自尊心と排泄の自立 - 2015.05.19 Tue
「排泄の自立は、単におむつがはずれて、トイレでできるようになることではない」と、これまで排泄関連の中で何度も述べています。
このことは、前の記事ででてきた「自尊心」と密接な関係があります。
「自尊心」はとても大切な心の成長です。
人間はこれがあるから、人に自分が認められたい、ものごとを上達したい、自分を向上させたいと思うことができます。
子供にとっては、これがあるからこそより成長したいと感じるようになります。
成功体験によって、この「自尊心」は満たされ、より活発に伸びていきます。
そして同時に、自分に対する「自信」や「自己肯定感」をつちかっていきます。
逆に失敗を経験することによって、自尊心はひっこみ、恥ずかしく感じ、自信や自己肯定を下げます。
ここでいうところの、「失敗」は、ちょっとしたものごとをうまくできなかったというものではなくて、それによってこころがグサッと傷ついてしまうような失敗のことです。
この問題が子供の成長過程の中で、一番最初に深刻に直面するのが「排泄の自立」なのです。
僕はこれまでに何度も、「おむつをはずすことを目的として、早期にパンツにしてしまうことを避けましょう」とお伝えしています。
また、「パンツをちらつかせて、パンツになったらお兄さん(お姉さん)だね」と、移行へのモチベーションだけを上げてしまうことを避けましょうと述べています。
子供の実際の排泄の力が育っていない早期から、パンツにしてしまうと、どうしたって失敗ばかりが増えます。
さして失敗せずにすんなりそれで確立してしまう子ならばいいですが、そのようにならないことが多いものです。
「パンツになったらお兄さん」と言われている子が、もし失敗をしたら「自分はお兄さんではない」と感じることになります。
これは自分で自分に×をつける行為です。つまり「自尊心」が傷つくことです。
大人が子供に早くにパンツになってほしくて、一方的にモチベーションだけをあげてしまうと、この×はどんどん大きくなってしまいます。
そうなると、子供はどうするでしょうか?
×をつけないために、「トイレでおしっこすることを頑張るぞ!エイエイオー」と思うでしょうか。
もうほとんど心身の機能の準備が整っていて、あとは子供自身の意思だけでどうにかなる状況にいる子で、なおかつ性格が前向きな子であれば、それができるかもしれません。
しかし、排泄の自立は、本人の意思だけでどうにかなるものでもありません。
なので子供は、「排泄そのものを気にかけない」ことと、「自尊心の成長をストップさせる」ことをするようになります。
排泄を気にかけなくなった子は、おしっこがダダ漏れになっていても、まるでそんなことなかったことのように、パンツやズボンが濡れたまま平然と遊んでいます。
この状況の子は、まさに昨日の話であったように、嘘をつかなければならなくなっているわけです。
ズボンがびしょびしょになっている子に、じゃあ着替えましょうと大人が言っても、「濡れてないよ」と言い張ります。
また、ごねたり、遊びが忙しいからなどと理由をつけて、いっこうに着替えをしようとはしません。
着替えを認めれば、失敗を失敗と認めなければならなくなってしまうからです。
多くの大人が、こういうとき「なにいってるの、濡れてるんだから着替えなければダメじゃない」などと、語気荒くせまってしまいます。このことは余計に、子供に嘘をつかせる理由となってしまうことでしょう。
もとはといえば排泄の自立をその子の成長度合い以上にあせり、その状況に追い込んでしまったのは大人自身なのです。
それで責められるのは、子供としてはたまったものではないでしょう。
また子供は、失敗を真正面から受け止め続けていると、どんどん自尊心が傷ついてしまうので、自尊心を高めていくことを保留してしまいます。その自尊心の成長を止めてしまった子は、依存や幼さ、わがままや大人に対してネガティブな行動をつのらせます。
そのように、成長のモチベーションの一番基礎になる「自尊心」が育っていかないので、大人からすると幼いままです。
つまり、排泄以外の場面でも、成長があまり進んでいけなくなってしまうのです。
この状態は、大人が排泄をたきつけて、かえって子供の自尊心を傷つけるような状況を生むことによって作り出されてしまいます。
これまでの日本の子育てでは、とにかく早くにおむつをはずすことを子供に求めるので、この状況におちいるケースが非常に多かったです。
そしてこの状況になってしまえば、むしろ排泄が本当の意味で自立することは、かえって遅くなってしまいます。
ですから、あせって早期にパンツへの移行を求めることは避けるべきことなのです。
本当ならば、身体の機能、心の成長の両面が排泄を自覚的にできるところまで成長してから、成功体験を中心に(たまの失敗ならば気にすることもない)排泄の自立を経験させていけば、そこで育ってくる「自尊心」が子供自身に「おむつがとれてパンツになりたいなぁ」と思わせるし、また成功体験が「自尊心」を高めていくので、それが車の両輪となって好循環で前進させていきます。
この経験を持たせることによって、おむつがとれるという見た目のことだけではなくて、子供の成長全般が排泄の確立をきっかけに、大きく進んでいくのです。
心の成長があり、排泄の成長がある。
排泄の成長があり、心の成長がある。
どちらもが必要であり、それらは互いに互いを進ませていくのです。
いまの大人は、トイレの訓練である「トイレットトレーニング」に代表されるように、排泄の成長ばかりにしか意識がいっていないので、心の成長を見ずにとてもたくさんの間違いを排泄の自立のなかでしてしまっています。
例えば、「恥」をかかせて自立を促すような行為もそうです。
「もうすぐ3歳なのに、おむつをしていたら恥ずかしいわよ」
「おとなりの〇〇ちゃんは、もうとっくにトイレでしているのにあなたはまだなのね」
よしんばそれでおむつがはずれたとしても、そこで自分に対する自信を失わせたり、自己肯定感を下げてしまったら、その子供本人のためにはなんにもなりません。
このように言葉に出さずとも、この年齢はまさに「自尊心」が活発に伸びている時期なので、「自分が失敗した」ということだけで、自分を責めています。
大人が言葉でそこを強調したら、それはなおさらのことですし、言葉にしなくとも大人のおむつが取れて欲しいといた気持ちを子供は日々無意識のうちに感じ取っていますから、言われなくとも感じてしまいます。
排泄の自立の裏側には、この「自尊心」のような心の成長がたくさん隠れているのです。
この時期は、人間の心の成長の一番基礎であり核になる時期です。
「自尊心」「自信」「自己肯定感」など、人によっては、この部分のあり方が大人になってすらの性格に影響することもあります。
そういったことを子供に関わる大人は知っておく必要があるのではないかと思います。
このことは、前の記事ででてきた「自尊心」と密接な関係があります。
「自尊心」はとても大切な心の成長です。
人間はこれがあるから、人に自分が認められたい、ものごとを上達したい、自分を向上させたいと思うことができます。
子供にとっては、これがあるからこそより成長したいと感じるようになります。
成功体験によって、この「自尊心」は満たされ、より活発に伸びていきます。
そして同時に、自分に対する「自信」や「自己肯定感」をつちかっていきます。
逆に失敗を経験することによって、自尊心はひっこみ、恥ずかしく感じ、自信や自己肯定を下げます。
ここでいうところの、「失敗」は、ちょっとしたものごとをうまくできなかったというものではなくて、それによってこころがグサッと傷ついてしまうような失敗のことです。
この問題が子供の成長過程の中で、一番最初に深刻に直面するのが「排泄の自立」なのです。
僕はこれまでに何度も、「おむつをはずすことを目的として、早期にパンツにしてしまうことを避けましょう」とお伝えしています。
また、「パンツをちらつかせて、パンツになったらお兄さん(お姉さん)だね」と、移行へのモチベーションだけを上げてしまうことを避けましょうと述べています。
子供の実際の排泄の力が育っていない早期から、パンツにしてしまうと、どうしたって失敗ばかりが増えます。
さして失敗せずにすんなりそれで確立してしまう子ならばいいですが、そのようにならないことが多いものです。
「パンツになったらお兄さん」と言われている子が、もし失敗をしたら「自分はお兄さんではない」と感じることになります。
これは自分で自分に×をつける行為です。つまり「自尊心」が傷つくことです。
大人が子供に早くにパンツになってほしくて、一方的にモチベーションだけをあげてしまうと、この×はどんどん大きくなってしまいます。
そうなると、子供はどうするでしょうか?
×をつけないために、「トイレでおしっこすることを頑張るぞ!エイエイオー」と思うでしょうか。
もうほとんど心身の機能の準備が整っていて、あとは子供自身の意思だけでどうにかなる状況にいる子で、なおかつ性格が前向きな子であれば、それができるかもしれません。
しかし、排泄の自立は、本人の意思だけでどうにかなるものでもありません。
なので子供は、「排泄そのものを気にかけない」ことと、「自尊心の成長をストップさせる」ことをするようになります。
排泄を気にかけなくなった子は、おしっこがダダ漏れになっていても、まるでそんなことなかったことのように、パンツやズボンが濡れたまま平然と遊んでいます。
この状況の子は、まさに昨日の話であったように、嘘をつかなければならなくなっているわけです。
ズボンがびしょびしょになっている子に、じゃあ着替えましょうと大人が言っても、「濡れてないよ」と言い張ります。
また、ごねたり、遊びが忙しいからなどと理由をつけて、いっこうに着替えをしようとはしません。
着替えを認めれば、失敗を失敗と認めなければならなくなってしまうからです。
多くの大人が、こういうとき「なにいってるの、濡れてるんだから着替えなければダメじゃない」などと、語気荒くせまってしまいます。このことは余計に、子供に嘘をつかせる理由となってしまうことでしょう。
もとはといえば排泄の自立をその子の成長度合い以上にあせり、その状況に追い込んでしまったのは大人自身なのです。
それで責められるのは、子供としてはたまったものではないでしょう。
また子供は、失敗を真正面から受け止め続けていると、どんどん自尊心が傷ついてしまうので、自尊心を高めていくことを保留してしまいます。その自尊心の成長を止めてしまった子は、依存や幼さ、わがままや大人に対してネガティブな行動をつのらせます。
そのように、成長のモチベーションの一番基礎になる「自尊心」が育っていかないので、大人からすると幼いままです。
つまり、排泄以外の場面でも、成長があまり進んでいけなくなってしまうのです。
この状態は、大人が排泄をたきつけて、かえって子供の自尊心を傷つけるような状況を生むことによって作り出されてしまいます。
これまでの日本の子育てでは、とにかく早くにおむつをはずすことを子供に求めるので、この状況におちいるケースが非常に多かったです。
そしてこの状況になってしまえば、むしろ排泄が本当の意味で自立することは、かえって遅くなってしまいます。
ですから、あせって早期にパンツへの移行を求めることは避けるべきことなのです。
本当ならば、身体の機能、心の成長の両面が排泄を自覚的にできるところまで成長してから、成功体験を中心に(たまの失敗ならば気にすることもない)排泄の自立を経験させていけば、そこで育ってくる「自尊心」が子供自身に「おむつがとれてパンツになりたいなぁ」と思わせるし、また成功体験が「自尊心」を高めていくので、それが車の両輪となって好循環で前進させていきます。
この経験を持たせることによって、おむつがとれるという見た目のことだけではなくて、子供の成長全般が排泄の確立をきっかけに、大きく進んでいくのです。
心の成長があり、排泄の成長がある。
排泄の成長があり、心の成長がある。
どちらもが必要であり、それらは互いに互いを進ませていくのです。
いまの大人は、トイレの訓練である「トイレットトレーニング」に代表されるように、排泄の成長ばかりにしか意識がいっていないので、心の成長を見ずにとてもたくさんの間違いを排泄の自立のなかでしてしまっています。
例えば、「恥」をかかせて自立を促すような行為もそうです。
「もうすぐ3歳なのに、おむつをしていたら恥ずかしいわよ」
「おとなりの〇〇ちゃんは、もうとっくにトイレでしているのにあなたはまだなのね」
よしんばそれでおむつがはずれたとしても、そこで自分に対する自信を失わせたり、自己肯定感を下げてしまったら、その子供本人のためにはなんにもなりません。
このように言葉に出さずとも、この年齢はまさに「自尊心」が活発に伸びている時期なので、「自分が失敗した」ということだけで、自分を責めています。
大人が言葉でそこを強調したら、それはなおさらのことですし、言葉にしなくとも大人のおむつが取れて欲しいといた気持ちを子供は日々無意識のうちに感じ取っていますから、言われなくとも感じてしまいます。
排泄の自立の裏側には、この「自尊心」のような心の成長がたくさん隠れているのです。
この時期は、人間の心の成長の一番基礎であり核になる時期です。
「自尊心」「自信」「自己肯定感」など、人によっては、この部分のあり方が大人になってすらの性格に影響することもあります。
そういったことを子供に関わる大人は知っておく必要があるのではないかと思います。
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