子供の自立のために -必然性のある”できること”- - 2016.07.19 Tue
現代では、いろいろな理由から子供に対して「過保護・過干渉になりやすい子育て環境」が最初からあると言っても過言ではありません。
なので、ある程度意識しないとどうしてもそれに流されやすいです。
今回はそんなことについてちょっと書いてみます。
自立心というのは、さまざまな経験の中から育まれていきます。
生活上の経験、遊びの経験、友達との経験、外の世界での経験などなど。
そういったことのひとつひとつが、小さいながらも子供の中にその心を育てていきます。
それらは直接目に見えませんし、1を経験したからといって、すぐ1の力がつくというものでもありません。
ですが、日々なにげなく行われていることの蓄積は大きく積もっていきます。
そこで、それらの経験を子供に適切に積ませていけば、自然自然と子供の自立心が伸びていくわけですね。
「しつけ」について述べた記事ででてきました。
・子供のことを「どうせできないだろう」みなす気持ち
が大人にあれば、それらの経験は必然的に小さくなってしまいます。
また、
・「失敗させてはならない」
と思っていても、そういった経験は小さくなりますね。
それらの心持ちは、大人自身がある程度コントロールしたほうがいい点かと思います。
そして、誤解しないようにしてほしいのは、「〇〇をできるようにしなさい」「〇〇をできるようにがんばらせなさい」という意味ではない点です。
「しつけのメソッド」が頭に強くあって、僕の文章を読めばそのようにとってしまうかもしれませんが、そうではないというのが注意点です。
それで関わっていけば、子供に「やりなさい」「なんでやらないの」などとマイナスの関わりで組み立てることになっていきます。
それでは、子育てや子供への関わりが抑圧的になっていってしまいます。
そうではなく、プラスで組み立てていけるようにするのが大切です。
だから、「できるようにする」わけでも、「頑張らせる」わけでもないのです。
そのポイントとして2つ。
1,「できること」で組み立てること
2,必然性のあるもの
1,「できること」で組み立てること
とは、その言葉どおりですが注意点。
・子供はいつでも同じようにできるわけではない。それに目くじらを立てなくていい。
→子供にだって疲れている時もあれば、どうしたって気の乗らない時もあります。
どうしても今の段階でできなければならないことに対してならば別ですが、今回の話は自立心を伸ばすという観点からですから、子供ができないときがあっても、「ああ、そうなんだ」と流せるくらいでいいでしょう。
それがいつもやらないことならば、まだその課題は難易度が高かったのです。
少しもどって「できること」で見なおしてみましょう。
・自発的な”力の発揮”には時間がかかる
→大人が「やらせる」のならば短期間でできるようになるかもしれません。
しかし、それは大人が「やらせる」(強くなれば抑圧的に関わった)結果として「できる状態」が作りだされたのであって、必ずしも自立心の獲得ではありません。
子供自身の力として得させるためには、時間はどうしたってかかるのです。
なので、「できない結果」を見てそのいちいちに目くじらを立てるように関われば、自立心、自発性にはなりませんね。
「”やらされている”からやっているだけ」になってしまいます。
これだと、大人の見ていないところでは「やらない子」になってしまう可能性もあります。
だから、「いつでもできるわけではない。できないときがあっても、そういうものだ」と思っていく姿勢が必要でしょう。
2,必然性のあるもの
「大人にやらされている」のであれば、これは自立心にはつながりませんね。
だから、その物事は子供自身にとっても「ああ、必要なんだな」とわかるものごとにしておいたほうがいいわけです。
・「必然性」
例えば、以前の記事でも例にでました。
小学生であれば、「時間割(明日の持ち物)をそろえる」。
こういったことであれば、子供は自分のこととして必然性を感じられますね。
でも、大人が最初から全部やってあげていたりすれば、その子にとってそれは必然性は低くしか感じられないかもしれません。
・「習慣化」
行動はわかりやすく明確にしておくといいでしょう。
すると、子供は比較的習慣を守る性質をもっていますので、そのものごとが取り組みやすいです。
例えば、「帰ってきたら、帽子はここにかけてね」と、いつも決まった帽子をかける場所がある、など。
子供はいつでもできるわけではありませんから、そうなっていても放りっぱなしだったりすることもあるでしょう。
そうしたら、そこを責めるように怒ったり叱ったりするのではなく、「気づかせる」「考えさせる」ように関わる手段がとれます。
「帽子おきっぱなしですよ」
→伝える。「〇〇しなさい!」ではないことに注意。
事実だけを伝えて、考えさせるわけです。
→その上で自分からできたら、それを「認めれば」いい。
→できなかったら、再度伝えてもいいでしょうし。「ああ、今日はできない日なのだな」と思ってその時点で大人が手を貸すなり、やって上げるなりしてもいいでしょう。 →「ずっと置きっぱなしだったから、私がかけておきましたよ」
◆現代の子育てを見ていると、必然性があって子供にやらせられることに対しては、大人が過保護や過干渉になり「やってあげてしまう」一方で、子供にとって必然性の低いこと(勉強や習い事、そのものごとの発達段階に到達していないこと)には頑張らせ、駆り立てているような、アンバランスな関わりが非常に多く目につきます。
それの蓄積から、大人からの関わりが心地よくなくなってしまっている子。
頑張るエネルギーを使いきってしまっていて、本来ならばすんなりいくことがスムーズに行かなくなっている子が増えているようです。
その順序やバランスが適切であれば、もっと子育てはラクに行くだろうと思うのです。
なので、ある程度意識しないとどうしてもそれに流されやすいです。
今回はそんなことについてちょっと書いてみます。
自立心というのは、さまざまな経験の中から育まれていきます。
生活上の経験、遊びの経験、友達との経験、外の世界での経験などなど。
そういったことのひとつひとつが、小さいながらも子供の中にその心を育てていきます。
それらは直接目に見えませんし、1を経験したからといって、すぐ1の力がつくというものでもありません。
ですが、日々なにげなく行われていることの蓄積は大きく積もっていきます。
そこで、それらの経験を子供に適切に積ませていけば、自然自然と子供の自立心が伸びていくわけですね。
「しつけ」について述べた記事ででてきました。
・子供のことを「どうせできないだろう」みなす気持ち
が大人にあれば、それらの経験は必然的に小さくなってしまいます。
また、
・「失敗させてはならない」
と思っていても、そういった経験は小さくなりますね。
それらの心持ちは、大人自身がある程度コントロールしたほうがいい点かと思います。
そして、誤解しないようにしてほしいのは、「〇〇をできるようにしなさい」「〇〇をできるようにがんばらせなさい」という意味ではない点です。
「しつけのメソッド」が頭に強くあって、僕の文章を読めばそのようにとってしまうかもしれませんが、そうではないというのが注意点です。
それで関わっていけば、子供に「やりなさい」「なんでやらないの」などとマイナスの関わりで組み立てることになっていきます。
それでは、子育てや子供への関わりが抑圧的になっていってしまいます。
そうではなく、プラスで組み立てていけるようにするのが大切です。
だから、「できるようにする」わけでも、「頑張らせる」わけでもないのです。
そのポイントとして2つ。
1,「できること」で組み立てること
2,必然性のあるもの
1,「できること」で組み立てること
とは、その言葉どおりですが注意点。
・子供はいつでも同じようにできるわけではない。それに目くじらを立てなくていい。
→子供にだって疲れている時もあれば、どうしたって気の乗らない時もあります。
どうしても今の段階でできなければならないことに対してならば別ですが、今回の話は自立心を伸ばすという観点からですから、子供ができないときがあっても、「ああ、そうなんだ」と流せるくらいでいいでしょう。
それがいつもやらないことならば、まだその課題は難易度が高かったのです。
少しもどって「できること」で見なおしてみましょう。
・自発的な”力の発揮”には時間がかかる
→大人が「やらせる」のならば短期間でできるようになるかもしれません。
しかし、それは大人が「やらせる」(強くなれば抑圧的に関わった)結果として「できる状態」が作りだされたのであって、必ずしも自立心の獲得ではありません。
子供自身の力として得させるためには、時間はどうしたってかかるのです。
なので、「できない結果」を見てそのいちいちに目くじらを立てるように関われば、自立心、自発性にはなりませんね。
「”やらされている”からやっているだけ」になってしまいます。
これだと、大人の見ていないところでは「やらない子」になってしまう可能性もあります。
だから、「いつでもできるわけではない。できないときがあっても、そういうものだ」と思っていく姿勢が必要でしょう。
2,必然性のあるもの
「大人にやらされている」のであれば、これは自立心にはつながりませんね。
だから、その物事は子供自身にとっても「ああ、必要なんだな」とわかるものごとにしておいたほうがいいわけです。
・「必然性」
例えば、以前の記事でも例にでました。
小学生であれば、「時間割(明日の持ち物)をそろえる」。
こういったことであれば、子供は自分のこととして必然性を感じられますね。
でも、大人が最初から全部やってあげていたりすれば、その子にとってそれは必然性は低くしか感じられないかもしれません。
・「習慣化」
行動はわかりやすく明確にしておくといいでしょう。
すると、子供は比較的習慣を守る性質をもっていますので、そのものごとが取り組みやすいです。
例えば、「帰ってきたら、帽子はここにかけてね」と、いつも決まった帽子をかける場所がある、など。
子供はいつでもできるわけではありませんから、そうなっていても放りっぱなしだったりすることもあるでしょう。
そうしたら、そこを責めるように怒ったり叱ったりするのではなく、「気づかせる」「考えさせる」ように関わる手段がとれます。
「帽子おきっぱなしですよ」
→伝える。「〇〇しなさい!」ではないことに注意。
事実だけを伝えて、考えさせるわけです。
→その上で自分からできたら、それを「認めれば」いい。
→できなかったら、再度伝えてもいいでしょうし。「ああ、今日はできない日なのだな」と思ってその時点で大人が手を貸すなり、やって上げるなりしてもいいでしょう。 →「ずっと置きっぱなしだったから、私がかけておきましたよ」
◆現代の子育てを見ていると、必然性があって子供にやらせられることに対しては、大人が過保護や過干渉になり「やってあげてしまう」一方で、子供にとって必然性の低いこと(勉強や習い事、そのものごとの発達段階に到達していないこと)には頑張らせ、駆り立てているような、アンバランスな関わりが非常に多く目につきます。
それの蓄積から、大人からの関わりが心地よくなくなってしまっている子。
頑張るエネルギーを使いきってしまっていて、本来ならばすんなりいくことがスムーズに行かなくなっている子が増えているようです。
その順序やバランスが適切であれば、もっと子育てはラクに行くだろうと思うのです。
| 2016-07-19 | 心の育て方 | Comment : 3 | トラックバック : 0 |
NEW ENTRY « | BLOG TOP | » OLD ENTRY