もちろん、いまでもそういうニーズはあるにしても、それによって多くの人が子育てを無難におくれるほど、現在は均質化した時代ではないと僕は感じています。
つまり「元気になれば解決する」程度の悩みで済んでいた人の割合が減って、「感情論では自分が取り残された感しか残らないよ」という人が増えてきたこと。
その方向性の子育て論では、取りこぼされてしまう人ががぜん多くなっているし、むしろそれはその人を追い込んでしまうこともあります。
一方で最近増えているのが、その著者自身が子育てがうまくいかない当事者で、そのうまくいかなさを吐露している方向性での育児書です。
ある意味ではとても現代的なものだと思います。
SNSやブログの普及で一般の人も子育てについてのことを発信できるようになったからです。
また芸能人などの出す育児本にも、この手のものは多いです。
これらが読者に対してどう機能しているかというと、「共感」の部分だと思います。
もしくは、問題の相対化による自分の悩みの軽減ということです。
「ああ、自分の悩みと同じことを抱えているのだな」そのように実感できるだけで、気持ちが楽になったりします。特に子育てという避けようのない仕事では、こういった心のケアも重要なことなのかもしれません。
相対化というのは、「自分よりももっと大変な人がいる」と思えると、自分の悩みが相対的に小さく感じられるようになることです。
現代の子育てする人たちのニーズを一番とらえているのは、これらの「育児の大変さを吐露して、うんうんそうだよね」という流れに持って行っているものでしょう。
売れている子育て本や人気のあるブログの多くがこの系統にあるようです。
保育学などの先生が一般向けの子育て本として書く場合にも、この系統に寄せてこういった自分の失敗談的なところを多く述べているものも増えてきています。
ただ、この子育ての話の運び方の問題点は、基本的にはそれで問題が解決するわけではないことです。
もちろんそれなりの具体策はちりばめていくにしても、かつて主流だった(いまもそうではありますが)「愛情が大事だから頑張ろうね」が、「私も大変だから頑張ろうね」に変わったとも言えます。
これをやっていくと、結局は子育てが感情論や精神論から抜けられないのではないかなと僕個人は思うので、またアマチュアに媚びるような持って行き方はプロとしては不誠実なのではないかとも心のどこかで感じるので、僕の仕事はそれではないなと考えています。
でも、ニーズに迎合しておいた方がたぶん賢いんだろうなということはわかっています。
現代の子育てでは、行き詰まったあげくイライラや怒り、自己否定になってしまっている人が少なからずおり、どんなに誠実に「ここには問題点があるのではないか?」、「ここはこうしたらいいのではないか」といった具体論を積み上げてもそれを、自分への批判や自己否定と取ってしまう人がいるからです。
おそらくは「自分もダメダメなんですが」と言っておけば、それらの矛先は回避できることでしょうけど・・・・・・。
それでも、内容やその他の記事も読み進めていってもらうことでわかっていただけるようになっているとは思うのですが、感情的に読んでしまう人がいることは書き手にはどうすることもできないので歯痒いところです。
でも僕は、子育てを「大変、大変」と連呼していくものではなく、「楽しいな、幸せだな」と感じられるものにしたいと願っているので、不器用でもその方向で進むしかないと思います。
来月でこのブログも7周年になるのですが、いまだにアンチコメがあるとへこたれるのでなんとなくグチでした。
こんな自分がよく7年も続いたなぁと思います。