FM nack5 "monaka" - 2015.07.29 Wed
2つ分の収録をして、30分くらい。
放送の時は編集してひとつ10分以下くらいにするみたいです。
放送日程はまだ未定なので、決まりましたらまたお伝えしますね。
相談のテーマは、イヤイヤ期の対応と、父親の育児参加についてでした。
「イヤイヤ期」はこれはもう定番のお悩みですが、父親の育児参加のお話しは、最近とても注目度が高いですよね。
僕のところにくる講演依頼も、そのかなり多くが、父親向けの話も入れてほしいとか、むしろ男性の依頼主から育児についてのお話しを聴きたいなど、父親についてのテーマはとても関心が高いようです。
ある調査によると、今年の新入社員の男性に将来家庭を持って、子供ができたとき育休をとりたいかどうかという質問に70%もの男性がYesと回答したそうです。
少しずつではありますが、男性の子育て参加が一般的なものと認識される時代になってきています。
そういえばこの頃、Facebookの僕のページへのお気に入り登録も男性の方からのものが多くなっているような気がします。
グーグルアナリティクスによれば、このブログの読者の男女比は、以前女性が75%でしたが、最近はちょっとずつ男性の比率が増えてきています。
| 2015-07-29 | その他 | Comment : 3 | トラックバック : 0 |
『ルポ 保育崩壊』(岩波新書) - 2015.07.24 Fri
各方面でこの本が話題になっています。
僕も、東洋大学 高山静子先生のブログで紹介されているのをみて読んでみました。
僕としては、とうとうこのようにかたちとしていま保育がどうなっているのかが、世にでてきたかという気持ちです。
すでにこのブログでは保育が営利化すること、近年のさまざまな保育を取り巻く制度改革で必ず問題の起こること、質の低下が起こりうることなどを以前から述べてきました。
この本では、その実態を詳細な調査の上で述べられています。
ただ、こういったかたちとして出る前から方々で、
「大変な”保活”を乗り越えてようやく保育園に入れたのに、なんだか保育が雑に感じる」とか
「保育士がとても子供に冷たく関わっている」
「しょっちゅう保育士がやめて担任が入れ替わったり、人員が足りないように見えるときがある」
といった話が聞こえていました。
また、保育園での事故のニュースでも、これは慢性的にずさんな保育があったのだろうとわかるものや、園の経営側の事情でいきなり閉園になったり、幼保一元化の内実で多くの齟齬がでていることなどなど、近年の保育を取り巻く変革がもたらしたものの影響はひしひしと感じていました。
この本で述べられていることは、そういった問題点をあげてそれの報告をしているので、もちろん世の保育園が(営利のところも含め)すべてこうではありませんが、これは未来の話やどこか遠いいところの話ではなく、もうすでにあちこにちある現実になっています。
いざ子供をあずけようと保育園に入れたとき、もしかするとそこは安心して子供を預けられない園かもしれないのです。
本来はそういったことがないように、保育に関する予算は保育にのみ使うと法律で決まっていたのに、「保育予算の一般財源化」ということをして、その予算を自由に使えるようになってしまいました。
保育にかかる予算を減らせば、その分で「もっと箱物をつくろう」、「もっと天下り先をつくろう」ということだってできてしまうのです。できてしまうというより、もうやっています。
そのしわ寄せは、働く親たちとなによりも子供たちに来ています。
本書中に、営利保育最大手の企業の話がでています。
他の保育園で社会福祉法人が運営しているところは人件費が総予算の70%以上を占めているのに対して、その企業では42~45%と大きな開きのあるものでした。
この企業は拡大時からずいぶん、企業モデルとして経済界からも注目されており、経済番組などにもよく取り上げられていました。
その中で、グループ内の備品を一括で購入したりすることで、全体のコストを下げているので、質を下げずに運営できるのだといったことを社長自らが言っておりました。
ですがまあ実際は、保育の質など二の次で人件費を極力下げて利益にあてているのですよね。
このあたりのことは当然ながら予測されることでしたが、しかし、保育を取り巻くお金のからくりはそんなものではありませんでした。
ひとつの保育園の設置、運営費用として自治体から与えられたものを、他の保育園の新規開設費用として流用していく。
グループ内に給食や習い事などの委託企業をつくり、そこに発注をしていく。その金額がひとつの保育所だけで年間2700万円にものぼる。
そのようにすれば、保育所からお金を引き出して、その園や子供のために使うのではなく企業の思うがままに使えてしまいます。
こういったことを大きな会社がやり、国もそれを認めてしまっています。
この流れではそれは変わりようがないでしょう。
この著者の小林美希さんはジャーナリストです。よくここまで踏み込んでいったと思います。上のようなことだけでなく、子供を預ける人、保育士として働く人などの問題を多角的に取り上げています。
良書です。保育に携わる方には一読をお勧めします。
近年の保育をめぐる改変の中で子供たちのためにという視点で考えられたものなんて、ほとんどひとつもないんだよね。
ほとんどすべてが結局のところ、「保育にかけるお金をいかに切り崩していくか」というものばかりです。
待機児童解消だって、その気になりさえすればできるんです。
でも、それを最低限のお金しかかけるつもりがないから遅々として進みません。
それこそ「小学校に空きがないので待機しててください」なんて話はないですよね。どんな僻地であっても、きちんとその子供に教育ができるように手配します。ましてや、「そこではコストがかかりすぎるので、その地域にある民間の塾にでも行ってください」とはなりません。そこには赤字か黒字かといった打算はないわけです。
もちろん、教育とは事情が違いますからそこまでとは言わないのだけど、保育はあまりに(保育に限らず近年は福祉全体が)お金の切り崩しの対象になってしまいました。
「女性が輝く社会」とかいうのならば、保育はもっと本気で整えるべきなはずなのに、かたちだけで中身まで考えてはいないのだよね。
保育士不足だって、待遇改善して劣悪な職場、労働環境にもっと本腰を入れて改善するつもりがあるならば、格段に増えるはずです。
多くの有資格者が待遇や労働環境を問題として保育の職に就かないからです。
でも、それにお金をかけるつもりがないから、先般話の出ていた「準保育士」のような裏口を使おうとしています。
結局この「準保育士」も安く人を使って、それで利益をあげたいという人たちに都合のよい話でしかありません。
「準保育士」の話はつぶれたけれども、おそらくまた近いうちに名称や制度を変えて似たような話がでてくることでしょう。
たしかに既存の保育所だって、どこでも質が高かったわけではありません。
しかし、じゃあだからといって育児経験があるならば誰にやらせてもいいだろうといったことになれば、いまからは考えられもしないようなひどいことがわんさか起こり得ることでしょう。
いまは質の低い人がいたとしても、それをなんとかカバーできる専門性を持った人がいるからある程度のところで維持されているのです。
しかし、えらい人たちとくに年配の男性に、「母親が家庭でタダでやっていたものになんで金をかけなければいけないんだ」という意識があるうちは、保育に予算を投じるようにはならないでしょう。
そういう人たちにとっては、むしろ「企業に下げ渡して税収を出させるところ」になってしまっているのではないでしょうか。
いまの政治家のおえらいさんたちは、多くが二世三世議員のおぼっちゃんばかりになってしまっていますから、実際のところ保育園なんて実感としてはなにもわからないことでしょう。
僕はこれから保育士を目指す人や、これから中核を担っていく若い保育士さんたちによりよい保育、子育て、家庭支援を身につけていけるよう尽力したいと思っているのですが、業界全体がブラック化していきかねないところに送り出さなければならないことがなんとも心苦しいです。
| 2015-07-24 | 子供の人権と保育の質 | Comment : 6 | トラックバック : 0 |
WS 第六回 子供との距離感 - 2015.07.22 Wed
隔週で三ヶ月にわたり、長いようで短いようなあっという間の全六回でした。
僕も普段は文章を書くことで、子育てが無理なく、また楽しくできるようなことをお伝えしたいと思っているのですが。
子育てって”正解がない”もしくは、”個々により正解が変わる”ものですから、文章で伝えるのはとても難しい。
具体的な個々のことを書こうとしても、一度にひとつしか書けません。またいくら頑張って書いたとしても書き尽くせるものでもありません。
よしんばそれを書き尽くしたとしても、読む人がそのどれが自分にあてはまるのか適切に判断できなければ意味がありません。
結局のところ、それは限界があるわけですね。
では、多くの人に共通のところを抜き出してまとめ一般論にして書きます。
その場合は、読んだ人がその一般論と、自分のケースとのギャップを自分で考えて埋めなければなりません。
また、一般論とは違う個別の側面が強い場合は、その一般論はあまり役に立たないこともあります。
やっぱりこちらも限界があります。
世間に流布する多くの子育てのお話しは、そこを避けるのですね。
そうすると、抽象論、感情論になります。
平たく言うと、”いい話”にしてしまうわけです。
「あぁ、いい話聞いたな~。大変だけどやっぱり子供っていいものだ。明日からまた頑張ろう!」
そのように、大人の方がモチベーションを取り戻して子育てにまた向き合えることで、うまくいってしまう人もたくさんいることでしょう。
それはそれでいいことだとは思います。
でも、保育士として実際の家庭や子育てを家庭に近い目線で見てきた僕には、こういった”いい話”にしてしまうことで、「あとはなんとか頑張ってね」という子育ての話にもある種の限界を感じます。
なぜかというと、それではまったく子育てが好転していかないケースもたくさんあるからです。
そしてそれは、増え続けているからです。
子育てに関する講演や育児の本の多くは、切り口こそ違えど、この”いい話”を落着点にしています。
子育ての本をたくさん読んできた人ならわかるかと思いますが、
そういう本も読んでいてあたたかい気持ちにさせてくれたり、感動させたり、たしかにいいものなのですが、それらを何冊も何冊も読んでいると、読後は「うん、わかった。じゃあ次はどうすればいいの?」といった感覚を覚えます。
それこそ、たくさんそういうものを読み込んでしまうと、具体的な中身としては0にすら感じてしまいかねません。
もちろん、それによって子育てが好転する人もいるわけで、そういう場合は100かもしれませんから、それらがよくないと言いたいわけではありません。
ただ僕は、いまの時代は、人によってはもっと踏み込んだものが必要になってきていると感じています。
僕は大学などで保育研究を専門にしてきた研究者ではありません。
ただの一保育士です。
しかしだからこそ、僕ができる仕事はそのすきまを埋めることなのではないかと感じています。
子育てする人と、子供と、同じ目線に立って、
「そういうときはこうしてみるといいかもしれないね。それでだめならこういう手もあるよ」
「それはみんなが通る道だから、そんなに悩まなくてもぜんぜん大丈夫だよ」
「うーん、そうか~。それは大変だなぁ。僕もこうすればいいってうまいことはいえないけど、一緒に考えてみましょうか」
そんなことを、地道にやっていこうと思います。
このワークショップでは、話の内容も僕なりに一生懸命「こういうことが必要ではないか」とまとめていってお話しするわけですが、実際のところはそれ以上に、子供がモノの取り合いをしたときの声の掛け方やそれこそ声のトーン、ここは見守って大人が手を出さなくてもいいところ、といったことを実地に目にできることも大きいのだと思います。
子育てのしかたは、文章だけではなかなか伝わらないもので、それよりは講演などで直接の言葉として耳にする方が伝わるし、さらには子供と関わるところを目の当たりにできるほうがより理解できるものです。
昔ならばそれを自然と見て身につける機会が多くあったのでしょうけれども、いまはそれは難しくなっています。
僕自身も保育士の資格を取得したときですら、ただの人でした。
それをその後、保育園で働きながら、そこの諸先輩方や各家庭の関わり方をみて、いいものはそれを自然と身につけ、よくないものは反面教師にしながら自分のものとし、保育の中で実践して、さらに我が子の子育てでもやってきていまがあるのでしょう。
それをお伝えすることで少しでも、子育てが楽しくなった、子供がいることで人生がより豊かになったと思えるようになる人が増えてくれれば、僕としてもとてもうれしいです。
| 2015-07-22 | 講座・ワークショップ | Comment : 2 | トラックバック : 0 |
ハンモック - 2015.07.15 Wed
忙しいというか、精神的に余裕がないというか。
でもその分、数日しかなかったけど夏休みはとても充実していました。
今年の夏は昨年にも増して暑くなりそうですが、あと2ヶ月執筆に集中してなんとかがんばっていきたいと思います。
今年の夏を乗り切るグッズいくつか購入しました。
以前泊まったロッジに備え付けのハンモックがあり、それがあまりによかったもので、なんとなく気になってました。
自宅にあっても邪魔になるしな~と思いきや、これがすっごい快適。
ダントツにこの夏一番のよい買い物ではないかと思ってます。
![]() ハンモックゆらふわモックポータブルハンモックスタンド自立式自立式ハンモックレビュー記載で... |
一番喜んでいるのは、子供たちですけどね。
二人でのって、探検ごっこの船にしたりバイクにしたり、むーちゃんはときどきそこでお昼寝しています。
僕も頭使いすぎてつかれた~というときに、ブラブラ揺れているととてもリラックスできます。
ハンモックに寝てる僕のおなかの上に、むーちゃんが寝転がって、そのままむーちゃんはお昼寝してしまうことも・・・。
そんなことできるのも、今年が最後かなーと思います。
ほんとに近年ないほど、買ってみて”意外にも”よかったものダントツ一位でした。
そのほか、適当によかったもの。↓
◆かき氷器
ふわふわのかき氷が家庭でも!
氷は専用容器でつくったものしか使えないけど、これはすぐれものです。
サントリーだったかな、もっとすごい1万円クラスの家庭用かき氷器もだしているけど、うちではこれでも十分そうです。
◆沢屋ストロベリージュース
半斗もあるので、なんと約9リットル弱です。
多いけど近所に配ると、毎年とても喜ばれています。
牛乳で割ったり、↑のかき氷のシロップにしたりして。
ちょっと粗めにしたふわふわかき氷をたっぷりとタンブラーに詰めて、ジンとこのシロップにソーダで、夏らしいカクテルもおいしい。
![]() 材料は「いちご」と「グラニュー糖」のみ、無添加の濃縮果汁です。沢屋ストロベリージュース(... |
◆テント
最近のテントは、進化していて設置が簡単でびっくり。
夏休み楽しんできたいと思います。
こんなこと書いていると、まるで僕は夏を満喫しているようにも聞こえますが、実際は腱鞘炎と産みの苦しみ、締め切りのプレッシャーに悲壮な覚悟でのぞんでいるような感じです。
本の出版は来年早々の予定です。
最近たくさんの講演のご依頼を頂戴するようになりました。
9月初旬までは執筆に専念するので、いまからお受けできるのは9月後半以降になります。
すでに日程が埋まっているところもありますので、ご依頼の際はFacebookよりお問い合わせください。
https://www.facebook.com/hoikushioto
みなさまも熱中症など気をつけて、どうぞよい夏をおすごしください。
| 2015-07-15 | おすすめグッズ | Comment : 2 | トラックバック : 0 |
WS 第五回 過保護と過干渉 - 2015.07.08 Wed
このブログでも本でも、「受容」についてのお話しはたくさんしてきました。
「受容を意識するようになって、それまで難しいと思っていた子供の姿がまったくなくなって子育てが楽しくなりました」
という方もおります。
でも、
「受容が大切なことは理解して、それをしてみることでの手応えも感じる。
けれど、それでもなんだかまだまだ子供の姿が難しく感じるなあ」
という方もいることでしょう。
その背景にあるもので少なからぬケースは、この「過保護と過干渉」の問題ではないかと感じます。
現代の子育ては、「過保護と過干渉」にとてもなりやすいからです。
「なぜなりやすいのか?」は、理屈っぽくなるので省略。
ここでは、「どこに気をつけていこう」のポイントだけに絞って書いていきます。
<過保護・過干渉にならないために>
◆安全・危険には毅然と
→このことを幼少期の子供にしっかりと伝えられないのであれば、子育ての全期間を通して他の何ものも伝えることはできない
”安全に留意すること”、”危険から身を守ること”
これらは言うまでもなく、子育てする上でとても大切なことですよね。
例えば、子供が車道に飛び出そうとしたとき、大人はそれを止めなければなりません。
そして、また同時に二度と同じことを繰り返さないように、その子に浸透するように伝えなければなりません。
優しく言って伝わらないのであれば、大人は強さを持って「それは危ないから決してしてはいけないのだ!」と言う必要もでてきます。
しかし、現代ではそれができない人が増えています。
その子に伝わるだけの強さを持って言うことができないので、子供はそれを芯から理解することなく、また同様の行動を繰り返し、大人はそこに対して「ダメよー」、「危ないわよー」と、その子に伝わっていない頭の上を通り過ぎるだけの空虚な言葉を繰り返すことになってしまっています。
この空虚な言葉の繰り返しは、子供に伝わらないどころか、単なる過干渉となってしまい、子供に大人の言葉を聞かなくていいといったよくないクセをつけてしまいます。
昔の人は、いまの人よりも、命に対する切迫感を持っていたのではないかと思います。
かつて、僕の父よりも前の時代は、子供が死ぬのは珍しいことではありませんでした。
「兄弟姉妹は6人いたけど、その内二人は幼少期に病気や身体の弱さで亡くなった」
などということは、普通にあることでした。
そういう状況で生きてきた人は、「命は守らなければならない」と強い気持ちを自然と持っていました。
その人たちは、もし子供が危険な車道に飛び出そうとしたとき、一片の躊躇もなく「バカヤロー」、「なにやってんのあんたは!」
と怒鳴りつけてでもやめさせることができました。
もし、それに子供が驚いて泣きわめいたとしても、「ちょっと言い過ぎてしまったかしら・・・」などとブレることも一切なく、「あなたのために必要だから言ったのだ」と堂々としていられました。
現代人には、そういった切迫さというものは薄れてきています。
子供に決してさせたくないと大人が心から思っていることに対しても、そこを毅然として堂々と子供に示すことが不得手になっています。
でも、”命を守る”という一歩も譲れないことに対してすら、強さを大人が持てないとしたら、これから直面する子育ての中で子供に伝えなければならないなにものをも、なにひとつ子供に伝えることはできなくなってしまいます。
安全・危険についての必要なことを伝えられるだけの強さを持てない人は、例えば、子供がいつも食事中立ち歩いてしまい、それは困ると思っていてもそれを子供に浸透するように伝えることはできないでしょう。
その人は、そういう姿に直面するたびに子供の頭の上を素通りするだけの空虚な言葉を、ただ何度もしつこく繰り返し、
「なんでうちの子は、わからないのかしら。ハァ」と徒労感を感じたり、
「小さい子供は、言ってもわからないからしょうがないわね」とか、「男の子は言うことを聞かないものなのね」などと、子供のせいにして自分をなだめてしまったり、
”小言過干渉”を重ねて、イライラやうんざり感を蓄積させ子育てそのものを嫌なものにしていってしまいます。
「私は強くいうことが苦手だわ」、「人と争うことは好まないわ」という人もたくさんいます。
僕は、人の弱さであってもそれはその人の個性として尊重すべきものだと考えています。
でも、安全と危険について伝える場面だけは、最低でも子供にそれが伝わるだけの強さや、もしくは毅然とした態度を持てなくてはならないのです。
それがなければ、過保護や過干渉を子供にしてしまうことに歯止めをかけることはとても難しくなることでしょう。
その強さや自信が、子供に過度な干渉や、過度な保護をしないですむためには必要になってくるからです。
”安全・危険に対する配慮”、”命に対する真剣さ”というものは、子育ての出発点であり、同時にここからここは譲れないという最後の一線でもあるのです。
これがきちんと持てないと、それは子供に対するときの”弱さ”になり、子供を持て余し、過保護や過干渉をする元となってしまいます。
まずはこの点を、大人としてしっかりと持つことが大切だと思います。
つづく。(多忙のため、不定期)
| 2015-07-08 | 講座・ワークショップ | Comment : 5 | トラックバック : 0 |
ちょっとした関わり Vol.1 - 2015.07.04 Sat
でも、こういうことを僕はあんまり意識してやっていないので、あげてくださいと言われるとなかなか出てこないのですね。
なので、思い出したときにでもちょこちょこと書いてみます。
<パクッ>
ちょっとしたふれあい遊び。
手を鳥のくちばしのようにして、「パクッ」と言いながら、子供の手や足、おなかなどをやさしくつまんであげる。
ただそれだけー。
<おなかにきいてみましょ~>
ごはんのあと。
「おなかいっぱいになりましたか~? じゃあおなかにきいてみましょ~」
と、おなかをさすってあげたり、くすぐってみる。
<あなぽっぽ>
むーちゃんがいつのまにか考え出した遊び。遊びと言うよりふれあいかな。命名もむーちゃんです。
食事は子供たちよりも僕が先に食べ終わることがほとんどで、食後くつろいでいるときに、無意識に僕は体育座りのように膝を抱えて座っていることが多く、ご飯を食べ終えたむーちゃんが、
「あ、あなぽっぽだ~」と
その膝の間に(勝手に)入ってくる遊び。
2歳の頃から、いまにいたるまでよくやっています。
どうも、むーちゃんと僕は、食事や料理を通してつながっている部分があるようで、あなぽっぽじゃなくても、食後は一度は僕にくっついてきたり膝の上に寝転がったりを夕食後はほぼ日課のようにしています。
それについては、いろいろと感じるところがあるのでまた別の記事に書きます。
それ以外の時でも、たまたま膝を抱えて座っていると、「あ、あなぽっぽみつけた~、むーちゃんのばしょ~」と言っては膝の間にすっぽりと入ってきます。
<僕も子供の時にやったよ>
大人が自分の話をするのだけど、それが子供の肯定と共感になってしまうというお話し。
お菓子でも遊びでもなんでもいいのだけど。
子供がそれを食べているのを見て、
「あ、そのお菓子僕が子供の時もあったよ~。これ僕も大好きだったよ。おいしいよね~」
大好きな大人が、子供の時に同じことをしていた、好きだった、経験したという話をしてあげることで、
子供自身がしていることを、追認し肯定してあげることにつながっているようです。
| 2015-07-04 | あそび | Comment : 8 | トラックバック : 0 |
研究会がおわりました - 2015.07.02 Thu
ご参加下さったみなさま、関係者の方々おつかれさまでした。
研究発表の方は、最初短めにまとめたつもりで書き上げた発表原稿が約14分。
説明部分をかなりばっさりと切り落として、ようやく8分の発表時間に合わせてのぞみました。
それを時間いっぱいまで、ちょっと早口でなんとかお話ししたので、伝わりにくいところがあったかもしれません。
会場はあまり広くなかったのもあり、立ち見がでるほど。
わざわざ発表まで聴きに来ていただいたかたにはご不便をおかけしてしまいました。
ランチミーティングには、思ったほど学生さんは少なかったけど、聴きに来て下さったお子さんをお持ちの方+研究会の参加者の方で70~80名くらいの聴衆だったそうです。
その後の、相談会は大人の人数だけで約30名ほど。
当初、学校側が用意して下さっていたのは普通の講義室だったのですが、急遽体育などの授業でつかっているレクリエーションルームに変更していただき、”遠野のうんこ鳴き”の実演をしたり、気さくな雰囲気で行うことができよかったです。
会場に来ていた赤ちゃんに、いきなり知らないおじさんがお父さんを押しのけて、「うん こぉぉぉぉ」とかしたのだけど、キャッキャッと笑顔で応えてくれてとてもかわいかったです。
普段、文章でなんとか子育てを伝えようとは試行錯誤しているのだけど、同じことを伝えるにしても、ああやって直接お話しして伝えられるのはやはりぜんぜん違ってきます。
子育て関連でもいろんな活動をしている人がいるのだけど、例えばテレビに出たりするマクロ的な活動よりも、おひとりおひとりに直接関われるようなミクロ的な活動の方が自分には合っているような気がします。
やはりそこは、僕は現場の人間なのだと思います。
執筆が落ち着いたら、そういった会を定期的に開いていくのもいいかなぁと、なんとなく思い至ったところです。
相談会の中では、いろいろなご質問がでたのだけど、今回の場では子育てのこまごました直接的で具体的なことよりも、ちょっと大人の姿勢の問題に寄った相談が多かったので、
「答えは、育児書のなかにあるわけじゃなくて、自分自身の気持ちと、目の前の子供の姿にあります。”自分がイヤならイヤ”でいいから、それで自信を持ってやってみて、その結果の子供の姿を見ながら少しずつ、”すりあわせ”をしていけばいいんですよ」
といったことを中心にお答えしました。
あと、いろいろ・・・・・・。もっともっとたくさんお話しをうかがったり、お伝えしたいこともたくさんあったのだけど、短い時間としてはけっこういろいろ詰まっていたかなと思います。
ご参加下さったみなさま、本当にありがとうございました。
| 2015-07-02 | 講座・ワークショップ | Comment : 6 | トラックバック : 0 |
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