よく音楽の世界なんかでも「ライブ感が」、なんて言いますが講演でも不思議とその場の雰囲気とかで、同じ言葉を話しても伝わる感じとか手応えとかが変わってきます。
今回も事前にアンケートを取っていただいていたので、それを踏まえてのお話をいたしました。
なんとなく自然が豊かでのんびりしているところだと、子育てもすんなりいくのではないかなんて気がしてしまいますが、実際はそんなことはありません。
地域によって傾向の違いといったことはあるものの、やはりその人その人そこここでの悩みや難しさを感じながら子育てに向き合っています。
講演では、子育ての根っこを明らかにすることで、子育てを無理なくシンプルなものに変えていく『子育てのたったひとつの大切なこと』をメインにお伝えしました。
また、それをどうしたら子育てするその人その人が自分なりに少しでも試してみることができるのかも一緒にお伝えします。
その具体的なお話ができることが、僕の強みなのだと思っています。
(プロ向けのお話だとそれの逆をできることも強みになっています。子供への関わり方や姿勢を理念と結びつけて取り出すことで、より意識的に取り組めるようにできる点)
僕は「○○が大事ですよ」でお話を終えてしまったら、それは僕の仕事ではないと考えています。
子育ての現場で見てきた、研鑽を積んできたことに立脚点があるので、「じゃあ、それをするにはどうすればいいの?」の問いの答えも一緒にお伝えすることを目指しています。
もちろん、それはいろんな人に対して伝える上で常にその人にぴったりというわけでもないのですが、極力ヒントくらいにはなるようなものにはしたいと思っています。
今回は、講演後1時間半ほど皆さんで車座になって、お時間のある方希望される方には子育ての相談もお受けしてきました。
周りの人がどんなことで悩んでいるか、私と同じことを悩んでいる人がいるといったことを感じることも、子育てをラクにしてくれるものです。
そういった場はあるようでありません。
そしてそれは、家族など身近過ぎる人と話すこととはまたちがった面があります。
また、そういうところに加わりたくても、子育ての悩みの深い人ほど入ることをためらってしまいます。
自分がうまくいっていないように感じているので、自分を責める気持ちが心のどこかにできてしまい、それを表現することがいたたまれない気持ちになってしまうのですね。
でも、そういう人ほどそれを出せる場が必要なのだと思います。
僕は一般論として子育てのことをいろいろ書いていますから、人によっては僕は「子育てはこうありなさい!」と求めているのだと感じたり、解釈してしまう人もいるかもしれません。
しかし、僕は子育ての正解がひとつでないことは重々承知してしますから、「こうしなさい、それができなければダメですよ」という気持ちはまったく持っていません。
よしんば「つい子供に手が出てしまうんです」と言われたとしても、それを責めることは一切ありません。
一般論と個別論は違います。
その人の立場で、どうすればいい方向へ持って行けるかを一緒に考えていきたいと思っています。
今回の講演や育児相談を通して強く感じたのは、
子育てをめいっぱい頑張っているところに、「もっと頑張りなさい」と言われてしまっている人や、言われているような気がして子育てが辛くなってしまう人がたくさんいるのだということです。
「頑張りなさい。もっと頑張りなさい」
子育てに限らず、この「頑張れ頑張れ」は日本の文化のような気がします。
すでにめいっぱい頑張っているのに「もっと頑張れ」って言われると、そこから上手くできる人はほんの一部です。
実のところほとんどの人は、それをされるとかえって上手くいかないのですね。
僕は人間の本質には「弱さ」というものがあると考えています。
講演でも少しだけお伝えしましたが、人は赤ん坊というか弱い存在として生まれ、「老い」という弱さに向かって進んでいきます。
その弱さを「ああ、そうなんだ」とありのまま一旦受け止めること。
それはあまりに何気ないことなので、多くの人は見過ごしてしまう点です。
しかし、そこにこそ大きな意味があります。
まず子育てする人自身をありのままに受け止める人がいなくては、その子育てする人がその子供のありのままの姿を受け止めてあげることはできません。
このことを改めて重要と感じる経験となりました。
短い滞在ではありましたが、丹波は素敵なところでした。
それについてもまた別のときにでもお伝えしたいと思います。