供観」「子育て観」というものはとても画一的です。
個々がひとりひとり違うということは理解するのがさして難しいことではないはずですが、そうであってもそこをすっとばして「あるべき子供の姿」に照らし合わせて考えてしまいがちです。
「あなたのお子さんはよくしつけられていますわねー」としばしば声をかけられます。
もちろんそれは褒め言葉としてつかわれていることはわかるのですが、でも裏を返すと「しつけられていない子=大人の望む通りに行動できていない子 はダメだ」と考えられているわけです。
日本人はすくなからず子供をこの視線で見ています。
このことは結果として、子育てする人、特に母親を否定する方向に行きます。
母親自身もすくなからずその観点をもっていますから、誰に言われずとも自己肯定の意識に向かわせてしまいます。
これをしていると子育てはとても窮屈です。
子供の姿にはだれの責任でもない部分もあるし、すべての子供が同じことをしたからといって同じようになるわけではありません。
その点をもうすこし周囲も、子育てする当の人たちも知っていていいのではないかと思います。
| 2014-07-16 | 日本の子育て文化 | Comment : 10 | トラックバック : 0 |
相談 周囲の大人への対応 - 2014.07.13 Sun
こんにちは。おとーちゃんさんのご意見を伺いたく初めてコメントします。子供が1歳になり、ダメと言うことが増えこのまま否定を続ける事は良いことではないのではないかと思い色々調べ2ヶ月ほど前にこのブログにたどり着きました。
今はより可愛い子にするために「ごまかし」「おどし」「ダメ」をなるべく言わずにできるだけ誠実に接するようにブログを参考に実践しているのですが、頻繁に会う実家の実親の子供への接し方がこれらを多用する接し方で実母に対してそれは良くないんだよと伝えるのですが、難しいらしくなかなか協力が得られません。子供になるべく良い接し方をしたいと思っているので、私が実母の対応を不安に思っている事で子供にマイナス(実家へ行くと少し聞かない子になってしまいます。テレビが付けっ放しの環境のせいもあるのかもしれませんが)になっているのならあまり良いことではないなーと思っているのですが、「ダメ!」を多用し、ちゃんと伝えればいいのにごまかしたり、リフトや「テーブルは乗っちゃダメよ」と強制的にテーブルから降ろすしている実母への対応はどうしたらよいのですかね?
結構、細かい事なのでその都度注意をすると実母もなによ私なりに可愛がっているのに‥‥!となりそうですし、かといってあまり良いことではないと分かっているのにそのままにするのは子供にとってどうなのかなと思い困っています。
おとーちゃんさんはどうすることが良いと思いますか?
この種の相談をされたときに僕がたびたび繰り返す言葉があります。
「最も対応が簡単でいて難しいのが大人に伝えることです」
大人相手だと話をして通じるのならば、それは子供にさまざまなことを伝えていくよりもはるかに容易です。
しかし、伝わらない相手にはどうしたって伝わりません。根気よく伝えることでだんだんと変わってくるということもないわけではありませんが、時にはそれでもって関係を壊してしまったりと思うようにならないことも現実にはあります。
この種のことはたくさんあります。
祖父母、配偶者、子供を預けている保育園・幼稚園・学校・・・。
それが正しいか正しくないかというのを置いといても相手には相手の考え・意見、また子育てには単なる理屈ではなくその人の生育歴やさまざまな価値観など身体に染み付いている部分というものも少なくありません。
それらはそうそう改められるものではありません。
現在の自分のしていることがよくないと理解していて、それでその意見を尊重しようと思ってすらそう簡単に変えられないということもあります。
ましてや、その人の意見が理解できなかったり、その問題を見ている視点がそもそも違ったりすれば意見の合意というものに到達することも難しいです。
また、相手のしていることが良くないことだと思われることでも、ある面ではそれらが子供の経験になっていたり、プラスに作用する点というものがないわけでもありません。
例えば、甘やかすだけのおじいちゃんおばあちゃんでも、それが子供にとって受容や子供の心のセーフティネットとして機能しているということだってあるわけです。
保育園や学校であんまりにも厳しくされていてそれは子供のためになっていないと一方からは思われることでも、それが子供の社会性を伸ばす方へ働いているということだってないわけではありません。
それを踏まえますと、なにがなんでも相手の意見をかえようとしなくてもいいかもしれません。明らかな問題があるようなときはまた別ですが。
本当に問題のあることをするのであれば、親として相手の大人と対立してでも伝えなければならない場合もあるでしょう。
ただ、日常のちょっとしたこと
>リフトや「テーブルは乗っちゃダメよ」と強制的にテーブルから降ろすしている実母への対応
こういうことであるならば、それがたまのことであるならば目をつぶってしまっても、普段の生活のなかで親がきちんとすべきことをしてその影響を相殺していくことができるでしょう。
やはりもっとも影響力があるのは、日々の家庭であり親からの関わりです。
そこに自信をもって外野の影響というのはカバーしていけばいいのではないでしょうか。
| 2014-07-13 | 相談 | Comment : 3 | トラックバック : 0 |
相談 弟への攻撃的な行動にどう対処したらいいか - 2014.07.13 Sun
ご相談したいことがあります。
以前、
>園とおうちでの様子が違うことは特にきにすることではないのでしょうか?
>弟に攻撃的なのは娘に「受容」を続けていくことで治まっていくのでしょうか?
と質問をさせていただきコメントもいただきました。
今回は後者の件に関連することなのですが、受容をこころがけ、最近は過干渉、表情にも気をつけて娘に接しています。が、娘(年長組5歳)の弟(2歳9カ月)に対する攻撃的な態度がエスカレートしているのです。
弟に対して過敏に反応します。弟がちょっと娘の持ち物に触っただけで「触らんといて!!」と声を荒げて怒ります。持ち物を手に取ったら「あー!もう、持って行かんといて!!」と弟から持ち物を取り返すまで追いかけて行ったり、時にはつねったり押したりして力ずくでも奪い返します。わざと弟のおもちゃを取り上げたり、一緒に遊んでいたかと思えば弟が自分の思い通りに動かなかったといって「もう遊ばない!」とすねる。弟が何か言えば「えっっ。何いってんの?へんな言い方!」とまだうまく言えないことまで執拗に繰り返し弟を泣かしたり。以前はここまでひどくはなく、どちらかと言えば弟に関わってなかったと思います。
弟も負けてないのでお姉ちゃんが嫌なことをしてきたら、つねったり叩いたりするようになってきました。
おそらく甘えをだせるようになってきて、私を独占したいのだと思います。弟をほめたり関わったりするとすごく反応してきます。弟をほめるときは娘のいいところを同じようにほめたりしているのですが・・。暴言や手を出すのはだめだとそこは毅然と言っていますが、あまりに回数が多いのと怒った後娘がすねてしまうのでどう対応していけばいいのか悩んでいます。娘の攻撃的な態度が弟にも影響を与えているので不安です。
おとーちゃんが以前書かれた「兄弟関係について」の記事を読ませていただき、自分に当てはまることが多すぎてがっくりきました。
>そんなわけで、「素直に甘える」という働きかけが、結果的には兄弟仲にもよい影響を及ぼしていたのではないかと気がつきました。
>「素直に甘える」ということを子供が身につけるために大事なのは、大人の方の「受容的な姿勢」です。
と記事にありましたが、受容的な姿勢をしつつも、娘の弟に対する攻撃的な態度にどう対応していけばよいのか教えていただければ幸いです。
ただ、よくなっている面もあります。
保育園では、体調が悪いこと(耳がものすごく痛かったけど言えなくて、結果中耳炎だった)ややりたいこと(友達に声をかけてもらえなければひたすら園庭をウロウロしていた)を先生やお友達に言えなかったのですが、先生に聞いてみたら最近は、段々とやりたいことを先生に言ったりお友達にも一緒に遊ぼうと言えるようになってきているとのことでした。
また、いけないことをして注意すると、最初はすねるのだけど、そのあと「ごめんなさい。」と言ってくれることが出てきました。(謝ることを強要したのではなくあくまでも自発的に)
「歯を磨こうね」「○○の針までにご飯食べようね」などと言っても必ず「いや!」と言っていたのですが、「はーい」と素直に言ってくれ行動してくれることも増えてきました。
長々と申し訳ありませんが、お時間のあるときで結構ですのでよろしくお願いします。
>受容的な姿勢をしつつも、娘の弟に対する攻撃的な態度にどう対応していけばよいのか教えていただければ幸いです。
普段の関わりで受容がきちんとなされているのであれば、そのような大人が許容できないと感じる行動に対しては毅然と叱るなり、怒るなりをしていいいことだと思います。
ただ過去記事にもあるように叱る怒るという行為は、「受容」(正確には受容が親子間に形成する「信頼関係」)というものがあって始めてきちんと意味をなすのです。
子供がすべきでない行動をとったとき、大人はそれにNOと言わなければならないのですが、その前提条件である「受容」や信頼関係というものがどこまでできているのかが問題なのです。
それが十分でない子に対して怒るや叱るというNOの行為つまり「否定」の関わりをすると、それはその子の自己肯定感を下げます。
自己肯定感の不足は様々なネガティブ行動の原因となって返ってきます。
なので、前提であるそれらがないと子供が問題行動を出した時の対応がどうにもとりようがないのです。
なので、「受容」が大切ということを述べました。
僕からは娘さんの実際の姿が見えませんが、推測するにそのような弟妹に強い攻撃行動を出す子供は多くの場合、弟妹の存在はきっかけに過ぎずそれまでの親子間の関わりになんらかの原因というものがあります。
受容不足ということもそのひとつになりますが、他にも過保護や過干渉、「いいなり」や子供の自我に対してごまかしや釣り、脅しなどのその場しのぎの対応を重ねてしまうこと。わがままを助長してしまうこと、前回述べたような身近な大人の淡白さや無表情などから情緒的な安心を見いだせずに成長してきてしまうこと、などなど・・・。
あげようと思えばたくさんの理由が考えられます。
そういった問題がなくもしくはクリアされているのであれば、攻撃的な姿を示した時に毅然と大人がNOと言えばいいのですが、なにかそういった「原因」となるものがあってのことであれば、そのように一概には言えないのです。
なので、
>娘の弟に対する攻撃的な態度にどう対応していけばよいのか
の部分にどうすればいいかということははっきりと言えません。
もし、なんらかのうまい方法があってその姿をどうにかできるとしても、対症療法てきなものでは結果的に問題を後に持ち越すだけになってしまうかもしれません。
僕が気になるのはなおりんさんがこれまでむすめさんにどう接してきて育ててきたのかという点です。
6月1日のコメントにはこうありました
>仕事に行かないといけないのにぐずぐずされる時、してほしくないことをされてイライラした時についつい大きな声をだしてしまいます。
また次のコメントには感情を伝えるのが不得意であるということも書かれていました。
それらがこれまでの生育歴分の蓄積となってしまっていると考えられます。
子供によってはそのようにされていてもさして問題のない子もいますが、逆に心に大きく響いてしまう子もいます。そういう子は心の中にそれらを抑圧して溜め込んできてしまいます。
それを解消するのには時間がかかることもあります。
現状としては、これまでうまくいっていなかったそういった「受容」を取り戻すということは、今後も現在進行形で続けていく必要があることだと思います。
いま弟さんに攻撃的になっているのは、過去にされた↓こういった対応によって抑圧された感情をいま出せるようになってそれが弟さんに向けられているということが考えられます。
>仕事に行かないといけないのにぐずぐずされる時、してほしくないことをされてイライラした時についつい大きな声をだしてしまいます。
完全にそういう抑圧している部分が解消するのはすぐではありませんが、現在進行形で「受容」や良い感情を表して子供の情緒の安定を図っていっているのであれば、基本的には攻撃的な行動をだんだんと抑えていけるようになると考えられます。
しかし、そういうのが現在さらにつのっているということですから、現在している受容的な関わり方が実際のところうまくできていないか、できているにしもてそれでは追いつかないほどに抑圧されていた部分が大きいということなのかもしれません。
多分いまは叱る・怒るという対応を重ねてもそれはさして通じないのではないかと思われます。
保育園で慢性的に噛みつきのでる子の対応でこのようなことをすることがあります。
噛む方の子をきちんと見ていれば、その子がいま安定しておらずかみつきが出るかもしれない、今日は要注意かなというのを事前に感じられます。
そうしてそのような行動がでそうになったとき、出てしまった時に、抱きとめて「そんなことしなくてもちゃんとあなたのこと見ているから大丈夫だよ」と暖かく伝えてあげます。
たいていの子供はかみつきだとか攻撃だとかを「してはいけないこと」と理解はしています。してはいてもそうせざるを得ない衝動というか理由があってでてしまうのです。
なのでその理由の部分に働きかけることで本当の安定というものを子供に持たせていく関わりが必要になります。
どういう対応をすればいいかというのは、その子供に合わせて様々になってしまいます。
向き合って叱ることで、大人から目を向けてもらえているという実感を得られてそれだけで解消する子もいますし、「あなたのことは大好きだけど、かみつくあなたは困るんです」と優しく伝えられることで解消する子もいます。
しかし、同じその言葉でもむしろそれで火に油を注ぐ結果になって解消しない子もいます。
子供によってその子その子の「出口」というのは同じではないわけです。
ですから、なおりんさんが第一に心がけることは「信頼関係の構築」これは「受容」ばかりではなく、全面肯定であったり、認めたり褒めたりすることであったり、共感であったり、もしくは場合によってはただのんびりする時間「休息」が必要だったりもします。また外部になにか大きなストレス要因などがあればそれの解消が必要でもありますね。
『子供』と『子育て』の価値を高めたい Vol.1
こちらの記事ででてきたAちゃんのような、0歳から休むこともなく休みの日でも習い事に駆り立てられていたようなタイプの子供には確実に受容などのほかにも「休息」が必要でした。
そういったことを試みつつお子さんにあった対応というのを手探りで模索していくことが必要なのではないかと思われます。
基本的には「先回りした関わり」でもって、問題の行動がでたときではなくそれ以前のいい時間にプラスの関わりを少しずつ積み重ねていくことを長い目でしていくというのが遠回りなようではありますが欠かせないことになると思います。
| 2014-07-13 | 相談 | Comment : 3 | トラックバック : 0 |
相談 子供の意思をどこまで尊重するか(6歳) - 2014.07.11 Fri
はじめまして。最近このブログを知り色々実践した結果、イヤイヤが激しかった2歳の息子が劇的に落ち着きました。
今は大変な事もありつつ、毎日息子が可愛くて愛しくて楽しいです。本当にありがとうございます。
お尋ねしたいのですが、子供の服装や持ち物について、どこからが過干渉になるか?です。
6歳の娘は最近、ど派手な服や、ヒールのあるサンダル、派手な色のランドセルなどに憧れを持つようになってきました。
私としては、あまり目立つ服装をして欲しくないし、何よりギャル系は趣味ではない、という気持ちや、軽い子に見える、という偏見もあります。
胸やパンツが見えそうな露出の多い服などは、「見えちゃうから何か羽織ろう」と言えば娘も納得しますし、ヒールの靴なども、足を痛めるから歩く距離が短いお出かけのみ、などルールを決めればきっと納得すると思います。
しかし、派手なランドセルや服(露出はなく、デザインや柄がギャルっぽいだけ)は私の趣味でないだけで、干渉すべきでないのか…と迷っています。
子供というのは社会的に自立するまで親の監督下にあります。
いくら「子供を尊重するのが大切だ」などと社会で言われるようになっても決してそれは変わらないことです。
親がそれはまずいと感じるならば、そこには理論建てて整理されていないとしてもいろいろな理由というものがもともとあるはずです。
6歳の子には判断できない問題もそこにはたくさんあります。
それを判断していくのはほかでもない親です。
そのときに「子供の意志が・・・」などと子供に遠慮していてはそれはできません。
そういった事柄には、毅然と向き合って大人の強権で頭ごなしであってすらいいから、自信をもって伝えていくべきことでしょう。
それ以前から親子間に信頼関係が健全なかたちで築けていたら、それがたとえ子供の気持ちに反することであっても子供はそれを受け入れ理解していけるはずです。
しかし、それまでに子供に「いいなり」であったり、ものでつったりごまかしで子供の意志に応じてきてしまっていたらそのとき子供は受け入れられないという姿がでるかもしれません。
もしそうであるならば、そこからでもいいから大人と子供の関係を見つめ直す必要があるでしょう。
| 2014-07-11 | 相談 | Comment : 4 | トラックバック : 0 |
相談 母子家庭で育てること - 2014.07.11 Fri
2歳11ヶ月の息子がいます。
2ヶ月前から主人と別居を始めました。離婚届は新年度(来年の4月)までに提出しようと思っています。子供は私と暮らしていて、親権ももらう予定です。
おとーちゃんの経験から、お聞きしたい事がいくつかあります。
1. 母子家庭の子供は、両親が揃っている家庭より問題行動が出る事が多いと思いますか?うちの子供はまだ小さいせいか、別居する前と後で、様子の変化は見られません。主人とは週3回外で会っています。
2. 子供にとって、名字は変えない方がよいですか?急に名前が変わると、混乱させますか?保育園で出席を取る時、氏名を呼んで手を挙げさせているようなので、旧姓に戻すべきではないか悩んでいます。
3. 0歳から保育園に預けているのですが、この1年、ほぼ毎朝、別れ際に泣きます。私がいなくなれば気持ちを切り替えて遊ぶようですが、一時期は登園拒否で、保育園まで小脇に抱えて連れて行く毎日でした。子供が気持ちを引きずらないよう、笑顔で「行ってくるね!」と声かけしているのですが、効果は見られず・・。
私と過ごす時間が短いせいかと思い、保育園が終わってからは一緒に遊ぶ時間を多く作っているつもりです。
息子は車や電車が好きなので、早朝保育の時間帯も、そのような玩具を出してくれると助かるのですが、大抵の場合、男の子も女の子も遊べるような(?)、ブロックとままごとセットしか用意されていません。後片付けが大変だから、朝は色々な種類の玩具を出してくれないのかな~?と先生を疑いたくなります。
1について
まず母子家庭だから子供がうまく育たないということはないでしょう。
両親そろっていても問題行動が山積みになっている子供もいれば、母子家庭でもまっすぐ育っている子もいます。
結局のところ問題はその子育ての中身にあるのであって、両親のどちらかがいないからそれがそのまま原因となるわけではないと思います。
ただ、ひとり親家庭で経済的に負担が大きかったり、普段ひとりで子供を見続けなければならないといった子供を育てていくのにまつわる大変さというのは、ひとり親家庭では多くなってしまうかもしれません。でもそれはやりようのあることであって、ひとり親であるということがそのまま問題になるわけではないことですね。
今後の先行きの見通しのもてない状態から不安と心配が大きくなってしまっているのでしょうけれども、ひとり親家庭でも立派に子供を育てている人はたくさんいますから、子供に申し訳ないとか、子供がうまく育たなくなったらどうしようなどと気にしすぎて、その不安と心配を大きくしてしまわない方がいいと思います。
2については
二歳児はまださほど名字に意識がないでしょうから、一時的な子供の気持ちを気にして判断をする必要はないでしょう。
それよりも子供の将来にわたってであるとか、家族間の問題としてきちんと捉えて考えていくべきです。
3ですが
親の姿が見えなくなって気持ちが切り替えられるのであれば、それはさして問題ではありません。
「おかあさんがいい」「おうちがいい」と泣くのは当たり前でとても健全なことです。
逆の方がむしろ心配ですね。
おそらくミーさん自身、ご主人との問題があったり別居を始めたこと、これからの不安など、これまでの期間ご自身平静ではいられなかったことでしょう。
子供はそういうことを自然と感じ取るものですから、余計にお母さんと離れたくない気持ち、不安な気持ちになったりしたとしても不思議ではありません。
子供は大きな柔軟性をもっていますから、多少泣いたりさみしい気持ちがあったとしてもそれを乗り越えていけるものです。
子供の姿をどうこうしようとするよりも、まずはミーさんが新しい生活に慣れ今後の生き方にもそれなりの見通しをもてるようにしていくことが結果的にはお子さんの安定をもたらすのではないでしょうか。
好きな遊具があることでそれに気を引かれて泣くのが減るということがあったとしても、それは一種のその場しのぎでしかないので、そこに大人の気持ちが行ってしまうと本質を見落としてしまいかねません。
とりたててすごいことをしてフォローしていくこともありませんが、子供の難しい姿をマイナスに捉えないようにするのは大切だと思います。
| 2014-07-11 | 相談 | Comment : 2 | トラックバック : 0 |
相談 逆説的な「いいよ」 - 2014.07.10 Thu
先日、テレビを見ていて少し疑問に思っている事があるのですが、子育てアイディアと言うことで、こちらが望まない行動をしているときに、逆説的に「そのままやってていいよ〜」と伝えることで、子供の天邪鬼な所を刺激してその行動を辞めさせると言ったものでした。
勉強をしないで遊んでいるときに、「遊んででいいよ!」みたいな言い方です。
私自身もこう言った言い方をした場合、子供がやめてくれたりするのですが、たまに使ってみたりするのですが、このような関わり方はいかがなものなのでしょうか?
この方法ではうまくいく場合と、うまくいかない場合、全く逆の結果をもたらす場合というのがあるのではないかと思います。
うまくいくケースは二種類
その子が「本当にすべきこと」というのをきちんと理解していて、いましているその行為がそのすべきことにつながっていないと判断できることという前提があれば、どこかでしていることの区切りをつけて自分からその「すべきこと」をする状態にたち戻れるかもしれません。
でも、「本当にすべきこと」という理解がもともとない子、曖昧な子にそれをしたところで、その本来すべきことに立ち戻るというのは期待できないでしょう。
たとえば、食事を座ってとる習慣がなく、立ち歩いて好き勝手に食べることをこれまで結果的に許容されてきた子であれば、座って食べていない状態を「いいよー」と言われたとしても、まったくそれは響かないことでしょう。
うまくいくケースのもう一つは、そのテレビの人がそこまで想定して言ってはいないかもしれませんが、「いいよー」の結果をいくところまでいって子供に自分で責任を取らせるところまでする場合です。
乳幼児にそれを求めるのは無理な場合も多いと思いますが、
例えば小学校の中高学年の子供が夏休み遊んでばかりで宿題を全然しなかったというようなときに、「自分でちゃんと宿題することも考えて遊んでいるのだったらご自由に遊んでいいですよ」と言うように伝えたとして、それで自分でできればそれでよし、もしできなかったとしてそのできなかった結果起きるその子の困った状態というのに自分でとことん直面させることで、どうすればよかったか自分で悟れるように親が見守れる覚悟のある場合というようなときです。
それができるのであれば、このときの「いいよ」は、親が子供を信頼していること、自立心を育てること、自分の行動に責任を持つことなどなどを子供に伝えるプラスの方向に作用するでしょう。
でも、言葉とはうらはらに「させてやろう」という大人の意図でするのだったらば使わないほうがいいと僕は思います。
もし、その「いいよ」で子供がそのまま真に受けて、本来すべきことをしなかった場合、そしてその姿を大人が結果まで見届けさせることなく前言取り消しのような態度・行動を取った場合、その「いいよ」というのは結果的に「大人のついた嘘」であることが露呈してしまいます。
またそのような裏の意図のある言葉、つまりよく言えば「婉曲表現」ありていに言えば「イヤミ」というのは、それが人に効力を及ぼしもしますが裏表のある関わりはあまりいいことではありません。
もし、子供がそこからイヤミでもって他の子供を動かすことを学習してそれをしたとしたら、その姿というのを実際に見たらそれはとても意地悪な姿に見えるものです。
そのような子を実際に何人もみている僕からすると、大人がイヤミな言い方をして子供を意のままに操るくらいならば、よほど「やりなさい」とストレートに言ってしまったほうが情味があるような気がします。
| 2014-07-10 | 相談 | Comment : 1 | トラックバック : 0 |
相談 友達ができない(年中) 自己肯定感と自信 - 2014.07.10 Thu
幼稚園の年中の娘についてなのですが
新しいクラスになってから、お友達が出来ません。
ものすごく恥ずかしがりやで、自分からなかなか声がかけられないのと
既に他の子は仲良しのお友達が出来ており
ますます入るのに躊躇してしまい、いつも一人で遊んでいるようです。
意地っ張りな面もあり、先生が他の子のところに
連れていってくれても「いい」と断り、一人でふらふらと
園庭を歩いていたり…。
家で話を聞くと「一人で遊ぶのが好きなの」と答えたりしますが
寝る前などに「本当は一人でいるのは嫌なの」と本音を話してくれたりします。
参観日に様子を見ていても、いつもつまらなそうにしているので
早く園生活を楽しんで欲しいと思っています。
先生のお話しだと、みんなで何かをする時間に
急に輪から外れて「やりたくない」などと言うそうで
こんな状態でこの先大丈夫だろうかと心配です。
何か親に手助け出来る事はありますでしょうか。
子供にもいろいろなタイプがあるので一概には言えませんが、人間関係というのは自分で経験し乗り越え学んでいくしかないことです。
なので、基本的には「ああしなさい、こうしなさい」と大人が言ってみたり、友達関係が身につけられるようにとなにかセッティングして「友達をつくってあげよう」というようなことをしたとしてもなかなかそれがその子の本当の身になるようになるのは難しいです。
状況に応じてそのような働きかけが功を奏すこともないわけでもないですが、そればかりをしてしまえば子供は自力で人間関係を構築する力が身につかないまま年齢を重ねてしまうので、長期的に見るとプラスとばかりも言えません。
>何か親に手助け出来る事はありますでしょうか。
そういうわけなので、僕からは能動的な働きかけとして「これこれこうすればお友達ができますよ」ということは言えません。
その代わり大人の方の基本姿勢について述べていきます。
まず、人間関係や友達を作ることの苦手な子に「友達を作りなさい」「お友達できるといいわね」というような働きかけをすることは、それが好意からのものであってもその子にとってプレッシャーとなることがあります。
もし、そういうプレッシャーが最初からまったくなかったとしたら、その子は一人でいることを少しも苦に思わず、しかるべき年齢や発達、それのしやすい状況になるまで一人で過ごすことを満喫して、その後自然に友達関係が作れたかもしれません。
しかし、親の方から「友達がいなければならない」というような情報を与えてしまったり、親の友達を作って欲しいという願望を見せてしまったら、その子は苦手なことに立ち向かわなければならないというプレッシャーをそこから作り出されてしまうし、一人でいることがいけないこと、みじめなことと感じてしまうかもしれません。
また、友達が作れない自分というものを強く意識することでそれが自己否定感につながってしまうかもしれません。
人間というのは苦手なことがあってもいいわけです。
「友達を百人つくる」必要も、小さいうちに一生つきあう友達を決めなければならないわけでもありません。
まずはあるがままの子供を認めてあげるということが大人の基本姿勢として必要だと僕は考えています。
このブログで書かれている「全面肯定」ということです。
そのことが子供のプレッシャーを取り去って、いまではないかもしれないけれどもこれから先にそこに生まれた気持ちの余裕が友達関係を作っていく糧になっていけることもあるでしょう。
小説家の村上春樹が昔のエッセーのなかでこのようなことを言っていました。
「子供の頃、周囲から友達を作れという圧力がたくさんあった。けど自分はひとりでいることを苦痛に思っていたわけではないし、子供のうちからどうしても友達をたくさん作らなければならない理由もいまだによくわからない。どうして大人たちはそうすることを子供に強要するのだろう」
20年以上前に読んだので出展も正確な記述もわすれてしまいましたが、そういった内容でした。
友達を作ることが苦手な子供に、「友達をつくりなさい」と要望することは、その子のあるがままの姿を認めないということです。
友達ができないことがどうこうというよりも、この自分の自然な姿を認めてもらえないというのは子供にとって心苦しいことです。
そうしてまで子供に大人は自分の望む「子供像」を押し付けてはならないと僕は思うのです。
なので、友達ができないことの良い悪いは置いておいて、まずは「そういうところがあなたなのだね」「○○ができなかったしても、あなたのことが大好きですよ」というポジションに大人が立たなければ、子供は前向きに自分のことを肯定してそれをモチベーションとして成長していくことができなくなってしまいます。
自分のコンプレックスを見つめながら成長していくことになるのは辛い経験です。
今の段階でなにができなくとも将来どうなるかというのは、そこできまるわけではないのですからとにかくあるがままの状態、それがたとえ大人の目からマイナスに映ることであっても、むしろそう感じてしまうことだからこそそれを認めてあげるという姿勢が必要です。
その上で「ひとりでいるのが嫌なの」と自分で思うのであれば、いずれ自分に力がついてきた時にそこから前へ進もうというリアクションをとることもできるでしょう。
子供集団というのは、その中にいろいろな子がいます。
わがままで自分勝手な子もいれば、意地悪な子もいるでしょう。しかし、その一方で困っている子を助けてあげようとしたり、気にかけてくれたりする子もいます。
また、友達関係が苦手な子というのもそういうなかには必ずいます。
すると、友達関係が苦手な子は苦手な子同士で自然とひかれ合って、そこで友達関係ができたりします。
これは周りの人的環境によるものですから、必ずしもそういう子がいるかどうかというのは他力本願になってしまいますが、状況というのは変わっていくものですから、いまはなくともこの先そういう状況にめぐり合うこともあるでしょう。
砂浜の貝は周りに水がないときは蓋をしめてじっとしていますが、水が満ちてくれば自然と蓋を開けて活動を始めます。
まずは今の状況が全てではないという視点に立って大きく子供を見守ってあげられるといいでしょう。
親が何か出来ることがあるか?と言えば、僕は最初に述べた理由から結果的にプレッシャーになりかねない、友達関係についてのアプローチはしません。
その代わり、それとは全く別のところで、子供を認めたり、共感したりすることで自分に自信をつけるという関わりを勧めます。
なにかすごいことをしなさいということではなくて、なんでもいいのだけど例えば。
スーパーでゼリーの素を買ってきてそこに切った果物をいれて子供と一緒に作る。それを親子で食べて「おいしいねー」と笑顔で言い合う。
このようなたったこれだけのことが、子供に自己肯定感を持たせ、自分を好きにして、自信をつけることになります。
それをお父さんにも「○○ちゃんがつくったんだよ」と出したのをお父さんが喜んでくれたらそれも自信になるし、そこで「おいしいよ上手にできたね」と褒められたらそれもまた自信になります。
こういった積み重ねが、子供に不得意なことも自然と乗り越えさせてしまう力になります。
また、それまでの子供の「受容」の経験というのもこの自信をもたせることにもつながります。
過保護・過干渉は多いのに「受容」の経験の少ない子は自分に自信が持てなくなっていたりもします。
そういうケースだと、大人の方は「こんなにも子供に手をかけてきたのに、どうしてこう思うように育たないのだろう」という気持ちになることもしばしばです。その気持ちが余計に子供の姿をネガティブにとらえさせ、結果的に子供の自信を奪うほうにいきかねません。
>みんなで何かをする時間に急に輪から外れて「やりたくない」などと言うそうで
こういう行動は、「うまくできる自信がない」「失敗した時にそれを自分に認めることが大きな苦痛としてやる前から感じられてしまう」そういう気持ちから来ていることがあります。
大人からすると「最初からやらないのはできないのと同じじゃないか」と感じてしまい不可解な行動に見えてしまいますが、当事者にとってはそうではありません。
幼稚園というのは、ルールのある社会や、友達や大人との関わりといった人間関係、それまで自分ひとりではできなかった・しなかったことに取り組んだりという様々な経験を練習しに行くところです。
そこは過程であって、必ずしもそこで結果を出す必要はないわけです。だから点数をつける通信簿はありませんね。
子供の苦手部分にばかり注目して心配を重ねてしまうのではなく、あせらずゆっくり見守ってあげることが大切だと僕は思います。
| 2014-07-10 | 相談 | Comment : 4 | トラックバック : 0 |
『子育てと虐待』 Vol.4 交通事故死1万人減 - 2014.07.09 Wed
その講習の中で交通事故死者数がここ数年で急激に減っていることを知りました。
なぜ減っているかというと、数件のむごたらしい飲酒運転での死亡事故をきっかけとして社会的に飲酒運転が問題視されたときがありました。
その頃をきっかけに、社会全体が飲酒運転を是としない機運が盛り上がり、車を運転する人、お酒を提供しているお店、取り締まる側などがそれらを無視できなくなったからです。
交通死亡事故者数がピーク時全国で10000人を超えていたものが、この5年ほどは4000人台となっています。
「飲酒運転はよくない」と社会的に多くの人が認識したことによって、ここまでの明確な違いというものが生まれました。
僕はこの話を聞いていてすぐに子供の虐待死のことを思い起こしました。
昨年全国で虐待により死亡した子供の数は99人です。
この子供を虐待死させた大人たちはなんらかの罪に問われたでしょうか?
この内の多くの人は罪に問われません。
殺人罪などが適用されたのはさらに少ないです。
長男を虐待死させたのになんの責任も追求されることなく家に戻って、第二子第三子をまた虐待しているというような人すらいます。
なぜでしょう。
それは多くが結果的に「事故死」扱いになってしまうからです。
「子供にしつけをした結果の事故」という理屈が通用してしまうからです。
もし、飲酒運転の問題と同じように社会全体が「しつけにおいても叩かない」ということを認識しはじめたならば、この虐待死させられてしまった99人という数字は減らすことができるに違いないと思うのです。
虐待死というのは単なる突然訪れた死ではありません。
その子が殺されるまでにけして短くはない期間、肉体的苦痛と精神的苦痛を味あわされ続けています。
本来ならば自分を守ってくれる立場にいるもっとも身近な大人から危害を加えられるわけです。
その子にとってどこにも逃げ道も出口もありません。
それはとてもとても想像を絶するほど苦しく辛い時間でしょう。
99人は結果にすぎません。
死亡にはいたってなくとも、この出口のない辛く苦しい状態におかれ続けている子供たちは何百倍何千倍といます。
社会が「しつけだとしても叩く必要はない」と考え出すことができれば、この子供たちを多少なりとも救うことができるのではないでしょうか。
それができるようになる社会が来ることを願ってやみません。
↓こちらの本はいまちょっと手に入りにくいみたいです。図書館などでみつかるかもしれません。
| 2014-07-09 | 日本の子育て文化 | Comment : 13 | トラックバック : 0 |
『子供』と『子育て』の価値を高めたい Vol.6 大きな目標と具体的な目標 - 2014.07.08 Tue
親は一生懸命子供に向き合って子育てするのだけど、「不安と心配」の大きさからさまざまな落とし穴に引っかかってしまったり、よかれと思って子供にしていることから返って子供の難しい姿を作り出してしまったりしています。
子供が手に負えなかったり、子供に向き合っている余裕がなければそれがそのまま「重荷」となってしまいます。
それゆえに、子供の世話をしたくない人、できれば子供を誰かに預けて自分で見たくないと感じたり、仕事や趣味など子育てよりももっと別のことをしていたいと思うようになってしまう人もいます。
そのように投げだしてしまいたくなる方にいかなくても、子育て自体の大変さや周りからの視線・プレッシャーに苦痛を感じているという人もたくさんいます。
現代は、「子供」というものと「子育て」というものが実際にはその価値が低くなってしまっています。
その中身は「子供はうざい、むかつく」から「子供は大切ではあるけれども向き合っているのは苦痛に感じる」というようなものまで様々ではあると思います。
しかし、あっけらかんと「子供と一緒にいることが楽しくて仕方がない」という人や「子供がいることで自分の人生は楽しい」と日々感じられるというような人よりもずいぶん、それら子育てをネガティブに捉えてしまうという人は多くなっているでしょう。
この状況というのは変えていかなければならないと僕は思います。
いまの「不安と心配」でいっぱいの子育てから、もっと単純にして日々の子供との生活をお互いに心地よいものとすること。
子育てですることを、具体的に知ることによって子供と関わる中で実際に手応えのあるものにできること。
例えば、毎日キーキーして手に負えなかった子供に一日朝晩くすぐりをするようにしたことで、かわいい姿を見せるようになり大人の言葉を聞こうとする姿勢を持てるようにしたり。
実際に、こういう経験をした人ならばわかると思いますが、このことがもたらすのは子供が関わりやすい、育てやすい姿になるということだけではありません。
それがもたらすもっと大きなことがあります。
それはそれをする親が子育てを自分の手で順転させられるようになることによって、自分に対する「自信」を持てることです。
自分の子供への関わりが子供に対しての明確な意図を持ってでき、それがそのようになることによって子育ての経験を通して親自身の自己肯定感を大きくすることにつながります。
子育てがそのような場とすることができれば、子育ては「いいもの」となっていきます。
しかし、現在はむしろ逆になっていて、多くの子育てする人が子育てを通して、日々自分に対する自信を失う機会となってしまっています。
なので、それらの人達は子供のことを大切に思ってはいても、子育てに向き合うことが辛くなってしまっています。
これでは子供と子育ての価値は高まっていけません。
このシリーズの前の記事で「健康であること」「かわいい子供にすること」二つが子育ての最初の目標であり、それ以外のことはあとからついてくることと述べました。
とりあえずこれが子育ての「大きい目標」です。
世間では「子供にもっと愛情を持って接しなさい」と一口で言ってしまっているようなことを、僕は「受容」「信頼関係」「満たされた子供」などに分解して捉えられるように置き換え、それらが達成できるような実際の具体的な関わりに還元して、それの積み重ねで子育てを作り上げていけることを提案してきました。
これを「具体的な目標」とします。
現代の子育ては闇夜に航海をしているような状態です。
「不安と心配」が大きいと、その気持ちがたくさんのお化け灯台を作り出してしまって、そちらに誘われてしまいます。
でも本当は単純化して、目的地である「大きな目標」の灯台と、通過点である「具体的な目標」の灯台さえきちんと把握していれば、その航海はそうそう難しいものではないのです。
それがきちんと押さえられているのならば、他の小さな灯台をオプションとして意識するということもさほどの問題ではないでしょう。
でも、目標と通過点の灯台を見失っているのに、他の灯台を気にし始めたらなかなか目的地にはつかなくなってしまいます。
僕は子育ては「子供のため」だけではないと思うのです。
大人の方も子育てを通して自己肯定感を高めること、そこにおいて自己実現をしていくことが可能です。
子育てを順転させそれが続けられるようにすることで、シリーズの最初の方で書いた「子供の姿」「親が子供に望むもの」「親が自分のしたいこと」の3つのベクトルの向きも大枠でだいたい同じ方向に向けていくことができると思います。
最近では子供や子育てしている人に対する風当たりというのが強くて、ベビーカーが迷惑だとか、子供の声が騒音であるとかの話がたくさん世間で言われるようになりました。「子供」「子育て」の価値が下がっているのだと思います。
多くの人が子育てを楽しめるようになっていくことで、こういった世間における「子供や子育て」の価値というものも結果的に高まっていくのではないでしょうか。
このシリーズの題名が、『子供』と『子育て』の価値を高めたい だったのは、ひとりひとりの子育てをよいものとしていくことで、それが社会をいい方へと向けていって欲しい、またそれが可能になるのではないかと考えていたためです。
| 2014-07-08 | 日本の子育て文化 | Comment : 11 | トラックバック : 0 |
相談 断乳と預けること (1歳1ヶ月) - 2014.07.08 Tue
今回、断乳について相談させていただけますでしょうか。
もうすぐ1歳1カ月になる長男がいるのですが、私が急きょ1週間の入院と手術をしなければならなくなったため3日前に断乳に踏み切りました。
泣き叫ぶわが子を見ていて、彼にとってはまだおっぱいを離れる時期ではなかったと感じ取れ私もとても辛く感じているところです。
また、入院中は主人に子供たち(もうすぐ3歳の長女と彼)の面倒をみてもらうのですが、普段から主人の具合があまりよくないため、長女が通っている保育園に、私の入院3日前から長男も預ける予定でいます(事情がありもともと1歳を過ぎた頃から預ける予定でいました。)。
彼にとっては断乳に加え、保育園に預けられる、さらに1週間ママと離れる(ママべったりな子です)という3つの試練が付きつけられることになります。
彼の心理面にマイナスな影響が出るのははっきりしていると思います、果たして乗り越えられるのだろうかとも思います。
できるだけ、そのマイナスをカバーできるだけのフォローをしてあげたいと思っています。
また、このことが今後の彼ののびやかな成長を阻害させてしまうものにならないか、心配です。そうならないために今後の生活で心がけていくといいことなど、おとーちゃんさんのご意見を伺いたいです。
ちなみに、長女が通っている保育園は無認可ですが、保育士の数も多く、子供たち一人一人に目が行き届き、子供たちの気持ちを大切に保育してくださっていて、娘も毎日楽しんではりきって通っています(おとーちゃんさんの過去記事を読んでいると、そんな楽しそうな娘も実はどこかで無理をしているのかな?とも思い娘の気持ちを探ってみるのですがよく分かりません。汗)。
息子も生まれた頃から娘の送迎に連れて行っているので場所や保育士の方達のことはよく知っている所です。
規模は小さめで、異年齢でもよく遊ばせるので、だいたいいつもお姉ちゃんの姿を確認できてその点は息子には心強いかなと思います。
保育時間は9時から4時までです。
この相談で問題点はどこにあるかというと、どこにもないのです。
どういうことかというと、この問題の正体というのはセイラさんの気持ちの中にある「不安と心配」だからです。
まず、断乳に関して見てみましょう。
この断乳は、単に漠然と考えた「幼いのはよくない」式の断乳ではありませんね。
断乳する必要があって、そうするしか選択肢がないということの結果なのですから、そこをくよくよ悩んでも何も前に進みません。フォローが必要なことを理解しているのですから、こういうときは大人が腹をくくって「これはやむを得ないことで必要なことなのだ。子供も私もこの状況を必ず乗り越えられる」と覚悟を決めてことに臨むしかないでしょう。
大人の方が「子供が可哀想」「子供に申し訳ない」と思いながら、気持ちをふっきれずにいつまでもその気持ちを出していたら子供は余計につらくなります。
そうするしかないことなのですから、まずは大人の方がふっきってしまうのが子供のためです。
気持ちを切り替えてその分の気持ちをフォローに回すのも、大人が気持ちをひきずってだらだらと子供の辛い時間を延ばしてしまうのも大人次第です。
預けることに関しても、そちらもそうする必要があって、そうしなければならなくて預けるわけです。またその預け先が十分に信頼できるところであることがわかっているのですから、これも腹をくくって笑顔で送り出してあげるのが子供のためになります。
こちらも「可哀想」「申し訳ない」を引きずっていたら、その大人の未練のために子供は余計に辛くなるだけです。
>また、このことが今後の彼ののびやかな成長を阻害させてしまうものにならないか、心配です
この相談の根っこの部分というのは、「心配の先取り」にあります。
>彼の心理面にマイナスな影響が出るのははっきりしていると思います、果たして乗り越えられるのだろうかとも思います。
だからと言って、「やっぱり入院やーめた」とすることはできないはずです。
だったらこの状況に向き合うしかないのです。
その状況に直面してなにか問題がでるかもしれないし、でないかもしれない。それは誰にもわかりません。
じゃあもしでたとして、問題がでたらでたでその時にそれを悩めばいいのです。
きちんと子供に向き合って、そのときできることをしてあげればいいだけです。
子供が育っていく上ではこれから先10年20年といろいろなことが起こるでしょう。
問題をあらかじめ避けて通るようにする必要などそもそもありません。
誰しも問題に直面してそれを乗り越えて成長していくものです。
問題がでることが「悪いこと」ではないのです。
>できるだけ、そのマイナスをカバーできるだけのフォローをしてあげたいと思っています。
その気持ちがあるだけで十分です。
子供は大きな柔軟性をもっています。ちょっとやそっとのことで一生取り返しのつかない問題など起きはしないのです。
今の段階での最大の問題は大人の方が心配と不安をむやみに大きくして、まだ起きてもいない問題を気にかけだしてしまうことです。
それは、子供に対して過保護や過干渉を生み、子供の自立をさまたげ幼いままにとどめおき、依存を生んでしまう可能性を高めます。
子供というのは親が信じてあげないとその子が本来持っている成長する力を十分に発揮することができなくなってしまいます。
親がやるだけのことをやって、見守ってあげ笑顔で送り出したらあとは子供を信じてあげることです。
心配に心配を重ねるのは子供の力を信じないことになりかねません。
それは子供の成長を足踏みさせてしまいます。
このことで大切なのはそういった大人の姿勢・気持ちの問題だと感じます。
| 2014-07-08 | 相談 | Comment : 3 | トラックバック : 0 |
相談 自慰行為 (4歳) - 2014.07.07 Mon
4歳2ヶ月の娘についてです。
娘はワガママやダダコネはありますが、私からみて素直で優しく明るい子だと思っています。
8ヶ月の弟の事は可愛い可愛いと大変可愛がってくれ、見ていて本当に幸せな気持ちにしてくれます。
時々弟のニギニギぺチぺチに本気で泣いて怒ったりはしてますが…。
親バカ目線なので参考にならないかもしれませんが、娘はこのような感じの女の子です。
本題にはいります。
娘が2歳位の時から床にうつ伏せになり足をピンと伸ばしながら上下に動かしてる姿を見るようになりました。
どうやら自慰行為のようで、現在もお昼寝の前と起きてからもしています。
ネットで調べると「問題ない」や「満たされていない」などの情報があり困惑しています。
本人には、これはおうちでだけにしようね。と伝えており外ではしません。
(祖母の家で眠くなると時々していますが。)
あまりにも汗がすごい時はその辺でおしまいにしようよ~と声をかける時もありますが、だって気持ちいいの~と言い止めません。
娘の自慰行為も、おとーちゃんさんの言うネガティブ行動なのでしょうか?
自慰行為にもいろいろあります。
親からのよい関わりがもらえなかったり、過剰な頑張りを要求されていたり、大きなストレスなどにさらされていて出るもの。
これらは、そういう「満たされなさ」が原因となって、それのバランスをとるために出ている行為です。
こういうケースにいいくら、叱ったり、やめさせたりしても根っこの原因が変わらなければ解決にはつながりません。
指しゃぶりや爪噛みなどでも同様です。
しかし、そのような満たされなさなどの原因がなくとも、単なるクセで出てしまう子もいます。
そういうケースであれば、
>ネットで調べると「問題ない」
こちらになるわけですね。
もしメイままさんが原因として思い当たるようなところがなければ、その何かのきっかけでクセになってしまったものではないでしょうか。
対応法はいろいろ考えられますが、これはケースバイケースのことなのでどうすればよいということを具体的・断定的に言うことはできません。
お子さんに合わせて考えていく必要があるでしょう。
しかし、ひとつには時間・成長が解決します。
もうひとつは、その行為そのものをどうにかしようという関わりを気にするのではなくて、全般的な成長を促すという対応です。
クセだとしてもその背景には精神的な幼さというものがあるでしょう。
急速にどうするということはできませんが、過保護・過干渉にならないように気をつけたり、何かの行為を認められたり、褒められたりの経験を増やすことによって自信をつけたりということで、間接的に自慰行為に頼らなくてもいられる精神的な成長を促していくことができます。
また、もっと「遊び」ができるようにアプローチすることも場合によってはプラスに働くかもしれません。
以前紹介した「ネズミとネコの大レース」のような大人と一緒にできるゲームなどに新しい楽しみを見つけるというようなことも効果的かもしれませんよ。
| 2014-07-07 | 相談 | Comment : 1 | トラックバック : 0 |
相談 噛みつき (4歳) - 2014.07.07 Mon
4歳と2歳の娘がいます。
4歳の娘が噛みつきがあり、幼稚園でも数回してしまい悩んでブログに辿り着きました。
一時に比べると全然よくなったのですが、自分のなかで譲れないものだと噛んでしまいます。
その前に貸してや嫌だ等は言ってますが我慢しきれないみたいで。
噛まれた親子さんにしてみたら娘はとても憎い存在だと思います。
娘自信噛みたくないのと言ってくる事もあり。
4歳なのに、なんでわからないの?と思ってしまう自分もあり。
幼稚園の先生に協力していただき気持ちの伝えて方など少しづつ頑張ってますが、止めれなかったです、間に合わなかったごめんなさい。
先生にも申し訳ないです。
噛みつきのある子は迷惑ですよね。
しかも、4歳。
お子さんについての情報が少ないので、コメントにあることから感じたことを中心に書いていきますので推測や見当違いのことが多くなってしまうかもしれません。参考までにどうぞ。
コメントの中にはその4歳の娘さんについて書かれている部分が二行しかありません。その他の部分はほぼすべてが周りからどう見られているかという点を気になさっていることについてのことで終始しています。
お子さんの具体的な行動や、大人側の対応について触れられていないのでそこについてのアドバイスというのはしようがないのですが、このコメントからわかる大きな問題がひとつあります。
このことは噛みつきに関わらずなのですが、
「周りの目ばかりを気にして、それと我が子を比べたり、出来ていない部分を周囲の人にどう思われるだろうという点を気にかけてばかりの子育てをしていると、自己肯定感の低い子供に育つ」
という点です。
噛みつきだけでなく、「うちの子は○○が出来ていない。それを周りの人が見たらどう思われてしまうだろう」ということを大人が過剰に心に思って子育てをしていると、その子は自分に自信が持てないまま育っていくことになります。
その自信の持てなさというのは、子供を成長のプラスにはそうそうなりません。
多くの場合は「できないこと」をよりできないままに留めおいてしまいます。
物事へのモチベーションも、心の成長も進みたくても前に進みづらくなります。
確かに、噛みつきをしてしまえば相手の子供や親御さんにも申し訳ないと思ってしまうのは仕方がないですが、だからと言って子供を否定的にとらえてばかりではお子さんは成長の前進が思うようにできません。
どこかでプラスに見てあげる必要があるのです。
噛みつきがでてしまうことはもちろん褒められたことではありませんが、でも怒ったり叱ったりして治るものでもないのです。
大人から肯定してもらう経験をたくさん子供は持つことで、気持ちに余裕ができ、その余裕によって自分の感情をコントロールすることが可能になります。
この場合だったらば、噛みつきが出てしまう瞬間でそれをセーブすることができるようになる心の発達というものが、その肯定感によって今後成長していくことができます。
ですので、噛みつきはいいことではありませんが、大きな包容力でもってそれをしてしまう娘さんをまるごと受け止め、周りにどう思われるだろう、周りに申し訳ないという気持ちは大人の方もセーブしたりコントロールして出さないようにしていく必要があると思います。
その上で、生活のいろいろな場面で認めたり、褒めたり、受容したり、共感したりの経験をともに増やしていくことです。
噛みつきが起こったときの対応というのは、このことのあとについてくるべきことであって、さして重要ではありません。
ただ、強く怒らないようにしておいたほうがいいとは思われます。強く怒ったり、叱ったりは結局のところ自己肯定感をさげるほうに作用していってしまうからです。
まずは、お子さんをさまざまな場面で「肯定すること」が何にもまして重要です。
過去記事の「全面肯定」のところが参考になるかと思います。
| 2014-07-07 | 相談 | Comment : 3 | トラックバック : 0 |
子供が耳を触ってくる - 2014.07.05 Sat
4歳3か月の息子、6か月の娘がいます。特に息子を育てるうえではやはり不安、心配は毎日ありました。
でも基本的に、彼のことが大好き、大切という気持ちに支えられて、日々を過ごせています。
が、ずっと気になっていることがあるので質問したいです。
寝るときの癖についてです。
息子は添い寝で寝かしつけています。0歳児期は添い寝授乳していました。
1歳で保育園に預けて復職し、自然に卒乳しました。私は、夜だけ授乳を続けてもいいし、彼に合わせて・・と思っていたら、あっさりと卒乳されてしまいました(笑)
しかしそれに代わってか、添い寝の時に私の耳を触るようになりました。これが痛くて・・。
基本は、「痛いから触られると困るの」「ギュー抱っこで(またはお手てつないで)寝よう」と伝えるスタンスで伝えてきましたが、一向に変わりません。
3歳半の時、しっかり向き合って「もうやめてほしいんだ。お母さんは○○ちゃんとギュー抱っこで痛くないねんねがしたい」のように伝えたら、数日はがまんしてくれました。でも徐々に再開しました。
私も眠くなってくると、手を振り払ってしまったり、やめて!と声がきつくなってしまったり・・。
彼は、触るとお母さんは嫌なんだということは、きっと分かってくれています。
でも眠くなるとなんとしても触りたくて、まるで柔道の襟の取り合いのようなバトルになることもあります。
息子とは多分かなり穏やかな毎日です。いわゆる育てやすい子かもしれません。保育園でもイキイキ過ごせているようです。
寝る前もくっついて絵本を読んで、楽しいなあと思っています。
なのにその後、バトルになり、お互いに悲しんだり怒ったりして一日を終えるのはつらいです。
どうするのがよいのでしょうか?我慢するのはちょっとしんどい痛さなのです。
また、これは一つのサインなのでしょうか。実は満たされていない、とか・・。
そして悲しい気持ちで眠りにつくことは、子どもの気持ちにどう影響するのでしょう?
ときどき耳たぶを触ることがクセになる子供がいます。
触感というのは、ある種の心地良さをもたらすのでこのようなことは不思議なことではありません。
大人でもストレス解消に緩衝材のプチプチを潰したり、それらを玩具にした「無限プチプチ」とか「無限えだまめ」なんていうのがありましたね。
これは理屈ではないので説得してやめさせようとしても、子供自身でもどうすることもできないでしょう。
かと言ってこれはやられる方が困ることですので、大人が我慢して受けることでもありません。
一番良かったのではないかと思われるのは、最初の段階(しんさんの場合は1歳の頃の段階で)物理的にできない状況にして本格的なクセになる前に対応してしまうということです。
例えば、子供が寝るまで大人は添い寝をしないで横に座って寝かしつけるというように。
なんだかんだと拒否はしつつも2年半経過してしまったということですから、なんらかの精神的な理由がさほどなくとも「クセ」として身体にしみついてしまっているでしょう。
そこにさらに、妹さんが6ヶ月ということですから下に赤ちゃんができたという精神的な部分もあることでしょう。
対応としては、
ひとつには時間が味方であるということ。
つまり精神的な成長が、そういうことに依存しないで済むだけのものを子供に持たせていきます。
しかし、身体にしみついてしまったクセでもあるので、単に時間の経過を待つだけだはなかなかなくならないでしょう。
ふたつめには、心の成長を促すということ。
確かに子供としても精神的になんらかの辛いものや大変なことというのもあるでしょう。
小さいうちから保育園で頑張っていることや下に赤ちゃんが生まれたことなど。
でも、だからといって何かに依存してそれを乗り越えるというのは、心の成長を幼いままに留めおいてしまうことになります。
なので、そういったストレスなどが子供にあると思っても、大人はそこに弱気になってしまうとかえって子供はそれを乗り越えづらくなってしまいます。
ですので、「子供が可哀想」という気持ちになるのではなく、大人としても割り切ってしまう気持ちが必要です。
この「可哀想」を大人が持ち続けていると子供がなにかに依存してしまうのを克服するのは難しいです。
心の成長を促すために、過保護や過干渉になっていないかということの点検をしてみるのも有効です。
そういう点があったら、そうなりすぎないように大人の方が意識していきましょう。
また、子供の行動を認めたり、褒めたりということをして、「子供に自信をつけていく」ということも有効です。
これにより何かに依存しないでも済むような心の成長を推し進められるからです。
また、もし子供と向き合う時間が少ないようでしたら、時間を増やすか、密度を増すようなこともいいです。
例えばくすぐりでもいいです。
これらのことを前提として行いつつ、先ほど述べた物理的に触れないような配慮をするというのもいいでしょう。
また、対象をなにか別のものに変えていくということが有効な場合もあります。
例えば、触感から子供に安心感をもたせるようなことを目的としたムニュムニュするぬいぐるみなどもあります。
とりあえずの対症療法ですが、この対象を変えるというのも一段階として考えてもいいでしょう。
あと、チェック項目としては、なにかストレスや頑張りを要求させてしまっていることがあるかどうか。
例えば、なにかとても厳しく接している点などないか。
チックの出ている子で原因がわからないと思っていたら、家庭で食事の時にとても食べ方や箸使いに厳しくてそれがストレスになっていたというような子もいました。
あとは、習い事や勉強などをさせていてそれらが負担になっていたりしないかどうかなど。
もし、そういったことがあるならばそれを軽減することで、依存を減らすことに、この場合は耳たぶを触ることを克服するのに役立つでしょう。
とりあえず、そのような点からアプローチしてみるといいかと思います。
| 2014-07-05 | 相談 | Comment : 3 | トラックバック : 0 |
営利の方向性 - 2014.07.04 Fri
6月23日の千代さんのコメントから
おとーちゃん(さん)のブログ、いつも楽しみにしております。
子育てや教育は、健康食品と同じで成果がはっきりしない中での
営利目的なので、悪貨が良貨を駆逐するということになりがち
ですね。
家庭の子供の数が少なくなり、社会全体の子育て経験やその
交流も少なくなる中で、パーフェクトチャイルドを目指して
そこまでの距離を測る子育てが幅をきかせるのもしょうがない
のかな、とも思います。
何事でもそうですが、経験のほとんどない人は始めるに当たって
壮大な計画、大それた野望を設定しがちです。でもおとーちゃんが
おっしゃる、子供をかわいいと思える子育て、好きだと思える子育て
で必要十分なんですよね。でも教育産業からはそういう話は
でないのは、営利企業なので仕方ないでしょうか。
この問題のほんとの鍵をもっているのは、実は企業の側ではなくて、ユーザーの側にあります。
ユーザーがつまり一般市民が、なにを求めているかというところに合わせて企業は経済活動をするのですから、求める側が表面的な教育産業などで釣れてしまう限りはそれは変わらないでしょう。
しかし、例えば多くの人が親子で一緒に過ごす時間や経験などに重きを置くようになってきて、そういう方にお金を使っても良いという方向になっていけば、それに合わせた商品なりサービスなりを企業の側は打ち出してくるでしょう。
この前ドイツの良質なボードゲームを紹介しましたが、あのような良いものが生み出されるのもそれを喜んで評価する市場があればこそです。
そういったユーザーの側の文化的成熟とでもいうようなものが進んでいけば、企業の方向性も変わるでしょう。
しかし、日本人はかなり周りに影響されたりしやすいので、企業の狙い易いところにユーザーの意識を誘導されてしまいます。いまの早期教育ブームなども、非常に企業側からしたら簡単に的を絞りやすいところでしょう。
今少しずつ一般の人の「消費文化」からの脱却という意識が高まりつつあって、子供関連でもそういう傾向はあるのですが、余裕のない世相と相まって「心配」「不安」を見透かして営利企業はそこを狙ってくるのでどうしてもそれらに流されやすい状況があるのかなと感じます。
| 2014-07-04 | 日本の子育て文化 | Comment : 1 | トラックバック : 0 |
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