僕は、どうせなら勉強は「やらされるもの」ではなくて、「いいもの」として子供たちには受け止めていってもらいたいと思います。
そうは言っても、子供に自然とそう思わせるのは簡単ではないかもしれませんね。
でも、子供にそういう疑問を向けられたときに、大人の方が「子供なんだから勉強するのは当たり前だ!」というように、木で鼻をくくるような態度で返してしまうよりは、なにかしら誠実に答えてあげたいものです。
それを考えることは、勉強の意味を大人ももう一度見つめ直すことにもつながるのではないでしょうか。
「勉強の大切さ」といってもいろんな切り口がありますよね。
人としての人格形成という面もあれば、生涯学習的に「学ぶ」ということの大切さを説くこともできるでしょうし、きちんとした職について安定した人生を送るためといった実利的な面から伝えることもできるでしょう。
他にもまだいくらでもあることでしょう。
とかく日本人は、勉強や学歴を重視するわりには、「学校の勉強は社会に出たら役に立たない」とか、「微分積分など実際一度も使うことはない」などと、勉強することを馬鹿にするような風潮があります。
また、テレビなどでもタレントが知識のないことや学力のないことを、ことさらにおもしろおかしくアピールするような文化もあります。
こういう土壌であっては、なかなか子供たちも学ぶことの大切さ、おもしろさにたどり着くことは難しかろうなと感じます。
親自身が、ただ漠然と「勉強は必要だ」としてしまうのではなく、「勉強はいいものなのだよ」、「大切なのだよ」と、言葉で、また態度で示して伝えてあげられたらいいですよね。
しばしば、
「勉強が得意な子(勉強を嫌がらない子)はリビングで勉強している子」
であると言われることがあります。
そこには、リビングという生活空間の一部として「勉強すること」が自然に含まれていたり、家族とも適度な距離感で見守られていたり、または親もそこで落ち着いてなにかに取り組むといった習慣が、子供のそういった無理なく勉強に取り組む姿勢というのをかもし出してくれているのかもしれませんね。
また、ゆとり教育の成功している国として知られるフィンランドでは、大人も学校を卒業した後でも、なにかを学び続けるという生涯教育的な文化がもともと強くあるのだそうです。
そのような子供の周囲の土壌、風潮というものも、子供の学びの意識へと大きく影響を与えているのではないでしょうか。
「どうして勉強ってするの?」
という問いには、本当にいろいろな答えがあるのだとは思うのだけど、昨日たまたま考えていて思いついたのは、
「勉強は自分を自由にしてくれる」
のではないかということです。
勉強を通して、ものごとを正しく理解したり、考えることが出来るようになり、それはなにものかにとらわれてしまうことを防いでくれることでしょう。
そういった意味でも、自分を「自由」にしてくれるし、
また、自分のやりたいことへの可能性を広げてくれるという意味でも「自由」にしてくれることでしょう。
勉強って覚えなければならないことはたくさんあるし、している子供たちにとってはむしろ「自由」とは正反対に感じられているのではないでしょうか。
それは重石であり、閉塞感を感じさせますよね。
でも、勉強とはあなたを押し込めるための窮屈なものではなくて、あなたが自由に羽ばたけるためのいいものなのですよと、
大人は言葉と、言葉だけでもだめなので、態度や行動でも伝えてあげられたらいいなと思います。