なぜこのように疎外が多用され、しかもそれが、さも「うまい子育て」であるかのように考えられるようになってしまったのでしょうか?
そのことを意識してやっている人は皆無だと思いますが、子供に対してこういった扱いをしてしまう根底には、子供のことを見くびった大人の意識があるのです。
疎外にしてもそうですし、子供を脅しで言うことを聞かせること。
普段からの子供を威圧したり、叱る、といった関わりで「大人を怖い存在」にしておくことで、子供を大人の思うとおりに動かすこと。
また、そのような強い関わりだけでなく、子供をモノで釣ること、ごまかしや偽りの褒めで誘導するといったことも同様です。
これらの大人から子供への関わりの根っこには、「子供をどうにかしてやろう」という大人の側の意識があります。
そして、それのさらに元には「子供はどうせわからないから」と、大人が一方的に子供の力を軽視していることがあります。
例えば、「二の腕を引っ張って子供を動かしてしまうこと」は、「この子は自分でそこへ移動することができない」という先入観があります。
「言葉でそれを伝えて理解して動くことができる」と、その大人がその子のことを信頼しているのであれば、そしてそれを実行するまで待つことができるのならば、そのように無理やり動かしてしまう必要はありません。
その信頼することが、すなわち本当の意味で「その子を尊重する」ということなのです。
しかし、子供の能力を軽視してとらえているので、子供自身の力を伸ばすのではなく、大人が求めることを「させてしまう」ことに、子育ての中で重きを置いてしまっています。
それが、これまでの日本の子育てのスタンダードなものとなっていました。
保育士のような、子供に関しての専門家までが、その「当たり前」にどっぷりとつかっています。
いつの間にか、子育ての主体が大人になっていて、子供は「させられる」だけの存在になってしまっているのです。
本当は子育ての主役は「子供」なのだけど、現実には、大人の思うとおりにさせられる「対象」になってしまっています。
こういった大人の方の意識が、いつのまにか子育て全体を、「子供に言うことを聞かせるうまいテクニック」の集まりにしてしまっています。
特に、ひとつふたつ前の子育て世代(つまりいまの祖父母世代)は、すでに子育てがいろいろ難しくなり始めた状況(都市化・核家族化など)で、孤立無援の子育てをしいられてきたので、そんなテクニックばかりが横行してしまいました。
「子供なんてどうせわからないんだから、言うこと聞かせときゃいいんだ」
保育士はもちろん、世間の人もみんな「私は子供を尊重しています」と口では言います。
でも、厳しいことを言うようだけれども、多くの人の子供に対する見方の根っこには↑これがあります。もちろん、無意識にでしょうけれども。
というよりも、社会があまりにそういう見方で長いこといたので、それ以外の捉え方があることに気づけなくなってしまっているのでしょう。
しかし、子供との信頼関係を築いて、子供自身に成長の力を持たせることができることを経験すると、そのように疎外だとか脅しだとか、モノで釣ったり、ごまかしで子供と関わることが、いかにつまらなく、またもったいないことであるかがわかると思います。
これは本当に経験してみないことにはわからないことでしょう。
このブログを読んで、我が子の子育てが楽しくなったとおっしゃってくれる方は、おそらくそのことをやってみて実践できたからだと思います。
子供との間に信頼関係を築いて、自然と寄り添ってくれる存在になってくれることは、本当に素晴らしいことだと思います。
子供を「大人の言うことを聞く」だけの存在にしてしまうことは、それに比べたらとてもつまらないことです。
少なくとも保育士は、子育てのプロとして、本来ならばそういうことを伝えて広めていく立場にいるはずです。
でも、現実にはその逆のことを徹底してやっている人たちが、まだたくさんいて、今後も子育ての課題は大きいなと感じてしまいます。