◆おわりに当たって
ちまたで人気の育児書などを見ると、「子供のこんな大変な姿にはこう対応してみましょう」といった「対症療法的」な子供への対応の仕方が書かれているものが多いです。
もちろんそこで述べられていることが間違っているわけでもないし、それによって子育てがよくなっていく人もたくさんいるのは、そうなのだろうと思います。
でも、そういった紋切り型のQ&Aで問題が解決してしまう人は、子育ての悩みとしてはライトケースなのだろうなとも思います。
僕はこれまでの経験から、「こういうときはこうしましょう」では解決しない子育ての悩みがあることを知っています。
そしてそういうところにほど、手をさしのべる必要があることも。
そういう悩みを抱えている人は、子育てする人の全体数から考えればごく一部なのだろうけど、そのあたりに手を当てていくのが僕の使命なのかなと考えて今回のシリーズをまとめました。
◆子供は世界で一番の味方
親の方から、子供を捨てる(その子の子育てを投げ出す)のでなければ、子供の方から親を捨てるということは決してありません。
その親からひどく暴力的な虐待を受けている子ですらそうなのです。どれほどひどい扱いを受けたとしても、一生懸命その親をかばい、その親になんとか認められようと子供は努力します。
子供とは親をそれほどまでに大切に思い、尊重し信頼しています。
しかし、そうであるのに子育てを積み重ね、大人になる間に親と子が敵対してしまう家庭があります。
そうなってしまうケースにもいろいろあります。
子供のためと思って、教育熱心だったものが、限度を超えてしまって子供を追い詰めてしまう。
しつけだと思って厳しく子育てしている内に、信頼関係を損なって子供から拒絶されるほどに仲が険悪になる。
親は子供のためと思いつつも、その実子供に親のエゴを押しつけていたために、互いに許し合えなくなる。
親のヒステリックな気質から、子供に強い自己否定を持たせてしまう。
その親が、他者を支配することや蔑むことを好む性格である。
・・・・・・などなど。
過去の事件をひもとけば、親が子の進路を決めつけ支配したりすることで、決定的に仲違いしてしまい、引きこもりになってしまったり、そこから家に火をつけたり、家族を刺したりといった話はいくらでもあります。
そこまでの事件にならずとも、親から受ける抑圧を学校で他児へのいじめとして発散させるといったものも、現実にはたくさんあることでしょう。
僕が子供の頃、「金属バット」と言えば家庭内暴力の代名詞でした。『積み木崩し』の時代ですね。
あの頃は「つっぱる」「ぐれる」といった「非行」が、子供たちの逃げ道になっていたのでしょう。
徒党を組み、バイクで暴走することで、親の束縛や支配から脱し、一人の自分としての自立をはからなければならなかった、そういう背景もあるのではないかな。全部が全部ではないでしょうけれども。
最初に述べたように、子供は決して親のことを自分から捨てようとはしません。つまり、子供の方から親のことを「敵」と思うことはないのです。
しかし、敵対関係になってしまう親子があるということは、親がみずから子供を「敵」にしてしまっているわけです。
僕が子供と関わる仕事を長年してきて確信するのは、本当は子供ほど親の味方になってくれる存在は他にはないことです。
親は、子供を親の自己実現の道具にしてしまうことも出来ます。
それで将来にわたってうまくいって、親子ともにハッピーということもあるでしょう。
(しかしながら、そう思っていたものが自分の子育てという場面に直面して、様々な問題や悩みを引き起こしてしまう遠因となるケースが増えていることは、これまでのこのシリーズで書いてきた通りです)
それで望みがかなえられて、親だけ満足しているが、子供はなにか納得できないものを引きずって生きていかなければならないこともあるでしょう。
はたまた、その親の意図は少しも達成されずに、親と子の強烈な反目だけを残して、その後の人生を互いに距離感を持って生きていかなければならないケースもあるでしょう。
子供を敵にするか、世界で一番の自分の味方にするかの選択肢は、つねに親が持っています。
少なくとも子供の小さい内は、子供を親の望むレールを敷いて「なにものか」にしてしまう必要はないと思います。
その過程ででてきてしまうのが、「条件付きの肯定」です。
子供の幼少期には、ただありのままの自分に笑顔を向けてもらって、「かわいいなぁ」「あなたのことが世界で一番大好きだよ」と、たくさん温かい気持ちを向けてもらう「無条件の肯定」をたくさん積み上げてもらえれば、子供は誰しもが親の世界で一番の味方になってくれるのは間違いのないことです。
◆親である自分が自身の生育歴にわだかまりを感じていて、我が子の子育てがうまくいかないと感じている人へ
以前に相談コメントへの返信か、どこかの相談記事の中で、「我が子の中にいる小さな自分」のお話しをしたことがあります。
たしか、これについて述べたのは一度だけだったと思うのだけど、いまでもしばしばこの話が印象に残ったという人が、それについてのコメントをお寄せになってくれます。
今回のシリーズの結びとして、いまいちどこの話に触れようと思います。
◆子供の中にいる小さな自分
自分の自己肯定感が低くて、子育てにも自信が持てないという人がたくさんいます。
その本人は、「こんな気持ちなのは自分だけなのかな?」と思っているかもしれませんが、いま子育てをしている人にこの状態の人は、もっのすごく多いです。
その人たちの少なくない数が、自分の生育歴の中で、親からずっと頑張りを要求されていたり、他者と比べて見られていたり、強い支配や否定を受け続けて来ています。
そして、それゆえに苦しみます。
自分はそのように関わられるのが辛かった、それを我が子にしたくはないのだけど、いつの間にかその嫌だった関わりを我が子にしてしまっている。
我が子に向ける感情が、イライラや怒りに支配されてしまう。
まだ、この子に無理なことを要求しているとわかっているのだけど、その「正しいこと」「出来ること」をついつい求めてしまう。
気づくと、子育てをしている自分に向けられる視線をいつも気にしていて、そこから来る自分を責める感情、子供を責める感情が抑えられない。
子供への関わり方や、子供の将来への不安・心配が大きくて、いろんなことに焦ってしまい、イライラしたり、過保護・過干渉をやめられない。
そういう人に試してもらいたいなと思うことがあります。
まず、自分の子供時代を振り返ってみます。
その中で、辛かったこと、我慢してきたこと、親からされて嫌だったこと、向けられて苦しかった感情・・・・・・などなど、そういったものがあるかと思います。
そのときの自分は、もちろんいまの自分となっているのですが、実はその子供だったときの自分は、目の前の我が子の中にもいるのです。
そう思って、その当時、本当は自分がしてもらいたかったことや、かけて欲しかった言葉、向けてもらいたかった笑顔なんかを、我が子へすると同時に、子供の中にいる小さな自分にもしてあげるのです。
無理をせず、思いついたときにでも、自然に出来る範囲でしてみればいいでしょう。
これでなにかが変わるという保証はありません。
それで思い出したくない過去を思い出してしまいそうという人は、しなくてもいいことです。
しかし、人によっては、ちょっとだけこのことを気に留めることで、子育てを変えていくきっかけをつかめるかもしれません。
子育てで本当に達成しなければならないことなんて、究極的には「健康であること」だけと言ってもいいでしょう。
子育てがしんどいならば、その他のことなど一旦置いといて、「健康だからいいや」でおおらかに構えていけると、子育てに無理がなくなっていきます。
その他のことは、毎日が楽しくなってからおいおいやっていければそれでいいのではないかな。
ほんとは子育てって楽しいことなんです。だって、子供は世界で一番の自分の味方で、いつでも自分を肯定してくれる存在だからね。