これまで多くの子供と関わってきて、「ああ、この子はモノで心を満たすようになってしまっているな」と感じる子はけっして少なくありません。
でも、全部が全部よくないというわけではなくて、中にはそれがセーフティーネットになっているというのもあります。
親の子供への要求や、関わり方に問題があるのだけどモノを潤沢に与えられているがために、それが情緒の安定にプラスになっていたり、性格のねじれまでへの影響を防いでくれていたりするケースです。
このようなケースはマイナスの影響への振れ幅を小さくしているといったものですから、”モノで心を満たさない”ようにすることの大切さは変わらないとは思います。
現代はモノがとても豊かにある時代です。
親の気持ちのあり方として、しばしば「〇〇がなくて(子供が)かわいそう」といった意見に触れることがあります。
こういうケースをよく見てみると・・・・・・。
じゃあ、その子がそれで親からそのモノを与えられたとしても、目新しいモノをもらった喜びをみせはしますが、あとあとまでそのことでの満足感を持っていたり、そのものに愛着を持って大切にしつづけるかというと、それがなかなかそうでもありません。
つまりこういうケースは、「モノがあって当たり前、無い状態はマイナス」ということになってしまっているわけです。
その子のモノへの価値感がそのようであると、モノはどんどんと消費されていくものとなります。
次から次へと欲しがりはするのだけど、どこまでいっても満たされることはないという状態です。
また、そういった子の中には他者の心情を理解したり、思いやりを持って接することができなくなっているケースも見られます。
そのような子供の心のあり方を、親のモノへの価値観が作り出してしまっているのを感じます。
祖父母世代のような年配の人は、逆にモノの無い時代に育って、本来ならばモノの大切さを痛切に知っているはずなのですが、その後モノが豊富にあふれる時代に突入し、反動ともいえるのか、モノが得られることを大きな幸福感として享受して、モノを消費する傾向を急激に強めていきます。
ですので、モノを与えることが大好きです。この祖父母世代こそ「〇〇が無いとかわいそう」という価値観を大きく持っています。
そういった世代に育てられた、現在の親の世代もやはり、モノを与えられることを当たり前のこととし、子育ての中でも、モノを与えることで、子供に満足感を与えようとしたり、子供の行動や心を誘導しようという意識を持っています。
しかし、この点あまりにも無頓着でいると、子供の心や人格までへも影響を与えていくのではないかと感じます。
モノへのこだわりや執着を見せる子供は多くなる一方で、子供らしいモノへの愛着や大切にする心を見せる子は少なくなっているようです。
(例えば、人形などへの擬人的な愛着や、楽しい思い出のこもったモノをいつまでも大切にしたいと感じている様子など)
モノが豊かにあることや、モノを与えることが悪いというのではありません。
でも、子供の心がモノで動かせるからと言って、いきなりモノで大人のいいようにしようとするのは注意が必要です。
まず、
心は心で満たすべきなのです。
その上で、モノがある分にはそれはプラスになるでしょう。
子育てする人にはこの点知っておいてもらいたいと思います。
なぜならそういった心のあり方は、大人になってもその人の人生に影響を与えるからです。
すでに、保育園に子供を預けているようなお父さんお母さん世代の人に、そういった姿がしばしば見られるようになってきています。
子供そっちのけで、自分の趣味やレジャー、消費に走ってしまうケースです。
祖父母や配偶者のサポートがあって、なんとかギリギリのラインに収まっているケースが多いですが、一歩間違えると「依存症」と呼ばれるものになりかねない危惧を感じます。