子供は「子供らしさ」をふんだんにもっていると、素直で、純粋で、子供らしい正義感にあふれています。
「子供らしい正義感」というのは、信頼している人が言ったこと・したことなどを、そのまま「正しいこと」として持っている気持ちです。
そういうものがあるので、人に親切にしたり、なにかを手伝ってあげたりということにも積極的です。
人と関わるのが得意・苦手といった個性によりその出し方はさまざまではありますが。
そういった他者への行動を、子供同士の間で自発的にすることもあれば、大人からきっかけをもらってそれを自分の役割として「したい!」と思うようになることもあります。
人の役に立つことにも、子供はきちんと満足感を見いだすことができているわけですね。
しかし、自分のことで精一杯な子は、なかなかその気持ちに到達しづらいです。
また、普段からたくさん指示や命令・支配されてしまっている子も、あまり他者のための行動に意欲を示しません。
ではどんな子が、人のために行動することに喜びを見いだせるかというと、人に優しくされ大切にされた経験をたくさん持っている子が、そうなりやすいようです。
保育園の子供たちには、年々この「自分のことで精一杯な子」が増えているように感じます。
別の言い方をすれば「満たされていない子」です。
滑り台で遊んでいるだけで、「はやくいけよ」と後ろから突き飛ばしたり、手を洗うのに水道に並んだといったちょっとしたことでも、「ボクのほうがはやくならんだ」「いいや、ボクだ」と言い争いになってしまったり。
クラスの中でそんな子の割合が高くなってしまうと、満たされていて他者に優しい行動を示せる子も、なかなかそのままの形でその優しさを発揮することが出来にくくなってしまいます。
逆だと、ちょっとしたことでも突っかかるような子のほうが、「自分の行動は友達同士の中で許容されないのだ」と感じることができるので、自然と収まりやすいのですが、(そういう子に対しても気持ちを慮ってあげられるようなとても優しい子も出てきます)
同じような子がたくさんいる環境だと、「売り言葉に買い言葉」のようなことが日常茶飯事になって、子供たちだけの集団の関係の中だけでは収まっていきにくいです。
これは年齢が上がれば上がるほど大変さが増していきますので、小学校などでこのような問題が出た場合は随分と対応が難しいのではないかと思います。
「本当は誰かの役に立ちたい」ということは、実のところ大人もそうなのですよね。
大人であっても自分が誰かの役に立っていると感じることは、精神的な満足感、自身の存在肯定を得られることです。
でも、いまの時代は大人も子供と同じように「自分のことで精一杯」になってしまっている状況がたくさん増えてしまっているのでしょう。
仕事も忙しかったり、単に忙しいだけではなくそれがストレスフルだったり、納得がいかない状況でも我慢して働いていたり、時間に余裕もなく、気持ちにも余裕がない、そんな状態で家庭のことや子育てもしなければならない。
子供たちの余裕のなさ、「自分のことで精一杯」になっている原因の根っこをたどっていってみると、この大人の方の「余裕のなさ」がその大元にはあるようです。