相談 母親に噛みついてくる(1歳半) イニシアチブと気分バロメーターの話 - 2014.08.26 Tue
最近ブログの方まで手が回らずに、原稿執筆が煮詰まってしまったときの気分転換くらいでしか時間がとれないので更新頻度はとても低くなっております。相談コメントも返信がいつになるかわからない状況なので、過去記事・過去コメントをあさってしまった方が手っ取り早いかもしれません。過去コメントの検索方法は『はじめにお読みください』こちらにありますのでよろしければ参考になさってください。
8月9日 ぱんだるしあさんの相談コメントへの返信
はじめまして。子どもが生後5ヶ月の頃、こちらのブログに出会い、以降愛読させていただいています。
おかげさまで、心のパイプがつながっているとはこういうことなんだなぁと、実感することも多くなりました。ありがとうございます。
けれど、困っていることがひとつあって、ご相談させてください。お忙しいこと承知しておりますので、過去記事や皆さんのご相談を参考に何とかならないかと試行錯誤していたのですが、なかなか解決せず、相談コメントを書かせていただきました。すみません。
1歳半の女の子、1歳頃からでしょうか、私への噛み付きが頻繁なのです。父親にはたまにありますが、母親以外にはあまり噛み付きません。
0歳の頃から、授乳中に噛むことがありました。それとは別に、私とじゃれあっていて興奮して噛み付く、私が他のことをしているとかまって欲しくて噛み付く、何気なく甘えたくて噛み付く、そんなかんじです。様子としては、いかにも嬉しそうだったり、イライラして怒っていたりします。
目を見て真剣に「それは困る」と言うと、娘も真面目に理解してくれたように感じたこともあったので、噛むのはいけないとわかっているような気もします。それでもおさまりません。
噛んだら、部屋に一人残すという対処をしたこともありました。娘はギャン泣き、私が戻ると、嬉しくなってまた噛み付く、また一人にする・・・を繰り返し、私も娘も感情が高ぶってひどいことになったので、このやり方は失敗だったと懲りて、二度としていません。
「楽しくなっちゃったんだね、もっと遊びたいんだね、甘えたかったんだね」と受容してから、「やめて欲しい」と言うのもやさしくを心がけたこともあります。ただ、無防備なところいきなり噛まれると、私も痛いのが先になって、「イタイ!」と叫んだり、ゆとりがなくなって怒ってしまうこともあります。
現在は、噛み付きそうになったら、あごを押さえ抱きしめ、泣き出したら、その気持ちを受け止めてあげる(「抱っこ法」というやり方をネットで見つけました)ということもしてみています。
娘が私にぴったりくっついてきたときに、「そういう甘え方のほうがずっといいよ~」と素直な甘え方を教えたりして、これは少し効果があったような、うっすらとした手ごたえがあるような気がします。ありがとうございます。
最近では噛む以外に、強く引っかく、叩くこともたまに出てきました。
引っかくのは、飼い猫と遊ぶことがあり、娘も加減なく猫をたたいたり引っ張ったりつねったりするので、反撃にあうこともあり、その影響かなと思ったりします。
娘にとっては引っかくことも、遊びや、親愛の情の表現になっているように感じます。イライラの発散法としての面もあるようですけれど。
つまり、嬉しい・楽しい・愛しているの表現も、イヤだ・イライラする・怒っているの表現も、どちらも噛んだり引っかいたりになってしまっているのかもしれません。
保育園などには行かず、専業主婦の私と、一日中のんびり過ごしています。ただ、24時間いっしょにいると、私が煮詰まってしまうことも否めません。一人遊びも、まだまだわずかな時間しか続かず、後追いもあって常に私にまつわりついています。
授乳も頻繁で、父親のいる休日などは長時間飲まずにいられるのですが、私といるとどうしても飲みたくなるようです。夜間断乳を考えたこともありましたが、実行にはいたっていません。
テレビはなるべく見せないようにはしていますが、私もリラックスしたくてテレビをつけたり、短時間ですがたまにいっしょに見たりしてしまいます。また、0歳の頃から、同居の祖母の部屋で、相撲を見せてしまっていました。考えてみれば、相撲は格闘技なのに、暴力という認識がなかったです…。
子どもの性格としては、じっくり観察して自分が納得してから動くというタイプ、歩き出すのも遅かったかなりの慎重派です。現在、人見知り、場所見知りが強いです。一ヶ月ほど前から成長期も始まってきたのか、イヤイヤと自己主張することも増えました。人の気持ちにも敏感で、私に寄り添ってくれる場面もあります。
私としては、過保護過干渉には気をつけてきたつもりです。ただどちらかといえば、いいなり気味なところがあるかもしれません。
言葉が出てくれは、収まるのではないかと、成長を待っていた面もあります。最近では、ずいぶんいろんな言葉を覚え、「のむ、よむ、のる、とる、だっこ」など、自分の要望も表せるようになってきました。それでも噛み付きがあるので、言葉待ちだった私としては、ちょっと行き詰ってしまいました。また、歯が生えてきていることも、噛み付きの原因かとも思います。
それ以前の受容として、くすぐったり、いっしょに遊んだり、表情を豊かにしたり、地道にやっています。噛んだとき以外の場面では、共感したり、笑いあったり、認めたり、褒めたり(「そうしてくれると助かるよー」とか)全面肯定を心がけているつもりなのですが。
このような対応をしつつ、さらなる成長を待つということでいいのでしょうか。それとも他になんらかの関わり方があるでしょうか。ご教示いただけたら幸いです。
すでにお読みかとは思いますが、こちらに関連記事があります。ただ、今回のご相談にはドンピシャリというわけではありませんね。
そういわけで、ここでは『イニシアチブと気分バロメーターの話』をしたいと思います。
このことは噛みつきだけでなく、通常の子育てにおいても大きく関わってくることですので、多くの方の参考になるかと。
・気分バロメーター
立派な図を作る技術も能力も時間もないので、おおざっぱな図で申し訳ありません。
① ~~~~~~~~~~~~~~~~
② ――――――――――――――――
③ ================
これは大人の方の気分です。相関関係は上下にあるイメージで。
①良い機嫌、楽しさをまとった雰囲気 ②良くも悪くもないフラットな感情の位置 ③子供に対してうんざりしていたり、怒っていたりというネガティブな雰囲気
僕はこれまでにも「メリハリ」「毅然とした態度」ということを言っていますが、子供へ気持ちを伝えるときには「気分の差」というものがあって伝わります。
普段の気分が①の位置にいる人は、して欲しくないことや怒ったときなど①の位置から②の位置までもしくはより強く伝えるときは③の位置までの気分の落差がありますので、その気持ちのギャップが起こったことで子供はそれを聞くべきことだと受け止めやすいです。
怒ったり叱ったりしているのに、親の位置が①にいるのか②にいるのか③にいるのか子供がはっきりとわからないようでは、それは伝わりません。
子供は大人が機嫌良く過ごしているとそれが直接子供とは関係ないことであっても、自分は「ここにいてよい」「受け入れられている」「認められている」という感覚をもてます。
しかし、いつも③の位置に大人の感情があると、子供はその大人にこころよく受け止めてもらっていないのではないかと感じてしまいます。これは理由が子供になくてすらそうです。
その意識は、子供に現状に安心感をもてなくなってさせてしまいます。
②の位置は子供に対してネガティブな感情をむけていないのだから、そうそう悪くもないのではないかと感じられますが、子供は大人からの保護を欲するという気持ちがありますので、実は積極的にポジティブな感情を向けていないこの②の位置も、子供は安心感を持てず、不安・不満を覚えるのです。
ぱんだるしあさんは
>ただどちらかといえば、いいなり気味なところがあるかもしれません。
とおっしゃっています。
この「いいなり」気味の状態というのは、親が明確に親の位置と親のとる一貫した行動、子供の取るべき行動、というのを曖昧にしてしまいます。
それゆえに「いいなり」は子供に安心感を持てない、不安・不満という心理を呼び起こしてしまいます。
>「楽しくなっちゃったんだね、もっと遊びたいんだね、甘えたかったんだね」と受容してから、「やめて欲しい」と言うのもやさしくを心がけたこともあります。ただ、無防備なところいきなり噛まれると、私も痛いのが先になって、「イタイ!」と叫んだり、ゆとりがなくなって怒ってしまうこともあります。
この対応ですが、この前半部分には「曖昧さ」があります。
「噛む」というのは本当に困った事態なはずです。だからこそこのように相談もしてきているのでしょう。
>「楽しくなっちゃったんだね、もっと遊びたいんだね、甘えたかったんだね」
このように受けていたら、子供はそれが本当に否定されていることなのか、そこそこ許容されていることなのか判断つきにくく混乱してしまいます。
こういうときはすべきでないことなのですから、とことん否定してした方が子供のためなのです。
曖昧に対応されていると、子供は取るべき行動の判断がつかず、なんどもすべきでないことを繰り返して、受け入れられない行動をとり続けることになっています。
ウィキペディアの編集画面を開くと「曖昧さ回避にご協力ください」ということが書かれています。
適切な事実を伝えるために、中途半端な表現をして読み手に誤解をさせないようにということだと思います。
子育てのこういった場面でも「曖昧さ回避」は大事なことです。
「弱い大人」タイプの人、「いいなり」になってしまうような人、関わりに自信の持てない人はついつい曖昧になってしまいます。
噛まれるのが大人でも、嫌なことなら嫌というのが誠実さというものです。
自信を持って、しっかり気持ちを込めて「やめて」「しないで」と言い放っていいのです。
そういった「曖昧さ」を抱えている人は、先ほどの図の気持ちのありかが子供からして「曖昧」になってしまいます。
①にいてくれればわかりやすいですが、③にいるのか②にいるのか、①に近い②なのか③に近い②なのか・・・子供は安心感を持てずに不安・不満を感じて生活することになります。
最近の相談への返信ではたびたび「イニシアチブ」に触れていますが、大人が子供に対して「イニシアチブ」を示せないのも、混乱を招き安心感を欠き不安不満を持たせることにつながります。
大人の側の「イニシアチブ」が明確でない関係では、この大人を叩く・噛みつくといった行動がとても出やすいです。
そういう状況にある子は、その不安・不満を情緒の不安定というかたちで出してしまいます。
また、そういう曖昧な親にたいして「①の位置に返ってきて」というメッセージを送らなければなりません。
すると、この年齢の子供は親に対して叩いたり、噛んだりという行動につながります。
残念なことにこのメッセージの送り方では、大人は①の位置に来てはくれないのですが、子供にはそのような伝え方しかできないので、それを続けることになります。
僕は「子供を否定しないで育てましょう」と確かに言っています。
でも、「子供が否定すべきことをしたときにも否定をしてはよくありません」と言う意味では言っていませんね。
そのように言えばどなたでもおわかりになるとおもいますが、子育てに自信のない人はついついそこまで混同してしまいます。
子供が熱いヤカンに触ろうとしたら、親なら誰しも止めますね。
もう少し大きくならなければそういう場面はないかもしれませんが、子供がはさみやカッターを持って他の子を叩こうとしたらとめますね。
それらは「否定すべきこと」だから、当然誰しもが否定するわけです。
ここでの噛みつきもそれらと変わりません。
大人が自信を持って毅然と否定していいことなのです。
そこをしきれない大人の曖昧さ、弱さが、こういった子供の困った行動の遠因ともなり、同時にそれらの行動を助長もしてしまいます。
よしんば、子供がなんらかの満たされない状態にあって、噛みつきがでるのもやむを得ない状態だったとしましょう。
しかし、それでも止めなければならないことはかわりません。
否定すべきことは否定した上で、別の受け入れられるかたちに変えてそこを受けなければならないからです。
そういうわけで、
・「曖昧さ回避」
・大人が①の位置に、つまりおおらか、ゆったりとした気分を伝わりやすいかたちで日々持って過ごす
・子供に対してイニシアチブと自信を持って関わっていく
このあたりのことに気をつけてみるといいのではないでしょうか。
追記
②の位置というのは、普段①にいる人の②は①に近い②になりますから、それでも子供は不安を感じるほどではありません。しかし、普段③にいる人の②は子供には③に近い②ですので、安心感をもてなかったり不安を感じる②になってしまいます。
同じ②の笑いもしない、かといって怒ってもいないという状態なのだけど、その人の性質によって子供にはずいぶんと変わってとらえられてしまうようです。
8月9日 ぱんだるしあさんの相談コメントへの返信
はじめまして。子どもが生後5ヶ月の頃、こちらのブログに出会い、以降愛読させていただいています。
おかげさまで、心のパイプがつながっているとはこういうことなんだなぁと、実感することも多くなりました。ありがとうございます。
けれど、困っていることがひとつあって、ご相談させてください。お忙しいこと承知しておりますので、過去記事や皆さんのご相談を参考に何とかならないかと試行錯誤していたのですが、なかなか解決せず、相談コメントを書かせていただきました。すみません。
1歳半の女の子、1歳頃からでしょうか、私への噛み付きが頻繁なのです。父親にはたまにありますが、母親以外にはあまり噛み付きません。
0歳の頃から、授乳中に噛むことがありました。それとは別に、私とじゃれあっていて興奮して噛み付く、私が他のことをしているとかまって欲しくて噛み付く、何気なく甘えたくて噛み付く、そんなかんじです。様子としては、いかにも嬉しそうだったり、イライラして怒っていたりします。
目を見て真剣に「それは困る」と言うと、娘も真面目に理解してくれたように感じたこともあったので、噛むのはいけないとわかっているような気もします。それでもおさまりません。
噛んだら、部屋に一人残すという対処をしたこともありました。娘はギャン泣き、私が戻ると、嬉しくなってまた噛み付く、また一人にする・・・を繰り返し、私も娘も感情が高ぶってひどいことになったので、このやり方は失敗だったと懲りて、二度としていません。
「楽しくなっちゃったんだね、もっと遊びたいんだね、甘えたかったんだね」と受容してから、「やめて欲しい」と言うのもやさしくを心がけたこともあります。ただ、無防備なところいきなり噛まれると、私も痛いのが先になって、「イタイ!」と叫んだり、ゆとりがなくなって怒ってしまうこともあります。
現在は、噛み付きそうになったら、あごを押さえ抱きしめ、泣き出したら、その気持ちを受け止めてあげる(「抱っこ法」というやり方をネットで見つけました)ということもしてみています。
娘が私にぴったりくっついてきたときに、「そういう甘え方のほうがずっといいよ~」と素直な甘え方を教えたりして、これは少し効果があったような、うっすらとした手ごたえがあるような気がします。ありがとうございます。
最近では噛む以外に、強く引っかく、叩くこともたまに出てきました。
引っかくのは、飼い猫と遊ぶことがあり、娘も加減なく猫をたたいたり引っ張ったりつねったりするので、反撃にあうこともあり、その影響かなと思ったりします。
娘にとっては引っかくことも、遊びや、親愛の情の表現になっているように感じます。イライラの発散法としての面もあるようですけれど。
つまり、嬉しい・楽しい・愛しているの表現も、イヤだ・イライラする・怒っているの表現も、どちらも噛んだり引っかいたりになってしまっているのかもしれません。
保育園などには行かず、専業主婦の私と、一日中のんびり過ごしています。ただ、24時間いっしょにいると、私が煮詰まってしまうことも否めません。一人遊びも、まだまだわずかな時間しか続かず、後追いもあって常に私にまつわりついています。
授乳も頻繁で、父親のいる休日などは長時間飲まずにいられるのですが、私といるとどうしても飲みたくなるようです。夜間断乳を考えたこともありましたが、実行にはいたっていません。
テレビはなるべく見せないようにはしていますが、私もリラックスしたくてテレビをつけたり、短時間ですがたまにいっしょに見たりしてしまいます。また、0歳の頃から、同居の祖母の部屋で、相撲を見せてしまっていました。考えてみれば、相撲は格闘技なのに、暴力という認識がなかったです…。
子どもの性格としては、じっくり観察して自分が納得してから動くというタイプ、歩き出すのも遅かったかなりの慎重派です。現在、人見知り、場所見知りが強いです。一ヶ月ほど前から成長期も始まってきたのか、イヤイヤと自己主張することも増えました。人の気持ちにも敏感で、私に寄り添ってくれる場面もあります。
私としては、過保護過干渉には気をつけてきたつもりです。ただどちらかといえば、いいなり気味なところがあるかもしれません。
言葉が出てくれは、収まるのではないかと、成長を待っていた面もあります。最近では、ずいぶんいろんな言葉を覚え、「のむ、よむ、のる、とる、だっこ」など、自分の要望も表せるようになってきました。それでも噛み付きがあるので、言葉待ちだった私としては、ちょっと行き詰ってしまいました。また、歯が生えてきていることも、噛み付きの原因かとも思います。
それ以前の受容として、くすぐったり、いっしょに遊んだり、表情を豊かにしたり、地道にやっています。噛んだとき以外の場面では、共感したり、笑いあったり、認めたり、褒めたり(「そうしてくれると助かるよー」とか)全面肯定を心がけているつもりなのですが。
このような対応をしつつ、さらなる成長を待つということでいいのでしょうか。それとも他になんらかの関わり方があるでしょうか。ご教示いただけたら幸いです。
すでにお読みかとは思いますが、こちらに関連記事があります。ただ、今回のご相談にはドンピシャリというわけではありませんね。
そういわけで、ここでは『イニシアチブと気分バロメーターの話』をしたいと思います。
このことは噛みつきだけでなく、通常の子育てにおいても大きく関わってくることですので、多くの方の参考になるかと。
・気分バロメーター
立派な図を作る技術も能力も時間もないので、おおざっぱな図で申し訳ありません。
① ~~~~~~~~~~~~~~~~
② ――――――――――――――――
③ ================
これは大人の方の気分です。相関関係は上下にあるイメージで。
①良い機嫌、楽しさをまとった雰囲気 ②良くも悪くもないフラットな感情の位置 ③子供に対してうんざりしていたり、怒っていたりというネガティブな雰囲気
僕はこれまでにも「メリハリ」「毅然とした態度」ということを言っていますが、子供へ気持ちを伝えるときには「気分の差」というものがあって伝わります。
普段の気分が①の位置にいる人は、して欲しくないことや怒ったときなど①の位置から②の位置までもしくはより強く伝えるときは③の位置までの気分の落差がありますので、その気持ちのギャップが起こったことで子供はそれを聞くべきことだと受け止めやすいです。
怒ったり叱ったりしているのに、親の位置が①にいるのか②にいるのか③にいるのか子供がはっきりとわからないようでは、それは伝わりません。
子供は大人が機嫌良く過ごしているとそれが直接子供とは関係ないことであっても、自分は「ここにいてよい」「受け入れられている」「認められている」という感覚をもてます。
しかし、いつも③の位置に大人の感情があると、子供はその大人にこころよく受け止めてもらっていないのではないかと感じてしまいます。これは理由が子供になくてすらそうです。
その意識は、子供に現状に安心感をもてなくなってさせてしまいます。
②の位置は子供に対してネガティブな感情をむけていないのだから、そうそう悪くもないのではないかと感じられますが、子供は大人からの保護を欲するという気持ちがありますので、実は積極的にポジティブな感情を向けていないこの②の位置も、子供は安心感を持てず、不安・不満を覚えるのです。
ぱんだるしあさんは
>ただどちらかといえば、いいなり気味なところがあるかもしれません。
とおっしゃっています。
この「いいなり」気味の状態というのは、親が明確に親の位置と親のとる一貫した行動、子供の取るべき行動、というのを曖昧にしてしまいます。
それゆえに「いいなり」は子供に安心感を持てない、不安・不満という心理を呼び起こしてしまいます。
>「楽しくなっちゃったんだね、もっと遊びたいんだね、甘えたかったんだね」と受容してから、「やめて欲しい」と言うのもやさしくを心がけたこともあります。ただ、無防備なところいきなり噛まれると、私も痛いのが先になって、「イタイ!」と叫んだり、ゆとりがなくなって怒ってしまうこともあります。
この対応ですが、この前半部分には「曖昧さ」があります。
「噛む」というのは本当に困った事態なはずです。だからこそこのように相談もしてきているのでしょう。
>「楽しくなっちゃったんだね、もっと遊びたいんだね、甘えたかったんだね」
このように受けていたら、子供はそれが本当に否定されていることなのか、そこそこ許容されていることなのか判断つきにくく混乱してしまいます。
こういうときはすべきでないことなのですから、とことん否定してした方が子供のためなのです。
曖昧に対応されていると、子供は取るべき行動の判断がつかず、なんどもすべきでないことを繰り返して、受け入れられない行動をとり続けることになっています。
ウィキペディアの編集画面を開くと「曖昧さ回避にご協力ください」ということが書かれています。
適切な事実を伝えるために、中途半端な表現をして読み手に誤解をさせないようにということだと思います。
子育てのこういった場面でも「曖昧さ回避」は大事なことです。
「弱い大人」タイプの人、「いいなり」になってしまうような人、関わりに自信の持てない人はついつい曖昧になってしまいます。
噛まれるのが大人でも、嫌なことなら嫌というのが誠実さというものです。
自信を持って、しっかり気持ちを込めて「やめて」「しないで」と言い放っていいのです。
そういった「曖昧さ」を抱えている人は、先ほどの図の気持ちのありかが子供からして「曖昧」になってしまいます。
①にいてくれればわかりやすいですが、③にいるのか②にいるのか、①に近い②なのか③に近い②なのか・・・子供は安心感を持てずに不安・不満を感じて生活することになります。
最近の相談への返信ではたびたび「イニシアチブ」に触れていますが、大人が子供に対して「イニシアチブ」を示せないのも、混乱を招き安心感を欠き不安不満を持たせることにつながります。
大人の側の「イニシアチブ」が明確でない関係では、この大人を叩く・噛みつくといった行動がとても出やすいです。
そういう状況にある子は、その不安・不満を情緒の不安定というかたちで出してしまいます。
また、そういう曖昧な親にたいして「①の位置に返ってきて」というメッセージを送らなければなりません。
すると、この年齢の子供は親に対して叩いたり、噛んだりという行動につながります。
残念なことにこのメッセージの送り方では、大人は①の位置に来てはくれないのですが、子供にはそのような伝え方しかできないので、それを続けることになります。
僕は「子供を否定しないで育てましょう」と確かに言っています。
でも、「子供が否定すべきことをしたときにも否定をしてはよくありません」と言う意味では言っていませんね。
そのように言えばどなたでもおわかりになるとおもいますが、子育てに自信のない人はついついそこまで混同してしまいます。
子供が熱いヤカンに触ろうとしたら、親なら誰しも止めますね。
もう少し大きくならなければそういう場面はないかもしれませんが、子供がはさみやカッターを持って他の子を叩こうとしたらとめますね。
それらは「否定すべきこと」だから、当然誰しもが否定するわけです。
ここでの噛みつきもそれらと変わりません。
大人が自信を持って毅然と否定していいことなのです。
そこをしきれない大人の曖昧さ、弱さが、こういった子供の困った行動の遠因ともなり、同時にそれらの行動を助長もしてしまいます。
よしんば、子供がなんらかの満たされない状態にあって、噛みつきがでるのもやむを得ない状態だったとしましょう。
しかし、それでも止めなければならないことはかわりません。
否定すべきことは否定した上で、別の受け入れられるかたちに変えてそこを受けなければならないからです。
そういうわけで、
・「曖昧さ回避」
・大人が①の位置に、つまりおおらか、ゆったりとした気分を伝わりやすいかたちで日々持って過ごす
・子供に対してイニシアチブと自信を持って関わっていく
このあたりのことに気をつけてみるといいのではないでしょうか。
追記
②の位置というのは、普段①にいる人の②は①に近い②になりますから、それでも子供は不安を感じるほどではありません。しかし、普段③にいる人の②は子供には③に近い②ですので、安心感をもてなかったり不安を感じる②になってしまいます。
同じ②の笑いもしない、かといって怒ってもいないという状態なのだけど、その人の性質によって子供にはずいぶんと変わってとらえられてしまうようです。
| 2014-08-26 | 相談 | Comment : 7 | トラックバック : 0 |
NEW ENTRY « | BLOG TOP | » OLD ENTRY