子供を”伸ばす”より、”コントロール”を目指してしまう - 2015.10.06 Tue
以前こんなことがありました。
レストランでのこと。
家族連れのお客さん、2歳と3歳の子ども。
席に着くとおもむろにタブレットを出して、アニメを子供に見せ始める。
最初こそ、それを少し見ていたが、じきに周囲のことに興味をひかれたりして見なくなり、騒ぎ出してしまう。
それをお菓子を食べさせることで釣ったり、
「しっー」 → 「静かに」 → 「うるさい」 → 「いい加減にしなさい」
とだんだん押さえつける関わりが強くなっていく。
それでも聞かないので、「オニから電話がかかってくる」と脅していた。
大人から子供へのこのアプローチですが、これは子供を大人の”望む姿”の範囲に”コントロール”しようとする関わりです。
では、そういった”コントロールしようとする関わり”で、子供はその通りになるかというと、実際のところなっていません。
関わりの度合いを強めることで、なんとか”押さえつけ”をしているに過ぎないのです。
しかし、そういった子供への関わり方は、日本では一般的なものです。
むしろ、多くの人が、親になると進んでこの”コントロール → 押さえつけ”の子育てをしていると言えるでしょう。
ほとんど意識されることはないと思いますが、これは多くの人が持つ「先入観」が影響しています。
その先入観とは「子供にはどうせ言ってもわからない」というものです。
とくに年配の人、いまの祖父母世代の人などはこの意識を強く持っています。
そのように子供を決めつけて見てしまうことは、とても大きな誤りです。
しかし、大変残念なことに、大人からそのように思われて、育てられてきた子は、実際に「言ってもわからない子」に成長してしまいます。
先に大人が「子供はどうせ言ってもわからない」という価値観を持っていて、そうであるからと最初から子供を”コントロール”してしまおうと関わったり、”言うことを聞かせるためのテクニック”を使って、その結果として”強い押さえつけをされなければ大人の望む姿で過ごせない子”を作り出してしまうことは、社会で子供が歓迎されないひとつの大きな原因となってしまっているでしょう。
幼少期から親や、そのほかの大人が、”子供はどうせ言ってもわからない”というスタンスに立って、最初から”子供をコントロールすること”を「子育て」にしていくと、その子たちは”言ってもわからない子”に育ち、その子たちへの大人の関わりは、だんだん強くなる”押さえつけ”にならざるを得なくなってしまいます。
それは、親にとっては子供をみること、一緒に過ごすことを大変なものにし、子供にとっては親からの関わりを”嫌なもの”にしていきます。
そのことは、本当にもったいないことだと僕は思います。
いま「ベビーサイン」ってありますよね。
僕はそれを赤ちゃんの内に親子ですることで、とても大きなメリットがあると思っています。
それは子供の成長うんぬんのメリットではなく、親の方へのメリットです。
親自身が、簡単ではあるけれども赤ちゃんと意思の疎通を経験することで、”子供は言ってもどうせわからない”という先入観から離れられるからです。
以前に紹介したことのある、遠野地方に伝わる”うんこ鳴き”もそれと同様の効果があるのではと思います。
実際に、小さな子供はたとえ赤ちゃんだったとしても、たくさんのことをちゃんと感じ取っています。むしろ、大人の保護なしでは過ごせない赤ちゃんは、大人の感情や思いを敏感に感じ取っているのではないかと思います。
多くの人がいまだに「子供はどうせ言ってもわからない」という先入観を持ったまま子育てをスタートしてしまうことは、とても大きな損失です。
子供にもさまざまな個性がありますので、一概に言えることではありませんが、「子供だってわかる、伝わる」ととらえて関わっていくことが大切でしょう。
また、大人の方にそういう姿勢がなければ子供自身が”伸びる”ことはないのです。
レストランの例では、アニメを見せることで”静かにさせておこう”とコントロールしようとするところから関わりが始まっています。
しかし、これはもったいない関わりにしてしまっています。
なぜなら、むしろこういった機会は、子供を成長させる大きなチャンスなのです。
これは、レストランに食べに行くという非日常の経験です。
「家のなかとは違う特別な場所なのだから、特別な行動をとりましょう」と子供に求め、成長をステップアップすることができる絶好の機会です。
例えば「レストランなのだから座ってお食事を楽しみましょう」とか、「ここは静かに過ごすところですよ」といったことを伝えて、経験させてみることをまずやってみるのは子供の成長にとっても、とてもいいことなはずです。
もし、その後子供をコントロールしなければならない場面が出てきてしまったとしても、最初からそれをしてしまうこととは大違いです。
しかし、多くの人が子供自身を伸ばそうとするよりも、大人の求める姿にあてはめるために”コントロール”や”押さえつけ”、釣りやごまかし、脅しを弄することを当たり前のことと考えてしまっています。
祖父母世代の人たちも、これを多用しています。
そのことはつまり、現在の親世代の人たちが、すでにそうやって育てられてきたことを意味しています。
ですから、なおさらこのような関わりに「おかしい」とは感じさせず、子育ての「当たり前」になっているのがいまの現実です。
「子供はどうせわからない」という先入観・価値観は変えていかなければならないと思います。
レストランでのこと。
家族連れのお客さん、2歳と3歳の子ども。
席に着くとおもむろにタブレットを出して、アニメを子供に見せ始める。
最初こそ、それを少し見ていたが、じきに周囲のことに興味をひかれたりして見なくなり、騒ぎ出してしまう。
それをお菓子を食べさせることで釣ったり、
「しっー」 → 「静かに」 → 「うるさい」 → 「いい加減にしなさい」
とだんだん押さえつける関わりが強くなっていく。
それでも聞かないので、「オニから電話がかかってくる」と脅していた。
大人から子供へのこのアプローチですが、これは子供を大人の”望む姿”の範囲に”コントロール”しようとする関わりです。
では、そういった”コントロールしようとする関わり”で、子供はその通りになるかというと、実際のところなっていません。
関わりの度合いを強めることで、なんとか”押さえつけ”をしているに過ぎないのです。
しかし、そういった子供への関わり方は、日本では一般的なものです。
むしろ、多くの人が、親になると進んでこの”コントロール → 押さえつけ”の子育てをしていると言えるでしょう。
ほとんど意識されることはないと思いますが、これは多くの人が持つ「先入観」が影響しています。
その先入観とは「子供にはどうせ言ってもわからない」というものです。
とくに年配の人、いまの祖父母世代の人などはこの意識を強く持っています。
そのように子供を決めつけて見てしまうことは、とても大きな誤りです。
しかし、大変残念なことに、大人からそのように思われて、育てられてきた子は、実際に「言ってもわからない子」に成長してしまいます。
先に大人が「子供はどうせ言ってもわからない」という価値観を持っていて、そうであるからと最初から子供を”コントロール”してしまおうと関わったり、”言うことを聞かせるためのテクニック”を使って、その結果として”強い押さえつけをされなければ大人の望む姿で過ごせない子”を作り出してしまうことは、社会で子供が歓迎されないひとつの大きな原因となってしまっているでしょう。
幼少期から親や、そのほかの大人が、”子供はどうせ言ってもわからない”というスタンスに立って、最初から”子供をコントロールすること”を「子育て」にしていくと、その子たちは”言ってもわからない子”に育ち、その子たちへの大人の関わりは、だんだん強くなる”押さえつけ”にならざるを得なくなってしまいます。
それは、親にとっては子供をみること、一緒に過ごすことを大変なものにし、子供にとっては親からの関わりを”嫌なもの”にしていきます。
そのことは、本当にもったいないことだと僕は思います。
いま「ベビーサイン」ってありますよね。
僕はそれを赤ちゃんの内に親子ですることで、とても大きなメリットがあると思っています。
それは子供の成長うんぬんのメリットではなく、親の方へのメリットです。
親自身が、簡単ではあるけれども赤ちゃんと意思の疎通を経験することで、”子供は言ってもどうせわからない”という先入観から離れられるからです。
以前に紹介したことのある、遠野地方に伝わる”うんこ鳴き”もそれと同様の効果があるのではと思います。
実際に、小さな子供はたとえ赤ちゃんだったとしても、たくさんのことをちゃんと感じ取っています。むしろ、大人の保護なしでは過ごせない赤ちゃんは、大人の感情や思いを敏感に感じ取っているのではないかと思います。
多くの人がいまだに「子供はどうせ言ってもわからない」という先入観を持ったまま子育てをスタートしてしまうことは、とても大きな損失です。
子供にもさまざまな個性がありますので、一概に言えることではありませんが、「子供だってわかる、伝わる」ととらえて関わっていくことが大切でしょう。
また、大人の方にそういう姿勢がなければ子供自身が”伸びる”ことはないのです。
レストランの例では、アニメを見せることで”静かにさせておこう”とコントロールしようとするところから関わりが始まっています。
しかし、これはもったいない関わりにしてしまっています。
なぜなら、むしろこういった機会は、子供を成長させる大きなチャンスなのです。
これは、レストランに食べに行くという非日常の経験です。
「家のなかとは違う特別な場所なのだから、特別な行動をとりましょう」と子供に求め、成長をステップアップすることができる絶好の機会です。
例えば「レストランなのだから座ってお食事を楽しみましょう」とか、「ここは静かに過ごすところですよ」といったことを伝えて、経験させてみることをまずやってみるのは子供の成長にとっても、とてもいいことなはずです。
もし、その後子供をコントロールしなければならない場面が出てきてしまったとしても、最初からそれをしてしまうこととは大違いです。
しかし、多くの人が子供自身を伸ばそうとするよりも、大人の求める姿にあてはめるために”コントロール”や”押さえつけ”、釣りやごまかし、脅しを弄することを当たり前のことと考えてしまっています。
祖父母世代の人たちも、これを多用しています。
そのことはつまり、現在の親世代の人たちが、すでにそうやって育てられてきたことを意味しています。
ですから、なおさらこのような関わりに「おかしい」とは感じさせず、子育ての「当たり前」になっているのがいまの現実です。
「子供はどうせわからない」という先入観・価値観は変えていかなければならないと思います。
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