相談 目が合わない状態での声掛けについて(1歳3ヶ月) - 2014.08.29 Fri
いつも拝読させてもらい、とても参考にしています。
1歳3か月の1人息子がいます。
平日は保育所に9~18時ごろまで預けています。
体の発達とともに困ったこともするようになってきたけれど、
マイペースで元気、甘えんぼな可愛い男の子です。
むにむにさんの質問に便乗で質問させてください。
目が合わない状態で声をかけるのは効果はあまりないんでしょうか?
ほめる、叱る問わずなのですが。
こっちを見ていない時に「上手にできたね」「ごはんおいしいね」と言っても
聞こえてないかな~?というような無反応なときもあるので・・・。
特に叱るというのがあまり伝わってないように思います。
心を込めてダメなものはダメと伝えているつもり・・・なのですが、
声と表情だけだと息子は「にやっ」とするだけです。
(にやっとするときは目が合っています。関わりをもらうのが嬉しいのかな?
でもこっちは怒っているのでちょっとイラッとしてしまうことも;)
おもちゃや絵本を乱暴に扱ったり、ドアの開閉で遊んだりしているのを繰り返しているときは最終的に強く怒ります。
その際体を少し押さえつけるようにするのですが、
体を押さえつけられるのが嫌で激しく泣き出します。
私の怒りが伝わって悲しくて泣いているわけではなさそうです。
(体を離したら泣き止みます。また、おむつ替えの時腕を少し抑えたりするときと同様の泣き方です)
目を見て叱りたいのですが、いや~っと体をそらし目をつぶって泣き出すので、
あまり目が合いません・・・。
「ちゃんと目を見て!ママがお話してるでしょう!」と言ってこっちを向かせようとするのですが、
やっぱり体が崩れ落ちたりして向いてくれません。
遊んでいるときなどこっちを見てにこっと笑ってくれたり、
おもちゃを「どうぞ」としてくれたりするので、普段から目が合わないことはありません。
保育所通いで受容が十分でないと言われればそうかもしれませんが、
(夕食作りの間はずーっと台所のゲートの前で泣いています^^;)
出来る範囲で遊んだりくすぐったりぎゅーしたり笑いあったり、息子との時間を大事にしています。
「おいで~」と言ったら笑顔ではいはいして来てくれます。
すぐにどうこうなる問題ではないと思うので、お時間あるときにお返事いただけたら嬉しいです。
お返事を待っている間は、先回りの関わりで少しでも息子とのパイプがつながるよう
頑張りたいと思います(^^)
大きく分けて「目が合わない」にも二通りあります。
ひとつは弱い大人タイプの人がしてしまう「力のない言葉がけ」で、子供がその大人の言葉をスルーしてしまう場合。
遊んでいる最中にうしろから「ダメよそんなことしちゃ」「あぶないあぶない」などのように、大して本気ではない言葉を過干渉に重ねてきてしまったケースなどで、こういう姿は簡単にでてきます。
これはその言葉に、本気や、感情が抜けているために力のない言葉になっているので、子供には届かずスルーしてしまうので目も合いません。
もうひとつは、大人の関わり方が威圧的で子供がそれを受け止めたくない場合です。これは「強い大人」としての関わりに出てくるケースです。
ただこのケースにもいろいろあって、一概にいいとも悪いともいえるものではありません。
ひとつ目の「弱い大人」としてのケースなら、それは大人の方に改善すべき点があると言えるのですが、こちらはそう簡単ではありません。
例えば、普段大人がとても威圧的に関わる人で、子供が「もう威圧的に関わられるのはご免だ」と感じてそうなることもあれば、
大人がとても普段から過保護な関わりを重ねていて心が幼く育っており、ちょっとした大人の強い姿勢を示すことでもそれを受け入れられない。少しも大人は威圧的でないにもかかわらず、普段から過保護に守られているからそれを受け入れられないためにという子供の方の理由で、「威圧的」ととるようになってしまうものもあります。
↑は前者と後者がまったく違う性質なものだけど、姿が同じになっているということがわかりますね。
ほかにも、大人に対して信頼感を持てないために、強い関わりが受けいられなくなっているケース。
単に発達年齢に対するもの以上に大人が強い関わりをしてしまっているために、子供がその状況を避けているケース。これなどは大人の関わり方の問題ですね。
そのように、この大人の関わりから「目をそらす」というものには様々なケースがあります。↑ですらほんの一例です。
なので、そのときのゆかりさんの関わりが直すべきものなのか、そのままでいいのか、または受容などのそれ以前のところに改善すべきことがあるのかどうかというのは僕からはなんともわかりません。
個別の状況はあまりわからないので、一般論としての僕の子育ての方法のところから述べると、「寄り添った関係」というのを目指すのがいいだろうとは思います。
>おもちゃや絵本を乱暴に扱ったり、ドアの開閉で遊んだりしているのを繰り返しているときは最終的に強く怒ります。
してはならないことに対して、大人として毅然とした態度を取れるという点はいいと思います。
ただ、1歳3ヶ月の子に対して、
>その際体を少し押さえつけるようにするのですが、体を押さえつけられるのが嫌で激しく泣き出します。
これをして通じさせようとするよりも、プラスの関わりを意識することで大人の気持ちに反発するのではなく寄り添えるところを目指した方がいいだろうとは思うのです。
1歳3ヶ月ならばまだ十分それができるはずです。
このあたりは程度問題なので、しかとは言えないのですが。
僕の経験からすると、今の段階からそのようにやっきになって何が何でも伝えなければという姿勢を強く打ち出しすぎても、それは信頼関係を低下させる方にいって、結局は伝えたいことすら伝わらず信頼関係だけが下がっていくと言う事態にもなりかねないような気がします。
たいへん過保護でわがままに育ってしまった子などで、3歳以降になってそのように押さえつけてでも大人の強い意志をしっかりと示し、理解させることが必要という段階もあります。
でも、ゆかりさんの現状ではそれをいくらやっても子供はそこで伝えられたことを身につけず、ただ「お母さんから否定をされた」という事実だけが強くのこるのではないかと思うのです。
そのことは「親が寝かせよう寝かせようと目を吊り上げて子供に関わっても返って子供は寝ない」という現象にちょっと似ている気がします。
>目を見て叱りたいのですが、いや~っと体をそらし目をつぶって泣き出すので、
あまり目が合いません・・・。
「ちゃんと目を見て!ママがお話してるでしょう!」と言ってこっちを向かせようとするのですが、
やっぱり体が崩れ落ちたりして向いてくれません。
このあたりの様子というのは、完全に「お母さんに否定をされることがつらい」という姿であると感じます。
僕は解決の方向性としては、寄り添える関係をこれからも強化することで(受容、共感、認める)子供が大人からの「〇〇してはいけない」「〇〇しなさい」といった関わりを受け入れられる下地を作ることを第一として、その上で子供がそのことを受け入れられる頃合いの関わり方を模索してみることではないかと思います。
先ほども述べたようにこの種の姿は多岐にわたっていますので、本当にこれは一部の参考意見以上にはなりません、そのつもりで理解してください。
| 2014-08-29 | 相談 | Comment : 3 | トラックバック : 0 |
相談 母親に噛みついてくる(1歳半) イニシアチブと気分バロメーターの話 - 2014.08.26 Tue
8月9日 ぱんだるしあさんの相談コメントへの返信
はじめまして。子どもが生後5ヶ月の頃、こちらのブログに出会い、以降愛読させていただいています。
おかげさまで、心のパイプがつながっているとはこういうことなんだなぁと、実感することも多くなりました。ありがとうございます。
けれど、困っていることがひとつあって、ご相談させてください。お忙しいこと承知しておりますので、過去記事や皆さんのご相談を参考に何とかならないかと試行錯誤していたのですが、なかなか解決せず、相談コメントを書かせていただきました。すみません。
1歳半の女の子、1歳頃からでしょうか、私への噛み付きが頻繁なのです。父親にはたまにありますが、母親以外にはあまり噛み付きません。
0歳の頃から、授乳中に噛むことがありました。それとは別に、私とじゃれあっていて興奮して噛み付く、私が他のことをしているとかまって欲しくて噛み付く、何気なく甘えたくて噛み付く、そんなかんじです。様子としては、いかにも嬉しそうだったり、イライラして怒っていたりします。
目を見て真剣に「それは困る」と言うと、娘も真面目に理解してくれたように感じたこともあったので、噛むのはいけないとわかっているような気もします。それでもおさまりません。
噛んだら、部屋に一人残すという対処をしたこともありました。娘はギャン泣き、私が戻ると、嬉しくなってまた噛み付く、また一人にする・・・を繰り返し、私も娘も感情が高ぶってひどいことになったので、このやり方は失敗だったと懲りて、二度としていません。
「楽しくなっちゃったんだね、もっと遊びたいんだね、甘えたかったんだね」と受容してから、「やめて欲しい」と言うのもやさしくを心がけたこともあります。ただ、無防備なところいきなり噛まれると、私も痛いのが先になって、「イタイ!」と叫んだり、ゆとりがなくなって怒ってしまうこともあります。
現在は、噛み付きそうになったら、あごを押さえ抱きしめ、泣き出したら、その気持ちを受け止めてあげる(「抱っこ法」というやり方をネットで見つけました)ということもしてみています。
娘が私にぴったりくっついてきたときに、「そういう甘え方のほうがずっといいよ~」と素直な甘え方を教えたりして、これは少し効果があったような、うっすらとした手ごたえがあるような気がします。ありがとうございます。
最近では噛む以外に、強く引っかく、叩くこともたまに出てきました。
引っかくのは、飼い猫と遊ぶことがあり、娘も加減なく猫をたたいたり引っ張ったりつねったりするので、反撃にあうこともあり、その影響かなと思ったりします。
娘にとっては引っかくことも、遊びや、親愛の情の表現になっているように感じます。イライラの発散法としての面もあるようですけれど。
つまり、嬉しい・楽しい・愛しているの表現も、イヤだ・イライラする・怒っているの表現も、どちらも噛んだり引っかいたりになってしまっているのかもしれません。
保育園などには行かず、専業主婦の私と、一日中のんびり過ごしています。ただ、24時間いっしょにいると、私が煮詰まってしまうことも否めません。一人遊びも、まだまだわずかな時間しか続かず、後追いもあって常に私にまつわりついています。
授乳も頻繁で、父親のいる休日などは長時間飲まずにいられるのですが、私といるとどうしても飲みたくなるようです。夜間断乳を考えたこともありましたが、実行にはいたっていません。
テレビはなるべく見せないようにはしていますが、私もリラックスしたくてテレビをつけたり、短時間ですがたまにいっしょに見たりしてしまいます。また、0歳の頃から、同居の祖母の部屋で、相撲を見せてしまっていました。考えてみれば、相撲は格闘技なのに、暴力という認識がなかったです…。
子どもの性格としては、じっくり観察して自分が納得してから動くというタイプ、歩き出すのも遅かったかなりの慎重派です。現在、人見知り、場所見知りが強いです。一ヶ月ほど前から成長期も始まってきたのか、イヤイヤと自己主張することも増えました。人の気持ちにも敏感で、私に寄り添ってくれる場面もあります。
私としては、過保護過干渉には気をつけてきたつもりです。ただどちらかといえば、いいなり気味なところがあるかもしれません。
言葉が出てくれは、収まるのではないかと、成長を待っていた面もあります。最近では、ずいぶんいろんな言葉を覚え、「のむ、よむ、のる、とる、だっこ」など、自分の要望も表せるようになってきました。それでも噛み付きがあるので、言葉待ちだった私としては、ちょっと行き詰ってしまいました。また、歯が生えてきていることも、噛み付きの原因かとも思います。
それ以前の受容として、くすぐったり、いっしょに遊んだり、表情を豊かにしたり、地道にやっています。噛んだとき以外の場面では、共感したり、笑いあったり、認めたり、褒めたり(「そうしてくれると助かるよー」とか)全面肯定を心がけているつもりなのですが。
このような対応をしつつ、さらなる成長を待つということでいいのでしょうか。それとも他になんらかの関わり方があるでしょうか。ご教示いただけたら幸いです。
すでにお読みかとは思いますが、こちらに関連記事があります。ただ、今回のご相談にはドンピシャリというわけではありませんね。
そういわけで、ここでは『イニシアチブと気分バロメーターの話』をしたいと思います。
このことは噛みつきだけでなく、通常の子育てにおいても大きく関わってくることですので、多くの方の参考になるかと。
・気分バロメーター
立派な図を作る技術も能力も時間もないので、おおざっぱな図で申し訳ありません。
① ~~~~~~~~~~~~~~~~
② ――――――――――――――――
③ ================
これは大人の方の気分です。相関関係は上下にあるイメージで。
①良い機嫌、楽しさをまとった雰囲気 ②良くも悪くもないフラットな感情の位置 ③子供に対してうんざりしていたり、怒っていたりというネガティブな雰囲気
僕はこれまでにも「メリハリ」「毅然とした態度」ということを言っていますが、子供へ気持ちを伝えるときには「気分の差」というものがあって伝わります。
普段の気分が①の位置にいる人は、して欲しくないことや怒ったときなど①の位置から②の位置までもしくはより強く伝えるときは③の位置までの気分の落差がありますので、その気持ちのギャップが起こったことで子供はそれを聞くべきことだと受け止めやすいです。
怒ったり叱ったりしているのに、親の位置が①にいるのか②にいるのか③にいるのか子供がはっきりとわからないようでは、それは伝わりません。
子供は大人が機嫌良く過ごしているとそれが直接子供とは関係ないことであっても、自分は「ここにいてよい」「受け入れられている」「認められている」という感覚をもてます。
しかし、いつも③の位置に大人の感情があると、子供はその大人にこころよく受け止めてもらっていないのではないかと感じてしまいます。これは理由が子供になくてすらそうです。
その意識は、子供に現状に安心感をもてなくなってさせてしまいます。
②の位置は子供に対してネガティブな感情をむけていないのだから、そうそう悪くもないのではないかと感じられますが、子供は大人からの保護を欲するという気持ちがありますので、実は積極的にポジティブな感情を向けていないこの②の位置も、子供は安心感を持てず、不安・不満を覚えるのです。
ぱんだるしあさんは
>ただどちらかといえば、いいなり気味なところがあるかもしれません。
とおっしゃっています。
この「いいなり」気味の状態というのは、親が明確に親の位置と親のとる一貫した行動、子供の取るべき行動、というのを曖昧にしてしまいます。
それゆえに「いいなり」は子供に安心感を持てない、不安・不満という心理を呼び起こしてしまいます。
>「楽しくなっちゃったんだね、もっと遊びたいんだね、甘えたかったんだね」と受容してから、「やめて欲しい」と言うのもやさしくを心がけたこともあります。ただ、無防備なところいきなり噛まれると、私も痛いのが先になって、「イタイ!」と叫んだり、ゆとりがなくなって怒ってしまうこともあります。
この対応ですが、この前半部分には「曖昧さ」があります。
「噛む」というのは本当に困った事態なはずです。だからこそこのように相談もしてきているのでしょう。
>「楽しくなっちゃったんだね、もっと遊びたいんだね、甘えたかったんだね」
このように受けていたら、子供はそれが本当に否定されていることなのか、そこそこ許容されていることなのか判断つきにくく混乱してしまいます。
こういうときはすべきでないことなのですから、とことん否定してした方が子供のためなのです。
曖昧に対応されていると、子供は取るべき行動の判断がつかず、なんどもすべきでないことを繰り返して、受け入れられない行動をとり続けることになっています。
ウィキペディアの編集画面を開くと「曖昧さ回避にご協力ください」ということが書かれています。
適切な事実を伝えるために、中途半端な表現をして読み手に誤解をさせないようにということだと思います。
子育てのこういった場面でも「曖昧さ回避」は大事なことです。
「弱い大人」タイプの人、「いいなり」になってしまうような人、関わりに自信の持てない人はついつい曖昧になってしまいます。
噛まれるのが大人でも、嫌なことなら嫌というのが誠実さというものです。
自信を持って、しっかり気持ちを込めて「やめて」「しないで」と言い放っていいのです。
そういった「曖昧さ」を抱えている人は、先ほどの図の気持ちのありかが子供からして「曖昧」になってしまいます。
①にいてくれればわかりやすいですが、③にいるのか②にいるのか、①に近い②なのか③に近い②なのか・・・子供は安心感を持てずに不安・不満を感じて生活することになります。
最近の相談への返信ではたびたび「イニシアチブ」に触れていますが、大人が子供に対して「イニシアチブ」を示せないのも、混乱を招き安心感を欠き不安不満を持たせることにつながります。
大人の側の「イニシアチブ」が明確でない関係では、この大人を叩く・噛みつくといった行動がとても出やすいです。
そういう状況にある子は、その不安・不満を情緒の不安定というかたちで出してしまいます。
また、そういう曖昧な親にたいして「①の位置に返ってきて」というメッセージを送らなければなりません。
すると、この年齢の子供は親に対して叩いたり、噛んだりという行動につながります。
残念なことにこのメッセージの送り方では、大人は①の位置に来てはくれないのですが、子供にはそのような伝え方しかできないので、それを続けることになります。
僕は「子供を否定しないで育てましょう」と確かに言っています。
でも、「子供が否定すべきことをしたときにも否定をしてはよくありません」と言う意味では言っていませんね。
そのように言えばどなたでもおわかりになるとおもいますが、子育てに自信のない人はついついそこまで混同してしまいます。
子供が熱いヤカンに触ろうとしたら、親なら誰しも止めますね。
もう少し大きくならなければそういう場面はないかもしれませんが、子供がはさみやカッターを持って他の子を叩こうとしたらとめますね。
それらは「否定すべきこと」だから、当然誰しもが否定するわけです。
ここでの噛みつきもそれらと変わりません。
大人が自信を持って毅然と否定していいことなのです。
そこをしきれない大人の曖昧さ、弱さが、こういった子供の困った行動の遠因ともなり、同時にそれらの行動を助長もしてしまいます。
よしんば、子供がなんらかの満たされない状態にあって、噛みつきがでるのもやむを得ない状態だったとしましょう。
しかし、それでも止めなければならないことはかわりません。
否定すべきことは否定した上で、別の受け入れられるかたちに変えてそこを受けなければならないからです。
そういうわけで、
・「曖昧さ回避」
・大人が①の位置に、つまりおおらか、ゆったりとした気分を伝わりやすいかたちで日々持って過ごす
・子供に対してイニシアチブと自信を持って関わっていく
このあたりのことに気をつけてみるといいのではないでしょうか。
追記
②の位置というのは、普段①にいる人の②は①に近い②になりますから、それでも子供は不安を感じるほどではありません。しかし、普段③にいる人の②は子供には③に近い②ですので、安心感をもてなかったり不安を感じる②になってしまいます。
同じ②の笑いもしない、かといって怒ってもいないという状態なのだけど、その人の性質によって子供にはずいぶんと変わってとらえられてしまうようです。
| 2014-08-26 | 相談 | Comment : 7 | トラックバック : 0 |
相談 園で午睡時ふざけてしまう。満たされていない?(4歳) - 2014.08.23 Sat
8ヶ月から保育園へ通っている息子は先日4歳になり、なんだかここ数か月、気分の上がり下がりが激しくて参ってしまっています。
気に入らないことがあると、すぐワー!っと泣いてこちらの話が聞けなくなっています。
普段話すトーンで語りかけても、全く耳に入っていないようで、最後には
大きな声で怒ってしまいます。
くすぐりや、ぎゅーっとしたり、かわいいかわいいしたり、誉めたり、可能な限りやっていますが、息子には足りていないということなのでしょうか。。
保育園では、基本的なことはきちんとしているようなのですが、
お昼寝の時なかなか寝ないようで(これは保育園入りたての頃からですが)おふざけをしてしまうようです。色々な先生に叱られているようです。
息子にお昼寝のことをきくと、「分からない。。怒られて眠れない。。」
といいます。
叱られると余計ふざけてしまい、悪循環になっていると思われます。
ただ、眠れなくてもお布団でおとなしくしておかなければいけないので
叱られても仕方ないのですが、何か家での関わりや言葉かけなどで
お昼寝の時間をもう少し穏やかなものにできないものでしょうか?
家でもそうなのですが、私が怒るような言葉を使うととたんに
「ヤダ!しないもーん!」とか、泣いたり、こちらの要求を耳にいれてくれません。
あと、最近の気になる行動なのですが、遠くから私に向かって猛ダッシュで走ってドーンとぶつかってくる、というようなことをするようになりました。
保育園の帰りに多いですが、気に入らないことがあると、これまた猛ダッシュで「キー!」とすごい顔で、私に突進してきます。
本当に痛いので息子には痛いということを伝えてはいます。
こういう行動は何か満たされなさからくるものなのでしょうか。
元々、とても落ち着きのない子で、周りの全てのものが気になるようで
いつも動いているイメージです。
いつも動いていて、次から次へコロコロ行動が変わるので、私もつい行動を制止したり指示するような言葉が多くなっているなと自覚してはいます。その反動なのでしょうか。
息子は、恥ずかしがり屋ですが、よく喋り、泣いていない時はお話をよく聞いてくれます。
「ママ大好き!」とか「ママ、ありがとう!」とか可愛いことも言ってくれています。
ですが、この泣いたりしたときの行動が激しすぎて、何か発達の問題があるのかと思いながら、今まできました。
最近の保育園でのお昼寝しない時のおふざけも、何か本人の中にある
甘えたいとか相手にしてほしいとかというサインなのか、
それともただの悪ふざけなのか。。分からなくて悶々としています。
保育園では、先生からマイナスイメージの報告ばかり受けるので、私も先生とお話しするのが少し億劫になりつつあります。
軽く流せばいいのでしょうけれど難しいです。
この相談は、
・園での午睡時静かに入眠するためにどうしたらよいか?
・全般的な姿から子供の姿が満たされていないのではないか?
という2点がポイントになっているようです。
こういった姿というのは、様々な理由からでることがあり一概には言えません。
満たされていないということがあるのかもしれませんし、はるママさんも懸念しているようになんらかの発達上の問題があるのかもしれませんし、過保護・過干渉などの問題があるのかもしれませんし、単に成長の過程の一時的な姿なのかもしれません。それ以外のこともあるかもしれませんし、それらがちょっとずつ複合的に原因となっているのかもしれません。
僕からはそれを正確に判断することはできません。ですから推測で補って感じたところを述べていきます。少しは関係のあることを言えるかもしれませんし、全然見当違いのことを言うかもしれません、適当と思われるところだけご自身で判断して取捨選択して参考程度にお読みください。
まず、以前に寄せられた相談コメントから感じるのははるママさん自身かなり心配が強いタイプの人だということが言えると思います。
親なので子供を心配するのは当然ですがそれもあまり多くまた長期にわたると、子供をつねに心配の目線で見ていると言うことになります。そのことは、子供からすると「自分にはなにか足りない」思われていると感じ続けることになってしまいます。それは日々の安心して過ごすという子供の情緒にマイナスに働きかけますので、落ち着かない行動というのが増えることにつながります。
(このあたりについては、「子供は欠如体ではない」の過去記事や、「全面肯定」での検索して関連の記事が参考になるでしょう。)
4歳というのは、精神的な自立が一段と進みそれの確立期に入り始めるころです。
このときに、自分に対する「自己肯定感」、「自信」というものが足りなくなっていると、そのギャップ・葛藤にイライラを生みます。そのため、この頃には
>気に入らないことがあると、すぐワー!っと泣いてこちらの話が聞けなくなっています。
>普段話すトーンで語りかけても、全く耳に入っていないようで
>叱られると余計ふざけてしまい
>保育園の帰りに多いですが、気に入らないことがあると、これまた猛ダッシュで「キー!」とすごい顔で、私に突進してきます。
このようなことが起こり得ます。
「満たされていない」ということがあるかどうかはわかりませんが、僕はむしろ「満たされていない」というよりも、この「自己肯定感」「自信」の問題、そして「心配」というマイナス目線での気持ちから来る「過干渉」というものが、いまの姿の大きな原因となっているような印象を受けます。
また、午睡についての悩みの部分でもそうですが、はるママさんのお子さんへのアプローチが、「子供に正しい姿をださせるためにどうにかしよう」という方向性のものになってしまっています。
こういった方向性も、「過干渉」と「子供を信用することから遠のく」という影響を与えます。
(『言葉を使う』、『続『目が合わない、受容してこなかった』(1歳9ヶ月)むにむにさんスレ』このあたりが参考になるかと)
子供に対する視点の問題や、自己肯定感を与えるといった前段階をすっとばして、子供に「あるべき姿」だけを要求してしまうようなことはしばしば子育ての迷走を生み出します。
いまはお子さんにあるべき姿をあてはめようとするアプローチは置いておいて、自信をつけたり、共感したり、あるがままを認めたりということをしてみるといいと感じます。
また、「子供が満たされていないのではないか」という心配の気持ちは子供に関わる際の、はるママさんの自信を低下させる可能性があります。
満たされていないと感じるのであるならば、その心配を満たす行動に切り替えることでふっきる。これまでそれなりにでも満たし来たと感じるのであれば、そこに自信を持ってその心配をふっきることが良い結果につながるのではないかと思います。
その上で、子供の関わりにおいてのイニシアチブを大人の側がもつことで、子供の情緒の安定に寄与できます。
具体的には、
>保育園の帰りに多いですが、気に入らないことがあると、これまた猛ダッシュで「キー!」とすごい顔で、私に突進してきます
こういった親に向ける攻撃的な行動などが減る方向にいけるでしょう。
まず、取り組むべきことは「正しい姿を子供に持たせよう」という関わりではなく、あるがままを認めるという「全面肯定」のアプローチだと思います。
それがないままに、いつまでも「我が子は〇〇足りない」という意識の積み重ねばかりされていたら。
>家でもそうなのですが、私が怒るような言葉を使うととたんに 「ヤダ!しないもーん!」とか、泣いたり、こちらの要求を耳にいれてくれません。
当然、こういった姿が募ります。
4歳ですから大人のいっている理屈や正論はかなり理解しているはずです。
でもできないのは、「親が自分をプラスの方向で受け止めていない」ということに対して「自分を受け止めてくれよーー」という心からの強い欲求であると思います。
「正しい姿」を押しつけずとも、子供は自分が認められていると感じれば自分から望まれる姿をだしていけるものです。
午睡に関しても、そういった積み重ねからくる枝葉の問題にすぎません。
自分に対する自信が持てることで、前の記事で言うところの「安心感」や「達成感」というものが充足して結果的に入眠しやすくなるのではなかと思います。
>先生からマイナスイメージの報告ばかり受けるので
ということは園ではあまり子供の自信をつけてくれるようなアプローチを期待できないかもしれませんので、家庭で全面肯定、自信をつける、共感を増やすということを特に意識して取り組んでみるといいのではないでしょうか。
子供は世の中のほかの誰が認めてくれなくても、母親が認めてくれさえすればそれでなんとかやっていけるものです。
でも、世の中の人が認めてくれても親が認めてくれないというのは本当の自信にはなかなかなれません。
それだけ母親の存在というのは子供にとって心待ちにしているものですから、母親からであれば少しのアプローチでも子供には大きく響いていけると思います。
全面肯定の仕方については過去記事や関連するところが複数ありますので検索してみてください。
| 2014-08-23 | 相談 | Comment : 14 | トラックバック : 0 |
相談 夜寝ようとしないので昼寝をやめるべきか? 追記あり2014/08/22 - 2014.08.22 Fri
なんか勘違いをしている人がいるようなので補足 (8月22日)
最近、息子が夜寝るのが遅くなってきました。21時前後には寝ていたのですが、ここ最近は1時間〜2時間は『お茶を飲んでくる』を繰り返したり、歌を歌ったり踊ろうとしたりして、なかなか寝てくれません。歯磨きをして、お布団へ行き、少し遊んだり、絵本を読むというのをしていたのですが、最近は絵本を自分で読むのだと、私に読ませてくれなくなりました。『寝ようか』と言う言葉で「寝ないー!」と泣き出してしまうこともあります。息子はほぼ毎日、昼寝をするのですが、大体13時〜15時頃までです。昼寝も基本嫌がりますが、昼寝は10分ほどで寝ています。起きる時間は7時〜7時半です。友人に2歳にもなって、昼寝の時間が長い、もしくは、もう、させないべきでは?とアドバイスされたのですが、息子は昼寝をしない日に限って夜泣きをする気がします。昼寝は何歳まで必要でしょうか?また、年齢に応じて、短くするべきでしょうか?
朝起きる時間が遅いでしょうか?出来るだけ生活を整えてあげたいのですが、なかなか寝てくれず、困っています。急ぎではありませんので、お時間がある時に教えて頂けると嬉しいです。
睡眠に関してはずいぶん昔の記事ですが、基本的なことを書いた記事があります。
楽しい子育てのために その4 「睡眠について」
↑こことその次の記事ですが、睡眠関連はほかにもけっこうありますので気になる方は「睡眠」などで検索すると記事が引っかかると思います。
睡眠というのはひじょうに個人差の大きいモノです。なので一概には言えません。
僕の書いているようなことが当てはまる子もいればちっとも当てはまらないという子もいることでしょう。
ですが、基本的なラインは上の記事にあることでだいたいはいいのではないかと感じます。
この相談では、昼寝との相関関係が出ていますので、この記事ではそこを中心に僕の考えを述べていきたいと思います。
保育園で保護者向けにアンケートをとると、必ずと言っていいほどあがってくるのが、
「もっと勉強をさせてほしい」というのと、「夜寝ないので昼寝をしないように(短く)して欲しい」
というものです。
僕はこの「昼寝をするから夜寝ようとしないのだ」という考え方は、かなり素人的な考え方であると思っています。
特に僕が勤めていたような過密した保育条件のところではそうです。
僕は子供には「眠る力」とでもいうものがあると考えています。
この「眠る力」は大人がサポートして高めていってあげるようなたぐいのものです。
「睡眠の習慣」というものにも近いですがそれだけではなく、それプラスやっぱり子供自身が獲得する能力という部分があると思っています。
この保育園の保護者からの要望で「昼寝をさせるな」といっているケースのその多くは、過去記事で紹介しているような
「安心感」「満足感」「達成感」というものがきちんと得られていない子で起こっています。
その多くが「昼寝をするから夜に寝ない」わけではないのです。
この3つの要素を大人が満たせるような、生活のあり方や関わり方ができていないために、子供は一日を終わらすことに納得ができないわけです。
もし、保育園のこれらの子供が、この3つの要素を満たした上でも寝ないというのであれば、そのときは活動量と体力の相関関係であるとか、なんらかの別の原因、その子の睡眠の個性の部分を考慮して、それから最後に昼寝の時間というものを調節してみるというのが妥当だと僕は考えています。
僕が勤めていたような密度の濃い保育園では、まず日中の活動量が足りないということがそもそもなかったのです。
ほとんどの子が最低8時間からの保育時間で、長い子になると11時間を超えています。
またクラスの人数も多いです。その分どうしたって疲れます。
そういう状態では、相当に動くことを好まない子であったとしても、活動量が足りなくなることはありません。
家庭にいる子ではこのあたりが変わってきますので、一概に言えない部分が大きくなります。
あるとき新人の保育士に聞かれたことがあります。
そのクラスは午睡のときに落ち着かず、すんなりと入眠できない子の多いクラスでした。
「なんでこの子たちはお昼寝できないんでしょうね?」そのように聞かれました。
「その寝ない子たちをよく見てみたら、満たされない子順になってるから見てごらん」そのように伝えると、あまりにもその通りなので驚いていました。
子供は満たされないとてきめんに眠りを嫌がるようになってしまいます。
それでもその子どもたちから昼寝を奪えば、家庭に帰って夜寝るようにはなるでしょう。
でもそれは、眠れる条件が整って眠りに入るようになったわけではなくて、体力が持たないために眠り込んでしまうというだけです。
親からすれば、それで楽ちんシメシメと感じてしまうかもしれませんが、それは子供の心身の成長にとって本当は望ましいことではありません。
ついでにいうと、もしそういった子供から保育園での午睡を奪ったとしたら、疲れや情緒の安定をかくことから他児とのトラブルや、事故というものが確実に増えていくことでしょう。
前置きが長くなってしまいましたが、相談者さんのケースもまずは「安心感」「満足感」「達成感」この3点に留意して見るべきだと思います。
それにできる範囲でいいから配慮をしていくことで、安心して入眠できるようになっていけるのではないかと思います。
おそらくは妊娠で不安になっていることなどもあって、よりそういう気持ちが増してしまうのでしょう。
子供は、お母さんがその他の家事をしていない入眠前の時間をお母さんを独り占めできる時間だと、往々にして感じています。なので、午睡前に少しでもお母さんに向き合って欲しいという気持ちから、寝るのを引き延ばそうとします。
そのときに、母親の方が、「早く寝てもらわないと困るわ」、「早く寝かせなければ」という気持ちでいると、そのお母さんに向き合ってもらっている際の満足感というのはなかなかたまりません。
ですから母親の方も、できるだけゆったりした気持ちで向き合ってあげられるといいでしょう。
また、「先回りした関わり」の方法で、入眠の前の段階で大人の側から関わってあげることで満足感を高めておくということもいい影響につながるかもしれません。
そーままさんの場合は、ひとつ前の記事に書いたような「しっかり関わったという自信を持つことで、イニシアチブを持てる態度で子供に臨む」ということも有効かもしれません。
以下補足部分
何人かの方がそうは言っても保育園の午睡時間が長すぎるところがあるだろうといった意見を寄せられています。
たしかにそういうところもあると思います。
が、ここはそーままさんの個別の相談への返信をのせているところです。
相談のコメントに
>大体13時〜15時頃までです。
と明記されているので、2歳で2時間前後ならば、生活状況にもよりますが長すぎるということもないでしょう。特にいまは夏場ですし。
>、息子は昼寝をしない日に限って夜泣きをする気がします。
ということも書かれていますので、午睡がそれなりに必要な状態であることはあきらかです。
ですので、ここでは当然ながら午睡時間が長すぎることによる弊害ということを考慮することはないという判断で話を進めています。
また、子供への気持ち的な部分でのアドバイスが中心になったのは、そーままさんのこれまでの相談コメントの経緯もあったためです。
保育園のなかには子供の生活リズムへの配慮もないまま、ただ午睡時間を長く取ってしまっているところもたしかにあります。そういったところに預けてしまっている人は当然そのような疑問をお持ちになることでしょう。
記事中でも一応
>もし、保育園のこれらの子供が、この3つの要素を満たした上でも寝ないというのであれば、そのときは活動量と体力の相関関係であるとか、なんらかの別の原因、その子の睡眠の個性の部分を考慮して、それから最後に昼寝の時間というものを調節してみるというのが妥当だと僕は考えています
と記載していますが、僕がこの意見を述べているところの出発点は、当然のこと「子供の生活リズムを考慮しないほど無自覚に長い午睡時間をとっている保育」というところではすでにないのです。
ご自身が通われている園がそのように長い午睡時間を取られて困っているというのであれば、そちらのほうに話を聞くなり、意見なりとして出していくのがよろしいのではないでしょうか。
誤解された上に感情的な意見を向けられるのは僕としてももやもやしますので、補足して追記します。
追記
睡眠の過去記事を読み返してみたら、最近の僕が睡眠について述べている言い方と若干違っていました。
過去記事では ①生活リズム②安心感③満足感 の3つをあげていますが、
最近ではよりわかりやすくするために
「生活リズム」は前提として別枠で考えて、 入眠できるためのの3要素として 「安心感」 「満足感」 「達成感」 と伝えるようにしています。
過去記事では、「満足感」というのは「なにかしたという達成感のことですよ」といってしまっていますが、
現在ではこの「満足感」というのは「満たす」で使っている方の「満足」のことを指すようにしています。
過去記事ではそういった「満たす」を「安心感」の方に含めていってしまっておりますが、この方がより適切であると思いますのでここで訂正したいと思います。。
おまけ
大人が「寝かせよう」と思って子供の相手をしてても子供は、満足感・安心感がたまらないので、結局ずるずると寝られません。
「寝かせなければ」という意識でいると、そこには大人の焦りやイライラがでてしまうからです。
毎日のイライラがたまっていればそれこそ、「目をつり上げて寝かせようと子供の相手をしている」なんてことも少なくありません。
これでは、いくら子供に向き合っていると大人が思っていても、子供の安心にも満足にもなりませんよね。
なので、「寝かせようとするために」満たそうとするのではなくて、ゆったりと今日一日あったことをお互い話したり、少しの間でも向き合って遊んだり、「明日こんなことしようね」と話して今日の満足から明日への期待につなげてあげたり、そのようにただ純粋に子供との時間を楽しむくらいの気持ちで関わってあげるといいのではないかと思います。
| 2014-08-22 | 相談 | Comment : 29 | トラックバック : 0 |
4歳女児 素直に大人に従えなくなっている - 2014.08.19 Tue
4歳1歳の二児の母親です。
幼稚園の年少の4歳の娘は幼稚園では給食やお弁当は常に完食、自分のことはきちんと自分でやるし何事にも全力で頑張ってるので家でいっぱい褒めてあげてくださいと先生に言われます。
でも家では正反対で、着替えも食事も全部親任せ。下の子もいるし、幼稚園で頑張ってる分甘えたい気持ちも分かるのでこれくらいならまだ分かります。
でも、食事中何度言っても椅子に足を上げたり肘をついたり、茶碗を持たずぼろぼろこぼして食べたりします。他にもいろいろ。
私なりに「~しようね」と言うのですが何度言ってもやるので最後には怒ってしまいます。
それから娘は、怒り口調で話すことがとても多いです。
これに対してもおとうちゃんさんのブログを参考に素直に甘えるように促し、その時は多少なりとも理解してくれるのですが、これも食事の時と一緒でまた同じことの繰り返しでなかなかうまくいきません。特に小さい頃から何でもはいはいと言うことを聞いてくれた祖母に対しては一番きつくあたります。
家は主人の両親と同居していて初孫のため、祖父母が甘やかす分私が厳しく接しなければならないところもありましたが、ハグやくすぐりなど愛情表現はたくさんしてきたつもりです。
下の子に比べて赤ちゃんの頃から愛想のある子供ではなかったのでもともとの性格もあると思いますが、根は感動やでとても優しい子です。
それから、これは幼稚園に行く以前からあったことなので幼稚園でのストレスを家で発散してるとは考えにくいです。幼稚園も嫌がることなく楽しく行っています。
イヤイヤ期の時に私が感情的になってしまったり、食事の時に厳しく接したことが娘の性格に影響しているんでしょうか?
親がいないところではちゃんとしてるのに、親がいるところではできない。(常にではないですが)これはただの甘えなのかそれとも何か満たされていないということなのでしょうか?
「受容」が足りないかどうかというのは僕からはちょっとわかりにくいことなのですが、まあ甘えの一種ではないかという感じがします。
それプラス「下に小さい弟がいること」、あと「揺り戻し」の確認作業の姿がもう出ているのかもしれませんね。
「揺り戻し」に関しては検索して過去記事をごらんになってください。
対応としては、僕はこちらの記事に述べたような
→ 『言葉を使う』
大人の関わりによって子供の正しい姿を出させようとしてしまうのではなくて、言葉を使って大人が思っていることを伝えて、自分でその姿を出せるようにしていってあげるといいのではないかと思うのです。
例えばですが、「~しよう」ではなくて、
「私は、ご飯をこぼさないで食べることはとても大事なことだと考えているから、あなたも気をつけて欲しいと思っているんですよ」
など、自分自身が思っていること、「どうしてほしいのか、それはなぜなのか」ということをそのまま伝えてみるのです。
そしてそれを待つのです。
待つというのは、子供ができなくてもただ我慢していなさいということではありません。
またできなくなっていたら、「~~しなさい」ではなくて、「こぼしていますよ」とありのままを伝えるかたちで言います。
わざわざ言葉にしなくても、大人の視線だけで気づくかもしれません。それならばわざわざ言葉にすることもないでしょう。
僕はあいての子供の状態に応じて、言葉で言うか、「ほらここ」とさりげなく指さして教えるか、指さしだけ、視線だけというように使い分けています。
このことが何を意味しているかというと、「あなたを信用していますよ」というメッセージでもあるのです。
「できないあなた」ばかりを指摘していると、子供の自己肯定感は下がってしまいます。
信用して、自分でやらせてみて、少しでもやるようになったらそこを「認める」という関わりをすることでプラスの循環をつくっていけます。
ほかにちょっと気になることといえば、 4歳、女の子、幼稚園で頑張っている、下に弟妹がいる ということですから、お母さんからの「良い関わりが欲しい」というサインとして出している可能性もありますね。
「先回りした関わり」をもう一歩進めて、お手伝いしてもらったり、なにか役割を持たせるようにして、「褒める」「認める」で自信をつけていくようにするのもいかもしれません。
| 2014-08-19 | 相談 | Comment : 7 | トラックバック : 0 |
続『目が合わない、受容してこなかった』(1歳9ヶ月)むにむにさんスレ - 2014.08.17 Sun
こちらに上げた相談記事に対しての、むにむにさんの再コメント(↑の記事のコメント最上段)と、その他にそれ以前もうひとつの相談コメが投稿されていました。
最新のコメントでは返信はいいとのことですが、おそらく同様の状況になっている人は多数いると思いますので、その相談に答えつつこういったケースについて掘り下げてみたいと思います。
ただ例によって、推測を一般論で補って書いていきますので必ずしも相談内容にうまく適していないかもしれません。そのあたりはご了承ください。
以下は、先に寄せられていた31日のコメントの転載(↑の記事は7月20日のコメントへの返信、間をあけて相談がふたつあったため)
最近、息子の成長期がはじまり
自分の思うようりならないと手が付けられないくらい泣き叫びます。
その際、私の顔をみると余計に泣いてしまうため
いつも息子の好きなぬいぐるみ(困ったときにしか登場しません)を通して
息子と話をするという形をとっています。
その際、私はソファーや壁に姿を隠し
ぬいぐるみが『○○くんの気持ち、わかるよー。でも、ここは危険なところだから
登るのはやめよう』と話しかけをしています。
息子が泣き止んだところで『わかってくれてありがとう』とぬいぐるみから感謝の気持ちを伝えたところで
私も登場してぬいぐるみも交えて遊ぶという流れが
手に負えなくなった泣きの際にとる手段なのですが
最近では、そのぬいぐるみが出てきた時点で
泣き止み、遊ぶという感じで大切なことを伝えられずにご機嫌をとるような流れができてしまっております。
これは『ごまかし』になってしまっているのでしょうか。
また、こちらのブログにある『おしおき』にあるような
ちょっとしたミステイク、間違え、失敗といった
おとーちゃんのボーダーラインのようなものがあればご教示頂きたいです。
こういう対応が「ごまかし」になってしまっているか?
ちょっとした失敗を気にせずに過ごしていい基準はどこか?
という質問なのですが、このふたつの質問に対する答えを僕が答えたとしても、それが子育てを安定化させる助けにはならないだろうと思います。
なぜなら、そういった「子育ての正解」というものを知って、それに子どもを当てはめようとしても必ずしもそれがプラスにはならないからです。
例えば、↑これは確かに「ごまかし」なってきてしまっています。
でも、これが「ごまかしだからすべきではない」という『正解』に子どもを合わせようとして、こういったごまかし的な関わりをやめたからといって、それで子育てが安定化、子どもの姿が関わりやすいものになるわけではありません。
相談者さんの現在の段階では、この「正解」を実行したとしてもそれを下支えするいくつもの前提条件になることがまだ未達成であるからです。
現状 → 〇〇 → 〇〇 → 〇〇 → ごまかさないで済む状態
(〇〇の部分は例えです。特になにか想定しているわけでも、その数が3つとも限りません)
現在の状況から、いくつかの〇〇をすっとばして、「正解」であるところの「ごまかしをしない」ということだけを実行してみても、それは現状ではとうていできっこないことだし、むしろ大変さを募らせてしまう結果にしかならないだろうからです。
『相談 目が合わない、受容してこなかった(1歳9ヶ月)』(以降、前記事 と表記) この記事でとにかく現段階は「受容」の貯金だけをまず目指していいこうということを伝えましたので、いまはむにむにさんもそのことはおわかりだと思います。
これまでむにむにさんの子育てが難しくなっていた原因のひとつはここにあります。
子どもに「正解の姿」を求める余り、その「正解の姿」、「あるべき子どもの姿」、「世間で望まれるような子供の姿」とはかけ離れていく実際の子供の姿とのギャップにより、子育てのストレスばかりが増大してしまっていたのです。
このことは、現代の子育てをする人の多くに共通する問題です。
正しい子供の姿を作らなければならないと感じている親のあせりや、なまの子供の姿についての知識や経験がないのに、理想像ばかりにとらわれてしまい子育てが迷走してしまうこと、まじめに一生懸命に子育てしようとするあまりに余裕がなくなってしまう子育てなどから、結果ばかりを望み、子育ての本当の基礎の部分が見えなくなってしまうのです。
こういった子育ての落とし穴にはまってしまう人はとても多いです。
僕が子育ての第一の目標は「かわいい子供にしよう」ですよと何度かいっているのは、ここに手当をするためです。
↓関連記事
http://hoikushipapa.blog112.fc2.com/blog-entry-536.html
http://hoikushipapa.blog112.fc2.com/blog-entry-612.html
正解を出さなければと考えるあまりに基礎をすっとばして、子供をとても難しい姿にしてしまうひとはおおいです。
子育ては正解を大人が作り出すことではありません。
基礎の部分を固めていけば、そういったことは後からついてくる性質のものなのです。
むにむにさんのケースではその基礎というのが「受容」でした。
前記事ではとにかく「受容」を積み重ねることで、とりあえず基礎の第一歩を固めることを伝えています。
「ごまかし」も「釣り」も「無視」も無理にやめないでいいとも伝えています。
いま現在ごまかしやつりや無視があってぎりぎりのラインで子供との生活が成り立っています。
「ごまかし」も「釣り」も「無視」もすべきではないことではあるでしょう。しかし、それらがすべきでないことだからといって、それをしてはならないと縛ってしまったら、現在のぎりぎりの安定も崩れてとても「受容」を積み重ねるどころではなくなってしまいます。
「受容」の貯金ができてくれば、そのあとに「ごまかし」も「釣り」も「無視」もしないで済むような瞬間というのが少しずつかもしれないけれども持ててくるはずです。
前記事では、「受容」以外のアドバイスにはあまり触れていませんが、本当はもうひとつ「イニシアチブ」の問題があります。
>泣き止み、遊ぶという感じで大切なことを伝えられずにご機嫌をとるような流れができてしまっております。
相談者さん自身も気づいているように、↑の部分です。
現状では、子供が「受容」をしてもらうかわりに、親を振り回したり「いいなり」にさせることでその代用としてしまっています。
それは本当はいいことではありません。
ですが、それがいいことではないからといって「受容」の貯金が貯まる以前にそれをするまいと大人が考えてしまうと、子供は「受容」の代わりとしているものまでが奪われるので、さらに行動が荒れたり壁に頭をぶつけたりする自傷行為が激しくなりかねません。
それでは子育ての安定化が遠のいてしまいます。
なので、ここでも「正解の姿」は求めてはいけないのです。
「受容」をすることでふたつの効果が生まれます。
なにかというと、もちろんひとつは子供自身の「受容」=「満たされる」ということです。
もうひとつは、大人の方に「子供をしっかり受け止めてきた」という事実から来る「自信」です。
子供を満たす貯金をするとともに、大人の方にはこの自信をたくさん貯めて欲しかったのです。
なぜかというと、この自信がたくさんたまることによって、大人の方が「イニシアチブ」を持てるようになるのです。
たとえば、子供が困るような要求をしてきたときに、「NO」と言えます。
子供がすべきでない行動ととったときに、「怒る」ことができます。
「叱らなくていい子育て」のところで僕が「叱ること、怒ることなどは子供の否定なのですべきでない」と言っているじゃないかと気がつく人もいるかもしれません。
しかしこの場合は当てはまりません。
なぜなら、ここでの「NO」も「怒る」ことも、許容すべきでない子供の行為に対して毅然と「否定」をしなければならないことだからです。
大人が「それはすべきではない」と思っていることに対して、子供を腫れ物に触るように触れることを避けて、「NO」といえなくなってしまったら、それは「いいなり」です。
それではけして子育ては安定化していけません。
子供が上で大人が下にいる状態だからです。
大人は子供を導いていかなければならないものです。なのに「いいなり」であったらそれはいつまでたってもできません。
ですから、「怒るべきときに怒る」「NOというべきときにNO」といえるということは非常に重要なことなのです。
世間で言う「叱らない子育て」で失敗している人はここを勘違いしてしまっている人が多いです。
相談者さんが、これまで「いいなり」と「無視」を使って子供に対してきてしまっていましたが、実はこの関わり方では「強い関わり」と「弱い関わり」をするべきときが逆だったのです。
「いいなり」という弱い関わりになってしまっているところで、毅然とNOと言うような「強い関わり」をするべきで、
「無視」という強い関わりをしていたところでは、「受容」などの「弱い関わり」をした方がよかったのです。
でも、これもあくまで「正解」であって、最初の段階でこれをしなさいと言っても逆効果になったり、その努力は途中で破綻してしまったはずです。
大人と子供のふたつの貯金がまだ貯まっていないからです。
前記事では結局のところ「受容」しましょうということしか言っていません。
それだけではおそらくすべての問題は解決はしないでしょう。
でも、それがなければ結局のところなにもはじまらないのです。
まじめな人、正解を求めている人に他のことも要求してしまうと、それも一生懸命にしなければならないと思ってしまいます。
それでは貯金がなかなか貯まらないので、返って前に進めません。
「いいなり」になったりする「弱い大人」の傾向のある人に、「受容」ばかりを強調すると、甘やかしになったり過保護になったり、依存を助長したりというデメリットもあります。
でも、「受容」や「満たす」そこから生まれる「信頼関係」のない状態に比べたら、過保護や甘やかしなどはあとからどうとでもできる問題に過ぎません。
ましてや自傷行為まで出ているのですから、なんとか現段階からは早めに脱する必要がありました。
なので「受容」を第一にすることで良いだろうと判断しました。
「無視」も本当は避けたいところです。「無視」は子供の問題行動を大きく助長してしまうからです。
でも「無視するな」といっても問題は解決しません。
それよりも「受容」をコツコツと積み重ねさえすれば、子供に「満たす」が形成されて結果的には無視をする必要はだんだんと減ってくるでしょう。
だから、当事者に「無視はイカン」ということはさして意味が無いのです。むしろ自分を責めることにしかなりません。返って受容的態度をもつための心の余裕を奪います。
「受容」ができて子供に「満たす」の貯金が貯まってくれば、精神的なことだけでなく、着替えやお風呂などの生活の切り替えのときがすんなりといくようになったり、昼寝に入れるようになったり、またその昼寝のできる時間、夜の入眠がしやすくなったりという副次的な効果があとからついてきます。
それが養育者の負担を軽くしていってくれるので、大人の方にも余裕ができ、その余裕がさらに受容をしやすくするという好循環を生み出します。
「受容」や「満たす」がたまることにより、「信頼関係」が厚くなります。
その信頼関係が子供へのさまざまなアプローチを、子供が受け入れやすくなります。
このことも養育者の負担を軽くします。
現在「じーー」や「いいきかせ」がうまく通用しないということの原因はここです。なので「じー」や「いいきかせ」は今の段階ではしても逆効果です。
「信頼関係」の構築が進んで、子育てが安定化したあとにだんだんとできるようにはなるでしょう。
でも、本当にいいのは「じーー」や「いいきかせ」が通じる状況が終点ではなく、そうしなければならないことをそもそも子供が自分からしないという「大人の気持ちに寄り添った状態」を目指すことです。
ですがこれも目指して作り出す「正解」ではなく、「受容」、満たす、信頼関係のあとに勝手についてくることがらです。
中には「受容」ということを、「いいなり」や「甘やかし」と混同してそれらのメリハリをうまくつけられない人もいます。
それではさして満たされないので、気をつけて欲しいところです。
「イニシアチブ」のところで言い忘れていました。
大人がイニシアチブを持てない状態が子供の心理状態に何を引き起こすかというと、これが「混乱」なのです。
大人が適切にあるべき姿を指し示して、導いてあげないことで子供はその状況に「混乱」を覚え、イライラしてしまいます。
このイライラが、キーキーした関わりにくい姿の原因のひとつとなったり、大人を叩いたりする攻撃的な姿勢を示す原因となったりします。
「放任」も同様に子供にこの「混乱」をもたらすことがあります。
どういう態度をとったら大人が好意的に受け止めてくれて、どういう態度を取ったら大人は嫌がるのかということが明確に身につけられなくなってしまうのです。
すると、そのもどかしさから子供は大きなイライラを感じます。子供自身良い関わり方を身につけられないので、それはネガティブ行動として出てきます。
「1~2歳の子供が親を叩いてくる」ということをしばしば相談で受けます。
それらの原因にこの、イニシアチブを持てない大人の姿がある場合があります。
なので、「いいなり」や、「子供の意思を尊重していつまでも待ちます」のような大人の姿勢は、ときに子供の姿、子育てを難しいものとしかねません。
「いいなり」になったりするくらいならば、「怒ったり」「叱ったり」といった「NO」を明確に伝えられる親の方が子育てが安定化できることがあるのはこのためです。
31日のコメントに対する返信、および前記事の補足でした。
以下、再コメントに対する返信。
>息子はよく絵本を読んでもらいたいようで 私のところに持ってきますがたいてい、途中まで読んだ段階で他の絵本をまた探しにいき『今度はこっち』とばかりに持ってきます。
これはよくある姿です。
子供がこれにより何を求めているかというと、本の内容ではないのです。
「本を読むことを受け入れてもらうことで、自分を受け入れてもらっているという再確認」なのです。
なので、読んでもらいさえすればいいので内容には実のところさして興味はありません。でも、途中でやめるということは「受け入れてもらえていない」と取れることなので、抵抗するわけです。
本当はこれはまだ「素直な甘え」までは到達していません。
「理由をつけなければ甘えられない」状態です。
大人の「受容的態度」に信頼感が持てるようになれば、だんだんと素直な甘えになっていけるでしょう。
目指すのはその素直な甘えですが、現在の理由をつけての甘えを否定する必要もありません。
現状で、お子さんがすりあわせを行って得た落としどころがそこなのでしょう。いまは子供の方もいろいろやってどこまで受け入れてくれるのかを試しているのでしょうね。
ただ、様子を見て「絵本じゃなくても抱っこしてあげるからおいでー」などと素直な甘えに大人が手助けして変えてあげてもいいかもしれません。無理強いする必要はありません、試行錯誤してみればいいところです。
遊びに関しては後からついてくることです。「できる」を求めなくていいでしょう。
絵本の読み方も型にとらわれることはないです。
いろいろ試してみて、子供が満足できるものを見つけてあげてもいいことです。
一生懸命に子供に「合わせよう合わせよう」とすることも、子供の機嫌を取るように考えてしまうことも、「腫れ物扱い」になってしまうことも、子供に素直な甘え方をだせなくしてしまったり、依存心を高めてしまうということもあります。
無理はせずにだんだんとむにむにさんの自然体で関わっていけるようにするのがいいと思いますよ。
「受容」をためて、自分にも自信をためることができたら、すべきでない、してほしくないことをしたときに、「ごまかし」ではなく、毅然と怒るでも叱るでもしてみてください。
それで怒られたことが悲しくて「エーン、エーン」と泣けるようになったら、そのときが信頼関係が戻ってきたということです。
もし、そのとき子供が反発して叩いてきたりしたとして、そのときに大人がどうしたらいいか途方に暮れてしまったりしたら、イニシアチブがまた子供に戻ってしまいます。
子供の感情に負けないで「叩くんじゃない」と毅然と「NO」を再度つきつけて、そこで「エーン、エーン」と泣けるようになったらばそれでもいいです。
「受容」が足りておらず、自分が受け入れられているということに自信の無い子は「エーン」とは泣けずにずっと抵抗を示さなければなりません。
「受容」をすることが怒られることを受け入れられる子供にできるのです。
子供が泣くことを恐れる必要はありません。泣くことは子供の言葉であり、感情の表現手段です。
「エーン」と素直に子供らしく泣けたのならば、「そういう素直なあなたが好きだよ、ちゃんとお母さんの気持ちがわかったんだね」と抱きしめてあげればいいでしょう。
子供が泣いたからといって親が謝る必要はありません。
それでは何が正しかったのか子供は混乱してしまいかねません。
大人と子供の間に信頼関係がきちんと築かれさえすれば、叱られたり怒られたからといってその関係が揺らぐものではありません。なんといっても自分のおなかを痛めて生まれた子どもなのですから、そこには自信を持ちましょう。
そういうわけで、「受容」のあとに子供の育ちのなにかが見えてきますよ。
| 2014-08-17 | 相談 | Comment : 10 | トラックバック : 0 |
相談 子供への関わりをどこから始めるか - 2014.08.04 Mon
7月17日 ちび母。さんの相談コメントへの返信。
おとーちゃんさんの育児にはとても共感していますし、何度も何度も読み返し参考にしています。しかし、受容を心がける子育てをしようと思えば思うほど、わがままで奔放な子供に対して過剰なストレスを感じて苦しんでいました。
小さな子供がわがままで奔放であってもそれはある意味当たり前の姿であることを、私たち母親は日々の育児の中で忘れてしまうのかもしれません。きちんということをきき、人に迷惑をかけず、良い子してくれないと困る、というのが子供を連れて外に出たときにどうしても感じることです。バスや病院で騒がないか、道路でふざけて飛び出していかないか、他の子供に誤って危害を加えてしまわないか、そんなことを考えながら子供を連れていると、子供のわがままさや奔放さを受け止めることが出来なくなってしまうのかなと感じています。
(小さな子供に無理やり友達づきあいをさせようと思って集団内に連れて行ったり、無理に外出させているわけではありません。近所の公園で遊ばせたり、日々のスーパーへの買い物や病院程度の外出です。)
こうした日々を送っているうちに、他人に迷惑をかけることが恐怖症レベルで怖くなり、子供を抱えていることが申し訳なく感じてしまったりしてしまいました。世の中では「子連れさま」といって、迷惑を顧みずに他人に配慮せず子供を連れ歩く母親を揶揄する言葉もあるそうですが、私はそれとは反対に、萎縮してしまっています。
ちなみに、息子は特別手がかかるとかかんしゃくが強いわけではありません。他の2歳児と比べても、平均的なイヤイヤ具合(?)だと思います。愛想がよく、他児や大人にもにこにこと話しかけるなどとても積極的な性格です。好奇心旺盛で、いろんなものに首を突っ込んだり、なんでもいじったりするタイプです。これも、平均的なものではないかと思っています。つまり、特に難しいタイプというわけではないんです。でも私にとっては大変に感じるのです。母親側のキャパシティもひとそれぞれで、私は許容量が少ないのではないでしょうか・・・。
おとーちゃんさんの言われるように、子供を満たされた状態に出来ていれば親が困るようなことも減ってくるのではないかと信じていますが、上記のようなことで常にストレスを抱えて余裕を失っている母親には子供を満たすこともうまくいかず、悪いサイクルに入ることが多々あります。
たぶん私のように育児に不安やストレスを感じている人は多くいると思うので、そんな状態に陥ったときにでも、おとーちゃんさん流の子育てにシフトできるようなアドバイスがあったら、ぜひ聞いてみたいと思いました。私のような未熟で器の小さい母親でも、子供を満たして幸せにしたいと切に感じています。
この記事の少し前に<『子供』と『子育て』の価値を高めたい>のシリーズを書いていますが、僕は多くの子育てする人たちを見てきて感じることとして、「親の持つ自己肯定感」というものがあります。
この部分が、子供の姿としても、子育ての大変さ、悩みなどにも密接に関わっていて、問題の深刻化、複雑化につながっているとしばしば感じます。
顕著なのは、もともと自己肯定感の少ない人が子育てによって、さらにそれを低下させるという問題です。
そのことは実は子供以前の問題としてあるのですが、結果的に子供のネガティブな問題として出現します。
なので、親自身もそれの原因の一部に自分のあり方が関わっているということに気がつかずに、子供の問題として認識し悩みます。ときには、子供を否定的に見ることにもなります。
とうぜん、それでは問題は解決しないし、子育ての大変さばかりが募ります。
僕がずーーーっと子育てについてばっかり四六時中寝ても覚めても考えてきて行き着いたのが、「子育てによって自己肯定はできないのか?」というところです。
たとえばの話、子育てについて大変さばかりを感じていた人が子供とくすぐりあそびを続けるようになって、「今日は笑顔で一日を終えられた」、「気がついてみたら昨日は一回も怒らずに過ごしていた」そういった実際に手触りのある感触を子育ての中で経験できること、それが子育てを通しての自己肯定を大人のほうができるのではないかということです。
そのために必要なのは、簡単な課題から挑戦して、実際の手応え達成感を感じていくことです。
公文式の算数学習と同じですね(笑)
だから、子育てを感情論、精神論にしてしまうのではなくて、それらをひとつひとつ具体的な関わりに還元して手触りのあるもの、手応えのあるものとして子育てする人に提示していくことだと思うのです。
人によりスタートラインというのはまちまちなはずです。
ちび母。さんはちび母。さんなりに、小さくてもいいから手の届くところからその手応えを積み重ねていくことができたらいいのではないでしょうか。
それは世間で立派と考えられていることでなくていいと思うのです。
子供が花に喜んで水をあげている姿を見てかわいいなーと思える、そんなことからでいいのではないかと思います。
| 2014-08-04 | 相談 | Comment : 16 | トラックバック : 0 |
相談 目が合わない、受容してこなかった(1歳9ヶ月) - 2014.08.04 Mon
7月20日 むにむにさんの相談コメントへの返信
相談内容はかなりの長文なのでこちらのリンク先のコメント欄からどうぞ。
機械に子育てはできない Vol.1 ーリスクがあることー
コメント欄一番上
むにむにさんはじめまして。
できるだけ力になりたいと思いますが、僕からは限られた部分しかわからないし、お子さんの様子やむにむにさんの関わり方などもコメントの文章から推測するしかありません。なので必ずしも適切なことが言えるとは限りません。むにむにさんのケースには合っていないことを書いてしまうかもしれませんので、そのあたりを理解して参考として読んでくださいね。
例えば、お子さんの様子についてなどはなんらかの発達上の問題などがあった場合などは本当に対応がかわることもあります。なのでそういったものではなくいまの姿というのは、これまでの子育ての関わりの上でもたらされているという仮定で話を進めなければなりません。そう思って聞いてくださいね。
おそらく息子さんに必要なのは、むにむにさんからの「積極的なよい関わり」です。
「積極的」というところがポイントなのです。
現状、親子間の関わりの多くが、
子供がなにか要求する(または大人の困ることをする)
↓
それに大人が応える(ダメだしや力ずくでの対応をする)
というかたちになってしまっていると思います。
お子さんがして欲しいのは、むにむにさんの方から笑顔で楽しい関わりをたくさんしてもらうことなのです。
子供と楽しい時間を持ちたいとおもっていても、大人が子供のかわいい姿を待っているだけでは決してでてきません。
現状では、息子さんは「大人が困ることをしてそれになんらかのリアクションをとってもらう」という関わり方しか知らないのです。
なので、それを必死に一生懸命しているのです。
それに対して、むにむにさんは多大なストレスを感じますから「無視」するというところが着地点になってしまっているのですが、「無視」をすればするだけ子供はさらにたくさん求めなければなりませんから、さらにお母さんからのいい関わりを求めて「大人が困ることをする」という自分の知っている唯一の方法で関わりを求めることになります。
つまりは、悪循環です。この悪循環を変えなければならないのですが、そのきっかけを子供に求めてもそれは不可能です。大人の方にしかこの鍵は持てないのです。
で、大人はどうすればいいかというと、最初に述べた「積極的なよい関わり」ということなのです。
(『無関心をつくらない Vol.2』 この過去記事が参考になるかもしれません)
>また、歯磨きを本当に嫌がります。虫歯は待ってくれませんし息子は受け口のため、虫歯にもなりやすいようで
『歯磨きしてスッキリしよー』と誘うと必ず笑いながら逃げます。
このときに「笑いながら逃げる」のは、お母さんが自分を見てお母さんの方から関わってくれてうれしいためです。
親は歯磨きを「しなければ」という思いで追うのですが、子供からするとそれを自分に注目してくれる関わりととっているのです。
たぶん、食事のときも同じような子供が逃げ回るのを後ろから食べ物をもって追いかけている(もしくはイスに戻そうと追いかけてくる)というような状況があったのではないでしょうか。
子供が成長のためにどうしても必要な、親からの「受容」というものが不足していたためにこれが起こっているのです。
それが大人から見て「困る姿=ネガティブ行動」をたくさん生んでしまっています。
この歯磨きのときと食事のときの「逃げる」行動は、受容不足の親子間で典型的に出てくる姿です。
とりあえず、一日何回もくすぐり遊びをしてみましょう。
そのうちの何回かは、生活の流れの中できまったタイミングでするようにしてルーティン化すると効果的です。
例えば、朝:起きた後、昼:昼食後、夜:お風呂の前 など、ご家庭の事情に合わせてのタイミングでいいです。
また、戸外や広いところなどで追いかけっこもいいです。
「まてまてー」と大人が子供の後ろを追いかけてあげます。
「こっちだよーー」と大人が両手を広げてあげて、子供が来たら抱きしめてあげるという遊びでもいいです。
でも、たぶんこちらは「まてまてー」の追いかけっこをたくさんしてからでないとできないかもしれません。
追いかけっこの方が「注目」という実感が強いので。
これでなんの意味があるかというと、「大好きなお母さんが暖かく自分を見ていてくれている」という経験を「楽しい」という実感とともに積み重ねていけることです。
現状のお子さんはこの経験がマイナス状態です。それをこれからの関わりで埋めていかなければなりません。
(記事で言うとちょっと古いのであまりうまくかけていませんが「満たされた子供」のカテゴリです。『先回りした関わり』の記事もいいでしょう)
もしかすると、くすぐりをしても最初は思ったよりもあまりいい反応が返ってこないかもしれません。でも続けてみましょう。
また、それをするときは大人の側がイヤイヤだったり、うんざりしてでは意味がないので、義務でやるのではなく自分も楽しい気持ちになれるときにすることが大切です。
いくらルーティンにしてもそのとき楽しい気持ちになれないのでしたら、無理にする必要はありません。
当面はこまごまとしたこと、なにか困ることをしたときの怒り方などは気にしなくていいです。
とにかくこういったくすぐりなどで子供を「満たす」ということだけやってみます。
もし、バナナで釣ってむにむにさんがストレスなく過ごせるならばそれをしてもかまいません。
当面はこの「満たす」の貯金です。
現状では「じーー」も「いいきかせも」効果はありませんので、問題行動があってもリフトなどで無理矢理危険を取り除くということでかまいません。
その分の時間を「くすぐり」や「絵本の読み聞かせ」でもしてあげてください。
「無視」はいいことではありませんが、一対一で子育てしているむにむにさんの育児ストレスの多い状況を考えたら、当面はそうなってしまってもやむを得ないかもしれません。
「言うことを聞かない状態」(大人の思い通りにならない状態)の対応で、神経をすり減らしてしまうくらいならば、いったん子供を視界から離して落ち着いてみるということ、その分力を温存しておいて「満たす」の方に回すということでもいいでしょう。
くすぐりなどを続けていれば、必ずお子さんの姿に変化が出てくると思います。
頭をぶつけるという行為もおそらくは減るはずです。
吐くのもおそらくよい関わりを求めて、「お母さんに注目して欲しい」という気持ちの表れだと思います。
『喜怒哀楽と表情』の記事に書いた点も気をつけてみてください。
いくらくすぐりをしても「目が笑っていない」ような状態では少しも効果がないということもあります。
とにかくいまは「満たす」をして子育ての安定化・親子関係の安定化を目指す段階です。
さまざまな「できる」はその後からついてきます。
今の段階で、「ごまかし」や「釣り」はよくないとそういう点を気にしていても仕方がありません。
それらを使ってもいいから「満たす」が貯まるまでしのいでいきましょう。
「甘やかし」は関わりのイニシアチブが子供の側にあるので、それだといくらしても子供は親にして貰っているという実感が持てません。なので「満たす」が貯まらないのです。
なので、大人から積極的に関わる心地よい経験が必要です。
とにかくいまは「満たす」をすることです。
できるならば余裕のあるときだけでも、むにむにさんの気持ちを「おおらか」「のんびり」という時間を設けてみるといいと思います。
だら~~んと力を抜いて仰向けに寝そべって、そのおなかに子供をのっけてぐて~~っとしてみます。
どうなるというものでもないけれども、そういうことをしてみるとなにかが変わってくるかもしれませんよ。
はっきりいって現状は受容という必要なモノがマイナス状態になってしまっていますが、まだ1歳9ヶ月というかなり早い段階で対処が可能になっています。大人次第でなんとでも変えることができますので、自信を持ってこれから関わっていってあげてください。
| 2014-08-04 | 相談 | Comment : 5 | トラックバック : 0 |
相談 上の子が下の子にちょっかいを出す(2歳7ヶ月) 8/03追記 - 2014.08.01 Fri
私も二児の母になり(2歳7ヶ月息子と6ヶ月娘)、上の子を甘やかしでない素直な甘えの受けとめを心掛けていますが、上のお兄ちゃんは身体に少しハンディがあっため大事にしてしまったのではと反省。イヤイヤ期も二人目出産と重なり大変でした。やっと最近になってイヤの言葉がなくなったところです。(最近は「何で」が口癖です)
上のお兄ちゃんは、退屈しのぎに妹のところへ行っては、ちょっかいを出すのですが、この時期特有ですか。それとも、満たされない気持ちがそうにさせるのでしょうか。ちょっかいとは、顔を撫でているのがそのうち強く握ってたり、横で寝転んでいたのがそのまま上に乗ってたり、、です。見ると危険なので危ないからバツだと言っているのですが何度もやります。
>退屈しのぎに妹のところへ行っては、ちょっかいを出すのですが、この時期特有ですか。それとも、満たされない気持ちがそうにさせるのでしょうか。ちょっかいとは、顔を撫でているのがそのうち強く握ってたり、横で寝転んでいたのがそのまま上に乗ってたり、、です。見ると危険なので危ないからバツだと言っているのですが何度もやります。
以前の『兄弟関係について その3』『その4』にも書いてありましたが、この時期にはたしかにそういったちょっかいをだすことがよくあります。
ただ、お子さんがその時期としての行動なのか、それとも満たされなさなのか、その両方なのか、はたまた全然別の理由なのかということを、様子の見れない僕からはわかりません。
また実際に見ていても正確に判断できるとも限りません。
僕自身もそういうところがあるのですが、ままこさんの悩みの傾向も「心配を先に立たせてしまう」というようなところがあるようですよ。
子育てというのはちょっとどうかしたからと言って、取り返しのつかない失敗をするというものでもありません。
よしんばなにかちょっとうまくいかなくても、あとからでも修正の利くものです。
「やめるように言っても、何度でもされて自分としては困るのだけど受容が足りなくてしているのだったら怒ってしまったら逆効果になってしまうから、どう対応したらいいのだろう・・・」という不安がこの悩みの背景にあるのではないでしょうか。
つまり、子供に対してどういう態度をとればいいかという自信が持てていないところに、子供の姿ということ以上の問題の本質があるのだと感じます。
もし、本当に困ることであるならばしっかり感情を込めて、「怒る」でも「強くやめてと言う」なりなんなりしてみてしまえばいいと思いますよ。
よしんば、受容が足りていないからだとしても、受容は受容で別のところすればいいのです。
その強い態度を示すということが親としてできないということは、「自分のしている受容に自信が持てていない」ということです。
実際に受容が十分になされていたとしてすら、親が子供にした受容に自信が持てないということは、子育てをネガティブな方へと向かわせます。
逆に実際受容が足りていない人でも、そこになんの疑いも感じない人のほうがすんなりと子育てがうまくいってしまうことだってあります。
問題は受容が足りているか足りていないかではないと思います。
この場合は親としての自分に自信が持てているかいないかということの方が問題を大きくしてしまいます。
もし、子供の行為を止めてそれで子供の姿になんらかの問題がでるなら、そのときそれに対処すればいいのです。
それを最初から恐れて子供への関わりにおっかなびっくりになって、腫れ物扱いするようになったら、たいてい年齢が進めば進むほど子育てが大変になってしまいます。
下手でも失敗してもいいから自信をもって関わって、その結果から子供との関わりを実地に学んでいくというのもとても大切な意味のあることです。
以下、追記部分
こういった相談はたくさんあるので、さらに重要なことを追記しておきます。
「下に弟妹が生まれて上の子が満たされていないのではないか」
そのように感じて、それが悩みになってしまう人がとても多いです。
でも、どうかその状態を恐れないでください。
弟妹ができたら上の子は満たされない姿がでるかもしれません。
むしろ多くの場合でるでしょう。
しかし、それで普通の状態なのです。
誰しもが通る道だと思ってしまいましょう。
満たされなくなったから、親の子育てが悪かったわけでも、その状態がその子の子育てにとってマイナスなわけでもないのです。
それは弟妹ができたときに誰もが通る道です。
それがスタートラインなのです。けして後退したわけではありません。
それは親の子育ての仕方の問題だけでもないのです、上の子にとっても弟妹ができたということはその子が乗り越えなければならないテーマなのです。
なので、弟妹ができて上の子が満たされていない姿を示すようになったからといって、それを上の子に対してかわいそうだとか負い目に感じてはいけません。
親がそういう気持ちをもってしまえば、上の子はその親の気持ちに依存してしまいたくなって、返って前に進めなくなってしまいます。
こんな事例があります。
どちらも男の子。上の子が2歳後半のときに、弟が誕生。
母親がなにかの育児書で、「弟妹が生まれたらその赤ちゃんの世話以上に上の子に手をかけなければならない」というのを読んだとのこと。
その本の内容が、そこまでの対応を求めていたのかどうかはわからないが、母親はこのように解釈し、弟の世話は父と祖母にまかせ、母親は兄をかまうことに専念するという育児方法をとる。
極端に言えば、兄弟などいないかのように両者に対応したのである。
その結果、
父と祖母が弟の対応に手を抜いたわけではないが、弟は慢性的に満たされておらず0歳の時からイライラ、噛みつきなどが多く、表情が沈んでおり、自己肯定感の低さがところどころに表れていた。
やはり、母親を求めてもほとんどそれに応えてもらえないということが、そういった姿を助長してしまったのではないだろうか。
兄の方は、とてもわがままな性格に育ってしまった。自分の要求が通らないとそこで癇癪をおこしたり、心が納得できないのでモノに八つ当たりをしたり、弟の行動にもいちいちヤキモチをやいたり。
母親への依存心が強く、月齢は高かったのだが心の成長はそれよりもずいぶん幼いところでとどまってしまっていた。
ある程度の年齢になってからも兄弟仲はすこぶる悪かった。
この事例は、単に兄弟を分けて対応するということが原因だけでなく、そこでの大人たちの関わり方にも自己肯定感を持たせられなかったり、依存を強めてしまったりの問題があったのかもしれないので、一概に言えることではないだろう。
しかし、上の子に対して下の子が生まれたことの影響を過剰に気にしすぎることがよくないという一面の事実は表していると思われる。
これは極端な事例ですが、弟妹ができてそれが上の子に与える影響というのを気にしすぎてもいけないということは、多くの人に当てはまることではないでしょうか。
上の子が満たされない姿がでて普通です。
下の子にちょっかいを出したり、手を出したりという行動も多く見られます。
そういう姿がでたときに、「下の子ができて満たされていないのだわ。満たされていないのは自分の責任だわ」と思ってしまって、それを親が負い目にしてしまったら子育ての迷走する確率はぐっとあがってしまいます。
でも、よく考えてください。
上の子は、下の子が生まれるまでの年数だけ親からのよい関わりというのを独り占めできていたのです。
その分の蓄積というのは必ずあるはずですね。
親もそこに自信を持って、「これまであれだけしっかり関わってきたのだから、この子はきっと乗り越えられるはずだ」と子ども信じて大人としてとるべき対応を毅然とすればいいのです。
そこで大人がひよって上の子を腫れ物扱いしだしたら、上の子の気になる行動というのはむしろ増えてしまうという可能性が高くなるだろうと思います。
弟妹の存在を上の子が受け止めそれを乗り越えるというのも、成長のためにはとても大切なことです。
自立のために必要なことなのです。
大人がそこを囲い込んで過剰に守ってしまっては、その子は自立をさせてもらえなくなってしまいます。
僕はこれまで逆のケースについて例えば「お兄ちゃんだから我慢しなさい」はよくないということを述べていますが、↑のように考えて子どもを囲い込みすぎてしまうような人には、あまりそれを過剰に考えてはいけないということを知っておいた方がいいだろうと思います。
この種の兄弟関係にまつわることは、過去記事にも、コメントでの相談にも多数あります。
もし、気になる方は過去記事検索や、<はじめにおよみください>の中に書かれているコメント欄も該当する検索方法で
「兄弟」 「弟妹」 「下の子」
など調べてみると関連のところが見つかるかと思います。参考までに。
上の事例を自分で改めて読んでみての感想。
そのお母さんにそのような養育方法をとらせてしまったことのもともとの発端というのはなにかなと考えてみると。
たぶん、「恐れ」があったのではないかと感じます。
「下に生まれると上の子が荒れたりする」という情報が頭にあって、そうなっては困るという「不安と心配」から極端な対応をとらせ、それをしてはみるが根本的なところで子どもに対する「自信」が持てていないのでいい関わりにまではならなかった。
子供の成長に対して、予防線を張りその予防線のための予防線を張り、という囲い込みの関わり方をして、しかしいっぽうで子供に対する自信の持てなさから子供に対しての関わりのイニシアチブを大人が持つことができずに、子供を腫れ物を扱うような関わりになってしまい、結局当初の目的は果たせないどころかさらにこじらせてしまっているという状況が生まれたのではないでしょうか。
子供の姿を恐れながらではどんな子育てもうまくはいかないものです。
子供に問題がでたならば、そのときに対応を考えればそれでいいものです。
子供に転ばせてはならないと、先回り先回りして過保護過干渉をしていく人がいます。
ちょっと走っただけで、「あぶないあぶない」。大して危険でもないのに過剰に心配してそこに行かせなかったり、させなかったり、仮定の失敗ばかりに目がいってそれの心配のあまり予防線ばかりを張り巡らしてしまいます。
必ずとはいいませんが、そのような関わり方ではなかなか子育てはうまくいきません。
それよりも、「子供は転ぶものよね」とどっしりかまえていて、それで転んだら「じゃあ見てあげるから、いらっしゃい」と子供に自分で立たせて、「はい、これくらいなんともないよ」と自信を持って子供に示せる人の方がずっと子育てはすんなりといけることが多いです。
| 2014-08-01 | 相談 | Comment : 6 | トラックバック : 0 |
相談 食事時 食べ歩きテレビをみるクセをつけてしまった(1歳8月) - 2014.08.01 Fri
1歳8ヵ月の息子の食事について、相談させてください。
もっと早くこちらのブログに出会っていればよかったとすごく後悔しています。食事のカテゴリーの記事を読ませていただいたのですが、やってはいけないことを私はたくさんしてしまっていました…。
息子は母乳で育てており、最近は夜の寝かしつけと夜中の授乳(2~3回)があり、たまにお昼寝前にも飲んでいます。
離乳食を始めた頃からほとんど食べない子でした。また、手づかみを嫌がり(手が汚れるのを嫌います)、いまだに私が食べさせています。ただ、最近フォークには興味を示し、まだ自分では完璧にさせませんが、私がさして置いておくと、自分から持って食べるようになりました。
主人は「お前が神経質で、手が汚れたらすぐ拭いていたから、手づかみしなくなったんだ。」と言います。その通りだと思います…。
息子は1歳半頃から、食事中にダイニングのハイチェアからおりたいと、椅子をゆするようになりました。かなり激しくゆすって危ないのでおろすと、部屋中を歩き回って食べるようになりました。
いけないとは思いましたが、好きなDVDを見せながらだと、座って食べます。
ただ、今度はDVDをつけないと食べなくなってしまいました。ハイチェアに座ると「ビ、ビ!(テレビ)」と要求し、つけないと怒って泣き出し、ごはんどころではなくなります。
もともと食べない子なので、DVDを見ながらでも食べるなら…と思っていたのですが、やはりよくないと思い、何とかやめさせたいと思っています。
食べないなら片付ける、というのも何度かしたのですが、おっぱいが飲めると思っているからか、片付けても怒らず、食べなくても特におなかがすいたというアピールはありません。
また、私が来月から仕事復帰するために、今週から慣らし保育を始めたのですが、保育園でも座らず歩き回り、給食をまったく食べません。
保育士さんからは「環境が変わると急には食べないと思うので、しばらくは給食の時間にお母さんが来ていっしょに食べさせてみてください。」と言われ、そうしていますが、それでも食べる気配はありません。
ここのところは食べるものも限られてきて、チャーハン、うどん、オムライス、ドリア、パン、バナナは好きですが、ごはんとお味噌汁とおかず、のような献立だと食べません。
食べないからと言って、私が息子の好きなものばかりを作ってしまっていたからだと思います。
テレビのことも立ち歩きのことも好き嫌いのことも、私に責任があるのはわかっていて、反省しています。
でも、やはりせっかくの食事ですから息子に楽しんでほしいし、私も楽しみたいと思っています。
この相談は、食事の相談となっていますがおそらくは本当の問題点というのは食事のことなのではなくて、子供との関係性にあると考えられます。
なので、「うまい食べさせ方」というようなことを模索したところで、本質的な問題は解決しないのではないかと思います。
現状、子供とゆきさんの関わりが、
子供の行動 → それを押さえる(もしくは、困ったと感じる)大人のリアクション
ということの繰り返しになってしまっています。
親子の関わりにおいて、イニシアチブが子供にある状態です。
現在1歳8ヶ月という年齢ですから、行動の幅はそう大きくありませんので食事に関して顕著になっているのですが、これがこのままいけばほかの場面でも、「手に負えなさ」ということが増えてきてしまうでしょう。
多くの場合、このような親子の関わりになってしまっている人の背景には、大人の方にどのように子供と接したらいいかわからない、自信がもてないということがあります。
それゆえに、親子関係の主導権が子供にいってしまって、親はその子供の姿に苦慮するというパターンになってしまいます。
では要点は、大人の方が主導権を持つためにはどうするかということです。
べつにビシバシ厳しくしなさいということではありません。
そのために必要なことは、大人から子供に「受容」を示し積極的に関わると言うことです。
具体的には、「先回りした関わり」を意識することで、だんだんとその関係が取り戻せていけると思います。
「受容」、「先回りした関わり」、「信頼関係」というワードで検索していただけば、関連の過去記事がたくさんでてきます。
また、「心の育て方」や「相談」のカテゴリにもヒントになることがあるでしょう。
それプラス「弱い大人」で検索してもらって、その関連記事もおそらく助けになることと思います。
簡単に要点だけかいつまんでまとめると、こういうことです。
大人の方から子供をかわいがったり、笑顔で子供と関わる時間を多く持てるようになることで、子供はある程度の満足感を得られるようになります。
そういった、子供が大人との関係に安心感や満足感を持てていると、大人を困らせる要求というものが減ります。
また、もし子供が困る行動をしたとしても、大人がそれ以前の普段の関わりで、大人も子供も満足できる時間を共有できていると、そういった局面でも子供に対して自信をもって関わることができるようになります。
この関係性を作ることがまず大切です。
それができてしまえば、食事時の問題というのも自ずと方向性が見えてくるでしょう。
大人と子供の関係性が今のままでは、食事にかんしてあれこれしたとしてもたぶん迷走に終わってしまいます。
とりあえず、食事のことを強くどうこうしようと思わずに、それ以外のところで関係作りをしましょう。
「先回りした関わり」のところで出てくるとは思いますが、そういうことを積み重ねることで「共感性(心のパイプ)」というものが太くなっていきます。なので、そのためにも「たのしいねー」「うれしいねー」「きれいだねー」「おいしいねー」とたくさん共感する経験を意識的に増やしていくことも効果的です。
大人がしっかりとイニシアチブをもって関わっていて、子供との間に共感性を育んでいたら、子供がテレビを要求したとしても「ん、それはやだよ」と思い、伝えるだけで子供はその状態を受け入れていくことができるようになります。
しかし、その関係性がない状態ではより大きな大変さとしてでてくるだけのことが多いです。
これ関連の過去記事はとても多いので読むのは大変でしょう。今日すぐにでもできることは「くすぐりあそび」です。
一日のうちにたくさんくすぐって大人も子供と笑いあって楽しい時間を持つようにしてみましょう。
おそらく、それだけでも何かが変わってくると思いますよ。
| 2014-08-01 | 相談 | Comment : 3 | トラックバック : 0 |
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