支配しなくても子供はまっすぐ育つ vol.1 - 2015.01.29 Thu
大きなことを言うと、僕は今の子育ての仕組み自体を変えていきたいと考えています。
なにをどのようにか? というと一言で言えば、
「子供を支配する子育てから、子供を尊重した子育てに」です。
そのために多くの人が眉をひそめそうな、「しつけの弊害」などということも敢えて言ってしまっています。
このブログの以前からの読者の方であれば、これまで述べてきたことが一貫してそのようなものになっていることをご存じだと思います。
これまでたくさんの育児書を読んだけれども、僕の書いていることが最も役に立ったと感じて下さる方がいらっしゃるのは、多くの育児関係の本が「既成の子育ての枠組み」のなかでの、”役に立つテクニック”といった対症療法的な育児法を述べているものが大勢を占めていることに対して、僕が述べていることは子育ての枠組み自体を見直して、その根っこの部分から子育てそのものを改善していくことを目的としているためではないかと思います。
多くの人が、先入観によって無意識のうちに、「子供をうまくコントロールすること」を目指して子育てをしてしまっています。
このことは、保育園でたくさんの子育てする人を見てきた中で感じていました。そして同時に、その試みが思い通りにうまくいってはいないことにも気づかされました。
家族や社会などのさまざまな変化が、これまでの既成の子育て法では行き詰まってきたことを示しているのだと感じます。
僕は、ことさら子供を支配せずとも、子供を問題なく、まっすぐに、またこれまでの「しつけ」が目指していたような行動規範を身につけさせることもできる方法を知っています。
その方法は、これまで出し惜しみすることなく書いてきていますので、以前からの読者の方には目新しいことでもないでしょう。
ごく簡単に言えば、まず「受容」を基礎において、大人と子供との間の「信頼関係」を高め、そこから「寄り添った関係」を作り、その上で押しつけるのではなく共感性を使いながら自然にものごとを伝えていく、ということです。
これまでの多くの人が「これが子育て」と考えていた子育て法は、子育てを「支配のレール」に載せてしまうことだと思います。
大人もそうですが、人は誰かから支配されることを、本来はあまり好みません。
抑えつけられれば、それにあらがおうとするものです。
すると今度は、さらに強く抑えつけなければなりません。
これを多くの人がしている子育てで見てみると、
最初は、「ダメよー」「あぶないわよー」と子供を指示や規制の言葉でコントロールしていたものが、だんだんと子供の行動範囲が広くなってきたり、自我が芽生えてなかなか従わなくなってくると、
「ダメ、ダメ」「あぶない、あぶない」のように、言葉の回数、干渉の回数を重ねることで大人の望む行動の範囲にコントロールしようとします。
しかし、そうしたところで子供はすでに従わなくなっているはずです。
また、このような関わりは「過保護・過干渉」を招きますので、そのような大人の関わり方自体がさらに、子供の姿をコントロールしづらいものへと向かわせる原因を含んでしまっています。
こういった状況が歩き出し、走り始めるようになる1歳後半から3歳くらいにかけて起こっているでしょう。
人によっては、コントロールしきれない子供の姿にイライラしたり、ストレスを感じたりして、もうこの頃から子育てを嫌になってしまう人が出てきます。
余談ですが、
昔の人にとって、「おとなしいお子さんね」というのは褒め言葉でした。
「おとなしい子供」であれば、上のようなコントロールしきれない状況になりにくいからです。
子供の性質がおとなしい子供であるというのは、その子の個性の問題であるので、逆に活発であるから良くないということではないはずですが、かつての子育ての枠組みの中では、そもそもコントロールしづらい子供というのはあまり好まれなかったのです。
ですから、いまでも「女のお子さんでよかったわね」、「男の子だと大変でしょう」という言葉がしばしば聞かれます。
かつての子育て法の中では、大人に従いやすい子でないと、早々に子育ての大変さを招きやすいのでした。
それはつまり、子育ての責任を子供の個性に押しつけて考えがちだったと言えるでしょう。
この考え方は、子育ての主体が、子供ではなく大人中心であったことを指し示しています。
閑話休題。
「ダメ、ダメ」などの過干渉ではコントロールしきれないと、今度はさらに強い関わりを大人はしなければならなくなります。
例えば、「怒る・叱る・脅す・疎外する」 といったことです。
これらを使うことで、大人はすでにコントロールからはずれがちな子供の姿を、「あるべき正しい姿」の範疇に押し込もうとします。
これですんなりいけばいいですが、こういった対応も根本的なものではないのでそのときの姿を抑えるだけで何度も同じような状況が繰り返され、結果的には、これも過干渉を生みます。
それがさらにそのような大変さを募らせることとなります。
幼児期に入る頃、2歳後半くらいからこのような関わりになっていく人が増えていきます。
それでも大人が子供をコントロールしきれないと、今度は「叩く」という手段を用いる人もいます。
これは子供の年齢があがればあがるほど、大人の方にも遠慮がなくなり慢性化しやすいです。
こういった子育ての流れが、僕が「支配のレール」と呼んでいるものです。
現代の大人(祖父母世代も含む)は、子供との適切な関わり方がわからないために、子育てを最初から「支配のレール」に載せてしまっています。
それに無頓着に一旦載せてしまうと、子供への関わりをどんどん強めていく必要が出てきてしまいます。
それがうまくいかないと、アウトオブコントロールの状態になって投げ出したくなったり、邪険にし始めたり、いいなりになることでなんとか子供の姿をなだめたり、テレビゲームやお菓子などで釣ることで、子供を物理的にコントロールしなければならない状態を招くことになりかねません。
では、「支配のレール」に載せないためには、どのように子供に接していけばいいのか、そのあたりのことについてのお話しを次の記事で少し述べていきたいと思います。
つづく
なにをどのようにか? というと一言で言えば、
「子供を支配する子育てから、子供を尊重した子育てに」です。
そのために多くの人が眉をひそめそうな、「しつけの弊害」などということも敢えて言ってしまっています。
このブログの以前からの読者の方であれば、これまで述べてきたことが一貫してそのようなものになっていることをご存じだと思います。
これまでたくさんの育児書を読んだけれども、僕の書いていることが最も役に立ったと感じて下さる方がいらっしゃるのは、多くの育児関係の本が「既成の子育ての枠組み」のなかでの、”役に立つテクニック”といった対症療法的な育児法を述べているものが大勢を占めていることに対して、僕が述べていることは子育ての枠組み自体を見直して、その根っこの部分から子育てそのものを改善していくことを目的としているためではないかと思います。
多くの人が、先入観によって無意識のうちに、「子供をうまくコントロールすること」を目指して子育てをしてしまっています。
このことは、保育園でたくさんの子育てする人を見てきた中で感じていました。そして同時に、その試みが思い通りにうまくいってはいないことにも気づかされました。
家族や社会などのさまざまな変化が、これまでの既成の子育て法では行き詰まってきたことを示しているのだと感じます。
僕は、ことさら子供を支配せずとも、子供を問題なく、まっすぐに、またこれまでの「しつけ」が目指していたような行動規範を身につけさせることもできる方法を知っています。
その方法は、これまで出し惜しみすることなく書いてきていますので、以前からの読者の方には目新しいことでもないでしょう。
ごく簡単に言えば、まず「受容」を基礎において、大人と子供との間の「信頼関係」を高め、そこから「寄り添った関係」を作り、その上で押しつけるのではなく共感性を使いながら自然にものごとを伝えていく、ということです。
これまでの多くの人が「これが子育て」と考えていた子育て法は、子育てを「支配のレール」に載せてしまうことだと思います。
大人もそうですが、人は誰かから支配されることを、本来はあまり好みません。
抑えつけられれば、それにあらがおうとするものです。
すると今度は、さらに強く抑えつけなければなりません。
これを多くの人がしている子育てで見てみると、
最初は、「ダメよー」「あぶないわよー」と子供を指示や規制の言葉でコントロールしていたものが、だんだんと子供の行動範囲が広くなってきたり、自我が芽生えてなかなか従わなくなってくると、
「ダメ、ダメ」「あぶない、あぶない」のように、言葉の回数、干渉の回数を重ねることで大人の望む行動の範囲にコントロールしようとします。
しかし、そうしたところで子供はすでに従わなくなっているはずです。
また、このような関わりは「過保護・過干渉」を招きますので、そのような大人の関わり方自体がさらに、子供の姿をコントロールしづらいものへと向かわせる原因を含んでしまっています。
こういった状況が歩き出し、走り始めるようになる1歳後半から3歳くらいにかけて起こっているでしょう。
人によっては、コントロールしきれない子供の姿にイライラしたり、ストレスを感じたりして、もうこの頃から子育てを嫌になってしまう人が出てきます。
余談ですが、
昔の人にとって、「おとなしいお子さんね」というのは褒め言葉でした。
「おとなしい子供」であれば、上のようなコントロールしきれない状況になりにくいからです。
子供の性質がおとなしい子供であるというのは、その子の個性の問題であるので、逆に活発であるから良くないということではないはずですが、かつての子育ての枠組みの中では、そもそもコントロールしづらい子供というのはあまり好まれなかったのです。
ですから、いまでも「女のお子さんでよかったわね」、「男の子だと大変でしょう」という言葉がしばしば聞かれます。
かつての子育て法の中では、大人に従いやすい子でないと、早々に子育ての大変さを招きやすいのでした。
それはつまり、子育ての責任を子供の個性に押しつけて考えがちだったと言えるでしょう。
この考え方は、子育ての主体が、子供ではなく大人中心であったことを指し示しています。
閑話休題。
「ダメ、ダメ」などの過干渉ではコントロールしきれないと、今度はさらに強い関わりを大人はしなければならなくなります。
例えば、「怒る・叱る・脅す・疎外する」 といったことです。
これらを使うことで、大人はすでにコントロールからはずれがちな子供の姿を、「あるべき正しい姿」の範疇に押し込もうとします。
これですんなりいけばいいですが、こういった対応も根本的なものではないのでそのときの姿を抑えるだけで何度も同じような状況が繰り返され、結果的には、これも過干渉を生みます。
それがさらにそのような大変さを募らせることとなります。
幼児期に入る頃、2歳後半くらいからこのような関わりになっていく人が増えていきます。
それでも大人が子供をコントロールしきれないと、今度は「叩く」という手段を用いる人もいます。
これは子供の年齢があがればあがるほど、大人の方にも遠慮がなくなり慢性化しやすいです。
こういった子育ての流れが、僕が「支配のレール」と呼んでいるものです。
現代の大人(祖父母世代も含む)は、子供との適切な関わり方がわからないために、子育てを最初から「支配のレール」に載せてしまっています。
それに無頓着に一旦載せてしまうと、子供への関わりをどんどん強めていく必要が出てきてしまいます。
それがうまくいかないと、アウトオブコントロールの状態になって投げ出したくなったり、邪険にし始めたり、いいなりになることでなんとか子供の姿をなだめたり、テレビゲームやお菓子などで釣ることで、子供を物理的にコントロールしなければならない状態を招くことになりかねません。
では、「支配のレール」に載せないためには、どのように子供に接していけばいいのか、そのあたりのことについてのお話しを次の記事で少し述べていきたいと思います。
つづく
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