保育園は、園で預かる子供だけでなく、地域の子育て支援などにも貢献する必要があるということは、すでに20年は前から言われ、実際に子育て支援への予算もつき、事業として行政から行うことを求められてきたことですので、これについて保育関係者は周知のことでしょう。
いまの家庭は、都市化・核家族化が進み、子育てが核家族というもっとも小さな単位で行われる時代になってしまいました。
実際には、母一人で子育てするという、核家族すらも割り込んだ単位での子育てが普通になっています。
結果的に家庭の持つ潜在的な養育力はこれまでになく低下しています。
このことはもはや良い悪いではなく、既成の現実として受け止めなければならない段階です。
かつては祖父母や近しい親族、地域のつながりのなかで行われていた子育てが、いまは不可能になっています。
その低下してしまった機能を補うために、公的な扶助が必要となっています。つまり児童福祉ですね。
保育士・保育園は、この部分を本格的に担わなければならなくなっているのですが、まだまだなのが現実です。
話を虐待との関連に戻します。
「子育てに叩く必要はない」というのはそうなのですが、じゃあ「叩いてはいけない」と言っただけでは、本当の問題は解決しません。
子供の養育の難しさ、そこからやむにやまれず起きてしまう虐待といった問題は、現代の孤立した育児環境では自己解決が困難だからです。
それまでの家族や地域の力に代わって、子供の相手の仕方、育て方、病気や難しいときの対処法などを伝えられる存在が欠かせません。
いま、第一子が生まれて、新しくお父さんお母さんになった人たちの中には、ごくごく基礎的なこと(子育てだけに限らず一般常識的なことも含めて)を知らなかったんだということが珍しくありません。
責めているのでも、良い悪いでもなく、いまはそういう時代なのです。
それらをサポートする社会的な役割が、保育園には求められるようになっています。
直接に虐待の防止活動としてでなくとも、これらの機能をきちんと保育士・保育園が果たすことによって、ネグレクトや虐待の発生数は確実に抑えられるようになっていくことでしょう。
本当はもっと早くにこういった活動に本腰をいれるべきでした。
それがかたちとして見えていれば、現況のような保育がサービス業化した営利企業への移行という事態は、また違ったものとなっていたかもしれません。
では、いまの保育界がどのような方向に向かっているかというと、サービス業化した保育の後を追うようなことになってしまっています。
公立園や認可園でも、営利で経営する施設と同じように、親向けのアピールポイントを模索するようになってしまっています。
「こんなことをさせます」、「あんなことも覚えさせます」のように、客寄せパンダ的な特色を作らなければと考えてしまっているところが少なくありません。
でも、現代社会のありようから、保育園に求められている社会的な意義を考えたら、一にも二にも「育児支援」がくるであろうことは明らかです。
客寄せパンダをつくらずとも、その点をしっかりと考えている保育園はすでに地域・保護者からも高い評価を得ています。
児童福祉として保育をしているところは、営利のために保育施設をしているところと張り合う意味はないのです。
しかもそれを後追いでやる必要はさらさらありません。
福祉としての保育をきちんと見据えて、社会の中で保育園のあり方を考えなければならない時代に来ていると言えます。
いまのままだと、表面的なところに流されて、間違った方へと舵を切りかねないと感じます。
どうか、そこのところを心に留めて置いて欲しいと思います。